2019年4月16日
「表現の森」の活動を通じて
―社会への第一歩に,美術館ができること―
アーツ前橋 学芸員 今井朋
アーツ前橋では,前橋市内の施設と連携し,アーティストと一緒に継続的に取り組むプロジェクト「表現の森」を実施しています。このプロジェクトは,2016年に開催した企画展「表現の森 協働としてのアート」をきっかけにスタートしました。
連携する施設は,特別養護老人ホーム,母子生活支援施設,市営団地,難民の障害者支援を行うグループホーム,不登校やひきこもりの経験のある若者を支援するフリースペースの5か所。福祉や教育,医療も関わる現場で,アーティストとともに表現することの可能性を探っています。

特別養護老人ホームで神楽太鼓奏者の石坂亥士と
ダンサーの山賀ざくろが身体を使ったワークショップをするようす
社会の中で生きている限り,私たちは誰もが福祉,教育,医療と関わる経験を持ちます。病気になって改めて健康体でいられることをありがたく感じたり,高齢の家族を持って初めて介護施設と関わることもあると思います。様々な社会課題がある中で,地域の美術館はどんな役割を果たすことができるのでしょうか。そんな疑問を持ちながら長い時間をかけて問いへのヒントを探しているプロジェクトがこの「表現の森」です。

母子生活支援施設の母子と,ワークショップで制作した
成果物や手紙をタイムカプセルに封印するようす
ここで一つの事例を御紹介します。
アーティストの滝沢達史さんと協働するのは,2014年に前橋市内に開所したフリースペース「アリスの広場」の若者たちです。彼らの多くは,不登校やひきこもりの経験がありますが,少しずつ社会に復帰するための準備をしています。滝沢さんと「アリスの広場」に通うところから始め,若者たちとアーツ前橋で展示する作品を一緒に作りました。

アーティストの滝沢達史と「アリスの広場」の若者たちが交流するようす
滝沢さんは,フリースペースに関わる人たちと丁寧にコミュニケーションをとりながら,展示の構成を考えていきます。
「アリスの広場」のボランティアでもあったYさんは,自身が不登校や引きこもりの経験があり,躁鬱病と診断されたことから,当事者として「アリスの広場」に関わるようになりました。滝沢さんは,Yさんの過去を丁寧にヒアリングすることから始め,Yさんが自殺を考えた場所にも作品リサーチとして一緒に足を運び,最終的に《Yさんの部屋》という作品が生まれました。この作品の中で,Yさんはこの時の経験をこう書いています。
「かつて辛かった場所に行けたこと。過去と同じ風景を見れたこと。「死にたい」と思った歩道橋に立てたこと。生きているからできたこと。過去を振り返ることで,強く思ったのは,生きていて,良かった。」
Yさんにとって,過去のネガティブだった場所は,アーティストとの作品制作を通して,ポジティブな場所に変換されたのではないでしょうか。
滝沢さんとYさんがじっくり時間をかけて対話し,その人生を作品にすることで,Yさん自身の過去への考え方が変わる瞬間が生まれたのだと思います。

「アリスの広場」の若者たちと一緒に作った展示室 ©Kigure Shinya

展示作業に参加する若者たち ©Takizawa Tatsushi
展示を共に作る中で,休館日の美術館は,人との接触が苦手な若者たちにも居心地の良い場所であることがわかりました。そこで,休館日にアーツ前橋の展覧会を見るプログラム「ゆったりアーツ」を始めました。
人がたくさんいる場所がとにかく苦手な若者たちにとって,自宅以外で居心地がよいと思える場所がたくさん増えることは,彼らの社会復帰の助けになるはずです。

休館日の展示室で照明を暗くして作品を見たいという若者のアイデアから,
真っ暗な中で絵画を鑑賞しました
この活動を通じて,美術館で作品と対面しているからこそ可能になる人間関係が見えてきました。若者たちは,「アリスの広場」へやってきても,互いに会話することが少なく,場所は共有しているけれども,それ以上でも以下でもないという印象でした。
一方,休館日の展示室では,現代アートの作品を見ながら「この作品わけわからないよね」などの会話が生まれます。作品が彼らの間に介在することで,間接的に会話が発生するのです。
活動記録の中で以下のように書いてくれる若者もいました。
「『アリスの広場』と『ゆったりアーツ』は,私にとっての第二の引きこもりの場所であり,でも社会とは完全に切り離されてない(もしかしたら,ここから社会と繋がれるかも?)ちょっと希望の見える場所なのかな。」
若者たちと話をしていると,「今の社会の中でうまく居場所を見つけられないけれど,社会の一員として生きていきたい」という強い意思を感じることがあります。
「ゆったりアーツ」の次は,是非平日の美術館にも足を運んでほしいと考えています。 その小さなステップが,僅かでも彼らに「社会に出ていってもいいかな。」という気持ちを与えてくれるものになるのでは,と期待しています。
※上記で紹介した全事業のうち2018年度は文化庁の補助事業「表現により繋がる地域の活力創造事業」として実施されています。
※写真は一部加工しています。
※それぞれの活動の詳細は特設サイトを御覧ください。https://www.artsmaebashi.jp/FoE/
※《Yさんの部屋》に関する記事は以下を御覧ください。
【滝沢達史×アリスの広場】インタビュー:「アリスの広場」ボランティア・Yさん
アーツ前橋
(住所)〒371-0022 群馬県前橋市千代田町5-1-16
- 問合せ
- 027-230-1144
- 交通
- JR前橋駅北口より徒歩約10分
- 開館時間
- 10:00~18:00(展示室への入場は17:30まで)
- 休館日
- 毎週水曜日,年末年始
- 観覧料
- 企画展により異なる
※1Fギャラリーは無料 - ホームページ
- http://www.artsmaebashi.jp/