2016年11月4日
16年
映画監督 中野量太
日本映画学校(現:日本映画大学)を卒業したのが2000年,16年前に,僕は映画の世界に飛び込みました。卒業制作で今村昌平賞を受け,意気揚々と監督になるという目標を掲げ,現場に入った僕は,早々2年で一旦,道をそれることになりました。助監督という仕事をうまくできなかったのです。もっと言えば,プロの現場では全く通用しない人間でした。
その後,映画から離れ,料理番組や子育て番組など,小規模なテレビ番組を作る仕事をしていました。その間も,心の奥底では映画を作りたいという気持ちは消えませんでした。しかし,なかなか行動に移せない挫折を味わった自分がいました。
短編映画『ロケットパンチを君に!』
2005年,ついに自主映画制作という形で,僕は行動を起こします。翌年,短編映画『ロケットパンチを君に!』は,国内のインディーズ映画祭で数多くの賞を受けました。そのとき,知り合った映画仲間から,僕は「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」の存在を知らされたのです。
《35㎜フィルムで,プロのスタッフと映画を撮れる》
一度挫折した僕にとって,これ以上ない魅力的なプロジェクトでした。
ndjc2008,撮影の様子
今思えば,しがみつくような思いで挑んだndjc2008のメンバーに選出され,もう一度プロの現場に戻してもらえたことが本当に大きかった。プロのスタッフに揉まれながら,懸命に撮り切った実習作『琥珀色のキラキラ』が,その後の僕の道を作ってくれた気がします。「やれる」「もう映画から離れたくない」そう本気で思わせてくれたndjcの実習は,間違いなく今の僕がいる原点です。
その後,なかなかチャンスは巡ってきませんでした。でも,諦める気は全くありませんでした。
自主長編映画『チチを撮りに』
巡ってこないなら自ら掴みに行こう。2013年,起死回生の思いで制作した自主長編映画『チチを撮りに』が,国内外で14の賞を受け,ついに,チャンスを掴み取りました。
2016年,10月29日,僕の商業映画デビュー作となる『湯を沸かすほどの熱い愛』が全国公開されました。これでやっと映画監督になれた気がします。
『湯を沸かすほどの熱い愛』現場の様子
映画学校を卒業して16年,正直,長かったです。でも,マイペースな僕にはきっと必要な年月だったと今は思っています。そして,その年月の中に絶対に必要だったのが,僕を映画へと呼び戻してくれたndjcです。
16年間の集大成『湯を沸かすほどの熱い愛』を,是非,劇場で観てください。
『湯を沸かすほどの熱い愛』ポスタービジュアル
【プロフィール】
中野量太
1973年7月27日生まれ。京都育ち。
大学卒業後,日本映画学校に入学し3年間映画作りの面白さに浸る。卒業制作『バンザイ人生まっ赤っ赤。』('00)が,日本映画学校今村昌平賞,TAMA NEW WAVEグランプリなどを受賞。卒業後,映画の助監督やテレビのディレクターを経て,5年ぶりに撮った短編映画『ロケットパンチを君に!』('05)が,ひろしま映像展グランプリ,福井映画祭グランプリ,水戸短編映像祭準グランプリなどを含む7つの賞に輝く。ndjc2008に選出され,35ミリフィルムで制作した短編映画『琥珀色のキラキラ』('08)が高い評価を得る。2012年,長編映画『チチを撮りに』('12)が,SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて日本人初の監督賞を受賞,ベルリン国際映画祭を皮切りに各国の映画祭に招待され,国内外で14の賞に輝く。2016年,商業デビュー作となる・宮沢りえ主演『湯を沸かすほどの熱い愛』が,10月29日に全国公開された。