議事録

第19回国語分科会日本語教育小委員会・議事録

平成21年5月25日(月)
10:00〜12:00
文化庁第2会議室

〔出席者〕

(委員)
西原主査,杉戸副主査,伊藤,伊東,井上,岩見,加藤,佐藤,中野,西澤,山田各委員(計11名)
(文部科学省・文化庁)
匂坂国語課長,西村日本語教育専門官,山下日本語教育専門職ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 第18回国語分科会日本語教育小委員会・議事録(案)
  2. 文化審議会国語分科会日本語教育小委員会委員名簿
  3. 「生活上の行為」の精査について

〔参考資料〕

  1. 「生活上の行為」の精査について(アンケート)
  2. 「生活上の行為」の精査について(アンケート集計結果)
  3. 今期の日本語教育小委員会の検討スケジュール

〔机上配布〕

  1. 「日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発-中間報告書-」
    独立行政法人国立国語研究所日本語教育基盤情報センター

〔経過概要〕

  1. 事務局から出席者の紹介があった。
  2. 委員及び事務局の異動について報告があった。
  3. 前回の議事録(案)が確認された。
  4. 机上配布資料「日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発-中間報告書-」について杉戸副主査,金田国立国語研究所日本語教育基盤情報センター学習項目グループ長から説明があった。
  5. 事務局から配布資料3「「生活上の行為」の精査について」,参考資料1「「生活上の行為」の精査について(アンケート)」,参考資料2「「生活上の行為」の精査について(アンケート集計結果)」についての説明があり,その後,資料の内容に関し,質疑応答と意見交換を行った。
  6. 次回,第20回の日本語教育小委員会は,予定どおり7月6日(月)の10:00から12:00まで開催し,場所については後日連絡することが確認された。
  7. 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○西原主査
今日の本題であります「生活上の行為」の精査ということについて御議論いただきたいと存じます。配布資料3「「生活上の行為」の精査について」について,まず事実関係あるいは今までの説明について確認の御質問がございましたら,どうぞ。ワーキンググループの委員の方々は実際に作業を行ったということですので,よく分かっていらっしゃると思いますけれども,そのほかの委員の方々で,「これは何だろう。」という御質問をどうぞ。
○井上委員
確認なのですが,この参考資料1「「生活上の行為」の精査について(アンケート)」をベースにして作業をしたと考えてよろしいわけですね。
○西原主査
はい,そうです。
○井上委員
その場合,多分評点4点満点で4が一番ニーズが高くて,1が一番低いということになるのですが,例えば3点以上のものは加えたり,それから,2点,1点で以前入っていたものが削除されたりという,何か基準みたいなものを作ってやっていただいたのですか。
○西原主査
いいえ,実はそれほど単純ではないんです。ここにはそんなに詳しい中間的な操作は入っていないんですけれども,例えば「育児をする」というような育児関係のものは参考資料2「「生活上の行為」の精査について(アンケート集計結果)」のフェースシートの中にあるように,子供がある人は高くなるんです。ここには平均値しか出ていませんけれども,そういうことがありまして,単純にここで3以上を取るというような操作はしていません。
皆さんに見ていただくために一番単純なところだけを出していますけれども,そんな単純には作業ができないということが分かりました。中間的にいろいろと操作してくださった資料を参考にして,例えば子育て中の人が高く取ったというものは,後で「生活上の行為」の精査の第二段階目あるいは段階付けの段階で見るところがあるだろうという判断をするなど,個別に考えました。ただ,どんなふうに,横に切ったり,縦に切ったりしてみても高い項目というのがあるわけです。これは,むしろ第二段階目の精査のところで,とにかく全員にとって重要ということになるだろうという判断もございます。それらについて御意見を頂きながら,次の段階のまとめを行っていかなければいけないんだと思っております。
ワーキンググループの6人が一人10部ずつアンケートを配ったということで,全部で60部配りました。それで53部回収できたというのはすごいことだと思うんですけれども,委員の方々のお働きでこういうふうになりました。そして,男性,女性も,等分ではないんですけれども,集まりましたし,それから海外出身者及び日本の在住者も三分の一ずつぐらい,三分の二ぐらいになったんですけれども,まあまあ集まりましたし,職業も十分とは言えないながらいろいろになったというようなことで,それらの要因を考えながら作業を進めたということでございます。
○井上委員
このアンケートを見ていますと,単に日本語教育学習にかかわるもの以外にも何か活用ができそうな感じが非常にしました。というのは,多分海外につながりを持っている方々が関心があるのかというのが,如実に出ているような感じがします。
○西原主査
日本で暮らしてみて,「これだろう」ということですね。今回は,日本人の人たちにも「自分の生活で」と言っておりますので,日本における社会生活を日本人がどう見ているのかということでもあるんです。
○中野委員
確認なんですけれども,御苦労されて,回収するのはとても大変だと思うんですが,やはり40代,50代の女性に結構大きい配分があるような気がするんです。その属性からの影響というのは,精査されていらっしゃる段階で何か感じられたことはなかったんでしょうか。
○西原主査
ワーキンググループの委員の方々からいろいろ御感想を頂けたらと思うんですけれども,面白いことが随分たくさんありました。ワーキンググループの委員の方々いかがですか。属性別に分類を試してみると気付かされることがあったんですけれども,おっしゃるように,これはとにかく10日間で配れる人に配るということでした。職業の中でも教育,学習支援というところが一番多いパーセンテージになりました。ですから,全体的に見ればその影響があることは否めないと思います。ただ,数は少ないのですけれども,例えば出身別の海外のところに滞在年数が出ていますけれども,5年から29年まで,分散しているんです。
家族形態を見てみると,これもとにかく絶対数が少ないのですけれども,あらゆる方からの回答が得られているということで,パイロットテストでこの忙しさでやっていただいたにしては分散したかなというふうに思っております。それをどういうふうに解釈するかはお任せいたしますけれども,女性が多い,40代が多いというのは,これは確かなことでございます。しかも,その人たちの多くは日本語教育あるいはボランティアに関係しているという目で考えただろうと思うんです。私も頼んだ人の何人かから,「自分だけのことを考えて答えるべきなのか。それとも,自分の属性ということを考えて,そこで一般的にはこうなるだろうと考えた方がよいのかというところで迷った」と言われたこともありました。
○佐藤委員
これはパイロットスタディで,この後,本調査か何かおやりになるんですか。
○西原主査
本調査をする余裕はないかなと思うんです。後で申し上げるんですが,先ほど杉戸副主査から御説明のあった国立国語研究所のその後の調査が非常に似たところで面白い展開をしていると思うんです。ですから,そこで行われていることを参考にさせていただいて,御意見を伺いながら進めていく部分があると思うんです。やはり,大規模調査というのは,時間及びエネルギー,スタッフがないとできないことで,国としてこういうものをまとめていくという責任の中では是非全国調査をした方がよろしいのであろうかと思うのですけれども…。佐藤委員がそれはしなければ駄目だと,今,おっしゃってくだされば…。
○佐藤委員
そんなことは言いませんが,ただアンケート調査というのは結果が独り歩きしますね。つまり,今のお話ですと様々なバイアスがあって,サンプルの代表性についてもかなり偏りがある。つまり,それを踏まえてこれがこういう結果を出しているというところをきちんと踏まえないといけない。もともとサンプル調査というのは母集団を推計するものですから。ですから,そこを踏まえてこういう結果,今,西原主査がおっしゃっていただいたように,自分で答えるのか,そうではない一般,つまり多分そういうような回答ももしかしたらあるかもしれませんけれども,つまりある部分のこういう属性でこういう調査をやったらこういう結果になっている。ただし,これは今までの日本語教育の蓄積からすると,それを更に精査していくとこういうふうになっていくんですよというようなことを少し言っていただくと,この調査というものがすべてこれを代表として一般化されてしまうと違うんじゃないかというのが必ずどこか出てきますので,その辺のところは明確にした方がいいのではないかというふうに思います。
○西原主査
今回,ワーキンググループでは非常に限定的な資料で作業を行ったということを,どこかで自覚しつつ明記しなければいけないと思います。ただ,ワーキンググループで取り扱った項目と非常に似たような項目で国立国語研究所のチームが全国規模の調査をなさっています。さらに,その方々がこの国立国語研究所の『日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発-中間報告-』をまとめる際に参考になさったような知見もワーキンググループで取り上げた項目の中に入れてくださっているので,連携を更に深めながら次の段階の仕事を行い,1月までに何とか芽を出していきたいというふうに考えております。
○佐藤委員
先ほど国立国語研究所日本語教育基盤情報センターの「日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発-中間報告書-」の5ページの話で,全国規模の質問調査で,これはもう既に回答が出ていますか。
○杉戸副主査
出ております。
○佐藤委員
先ほど国立国語研究所日本語教育基盤情報センターの「日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発-中間報告書-」の5ページの話で,全国規模の質問調査で,これはもう既に回答が出ていますか。
○杉戸副主査
出ているんです。この後分析も進んでいく過程で,ウェブの情報とか,あるいは印刷物として出していく予定だと私は理解しています。
○佐藤委員
それであれば,正に国立国語研究所の研究と日本語教育小委員会のワーキンググループで行っている作業とを突き合わせてやっていただければ非常に代表性があるのではないかというふうに思いますけれども。
○西原主査
全国規模のことについて,何地点か,それだけ金田研究員お願いします。
○傍聴者(金田智子)
全国規模の調査は,全国20の道府県にお願いして,そこからまた幾つかの地点に分かれて,それで最終的には1,662回答を得て,今,分析の作業が進行しています。その速報版が先週ようやくできました。ですので,それをまた改めて委員の方々にお送りする予定でいます。詳細な分析を加えまして,地域性なども加味した解釈を加えたものを本年度中に報告書にまとめることを目標にしています。ただ,本年度といっても3月ぎりぎりということではなくて,日程のこともありますので,内容的には9月にまとめの作業をして,秋ごろには発表したいと思っています。
○杉戸副主査
佐藤委員の御指摘のとおりで,このデータは53人という,そういう全体の人数だけから見ても,それを属性の分析とか,あるいはパーセントで見るということは非常に不安定にならざるを得ない,そういう数字だということです。それは気を付けて扱いましょうということをワーキンググループでも最初の段階で確認をして着手したと思います。それで,具体的に言いますと,例えば今日の参考資料2「「生活上の行為」の精査について(アンケート集計結果)」の数表の中の右から二列目の全体の平均です。これが,例えば私が一人で精査の一つの分担をしたときの気持ちとして言えば,この数値が3.5以上は安心して残してよいだろう,それから,3未満であったらちょっと考えた方がいい,つまり削るという方向の候補にし得る項目はそんなところではなかろうかということです。ただ,例えば,2ページの8番の「住居を確保する」というのなど印象に残っているんですけれど,これは全体の平均は全部3以下なんです。全体は2.5や2.6など2ポイント台で全部の小項目が出てくる。
だからといって,安心して捨てていいというわけにいかないというように質的な面も保ちながら作業をしたということで,非常に消極的な言い方に聞こえると語弊があるかもしれません。3.5以上であれば安心して残し得る。3未満だと,減らす候補にはなるけれども,要注意というように,その限りで数字を参考にした,そういうことです。それに属性の分析と属性のクロスした表も出していただいていましたが,それも一つの属性のグループが10人とか15人なので,そういうところの数字は余り見ないようにする。そういうことをかえって努力して扱うべき数字だと思って仕事をしていました。
おっしゃるように,これはそういう意味で一つのよりどころとして扱うべきパイロット調査だったと思っています。この日本語教育小委員会の仕事として全国的な調査ができるかどうか,すべきかどうかというのはまた議論のある点ですけれども,全く同じ目標とは言えないながら,国立国語研究所の全国調査もあります。それから,その次の段階にそのデータを踏まえた分析なども進みつつあると思いますので,関連する部分を日本語教育小委員会に提出して,それを参考にしていただく。そういうことが,少なくともスケジュールを考えた上で言えばぴったりしたスケジュールで幸い進んでいますので,いいかなということです。このデータについてはそういう注意点を持っています。
○佐藤委員
一つだけ確認させていただきたいんですが,要するに平均値だけではなくて,標準偏差とか,分散を見て,例えば平均値が低くても分散が大きければ属性を見てばらつきがあるということですから,そこを考慮してその辺が選ばれているのかということはどうですか。つまり,3.5以上というと,ただ単純な3.5だけではなくて,仮にそれが3.3であってもばらつきが大きい,分散が大きければばらつきが大きいというわけで,そうするとそれは,例えば属性などと併せてそれを御覧になっておられたのか。その辺だけ確認をさせていただければ有り難いのですが。
○杉戸副主査
少なくともワーキンググループのメンバーに,分散とか,標準偏差の値などは示されていません。
○佐藤委員
是非これは使っていただきたいと思いますが,公表していくときに,これが代表的なものであるということではなくて,一つの指標としてこういうのを作ったということを確認していただければ,これでいけるんじゃないかというふうに思います。
○西原主査
配布資料3「「生活上の行為」の精査について」の下位項目がどういうふうにまとまっていったかということに関しましては,これはワーキンググループの委員のメンバーの中の頭から出てきたというか,アンケートの集計結果から,中間的な操作を加えた資料が事務局から送られてきて,それを見て,どういうふうにこれがまとめられるのかということで,資料操作の結果,自動的にできたというわけではございません。
○加藤委員
ワーキンググループのメンバーとして,作業を進めながら感じたことですが,平均値だけで作業が進められないなというふうに私が思った理由は,それぞれに「私がするとしたら」という観点でアンケートに答えることをお願いしたのですが,結果を見ると,あいさつなどはもちろん「自分がどうか」という観点から答えているようですし,反対にその後の作業を伴うようなものでは,日本人の手助けが必要であるかどうかを意識しているのではないかということをアンケートの結果から感じたからなんです。ですので,これは外国人本人にとって必要かどうかということでアンケートが取られていますが,今後作業を進めていくに当たって,我々がどのように関与していくか,一緒に生活する人がどうであったらいいかというようなことも一緒に考えていく必要があると思いました。
○西原主査
それは後でまた御紹介いただけるかなと思ったのですけれども,先週の(土)の2009年度日本語教育学会春季大会で,この次の段階の研究,国立国語研究所日本語教育基盤情報センター評価基準グループ長宇佐美研究員が御発表くださった部分がそのようなことに関係するかなと思うんです。第二段階の話を宇佐美研究員,していただけますか。
○傍聴者(宇佐美洋)
簡単に説明いたします。今回調査したのは105項目の調査項目で,それぞれの質問項目に対して,人によって,質問項目として相関の高いものと相関の低いものがある。例えば,飲食店でのある行為についてよくやっているという人は,飲食店の別の行為についても当然よくやっているということがあります。そういうように質問項目同士の相関関係をキーとして質問項目を分類できるんじゃないかということを考えまして,質問項目の回答を,因子分析で分けました。
その結果,全部の項目が六つの因子に分かれたんですけれども,そのうち興味深かったのが第一因子と第二因子の違いなんです。第一因子も第二因子も両方とも生活の場面で必要とされるような,特にある属性を持っている人だけではなくて,日本に住んでいる人ならだれでも必要になりそうなものが第一因子に並んだんですけれども,その第一因子というのは,比較的易しいと言いますか,日本に来たらすぐに必要になりそうな項目,難易度も余り高くないような項目が並んだんです。第二因子は,比較的難易度が高い。あるいは日本社会の中にかなり深く根付いていないと必要とならないような項目が並んだ。つまり,相談するとか,あるいは必要に応じて情報を探してくるとか,あるいは交渉するとか,それから,トラブルを解決するとかです。
今回の因子分析では,難易度に関するような結果は一切提示できませんでしたが,それでもこういう二つの分類が出てきたことを非常に興味深いと感じました。
○井上委員
多分ワーキンググループの方々はそれを意識されているのだと思いますが,これは最終的には日本語教育に(しゅう)(れん) させて,重要なものをプライオリティーをつける,あるいは序列をつけて内容を詰めていくということだと思います。要するに生活をしていく上で,日常的なものと,かなり非日常的なものというのがあって,恐らく非日常というものの中には,我々日本人でもそうですが,非常に危機管理的な,リスク対応的なものと,それからそうでなくて,「人生に一回」という種類のものがあると思います。例えば「住宅を建てる」や「ローンを借りる」というのは,そんなに何回もやるものではないですね。また非日常の中でも,リスク管理的なものとそうでないものがあって,そういう分け方をしていくと,必ずしも全部,極論すれば外国人の方が非日常的なもののすべてをマスターする必要はないのではないかという議論は必ず出てくると思います。要するに,それは先ほどもちょっとお話がありましたけれども,日本人側がサポートをすることによって対応ができればいい部分もあるのではないかということです。 
よく言われるのは,(はん)(しん)(あわ)()大震災で神戸の多様な国籍を持った方々が,非常に困ったのだけれども,その対応がある程度日本の社会側でできたという実績があるのです。そういうことも踏まえた場合に,余り日本語教育だけにすべて責任を負わせるというよりも,そういう社会的な対応とのバランスをとることをここでも議論をしておいた方がよいのではないかと思います。必ずしも外国人が日本語をこのレベルまで全て学べというのは多分無理があって,アンケートの12名も滞在年限が随分分かれていますが,例えば滞在が10年を超えれば,ある程度この辺までできてほしいというのが出てくると思います。一方,3年とか5年で帰ることを前提にしている人であればこの辺りまでとして,日本側である程度対応する,この程度までできれば十分生活できるというような,ベースになるものを議論していただけると有り難いと思います。
○西原主査
今年度の目標としましては,教材化のプロトタイプを目指しております。ただ,そのベースになる「生活上の行為」はかなり広い行為として考えた上で,先ほど宇佐美研究員が御説明してくださったり,加藤委員がおっしゃってくださったような点についても考慮に入れて,まずその第一段階のところの教材化という辺りに収斂していくということであろうかと思います。ただし,一生に一遍ということも事項として挙げておいて,これは本当に日本語教師の仕事ではありませんと言えるためには,一生に一遍おこるかどうかだが,これはそのときになればこういった対応があるのではないかというようなことについても,考えていくということでございます。
いろいろ私もやったことがないようなことがいっぱい出てきまして,でもこういうことは市民の常識としては知っていたり,又はどこに情報があるかは知っていたりする。そのようなことというのはたくさんあるわけです。それを宇佐美研究員の分類などを参考にしながら,取りあえず一番一般的だというところを見ていくというのが今年度,今期の仕事になりませんか。
いかがでございましょうか。伊藤委員は初めてこれを御覧になって,いかがでございますか。
○伊藤委員
すごく細かく,大変だなと思いました。実際に今いろいろな現場を見させていただいています。この間もある国際交流協会に参りましたら,平日の(金)だったにもかかわらず2クラスあり,1クラス20人ぐらいおられました。その方たちが2クラス日本語教室で学んでみえました。今までは考えられないことです。大抵土日しか来なかったんですけれども,今は違います。それぐらい日本語を覚えなければ生きていけない,この地域で生活できないということを彼らもよく分かって,勉強されていたんです。文法的な言い回しも勉強されていました。我々だったら日常当たり前の感じですぐ使えることを,彼らは全部一から覚えなければいけないわけです。ここに書いてあることが今度どういうふうに変容していくのかと思いました。これを全部教えるということになると,非常に大変なことだなと思いました。
今,言われたように,日常的なことと非日常的なことをきちんと分けておかないと,この段階ではここまでとか,更にそこまで行ったら次の段階はここまでとか,きちんと分けないと,一気にこれだけの内容のことを覚えようというと彼らも大変なことだなと思って聞いていました。
○西原主査
そうでございますね。この一番左の「生活上の行為」というので,配布資料3「「生活上の行為」の精査について」では,実はこれは小分類のところから始まっております。ただ,配布資料3の参考の一番左の部分に「健康・安全に暮らす」「住居を確保する」「消費活動を行う」等の大分類が出ています。そこのところからして,すぐにだれでも必要なことと,それから,そうでないことというのがその中でも分けられていくということで,例えば「子育て」「教育を行う」とか「働く」ということは,すべての人ではなく,それにかかわる人にとって必要ということになります。
ですから,その辺りのところから分類をしていって,「とにかく成田に着いて3か月というのはこういうことです」とか,「子育てするようになったらこうなるでしょう」というような教材化に関しては別の尺度が働く。対象者の分類も含めてということになっていくだろうと思います。
かなり先の長い話なんですけれども,ニーズは高い。とにかく教室に立っている方々は何かの枠組みを待っていらっしゃるということになりますので,それらと併せて,この日本語教育小委員会あるいはワーキンググループで考えていくということになるかと思うのです。今後の審議に関連して,何か,7月までにはこれをやったらどうかというような御意見等がございますでしょうか。何とか段階一つずつ進むごとに何かが達成されるというふうにしていきたいのですけれども,これは是非今やっておいてほしい,又はやるべきだというようなことがございますでしょうか。
今,いろいろ関連するようなデータベースが出来上がりつつあります。この国立国語研究所の日本語教育基盤情報センターがしてくださっている分類でも,下位行動が1,2というように階層化されて出ておりますし,それからデータベースに関連しましても,()()とか,そういう情報も付いた形で,スキルの段階と同時に知識レベル,()()レベルというものがどういうふうに関連していくかというようなこともデータベースになっているわけです。もともと「生活上の行為」の母体というのが,こういうところも参考にできておりますので,それらを援用させていただく,許可を得て援用させていただいて,それを推奨するというような形で仕事は進めていけるかと思います。
これは更にもう一つ先の段階かもしれないんですけれども,国際交流基金がスタンダーズとして日本語学習の共通参照枠のようなものを目指して,これもデータベースを作ってくださっています。それは,レベルを付けてのことですので,どちらかと言えば評価というところにつながっていくデータベースになるかと思いますけれども,そもそもの母体というのもデータベースとしては参考にさせていただくことができるのではないかというふうに思っております。
○伊東委員
基金ではスタンダーズは基本的にはヨーロッパを参照しつつ,新たな日本の文化とか,生活様式と参照させながら徐々にデータを構築していくということですが,まず基盤はCEFR(Common European Framework of Reference for Languages・欧州言語共通参照枠)ということですので,このことと文化庁のこの事業がある程度類似性はあるかなというふうに思います。活用できるだろうというふうに思います。
○西原主査
そうですね。似たようなところを目指しているし,最終的には全国の自治体の枠だけを考えても,共通に,どういうレベルになるかは別として,例えば宇佐美研究員がおっしゃったような「生活上の行為」の中でも比較的基礎的なものと,ちょっと高度なものに分かれるとすれば,そこにラベルを付けて,それを自治体が教育をするときに,私たちはレベル1のここをやっていますというような形で,参照できるようなものは必要でございますね。今,伊東委員がおっしゃってくださったのもそういうところに至ると思います。
そうしますと,文化庁国語課以外のところで行われている,いろいろな研究及び構築されるデータベースが,我々も参考にさせていただくものとなるということは,積極的にそれが連携,相互ネットワークという形で発展できると考えております。
今後何をしたらよろしいかというようなことについて,強い御意見がありますでしょうか。井上委員からは,頻度と言うか,生活上の必要度の頻度ということですとか,それから,一生に一遍なのか,毎日なのかというようなこととか,それが自分でしなければならないことなのか,そうではなくてもいいのかみたいなことで分けていったらどうなのかという御指示があったと思うのですけれども…。
○井上委員
一般化してデータベース化するというのが基本的な方向だと思うのですが,今,伊藤委員からお話があったように,雇用が非常に不安定になってきますと,特に日系人の方々を中心に,ともかく日本語を勉強して,自分たちが新しい職に就くための日本語の能力,技能的なスキルをしっかり示していきたいと考え始めています。したがって,これは百年に一度かどうか分かりませんが,職の部分は充実させた方がいいのではないかと思います。この機会にこういったことができていればある程度日本で仕事が得られて,住居も確保できて,不安なく生活できるというような,最小限のものではないのかもしれませんけれども,核になるようなものを作ってしまうというのも一つの手かなという感じはいたします。
ただ,これは一般化できるかという問題があります。また,経済が普通な状態になれば特化する必要はないかもしれません。
実は今年の3月,長野県の上田市を訪れました。その時,ハローワークに行きましたが,外国人の方がたくさん来ていました。たどたどしい日本語で一生懸命説明するのだけれども,ハローワークの職員が理解できていなかったように感じました。ある日突然仕事がなくなって,次の仕事を求めようとするときの対応,ともかくその日から生きていかなければいけませんから,どういう方法があるのか。生活保護の申請をするなど危機対応的なものが必要な訳ですが,日本語教育においてもそういった場面で即効性のある方法が必要なのかもしれません。かなり高度な言葉が必要なので,大変かもしれませんが。
○西原主査
先ほど宇佐美研究員の因子の話を聞いていて,その第二段階目,特殊な目的が生じたときにとても必要になるようなこと,「働く」とか「子育て」とか「教育」という分野はそこに入っていくことでございましょうから,一般的な生活,だれでもやるいつもの生活,それが少し進んだ段階で日本で生活したらどうなるかということのほかに,何かある目的を持ったときに何が必要になるのかということも,教材化の事例として一つだけ取り上げておくということもできる。それが,取りあえず「働く」ということなのですかということはありますが…。 
確かに,「働く」ということに関しては前任者の中神委員も今とても大切なんですと繰り返しおっしゃっていたと思うんです。こういうことは,例えば全国の自治体を見ても教材としては今まで取り上げてこられなかったこと,新しいことであると思うんです。それが派遣切りになって緊急なのだということのほかにも,こういうことが日本語教室の教材あるいはカリキュラムに入ってくるということ自体が今までに余りなかったことなので,そこにてこ入れをしていくということがある意味を持つというのは確かにございます。
ただ,我々の一般的な仕事としては,だれでもというところ,まず,日本に来たらだれでもというところがベースになるのでございましょう。そのほかの次元として,おっしゃるように「職業」あるいは「働く」というところにフォーカスするというのはあることだと思います。
○山田委員
大人を一応対象にしているということだと思うので,そうすると,自分の母国で生活していて,その人たちが日本に来て,今度は日本で主に日本語を使いながらやりとりをしなければいけない。そういった場面というのを設定したわけですけれども,そのときに,母国でもこういう行為は生活上やっていて,日本でも当然やることというのがある。
それから,例えば子育てみたないことで,母国でもやったことがないんだけれども,日本でやる。日本人が日本で出産するときも,おばあちゃんがいればおばあちゃんから聞くかもしれないけれども,本を読んだりしながら,今まで母国でさえやっていなかったことを日本に来てやらなければいけない。これが一つあるわけです。
それから母国でもやっていたし,日本でもやっていくんだけれども,同じような要素がそこに込められているというのは,やり方が比較的簡単なんじゃないかと思うんです。ところが,同じことをやるんだけれども,全然要素が違うというようなことがあります。私は昔中国に住んでいたときに,新聞を取りたかったんですけれども,そのときに聞いたら配達してもらうのに郵便局に行くんです。新聞を取るというのはどちらでもやるんだけれども,そのときに違ったルートからやらなければいけないので,分からないということが大きくあると思うんです。戸惑ったり,あるいはそこでトラブルを起こしたり,そういうのはあると思うんです。
母国でもやっていない新たなことを日本でやるというようなことだと,日本語的な対応だけではなくて,いろいろな意味で必要なものが出てくると思うので,それぞれの場面でどのくらいエネルギーを使ったらそこを越えられるか,目標に到達できるかみたいなことを考えるというのも一つだと思います。余りに大変だからやめてしまうという選択肢もあると思うんです,それは通訳を頼むとか。そういう人はこの社会で生きていくために今まで持っていた力をどれだけ有効に引き出せるか。それも余りに大変な,例えば20時間勉強しなければこのことはできないというのだったら,1日1時間しか勉強の時間が取れない人だったらそんなことはもうあきらめて,それは日本人と一緒にいてする方がいい。一遍そういうことをやれば,それは自分がやったこととして蓄積されるわけで,そうするとまた同じようなことがあれば,今度は違った形で,経験したこととして何かやれる。そういうスコープというか,見方をしてもいいんじゃないかと思うんです。
○西原主査
そうですね。今は「生活上の行為」のリストアップということをやっているんですけれども,山田委員のお話は,むしろそれらができて,それが可能な教材リストとしてカリキュラム化されるときに,コーチのする仕事,カルテを作る人の仕事にもなり得るんじゃないかと思うんです。つまり,このグループであれば,これとこれを組み合わせていけば一番有効な第一歩になるのではないかというのは,これは現場のお仕事ですね。
○山田委員
そのときに,この項目のどこかにそういう印を付けておくと,そういうことをやる作業の参考になるんじゃないか,現場の仕事の参考になるんじゃないかと思うんです。
○西原主査
そうですね。これは日本に特異だろうと思われるようなことに星印が付くということですね。世界各国からいろいろな人が来ますので,共通に日本で初めてというようなことというのは数少ない。
数少ないことの一つで私が知っているのは母子手帳です。これはJOICFP(Japanese Organization for International Cooperation in Family Planning・家族計画国際協力財団)という,世界の人口問題に関する活動をしている団体があって,そこが推進しているんです。母子手帳をすべての国にということを進めています。それはどうしてかと言うと,それを持っているかどうかというのが幼児死亡率と直結するというんです。出産するんだったら母子手帳をまずもらうということを日本ではみんなやっているのですが,どういう組織がどういうことを教育をしなければいけないかというところにも重要なポイントがある。それがコーディネーターとか,コーチとか,カリキュラムライターとか,そういう人の重要なお仕事なんだろうと思うんです。
ほかに何か,こういうことはやっておくべきだということはありますか。
○加藤委員
具体的な話ではないんですが,何をしたらいいかというときに,今これからする教材化ですね,プロトタイプを作るというときの,プロトタイプというものが,どういう像であるかというものを,一度確認をして,その方向に向かっていきたいというふうに思います。最終的にはそれに沿った形でゴールに向かって今行っているとは思うんですが,実際にそのものを地域で日本語教育に携わる人たちが使っていく,参考にしていくわけですね。そういった場合に,地域で日本語教育に携わる人たちにとって,どんな形の,どんな内容のものについて今審議をしているかを共通理解として一度持つと,この先,具体的にどういう方向に行くのが良いかというのが,より見えるのではないかと思いました。
○西原主査
例えば国際交流基金が素材データベースを出していらっしゃいます。世界中に向けて出しているんですけれども,世界中の教師たちが自分のところの学習者を見て,これはこういうふうにしたらいいというふうに考えて,データベースを基に教材を作っていく。ある方から,それを使った教科書というのを見せてもらったんです。これは,自分のところの大学生にとっては,そういう素材の中でこの部分がとても興味があると思ったので,それを借りてきて,教科書として印刷したというんです。そういうことができる,そういうものであってほしいわけです。
と同時に,どういうふうに使ったらあなたの教材になるかということは考えていかなければいけないということですね。プロトタイプを作るというのは,多分そういうものを作るということで,それが我々の仕事ということになると思うんです。それは何を含んでいなければならないかということの中に,金田研究員がここに出していらっしゃるようなこと,例えばスキル,サブスキル,知識,()()というのが並んでいますけれども,場面についての言語表現とか,そういうものが教材のプロトタイプとしてはあるわけです。
○加藤委員
目に見える形,私が今そう思った理由は,今回初めてお入りになった伊藤委員が,実際に教室を御覧になって,今出てきたデータとどういうふうにつながるんだろうと,それは本当に純粋な疑問に思われるところだと思うからなんです。
私は,例えば日本語教育を多少でもしていますので,こういったものが出て,それから私の地域における現場というのがある場合に,何か結び付け方というのは感覚的に分かるかなというふうには思っているんですけれども,実際に地域で活動していらっしゃる方たちというのにもいろいろな段階があると思いますから,どのような辺りまでのところを示していけばよいのか…。
○西原主査
これは課長にお答えいただくべきことなのかもしれないんですけれども,前期の報告書には,コーディネーターを育てる計画も書かれていました。山田委員がおっしゃってくださったことも,加藤委員がおっしゃってくださったことも,井上委員がおっしゃってくださったことも,実はコーディネーターの仕事ですね。材料を料理する,そして,それを教師に渡す,又は教師に指示するというところですね。
これから国語課等がプロジェクトの中で委嘱して,研究して,育てようとしているコーディネーターのお仕事のジョブ・ディスクリプションというのを前提にして素材を作っていいのか,うまく回ればうまくいくけれどもというところだと思うんです。それはいかがでございましょうか。つまり,コーディネーターのお仕事というものを前提として,コーディネーターが持つべき資格というか,ジョブ・ディスクリプションとして考えて,その人たちに向けて教材のプロトタイプを作る。つまり,我々が今やっているようなことは,いきなり現場ではきつかろうと思うんです。どうなんでしょうか。
○山田委員
いわゆるプロの日本語教師の人でも,こういうことに慣れていない。生活者ということで,場面とか,シチュエーションとか,そういうものを中心にしたシラバスをうまい形で,トレーニングという言い方はおかしいかもしれないんですけれども,練習しながら学んでいき,かつそれが実社会のシミュレーションにもなっているみたいな,そういうやり方をしていくのは難しいと思うのです。
ただ,コーディネーターというのは,私も最初からボランティアがこういう現場を担うということは発想しない人間なので,プロがやるということなんですけれども,そのプロが持っているもの,それも日本語教師でいわゆる文型を積み上げとか,そういうようなものでずっとやってきた,そういう人たちにも何らかの形で,これを見たら「あっそうか,シラバスの理念を変えていったとすればこういうことができるんだ」というようになるのが必要ではないだろうかと思うんです。そこまで行くには,プロの教師の集団のコーディネーターというのもいて,そのコーディネーターにそういう人たちを訓練するような能力があってもいいけれども,実質的には一人一人のプロの教員がこれを参考にして自分がやれることというのが分かっていくというものでないと,実質的な役割としては役に立たないのではないかと思うんです。
コーディネーターがいて,そういう集団があって,そういうことができるところはそれでいいですけれども,コーディネーターだけに期待をして,コーディネーターに「あなたたちに責任があるんだ」というようなことをやってしまわない方がいいのではないでしょうか。
○西原主査
今の段階ではコーディネーターという人はいるわけではないということはあります。ただ,そういうものであるべきなのだということを言うことはできます。具体的には,山田委員のおっしゃっていることと,私がこうだろうと言っていることの中身自体はそんなに変わらないんだと思うのです。
○山田委員
ただ,コーディネーターだけを対象というふうにしてしまうと,そうか,コーディネーターが分かっていれば,あとは現場のボランティアを使って何とかなるんだなとなってしまう。そういう発想ではないということははっきりさせておきたい。
○西原主査
それはもちろんそういうことではないと思います。だから,今やっているのは教育のプロトタイプのうちのノーイング・ホワットですね。それから,ノーイング・ハウについても教材のプロトタイプというからには考えておくべきだという御意見かと思うのです。
○山田委員
ずっと方法が大事と言っているんです。
○日本語教育専門官
私の理解が正しいかどうか分からないんですが,参考資料3「今期の日本語教育小委員会の検討スケジュール」で今後の検討スケジュールというのを配らせていただいています。その3枚目に検討の内容と手順ということで,今後の進め方について整理をさせていただいています。
前期のこの日本語教育小委員会でおまとめいただいた課題として,今後日本後教育の内容の更なる検討と,それを踏まえたカリキュラムの開発とあり,それに引き続き日本語教育の参考例としての教材作成があります。今,西原主査がおっしゃっているプロトタイプというものは,恐らくこの切り分けでいうと,?の標準的なカリキュラム開発のところまでを指しているんだと思います。おっしゃるとおり,標準的なカリキュラムの開発の段階でそれを受けて走り出せる自治体,具体の日本語教育の現場もあれば,それではちょっと難しい,もう少し一歩踏み込んで具体的な教材,具体的にどう教えればいいかというところまで提示してもらわないと走れないというところもあるだろうということで,この日本語教育小委員会としても,その次のステップとして具体的な教材の作成まで視野に入った作業をしているんだと思うんです。
ただ,残念ながら時間的な問題があって,その部分については来期以降に見送らざるを得ないので,当面今期についてはその前段階,ですから,このペーパーの言葉で表現させていただくと,飽くまで標準的なカリキュラム開発,つまり,それを基に,例えば具体の教材についてはその標準的カリキュラムを受けた各日本語教育現場,自治体なりがそれぞれに作成していただくというところまでに,今期の検討としてはとどまる。逆に言うと,そこまでを今期は検討するのかということだと思うんです。
○西原主査
加藤委員がおっしゃったのは,一体どうなるのかというのを知らないで走ることはすごく難しいということですね。そうなんですけれども,ただ,これは新しいことをするので,最後まで目標が決まって走るというよりは,走りながら目標が決まっていくところもあると思うんです。そこら辺が非常に,そういうふうにしたい方にとってはとてもやりにくいことであろうかなと思うのです。
○井上委員
先ほど私がお話したことと矛盾するのかもしれないんですが,例えば今インドネシアとかフィリピンから介護士とか看護師の卵,候補者の方が来ておられ,AOTS(財団法人海外技術者研修協会)が日本語教育を担当してやっていますね。
その一方で,浜松では,製造業の仕事を失ってしまった日系人の人たちに,介護施設で働いてもらおうということで急に日本語教育を仕立てて,それで実際に就職が決まったという事例があるのです。それも非常に特殊な日本語を覚えなければいけない。先ほどのAOTSのプログラムにしても,浜松の事例にしても,特殊なものを覚えてもらわなければいけないのですが,実際にはそういうものまで考慮し,標準的なカリキュラムの開発の中にそれを入れることはまず不可能です。ただ,その前の段階である程度できていないといけないベースみたいなものがあると思います。当然日本には老人が多くて,それから介護施設もあって,そこである一定の仕事があるときに,当然特殊な部分もありますが,日本人とコミュニケーションする一つのベースになるみたいなことです。ちょっと言い方が不正確なのかもしれませんが,要するに日本人の老人としゃべるときにはどうしたらいいのか。それは実際にはコミュニティーで生活する上でも役に立つものですから,自分がある特殊な世界で働くことになる前の段階で,しっかりと習得しておかなければいけない日本語の標準的な部分というのはあるではないかということです。一足飛びに特殊な世界の日本語を学ぶということはできないにしても,その前の段階で必要なものを頭の中に入れることができる標準的なカリキュラムを作っておくべきではないかと思います。
網羅性はある程度必要であり,しかも今日的な事情というものも配慮する,それらがつながっているような形に落ち着いてくるとよいと思います。
○西原主査
たまたま私は浜松の介護のところの運営委員になっていて,製造業しか選択できなかった人たちが,自分の天職に目覚めていく過程を見てしまったという感じです。日系人といえば単純労働という短絡的な派遣会社の思い込みでそちらに向けられていたんです。けれども,仕事がなくなってみたら,こういうことがありますよというふうな提案がきて,やってみたらこれは私の仕事だったみたいな人が,女性が特に多いですから,たくさんいまして,本当に涙,涙の修了式になっているというところもある。30人のうちの,今は15ぐらい,受講者のうちの半分ぐらい就職が決まっています。行ってみると本当に楽しくて,生きがいという人が結構いて,これは100年に一遍の不運が幸いに転じたいい例にもなっているんじゃないかと思うんです。
でも,先生たちは必死でした。例えば「(じょく)(そう)」いうのは床ずれのことだそうですけれども,「(じょく)(そう)」と習わないといけないんです,「それは床ずれのことだ。」「床ずれって何?」というところから,三段階の翻訳を味わっています。現場の看護師さんが日本語教師と一緒にコーディネートして働き,ケアの方がやって来てくださっていろいろ働いて,職業につながったという話でありましょうけれども,やっぱりそういう職業のグレードアップ,仕事に役立つ能力を高めるというところに(しゅう)(れん)していくんじゃないかと思うんです。どういう職業なのかということに関連しては,いろいろあるだろうけれども,仕事に役立つ能力を高めるというリストがあるということは,我々にとってとても大切なことでございますね。
(土)には介護看護の方々がいろいろな立場からのセッションをなさったんですけれども,「一番困っているのは子供の患者に対して「ドラえもん」というのを知らなかったために何を言っているのか全然分からなかったことです。」という現場の外国人の方がありました。では,ドラえもんもカリキュラムに入れておくべきかということに関しては,本職のケアの方が,必要ありませんと言っていました。それは子供が「それはね…」と言ってくれる方がよほど役に立ちます。子供が「それってこれだよ,知らないの?」と言ったら,それでコミュニケーションが成り立っていくので,そこまでは必要ないでしょう。戦中の軍歌を知っている必要もないでしょう。「それはお年寄りが,「あんたそんなことも知らないの?」と言って喜んで教えてくれることですよ。」と,そんな話になっていました。日本語教育の現場で職業的な訓練というときに,文化的背景というのを,どの程度教えてしまうのか,そういうことですね。
○伊東委員
私も加藤委員がおっしゃったように,標準的なカリキュラムというもののイメージがまだはっきりしないんです。やはりカリキュラムを作るとなると,これを使う人はだれかという特定もしていかなければいけないだろうし,カリキュラムと言ってもいろいろなとらえ方があるので,果たしてどのレベルまでかという部分である程度イメージしないといけないのではないでしょうか。時間的な制約もあるということを考えれば,やはり早い時期に明確にしておいていただいた方がいいかなというふうに思いました。
それと,今回の不況で職を失った人たちが,時間が余って,それでボランティアの開催する日本語教室に来て,それこそ求人に応募するために履歴書の書き方を勉強しているとか,あるいは面接の受け方の練習をしているというような状況をたまたま見たんです。かなり外国人居住者のニーズに応じて「生活上の行為」の各項目は,地域によって,また年齢によっても違うということを考えると,これは飽くまでも一つのフレームであるかなというふうに思います。
このフレームをどういうふうにカリキュラムとか教材にしていくか,その手立てというか,手続上のことを示していった方がいいかなというふうに思いました。だから,やはりカリキュラムとなると,それを,どこのレベルまで作るかというのが大きな問題だろうし,現場の多様性ということを考えると,一つのものを作って,「では,それで」というのは難しいなという経験をしていますので。東京外国語大学が以前に受けたのはカリキュラムを作れなくて最後に苦肉の策でガイドラインという名前を付けたという経験からすると,今回の地域の日本語のカリキュラムも,どういうイメージなのかというところは議論しておかなければいけないかなというふうに思いました。
○西原主査
教育に関連しては,今作っているのは学習項目一覧です。だから,カリキュラムや教材を作成する際にベースとなるものを今作っているわけです。現場によって,特殊なニーズによって,又はある生活のレベルによっていろいろなものなんだけれども,これだけの枠組みでやって全部ほとんど網が掛かったでしょうというところを今やっているということです。
その先,だから,今そのこと自体を7月までにはもうちょっとやるということになるだろうと思うんです。その後のカリキュラム化というときに,佐藤委員に教育のことを伺いたいんですけれども,学習項目一覧ができて,そして指導要領ができますね。けれども,指導要領では教えられないわけですね。
○佐藤委員
その話と同時に,多分これ面白いと思うんです。例えばある意味では生きるためのキーコンピテンシーみたいなものを今設定しているわけですね。つまり,今までのように内容があって,そこから何かを作るということではなくて,日本にいるのであればこういう行動をできるようにしたいという思いがあるわけですね。これを生きるためのキーコンピテンシーであるとすれば,では,生きるためのキーコンピテンシーというようなものを私たちはこのように設定したんだけれども,それは先ほど西原主査がおっしゃったある種の指導要領かもしれません。
次に教科書が必要になりますね。教科書にしていくためには,二つしかないんです。順序と配列しかないわけです。つまり,どういう順序で,どういうふうにして配列していくのか。そうすると,この項目について生きるためのキーコンプテンプシーはこれであるとすると,これをどういう順序でどう配列していくんですか。それは教科書が合っているわけです。そうすると,ある意味で言えば,やるべきことは生きるためのキーコンピテンシーが本当にこれでいいんですかということ。つまり,最低限のラインとして,もちろんそれに対するオプションは幾つもあってもいいと思うんですけれども,つまり学年であるとか,教科によって違うということがあるわけですから,そういうオプションをどれだけ用意できるかということは当然必要かもしれません。問題なのは,では,標準的スタンダードであれば,どういうふうにして順序性と配列をしていくのかというところを考えればいいのかという話だと思うんです。そのときに,先ほど宇佐美研究員でしょうか,いわゆる因子分析の話がございますけれども,つまり統計的な手法もあれば,あるいは日本語教育の蓄積の中で何が一番必要なのか,あるいはどういう,一番オーソドックスなスタンダードなものはどうなのかを検討していく。問題なのは,地域によって違うというのは当然のことであって,それはある意味では教材,副教材でもいいわけです。そういうような流れがあると思うので,やるべきことというのは,要するに生きるためのキーコンピテンシーというのをまずきちんと設定できるかどうかだと思います。
そして,もしもこれを私たちが生きるためのキーコンピテンシーであるとすれば,ではこれをどういう順序や配列にしていくのか。そのために最もふさわしい内容は何なのか。その内容を教えるためにどういう教材が必要なのかというのが,ある意味では論理的順序性だと思うんですけれども,そこをうまくどうすればいいのかということ,多分学校教育ではそうだと思うんです。
○西原主査
カリキュラムというのは順序というのと関連しますね。どういうふうにというのと,ノーイング・ハウのところの一番最初はどういう順序でということになりますね。
○佐藤委員
プライオリティー,つまり生きるためにとって一番必要,さっきの例でいえば正に日常生活,来てすぐだったらこれを教えなければいけない。もうちょっと違うレベルだったら違うところが順序性になってくるのかもしれませんけれども,つまりそういうようなものがあれば,例えば専門職性うんぬんというコーディネーター論につながっていきますけれども,やはり基礎的な部分がないと,コアがないと専門性も何もないわけです。そのコアになる部分をまず提供して,そしてそこを基にしてそれを自由に,ある意味で言えばその地域とか,年齢とか,様々な学習者の状況によって柔軟に変えられるだけの力というのは実はコーディネーターの仕事だろうと思います。そのコアになる部分をどうするかということであるとすると,やはり順序性と配列みたいなものは一応こういう部分があるんじゃないでしょうかというところを示すというのが大事なのではないかと思います。
○西原主査
宇佐美研究員の因子分析を本当に興味深く伺ったところです。ワーキンググループとしては,金田研究員や宇佐美研究員の御説明,西澤委員も山田委員もいらしたので共通に聞いた話ではあるんですけれども,とても役に立つ分析をなさっていらっしゃるという気がしたんです。どういうふうに因子を分けたのかみたいなお話をもししていただけるのであれば,そういうような話を伺った上で踏み出していくということも可能なのではないかなというふうに考えております。
○山田委員
順序とか,そういうのには非常に役に立つと思います。そしてそれは示すべきだと思うんですけれども,また方法論になってしまうんですが,もう一つ私が教育の,例えば学校教育で指導要領があって,教科書があって,その教科書というのは指導要領で言われているような順序とか,それから内容という,そういうのも込められているわけですけれども,それで教えるというやり方,例えば大学の教員だったら,例えば社会概論というのをやれと言われたら別にカリキュラムも何もないんだけれども,自分の今までやってきたこととか,それから学生はこういう学生で,こういう目的を持って,こういうふうに出ていくことを予定しているから,では自分はこの部分を使って授業を組み立てようということになるわけです。
日本語教師というのは,私はその両方あると思うんです。順序性があって,それである意味でチーム的なことをやりながらやっていくみたいな,そういうのもあると思いますけれども,それと,今度は私の経験だと,所沢のセンターから日本国内では始めましたけれども,それは全く何もないところから,この人たちにとってどういうものが必要かというのを考えながら教材を作ってということをやるわけです。そうすると,ここが示すべきことというのは,学校教育の中のカリキュラムみたいなものを示すのか,それとも,先ほどの場面表一覧,行動達成目標場面というのができたら,それについてすべてについて網羅的にはできないけれども,「こんなような発想もある,こんなような発想もある」というように,目標を達成するための例を示すぐらいしかできないと思うんです。その場合,その中でこういう方向があり得るというようなことを示すような形のカリキュラムなのかと思います。
それとも,ここには()()項目がこういうふうにあって,こういうことがあって,これをこういうふうに組み立てて,一番最初は導入で,次がそれの発展でと,こういうことをやるべきだ,そういうのを示すのかでしょう。
○西原主査
両方じゃないかと思うんです。それはさっき西村日本語教育専門官が整理してくださったので,これができ上がった,その後にそういうものが付いていくわけですね。さっき佐藤委員がプライオリティーとおっしゃったのと,今,山田委員が順序性とおっしゃったのとちょっと違うレベルのところではないか。佐藤委員はもう少し高次の順序性のことをおっしゃっていたのではないかと思うのです。
順番が必要だというよりは,プライオリティーのことですね。コンピテンシーに重み付 けがあるでしょうというお話ですね。
○佐藤委員
そういうことでもあるんですが,今,山田委員がおっしゃったのもある意味で言えばここで議論した方がいいと思うんです。つまり,例えば大学の教師でも小学校でも中学校でもいいんですけれども,優秀な先生,つまり我々みんなだれでもやるんだけれども,しかし,その中で本当に面白い優秀な先生の授業というのはあると思うんです。優秀な先生の授業というのは,山田委員がおっしゃったようにある種の,どういう内容を持ってきて,どういうふうに組み立てて,何をするのかということがある。しかし,それは「わざ」として,ある意味では暗黙知として,何となくみんなそこにとどまってしまうんだけれども,そういうのを事例を示すことによってある種のどういう順序性で,何をどういう配列しているのかということを,多分おっしゃっているんだと思うんです。
つまり,それは方法ではなくて,それもある意味ではカリキュラム化の一つの方向性ではあると思うんです。ですから,つまりある部分の内容だけを,下位の行動項目だけを示しておいて,それをどうするかというときに,こういう場面ではこうふうにすればいいとか,こういう場面ではこうすればいいということもあり得るだろうというふうに思うんです。ですから,ここの中でどういうふうな,つまり両方の方向でいくのか,ある種固定した部分をもって何かを示していくのか。そのある部分の内容と言いますか,教える項目そのものを固定するのか。そして,そこから順序性と配列みたいなものを明確に示して,あとはもうちょっとオプションでということをやるのか。それともそこまで入り込んで,そこの順序性や配列まで具体的なものとしてプログラムとして示していくのか,両方あると思うのです。
○西原主査
サジェストすることはできると思うんです。ただ,JSL(Japanese as Second Language・第二言語としての日本語)の場合,伊東委員も佐藤委員もかんでいらっしゃいますけれども,JSLカリキュラムができた後で,結局それは研修ですることではないですか。
○佐藤委員
もちろんそうです。正に研修でしかそれは生きないということだったのです。
○西原主査
そうですね。けれども,研修するための,どこまでやっておけば研修に掛かるかというところですね。
○佐藤委員
最初に,実は,ある意味では山田委員がお話になったようなアプローチをしたんだけれども,実はあの表が良くなかったですね,「そんなのできるわけないだろう。」と言う。つまり,それは正に職人わざだった。だから逆に言えば研修が必要になったということだったんです。中学校版は逆に言うとさっき言った順序性と配列を内容を固定して,その中で基本的に習得すべき知識,技能も明確にして,それをどうするかというふうにせざるを得なかったというのが正直かもしれません。そうでないとなかなか先生たちが食い付いてくれない。
○山田委員
受け入れられにくかったというのは,学校教育の教員だからというふうにすぐ思ったんです。日本の学校教育そのものも変えるべきだとは思っているんですけれども,かなり細かいところまで指示があって,材料まで手に入れて,そこからの工夫が学校教育の教員のやることみたいになり過ぎているんじゃないかと思うんです。
○西原主査
JSLカリキュラムは違うと思うんです。
○山田委員
違うので受け入れられなかったというふうに私は思います。
○西原主査
そうかもしれません。それはあるかもしれない。私は小学校の英語を決める過程に参加したんですけれども,結局先生たちは研修がなかったら何も動かないというところでみんな落ち着いたんです。つまり,言っていること自体かなり抽象的で,かなり改革的で,今までの学校教育的でない英語活動,活動と呼んでいるのはそういうわけなんですけれども,それを考えて作ったにもかかわらず,さて,では教室に出ていったら教師は何をするんですかというふうになってくるんです。
○山田委員
総合的な学習の時間もみんなそうです。
○西原主査
そういうことになってくるわけです。そうすると,とにかく研修,2万校で悉皆研修という不可能,ミッション・インポシブルみたいなことがあがってしまうんですけれども,そういうふうにせざるを得ないようなところはありますね。
これも,いろいろな日本語教師の方がいて,うそでもいいから規則を下さいという人から,規則は嫌だという人から,こんなもの要らないという人までいろいろあると思うんです。今の段階で少なくともその母体となる学習項目一覧,そこに何らかの解説が付いているというものは最低作らなければいけない。それがどの程度カリキュラムの見通しがあったらできるかというのは,伊東委員,どういうふうにお考えですか。
○伊東委員
例えば,私はこれを見ていて,これが一つの達成目標とするならば,ここの達成目標のレベルに行くまでにはどんなことをしなければいけないというのを,分析していかないといけないと思いました。いきなり「求人に応募する」では,このことができるかといってもいきなりはできませんね。では,そのためには私たちはどういう手立てだとか,教材を用意していかなければいけないかという,もう少し段階的なものにしていくことが7月までの自分たちの仕事かなと思ってみたりもするんです。
○西原主査
例えば,精査された小分類が二段階の階層になっていますね。これは,プロセスにもうちょっと落とすことはできるわけです。それはやった方がよろしいですか。
○伊東委員
要するに私たちのこの日本語教育小委員会のゴール,これを見ると11月,12月の秋ごろを見ると,標準的なカリキュラムの開発になっていますね。そうすると,その目標に向かって私たちがどう動いていくか,ここからカリキュラムの間の作業はどんなことかと言うと,これをもう少し分類していかなければいけないと思うんです。
○西原主査
例えば金田研究員たちが今やっていらっしゃるようなことを進めて,これを貸してもらってもいいんですけれども,そういうことをやった上で,それがさらにテキストという形で,テキストそのものを作ることはできないけれども,例えばこれがこう学ばれていくんですよというノウハウはありますよね。中国帰国者もそうだし,難民もそうだし,今までそういうことをやってきたテキストの例というのがあるんですね。
山田委員も,岩見委員も,加藤委員も現場においでになるので,その辺りの知恵はワーキンググループの中から出てくると思うんです。今はその知恵に頼ることはすぐにしなければいけないんだけれども,その前にどうすればよいかという話がありますね。
○佐藤委員
まず,今,伊東委員がおっしゃったのは,プロセスというのは正に授業の組立て方なんです。普通,学校教育では。行動目標を達成していくためには,どういうレベルに下ろして,どういうふうに順序立てて教えればいいのかというのが一つの単元の目標になっている。 
つまり,このスタンダードなカリキュラムというのは,一体どこを指すのか,具体的な達成目標を示して,それをどういうふうに教えていくか,どういう単元を構成していくのかというのが,正に今,西原主査がおっしゃったどういう順番で教えるかという話ですが,それは学習者によっても違いますね。経験によっても違う。つまり,このレベルを省いていい場合もあれば,あるいは最初からやらなければいけない場合もある。それは正に現場に応じて授業を組み立てていくやり方だと思うんです。でも,そうすると,スタンダーズなカリキュラムという話でどこまでやるのかということになってきます。
○西原主査
学習者によっても違いますね。理屈を言ってもらわないと学習できない人と,理屈を言ってもらったら学習できない人といますね。
○佐藤委員
学習項目の細分化,つまり,下位行動を明確にしていくことが最初なのか。今,西原主査がおっしゃったように学習項目を細分化して特定し,そのプロセスまで示していくことはかなり大変な作業になりますね。それだとかなり使える。ただ,それは問題でもあり,かなり教授活動そのものを規定するというふうに思う。かなり()()も出てきたりするので,そこをどうするか。
○中野委員
今,検討の内容と手順の一番をしたわけですね。その二番というのは,これは今度はレベル別の言語能力の観点を入れるということですから,今ここで出ているのは,ある意味で内容標準ですね,内容指標だと思うんです。二番がこれを能力指標化する作業だと思うんです。例えば医療機関で治療を受けるというのを今度能力指標化するとすれば,自分の病気が言えるようになるとか,そういうキャン・ドゥー・ベース的なものがここにくっついてくるわけです。その能力指標ができた段階で今度三番に行く。そのカリキュラムというのは,そのキャン・ドゥー,能力指標化されたキャン・ドゥーの抽出だと思うんです。どれを選んで,どういう順番に,どのキャン・ドゥーを使うか。
その場合には,佐藤委員がおっしゃったようにある程度学習者が想定されないとなかなか難しくなってくるので,その段階では多分来期行われる教材,どういう教材から出していくのかということで,それは例えばレベル別に出すのか,あるいは緊急度の高い,今回のアンケートの調査でいえば「健康・安全に暮らす」とか「目的地に移動する」とか「仕事をする」とか「地域のマナーを守る」とか「情報を収集する」というところが結構高得点だったと思うんですけれども,そういう,だれもが取りあえず,多くの学習者が向かってくる,そういう項目をまず先に持ってきて教材化するのかどうか。その辺りの作戦を,参考資料3「今期の日本語教育小委員会の検討スケジュール」の3に入った段階で検討し,それによってキャン・ドゥーの抽出と順番を決めるというふうに私はこれを読んで理解しました。
○伊東委員
それと,今回は精査というのは,重複していた部分とか,あるいは行為が似ていた部分があって,その整理が精査の活動だったかなという気もしますし,6月の「生活上の行為」の発展作業ということであれば,例えば「衛生管理をする」「食品を保存する」というのは,余り言語行動を伴わない「生活上の行為」ですね。ということになると,言語行動を伴う「生活上の行為」と,とにかく行動だけでいいというような行為もありますね。その整理が次なる精査の作業かと思います。精査と言ったときの,教材化に向けて,あるいはカリキュラム化に向けての精査と言ったときに,どういうことが具体的に出てくるかと言ったときに,今のことを思い付いたんですが。
○西原主査
食品の管理とか保存ということにもコミュニケーションは付いて回りますね。
○伊東委員
となると,そのコミュニケーションというのは一体どういうコミュニケーションになってくるかということの精査をしていかないと,カリキュラム化と言ったときに,そのことが秋になってからでは多分遅いだろうという気もするんです。その辺りはどうなんでしょうか。
○西原主査
そこが,例えば宇佐美研究員の第一因子と第二因子の差でもありますね。つまり,情報を得ればそれでいいということと,それから,交渉したり何かどこかに行ったりして引き出してくるとか,相互のやりとりが何回もあって,初めて出来ることとか,そういう指標の分け方,つまり,だれでも日本に来てすぐに必要なことと,もうちょっと社会に入り込んでから必要なことというのが,今の解釈の一つです。
と同時に,第二の解釈として,先ほど宇佐美研究員がおっしゃったように,自分のイニシアチブでできることと,自分のイニシアチブでできないことというような,そういうこともある。
そういう分け方,重みの付け方というのも一つあります。今,伊東委員がおっしゃったように,取りあえず言葉が必要なことと,言葉だけではないという,そういう精査の仕方もありますね。だから,そこら辺をどういう精査の仕方として見極めていくかというのはワーキンググループの一つの仕事になるんじゃないかなと思うんです。
○加藤委員
先ほどゴールというか,このようなイメージということをある程度はっきり申し上げたんですが,私のイメージしているものというのは,とても細かいものではないんです。
日本語教育では対象が本当にいろいろであって,そのためのアプローチも方法論も様々です。カリキュラムの順序にしても,学習者に伴って変わってくるわけです。そうした場合に,それに対応できるというのがコーディネーターの仕事になるかもしれませんが,何であれ,実際に教える方たちにしても,そのことというのは求められていくわけで,私たちが示すものというのは,例えば,この項目については,このような教え方や教材があるということを示すことも一つだと思います。けれども,そこまで落とすのではなくて,この行動に対して,こういうものがあるというのを今私たちが示し,これに対する例を示すというイメージなんです。
○西原主査
具体的に配布資料3「「生活上の行為」の精査について」の参考を基に考えると,どういうことになりますか。
○加藤委員
大分類としてこのようなものがあるということを示すことが,実際の生活する人たちにとって必要だと考えました。
○西原主査
例えば「健康・安全に暮らす」という大分類を中分類で「健康を保つ」と,「安全を守る」という二つに分けましたね。小分類の中で,「医療機関で治療を受ける」というのが一つだったわけです。そこでどう例えるか。
○加藤委員
言うならば,「医療機関で治療を受ける」ということについて考えた際に,どのように地域の日本語教育の中で,例えばこんな教材があるんじゃないかということを示していく。大きく言うと「健康・安全に暮らす」のカリキュラムとして「こんなものがあるんじゃないか」ということを全部に関して示すというのは反対に危険で,示されてしまうとそれに従ってしなければならないというふうになるんです。それは避けた方がよいので,例として,例えば,小分類の一番になる「医療機関で治療を受ける」という場合には,例えばこのような教材を準備したり,このような会話の練習をしたらいいとか,文法はこうである,()()はこのようなものであるだろうというのを示すのも,例えばの例です。
○西原主査
それは今年度の後期の話ですね。
○加藤委員
それより更に進んで,より具体的なものを示すにしても,最終的なものも余り細かくなり過ぎずに,私たちができればしてほしいことというのは,実際のコーディネーターの方や,教える人たちが,自分たちの相手を,対象を見た上で,どのような教育をすればよいのかというのを考えるヒントという意味合いではないかなと思います。
○西原主査
確かにそうだと思うんです。それが今年度最後の方ですね。今私たちがねらっているこの表の一番の目的は,こういうものをアジェンダに載せてくださいということです。つまり,これは行動目標なんですけれども,これは,キャン・ドゥーにつながる,実際にコミュニケーション上の能力として展開していかなければならない,その項目ですよということをまず納得していただく,これも教育の対象になるんですと納得していただくということが一つの大目標です。
つまり,こんなことが日本語教育の範囲のことなのかというところを突破するということをまずしなければいけないんです。そのために大分類があったりする,中分類もそういうことです。我々はそこのところは前提とした上で,今は小分類まで来ました。小分類のまとめ直しまで来ているわけです。そうすると,その次にすること,教材化を目指して次にすることというのが,今,伊東委員がおっしゃってくださったようなことになりますか。
○山田委員
さっきからプライオリティーということが出ていますけれども,そうだと思うんです。伊東委員がおっしゃるように,これを見てこんなにやるのかというんだけれども,我々日常生活でこれをやっている。今,言ったように,小児科で診察を受けるとか,それもどんなレベル,日本語のレベルとか何とか関係なく,どんなレベルでもしなければいけないんです。しなければいけないという前提で,何をするのか。
所沢のセンターでやったのは,自分ができなかったらそのことを人に頼る。頼り方をどうするかというのをやる。それから,外国に小包を送るといったら,じっと見る。ほかの人が小包を持ってきて送るのをじっと見ている,そういうのがあって,それも一つ一つの場面にストラテジーという項目を設けているんです。このレベルの人だったら難しいかもしれないが,やらなければいけないんだから,こういう方法でそれをすべきだというのを作ったんです。
それはこの大分類から小分類の中にあるものの,どこかに重み付けをして,その中でそれを具体的に展開していくんだったら,こういう要素を盛り込むべきだというものを提示して,そしてその例を示すというようなことが一番実現可能なことで,現場でも役に立つ。そういう発想に実際の日本語教師も変えていってもらう。この人にとって何課までやらないとこの行為ができない,そういう発想ではなくて,今やらなければいけなかったら,まだ第二課までしかやっていないんだけれども,でも,こういうことだったらできるというような,そういう度胸を付けてもらうような,そういう提示の仕方の方が役に立つと思うんです。
○西原主査
接触場面のストラテジーというのはとても大切なところだと思うんです。それをここに,今,私たちがやっていることと直結させる方法がありますか。
○山田委員
ただ,今ではなくて,それは後ですけれども,要するに教材化するみたいなところになったらなのですけれども,そのときに,方法が大事だと盛んに言っているのは,そういう意味なんです。今,夏までにやらなければいけないというのは,このリストをどんな形で整理すればその次の作業に続くか,そういうことを考えて言っているわけです。
○西原主査
そうですね。そこで,例えば宇佐美研究員のように六つの因子に分けましたというようなことというのはまずしなければいけない。
○山田委員
だから,来てすぐやらなければいけないことというようなものは出ました。それから,比較的長期でいるときに問題になるというのはこういうことですと,そういうのでプライオリティーを付ければいいかとも思うし,だから,プライオリティーの付け方みたいなことを議論して,それは拙速だと言われてもしようがないので,夏までにやらなければいけない。今ある方法論にのっとって,何らかの形で並べ直す作業をすればいいんじゃないかと思うんです。
○佐藤委員
批判を覚悟で言うと,要するにどう教えるかという議論ではなくて,生きるためのキーコンピテンシー,さっきからの繰り返しになりますけれども,つまり私たちが外国の方が来ていただいたら,これだけの行動は,あるいはこれだけのことはしてほしい,できるようにならなければいけないんだというメッセージが必要だろうと思うんです。そして,それをどう教えるかは次の議論であって,その項目選びを,具体的に優先順位とか,あるいはもうちょっとキャン・ドゥー・ベースに落とし込むような作業をしないと次につながらないだろうということなんです。
だから,教材化というのは後の話であって,ですから,一番大事なのはプライオリティーをどう付けるかということと,そしてそれを具体的にもうちょっと具体的なレベルに落とし込む作業をやらないと次につながっていかないだろうというふうに思います。そこを明確にしていただいた方がよろしいのではないかというふうに思います。ただ,具体的にどう落とし込むかというところの議論,その方法論は多分いろいろあるかもしれません。
○西原主査
精査と言っているのは多分そういうことでございます。1か月間しかないので,とにかくワーキンググループで,何ができるかということに関連して言えば,佐藤委員が今おっしゃってくださったようなことですし,これが大きな目標としては日本語教育ももちろんそうですけれども,「日本にいる限りはこういうことができていてください」というような評価というものと,遠くはつながっていくことですね。
ということで,遠い将来にはこれは永住権のためにはテストすることなのかよく分かりませんけれども,市民度レベル1,2,3となっていくのか,遠くはそういう社会的な何かの指標として,つながっていくようなもののもとを私たちは今見ているというふうに考えてよろしいのでしょうか。
では,とりあえず,今,おっしゃったようなことをもう一度(はん)(すう)して考えて,ワーキンググループは一生懸命働いて,7月にもう一度お見せするものを作ってきます。ただ,ワーキンググループだけが働くのではなく,どうぞ御意見を,もし御希望であれば中間的なものも事務局からすぐに送っていただけるので,できればどうぞ御意見をその都度でもお寄せいただければと思います。
では,時間になりましたので,これで第19回の日本語教育小委員会を閉会とさせていただきます。御協力ありがとうございました。

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