議事録

第24回国語分科会日本語教育小委員会・議事録

平成22年1月18日(月)
10:00〜12:00
旧文部省庁舎2階第1会議室

〔出席者〕

(委員)
西原主査,杉戸副主査,伊東,岩見,内田,尾﨑,加藤,佐藤,中野,西澤,山田各委員(計11名)
(文部科学省・文化庁)
匂坂国語課長,西村日本語教育専門官,仙田日本語教育専門職,山下日本語教育専門職ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 第23回国語分科会日本語教育小委員会・議事録(案)
  2. 「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の基本的な考え方について
  3. 「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台
  4. 「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について
  5. 今後の日本語教育小委員会の検討スケジュール(案)

〔参考資料〕

  1. 「生活上の行為」の分類一覧
  2. 学習項目の要素の記述について
  3. 「生活上の行為」の事例の整理

〔経過概要〕

  1. 事務局から配布資料の確認があった。
  2. 前回の議事録(案)が確認された。
  3. 事務局から,配布資料2「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の基本的な考え方について」,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」についての説明があり,その後,資料の内容に関し,質疑応答と意見交換を行った。
  4. 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○西原主査
少し定刻より早いのですが,委員の皆様おそろいですので,国語分科会日本語教育小委員会の第24回,今期の第7回を開かせていただきます。
前回に引き続き,標準的なカリキュラム(案)の開発の検討に入りたいと存じます。
本日は論点が明確に二つあります。一つは「単位」という言葉の使い方について,それからもう一つは「単位」の全体の配分についてということです。
まず「単位」についてですが,いろいろな意見が出た中でここに落ち着いたということですが,さらに適切な用語,あるいはさらに適切な考え方というのはありますでしょうか。
「時間」以外に思い付いたのが,日本語教育小委員会ワーキンググループ会議の中で出てきた「回」,「コマ」などです。それらについて検討した上で最終的に「単位」でどうかということになったのですが,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)」のたたき台」のようなものを示されると,これが学習指導要領的に働いて,頭からとにかくたたき込んでいくというような発想や,それから「2時間」と書いてあるから,活動は2時間で切り上げるというようなせかされた気持ちですとか,そういうことにならなくてよろしいということを,メッセージとして残したいと思っております。ただ,例えば地域の実情,または現状がどうなっているかということを推測して考えますと,時間について何も示さずオープンにしてしまうのではなく,ある程度の目安の時間を設定した方が分かっていただけるのではないかというような意見がありました。それで,この結果になっておりますが,いかがでしょうか。
○山田委員
見落としていたのですが,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の一番最後,4ページ目の最後のところに「全体の単位数」というのがあって,「30単位(60時間)」とあります。ここで「60時間」と入れると,1単位が2時間という先入観ができてしまいます。どこかに「1単位は最低でも2時間は取る必要があると思われる。」と書くにしても,表の中に明確な形で入れない方がいいんじゃないかと思います。
○西原主査
「(60時間)」の部分を配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」から削除して,その部分は説明に入れるという御意見ですか。
○山田委員
日本語教育小委員会ワーキンググループで,どのようになっていたのか忘れてしまいましたが…。
○西原主査
日本語教育小委員会ワーキンググループのときは,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」にあるような形で落ち着きました。ただ,それに反対と言うか,この配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」からは「(60時間)」は削除された方がよいということでしょうか。
○山田委員
誤解される可能性があるのかなと思います。
○西原主査
そこが悩ましいところであります。時間について何も示さないと,あいまいになります。反対に示し過ぎると,とにかく「それでやらければならない。」と励むことになるということなのでございます。しかし,地域で既に御活躍の方,あるいはカリキュラムや授業の計画をお立てになったことがある方,いろいろいらっしゃるので,この段階ではどこで落ち付かせておいたらよいのか,一般的な御意見でもいいのですけれども,お聞かせいただければと思います。
○西澤委員
質問なのですが,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」では「単位」で時間配分の割合を示しているということを考えると,普通は割合はパーセントで示すとか,そういうことが考えられると思うんですが,なぜそういう考え方を取らなかったんでしょうか。それについてはどういう議論がおありになったんでしょうか。
○西原主査
例えば週1回,1回2時間というのは地域で行われている日本語教室の形としてあり得る形です。週1回,1回1時間,あるいは週2回,1回2時間とか,いろいろな形があり得ます。そのように考えたときに,例えば1クール(cours)と言うか,1回のコースを2か月,あるいは3か月とするのか,年に4回やるのか,年6回やるのかとかとらえ方はいくつかありますが,そんな目安がやはり現実には必要なのではないかと思いました。そうすると,1クールで配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の何%を占めるのかというよりも,1クールを大体60時間ぐらいと考えてみたらどうなんでしょうかということも含めて提案しようということになりました。それで「単位」,「時間」という用語が立っていると思います。日本語教育小委員会ワーキンググループの委員の皆様,それでよろしいでしょうか。
○岩見委員
今の質問に対する答えにならないかもしれませんが,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」は基本的には地域でも使えますし,日本語学校ですとか学校教育の中でも使える,限定せずに使えるものにするべきだと思います。ただ,特に地域の場合には,1回完結型であるということがかなり重要だと思います。又地域に限らず,忙しい方は必ずしも連続的に授業に出席できるとは限らないということが多いのが現状です。それから,一つ一つの区切りにどのぐらいの時間を掛けるかということを,それぞれの現場のカリキュラムの中で具体化して使っていくのではないかと思います。パーセンテージでもいいですけれども,ここでは生活者のための基本的な学習項目の枠組を示して,それにどれぐらいの時間が掛かるのかを例として示した方がより使いやすいんじゃないかという気がします。
○西原主査
岩見委員のお立場を補足して説明してよろしいでしょうか。
岩見委員は難民のための日本語教育にかかわっていらっしゃいます。今はもう難民という人たちは新たに来ないと言うか,日本語教室には条約難民の方だけが来る,それから家族呼び寄せが来るということになっています。それから今までのようにRHQ支援センターに住んで日本語教育を4か月行うというようなことではなく,町に出て日常的な生活をしている人たちが一緒に勉強するというようなカリキュラムを立てていらっしゃいます。それが内容的に「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)に非常に近いということもあって,岩見委員の御経験というのをここに考え方として取り入れたということもあります。
○岩見委員
難民申請をして認定された人を対象に今のRHQ支援センター(注:条約難民とその家族を対象に日本語教育,生活ガイダンス,就労支援及び相談のプログラムを実施している。)では日本語を教えているので,来たばかりの人で認定された人もいれば,十数年日本に滞在をしたけれども,きっちりと学習する機会がなかった人で,これまで仕事をずっとしてきた人−仕事はアルバイトでしょうか−そうやって生計を立ててきた,そして難民として認定をされたということでRHQ支援センターで授業を受ける資格ができたという方もいます。仕事をしつつ,本当に忙しく,自習にそんなに時間を割けない方がほとんどです。そこでは一つ一つの学習テーマに対して「ユニット(unit)」という言葉を使って掲示しています。ユニットでも単位でも,どちらでもいいかと思いますが,片仮名語は余りよろしくなければ単位…単位というと…どうなるでしょうか。
○西原主査
単位はクレジット(credit)と訳されたり,ユニットと訳されたりしていますよね。
○岩見委員
「単位」は,学校教育を連想させるということになると思うのですが…。
○西原主査
ただ,西澤委員がおっしゃったように全体の割合を示すのであれば,パーセントで示してもいいのではないかという考え方も十分あり得ますよね。
○岩見委員
あるとは思いますけれども…。
○杉戸副主査
素人の立場からなのですが,こういう単位とか授業時間のことを,パーセントで示すと,「100は何か」ということが気になります。「パーセント」というのは飽くまで,全体がきっちりとしていて,そこで初めて意味を持つと思うんですね。逆を申しますと,「100%のうちの何%か」ということが示されてしまうと,例えばそれが全部できない場合,「まだ60%しか進んでいないんだ。」というような意識を,教える側,学ぶ側の双方に残してしまうおそれがありはしないかと,少し心配しています。
それで,特に一つ目に申しました「何を100とするか」ということについて,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」に並んでいる項目というのは,非常にきっちりとした線引きの下に,これ以上でもこれ以下でもないという線引きができたものではないと考えています。参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」の膨大な表の中から★ の付いた「生活上の行為」の事例を選んでいて,更にそれを精選しています。それは数で言いますと,110にも120にもすぐになる,そういうものの集合だと思うんです。それについて100という,それ以上,以下もないというイメージを強く与える言葉は選ばない方がいいんじゃないかなと私は感じました。
○内田委員
先ほどの御説明で全く私はよろしいと思いました。やはり比率という言い方に少し抵抗がありますので,配布資料3「「生活者としての外国人」のための標準的なカリキュラム(案)のたたき台」で示されている単位数は「学習時間の配分のおおよその目安を示す」ということで,原則はこれが一番大事ですね。それぞれの地域で学習者の状況に応じて柔軟に具体の時間を変えていけるんだということを明確にしておくことがとても大事なのではないかと思うんです。
それから,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の学習項目を拝見しますと,やはり一つのことをやりながら,例えば,実は健康を保つための話をしながら住居との関係も触れなければならないということもあったりと,別々になっているわけではございません。ですから,脅迫的に配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」で示されている時間を見て,「まだ学習し終えていない。」と思わずに済むのではないかと思いました。ですので,飽くまでも学習時間の配分の目安であるということでよろしいのではないでしょうか。1回2時間学習しているようなところであれば,1.5というのは1回半ぐらいにおおよそ配分するのだけれども,それも学習者の状況により違うのだということが分かればよろしいのではないかと思いました。
○西原主査
では,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)」で「単位」という言葉はそのままで,説明を重視するということでしょうか。
○内田委員
そして,合計時間と単位が書いてあることについて,今足してみたら,確かに60時間で30単位になっておりましたので,これでよろしいんじゃないかなと思いました。
○伊東委員
私もほとんど皆さんの御意見に賛成ですが,やはり配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)」が提示された場合に,「地域ですべてやらなきゃいけない」という先入観を持たれるのは避けたいなと思いました。それから必要なところを必要に応じて取り出して,その結果,全部網羅しなくてもいいような,やはり男性の場合だと出産うんぬんというところは必要ないわけで…,そういうことを考えると,私は学習者や外国人のそれぞれのニーズに合わせて,必要なところをピックアップするということでいいかなと思いました。
それと,「単位」についてですけれども,単位も1時間とか1.5間というようなことではなくて,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」で示されている部分にただし書きを付けるべきかなと思いました。例えばこの「単位」のとらえ方については,「各指導環境に合わせて1時間から1.5時間」というように,少し幅を持たせた方がいいと思いました。今のままですと本当に大学の時間というのが強く出てしまう気がしたので,やはり目安というところをもう少し強調するために何かただし書きがあると,それが避けられるかなと感じました。
○西原主査
1点確認させていただきたいのですけれども,実際の教室で配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の学習項目を授業としてするかどうかということ。それから,例えば市民統合という考え方をここにまた繰り返すのはおかしいのですが,「健康で安全に暮らす」,「社会の一員として暮らす」,「文化的に暮らす」,「自立して暮らす」という「生活者としての外国人」のための日本語教育の目標のためには,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」に載っていることは網羅的に学んでいる,または知っているということが前提だと思います。教室で一つ一つを取り上げるかどうかとは別で,そのためには,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」に載っていることは網羅的に知っている,できるということがあります。ですから,「どれを学習してもいいよ。」ということではなく,優先順位を付けるという御意見として伺ってよろしいでしょうか。
そうすると,「単位」という言葉が問題でしょうか。日本語教育小委員会ワーキンググループではほかに,モジュール(module)という言葉も出てきました。モジュールという言葉は,日本語教育の世界,言語教育の世界では「モジュール学習」ですとか,このごろいろいろと言われているのですが,分かりにくいのではないかということがありました。それから「コマ」というのはいかにも大学っぽいということで−「単位」も大学っぽくはあるんですが−「単元」と言うと,時間の問題ではないので使えません。「ユニット」という言葉は,検討はしませんでした。
○尾﨑委員
配布資料2「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の基本的な考え方について」をさっと見たんですが,時間配分の割合を「単位」という言葉で示すというところで考え込んでしまいます。説明を伺えば,「ああ,そういうことですか」と言うしかないのですが,一般的に,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」を読んでしまうと,「単位」という言葉が本来的に持っている意味がありますから,「割合を単位で表す」と言われると非常に分かりにくいと思います。やっぱり「単位」と言うと,「時間」で「一つのまとまり」というように私も一般の人も受け取るんだろうなと思います。それでは,それに変わるものは何かと言われると,素直に「単位は時間のまとまりです。」と言ってくれた方がよほど分かりやすくなります。そうすると,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の一番最後に「30単位(60時間)」という部分がありますが,30単位,但し,1単位を何時間とするかということについては,この「「生活者としての外国人」のための標準的なカリキュラム(案)」を実際に現場で活用する人たちの判断にゆだねます。けれども,1時間半から2時間ぐらいというのが一般的には想定されてよさそうですねというような趣旨の書かれ方の方が,多分読む方は分かりやすいと思います。そうすると,パーセンテージというのではなくて,一応単位数が出ていて,トータル30単位なんだということ─そうすると,時間数としては60時間ぐらいでこれを網羅することをこの日本語教育小委員会としては想定しておりますということだと思うんです。
そこでもう一点,別の話になるのですが,この日本語教育小委員会が想定している30単位60時間というのは,どういう方が現場で教えて,どういう方がこの標準的なカリキュラム(案)を実際に現場に落とし込むかということ,つまり,「だれが」という事業実施者についてですが,その部分に関する議論がどうしても避けられないと思います。これはまた別の議論だと思うのですが,余り縛りを掛けるのは良くない,縛りを掛けると,現場の人たちがどうしてもそれに拘束されるということは分かるのですが,あいまいにし過ぎると,かえって混乱と言うか,戸惑いと言うか,批判と言うか,そういったことが出てくるのかなと思います。
配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」を頂くと,むしろ単位は一応時間だけれども,何時間ということではなく,幅があるということで提示した方が,受け取る方は分かりやすいと思います。
○西原主査
説明部分を充実させなければならないという御意見でよろしいでしょうか。内田委員と基本的には同じで,「単位」という言葉自体は動かさないということですね,山田委員がおっしゃった「(60時間)」を削除するかどうかということについては,どうでしょうか。何か御自分が計画者の立場に立ったときにどうでしょうか。
○山田委員
「単位」という言葉は削除しなくてもいいのですが,伊東委員がおっしゃるように,配布資料2「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の基本的な考え方について」というこういう紙があり,じっくり読めば分かるのですが,私なんかは辞書を使うときに,辞書の前書きの部分を丹念に読んでから辞書を使うということは余りなくて,ぱっと目に飛び込んでくる表のようなもので,「ああ,こういうことでこうなんだ。」となります。配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の表の上に注があると,そこだけは読むという感じです。それで最後を見たら,「30単位=60時間」とあるので「1単位は2時間なんですね。」というふうに思ってしまうといけないと思います。どこかに注記を,表の一番下でもよいので…。
○西原主査
それでは,「30単位は60時間」で終わりではなく「60時間が目安」と書いておく。
○山田委員
そのように何か工夫したらいいんじゃないかなと思います。
○尾﨑委員
今の山田委員の意見に賛成です。注釈の付け方によると思うのですが,やっぱり表はすぐ見ますから,例えば「30単位(45時間〜60時間)」というふうに書かれれば,これは一律ではないんだなということが見えるかなと思いました。
○西原主査
 「60時間〜80時間」という書き方とかでもいいわけですよね。実は,「90時間ぐらいにした方がいいんじゃないか。」という御意見も日本語教育小委員会ワーキンググループの中であったんです。
○加藤委員
方法論になってしまいますが,今,山田委員がおっしゃったように,60時間としたところで改めてやっぱり計算してしまいます。ですので,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)」のように注意書きの場所がここ,一番下であったらいいなというのは思いました。
基本的な考え方は,やはりこの配布資料3「「生活者としての外国人」のための標準的なカリキュラム(案)のたたき台」に縛られて,表をぱっと見た人が「医療機関で治療を受けることから日本語学習を始めなきゃいけないんだ。」というような誤解を与えてしまうことが一番よくないです。これは飽くまでも「標準的である」ということです。ですので,前々から申し上げているのですが,パターンA,パターンBのような形で実際に地域で利用するカリキュラムを例示して,「こういう地域のこういう人たち向けには,例えばこんな形の実行方法がありますよ。」というものを示すことがいいのではないでしょうか。それから,これは先ほど西原主査もおっしゃっていましたが,いかにこの「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)」を普及させていくか。それから,どういう人がコーディネーターとなって,現場にこの「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラムを持っていくのかということにゆだねられる部分が随分多いかなと思います。
○西原主査
この「単位」という考え方,用語について,格別大反対がないということで,まとめさせていただきます。次に「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の全体的な構成がどうなるのかというところに入らせていただきたいと存じます。
「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の全体的な構成がどういうものかということについて,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」があります。それを御覧になりながら事務局にもう一度戻して,この御説明をいただきたいと思いますが,よろしいでしょうか。
○山下日本語教育専門職
配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の単位の配分等に関してはよろしいでしょうか。
○西原主査
配分等について,何かこれは少な過ぎるというような,あるいはこれはどうしたらよいかということがありますけれども,そこについては格別の御意見が出なかったような…。
○岩見委員
確かに比率のバランス,大分類08「物品購入・サービスを利用する」は学習項目が多いので4.5単位というのは少ないと思います。配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」を厳密に見ていくと,特にやりとりの例を見ていると,少し重複しているところがありますので,そちらも減らしつつ,「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)を作成する際にはきちっと整理を行うべきだと思います。大分類08「物品購入・サービスを利用する」は少し単位を増やしていくことが必要かなと思いますが,ただ,一番最初の「01健康・安全に暮らす」の部分は,確かにそんなに学習が簡単ではないので,ほかよりも多くてよいと思います。6単位にするとか,少し調整をした方がいいと思います。
○西原主査
実は,大分類01「健康・安全に暮らす」というのは,日常生活に必ず起こることではないというようなことで,最初は項目から外れていたけれども,やはり重要だということで戻ってきて,ここに入ったという経緯があります。
ところが,大分類08「物品購入・サービスを利用する」は,だれでもこのことはやります。しかも,勉強するかしないかにかかわらず,日本に着いた日から事柄自体は経験します。そういうことで,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」で学習項目がずらっと並んでいますが,これは項目としては上がっているけれども,1からずっと順に学習する必要はないわけですよね。この大分類08「物品購入・サービスを利用する」で学習項目の数を減らしてしまうのか,一目瞭然りょうぜんで重複している部分については適当に省いてしまうのか。
例えば,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の学習項目0801160「値段・税率を計算する」というのは,スーパーマーケットで買い物をする限り,必要ありませんよね。それから,0801190「試着を申し出る」というのも,これは衣料品を買わない限り,衣料と言うか,着るものを買わない限り,必要ありません。それから,0801220「ポイントカードや割引券を利用する」,0801230「クレジットカードを利用する」ということは一連のこと,どちらかを選ぶか,どちらもやるかというのは,少し分かりませんが,どうでしょうか。これは,項目そのものを減らす必要がありますでしょうか。
一つの考え方としては,大分類08「物品購入・サービスを利用する」の単位数が4.5単位で,それに比べて学習項目が多いということから,適当に省くのだと現場が考えてくれれば,いいのではないかと思うのですが…。
○佐藤委員
学習項目という概念について,日本語教育の世界で言うと,こういうものを一つ一つについて,今のような議論になるんでしょうか。つまり,例えば学校教育などの場面では学習項目が出てきて,それについてどうして教えていくのかというような議論がどうしても出てきてしまうわけです。そうすると,これがあれば,こういうのを教えるべきだということになります。そういう議論が生まれて,それで4.5単位,3単位というのは余りにも少な過ぎるのではないかという議論にならないのかどうか。つまり,そこを柔軟に改編するようなことが,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」を見ても可能なのかどうか。そこの議論はどうでしょうか。
○西原主査
そうなることが恐れられているという話だと思います。一番あってほしくないパターンというのは,参考資料2「学習項目の要素の記述について」のところに「やり取りの例」が出てきますよね。その「やり取りの例」を頭から暗記し,全員でコーラスして,それで終わりにしてしまうことです。全員でコーラスをしたので「さあ,いいですね。次に進みましょう。」というのが一番恐ろしいことです。そうなってもらっては困ります。
○加藤委員
 学習項目というのは,どういうイメージでしたでしょうか。
○西原主査
ここで取り上げているのは「ことができる」,「生活上の行為」なので,何かこれはみんな「ことができる」ようになるというのが学習目標ですよね。
○加藤委員
これは学習項目が一つ一つ細かく挙がってしまっているので,やはり今,西原主査や佐藤委員がおっしゃったような誤解があると思います。ぱっと見ただけでも同じ分類でくっ付けられるものがありますよね。それを「何々したり,何々したり」というような言い方を使ったりして,学習項目をもう少しまとめるということをしたらいかがかなと今思いました。
それから全体の単位配分の割合についてですが,大分類01「健康・安全に暮らすことができる」という生存にかかわる部分というのは,確かに絶対生活者として必要だとは思います。ただ,改めて見ると,「生活者とはだれを指すのだろうか」ともう一度思いました。そのときに,「すべての外国人が生活者である」という考えに立つと,なおさらここがやはり割合として多いんじゃないかなと思いました。何と言うのか,知識として与えられれば十分なことを,この配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」全体の60時間のうち,10時間も配分しているということについて,今さらなのですが,いわゆる生活をするという部分,消費活動に関するところも含めてですけれども,もう少し割合として多くてもよかったのではないかと思っています。
○西原主査
今,岩見委員がおっしゃったのは,「滅多に起こらないかもしれないけれども,起こってしまったら非常に大切でややこしい」ということで,この大分類01「健康・安全に暮らす」が入っています。ですから,それをどう説明していくかということでもあります。
あとは,順序を大分類01「健康・安全に暮らす」を一番最初にぱんと出すのかどうかという御意見もあるかもしれません。ただ,健康かつ安全に暮らすというのは,そうならなかった場合は大変なことですよね。体あっての話ということから見れば,基本の基本ということで…。
○西澤委員
今,西原主査が「順序」とおっしゃったのですが,こう並んでいると,やっぱり普通の学校教育の考え方からすると,一から順番に勉強していくという感じにどうしてもなってしまうと思います。それで,一番最初に大分類01「健康・安全に暮らす」を延々と7単位もやるんですかということに多分なってくると思います。ですので,その順序や事柄の重要性が示されているわけじゃないんだということを使う人に十分理解してもらわないと,そういう誤解が必ず出てくるし,日常生活においてはおそらく滅多にやらないことが,かなり01「健康・安全に暮らす」のところに含まれていると思います。
○西原主査
大分類01「健康・安全に暮らす」に関係するようなことは何もしなくていいというラッキーな人もいるかもしれないということなのです。ですので,重要項目だけれども,だれでも毎日経験することでないというときに,学習順序をどうするかというのは確かに大きな問題だと思います。どこへ入れたらいいでしょうか。何かこういうものは余暇の話の後ろに行くものでしょうか。
○内田委員
そういうふうに考えていくと,切りがないだろうと思います。学習者はどうか分かりませんが,一般には,自分の生活経験にかかわるようなところが一番頭に引っ掛かってくるところです。ですから,むしろその地域の指導者の方がこの配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」を見取り図として使って,この中でやっぱり一番現実に合っているところからどのぐらいの配分をしていこうかということを考えていくことになる。最初にシラバスをお作りになった上で,それからその重み付けはこのくらいの目安だろうということでやっていく。そして,しかも参考資料2「学習項目の要素の記述について」や参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」で項目が非常に丁寧に拾ってありますので,ここの項目はやっぱり入れないといけないなというふうなものとして使うというのが現実ではないかという気が致します。
○尾﨑委員
先ほど,加藤委員がおっしゃっいましたが,一応この配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」がベースになっていて,これを使ったら,例えば工場で働いている方が多い地域だったらこんな項目の配列があり得るだろうとか,国際結婚で嫁いだ方が多い地域だったらこのようなカリキュラムがあり得るだろうというようなことを,一応標準的な30単位という枠の中で組むとしたら,こんな組み方が可能ですというのを三つくらい並べると,何となくイメージがわくかなと思います。
○西原主査
では,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」について説明していただいてから,また今の議論に戻るということでよろしいでしょうか。つまり「想定される利用者」とか,それから「活用例」など配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の[1]説明部分,[2]カリキュラム(案)本体部分のお話が今飛び交っているような気がします。
まず全体的に,この配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的 なカリキュラム(案)の構成について」で示されるように4部構成で標準的なカリキュラ ム(案)が書かれるということについてはいかがでしょうか。
○伊東委員
ここの前にもう少し何か欲しいなと思いました。おそらく,もう考えていらっしゃるかもしれないのですが,この日本語教育小委員会が「生活者としての外国人」のための標準的なカリキュラム(案)のことだけについて検討するということで進んでいるのであれば取り下げるべき意見かもしれませんけれども,やはり今の日本語が置かれている現実ですとか,やはり「生活者としての外国人」の現状についてもう少し何か説明があり,そして外国へ行って人が生活するということが,その人や,またその国民にとってどういうインパクトがあるかというようなことに関する記述が大前提として欲しいなと思いました。
それと同時に,異文化適応も含めて,言葉の習得とか外国人児童生徒のことでも随分語られてはいますけれども,この日本語教育小委員会の報告書をどのような方が御覧になるかは分かりませんが,これからボランティアだとか行政の人たちが見たときに,カリキュラムが前面的に出るのではなくて,やはりこのカリキュラムの背景となるような何か,そして理念と言っていいかどうか分からないのですが,根本的な骨格となるような適応,言語習得のからくりというものがあり,それで私たちはこういうカリキュラム(案)を作っているということ,そのことが基礎となって,活用例もこういう理論的な枠組みの中で紹介しているというような記述ですね。一つだけ言いたいのは,「文法を教えれば,語彙を教えれば言葉は習得されるんじゃないよ。」ということです。それを避けるためにも,まずは広く皆さんに分かってもらうためにも,何かその辺のいろいろなところで語られている具体例というか,理論的な枠組みが分かりやすく書いてあるといいなというふうに今思いました。
○西原主査
例えば,今,独立行政法人国際交流基金で書かれている日本語教育スタンダードにしても,それからCFFR(Common European Framework of Reference for Languages:ヨーロッパ共通参照枠)にしても,アメリカのスタンダーズにしても,理念部分がかなり厚く書かれています。この日本語教育小委員会においても2008年から,またはその前から始まっているこの日本語教育小委員会と呼ばれる前のものからの議論の中でも,その部分はかなり熱心に語られていたし,第8期の報告書にも,理念部分というのはあるわけですけれども,この「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)というものは,そのうちの一部を構成しているということを,どういうふうに前言というか,前書きの部分に織り込むかという話ですかね。
○山田委員
ちょっと確認ですけれども,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」で示されている4部構成の前に前書きが入るというふうに考えていいんですか。
○西原主査
当然,前書きは入りますよね。
○山田委員
それで,そのときには,おっしゃるように,施策の検討を─第1期というのかどうか分かりませんけれども,2008年1月に,今後,こういう方向性で日本語教育小委員会は進んでいくというのを出したわけですけれども,それとの関係みたいなことも入るわけですよね。
○西原主査
これはいかがでございましょうか。この標準的なカリキュラム(案)の規模というのが,この日本語教育小委員会が今まで検討してきたことの集大成のような形を取るのか。それとも,そこで議論されたカリキュラム(案)という部分についてのみ今回は公にするということにするのかという話ですが,時間的な制約及び予算的なこともあると思うんですけれども,どこまで書くのかと言うか,前から作成過程というところが何を含むのかということです。御意見としては,かなりその部分も厚くしたいということです。
○山田委員
最初に,全体でこの問題についてどういう施策が必要かということをまず出して,そのうちに,今度は実行していくための標準的なカリキュラムの案が提示されることが望ましいということです。そこの中にも書いてあったものを今実現しているという,そういう話になるのかと思うのですが。
○西原主査
その部分がそれに当たるわけですよね。
○山田委員
今期,日本語教育小委員会で検討を行っていることが,全体のどこに位置付くのかということが,前書きの中に入るかどうかということです。
○西原主査
作成過程というところに,まず,どこまでの部分が入るかという話だろうと思うのですが。
○西村日本語教育専門官
大変前後して恐縮なんですが,配布資料5「今後の日本語教育小委員会の検討スケジュール」を御参照していただけると,ニュアンスが御理解いただけると思います。標準的カリキュラム(案)の開発の検討の後に,審議経過報告(案)の検討というふうに移行します。つまり,本小委員会の報告については,当然,審議経過の報告というものをまず全体として行う必要があります。その審議経過報告の中には,第8期から継続して今期,第9期にどういう検討が行われてきたのか,そして今期の場合は若干次期に内容が継続されますので,第10期に入ってから審議経過報告をすることになるのですが,第10期以降にどういう課題がまだ引き続き残っているのかということを全体として説明し,報告する必要があります。その中で,今期重点的に御検討いただいた標準的カリキュラム(案)の開発ということが,個別具体にどういうプロセスで検討がされ,その中でどういうものが現時点の到達点として存在するのかということを御説明するというような仕組みになってくるかと思います。
○西原主査
そうしますと作成過程のところでは,この標準的なカリキュラム(案)について,どういう説明を行うのでしょうか。
○西村日本語教育専門官
この部分については,主にこの「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)自体がどういう作成過程を経てきたのかということ,例えばさかのぼりますと,まず「生活上の行為」の事例を細分化し,それに学習項目を張り付け,そしてカリキュラム化をするという一連のプロセスを経てきたわけですので,その辺りについて,御説明をするということになるかと思います。
○西原主査
分かりました。今,伊東委員がおっしゃったことは,もう少し大きなことで,書かれるべきと考えられたことですね。
○西村日本語教育専門官
その部分については,従いまして,前文という,具体的にそうなるか分かりませんが,審議経過報告全体をする必要がございますので,前期から継続された課題が,今期どういうふうにこなされ,来期にどう引き継がれていくのかという辺りの中で触れられるのではないかと思います。
○西原主査
伊東委員の御心配が少し私も分かるような気がいたします。今年,年初めにもらった年賀状のうち,出版社の編集者の方からの一言書きに,「この日本語教育小委員会の結果を楽しみにしています。」というのがいくつかありました。そうすると,この標準的なカリキュラム(案)だけが一人歩きすると言うか,それを待っている人がいるということがひしひしと伝わってきて,少し恐ろしくなったのですが,これだけを読む人のために,その考え方,つまり,これは一体どういう理念に基づいて書かれ,どういうふうに日本社会がこれから歩む道が想定されているかみたいなところまでが見えていた方が,「じゃ,これ使おう。」ということになるという話ですね。そこが私は前書きだろうと思うんですけれども,どこまでを出したら,いい前書きになるのかという話ですね。
○中野委員
私も伊東委員のおっしゃった意見に大賛成なんですけれども,この「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)というのは何のためにあるのかというので,最終的に,以前,日本語教育の目的と目標ということを話し合って,これをある種の目標,大目標,中目標と分けていきましたよね。あのときの議論で,目的に当たった部分が二,三行ありましたよね。
○西原主査
2パラグラフ(paragraph)あるんですけれども…。
○中野委員
いわゆる多文化共生があって,外国人の安全とか生活でも,彼らの社会参画によって,日本人も含めた社会作りというのがあったと思うんですけれども,実は,私たちもこういう目安を作っています。ただ,日本語教育の先生方は前文も読むことはほとんどなく,カリキュラムに付けたものでさえ読むこともなく,表だけを見るというのがよくあるんですね。それで,私は,せめて参考資料2「学習項目の要素の記述について」の表の冒頭に,2行か3行だけでもいいんですけれども,この「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)が最終的に目指しているものは何かというのが表の中にないと,全然伝わらないのではないかと思います。要するに,「生活ができればいいのね」みたいなことになりはしないかと心配するのです。
それからあともう一つ,さっき伊東委員がおっしゃったことで,とても大事だと思ったことは,文法中心的な積み上げ的な授業でも,このキャン・ドゥー(can-do)は達成しようと思えばできるわけで,でも,その方法を使わないで,もっとコミュニカティブ(communicative)なもので参加型の授業を想定したい。ですから,それも,これは従来のように「学習項目を学んでいく」ことを想定しているわけではないということを表の近くで示すことが大事だという点です。つまり,だから活用例を参照してくださいということを,それもかなり喚起する形でやらないと,結局,学習項目だけに本当に現場が行くと思います。
○西原主査
分かりました。つまり,理念とか言わないまでも,大目標の目的に書かれているようなことを,表があるごとに繰り返しておくという御提案が一つですよね。
それから,表しか読まない人のためには,背景的なことも何とか付けておくという配慮をするし,それから活用例にもそれを付けているという話でございましょうか。
○佐藤委員
理念と具体的なこの四つの部分が乖離かいりしてもしようがないわけで,理念は理念として,もちろん書くのは結構だと思います。要するに,作成過程であるとか使い方であるとか,そういうところにその理念がうまくはまっていればいいわけですよね。つまり,もちろん前書きがあって,そこも結構だと思います。それ以上に作成過程と使い方,それから活用例,そして標準的なカリキュラムの示し方もそうだと思うんですけれども,そこのところに理念がいかに反映されるかということが大事だと思います。
○西原主査
「理念を示すために,次の活用例を示します。」と書くということですね。
○佐藤委員
あるいは,活用例そのものを見ていけば,こういうことなんだなということがイメージできるような活用例が載せられないと,まずいということになりますね。
○伊東委員
今,佐藤委員がおっしゃったことにもう少し追加しますと,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「1 説明部分」の「[3]想定される利用者」は,何も日本語教育に関係する人ではなくて,私は,行政や地方自治体の,とにかくすべての外国人の定住者にかかわる人たちも全部ここに含めて,その人たちが言葉を教えるということに従事しなくても,行政というのはどういう形でのサポートができるかとかということをやはり網羅する必要があるかなと私は思います。何も現場のボランティアの人や日本語教師が頑張るだけではなくて,やはり国を挙げて,かかわる人たちがいわゆる連携してこのことを実現できるようにしたいという意味では,想定される利用者をやはり注意深く,私たちはここを書いて,どのように活用できるかというところもやはり明確にした方がいいかなと思います。
○西原主査
 
何も教える人だけに限るということではありませんし,直接外国人を支援しない人だってこれを読んでいただいてということは,十分にあり得ます。
○尾﨑委員
配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」を広く読んでいただいて理解していただくというのは全く賛成なんですけれども,「想定される利用者」と言うときに,結局,この「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)をそれぞれの状況に落とし込む仕事をする人というのが最も一義的な利用者ということですよね。そこで想定される利用者というのは,例えば国際交流協会の職員とか自治体の職員ということを,期待を込めて書くんでしょうか。
○西原主査
期待を込めてというのは,当然だろうと思います。
○尾﨑委員
我々はそういう人にこれだけのことを期待しているわけですね。分かりました。
それが現実的なことかどうかというのは非常に疑問で,そこのところはやはり書いておかないと,現状をそのまま認めた上で,これを使ってやってみてくださいということになってしまうわけですから。そこは結局コーディネーターの議論と結び付いてくる話だと思いますので,利用者というのはだれを指すかという,これはかなり根本的な話かなと私は思っていました。
○西原主査
これは「文化庁=国」になってはいますけれども,国がとにかくナショナルカリキュラム(national curriculum)として「生活者としての外国人」に出すことですよね。ですから,それなりのことは言わなければならないし,覚悟しなければならないし,覚悟するからには,こういう人にもちゃんと読んでほしいというところには送付もしなければいけないし,読まれるべく宣伝をしなければならないということなのではないでしょうか。
○岩見委員
ですから「想定される利用者」というところが,少し議論があいまいになっているわけですよね。標準的なカリキュラム(案)を実際に現場に落とし込んで作る専門的な人と,そういう全体の構想について理解をするために利用するという,両方一緒になっている。
○西原主査
それをトップダウンで指示する人が県知事でもいいわけですよね。
○岩見委員
うまく書き分けていけばよろしいんじゃないでしょうかね。
○山田委員
日本語教育小委員会ワーキンググループの委員にはメールで送ったのですが,想定される利用者というのを幅広く書くのは,それはそれで構わないと思います。一義的にはと言うか,優先順位というのも入れたらそれでいいんだと思うんですけれども,そもそもこの標準的なカリキュラム(案)を作ろうとした根拠というようなことを書く必要があるかと思います。で,こんなふうに私は考えているということを,お聞きいただきたいと思います。「本カリキュラム(案)は現状を考慮し,地域の日本語教室で専門能力を有するコーディネーターとボランティア支援者等が連携し,日本語学習支援活動を行う上でよりどころとすることを目的として作成しました。また,極端にボランティアに依存した学習支援については,先に問題を指摘しているところです。近い将来,外国人生活者等に対して公的な日本語学習の場が確保され,そこにおいても利用されることを願うものです。」このように,何か配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」の「[3]想定される利用者」よりももっと前に,これがどういう性格のものかというのはあった方がいいと思います。
○西原主査
そうですね。ただ,それがここに書けるかどうかですね。つまり,将来どうなると想定するか,予想未来像みたいなものを含んで書くと,今ここで言ってしまっていいかということについて,少し問題を感じます。
○山田委員
ただ,そこの部分について言及しないと,「生活者としての外国人」に対する日本語教育はボランティアがやるべきことであり,コーディネーターを置いてそれで終わってしまう,その範囲ですべて完結してしまうというように,受け止められるんじゃないかなと思います。
○西原主査
ただ,やはりこれは国が出しますので,ナショナルカリキュラムであることには間違いないわけです。政府の方針がそこまで言っていないので,「ナショナルカリキュラムに基づく日本語教育が公的機関によって行われることを前提として,この日本語教育小委員会の審議経過報告が出されている。」とは書けないのではないでしょうか。ただ,これはここに書くかどうかということです。ナショナルカリキュラムとして出すものに,例えばヨーロッパだったら堂々とそれは言っていいわけですし,それから国に,または地域によってはそのことが前提となっても十分大丈夫ということは可能だけれども,そこまでここに書き込んでしまう,想定される利用されるべき姿が,そこに書かれてよいのでしょうか。これは,事務局の方にお戻ししてよろしいでしょうか。そこまでは書けないんじゃないかと思うのですが。
○匂坂国語課長
なかなか難しいかなと思います。どういうふうに書くか,どういう書き方をするかということですよね。
○西原主査
それをにおわせるようなこと,例えば行政,または政策立案者も含めて今審議経過報告書が読まれたいというようなことは,もちろん書いていいと思うんですが…。
○山田委員
施策のあり方について,第8期の日本語教育小委員会の審議経過報告ではこの日本語教育小委員会で提案と言うか,ういう姿勢で書きましたよね。それとこれが全く別々のものでなくて,想定としてはそういうことも考えて作ってあるということは言っておいた方がいいかなと思います。
○西原主査
そうですね。私は,予想になるのかどうかよく分かりませんけれども,やはりこのナショナルカリキュラムがベースになって,将来的に海外から日本社会に参画する人たちの市民参加の最低基準をこれで示すのではないかと思います。それがどういう評価につながり,関門になるかということは全く予想はできないけれども,少なくともその第一歩になっていくという覚悟は決めないといけないと思っています。ただ,そうやって書いてしまっていいかどうかということは…。
○山田委員
文言を工夫するというのはあると思うんで…。
○佐藤委員
書いておいたらどうでしょうか,消すのは楽だと思います。
○西原主査
最初の原稿で書かれているということについてはいいんですけれども,皆様,役所の文書,報告書の在り方というのを経験なさっていると思うんですけれども,各関係者を回って帰ってくると,角が取れて丸くなって戻ってくる,無難なところで落ち付くということなので,最初の草稿が激しく書かれても,それは構わないと私は思います。
○加藤委員
書く内容について,私はここで何がいいという意見は持たないので,少し観点は違います。今,この日本語教育小委員会のすべき内容の範囲というのがどこまでかなと思っています。今,「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)を作るのが日本語教育小委員会ですべき内容の一つですが,そこで終わりなのでしょうか。それとも先ほど申し上げたように,作ったものが使われなければ意味がありませんので,普及と言うか,その辺りのところまでも日本語教育小委員会での仕事の範囲になるのでしょうか。それとも標準的なカリキュラム(案)を作り,とにかくそれをまず世に出し,その後はまた別の段階なり,別の人や組織があるんだという気持ちで作業を行えばよいのでしょうか。そういったところが,少し迷うところではあります。
○西原主査
非常に役所的な考え方をすれば,今期の仕事は標準的なカリキュラム(案)を提示するところまでで,その後に日本語教育小委員会がどこまで続くのかということですとか,それから来期の課題として,教材のプロトタイプ(prototype)を作るということは予告されていますけれども,この標準的なカリキュラムの一つの形としての教材のプロトタイプができたとして,それをどの程度普及するのかということまで,この文化審議会国語分科会日本語教育小委員会がどこまでどう続けるのかというのは,プランがどう書かれるかということによるのではないでしょうか。ですから,それは山田委員,伊東委員がおっしゃるように,想定しながらその意気込みで書くということはもちろんできるけれども,結果そういうふうにしていくかどうかということについては,これからの行政的な計画がどう立つかということに依存すると思います。そういう解釈でよろしいでしょうか。
ですので,やはり書く者としては「こうあってほしいな」と思って書くわけですけれども,そこがどうなるかということについては,この日本語教育小委員会がいいと思っているから書くということはできないということだと思います。
それで,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「1 説明部分」が充実されなければならないわけです。想定される利用者を,単にこれを使って地域の教室を運営する人ではない範囲で想定した方がよろしいし,そのことが書かれるべきだということについて御意見が出ました。
それから配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「2 カリキュラム(案)本体部分」については,活用例のパターンとして一つ,事務局から御説明があったのは,「1時間をこういうふうに運営してください」というような実際の1単位の構成についての活用例と,それから全体を何十時間というふうに考えた場合には,これこれこれになるでしょうというような活用例と2パターンありますよということでしたが,それを認めてよろしいでしょうか。ほかにありますでしょうか。
○中野委員
先ほど40時間とか100時間とおっしゃった件についてですけれども,配列例と考えてよろしいんですよね。特に気になるのですが,週何時間ぐらいが皆さんの学習時間として確保されることが現実的なところなんでしょうか。
○西原主査
1コマというか,1回というのがどうあるかということですけれども,私が知っている限りでは,例えば午前中で終わろうと思うと,10:00から12:00ぐらいの話ですけれども,きっちり学校の時間のように始まらないことがあります。ですから活動を2時間で設定していても,それが実際には1.5時間になったり,延びたり縮んだりということが多々あると思います。そういう事情がありますが,午前1回,午後1回,夜1回というのが最大だと思います。
○中野委員
そうすると,単位から言うと,せいぜい…。
○西原主査
1回1単位じゃないですかね。
○中野委員
週に2単位とか…。
○西原主査
先ほど伊東委員がおっしゃったことと関係するのですが,積み重ね教育にはなりにくいので,1回完結型で1回ずつがあって,週3回あるとか,週2回あるというふうな形ではないかと思うのです。
○中野委員
そのことを考えると,例えば定期的に行ったとしても,週4単位としても4か月ぐらい掛かったり,3単位だと,8か月ぐらい掛かってしまうという計算になりますよね。それで一方,「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム(案)で取り上げられているのは,緊急性のある学習項目と言われています。8か月,半年以上も掛かって緊急性に対応できるようになると思うと,やはり学習項目の配列というのは,ある種幾つか推奨されるものがあり得るんじゃないかなと思います。それから単位をまとめて教えていく方もいらっしゃるでしょうけれども,この単位をばらして,同じ項目でもスパイラル(spiral)に組み合わせていくやり方もありますよね。そういう学習項目の配列の仕方が幾つかのパターン,時間数だけではなく使い方のパターン,あるいは緊急性ということも考えて,これはやっていった方がいいだろうとか,幾つかフロー(flow)を提示するというのはとても大事なのかなというふうに思いました。
○西原主査
そうしますと,一つのユニットならユニット,単位なら単位の中のフローチャート(flowchart)みたいに教案的なものを示すということと,それから事情に応じて学習項目の配列をどういうふうにするかという例と,それからそのフローチャートをどういうふうにするかということを示していくのかということが活用例に入ってくるということでしょうか。
○中野委員
そうですね。時間が取れない方のために,つまみ食い的にやってしまうという方法もありますよね。
○伊東委員
それを考えると,緊急性ということも必要でしょうし,やっぱり学習者,定住外国人のニーズに基づく配列というのが私は必要かなと思います。指導する私たちの都合で学習項目を配列するのではなくて,学習者のニーズも知っておかなければならないなと思います。そこで,今,この人たちはこういうことを知りたがっているということを私たちが客観的に捉えていて,彼らのニーズ,また立場を理解できるように,そしてそれからの配列もあるよという手順を一つ入れて…。
○西原主査
学習者像から配列を考えるということも考えていくということですね。
○伊東委員
日本語教育学のカリキュラムと言うと,「まずは学習者のニーズを調査する」というところから私たちはたたき込まれました。ですので,やはりそこの部分も見落とさないようにしないといけないと思います。標準的なカリキュラム(案)の表があるから,その順番通りに授業を行うということになってしまうと怖いなということです。
○佐藤委員
その点,その学習者のニーズを把握するという力量についてはどうなんですか。つまり,ニーズを把握して,そのニーズを基にして配列していくというやり方が一番難しいですよね。言葉では非常に簡単ですけれども,力量が要ります。それがコーディネーター的な役割というふうに理解してよろしいんでしょうか。つまり,そこがうまくないと,ニーズを把握しましょう,それごとに配列しましょうという提案だけだと,極めて無責任になりかねないと思います。
○伊東委員
その部分も盛り込まなければいけないですね。
○佐藤委員
それをどういう形で,ある種のシミュレーション(simulation)をするんだとか,あるいはニーズの把握から,配列の方法を何かうまく提案する,その辺のところを…。
○西原主査
それは配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」の「[2]標準的なカリキュラム(案)の使い方について」の部分も,そのことを含まないといけないですよね。
先日,日本語教育小委員会ワーキンググループで問題にしたのが,「我々の世界では何とカタカナ語が多いことか」ということです。「ニーズ」もそうですし,「カリキュラム」はこれ以上できませんが,「スパイラル」など,言語教育担当者の間では「ああ,スパイラルね。」ということで分かるのですが,こういったカタカナ語を何とかかみ砕く必要があるかと思います。例えば「スパイラル」を「らせん状」と言われても,「らせんって何?。」となりますよね。そういうことを含めて,「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の使い方についてのことも,「標準的なカリキュラム(案)はこのように使われるのです。」ということを書いた上で,活用例を作っていくということで,よろしいでしょうか。御意見はどんどん頂きたいと思います。
○尾﨑委員
もう一点よろしいですか。配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」の「[3]想定される利用者」のところなんですけれども,実際にこれを現場で落とし込むときに,それぞれの地域にいる日本語教育の専門家的な人,そういった方たちの助言とかを積極的に受けるように,またその地域にいる専門家が積極的にこれにかかわることを期待しているんだということも,入れておいていただけるといいかなと思うんです。
○西原主査
むしろ配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」の「[2]標準的なカリキュラム(案)の使い方について」のところにも,それは書くんですよね。
○尾﨑委員
そうなりますかね。それはあったらいいかなと思います。
○西原主査
配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」の「[2]標準的なカリキュラム(案)の使い方」というところにそれらのことを書き込むし,「[3]想定される利用者」のところにももう一回書くということですね。活用例というのは,いろいろなパターンというか,いろいろな在り方を提示することになります。
○杉戸副主査
少し具体的なことになってしまいます。配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[2]本体部分」と「[3]基礎資料部分」との相互関係をどう表現するかということに関係します。
具体的には,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」です。本体部分になる表の中に,コード番号と言うんでしょうか,大目標「01 健康・安全に暮らすことができる」の01,あるいはその一番右の学習項目,7けたの数字はまだと言うか,入っているわけですね。これを今回の第9期日本語教育小委員会の最後の段階でどうするかということが,学習項目の配列という先ほどの議論にも関係しそうですし,それから先ほど西澤委員がパーセントで示したらどうかということをおっしゃいました。そのことも関係するように思います。
つまり,質問なんですが,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」の大目標,中目標に付いている2けたの数字はどこから出てきたものなんでしょうか。小目標とか学習項目についているのは,参考資料1「「生活上の行為」の分類一覧」,参考資料2「学習項目の要素の記述について」の番号,コードと対応するようなんですけれども,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」で大目標,中目標の数字,最初の2枚はずっと上からつながっていますが,3ページで行くと,大目標の04から07に飛ぶわけですね。
○西原主査
これは参考資料1「「生活上の行為」の分類一覧」の中で,一番最初の議論の中で「05 子育て・教育を行う」と「06 働く」を,これは個別のニーズが生じたときに必要になる項目であろうということで…。
○杉戸副主査
参考資料1「「生活上の行為」の分類一覧」との関係で,この数字がまだ残っているというわけですね。そのことがまず言いたかったわけです。
○西原主査
参考資料2「学習項目の要素の記述について」もそうです。
○杉戸副主査
参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」は,また別の小分類が…。
○西原主査
参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」は,時限的にはもっと徹底したものになるんですが,これを残すかどうかという御議論もあるかと思います。
○杉戸副主査
そういうことなんです。特に学習項目の7けたの数字を残すということは,この背後に参考資料2「学習項目の要素の記述について」の体系があるということも積極的に示さないと,この数値の7けたコードの説明ができないわけですし,それからそれを説明しないでおくと,「一体何のことか」ということになります。
○西原主査
その使い方についてということ…。
○杉戸副主査
それは率直に言いますと,例えば「01 医療機関で治療を受けることができる」という小目標を構成する学習項目は,さらにこのほかにたくさんあるということを利用者に思わせてしまいますし,あるいは逆に積極的にそのように思わせたいのであれば残しておかなければならないということになります。この際,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[2]本体部分」と「[3]基礎資料部分」を出すときの基本的な考え方としてどうするのかを選ばないといけないのではないでしょうか。今は,何となく中途半端な形で配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」に数字が残っていると思います。
これは日本語教育小委員会ワーキンググループでも少し話題にしたのですが,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラムの構成について」の「[2]カリキュラム(案)本体部分」と「[3]基礎的資料部分」の相互関係をきちんと説明しなければいけない。「[3]基礎的資料部分」から「[2]カリキュラム(案)本体部分」はどう抽出したのかというようなことです。特に,参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」で黄色の網が掛かっているものだけが残っているということを,その背景も含めて説明して初めて,どういうつもりで利用したらいいのかということが分かってくると思いました。
○西原主査
それは,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」」の「[1]作成過程」というところで「生活上の行為」の事例がどのように選択されていったのか説明されますよね。例えば,一番左の大目標のところの「05 教育・子育てを行う」と「06 働く」をどうして削除したのかということもそうです。それから★ 印がどのような考えの下,付けられたのかということも,基礎的資料部分からどのように発展してきたかということが書かれるのがカリキュラム作成過程でありますよね。
そのときに,最終的なプロダクト(product)である配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」がこの数字を含むのかどうかという点についてはいかがお思いになりますか。そのことについて,私は非常に熱心なコーディネーターであれば,参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」または参考資料2「学習項目の要素の記述について」まで見たいのではないかと思います。そのときに,標準的なカリキュラム作成の全体像を示すためには,この7けたの数字まであった方が,少なくともこれは一体何なのだと思ってもらえると,とてもいいなと思いますが,いかがなものでしょうか。
今おっしゃったように,大分類「05 教育・子育てを行う」と大分類「06 働く」がないと言うときに,これは働くという部分と子育ての部分で,今回の標準的なカリキュラム(案)には載っていないけれども,そういう状況の人が別途学習すべき事柄として,基礎的なというところからは削除したということになっているわけですよね。それは作成過程に書かれますよね。
○杉戸副主査
そのことで少し話を無理矢理つなぐことになるかもしれませんが,単なる作成の手順を説明するだけでなくて,このカリキュラムの選んだ内容,シラバス(syllabus)の理念というか,どういう範囲のものを選んで示しているのかという,先ほどの伊東委員の原理的な説明の中にもつながってくる話だと思うんですね,そういう説明が十分できるのであれば,読まれないかもしれないけれども,そういう説明を加えた上で,このコード,7けたの数字とか,そういうのは残した方がいいというのが基本的な意見です。
ただ,少し余計なことになりますが,配布資料3「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」における★ は全く無意味になるんじゃないでしょうか。配布資料3に限って言えば☆だけを残しておけばいいと思います。
○西原主査
そうかもしれないですね,基本的には★ だけを取り上げている資料ですから。
それで,基礎資料部分,今,参考資料1「「生活上の行為」の分類一覧」,参考資料2「学習項目の要素の記述について」,参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」の話になりましたけれども,これは微調整はするにしても,このままの形で「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)に添付する部分と考えてよろしいでしょうか。
それで,先ほど事務局から少しお話がありましたが,参考資料2「学習項目の要素の記述について」の「四技能」の「読む」と「書く」の部分について,例えば,参考資料2「学習項目の要素の記述について」の「0102 問診票に記入する」のところを右の方に見ていただくと,「四技能」の中で「読む」と「書く」に○が付いています。ということは,問診票に記入するんですから,質問は何で,自分が書くべきことは何でと単に○を付けることかもしれないし,単に名前を書くだけのことかもしれない,選ぶということかもしれないけれども,問診票が日本語で書かれていた場合には,何を読むのかということが問題になりますよね。
そこに語彙としては,「問診票」と「保険証」と「初診かどうか」というようなことしか出てきませんが,何を読むのかというときの読む内容について,参考資料2「学習項目の要素の記述について」の「読む」のところに入れてしまうのか,それとももう一つ右にカラムを作るのかということで,四技能─「読む」,「書く」が付いているところには,何かの資料を補った方がいいのではないかという議論がありました。その方が親切ではありましょうし,もしかしたら,主査と事務局でこのことを挿入していくという試みはできると思うのですけれども,やはり読み書きについて資料があった方がいいでしょうか。
問診票と言うと,既往症とか,そうすると病気の名前がだっと並んで○を付けるとか。大きな病院では,このごろ,問診票各国語版があって,タッチパネルにタッチさえすればいいようなところも出現しつつありますが,ある村の医院でそういうことにはなっていないとすれば,問診票と言った場合に最低限示されるのは何かという話ですね。既往症までいきなり聞かれるのかどうなのかという話ですけれども,私が個人的に行く医院では,「熱があるかどうか」とか,10センチ四方ぐらいの記入用紙が初めて来た患者さんには示されていると思います。そういうものを語彙や,読むべきものとして,書くべきものの中には名前,片仮名書きとか,そんなようなことが入るんでしょうか。
ずっと見ていくと,ところどころに「読む」だけが載っているもの,「読む」,「書く」が載っているもの,四技能のところに,○印がところどころに「読む」及び「書く」に付いていますが,いかがでしょうか。基本的に資料は入れるだろうということでよろしいですかね。
○岩見委員
もう一つ,参考資料2「学習項目の要素の記述について」で気になったのは,以前から語彙のところで,関連する語彙,整形外科など,関連するほかの科も入れた方がいいという意見もありましたが,それは切りがないかなという気がしています。
もう一つ,基礎的な語彙で,最初から除くことという指示が日本語教育小委員会ワーキンググループで出ていたのですが,数字とか曜日とか,基本的な語彙というのは,それは実際にこれを作るときにそれを補えばいいのでしょうか。だれが使うかにもよりますけれども,基礎語彙と言うんですか,実際に数字も「やり取りの例」に出てきますけれども,そこに加えておくのでしょうか。
○西原主査
例えば片仮名,平仮名,漢数字,ローマ数字,…アラビア数字みたいなものですね。
○岩見委員
そうですね。どこまでを基礎とするか。どのように表現するか「…曜日」とか,それは生活上どうしても必要ではないかなと思うんですけれども,どこかに入れておいた方がいいかなと思います。
○西原主査
「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム(案)としてそういった基礎的な言語事項を含めるかどうか,つまり参考資料3「「生活上の行為」の事例の整理」に何かトップが付くかどうかということだと思いますが,それはどうしたらよろしいでしょうか。
○内田委員
 
いろいろ議論を伺っていますと,非常に詳細な資料が付いていくことになると思っておりました。それには,切りがないような分野もあると思います。そうすると,報告が大変分厚いものになる可能性がございますよね。ですから,先ほど伊東委員が提案された理念のようなことはとても大事だと思うのですが,二水準の作り方をするのはどうでしょうか。非常にシンプルに,異文化で暮らすということの意味,それから日本語を学ぶということの意味,そして「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム(案)を提示することの願いというような三つの項目を前書きのところに盛り込んで,そしてカリキュラムの構成の履歴とか原理というようなものについては,詳細版の方で載せるというのはどうでしょうか。資料も詳細版に載せるということでいかがでしょうか。簡略版と言いますか,学習指導要領なんかも,薄いものと活動例が載っているものは別に作りますよね。その方が,実際に現場で落とし込む人にとっては自立性をすごく尊重することになるんじゃないかと思います。
余り微に入り,細に渡って履歴が書いてあると,私は読まないような気がいたします。私だったら,その地域に既に入っている方で,1年ぐらい入っている方を集めて会合を行って,どこが困ったのかといういろいろなことを話していただくようなことをやり,そしてお忙しいかもしれないけれども,その方たちがチューター(tutor)になるような仕組みを一方で作り,それで,ここでは日本語の教育を生活することとリンクさせてやっていくのだということを示します。報告書では二つの水準を設け,もう一つの先輩の方の力も活用するということでどうかという気がいたしました。
○西原主査
どちらが先に書かれるかという話かと思うのですが,大抵ダイジェスト(digest)版は出てくるんですよね。ただ,順序としてはダイジェスト版というのは本来版から派生する形で書かれるんでしょうか。同時出版ではあるけれども,本来版ができて,ダイジェスト版ができるということかと思うのですが。
この間,日本語能力試験の新しいカリキュラムとシラバスと,それからそれの問題例というのが2冊子出てきました。2分冊と言った方がよろしいのでしょうか。何かああいう形もいいですよね。現場対応というのが出てきて,そして理念編みたいのが出てきます。ダイジェスト版というのは,意外といろいろ使い回しがきくということなんですけれども,それは最後の成果物が二つのバージョン(version)で出るだろうということの御提案というふうに考えてよろしいでしょうか。
今,御提案いただいて,今,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」に載っているのは本来バージョンと言うか,そういうものを含むものということでありますが,基礎的な資料部分というのは,そういうわけなので,本来部分にはこのまま付くということですね。
実は,参考資料2「学習項目の要素の記述について」について,この間日本語教育小委員会ワーキンググループで検討しまして,A3サイズをいつまで維持するのかという話になりました。これは見開きで見てもらわないとまずいということで,冊子を開いた際にページは2ページになるけれども,見開きで読めるような形を維持して書きましょうということになったと思います。
それから,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[4]情報リソース(資源)部分」なのですが,「活動方法の例一覧」というので,先ほどから出てくるここの部分にニーズ調査も入れるかということですが,そういうようなものも入れておくのでしょうか。それから,それこそスパイラル・プロダクション(spiral production)ですとか,ロールプレイ(role play)ですとか,カタカナ語がたくさん並ぶのですが,それをなるべくかみ砕いた形で,「こういうシラバスを使うとき,こういうカリキュラムを使うときの言語の教室はこのようなことをやりましょう。」ということを活動方法というふうに考えて,いろいろ載せていくことを考えています。
人材リソースというのは,先ほども少し出ましたが,担当ボランティアとか担当教員,それからそれを計画するコーディネーター,チームになっていればチームというようなことのほかに,地元の人材ですとか,それから担当プロの活用ですとか,それからいろいろなカリキュラムを見ていると,地元人材というのがかなり微に入り細をうがつもので,このような人が教室に来られるみたいな,またこういう人を活用するといったことが書いてあると思うんです。
それから,参考資料リストというのがお役立ち情報ということになると思うんですけれども,思い付く限りのものを載せていくということだと思いますが,何かここの配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム」の「[4]参考資料リスト」の部分についてお考えがありますでしょうか。
○尾﨑委員
一つよろしいですか。一応活動方法の例示がなされて,いろいろなところでこれから仕事が行われたときに,それを共有してデータベース化するような仕組みというのは当然あるといいんですけれども,そういったようなことというのはどこに書き込むんでしょうか。これとは別のことでしょうか。
○西原主査
いや,最後に,例えば「これを活用してくださった後で,御意見は国語課へ」と書くかどうかという話ですよね。
○尾﨑委員
何かそういう蓄積が行われる仕組みが欲しいなと思います。
○西原主査
国際交流基金では,マスターシラバス(master syllabas)というか,「みんなの教材サイト」というのに教材ネットワークのようなものが付いていて,「こういうふうに授業をやりましたよ」というのがフィードバック(feedback)されると,そこでそれが会員全員に流れるような仕組みができていますよね。あれはお金が掛かるのではないですか。
○西澤委員
1回動き出せば,それほどお金は掛かりません。システム構築の際はかなりお金が掛かったようですが,今度の日本語教育スタンダードでも,「みんなのスタンダード」を作るための仕組みを作って,いろいろな人たちが書き込みをして,全体として共有すべきものについては蓄積ができるような仕組みを組み立てようということで提案して今やっています。そういうことはアイデアとしてはあり得るんだろうと思います。
西原主査が最初におっしゃった「みんなの教材サイト」というサイトなのですが,今度のものは,「みんなのスタンダード」みたいな感じで,「みんなのキャン・ドゥーサイト(can-do-site)」という名前にしようということを言っています。こんな考え方がいいんじゃないかというようなことを,みんなで共有できるような部分を組み入れられるようにしていこうとしています。
○西原主査
国際文化フォーラムもなさっていらっしゃいますよね。
○中野委員
最初,プログラムを作るときに少し投資が要るのと,後はむしろマンパワー(man power)ですね。やはりだれかが見ていないと,それからしかるべき答えを戻したりという作業が必要にもなりますので,せめて最低でも1人の人が一応ずっと見ていかないといけないというのが一つありますよね。でも,あるとすごくいいと思います。
○西原主査
そうですね。日本語教育学会がお引き受けくださって,お金さえあれば,やってくれるようなものでしょうか。
○尾﨑委員
先ほど,内田委員がおっしゃったこととか,加藤委員がおっしゃったようなことというのを,やはりばらばらにやるのではなくて,共有していく仕組みはどうしても必要です。本来,かつての国立国語研究所があれば,大いに期待してお願いできそうなことですけれども,日本語教育学会にはそれがありませんから,何か考えなければいけないと思います。
○西原主査
そのようなプログラムを国語課が持ち続けるということは,組織としてはできないんじゃないのかなと思うのですが,そういうことをやっている課はありますでしょうか。著作権課とか,そういうところでデータベースの管理やそういうユーザーネット(user net)の管理について。
○匂坂国語課長
恐らく,そこまでやっているところはないんじゃないかと思います。
○西原主査
役所の仕事としては,そこまではちょっと組織的にできないんじゃないのかなと思います。
○中野委員
この活用例というのは1回限りで,出版して終わりという発想でしょうか。それとも,ウエブ(web)で補充して何か…,それとも何年かに…。
○西原主査
どういう出版形態になるかということにもよりますが,今出ていくのは,たくさんパターンは示すけれども,それ限りということだと思います,冊子で出ていく場合には。ただ,その活用例が報告されてきたときに,それを膨らせていくという,先ほど委員の方々が,または国際交流基金が持っているサイトのようなものをどうやって作っていくかというのは,これは重要課題だと思います。ですが,それはまだちょっと難しいと思うので,今の御質問に直接お答えできるのは1回限りという,今回だけということであろうかと思います。
○中野委員
いわゆるこの指標と言いますか,この標準的なカリキュラム(案)自体のフォローアップ(follow-up),つまりこの標準的なカリキュラム(案)というのは,日本語以外に,ポルトガル語とか英語とか中国語にも訳されるんですか。
○西原主査
した方がいいですよね。
○中野委員
もし訳されるとすると,さっきのニーズ調査ではないんですけれども,このぐらいだと,学習者が,「自分が勉強したいことはこれとこれとこれだ」というように選択してチェックをする,それは個別教育ではない場合はもちろん,そのままストレート(straight)に授業の内容に反映されないにしても,教師にとってはクラスのニーズということで参考資料にはなりますよね。
そういった効用もありますし,それからもう一つ,その積み重ねは拠点校だけ,五つぐらいの学校でいいと思うのですが,日本語教育小委員会で選択した★ が付された「生活上の行為」の事例がありますが,その選択が妥当なものであったかどうかとか,修正が必要ないのかどうかとか,そういうフォローアップをされるといいのかなと思いました。
○西原主査
具体的な名前を出しますと,これは浜松市のことなのですが,「この標準的なカリキュラム(案)を,未完成だけれども,とにかく使ってみてくれませんか。」というお願いをしています。そこにはブラジルから来た人,ペルーから来た人,フィリピンから来た人が,自治体の国際交流協会の職員としています。また,その人たちはバイリンガル教師でもあるので,自分たちの仲間にはこれが必要だとかいうようなことを彼らは積極的に言うんですね。そういうようなことを聞いて,何かベンチマーク(benchmark)を作ってくださいということをお願いしているんですけれども,そういうことがお願いできるところが増えて,また積極的に「こういうこともやりました」とレポートしてくれるところが増えれば,ほかに例えば日本語教育学会がそれを集めてくださって何かしてくださるとか,そういうようなことが可能なプロジェクトじゃないかなと思います。
○中野委員
その拠点校があるとすれば,せめてその学校のアドレスは国語課でリンクを張ることは可能かもしれないですよね。全体的な管理はできなかったとしても,そこに集積があるよということですね。
○西原主査
そういうものを,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[4]情報リソース部分」の「[3]教室活動を行う際の参考情報リスト」の中にどの程度含めるかという話だと思うのですけれども,例えば韓国語・中国語教材ですとか,「みんなの教材サイト」ですとかというものもここに情報として入れていいのでしょうか。
○中野委員
例えば,うちの日本に関連する写真のデータバンク(date bank)なんかは,少しお役に立つかもしれません。
○西原主査
高校生が撮ったものですね。
○中野委員
高校生と言うか,日本のいろいろな写真,そういう写真素材ですが,基金のデータバンクも教えるときの一つの素材として使われるということがあるかもしれないです。
○西原主査
これはどの程度充実させて出すかということが,中途半端はいけないんですけれども,徹底もなかなかできないですよね。
○佐藤委員
開発とそれをどう活用して普及させるかという議論だと思うんですよね。自分の経験から言うと,そこは非常に難しくて,開発についてはある意味では成長型カリキュラムですよね。使って何ぼのものですから。つまり,これをどういうふうにして活用して,より良いものにしていくのかという議論だと思うのですが,そこの仕掛けと見通しを持ってやるのか,それとも,ここはこことして取りあえず出すのかということが明確にならないといけませんね。やはりその辺りの見通しがあるとすごくいいと思います。例えば今のようなモデル事業として拠点校を設定していけば,それは国語課の事業になっていくでしょうし,つまり国の施策につながっていくのかと思います。
例えば,情報リソースを用いた授業を構成する活動方法の例について私どもの経験から言うと,やはり型だけになってしまって,具体的に自分の学級に応用するということは非常に難しいんです。そうすると,やはりそれは具体的な実践例を伴わないとほとんど生きないです。ただ,この場合はしようがない話ですから,これは活動例を多数紹介していくのだろうと思うのですが,しかし,それを自分の学級,自分のクラスのところに応用する力というのはまた違ってきます。
それはやはり普及開発と結び付けないとなかなか難しい議論ですし,それからもう一つ,配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[4]情報リソース部分」のところで言うと,想定される利用者によっても情報リソースは少し違ってきます。そうすると,例えば先ほど伊東委員がおっしゃったような行政担当者であれば,一体どういう情報リソースが必要なのかというようなことも出てくるかもしれませんし,ここをうまく実践,活用まで結び付けるような見通しを持って,この情報リソースがうまく生きていくといいですね。
○西原主査
ただ,毎年毎年更新されて,年単位で計画が立てられ,それが実行されということになっていく委員会の在り方で,評価の話と,それから教材のプロトタイプの話は見通しとして書かれているけれども,普及活動のところは見通しとしては,まだ書かれていないところなので,それをどう実行するかということについては,国語課としても今お答えいただくことは少し難しいと思います。ただ,この日本語教育小委員会の委員の総意としてはあった方がいい,是非そのことが次の発展として,あるべきだという御意見が強かったということはどこかの記録に載せておいていただくということでしょうか。多くのカリキュラムが頓挫とんざしてしまうのは,そこですよね。
○西澤委員
評価が絡むのであれば,ここはモデル事業みたいなものを事業として,具体的なモデル事業,モデル地域を設定して,国語課予算を付けて,そこで評価をしていただくということであれば,多分つながっていく可能性はありますよね。
○西原主査
カリキュラム評価が,どこかにつながっていけばいいですよね。あらゆるテスト,評価というものにはテスト評価がありますし,そういう制度の外部的な評価というものがあって評価だとは思います。
その他,このカリキュラム(案)の構成について何かありますでしょうか。
○杉戸副主査
細かなことです。今日の配布資料2「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の基本的な考え方について」の位置付けなのですが,これがこの配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」の「[1]説明部分」とどういう関係になっていくのかということを質問として出したいと思います。今日の配布資料4「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の構成について」ですね。1枚紙でコンパクトによくまとめられていて,活用できそうに思うんですけれども,これはこういう委員会のためだけの内部的な説明資料として用意されたのか,それとも外に向けてこれを利用していこうという,そういう前提で書かれたのかということです。
○山下日本語教育専門職
まだ現段階としては,これが全体構成の中でどこにどう位置づけられるのかということは詰められておりません。現段階としては,配布資料3「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)のたたき台」を検討するに当たって必要であろうという項目についてまとめた形になっております。
○杉戸副主査
そうすると,この日本語教育小委員会向けの資料ということですね。
○西原主査
ただ,配布資料2「「生活者としての外国人」のための日本語教育の標準的なカリキュラム(案)の基本的な考えについて」の内容はカリキュラムの使い方について説明する際に繰り返されるべき内容なのではないでしょうか。つまり,緊急事態に対応するためにも網羅的に学習することを求められているということと,それから学習者の状況に応じて学習項目を配列する必要があると言われていること,それから,基本的な生活上の基盤を形成するために必要な生活上の行為,安全にかかわる行為ができるようになることを目標とするというのは使われ方のところに書かれるべきであるし,標準的なカリキュラム(案)の前振りとしても書かれるべきことではないのでしょうか。
○杉戸副主査
内田委員がさっき簡易版と全体版とおっしゃいました。簡易版の説明に非常にいいんじゃないかということが言いたかったんです。余計なことを付け加えると,もし外に出すのであれば,下から5行目の「具体の時間」というのはやめてほしいとほしいと思います。具体的な時間と言ってほしいですね。
○西原主査
これは役所用語です。
○山田委員
そのすぐ上に「具体的カリキュラム」とあるので,重複するから,下の方は実際の時間」とか,何かそういうふうに変えたらいいんじゃないですか。
○西原主査
いろいろな御意見を頂いて,これは是非取り入れて,いろいろなことを最終的なバージョンにするための作業に取り入れていくということになろうかと思います。御意見がありましたら,ぜひどんな小さなことでも,思い付かれたことでも,事務局に御連絡ください。本日帰ってこれをお読みになって,何か気が付いたこととか,参考資料としてこういうものもあるよという御意見ですとか,それから例えば私は,ダイジェストバージョンはマルチカラーで分かりやすいように,なるべく,特にCDとかDVDとかありましたけれども,何かメディア付きで出ていくといいなというふうに思うのですけれども,それやこれやも含めて,もし御意見がありましたら,どうぞよろしくお願いいたします。
では,今期最終の会議はこれで終わりということにさせていただきます。御協力ありがとうございました。
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