映画振興に関する懇談会(第3回)議事要旨

1. 日時 平成14年7月17日(木)14:00〜16:00

2. 場所 東海大学校友会館 「阿蘇の間」

3. 出席者
(協力者) 横川座長代理,飯田,大林,岡田,阪本,新藤,砂川,関口,髙村,中谷,奈良,福田,北條,矢内各委員
 
(文化庁) 河合文化庁長官,遠藤文化部長,河村芸術文化課長,坪田芸術文化課課長補佐,川瀬同課課長補佐,堀野著作権課課長補佐,尾野美術学芸課施設係長 外
 
(オブザーバー) 寺脇文部科学省大臣官房審議官(生涯学習政策局担当)
大橋総務省情報通信政策局コンテンツ流通促進室長
境経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課課長補佐 外


4.概要
(1) 河村芸術文化課長より,初めて出席される委員の紹介が行われた。
(2) 河村芸術文化課長より,配布資料の説明が行われた。
(3) 横川座長代理より,とちぎ先生の簡単な経歴・現職の紹介が行われた後,大要以下のように,とちぎ先生からの説明及び質疑応答があった。
[◎:説明者,○:委員]
アメリカの文化政策や映画振興の現状の全てを話すのは難しい。そこで私が以前非営利で運営する国際文化交流団体(ジャパンソサイエティー)で仕事をした経験から話をしていきたい。まずアメリカの文化政策及び映画の振興に関するさまざまな施策には,2つの大きな背景がある。1つは,アメリカは,連邦政府があり,州があり,市があり,市の中に郡があったり,ないしは市の中に区があったり,という行政構造をとっており,政府が一元的に文化に関する政策を立案して,施行するという行政機構を持っていない。例えば,連邦政府には文化省,文化庁といったものが存在していない。政府と一応独立したエージェンシーと呼ばれるものは,連邦政府の場合,NEA(芸術基金)と言い,州の場合,芸術評議会と言う。また,市や郡では,役所の中に文化課が置かれているところが4分の1程度あり,そのほかは,政府とは独立したもの,又は民間のエージェンシーが存在すると言われている。これを裏返してみると,アメリカの文化政策や映画振興の基本にある考えは,文化の担い手は民間の団体,個人ということである。文化事業は自由競争をベースにしたビジネス,エンタープライズであるという考え方につながっている。もちろん歴史的に見ても,現実に今でも例外はある。例えばニューディールの時代に,公共事業促進局(WPA)がフェデラルプロジェクトという名の下に,文学から美術,音楽,演劇にわたる様々なプロジェクトを雇用促進,連邦政府の予算という形で推進した。また,第2次世界大戦期にルーズベルトが,中南米に対してプロパガンダ政策として善隣外交政策を展開していたが,その推進のために新聞や報道,加えて映画,放送というメディアへの振興のために連邦政府予算を直接出して映画・映像政策を行った歴史もある。オーソンウェールズやウォルトディズニーもこのCIAAの中で親善大使として映画製作に関与した。しかし,これらは例外と考えられ,基本的には政府が直接介入をして文化政策を振興・促進することはしない。もう一方で,映画・映像をある程度カテゴリーとして考えるということだ。イギリス,ドイツの場合,ハリウッドのメジャーが作る映画,メジャーの会社が配給する映画に関しては,コマーシャルフィルムと呼び,それ以外のインディペンデント映画,教育,記録,短編映画をカルチャーフィルムと呼ぶことにより2つに分けて考えるという見方がある。アメリカの場合も同様に,メインストリームとオルタナティブという分け方をする。メインストリームとは映画製作,企画制作,流通にわたるまでをハリウッドが行う映画のことであり,オルタナティブはインディペンデント又は,アヴァンギャルド,実験的映画,映像,プラス外国映画のことである。主に基本的な担い手として非営利組織(ノットフォープロフィットオーガニゼーション)が主体となっていると思われる。このメインストリーム,オルタナティヴに関する考え方は歴史によっても変化するし,グレーゾーンが存在している。70年代以降,ハリウッドが国際化したり,コングロマリット制度という独占禁止法違反によって,解体された映画産業界を再び,企画から上映まで行えるようにする制度が推進される中で,一方のインディペンデント映画も非常に活性化し隆盛,拡大し,ハリウッドを取り込んでいった。配給や興行に関しても,インディペンデント系と呼ばれていた配給・興行会社が拡大している。一方で,多くの実験映像や全く違う映像を作っている個人のアーティスト達を支援する団体が生まれるというような,幅や底辺の広い映像文化をそれぞれの関係の中で作ってきた。ただ,オルタナティヴの映画・映像の主体的な担い手は,非営利組織である。この原因は,税制上の優遇措置である。非営利組織ノットフォープロフィット(通常ノンプロフィットと呼ぶ)や日本でいう非営利特定法人でも同じだが,このような組織は利益を出してはいけないのではないかという誤解があるが,実際はそうではなく,プロフィットを個人や株主に還元してはいけないという意味である。つまり,内国歳入法という国税法の中に定義されているが,国税庁が管轄する団体で,広く慈善事業及び個人的な財団に認定され,個人への配当をしない一方で,団体が上げた所得に関して,連邦所得税に関してその納付が免除されるということである。州や市の単位においても,団体が払うことになっている固定資産税や,消費税などの免税や権限という措置が受けられる。一方で,組織に対する活動等に寄付を行う個人や法人からの寄付金に対しても一定額の控除がある。つまり,組織を運営する側,支援する側の双方に税制的な優遇措置がある。税金をばらまく形ではなく,間接的に支援するというシステムである。以上のことが,非営利組織がアメリカの広範囲に発生した理由ではないだろうか。非営利組織ということ,政府が一元的に文化政策を行わないこと,アメリカではこの2つの背景から非営利という形をとる文化芸術団体ないしは自助努力で資金を調達し,活動を続けるアーティストが基本にあるということになる。財源としては,公的資金プラス,フォードやロックフェラーといった非常に巨大な個人の篤志家,資産家が作った財団及び,日本ではメセナと呼ばれている企業のスポンサー,個人の寄附が非営利組織の主な財源になっている。その非営利組織がなぜ,商業的な活動になりにくいのに,芸術,教育的な観点で文化的な活動として重要性を持つものに対して積極的な活動を展開できるのか,というもう1つの背景には,公的支援を提供する支援組織が助成金を与えるには,受ける団体が非営利組織でなければならないという条件がある。連邦政府レベルでは,アメリカ芸術基金,FWAという組織が1965年に作られた。これは先程のWPAとは違い,独立したエージェンシーでありながら,恒常的に連邦政府が何らかの形で文化に関与するという制度である。独立といっても,連邦政府と関わりがあり,財源は国家予算で,連邦国会の承認が必要である。予算配分上では,金額の変動はあるが,恒常的な関与を認めたという意味では初めてではないか。同時にNEH(アメリカ人文科学基金)が1965年に設立されたことにより,主にNEAが芸術作品の制作,流通,公開に関与することに対してNEHは歴史哲学に重点を置いている大学などの研究機関への助成が中心になっている。もちろん映画・映像の歴史や研究にもNEHは関わることもあるので,多少はオーバーラップする動きもある。付け加えると,連歩政府の予算が直接芸術文化団体に落ちるのは決してNEAだけではない。ワシントンD.C.にあるスミソニアンインスティテューションと言われるスミソニアン機構,ナショナルギャラリー,議会図書館,国立文書館,アメリカ文化情報局について,それぞれの組織に予算がダイレクトに落ちていて,文化事業に対する資金提供をしている。映画の保存については,議会図書館がナショナルフィルムプリザベーションボードを創って,年に25本アメリカ映画を,いわゆる国宝という形で保存することが89年から始まっている。
また,議会図書館等オスカーを出している映画芸術アカデミーなどが助成を受けて,ナショナルフィルムプリザベーションファウンデーションという非営利の財団を作っているが,実はそこからも年間ある程度の予算を出して,映画の保存,上映用のプリント作成をしている。保存という観点から言うと,非常に連邦政府の予算の意味は相対的に大きくなっているといえる。ただ一方で,30年代,ニューディールの時期にWPAが映画製作,スタジオシステムを非常に確立したと同時に放送,ジャーナリズムも隆盛期を迎え,海外からの移民が増えて,その時代からアメリカが非常に大衆社会化していった。ニューディール時期のようにWPAが直接的にお金を出して介入するやり方ではなく,別の形の助成システムを考えたのが65年のNEA組織の制定の背景であった。具体的に組織が何をするかということだが,非営利の芸術団体及び州や市の芸術評議会をエージェンシーが行う事業に対して,お金を出すことである。これは個人の芸術作品の製作に対してもお金を出すというシステムである。基本的にはコストの50%以下を支給して,残りの50%以上をそれぞれの団体や個人がお金を集めてくる,というマッチングカウントというシステムを取っている。これによって,公的な支援というのはそれと同額,それ以上の私的な支援を芸術団体や個人にして欲しい,という,触媒の役割を果たしている。ただ,実際は50%以上自分たちでやっていくことは大変で,逆に,国や連邦政府や州からお金をもらうと,それに対してマッチングできないから大変だという話もよく聞く。NEAの支援分野は現在22分野あり,映画はメディア芸術に含まれる。いくつかのカテゴリーに支援領域があり,映画・映像について言えば,基本的には製作やワークショップ映画の上映,映画祭,保存,記録,それから新規のお客さんを開拓するための様々なプロジェクトや教育的プログラムが対象になる。2001年の会計予算は1億ドル強である。この額が日本の文化庁予算や,諸外国の予算と比べて考えてみてほしい。アメリカの連邦予算の経費で言うと0.1%もない額であり,ここ10年くらいNEAの予算はほとんど伸びていない。NEAの機構は,議長,その下にアメリカの芸術評議会があり,各分野の専任スタッフがいる。ちなみに映画・映像に関するメディア芸術に関しては2名のスタッフがいる。通常分野ごとにパネルと呼ばれている助成を申請,選考するシステムもある。まず選考委員会が推薦して,議長が決定するシステムである。この選考委員はそれぞれの分野の専門家,例えば現場のアーティスト,ないしは芸術団体,文化団体の担当者であり,専門家がNEAのスタッフの推薦を受けて,パネルを構成し,選考していく。このパネル選考システムは連邦政府のNEAだけでなく,基本的には州での芸術評議会でも助成を出すシステムを作っている。その1つの理由に,連邦政府が各州の評議会に対して幾つかのお金を与えている。NEAの助成金予算の最低20%は州に直接還元する形をとっている。近年,最低額が少し上がって,2001年の会計年度では36%,NEAの助成金の36%は州や市などの助成金に充てられる形態をとり,残りの64%くらいが,直接申請者を受けた団体に対して,助成するという形態になる。ただNEAが,州に対してそれだけのお金を与えるようになり,結局はNEAである州の評議会も連邦政府の小支部のような形になってしまったという批判を耳にする。これに対抗して,NEAよりも連邦政府の設立よりも以前に,幾つかの州では芸術評議会というものが既に作られていた。例えば,ニューヨークの州芸術評議会(ニスカ)は助成金の支給をする相手先をいろいろ選考し,決定するプロセスの中に連邦政府のお金を介入させない立場をとっている。ただ,州の芸術評議会の組織構造とか,事業内容は,基本的に全て連邦政府のNEAに倣ったものである。目的は,非営利団体・個人への助成金の支給,そして選考システムは専門家によるパネルを作り,それぞれの専任スタッフが分野ごとにあり,最終的に議長が,芸術評議会決定権を持つという形である。ニスカを例に取ると,映画・映像はオーディオアート,ニューメディアとともに,電子メディア及び映画という分野に含まれており,予算は223USドル,これは全体の予算の4.8%である。その電子メディア映画の部門で扱っている助成対象となる事業内容は,NEAが行っている,作品の製作,制作の配給・上映,新しいテクノロジーの開発,映画や電子メディアの保存,といったプロジェクトに対してお金を出すだけでなく,団体の運営費に対しても助成する形態をとっている。この点がNEAと少し違った支援対象を持っていると言える。ただ,連邦政府がNEAという組織以外にも,直接スミソニアンやナショナルギャラリーを支援すると同様に,幾つかの州では劇場,交響楽団,美術館など特定の芸術団体を別個の予算で支援している。ニューヨーク市の場合はメトロポリタン美術館に特別会計を計上している。ここでニューヨーク州及び市で調べた,非営利組織がどうのような財政的なもので運営されているのかという例を幾つか挙げてみる。例えばニューヨーク映画祭を主催しているフィルムソサイエティーオブリンカーンセンターは,年間予算のうち助成金,寄附金などが50%,残りを収益で集める。助成金のうち,州からのものは全体の8%,連邦政府からは0.7%と極めて少額である。60年代の後半,リンカーンセンターがフィルムソサイエティーを立ち上げ,ニューヨーク映画祭を開催し,「フィルムコメント」という映画雑誌を作り新規事業を始めた。それに対し,当初ニスカの芸術評議会は95%もの助成金を出してくれたが,現在は8%まで落ちている。フィルムフォーラムは,名画座とインディペンデント系の映画をよく上映する,東京で言えばユーロスペースのような劇場と考えられるかもしれない。ここも非営利組織だが,チケット売り上げが,68%で,州と国の補助は4%以下である。また,フィルムアーカイブとして世界的にも名声のあるロチャスターという町にあるジョージイーストマンハウスの映画部門も公的な支援は6%である。つまり,ほとんどの非営利組織における公的資金の割合は10%以下である。残りの大半は,自助努力でお金を稼いでいたり,それぞれの事業で稼ぐという形態をとっているというのがアメリカの大きな特色ではないだろうか。
アメリカの映画は,メインストリームとオルタナティブとに分けていたが,メインストリームがアメリカの映画そのものであり,これをきちんと把握しなければならない。アメリカ映画は他の国と比べて特殊な形態をとっており,従来対立概念と考えられてきた文化,経済,政治が融合された形で,映画が成り立っている。これがアメリカ映画の特徴だと私は思う。だから文化と政治はどこがどうかという話で,映画を考えるとベルリンの壁が崩れた時に,西側のものが東側に流れ込み,新しい物が入ってきたが,映画は同じ効果を持っていると思う。政治と産業とを考えても,映画はアメリカ経済を支える存在になっている。最近ITが崩れてきているので,アメリカの輸出産業の第1位が航空宇宙産業とすればエンターテイメント産業は第2位。そしてエンターテイメント産業の中心は映画である。もう一つ,文化が産業になり得ないと長い間思われていたがアメリカ映画はみごとに崩したが,それを支えたのはコピー文化であり,著作権だった。コピーができる,コピーができて,作品として見る。そのことにより,スクリーンだけでなく,ビデオ,DVD,衛星放送から,インターネット,ブロードバンド,テレビ放映と広がる。これを支えてきたのは著作料である。このような形で,特殊なアメリカの1つの映画という形態が作られたことを理解すべきだと思う。これに対して,オルタナティブはとても少ない予算であり,アメリカ民主主義の補完システムだと思う。その時,わずかな金額しか予算が出ないわけだが,アメリカ社会は寄附金が非常に大きなウェイトを占めている。助成金を支給する基準がもめごとになることは常につきものなので,税金に頼るのではなく,寄附金を直接自分が支援する団体,非営利団体に渡ることとなる。非営利団体に対する支援税制のあり方はいろいろだが,日本において文化庁はまず,映画をメインストリームととらえるのか,オルタナティブととらえるのかをはっきりすべきである。でなければ,支援の仕方が変わってくると思う。
非営利組織が映画を製作する上で,非営利という概念がよくわからない。非営利組織が営利を目的としない映画をつくる。その収益,売り上げはどのように処理されるとか,どんな目的で作るのかがよくわからない。やはり著作権を持つことが映像の全てだと思う。その場合アメリカの非営利組織は,年に何本の映画を作り,上映組織はどうか,劇場が確保されてるのかを知りたい。
オルタナティヴという領域での製作は,基本的に個人製作ないしは少人数のプロダクションがする。また,非営利組織がプロフィットの組織とどう違っているのかということだか,実は明確な答えはない。例えば上映団体の中でも,名画座のようなプログラムを行う団体が,非営利と考えられていたり,同じようなプログラムを上映していても,それはプロフィットであるという団体もある。行う事業内容に関しては,外面から見るとそれほど変わりはないが,非営利でやる方は実際に利益を上げることを目的としないことによって,リスクの高い作品を多くやるとか,プログラムをよく手がける。そうでない団体は逆といえる。ただそれは,組織を取り巻く環境によってもずいぶん変わる。ニューヨークの場合は,非営利で行う上映,配給組織と営利組織については,非常にグレーゾーンが多い。一般論では言えず,映画の製作,配給,上映に関して見た場合,非常に相対的なものである。経済活動にはなりにくいが,ある種の特定コミュニティーに対して文化的な貢献ができる,又は,教育プロジェクトとしてなり得るといった評価に基づき国税庁が認可している。これば非営利組織の形態だと思う。
今の話を聞いていると,プロダクションは非営利組織のような感じがする。収益を目的としているが,収益にならないという意味でいえば,アメリカへ行けば資格があるという気になる。
実は,アメリカを含む世界各国の非営利組織の方々から,日本映画の上映会をしたいとの相談を受けることがよくある。しかし,日本映画にアプローチした場合,営利組織と非営利組織との間にハッキリとした違いがある。例えば,プリントを借りる場合にも非営利組織が小さいキャパシティーのところで目的を持って上映するのなら,アメリカのプロダクションの場合は営利組織での上映とを明確に区別して,非常に安いロイヤリティーで上映させてくれる。だが,日本の場合はそのような認識がない。アメリカでは営利目的の上映の場合,基準の料金や,条件があるのだろうか。または,社会通念として別のものとの認識ができあがっているのか知りたい。
非常に細かい料金に関する規定はないと思う。ただ,通念的に多くの非営利団体が映画を借りたい場合には,ただで貸すという話はよくある。そうでない場合,100ドルで通用してしまう。これはあくまでも通念というか,慣例の問題であり,非営利組織だから規定があるとは思わない。非営利組織の上映団体,配給団体相互のミーティングの中でも同じような議論は常に起こる。それから,非営利組織であるから公的な財源を受けられて,リスクが高い,収益はほとんどない,だけど別の側面では価値の高いものにこだわる,そんな組織は財政的にみると10%以下の支援である。残りの多くが個人の寄付とか,企業のスポンサーとか,アメリカの伝統的なフィランソロフィーと呼ばれる事前事業,見返りを求めない活動に頼っている。プラス,ロックフェラー等の個人的な財産がサポートする。でも,とりあえず認められる組織,目的で,使命がより文化的な貢献度,コミュニティーに対する貢献度,教育的に対する配慮を商業的な利益よりも高く評価される組織が非営利と考えていいのではないか。
非営利組織も一種の文化運動だと思う。利益を追求しないという言い方は果たしてどうなのか。アメリカの場合,非営利組織の運動が活発である。日本よりも進んでいるというのは,何か映画の産業基盤のようなものがしっかりしているからではないだろうか。日本の場合には経済的な基盤が揺らいでいる状況が長く続いているので,逆に映画自体の基盤を強くという自助努力が上手くいったのではないかと思う。
前回のフランス・イギリス及び韓国,今回のアメリカというように,国の映画の現状を聞いていると,基本的に映画に対する姿勢や意識の違いがあることがわかる。アメリカに行ったとき,カメラマンからハリウッドにはムービーカントリーがあると,教えてもらったことがある。そこは一種の養老施設だった。ハリウッド地区で働いている人たちが,20年以上勤務していた場合,そして年を取り,身寄りのない人は全てそこへ無料で入れる。その経費はどうしているのかと訪ねたら,ハリウッドで働いている全従業員が収入の1%を出しているんだと,政府その他の公的な援助は一切もらってないとの話だった。そういう根本的な姿勢というか,意識の高さ,全てのことが差になっていると思う。仕事の関係でフィルムセンターによく行く。確かにすばらしく充実はしているが,規模は外国から比べたら,本当に小さい。しかも,わずかな人員で大変な努力をし,維持している。フィルムセンター1つとって考えてみた場合,予算,人員を増やしたと言っても限りがある。もっと大きく言えば,文化庁そのものがどういう位置づけにするか,という大きな観点から眺めないといけない。そういう意味で,専門的な項目について分科会を開いて,突っ込んだ研究をすべきだ。具体的に抜本的な改革をしないといけないのではないか。
先程アメリカで年25本をアメリカ映画の国宝と言っていたが,それはどういう意味か。
これは89年から議会図書館がアメリカ映画史の中で貴重だと思われる作品に関して,可能な限り最良版のプリントを議会図書館の中で,年に25本ずつ,ナショナルフィルムレジストリーという名前の下にプリントを保存し,作品を顕彰しようという制度を始めた。そのために理事メンバーを作り,推薦のもとに毎年選考している。現在も続いてて,2001年までで一応325本になり,それらがレジストリーというところに保存されている。年間予算は現在25万ドルと言われている。この映画の中には,ドキュメンタリー,短編映画,個人が作ったホームムービーのようなものも含まれている。つまり,アメリカ映画・映像史の中で貴重な物を定めて保存するということである。
フランスの話はまたフランス従来の芸術文化という根元的なところから映画を見ているし,アメリカの場合はやはり映画そのものとしての捉え方が圧倒的に強いかと思う。アメリカの1つの大きな文化遺産という形で残していこうということかもしれない。
(4) 河村芸術文化課長より,資料2について説明が行われた後,大要以下のような討議が行われた。
[○:委員,△:文化庁]
今後の懇談会で,議題にあげてほしいと思うのは映画著作権についてである。我々内部で話し合ってもこれは文化庁に聞かない限りどうしようもない。映画著作権に関して問題があると思う。映画芸術の振興に関して言うと,今の現行の著作権のあり方が振興の妨げになっている。映画を作る立場で一番問題なのは,映画著作物であり,文芸の著作物の二次的な著作物であるという,著作権の歴史に関わるようなことなのかも知れないが,このままでは映画著作物を作ろうというインセンティブがどんどん落ちる。どんなに支援したとしても,映画を作るという個人なりをあるプロダクションなりのインセンティブを高める方向に持っていかない限りは,結果的に作品の充実はない。
著作権の問題については議論しなければいけないテーマの1つである。指摘があるように,著作権の問題は国が一方的に法律を定めるという世界ではなく,関係者間で協力し,まとまったところで法律にするのがこれまでのやり方である。国の方が単に傍観してるわけではない。
これを見る限りでは,著作権問題というのは避けて通るべき課題ではない。文化庁が何らかのアクションを起こしてほしい。
映画の著作権問題を議論する場は,著作権分科会が文化庁の諮問機関として別にある。そことの関係も踏まえなければならない。
著作権の問題はもう10年もやっている。文化庁の指導で,最初は二次的利用に関する研究調査をやっている。今は映像分野における著作権に関する懇談会をしている。もともと著作権法に映画を作った時点,要するにスタッフが契約で参加した時点で著作権の権利は製作会社に行くという規定になっている。だから,二次的利用で多少なりとも経済的な面での恩恵を受けるようにという要望はずっとあるが,既に権利を持っている製作会社も権利を持っていて当然だし,スタッフ側も報酬をもらえる。そういうシステムをどうしたら構築できるかを考えていかないと意味がない。製作会社の権利からしても,スタッフ側の報酬の問題からしても,これは大きな問題である。これを解決するべきルールを作らなければ映画そのものの振興につながっていかない。人材育成についても,多くの問題がある。製作現場に若い人が参加できるようなシステムが必要だ。人材育成というのは,言葉では簡単だが実際に実現するためには資金が必要である。では誰が教えるのか,ということになったとき,やはり自分たちのわずかな資金の中で教えるしかない。例えば学校では16ミリでほとんどが実習している。ところが実際に現場に行くと,35ミリしかやっていない。16ミリはほとんどがVTRに変わっている。そうすると,現場で35ミリのカメラを扱えるか,と言ったらやはり無理なのである。結局自分たちでそういうことを,1から教え直さなければいけない。昔は撮影所の中に,若手を育てるというシステムにも組み込まれていた。今はそのシステムがないし,難しいから,各職能団体が人材を育成できるような環境を作ることについて検討すべきではないかと思う。それから観客も育てるという話をしたと思うが,観客を育てるということは,映画鑑賞の機会を増やすということの1つの方法である。しかし文部科学省の義務教育の中に美術の大まかなカリキュラムはあるが,映像という項目はない。課外授業みたいなことでやっているかもしれないが,例えば,映像の見方や作り方などの基本的なことは教えてない。小さいときから映像に関する興味を持つ人間を育てる。そういうところからスタートしないと,観客を育てることにつながっていかない。そこも考えて,人材を育てるという根本的なことを議論してもらいたい。
私も若手の育成に携わっているが,今は,プロの助手について派遣すると食事代や交通費くらいは出してもらい,そこで実際に体験させるという,かつてのスタジオシステムがないように感じる。教育関係に関しても,(土)が休みということになると,自治体,地方の教育委員会とで何かできないものかと思う。
映画振興に関する懇談会は,あまりにも範囲が広すぎると思う。映画産業の振興に関するものを含むのか,映画芸術だけなのか,少なくともそのくらいは的を絞ってもらわないと,議論がしにくい。
ニューズウィーク掲載のハリウッドからワールドウッドへという特集記事を読み,興味深かったので紹介したい。要約すると,ハリウッドもどんどん資本は海外から取ってきているというのが1点。英語以外の言葉で,グローバルな政策を持たなければやっていけないということが,端的に書いてある。ハリウッドでも,今までの固まったスキームを打破しようという動きが出てきているということだ。先週ワシントンに出張した帰りにウォーターボーイズの字幕映画を見ていたが,隣のアメリカ人もげたげた笑っていた。やはり日本の映画もうけるものはうけるということを体感した。
こちらが今検討をお願いしていることは,映画芸術の振興である。はじめから産業振興と名前をつけているわけではないが,いい作品を生み出す,いい作品を鑑賞してもらうという広い意味で,国民に文化活動を広げることが,こちらの使命である。そのために検討する際には,その担い手が必ずしも公益,国とか地方公共団体とか,公益法人だけとは考えていない。
(5) 今後の日程等について事務局より以下のような説明があった。
次回の懇談会(第4回)の日程は,8月8日(木)13:00から霞が関ビル33階の「富士の間」を予定しており,今後の論点整理に向けて検討できればと考えている。
(以上)
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