(第2回)議事録

メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会(第2回)議事録

1. 日時

平成20年9月8日(月) 15:00~17:00

2. 場所

旧文部省庁舎5階 文化庁特別会議室

3. 出席者

(委員)

浜野座長 古川座長代理 安藤委員 石原委員 さいとう委員 中谷委員 林委員

(オブザーバー)

阿部氏 石川氏 岡島氏 甲野氏

(事務局)

高塩文化庁次長 清木文化部長 他

(欠席委員)

なし

議題

(1)メディア芸術の国際的な拠点の整備について

【ヒアリング(1)】

○牧野圭一氏(京都精華大学名誉教授)

○松谷孝征氏(有限責任中間法人日本動画協会理事長)

(2)海外におけるメディア芸術の拠点整備状況について

○阿部芳久氏(CG-ARTS協会(財団法人画像情報教育振興協会)文化事業部長)

(3)その他

○浜野座長

 ただいまから,メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会第2回を開催いたします。
 本日は,ご多忙のところお集まりいただきまして,まことにありがとうございます。本日は,有識者として,京都精華大学名誉教授の牧野先生,有限責任中間法人日本動画協会理事長の松谷様にお越しいただいております。ご多忙のところご出席いただきまして,まことにありがとうございます。牧野様,松谷様には後ほどお話をお伺いしたいと思いますので,本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 会議に先立ちまして事務局よりお手元の配付資料を確認させていただきます。

○事務局

 <配付資料の確認>

○浜野座長

 それでは,本日お越しいただきました有識者の先生を改めて紹介させていただきます。京都精華大学名誉教授の牧野圭一様でございます。もうお一方,有限中間法人日本動画協会理事長の松谷孝征様でございます。 牧野様,松谷様からご意見を伺うとともに,本検討会のオブザーバーのCG-ARTS協会の阿部様から海外におけるメディア芸術の拠点の整備状況について発表をしていただきたいと思います。各先生方からそれぞれ20分程度ご意見を伺った後,それらの意見を踏まえて討議を行い,審議を深めたいと考えております。それでは,まず牧野先生から20分ほどご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○牧野

 つい昨日まで,京都の国際マンガサミットで松谷さんとご一緒でありまして,そこでもずっと今日のことを話し合ってきたわけでありますが,その中で急遽資料として配付することをお願いしたのがこの黄色い地図であります。これは今マンガミュージアムに大きなパネルとして来場の方々にお見せしているところであります。
 サミット関連企画として京都マンガミュージアムでいろいろと展示しましたら,元小学校という,それほど広くないミュージアムでありますけれども(土)は4,000人,昨日は8,000人入りまして,階段やら廊下やらでみんな座って漫画を読んでいるので,我々が歩くのに困るというぐらいでありました。校庭は人工芝が敷いてありまして,そこにコスプレイヤーが100人も200人もいるというような状況でした。資料3の資料Aの末尾にカラー写真があります。これが全体像で,芝生の上で寝転がっている感じですが,ここに立錐の余地もないぐらい人々とコスプレイヤーがいるという姿をご想像ください。
 それから,子供のいる絵本の部屋とか,各廊下とか,紙芝居の部屋とか,こういうところが人をかき分けて歩くような状況でありまして,これ以上集めたら危ないのではないかというようなことになりました。
 しかも,皆さん薄暗い階段に座って漫画を読んでいるのですが,私たちがすぐそばを通っても見向きもしないというぐらい熱中しているのです。引き込まれるように漫画を読んでいる姿,これはみなさん色々な評価をなさるでしょうが,非常に印象的であります。
 今日は,2008年秋のマンガ星座なる資料3を添付しました。この資料を見ると星くずがいっぱいありまして,その中で流星のように消えようとしているものもありますし,見方によって,いわさきちひろ記念館のようなマンガに含まれるかボーダーライン上のものもあり,それらを含めると大変たくさんあると思ってください。
 この資料3を見ますと,今国際マンガサミットが行われ,大勢の人々の関心を集めているということで,京都国際マンガミュージアムを中心の位置に置いたのですが,こうした施設が成立する基本のエネルギーに,コミックマーケットのような,非常に大きなアマチュアの集団があるのではないかと思います。コミックマーケットのような大勢の人々が集まり,億単位の金額が動くエネルギーに満ちた存在があることが要因ではないかと。
 さらに,ワンダーフェスティバルというのは,立体フィギュアといわれるような世界です。これは村上隆さんの16億円フィギュアのニュースでも皆さんご存じかと思いますが,そういったものが趣味の段階からアートになって,アメリカの市場で評価されるということで,非常に流動的ではありますけれども,エネルギーに満ちた状況にあるのです。そういうものを受けて学生たちの関心が高まり,各大学に学生たちが集まってくるというようなことがあります。
 ですから,京都国際マンガミュージアムはできてまだ満2年になろうとしているばかりではありますが,その前に京都精華大学には40年ぐらいのマンガの歴史があります。これは今のコミックではありませんで,ヒトコマ漫画といわれるものでありまして,ゴヤ,ロートレック,ドーミエというような名画の中における風刺画というようなものを規範にして美術大学の中に成立してきたものであります。ですから,コミックを持ち込んだというのはまだ六,七年ぐらいの歴史しかないのです。芸術大学,美術大学の中にコミックが入るということはあり得ないといわれてきたのですが,これは先ほど申し上げたようなコミックマーケットとかワンダーフェスティバルのエネルギーというものに学校が押されたという感じです。
 先生方はあまり理解しませんでした。理事とか理事長が,この流れを酌み取らないことはおかしいではないかというようなことで,まず第1号の花火を上げたわけです。それが連鎖反応的に周辺の各大学においてマンガ,アニメにかかわるコースが誕生していったわけであります。
 しかし,必ずしもコミックとか日本のジャパニメーションといわるようなテレビアニメというものが中心とは限りませんで,アートとしてのアニメーションです,そういったものを規範にして成立しています。それから,マンガ自体を研究しようということでもありまして,マンガミュージアムにかかわっている精華大学にも片足かけておりますマンガ学会は,ほとんどの方は研究者でありまして,マンガ家はほとんど所属していないのです。マンガというものを研究しようという立場の方がマンガ学会に集まっているということです。
 一方で,今,冒頭にお話ししました国際マンガサミットというのは,マンガ家だけが集まって,東南アジア,中国,韓国,それから,香港,台湾,フィリピンとか,タイに至るまで,持ち回りで毎年のように交流をしているということであります。
 ここでは著作権問題とか表現の問題ということも話題になります。今年は環境とマンガ,食文化とマンガというようなテーマでそれぞれの国の代表が発表したというようなことがあります。それを各メディアもいろいろなところで大変大きく取り上げたために,マンガミュージアムに8,000人が1日で押しかけたというようなことが生まれております。
 今,漫画の団体としては,社団法人の日本漫画家協会というのが中心で動いておりまして,500名ほどの会員を擁しておりますが,その前に漫画集団というのがありました。これは50年ほど前,その頃は日本のマンガといえばコミックではありませんで,一コママンガや,四コママンガ,多くても8ページ,16ページというところまでのマンガを差していたわけであります。マンガ家の数も少ないし,マンガの種類も非常に少なかったわけです。この漫画集団は「フクちゃん」の横山隆一さんとか,近藤日出造,杉浦幸雄という諸先生方が中心で立ち上げた集団でありまして,文士の活動に近い体質や,行動パターンがありました。それではコミックとか若い人々が入り込めないだろうということで,社団法人日本漫画家協会が生まれたのだというふうにご理解いただいていいのではないかと思います。
 一方では漫画集団系から横山隆一記念館が高知にありますし,手塚記念館は宝塚にある。石ノ森章太郎記念館もできた。それから,ご存じのゲゲゲの鬼太郎ロードや博物館は年間300万人という驚くような動員力を持っているということでありますが,まだ盛んに妖怪の像が町中に増えているというような状況がある。
 この詳細が松谷さんがご提示くださった詳細な地図であります。皆さんこんなにたくさんあると驚かれると思いますが,この中で学芸員を持ってしっかりマンガの研究をしているというようなのは少ないのでありまして,個人のマンガ家の記念館というような性格でありまして,ほとんど,研究というよりも作家の遺品とか作品を展示しているという範囲にとどまっているとお考えになってよろしいかと思います。
 それから,そこから派生しまして,マンガショーというようなものもいろいろできておりまして,京都でもありますし,それから各地域の美術館や,マンガ家の記念館などでそこにかかわるイベントとかマンガショーというのが設定されていてそれなりの活況を呈しておりますが,むらおこし,まちおこしというようなものの一環として使われているという側面もあるようです。
 今度は,資料3の資料Bに目を移していただけたらと思います。マンガ星座の中に読売漫画大賞というのが大変大きな,世界的な一コママンガのイベントがありますが,これは今年30年目を前にやめてしまいました。川崎市民ミュージアムというところに1年間で大体1万点ずつ作品が収蔵されていましたから,30万点を超えるような作品がストックされているということがあります。これは川崎市民ミュージアムのマンガ部門としてストックされていて,私の目からはそれは金鉱脈なんですが,まだ精錬されていない大変な量の鉱石の状況です。これを精錬すると大きな市場になるということを繰り返し申し上げています。そんな普段夜空を仰いでもなかなか目に見えてこないような星々がたくさんございます。ともかく漫画集団に代表される一コママンガが半世紀の間に完全にコミックの世界になったわけです。コミックであり,アニメーション,しかもそれはそれもジャパニメーションといわれるテレビアニメ中心の世界に50年で変わってきました。
 ですから,昨日京都国際マンガミュージアムに集まりました8,000人の観客と,それからコスプレイヤーは,ほとんどヒトコママンガのことなど頭の中にありません。皆,コミックの中のキャクラター,主人公になりきって衣装を自分でつくり,そこを着てボーイフレンドに写真を撮ってもらう。写真を撮り合って,それをまたネットに流すとか,そういうようなことをしているわけです。
 では,日本漫画家協会が今漫画集団を受け継いで完璧に機能したかといいますと,ここでもやはりマンガ家の集団だということでいろいろな問題があるわけです。性,暴力,差別的表現というようなものについて,漫画界だけではなくて,新聞の中の文言についても厳しくチェックされたということがありました。例えば部落といってはいけないとか,四本指といってはいけないとか,そんな言葉刈りのようなことが行われた時期があったのですが,そのときに社団法人日本漫画家協会は十分に機能しませんでした。それでは困るということで,石ノ森章太郎さんや私の世代,昭和12年,13年生まれあたりの者がマンガジャパンというものをつくりました。今その意思を継いで里中満智子さんをキーパーソンとして,国際マンガサミットなど国際的なつながりの中で表現の問題や漫画家の置かれている立場というものを見直して,お互い意見交換をし,それを文科省,文化庁に伝えていこうという活動をしております。里中満智子さんは現実に文化庁,文科省のたくさんの委員会の委員をなさっているというふうにお聞きしております。
 ところが,先ほどの図に戻りますと,光輝いて一番エネルギッシュなのはコミックマーケットやワンダーフェスティバルでありまして,ここはなかなか大学でも切り取れないエネルギーがあります。プロ作家から隔絶した状態のアマチュア作家というものが実はいるわけでありまして,これが巨大なエネルギーになっています。これを説明しているとまた大変なので,コミックマーケットと何かとワンダーフェスティバルとは何かというものをここに出してあります。ここではパロディや引用,これは引用といえば形がいいですが盗作であるとか,模倣といわれるような部分までが暗黙の了解のもとで成立しております。これを外国の研究者などが見ると,日本はなぜあんなものを許しているのかといって驚かれるのでありますが,日本の場合はそういったパロディーや引用にエネルギーがあって日本のマンガ,アニメの非常に力強い底辺を形づくっているのだという暗黙の了解がありまして,編集者もや作家自身もあまりそういうことに目くじら立てない。ときどきは注意されたりすることがありますが,あまり注文をつけない。しかし,一方では手塚先生の作品の中における黒人表現とか,その他もろもろに関して外からの幾つもの圧力がかかっている。そういったものを水面下でいつも処理をなさっているというようなことが実際にはあるのだということです。
 このようなパロディーや引用についての暗黙の了解についてもそろそろ大学で取り上げて,研究を始めなければならない。なぜ日本のマンガが特に目立つのか。世界中に優れたマンガがたくさんあるのに,なぜ日本のマンガ,アニメだけがこれほど取りざたされるのか。フランスに行ってジャパンフェスティバルというような会に参加いたしますと,フランスのマンガオタクが自分たちで企画して日本のマンガ・アニメというものを展示しているのですが,3日間で8万人とも,10万人ともいわれるような人たちを集めて,日本の底辺の文化に興味を持つ。コスプレもやるし,マンガの中で囲碁をやっていれば囲碁,「ヒカルの碁」のマンガを見て自分たちも囲碁を打ってみるという形で影響されていくというようなことがあるわけです。
 最近の非常に特徴的なエピソードを申し上げますと,京都精華大学が先行的にマンガをあつかっていたために,京都市も盛んにいろいろ注目なさって,例えば医療問題とか,それから人権問題とか,そういったところにマンガを活用して,市民の方の注意を喚起を行う動きがあるんです。環境問題も具体的にこういう問題があって,こういう内容が,こういう形で注目され,解決されようとしているというようなものをマンガで書く。最近では京都大学のキャンパス案内を漫画でつくりまして,今年の秋にはそれが本になります。皆さんご存じのような万能細胞の研究室とか,類人猿研究所でチンパンジーの瞬間認知能力のほうが京大生よりも高いとか,そのようなことを京都大学の学生が取材をしましてそれをマンガにして,竹宮恵子教授がそれらをまとめて一冊の本にするという企画もあります。これは尾池総長からの発案であり,京都大学がそれを受けて本にするという非常に象徴的なものであります。今まで京都大学とマンガというものが恐らく対極にあった。一般市民の目から見れば一番遠いところにあったと思われるようなものがつながりまして,実際に両者で成果物をつくりつつある。
 これは海外のマンガが絵画的であるのに対して,日本のマンガは非常に文字性が高い。これはマンガミュージアムの館長であります養老孟司さんの論とも非常に一致しております。養老さんは,漫画はルビのある漢字です。あれは漢字なのだというふうに言い切っております。私も同じ年の70歳でありますが,私は饒舌な象形文字,おしゃべりな象形文字と言っているのですが,その文字性が高いためにヨーロッパの絵画性の高い漫画作品よりも非常に説明的でわかりやすく,どんどん読み進むということができるという性格を持っているために,アートとする前にそういった伝達力というもので勝負をしているのだというふうに考えております。こういったものが非常に多様な日本の漫画というのを生み,育て,整理しても整理し切れないような,それこそ星くずのようにたくさん散らばっている資料となってきまして,それを研究者は何とか切り取りたいと思うのですが,実際にはつかみ切れないというような状況にあります。
 マンガミュージアムができたおかげで,ただ,読書とか絵画とかいうものの中にもう一つ臨床心理研究のようなものが付加されて,これからはなぜあれだけ大勢の大人が芝生の上に本を積んで読んでいるのか,子供たちは階段に座ってあそこまで熱心に読んでいるのかということについて,これからの研究とともに,漫画の新しい面が見えてくるんじゃないのかなと感じています。

○浜野座長

 それでは,引き続き松谷様から20分ほどご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○松谷

 資料4ですが,これは日本動画協会が,この1年間でやってきたことというようなことをまとめてあります。
 その前に,最初に,今,牧野先生からこの50年間でコミックが大きく発展してきたということをおっしゃっていましたけれども,今,コミック界がここ50年間で最大の岐路に立っているんじゃないかと思っております。少年マガジン,少年サンデーが来年で創刊して50年になるんです。しかし,ここ数年でがたがたと部数が減ってきています。週刊誌でなくなったものもございますし,要するに紙媒体といいますか,出版全体がちょっと不況になっていることもあるでしょうけれども,特に漫画は不況にあると言えると思います。一時期週刊少年ジャンプは毎週600万部売れていたのが,今やその半分以下という状況です。もっとも子供の数から数えたら3分の1近くになっているわけですから,それも当たり前かなというふうに思いますけれども,どちらかというと大人も対象にしたような状況に漫画雑誌はなっています。そういう意味では激減はしております。
 それから,アニメの世界もそうです。アニメも実は3年ぐらい前からかなり状況は悪くなってきております。一番状況が悪いのはテレビアニメです。テレビアニメは恐らく3割ぐらい減ってきているのではないかと思います。それもこれもネットの社会になりつつあって,みんなそちらに興味が奪われるというような状況のせいかもしれません。ただ,テレビに関していえば,若干社会全体が不況だからスポンサーもつきにくくなっているというような状況もないことはないとは思います。今,アニメ界はそういう状況でございます。
 国が最近はたくさん作家を応援してくれています。ここに書いてあるのは,まず経産省がアニメ界は人材が不足している。人材育成を何とかしなければいけない。こういうようなことをおっしゃっていただいて,一つの制度をつくって2年前からやっております。大学や専門学校がアニメ学科をつくったりして,雨後のタケノコのごとくあちこちででき上がったのですが,結局そこを卒業したからといってアニメーターになれるかというと,とてもではないけれども,そのまま全部受け入れるプロダクションはないです。本当に厳選された人間が来て,それも非常に貧しい仕事環境の中で仕事をしなければいけないというような状況ですので,アニメーターばかりではなく,地球規模でものを見られるプロデューサーも育てなければいけないのではないかというようなことで,そのようなプロデューサーを育成しようという動きも今見えてきております。
 先ほど言ったようにネット社会になってネットマーケットが結構主流になってきています。今や漫画でも,うちの漫画でもそうですけれども,小さな携帯でも平気で見られるし,それをまたなおかつ動かして見せるとか,そんなようなことになっていて,だんだん媒体自体がボーダーレスになってきている。僕らは,30年ぐらい前までは,要するにテレビで見せるものだからこういうアニメーションをつくろう,劇場だったらこうであるとか,ここの媒体にかけるからこういうものをつくるという考えで作品を制作していたのですが,今やそれがどれでも一緒になってしまったように感じます。見る側の目がなくなってきたというか,つくり手もそういう感覚を持つようになってきてしまっている。そんなところ自体からまず変えなければいけないのかなという気がします。
 今,海外で結構売れていますので,そういう意味で,東京都が8年前からアニメのマーケットをつくろうという話がありまして,それを8年間続けて,とうとう今年の3月の東京国際アニメフェアは16万人来ました。世界からもブースがかなり出まして,そういう意味では評価はどんどん高まってきているのですが,10年,20年前に我々海外に行ってフィルムを売っていました。日本のアニメーションは結構売れる。そのくせ,フランスのカンヌに行ったり,ニューヨークに行ったり,あるいは香港に行ったりしてマーケットが開かれるとみんなで行っている。これはおかしいのではないか。日本の作品が一番売れているのに日本で市場がないというのはおかしい,というような声が高まってきたときに,ちょうど東京都からそういう話があって,それではぜひやりましょうということでやり始めたわけです。それが海外からもかなり評価を受けるようになってきております。
 それから,アニメの教科書,これも人材育成につながっているのですが,東京都でもアニメの教科書づくりをしようという話があります。アニメの教材の典型的なものがないじゃないか,現場の人たちにつくってほしいというので,我々はそんなものをつくってもみました。
 杉並区に杉並アニメミュージアムというのができました。これはアニメーションを子供から大人まで,ファミリーで楽しめるようなミュージアムをつくるということで,それの運営を全部任されたのが動画協会でございます。もう4年目を迎えて,鈴木伸一さんというアニメのベテランアニメーターがずっと館長をしていただいて,比較的入場者数も減らずに推移してきております。少しずつ海外のお客様もふえてきています。
 それから,東京アニメセンターというのが動画協会が入っている秋葉原のUDXビルという大きなビルにの隣りに開設しまして,これはコンソーシアム組織なのですけれども,そこが運営しておりまして,これは赤字ではありますけれども,世界に日本のアニメの最新情報を発信しているというところでは非常に貴重な存在でして,海外からもたくさんのお客様が来ています。これは秋葉原の集客の力といいますか,それも相まって非常に盛況であるのですが,無料で開放しておりますので,なかなか運営すること自体が難しくなっております。日本のアニメ全体を海外に紹介するというところでは大変な役に立っているのですが,みんなの資金で運営されているものですから,四苦八苦しながらやっております。
 その次,漫画やゲーム,CGアーツやメディア芸術の他分野との関係・つながりということです。特に動画協会に入っているアニメ制作会社というのは,どちらかというとテレビアニメが主体なものですから,漫画と切っても切り離せないぐらい密接な関係があります。漫画原作をそのままアニメ化する。もちろんオリジナルもたくさんやっているところもありますけれども,漫画原作をやるのが一番,テレビ局も漫画の原作でそれがヒットしていさえすればアニメにしたら必ず受けるというのが,視聴率が見えているものですから,大体そういう企画が通っているというケースが多いです。
 日本の場合はアニメ制作費というのはほとんど右から左へ通過していくような感じです。その間関わっている最中皆が食べられるわけだから少しは残っているのですけれども,そのほかに二次利用という形で,第一順がテレビで放送されるとすれば,DVDになってみたり,海外で売れてみたり,そのフィルム自体の二次利用と同時に,これが大変大きいわけですが,キャクラターの二次利用,キャラクターライセンスビジネスといいますか,版権,我々はマーチャンダイジングと言っていますけれども,これが大変大きな収入になっている。そうなると,どうしても視聴率が取れないといけない。もちろんすばらしい企画をつくらなければいけないわけですが,それがマンガである程度成功していますと非常に売りやすくなるというようなことで,アニメーションの場合はマンガは非常に近くにあります。もちろん,ここに古川タク先生がおりますけれども,後ほどそちらのアニメの世界の話もしたいとは思うのですけれども,今,主にテレビアニメのお話をさせていただきました。
 ゲーム,これもやはりどちらかというとコミックスですから,ストーリーがある。ストーリーがあって,キャラクターがかわいいということになれば,ゲームとの関連性というのはものすごく近いです。すぐにゲーム化しやすい。落としやすいということです。
 あとは,うちでも今川口にあるNHKのアーカイブでCGを開発していろいろ研究はしているんですが,先だっての宮崎駿監督のポニョみたいに,オール手書きでやったらそれがむしろとてもいい味で,子供もなじめている。日本の場合は,意外と平面的なものが受け入れやすいというか,それになれ親しんでいるというか,特にCGで立体的に見せるというようなことをしなくてもよい。その証拠にアメリカなど海外から結構コンタグラフィックスで立体的なキャクラターがきますけれども,それのマーチャンダイジングというのは意外と伸びていない。日本の場合は比較的セルアニメーションの二次的なキャラクターのほうが受け入れやすいのかもしれません。
 今,アニメ分野における人材育成の状況と書いてありますので,これをざっと読みますと,アニメ業界における人材はプロデューサー,プランナー,アニメーターの育成が課題である。アニメーターだけではなくて,プロデューサーやプランナーが必要である。それからアニメーターについては前述の対応を踏まえて,アニメーターの適正な流動化のための評価基準と技能向上に向けて,海外アニメーターも視野に入れたアニメーター技能評価検定試験を検討することを行っています。一度検定試験というものはやったのですけれども,これはどうも標準的ではないので,今年またやるんですけれども,それをぜひごらんになっていただきたいなと思います。
 産学官の横断的な連携・協力が不可欠であり,上記人材の育成システムの構築を検討しています。首都大学東京とのジョイントを模索して今動いています。専門学校や大学が漫画学科,アニメ学科を作っているわけですが,うちにも新入りでアニメーターは来ますけれども,3年,4年育ててやっと一人前になったかなと思うといなくなるというような状況です。うちの場合はなかなかいなくならないのですけれども,比較的移動していってしまうというケースが多いです。だから,学校などは行かないでむしろそのまま入ってきて,現場で仕事をして覚えていったほうが早いのではないかなという気がします。むしろアニメ学科で4年間でやれるかやれないかの見きわめがつくためにやるのがいいかなという感じがしないでもないです。教えるというのは本当に難しいのではないかなという気がします。
 アニメ学科や漫画学科をつくっても,出来れば一般教養ぐらいは勉強させたほうがいいのではないかという気がします。私どもも法学部を出たら法律関係のことをやるのかといったらそうではなくて一般のところに流れるわけですし,経済学部を出たからといってみんな社長になれるわけではない。そういう意味では,アニメの学校,アニメ学科というので専門的に考えないで,普通の大学がアニメ学科をつくるのだから,ぜひ最低限の勉強をさせたほうがいいというふうな気がいたします。
 この検討会に期待することということで,アニメ国際会議の一環で検討している「アジアアニメーション協力機構」構想の推進ですが,今,国際交流基金やJETROの協力を得て進めております。海外に向けてというのは,もちろん市場としての海外を見なければいけない。もう車の時代ではなくてアニメーションや漫画を海外に売ってもいいのではないか。よいものだったら売れるのではないかということで,経済的な売り込みというか,マーケットとして海外を考えるということは絶対にしなければいけない。というのは,国内だけだと,最初に言ったようにアニメも漫画も右肩下がりになっています。
 海外に向けて発信することは日本国内の市場規模がどんどん縮小されている現在非常に重要です。アニメはお金イコール質というところにつながるケースが結構多いです。マンガだと意外と自分一人で全部完結できるからあまりお金は関係ない。でも,アニメーションというのは,例えばお金がなければ枚数をけちらなければいけないとか,動きもちょっと抜かしてやる。そんな感じで動きが鈍くなるわけで,いろいろなことにゆっくり時間をかけてやるということもできない。そうなると質の低下に陥るということで,できれば国内だけではなくて海外の市場を見据えてやっていかないといけないと思うので,国際的な交流をどんどん行うことは必要だと思います。僕たちも市場開拓ばかりではなくて,海外との国際交流が必要不可欠ではないかということで,半分お金にならないことを今結構一生懸命やっています。特に中国は今国策でアニメや漫画に取り組んでいます。十何カ所かに基地をつくれという国のお達しがあって,あちこちでイベントを行われていますが,その都度日本から来てくれと言われて行くわけです。講演など色々するわけですけれども,正直何の足しにもなっていないです。交通費ぐらいは出るけれども,行って,日本のアニメが売れるかといったら,むしろ向こうは市場が閉鎖されていて,ゴールデンタイムでは日本のアニメは年間何本と決められて,どんどん間口が狭くなっています。そのくせ日本は大先輩でいい作品をたくさんつくっているからぜひ来て指導してくださいと言われて行くわけです。
 こういうことこそ,国の場合どこが中心になってやるのかわかりませんけれども,もっと門戸を開放しなさいということを少し交渉していただきたいと思います。僕らは僕らでやっていますけれども,なかなか国の中心部まで声が届かない。だから,そうなると根気よく一生懸命僕らはこれだけのことをしているよということを続けていかなければいけないのかなと思っておりますけれども,現状というのを国もよく把握していただければと思います。アニメなどは本当に今テレビ界から締め出されている状況です。
 もちろんいいアニメではなくて悪いアニメだから入れないというのであれば僕らもわかりますが,明らかに子供たちが喜んで,すばらしいと思ってくれているにもかかわらず入らない作品がある。入らなければ海賊版が出回るという結果になるわけです。海賊版対策というのはモグラたたきみたいなもので,しょっちゅうクレームをつけっ放しです。
 もう一つは商標登録です。商標登録でひどいのは「手塚治虫」という商標登録があるんです。あげくの果てに「クレヨンしんちゃん」というのでは商標で負けたりしたんです。あれは結果,全部戻ってきたみたいですけれども,それにしてもそんなことが平気でまかり通るようなところなので,情報を密にしながらやっていかなければいけない。そういう意味では中国とは僕らアニメ業界は一生懸命交流をしています。
 石川さんがいらっしゃるけれども,Japan国際コンテンツフェスティバルというのも経産省の応援でやっております。このJapan国際コンテンツフェスティバルのオフィシャルイベントとして「JAM」というのがあります。ジャパンアニメーションメディアミックスみたいな感じで,おもちゃ屋さんとか,本屋さんとか,ゲーム屋さんとか,そういうような類のドッキングではなくて,全く新しい分野の企業がアニメーションを応援してもちゃんとペイできるようなそんな場をつくろうということで,今動画協会がやっております。
 実は今年の夏は2年に一回の頻度で行われる広島で広島アニメーションビエンナーレ,広島国際アニメーションフェスティバルがありました。これは二十数年続けてきていて今年で12回目です。このイベントは広島に行くと新聞にもいっぱい出てくるし,大々的にやっているように感じるのですけれども,東京の新聞を見れば一つも出てこないです。「国際」という名前がついていて,本当に世界中からアニメーターは来るわけですが,どちらかというとアートの世界のアニメーターが多い。これは国際アニメーション作家の協会が運営をしていて,日本の支部が一生懸命やっているわけですけれども,これなどを見るととてもいいアニメーションがたくさんあるのです。
 そういうアニメーションを日本の子供たちにも見せたいなと思うのですけれども,そういうのは日本のテレビ局が全然買ってくれないんです。日本の我々が一生懸命おもしろいものをつくっても今買ってくれない状況ですが,親として考えたときに,僕が20年ぐらい前に小さい子供がいたんですけれども,そんな子供にぜひこんなのを見せたいなと思うのです。そういうのを小さいころから見せていればそういうアニメもあるのだとわかると思います。僕はテレビアニメを作っていながらテレビアニメを批判するわけではないですが,テレビアニメはテレビアニメでとてもいいものですけれども,そういうアニメーションもぜひ見せたいと思っています。そのようなアニメーションもNHKが辛うじて少し買っています。なので,文化庁などがそのようなアニメーションをまとめ買いして,各学校に配布するして見せる機会を与えるべきではないかと思います。
 むしろユーゴスラビアなどの共産圏でははものすごくよいアニメーションがあって,そういうのを子供たちが見ているのです。なおかつ日本のアニメーションも見られる。そういった国の子供たちのほうが,ことアニメやマンガに関していえばみる環境が整っていてすごく幸せなんじゃないかと思います。日本の子供たちというのは,テレビで放映されるアニメーションぐらいしか見ていない。もっと本当にすばらしいアニメーションがたくさんあるので,そういうアニメーションを見せられるようなことを考えたほうがいいのではないかと思います。文化庁の事業に大体300本ぐらい申請があります。そういうのを全部見るというのもいいと思います。ぜひそういうアニメもあるということを知っていただきたい。
 先ほど京都大学の話が出ましたけれども,京都大学は小松左京さんが出身です。あの人が最初学生でデビューしたときの五十数年前の記事を読んだことがあります。今のマンガはひど過ぎる。京大生がマンガに挑戦するということを,小松左京さんが最初にどこかで連載したんです。そのときの記事です。だから,マンガというのはそういうふうに思われていたし,京大生というのはそういうふうに思われていたんです。

○浜野座長

 それでは,最後に阿部様から20分ほどご説明いただきます。よろしくお願いいたします。

○阿部

 それでは,お話しさせていただきます。
 まず,メディア芸術の拠点とは何かというところですけれども,拠点になり得るものというのは,例えば学校だったり,団体だったり,あるいはフェスティバル,イベントであったり,あるいは美術館とかミュージアムだったり,いろいろなものが拠点になり得ると思います。ご用意したこの分厚い資料ですけれども,平成16年度に文科省の科学技術制作提言調査というのをCG-ARTS協会でさせていただきまして,その中でメディア芸術関連の日本と海外のいろいろな団体を調べました。その一覧がこちらになっています。
 まず教育機関からまとめています。北米の教育機関,欧州地域のメディアの教育機関,その中にはMITとか,有名なメディア系の学校もたくさん入っていると思います。424ページのところを見ていただきますと,フランスのシュパンフォコムとか,デジタル映像研究所,国際漫画映像センターなどが入っています。
 次の425ページからはアジアです。アジアにおいてもこのメディア芸術分野についての学校がすごくふえていますし,既存の学校でもアニメ,漫画,メディアアートという領域に非常に力を入れています。例えば,北京の東京芸大のような存在の中央美術学院においてはメディアアートに非常に力を入れていますし,清華大学おいても,理工系の立場からメディアアートに力を入れています。
 そのページの下から2行目は国立ソウル大学が載っていますけれども,ソウル大学においては,サイエンスと表現というのを文理融合してやっていこうということを先日大々的に発表しておりました。メディアアートも非常に重要なポイントとして押さえておられます。
 次のページの426ページを見ていただきますと,インド,シンガポール,タイ,フィリピン,マレーシア,こういった地域,ASEANでもメディアアート,メディア芸術に関する学校がたくさん立ち上がっているということをご認識いただけるのではないかと思います。
 そのページの真ん中からが関連施設,組織をまとめています。有名どころとしてはニューヨークのアイビームとか,ワシントンにある911メディアアーツセンターなどがあります。
 ヨーロッパのメディア芸術関連の施設・組織がありまして,ヨーロッパには非常にたくさんメディアアートのセンターがあります。428ページをご覧いただきますと,上から3行目,前回の会議の中でもお話しさせていただきましたアルス・エレクトロニカ・センター,オランダのISEA,V2,ハンガリーのC3,フランスのアングレームにある国立漫画映像センターなどなどあります。メディア芸術,メディアアートの領域においては,ヨーロッパはいろいろな国で非常に力を入れてやっています。
 実は,つい先日,ラトビアに行ってまいりました。ラトビアでメディア芸術祭を紹介してくださるということで上映イベントが2つあったので行ってきたのですけれども,ラトビアという91年に独立したばかりのああいう非常に小さな国においても,新しい文化,新しい芸術を自分たちの手でつくっていこうということで,小さいながらも新しい文化を生み出す施設というのを持って頑張っておられました。
 次のページがアジア,太平洋地域をまとめています。この中では,お隣の韓国のアートセンター・ナビなどが10年ぐらい前から積極的に活動されています。
 韓国においてはソウル市の中心地にソウル美術館というのがあります。現代美術から伝統的な美術まで扱っている美術館だったのですけれども,2002年にリニューアルをしてからは非常にメディアアートなど新しい領域においても非常に積極的に取り組んでおられます。メディアシティソウルという2年ごとに開催するメディアアートのフェスティバルもソウル美術館で開催されています。
 ここに載っている以外にも,既存の美術館がメディアアートなど新しい領域に取り組むという例がたくさん見られます。
 430ページからはフェスティバル関係をまとめていますけれども,これは割愛させていただきます。
 1枚もののレジュメに戻りましてお話をしてまいります。先ほど牧野先生から,日本のマンガは50年間で一コママンガからストーリー漫画に一気に変わってしまったというお話がありました。松谷社長からは,マンガも今はネットに移っていっているというお話がありました。海外のメディアアートセンターやメディアアートフェスティバルの方にいろいろ意見を伺っていくと,どうも彼らはメディアとか文化というのは変わっていくものだという認識をすごく持っています。どうせ変わっていくのだったら,その変わっていった段階でいかに自分たちがイニシアチブをとるかということを考えているようです。メディアが多様化してどんどん変わっていくのだったら,その中でやはりいいポジションに自分たちをもっていきたいと思っているのです。また,その中で自分の国の文化というものをちゃんと守っていきたいということが非常にあるようです。そのためにメディアアートセンターなど今ここに載っているようなセンターをつくったり,あるいは学校でそういった領域のことを研究しています。
 今は日本のアニメ,マンガ,ゲームが国際的な評価を受け,非常に盛り上がっているけれども,50年後,100年後は自分たちがそのポジションをとるぞという意気込みです。単純に作品を研究しているだけということではなく,文化というのはそもそも変わる,変わるんだったら自分たちでその領域を開拓し,自分たちでつくって,作家もクリエーターも自分たちの国から生み出していこうというような考え方です。
 日本においては手塚治虫先生という偉大な方がいたので,今のアニメ,マンガ,ゲームが盛り上がったといっても過言ではないと思うのですけれども,いつ,どの国で,手塚治先生のような存在が生まれるかもしれません。または,手塚治虫先生のような方がいたから日本の今がありますけれども,これから日本が今のポジションを維持するためにはどうしたらいいのかということは,実は海外のメディアアートセンターの例などを見ながら研究し,学ばなければいけないと思います。
 ここに書いているセンターはいろいろあります。やっていることはそれぞれの組織によってやり方も違います。展示,イベント,記録,アーカイブ,調査研究をいろいろな立場でできることを工夫しながらやっているという状況です。
 行ってきたばかりなのでアルス・エレクトロニカのことを最後にお話しさせていただきます。アルス・エレクトロニカというのは,もともと施設としてのアルス・エレクトロニカ・センターがあったわけではありません。アルス・エレクトロニカはオーストリアのリンツという小さな町にあります。鉄鋼の町でした。ヒットラーはリンツの鉄で戦車をつくったりしていましたが,今日では鉄鋼産業はどんどんアジア勢に押されて衰退していっています。これからの新しい産業は何であるのかを考えたときに,これからは電子芸術だろうということをレオポルドさんという方が提示されて,79年にフェスティバルとして始まりました。まずフェスティバルが立ち上がり,しばらくフェスティバルが開催されますと,コンテスト,アワードがあるといいなということになり,87年からはPRIX Ars Electronicaコンテストが始まりました。コンテストも世界規模でどんどん成長して,常設的に研究活動する場所が必要だということで,ようやく96年にアルス・エレクトロニカ・センターというのがリンツ市などから支援を得て開設されました。
 そのセンターも手狭になり,現在,改築工事を行っています。2009年1月にリニューアルして大規模なものに建てかえられる予定です。
 フェスティバルがまず始まり,その後コンテストを開催して,最後に拠点としてのセンターができた事例です。アルス・エレクトロニカ・センターで行っていることは,非常に地域と密着していまして,地域の人たちへのIT教育,メディア教育というようなこともアルス・エレクトロニカ・センターが担っていたり,企業との受け皿の役割をしています。よく産学共同で何かやろうといわれますけれども,やはりそういうことをするためにはセンター的なものが必要なわけです。仲人さんのような存在が必要で,そのような役割も非常に積極的にされていて,メディア芸術のための新しい技術開発も企業と大学と提携してやる。その受け皿をアルス・エレクトロニカ・センターがやっています。
 これ以外にもいろいろありますけれども,メディア芸術プラザというWebサイトにもこういったことをいろいろ載せておりますので,ぜひご覧になってください。
 私からは以上です。

○浜野座長

 それでは,ただいまの3人の先生方のご説明,ご意見を踏まえまして,意見交換を行いたいと思います。国際的な拠点という視点で意見を収斂させていきたいと思いますので,ご協力よろしくお願いいたします。

○中谷委員

 NHKの中谷と申します。よろしくお願いいたします。
 今,3人の方々がお話しされた内容,非常に興味深く拝聴いたしました。その中で,私が日ごろ思い悩んでいることといいますか,考えていることがございまして,松谷さんからは,いわゆるテレビのアニメーションとアートアニメーションの関係のようなもの,それから漫画というものをメディア芸術の中でどういうふうにとらえるのか,そして私たちにとってはアニメーション,映像というものをメディア芸術の中でどういうふうにとらえるのかが,中心になっていくわけですが,日本のオリジナリティーを考えたときに,漫画は外せないと考えております。そのような中で,いかに国際的に打って出ていったらいいのかということは,すごく重要なテーマだと思っています。私自身もデジスタという番組を行っているんですが,どうしてもメディアアート,先ほど阿部さんがおっしゃったメディア芸術という中のすごく狭義な部分にメディアアートというジャンルがある。誤解されてしまうのですが,日本でいうメディア芸術祭のメディア芸術とメディアアートとは違います。どう違うのかはまた追ってお話ししたいのですが,様々なところで食い違いが出てきてしまい,なかなかうまく話がかみ合わないという状況になっています。
 先ほど阿部さんがおっしゃっていたアルス・エレクトロニカが展開しているようなメディアアートの世界というのは非常にマイナーな世界で,私の番組でも大体7対3,映像が7でメディアアートが3ぐらいの応募しかありません。そのぐらいのシェアです。当然,我々が地方でイベントを行っても,漫画とメディアアートの2つをたいていペアでイベントを行うのですけれども,漫画業界の関係者が700人来たとしたら,メディアアートの関係者は100人しか来ませんでした。そういった状況であるため,カップリングして,お互いによさを売り込んで,興味をあおっている現状があります。
 この企画も,漫画という,国際的にすごく知名度が高いムーブメントに,ある意味メディアアートの分野も利用させていただく一方で,漫画もメディアアートのような常に革新しているテクノロジーによってつくられる芸術というものをうまく取り入れることによって,世界に類のない展開になるのではないかと思いながらお話を伺っていました。
 ですから,ぜひ日本独自のメディア芸術としての解釈を,メディアアートとの違いも含めてお話し合いをさせていただければと考えてお話を伺っていました。

○松谷

 世の中には,結構かたくなな人がいます。例えば広島のお祭りでは,「いろいろなジャンルが入っていいのではないか。アニメだったら何でも入れてもいいのではないか。ただし,日本の恥ずかしいものは出せない。アートのアニメだけに限る。」とされていました。今年初めて,手塚治虫80周年ということで,例えば「タッチ」の杉井ギサブロウさんや富野由悠季さん,りんたろうさん,高橋さん,出崎統さんの計5人の監督を広島のお祭りに全員連れていったのです。そんなことは初めてです。40年以上やっている監督がそのようなお祭りにみんな初めて行くのです。
 テレビアニメのアニメーターはやってきたのはおれらじゃないか。人気が出たのはおれらがやっているからだろう。そういう意識があるのです。だから,一緒にやろうといっても非常に難しいです。

○牧野

 恥ずかしいと言うのは,何かこれが特別だから,一番上にあるんだという,しっかりした基準があって恥ずかしいと言うのならいいのですけれども,自分のテリトリーと違うから恥ずかしいということなのです。現在,小さな大学ですが,美術大学の中にいて,従来油絵,日本画,彫刻といった,アートの中心分野がありましたが,メディアアートというのはそこの中に入れなかったものです。漫画は,アートといっても入れなかった最たるものです。なぜ入れなかったのかということをつぶさに体験してきたわけですが,確かな理由があるわけではないのです。私から見ると非常に低次元な,お師匠さんのお弟子さんの取り合いみたいなところで,恥ずかしい。自分の目にかなわないものは恥ずかしいということになってしまうのです。それではいけないので,もう少し垣根を取り外すだけで随分しっかりしたものが見えてくるというふうに思っています。

○安藤委員

 僕は「アートらしいアート」もつくり,エンターテーメントもつくっているのでよくわかるんですが,今,中谷さんがおっしゃったように,作家のアプローチが違うのです。スタート地点が違っているから,どうしてもそこが一致しないのです。僕はアートから入って,アバンギャルドなものからスタートしたけれども,たまたまテレビ局というところにもいたのでやっていかなければいけないということもありました。ですから,松谷さんのところの手塚さんの映像,例えば「どろろ」みたいなものも一緒にやらせていただいたけれども,ハイビジョンが始まったときはオンボロフィルムみたいなアバンギャルドというか,言ってみればちょっと違う,メディアを壊していくような,メディアというもの自身を問うような作品も放送しなければいけないと思って放送したりしていました。
 恐らく,今,ちょうど牧野さんも松谷さんも,それから阿部さんもそうですが,ちょっとメディアというものがある種,アニメーションや漫画,今,すごく日本として力のあるフルジャパンと言われているものに特化されていて,また阿部さんもある種,デジタルとか,エレクトロニクスを使ったメディア芸術にされているけれども,僕はたまたまエレクトロニクスを使ったフィルム作品をつくったりしているものだから,ちょうどごちゃまぜになっていながら,どうしても映画が出てこないのです。
 ところが,恐らく,漫画も映画もアニメもCGアートみたいなものも,一緒にされたものがこれから新しい形として出てくる。特に松谷さんのお話を聞いていてうれしいなと思ったのは,一生懸命作家を育てようとされていて,今は受け皿がないからプロデューサーとおっしゃる。しかしながら,そのプロデューサーも引っくるめて物をつくっていこうという形のところが,つまりメディア芸術の国際的な拠点,「国際的な」と書いてあるから国際になるかどうかということもあるんですが,むしろ足場の中でメディア芸術家が一緒に,ストーリー性も考えれば,よりアート的なことも考える,技術的な部分も知ることができるし,ポニョみたいな平面の,どちらかというとアナログな形も含めていろいろな発想の人たちが一緒に集まれる拠点がまずあって,そこのところで力を,要するに日本の新しい何かがどんどん出てくる。今,クールジャパンといわれていて,日本の技術がまねされて,流出して困るけれども,その前にこっちから打って出ようというので,どんどん新しいものが出ていけるのではないかと思うのです。
 漫画というのが,どこが外国の人の漫画と違うのかという部分において,恐らく,そこの根底には日本人という何かがあるわけだし,それを生かせるような,よりいろいろな部分を,ストーリー性があるもの,ないものも含めて,そういうような拠点がまずあり,そこのところで新しいメディア芸術が生まれながら発信していけると思うのです。
 もちろん外国の方は日本の発信拠点に来て日本のよりベーシックなものを学んで持ち帰り,それがより日本というものを知らしめてくれれば,それはそれでよろしいでしょう。経済的にもそれが日本に恩恵をもたらしてくれるならいいだろうと思いますけれども,今日,日本国内のいろいろな大学にそういうものができてきているけれども,本当にそれでいいのかどうかも含めて検討が必要ではないかと思います。
 僕も大学で教えているのですが,松谷さんがおっしゃっているとおり,受け皿がないし,どういうふうに,要するに何をつくるかということが,課題であるように思います。どうつくるかという,つくり方の技術は大学で教えられるのだけれども,一番大事なのは何をつくるかで,どういう人間を育てて,その人間が持っている能力をどうインスパイアしてあげられるかというところの教育が一番大事なのです。それが教育だけではなく,拠点というところがそういう機能を持てば,より強いものになるんじゃないかなという気はします。
 僕はアニメーションもつくりましたけれども,本職は映画ですが,漫画もおもしろいと思うし,アートも非常におもしろいと思っていますけれども,それらはどれがどれ,これがこれというものではない気がしています。手塚さんはみんなつくっていますし,恐らく,今生きておられたら何つくり出すかわからない。そういう人を育てていけるのではないかと思うのです。そういう拠点を考えたらどうでしょうか。国内に対しても何か発信できるような拠点です。

○浜野座長

 補足すると,日本のアートというのは,安く一般の人が買える,ピカソみたいなアートではなくて,複製表現かハイテクを使った新しい試みの2つが特徴だと思うのです。

○安藤委員

 映画が。

○浜野座長

 いえ,映画はではなく,複製表現として。

○安藤委員

 プリントできるからですか。

○浜野座長

 複製芸術というか,そういうのは一緒にやっていかないと,媒体が変わると表現自体が変わってしまう。先生のご指摘のとおりだと思いました。
 ほかにいかがですか。

○古川座長代理

 今,お三方のお話とか,いろいろ伺っていまして,自分はこの資料3の星座の中で,牧野さんと僕は漫画集団ですから,そんなところから始まって,ずっと学校にいたのに,まるで自分の歴史を見せられているような感じでこの星座票を見てきました。
 今,安藤さんからお話があったように,僕ら,またちょっと昔に戻ってしまうのですけれども,昔草月会館という場所があって,そこで毎晩,きょうはダンスをやって,あしたはナベサダがジャズをやって,次の日はアニメーションをやったりしていました。当時は60年代ですから,そんなに場所がいっぱいなくて,若者たちは夜そこに来れば何か新しいものをやっているというので,カメラマンの卵から,それこそ漫画家の卵から,みんながそこに押しかけていた時代があるのです。そこでいろいろな人たちとも当然会って話をして交流していましたし,結局今になってみて,例えばさっき松谷さんがおっしゃった,今監督しているアニメーションの人たちも実は昔草月会館で同じものを見ていたんだという,共通体験があるのです。
 その後映画監督になった人もいれば,カメラマンになった人もいれば,デザイナーになった人もいろいろいるのですが,当時はいろいろな人が出会える場があった。以前,トキワ荘と言ったような気がするのですが,もうちょっと広い範囲のそういう交流の場みたいなものがここにきて必要ではないのかと思います。

○浜野座長

 今そういう場はないのですか。

○古川座長代理

 今は,みんな少し分野が違えば,例えば演劇のことは全然わからない状況になっています。

○牧野

 京都国際マンガミュージアムは平成トキワ荘を目指したのです。汚くていいから,小学校の昔のままでいいから,寝袋でみんな寝て,朝がきたらみんな何かやっているというのでいいからと言っていたら,きれいにしてしまった。きれいにしてしまって,結局研究者のとりでになってしまうのです。研究も必要ですので,それはそれで悪くないのですが,もともとのトキワ荘というのは,シャワーもなければ,何もない。赤塚なんかは,食器の洗い場のところに上がって体を拭いていました。そういうところから今の日本の漫画というのは生まれてきたのですから,本当にそんなにぜいたくな拠点でなくてもいいんです。確かに,今はそんなことはできないと思いますが,昔の草月会館がそうであったように,重要なのはどなたかがそこにいるのかどうかです。NHKに中谷さんがいらっしゃるというようなことです。NHKという箱があっても,そこにだれかがいらっしゃらなければ動いていかないということであります。
 今,京都で何となく動きはじめているというのは,市長が熱心であったからです。漫画ミュージアムができた龍池小学校の校区の方であるとか,そういう非常に個人的な理由でそこが盛り上がっているというで,非常に幸運な出会い出会ったと言えます。しかも,河合長官が関西の方であって,関西にも拠点が要るとおっしゃったことなど,いろいろなものがあって,動いていく。今日1日8,000人が集まるというようなことになるんですが,その辺のタイミングが一致したことが要因です。

○石原委員

 少しゲームの話をさせてもらいたいのですけれども,今,アメリカで最も売れているゲームは何だと思いますか。ポケモンと言いたいのですけれども,ポケモンではありません。今一番売れているのはグランド・セフト・オートという作品です。それはどんなゲームかといいますと,要するに裏社会といいますか,闇の王になるためのゲームです。究極の暴力ゲームになっていまして,ゲームのコントローラー,3Dストックを動かして,自分のキャラクターを動かしていくのです。そうすると,主人公が,街で通行人とぶつかったりします。そうすると,肩でぶつかるとき,通行人をそのまま投げ飛ばします。そして落ちているもの,例えばこん棒であったり,あるいは掃除機の柄などを拾い,Aボタンを押すと相手をなぐるのです。次に,倒れた人から,ナイフとかを奪い,Aボタンを押すとそのナイフを持って横にいる人間を刺します。そして,車をとめてAボタンを押すとドアを開いて運転手を引きずりおろし,そしてそれに乗って暴走して,パトカーが来るというように,要するにプレイヤーが操作することすべてが暴力表現になるようにつくられているゲームです。それが今アメリカで最も売れている。

○松谷

 何というタイトルですか。

○石原委員

 グランド・セフト・オート,セフトは暴力,オートは自動ですから,完全自動暴力装置みたいなものです。
 私がお話ししたかったのは,メディア芸術祭に出品されたとしても,恐らく,そのゲームは暴力表現ということで選ばれないだろうと思います。私も牧野先生のもとで何度かエンターテーメント部門の審査をさせていただいている過程で,性表現,暴力表現,特にデリケートなものも多く,これはどうしましょうかという議論が出たものも多くありました。最終的にはだれか一人が「問題あるのではないか」と言ったら別のものにしようという歴史を感じましたので,そういう何を選んで何を選ばないかという視点で我々がフィルタリングするルール,そこの部分はすごく重要だなと思います。
 そこで牧野さんが書いておられる資料の3つ目,性暴力表現に関して疑問を投げかけておっしゃった方が,まさしくこういった性暴力表現,あるいはコミックマーケットを統一していること自体が一体どうなのだろうかということです。その解決なしにメディア芸術の国際的な拠点の整備を進めることは,地盤の検査なしに高層ビルを建てるようなものだというふうに指摘されていますことがすごく怖い。メディア芸術の拠点整備に関する検討会という意味では,非常に重要なポイントの指摘ではないかと思います。ここを我々がどう見るのかによって,何をして,何をしないのかということが決まっていくのではないかなというふうに感じました。

○さいとう委員

 今日はとても漫画のことがいっぱい語られていて,私も知らないことや,知りたかったことがいろいろ語られて大変勉強になっています。とてもおもしろく聞いてしまったのですけれども,私が日ごろ感じている問題点もいっぱい出てきました。例えば今のコミケの問題にしても,うちはアシスタントが7人ぐらいいるのですけれども,その中の4人がコミケに出品というか,作品をつくっています。私は彼らにコミケのスケジュールを聞きながら,コミケの開催日に喜んで出してあげるのです。というのは,彼女たちはうちで仕事をすることでもちろん収入は得ているのですけれども,それだけでは暮らしていけないので,コミケで商売をすることに自分の人生をかけていまして,商業誌でデビューするということは考えずに,コミケでとにかく自分たちの名を売るんだと,しょっちゅう相談して,今の売れ筋はどれだろうとか,しょっちゅうそんな話ばかりしています。
 そのことに対して,私は商業誌で漫画を書いているので,彼女たちが商業誌に全く投稿する気はなくて,コミケの世界で生きていくということに対してやはり少し残念です。もちろん,それで食べていけるならしようがないかという,あきらめモードではいるのですけれども,本当にこれでいいのかなとはいつも思っています。ただ,非常にコミケが力を持っている。そして,商業誌もかなりそれに影響されて押されている状況があります。
 商業誌が今非常に落ち込んでいて,この二,三年でかなり雑誌が減ると思いますし,私の仕事もどうなるのだろうと思っているところがあります。やはり携帯コミックに移行していくのではないかと思っています。ただ,携帯コミックになっていくと,今までの表現が使えなくなってくる部分もあるので,多分今漫画を書いている人はみんな大きな不安に陥っていると思います。
 でも今日のお話を聞いていて,私も薄々感じていたのですけれども,新しい漫画の表現が本当に今岐路に立っていて,もしかしたら本当に携帯コミックが主流になってしまうかもしれないのですが,そのときはそのときで,そこで見せる方法を新しく開発していったらいいじゃないかとこのごろは思っています。
 それがメディアアートとか,そちらと何か関連があるのではないかとか,アニメやメディアアートから何か吸収できるのではないかと意欲がふつふつとわいてきました。今日はすごく元気が出る会合だなと思って私は今喜んでここに参加させてもらっています。
 先ほど,拠点があって,そこに人がいてくれるといいというお話をされていましたが,確かに私などは漫画家個人でやっているのですが,何でここまで生き残れてきたかといったら,才能のある人はほかにもいっぱいいたと思うのですけれども,引き立ててくれる人がいて,出会って意欲をくれる人がいて,一緒に苦しんでくれる仲間がいて,そういう人たちに触れることによってまた全然違う分野の人に会ったりして,いろいろなことでエネルギーをもらって今ここにいるので,何か違う分野の人と交わりたいという気持ちは今すごく強くなっています。今回のこの国際的な拠点の中に何かそういうヒントになるようなものがあるといいなというふうに思っています。ただ,私自身は余り知識がないので,皆さんのお話をただただ興味深く勉強になるなと聞いている。何とかその中から何かすごいことを思いつかないかなと思いながら聞いております。

○松谷

 物づくりの人が意識を持たないで物をつくっている。実は動画協会の話ではなくてすみませんが,手塚治虫の作品を携帯で見られるようにしている。僕が,「こんな小さなものでやっても見えないだろう」というと,「ここに虫めがねがぽっと出てくる」と言い,うちだと僕一人が反対しているんです。手塚治虫があの漫画雑誌のあの大きさのために書いたものだと思うのです。こんなところで見せることに,手塚さんが生きていたら絶対に反対している。でも,これが結構売れているのです。こういうことをやることによって漫画にも関心を持つだとか,多少のお金になるからいいじゃないかとか言われます。僕が言われて一番弱いのは,手塚治虫の今まで触れていない人が触れるのですよとか言われると,ああそうかと思います。ただ,媒体が違えば,メディアが違えばそれなりの物づくりというのがあると思うのです。舞台は舞台,あるいは映像は映像,携帯は携帯でつくればいいのです。それぞれに合うものを別のメディアにもってくるから気に入らないです。

○安藤委員

 大賛成です。ハイビジョンが始まったときに,実は松谷さんのところからブラックジャックをいただきました。ブラックジャックはちゃんとそれ用につくられたとおっしゃっていて,確かに見てみたら引き目が多くて,ゆっくりと,カットも長かったです。だから,それをそのまま携帯で見たら引きが多過ぎるし,何かかったるくて,カッティングが早くなければいけないと思いました。もちろん,その大もとは大きな情報量でつくっておいてという方法はあるかもしれませんけれども,それが現実に可能かどうか。新しい表現がうまく生まれればいいけれども,基本的にはそれはわからない。だから漫画を原作にして映画をつくるのも基本は反対なのです。反対とはいいながら,いっぱい映画をつくっているのですが,ただ,違う方法がちゃんとできれば,映画なら映画でつくるべきです。手塚さんもそうだったけれども,きっと生きていらっしゃったら映画もたくさんつくられたと思うのです。実写の映画もつくられたのではないかとも思ったりもします。ちょうど50年代からだんだん映画がだめになっていったので映画のほうに才能がいかなくなって,その後の漫画にすごく優秀な方々が入られている方々で映画をつくりたい方々,押切さんや後藤さんにしてもみんな漫画から映画に来られたりされている。僕ももともとは演劇でしたし,そこからいつの間にか映画になっています。ただし,映画作家からというよりは,むしろ当時の武満徹さんだったり,谷川俊太郎さんだったりという方々に触発されました。そうすると,今,さいとうさんもおっしゃったけれども,ほかの分野の方たちがいっぱいいて,そういうのがメディア芸術と呼ばれるものではないかと思います。今,新しいデジタル技術を使った何かという形にどうしても行きがちであるけれども,基本的に人間の表現していくものはそんなに変わらないんじゃないかと思います。それをどう組み合わせてどういうふうに表現して広げていくかというと,いろいろな方と会って意見交換したときのだと思うし,そうするとおのずからこのメディアにこれは適当だとか,見えてくる。何にでも応用できて,何でも輸出できるんじゃないかと思ったら大間違いということです。ただ,それをうまく応用して,いろいろな形にできればそれはそれでいいと思います。

○浜野座長

 さいとう先生の関連で言うと,漫画というのは漫画ミュージアムとか,早稲田にある現代マンガ図書館で保存していますね。ただ,携帯の漫画とか,今はくずみたいなものと思っていても,映画だってできたときはただ実写,写していただけでも今だと歴史的な価値があるわけです。どこで保存して,気がついたら携帯の漫画はどこのだれも保存していなくて次の媒体に移るまでに消えてしまうのではないか。

○さいとう委員

 それは一応携帯だけでは食べていけないので,携帯で売れるとそのものは単行本として出しますというふうに出版社は今そういう形にしています。

○浜野座長

 ただ,売れない漫画はただ消えてしまうのみですか。

○さいとう委員

 それはわかりません。

○浜野座長

 だから,そういうものを残すとかしなくてはいけないと思います。では,松谷さんの関係のアニメーションは網羅的に見られる場所はあるのですか。

○松谷

 ないです。この間も文化庁の近代美術館の下のフィルムセンター,あそこで日本の最初のアニメが見つかったというので,それがようやく保存されましたけれども,すべて集めていくというのは必要だとは思います。

○牧野

 漫画ミュージアムにはちゃんと珍しく専従の研究員が何人かいるのですが,それでも30万冊をどうこれから整理してデータベース化するのかといったら,やはり大変なんです。しかし,そこで世界から集めた,さっき言った30万点の漫画は宝物なのですけれども,今だれも見向きもしないのです。それを精査してちゃんときちんと整理したら,そこから見えてくるものが必ずあるのですが,あるとわかっていてもそれにかかる費用とか,エネルギーを考えると,みんな敬遠してしまうのです。それを本当はやらない限りコンテンツ大国とか,拠点をつくるといっても仏つくって魂入れずになるのではないのかなと思っています。それには大変な資金とエネルギーが必要だということだけは確かです。

○松谷

 東京都がやり始めたのですが,予算が続かなくなった。中野新橋にビルがあり,そこへみんないろいろなものを持っていったのです。倉庫みたいになっただけの話で,それから次に動けないのです。

○浜野座長

 物はあるのですか。

○松谷

 ようやく集めようかということで,まだまだそれぞれの倉庫に眠っていたようなものが来たというだけです。

○石原委員

 僕がイメージする一番理想的な閲覧形態とかアーカイブというのは,今のグーグルのストリートビューが発展して,そして漫画ミュージアムに入って,中に入っていったら本が並んでいて,それを取り出したら全部読めるというふうになることです。そうすると,自分たちの知の財産が世界中で共有されるということになるんじゃないか。そういうことができる世の中にもうなっている。今,どういうものが拠点であって,我々が見たいものは何なのかというときに,10年後はそのあたりに焦点がいっているのではないかという気がします。

○浜野座長

 だから松谷さんはやりたくない,まだお金が儲かるのに。

○石原委員

 私はDSで出た火の鳥黎明編というカートリッジを買いまして,そのカートリッジを買うということは,まず原作の本を持っているが,より小さなものもちゃんと持っておきたいと思ってそれを買った。多分松谷さんがおっしゃるように,余計な表現とか,画面の切り取りとかしてしまうと,何でこんな漫画をずたずたにしてしまうのだろうというところもたくさんあるのですけれども,でもこっちはこっちで大もとを知っていると思い出しながら読めました。

○松谷

 そういう一度ちゃんともとの形をきちんと体験してくれていればいいのですけれども,手塚治虫はそんなつもりでつくったのではないのに,違う形で見られてしまうと,つくった人間にしてみると,これは別に金儲けの問題ではないのです。

○牧野

 ほとんど個人的な感覚で言うと,手塚さんのような,この作家に関して全部データ化するということは可能であっても,日本の漫画全体は,不可能だと私は実は考えています。ですから,そこにあっては消費されていく運命だというふうに割り切ってしまったほうが,むしろいいのではないかと思います。データ化をできるならやったほうがいいのですけれども,もうできないのです。つまり海のように広がってしまったので,かつてこれだけの池の魚,琵琶湖ぐらいだというのならいいのですけれども,世界中の海を全部調査して生物をデータベース化しようというのはできないと同じように,琵琶湖までぐらいなら何とかできる,この池なら何とかできるけれども,ほとんど不可能なぐらいまで広がった。できないという認識を持ったほうがいいのではないかと思います。できるという連想を持つと,途中までやったら大阪の文学館みたいに,箱そのものをやめてしまえというようなことを言い出し,全部無駄になってしまうのです。そうなるぐらいなら初めからこれはできないとした方がいいかと思うのです。皆さんがこれはとっておかなければいけないという作家とか作品は自然に残っていくだろうと思うのです。

○さいとう委員

 どこかでだれかがやっていてくれるときもあるし,私は基本的に自分の漫画がなくなっても平気なのです。自然に任せるという感じはよくわかります。

○林委員

 今日は漫画とアニメのお話を聞いて,私も知らないこともたくさんあって,要するに拠点というものが現在漫画でいっても京都漫画ミュージアムを中心に全国にこれだけたくさんあり,アニメの部分もまだ途中とはいうものの杉並にできたり,秋葉原にできたりされているわけで,そういう中にあって,なんで改めて国際的な拠点をメディア芸術を全部合わせてつくらなければいけないのかというところがこの委員会の課題なわけですが,それは最後に阿部さんがご報告されたように,日本が国際社会の中においてメディア芸術という観点から国際交流するということも必要ですし,それから国際的なマーケットという産業的な観点も必要ですし,そのコンテンツ立国とか,文化芸術大国というものになっていくためには今こうやって分散化していろいろなところにあるものを国のナショナルセンターとして統合化することによって,今,牧野先生がおっしゃられた100%は不可能だとしても,そこにある予算措置とか,それなりの力点を置いてしかるべき国の政策としてナショナルセンターをつくり上げるということが今行われていかないと,ここまで世界各国の,先ほどの阿部さんのリストにもあるように,途上国ですらメディアアートということでそういうものをつくろうとしているということを考えると,ジャパンクールといってコンテンツ大国ということを標榜して,しかし今どこかに追い越されるかもしれないという日本にとっては,改めて早急なテーマだなという気が今日こういうお話を聞いて感じた次第です。
 一方で,映画に関しては唯一ナショナルセンターというフィルムセンターが存在しているわけですから,私は映画のナショナルセンターであるフィルムセンターをどうしていくかというのは一つこの議論を進めていく上の,これは前回も申し上げましたけれども,大きな切り口だと思いますし,もう一つは今日お話のあったようにアニメ,漫画,これは地域的な拠点はあるものをどういう具合にナショナル化していくかということがテーマになるし,それから,わかりませんけれども,ゲームとか,CGアーツとか,それから議論の中に出てきませんが写真をどうするかがテーマになると思います。そこの領域においてはまだ拠点というものすらそれほど存在していないのではないかと思うのですが,現在では写真館とかはありますけれども,そういったものもあわせたナショナルセンター化というものをどういう形であれやっていかないと,遅れをとるという気持ちが改めて強く思いました。
 その拠点のつくり方というのは,きょう聞いていて2つあると思うのです。1つはリアル拠点,もう一つはバーチャル拠点だと思います。リアル拠点に関しては,前回確か長官からそういうお話しがありましたけれども,リアル拠点をつくるときというのは膨大なそれなりの初期投資なり,それなりのコストというのがかかってくるでしょうから,日本の場合は都市開発といったような観点の中で,日本にはどんどん都市開発のプロジェクトがありますから,そういう中で立地とか規模を民間のディベロッパーと一緒になって展開していくような考え方でやっていったらどうかと思います。今日本の場合には,六本木にしても丸の内にしても,汐留も新宿もこれから開発される渋谷も,必ず文化拠点というのが中に入ってきますので,どこか日本の新しい都市開発の拠点の中にこのメディア芸術のナショナルセンターというものを組み込むことを,国の予算だけではなくて,民設公営といいますか,民がつくる建物の中に国が運営するメディア芸術センターが入っていくような,そういったことを官民一体になって整備していくみたいなことが割と実現可能なのではないかと常々思っています。
 もう一つは,バーチャルな拠点が必要なんだなという気がしました。といいますのは,あらゆるメディア芸術がバーチャルの世界に参入してきているからです。そうすると,その時代に対応して映画もそうですし,アニメもゲームもみんなそうですけれども,ネット上での拠点をどうつくるかということで考えていく。これは文化庁の中でも国際関係のセクションの中で今海外に向けた日本の文化の情報発信ということに取り組み始めていらっしゃいますけれども,その先にデータベースまで含めたやり方があるのではないかなという具合に思っています。
 私は先週(土)に,この会合の記事が日経の夕刊に出ましてびっくりしました。記事を読むと,拠点が近々できそうな,随分気の早い記者の対応だなと思ったんですが,でも記事に書かれていることは全くそのとおりでして,繰り返しになりますけれども,コンテンツ大国,文化芸術大国,あるいは観光立国という観点で考えたときに,これは国と民間が一緒になってリアル,バーチャル両方の拠点を整備していくということの必要性を改めて痛感しているような次第でございます。

○浜野座長

 林さんがうまくまとめていただいたのですが,牧野先生と松谷さん,ナショナルセンターということで,それだけに限定するとどういう機能とか,どういう役割があったらいいか,手短にお二人の意見を聞きたいんです。

○牧野

 漫画ミュージアムで私の場合は,できるだけ実験をしてみようと考えました。現在あるもので何とかしようということで,立ち上げたときに紙芝居を入れてもらいました。どんどん液晶画面になっていく中で,安野さんという紙芝居屋さんがやっているのですが,ものすごい人気があります。2年間で40万人の入場者があったのですが,7万人紙芝居を見ています。安野さんとお弟子さん5人ぐらいでやっているのですが,常設の紙芝居小屋をつくりました。マンガサミットの会場でも同時通訳紙芝居という,無言語紙芝居をやったのですが,絵としては決して完成度は高くないものが,声や表情が入ることによって伝達される部分は非常に大きいです。さっき阿部さんがおっしゃったように,どんどん変化しています。紙媒体からテレビや液晶画面になっていくのです,表現が変わってくる。その中で50年前に,僕と体験が一緒なのですけれども,漫画集団というのがあって,そこに権威があって,文士という作家なんだという権威があって,それではだめだというのでもっと広い範囲の社団法人漫画家協会ができて,そこから漫画ジャパンとか,いろいろできていきました。どんどん広がっていき,結局トキワ荘とか,その前の,トキワ荘の前の何もない,焼け跡で何もなくて,食べるものも,職業も何もないときに始まったのが紙芝居です。その紙芝居というのは漫画,アニメの原点だと私は考えているのですが,そこに立ち戻ることによってどのように変化していこうがとらえることができる。これから,デジタル化されたり,それからいい意味での殿堂入りする作品や作家がどんどん出てくる。殿堂入りする作家の拠点と,それから一番アナログの中でも最たるものの紙芝居のような活動等々が併合されるような施設のほうが,石原委員が指摘されたようにどんどん融合していく。この中心になるのはやはり過去の作家,作品である。だけれども,そこに入れない人もいっぱいいる。むしろこちらのほうが9割だと。しかし,それを目指していろいろな活動をする人が周辺にいるというようなイメージの施設であります。

○松谷

 杉並のアニメミュージアムと秋葉原のアニメセンターについてですが,アニメセンターでは今のものを全部情報発信できています。それから,杉並アニメミュージアムというのは鈴木伸一さんという,もう74のおじさんだけれども,その人が子供を相手にして,かなりおもしろくアニメーションを語っています。学校では音楽とか絵とか作文とか,そういう教育はしているのだけれども,アニメーションはかなり表現能力が高い技術だと僕は思います。勝手に一人でもつくれます。それから今後コンピューターが急速に発展して,子供も使えるようになれば,アニメーションは本当に簡単にできてしまうと思うのです。だから,なおさら,アニメーションはどうすれば自分の気持ちを表現できるのかというようなことを教えられるような場所もぜひ必要かなと思います。
 それから,物を集めるのであれば,知識や興味を持っている人たちの力を借りて,予算さえあれば物は集まってくるのではないかと思います。あとは置き場所の確保が必要だと思います。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。今日「リアルな施設」と,石原さんが非常にうまく表現された,実際に来られない方にアウトリーチとしてのネットワークのようなもの,広報にもなるし,それが魅力的だったら来てくださるようなものが必要なのではないでしょうか。今は日本の円が安いので日本向けのヨーロッパ便はほとんど満席らしいのです。外国人の方がどんどん訪日してくるのですが,やはりナショナルセンターみたいなところがあって,アクセスできるようなものが欲しいと思います。
 これは余談で,きのうたまたま読んで感動したのですが,某新聞社の偉い方が,戦後すぐ北欧を回ったときに,どこへ行っても中国人かと言われたそうです。ただあるノーベル賞を受賞した小説家にインタビューしていたら,その方がじっと顔を見て,「おまえ中国人じゃないな,黒澤の国から来たんだね」と言ったというのです。それでどきっとして,物すごく感動したという話を書いていました。国の名前よりも文化というのはすごく強い。中国に行くと手塚先生の名前がやたらと出てくるみたいなものです。漫画とアニメは,表現形式として浮世絵以来,世界中の共通用語となったのではないでしょうか。

○松谷

 今,外国人の方がアニメセンターに来ますけれども,それはどちらかというとオタク系の人間が多くて,一般の人や文化人の方はあまり来ていないです。そのためにもアニメのすばらしさというのは伝えていかなければいけないと思います。

○浜野座長

 フィルムセンターが今映画で果たしているような,ちょっと文化的なことを知りたいという機能もぜひ持ったものになっていただきたいと思います。
 きょうは3人の方に貴重な意見をいただきました。本当に今日はどうもありがとうございました。いろいろまだお聞きになりたいことがあったかと思いますが,司会が不十分でございました。時間となりましたので,本日の討議はこれで閉じたいと思います。では,次回の日時,場所につきまして,事務局からご説明いただきたいと思います。

○事務局

 次回第3回目でございますけれども,第3回目の会議,10月9日の(木),同じく15:00から17:00までを予定してございます。場所は文部科学省の,この建物ではなくて,背の高いほうの建物の16階の会議室になります。また委員の方々やオブザーバーの方々に改めてご案内いたしますので,よろしくお願いいたします。

○浜野座長

 きょうは貴重なご意見をどうもありがとうございました。これで閉会させていただきます。

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