(第3回)議事録

メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会(第3回)議事録

1. 日時

平成20年10月9日(木) 15:00~17:00

2. 場所

文部科学省 東館16階 特別会議室

3. 出席者

(委員)

石原委員 さいとう委員 中谷委員 浜野委員 林委員 古川委員

(オブザーバー)

阿部氏 石川氏 岡島氏 甲野氏

(事務局)

高塩文化庁次長 清木文化部長 清水芸術文化課長 他

(欠席委員)

安藤委員

議題

(1)メディア芸術の国際的な拠点の整備について

【ヒアリング(1)】

○桝山 寛氏(株式会社マスヤマコム代表取締役)

○桂 英史氏(東京藝術大学大学院准教授)

(2)その他

○浜野座長

 それでは,ただいまから,メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会を開催いたします。
 本日は,ご多忙のところお集まりいただきまして,ありがとうございます。本日は,有識者として,東京藝術大学准教授の桂様と,株式会社マスヤマコム代表取締役の桝山様にお越しいただいております。ご多忙のところ,どうもありがとうございます。後ほどお2人にはお話をお伺いしたいと思いますので,本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 会議に先立ちまして,事務局よりお手元の配付資料の確認及び説明をさせていただきます。

○芸術文化課長

 それでは,私から配付資料の説明をさせていただきます。
 配付資料でございますが,全体の議事日程のあと,資料の1として検討会の委員の名簿を載せております。それから,資料の2が前回,第2回検討会の議事録(案)でございます。これはまだ案の段階でございますので,委員の先生方のみに配付をしております。皆様内容をご確認いただきまして,ご意見等がございましたら1週間後の10月17日(金)までに事務局までご連絡をいただければと思います。
 それから,資料3といたしまして,次回の検討会の予定を入れております。次回,映画と写真の分野の有識者からのヒアリングを考えているところでありまして,人選につきましてはこれから連絡をとろうと考えているところでございます。実は,会議を開会いたしました第1回のときに,ヒアリングは2回程度と考えておったわけでございますが,前回と今回でメディア芸術祭の分野でもありますアニメ,エンターテインメント,ゲーム,漫画,そしてコンピューターグラフィックなど,幅広く4人の方にお願いしたわけでございますが,広くメディア芸術といいますと映画,写真等についても含めて考える必要があるということがございまして,ヒアリングをもう一回ふやして,次回につきましてもヒアリングをやりたいと考えているところでございます。
 それから,資料といたしましては,資料4が桝山先生の発表の資料でございます。それから,資料番号がついておりませんが,桂先生の発表の資料につきましても追加で先ほど配付させていただいたところでございます。
 以上でございます。もし資料の欠落等がございましたら事務局までお知らせいただければと思います。

○浜野座長

 ただいまの事務局からの説明について,どなたかご質問がございますでしょうか。
 それでは,ヒアリングを行いたいと思います。本日お越しいただいた有識者の先生を改めてご紹介させていただきます。株式会社マスヤマコム代表取締役の桝山寛様でございます。東京藝術大学大学院准教授の桂英史様です。本日は,ご多忙のところご出席いただき,ありがとうございました。本日は,桝山様,桂様からご意見を伺いたいと思います。各先生方からそれぞれ20分程度ご意見を伺った後,それらの意見を踏まえて討議を行い,審議を深めてまいりたいと考えております。
 それでは,桝山様から20分ほどご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○桝山

 桝山でございます。
 今日はメディア芸術の国際的な拠点についてということで,最初にこのお話を伺ったときにいろいろなことを考えて,メモにもいろいろ書いてきたのですが,1つだけお話ししようと思っていました。実は,その1つのネタが石原さんの話なのです。石原さんが今日ここに来られているということを全く知らなかったもので,ネタ元を前にしてどうかという話もありますが,ほかの方はご存じでないと思うので,その話をさせていただきます。
 まず,私自身が何をしているかというのは,少しわかりにくいので,簡単にご説明すると,基本的にはコンテンツ制作をずっとやっています。メディアが違うのでわかりにくいところもあるのですが,ゲームや漫画,本に関するコンテンツ制作をやっております。
 どういうわけか,自分でもよくわからないのですけれども,メディアアートのキュレーターのようなこともやることが多いです。もともと20年前に石原さんと一緒にテレビゲームの本をつくったことがきっかけで,テレビゲームのミュージアムをつくろうというようなことを10年前ぐらいからやっていましたけれども,その関係でメディアアートのキュレーターなどもやっております。
 一言で言ってしまうと,メディア芸術の国際的な拠点というのは,どういう形で,だれのために,何をつくるかということ,何を目指すかによってももちろん変わると思いますけれども,あったらいいなというふうには非常に思います。
 今日,私がお話するのは資料の1番の話で,2番以降でほかにいろいろ書いてありますけれども,これはむしろ私がこういう場に来て皆さんに伺いたいことを書いたものです。
 1番の話ですが,ポケモンというと普通ゲームから始まって,テレビがあったり,漫画があったり,それから映画やキャクラターグッズというイメージが強いと思います。私がよくこういう場に呼ばれたり,海外などでもよく話をするのですけれども,もともとポケモンは,ここにいらっしゃる石原さんと,ゲーム開発者の田尻さんという方が,コアになって,構想から実際につくるまで,世に出るまで非常に時間がかかったものです。私がたまたま20年前に石原さんと仕事をしていた経緯で,その辺のバックグラウンドというか,背景というか,どの辺から出てきたというようなことが,私にとっては非常におもしろいのでお話ししようと思います。
 ポケモンというのは,今は株式会社ポケモンとありますけれども,開発会社はゲームフリークという会社です。今でもゲームフリークという会社はあります。ゲームフリークというのは,もちろんゲーム大好き,ゲームにはまっているというような英語の意味ですけれども,もともと開発者の田尻さんという方は映画が大好きで,専門家の方がいらっしゃると思うのですけれども,特にカルトムービーというか,非常に特殊な映画が好きな方で,ゲームフリークという会社の名前も,フリークスという,1930年代のサーカスを舞台にした映画から名付けたようなところもあります。
 彼のデビュー作,ファミコンのころのデビュー作の中にも,キャラクターでそういう映画からとったキャラクターもありますし,あとは,これは本人を前にして言うのも変ですけれども,石原さんというプロデューサーは,もともとメディアアートと言ってよいのかわかりませんが,ビデオアートを学生時代やっていた。世の中からはなかなか見えにくいですけれども,映画だったり,メディアアートだったり,もともとそういうことが背景にあって,もちろんどんなゲームをつくる方でも,ゲームに限りませんが,映画が好きだったり,漫画が好きだったり,いろいろなものが好きだったりするとは思うのですけれども,特にそういうところから出てきている部分が大きいと思います。
 何が言いたいかというと,要するに20年前の,ある種今から考えると黎明期のような状態だったので特殊だったのかもしれませんけれども,ゲームをつくる側の人は今と違ってそれほど分業制ではなかったので,映画とか,漫画とか,分けて考えていなかったように思うのです。今でもいろいろなつくり方はありますけれども,どちらかというと絵をかく人は絵をかくばかり,音楽を作る人は音楽を作るばかり,企画をやる人は企画ばかりというようなことになって,いい意味でも,悪い意味でも,非常に工場的というか,会社的というか,そういう形でつくられていることが今は多いと思うのです。むしろ20年前,私が見聞きした部分でいうと,もう少し,よくいえば職人的というか,悪くいえば同好会的というか,そういう空気の中でつくられていた覚えがあります。
 たまたまポケモンを例に出しているだけですけれども,今は分業で,もちろん人によりますけれども,意外とゲーム業界はゲーム業界,映画業界は映画業界で,もちろん皆さん忙しいという物理的な問題もありますけれども,意外とその中でとじこもっている。ほかのことも興味がなくはないのだけれども,意外と機会がないような感じはいたします。
 これは悪い例という意味ではないのですけれども,時々私が驚くのが,ここはメディア芸術というタイトルの会議ですけれども,一般的なアート,現代美術,ファインアート,現代美術について意外とゲーム業界の方はご存じでない方が多い。本当に日本の有名なアーティスト,世界的に有名なアーティストが何人かいますけれども,そういう方も知らなかったり,もちろん知らないことがいいとか,悪いではないのですけれども,そういうところに交流のなさみたいなものがあらわれているのではないかと思います。
 逆にいうと,今は20年前の思い出話をしているわけではなくて,今はそういう出会いであったり,交流だったり,呼び方はわかりませんけれども,そういうことをある種こういう検討会から何か生まれることが,必ずしもそれが正解かどうか私にはわかりませんけれども,どちらかというと今までは民間というか,草の根というか,ゲリラ的というか,そういう形でやられていることが多いので,もうちょっとシステマチックに,体系的に,交流の場が,どういう形であるかは別として,あったらいいなとよく思います。
 それから,私はたまたま20年前からゲームの仕事をしていたり,海外の仕事も多いのでヨーロッパに呼ばれて日本のゲームについてしゃべったりすることが多いですけれども,海外から見たときの日本のメディア,漫画だったり,アニメだったりを海外がどういうふうにアプローチしているかというと,少なくとも私のケースですけれども,一本づりに近いような,知り合いの知り合いを頼ることが多いです。「今,ゲームの展示会,ロンドンの美術館で考えているのだけれども,日本からもぜひ何か出してほしい。だれかいい人はいないか。」というようなことで,ツテを頼って,どの業界でもある程度そういうことはあるのかもしれませんけれども,メールがあったり,ウェブがあるので前とは大分違いますけれども,いまだにかなり一本づりというか,悪くいうと場当たり的というか,そういう形で行われることが多いのではないかと思います。
 もちろん場合によっては大使館が間に入ったり,あるいは美術館とか,そういう組織が入ることもありますけれども,それも割とたまたま知り合いであったとか,そういうことが多いのではないかと思います。そういう意味でいうと,海外から見たときのメディア芸術の国際的な拠点という意味では,まず日本の漫画とかアニメとかゲーム,そういうことを知りたいとか,あるいは何かイベントを企画しているとか,本を出したいとか,そういうときはここに行けばとりあえず連絡がつく。あるいは詳しい人がいる。コーディネートしてくれるというような場所,これは本当に,私も個人でやれる範囲ではもちろんやりますけれども,もうちょっとそういう玄関口というか,そういうところがあったらいいなというのは日々感じております。
 先ほどゲーム業界の話をしましたけれども,人材育成の面でいうと,私は武蔵大学でゲームのプロデュースを教えたりするのですけれども,大学の授業でとるくらいの興味がある人でも,ゲームをどうやってつくっているのか全く知らないし,そういうきっかけもない。普通の四年制の大学に行かずに専門学校に行くとまた全然違うのかもしれませんけれども,普通に四年制の大学に行って,メディア社会学,そういうことを勉強している人たちでも,いまだにそういう場がないというのは感じます。彼らは開発者の卵だったり,作家の卵だったりすると思うのですけれども,そういう人たちも意外と,先ほどはプロの話をしましたけれども,まだ学生の人たちも意外とここに行けば何かあるというようなものがないということを感じております。
 資料には,ほかにつらつらと書いてありますけれども,私は個人的にこういうメディアアート,メディア芸術の拠点を何か一つ考えてくれともし仮に言われたとしたら,実際の場所というのはもちろんあったらいいと思いますが,むしろ研究会でも勉強会でも何でもいいのですが,そういうものを,もちろんメディア芸術祭という大きなフェスティバルがあって,それが時間も大分たって認知されているというのはわかるのですけれども,ちなみにメディア芸術をグーグルで検索してみたらメディア芸術祭のことばかり出ていました。メディア芸術に関する漫画だったり,アニメだったり,ゲームだったり,それに関する,シンポジウムというとちょっとかたいですけれども,何か定期的なそういう会合みたいなものを,そういう業界の人,ふだん物をつくっている人というのは本当に忙しいので,なかなか出てくることはないと思うのですけれども,そういう会があって,後進のため,あるいは国際的な横の関係のためということであれば出てきてくれる人も多いかと思うので,そういう場づくりというか,一般向けにしてもいいかもしれませんし,もうちょっと内輪向けにしてもいいかもしれませんし,結果はウェブサイトで発表するぐらいでもいいと思うのですけれども,そういう小さいところから,すぐにでもできるようなところから始めるのがいいのではないかというのが,私の個人的な意見でございます。

○浜野座長

どうもありがとうございました。
 それでは,質疑応答はまとめてやりたいので,次に桂先生から20分ほどご意見を伺いたいと思います。

○桂

 桂でございます。今,桝山さんから話がありましたけれども,メディア芸術の国際的な拠点の整備と聞いて,困ったなと思いました。なぜかというと,東京藝術大学大学院映像研究科というのがありますが,実は僕らはそのつもりでつくったのです。それで,さらに作るみたいなことを言うのか,僕らはもうあるからいいじゃないかと開き直るのか,いろいろ考えながら資料をつくりました。
 というよりも,むしろもっと広く,ある大学ということではなく,それから分野も実は映画,メディア映像,アニメーションという3つの専攻で成り立っているものですから,一応,藝大ができるジャンルとして今3つあるわけです。その中でメディア映像というところに僕は今所属しているわけですけれども,メディア映像という言葉自体が非常に苦し紛れな,言ってみればボンドのりみたいな言葉で,ちょっと変なのです。この変なところが実はメディアアートの非常に難しいところで,メディア芸術を訳すとメディアアートです。でも,メディア芸術祭は別にメディアアートだけではない。僕らがメディア映像で言っているメディアアートというのは,アニメーションは特に意識はしていません。では,メディアアートは何なのかみたいな話にもなるということで,まずはお手元の資料の1ページ目を見ていただきたいのです。
 実は,大学の入試説明会でメディア映像は何をするところですかと聞かれます。もちろんメディアアートというものを対象にしている。「ICCとかでやっているやつですか」みたいな質問,それから,そこに中谷さんがいらっしゃいますけれども,「デジスタみたいなやつですか」,そういう話もある。「うん」と言ったり,「いや,違うよ」と言ったり,その時々によって言葉を変えているわけですけれども,僕らとしてはもうちょっとアカデミックにとらえたいと実は思っています。
 資料の太い線で,実は横軸に視覚芸術と表象文化とを書いてあります。縦軸に情報処理技術と電子通信技術というものがあります。この2つの横軸と縦軸だけでこれまで30年間アートと言い張ってきたというのが実はメディアアートなわけです。それは何かというと,情報処理技術という,一応ここで使っている専門用語というか,分野の名前は英語で訳せるものを上げてあります。例えば情報処理技術だとアメリカでいうところのコンピューターサイエンスです。それから,電子通信技術というのは,実はエレクトロニクスです。例えば音楽と音響がありますけれども,音楽はもちろんミュージックで,音響学というのはアコースティックスという,学問的な,アカデミックな用語が当てはまるもので一応これは構成されているのですが,基本的には垂直方向の縦軸と横軸だけで,その応用でアーティストがこれもアートと呼んでいいのだろうかと思いながら言い張ってきたというのが,実は歴史的な経緯としてあります。メディアアートという言葉が使われ始めて既にもう大体30年たっています。新しい,新しいと言われながら30年,いまだに新しいと言われているのですけれども,実はその前にビデオアートというジャンルがまたあります。これまた,石原さんがテーマになるのですけれども,実は僕は石原さんと学生時代からの知己でして,石原さんはビデオアートとメディアアートの間ぐらいで活動されていて,メディアアートのはしりです。最後のビデオアートで,最初のメディアアートの人で,その人がゲームに行ってしまい,ある意味僕はすごく残念に思っています。
 そういう意味で,いろいろなジャンルを今メディアアートということで言い直すとすると,拠点形成ということをいったときに,大げさにいえばポケキーという観点からいうと,僕は歴史をつくることだというふうに思います。
 実は,藝大というのはどこかの,細かいことを言うと差し支えがありますけれども,ある分野を見ると,実はジャンルをつくって,それを芸術だと言い張って,しかもそれを美術史の中に組み込んできたという歴史が実際にあります。それが国益にかなっているものだということを,僕は,良い,悪いということを言っているのではなくて,意外と美術というのはそういうものです。
 世の中の現実,世界の芸術を見ても,特にキリスト教の一神教の美術史を見ると,言い張っているものが明らかに多い。僕は資料の次のページに実はもう言わずもがなのヨーロッパの拠点を書いてきたんです。ZKM,アルス・エレクトロニカ・センター,INAと呼ばれるフランスの国立視聴覚研究所,それからオランダのV2,オランダのV2だけちょっと違った組織で,ちょっと不定形な組織ですけれども,それ以外はかなりかっちりとした,建物もあって,組織もトップダウンの機構があって,行政とのつながりもとても深いです。最後のオランダは,オランダ人は少し変わっていて,なかなか行政と一緒にやりたがらないんですけれども,それ以外のところはかなりきちんと行政と組んで拠点というものをこの30年ぐらいの間にハードウエアとしてもつくってきている。この人たちは一体何をしているのだろうと思って見ると,アメリカのシーグラフとか,それから,アメリカに最近はニューメディアという,僕らは実はフィルム・アンド・ニューメディアといって,メディア映像よりわかりやすい英語の呼称があるのですけれども,ニューメディアという名前で,MITのメディアラボとか,そういうはしりのところからスピンオフした人たちが,今,全米で教え始めていて,そういった人たちが出てきて,それからドイツとか,ヨーロッパからも人を呼ぶということが起こっています。
 ただ,今,資料に上げてある4つのところとアメリカのそういう状況を比べて明らかに違いがあるのは,ヨーロッパのこの人たちは明らかに歴史をつくろうとしています。アメリカの人たちは明らかにマーケットをつくろうとしています。要するに,その違いはすごく大きいと思います。つまり,拠点という考え方は,ポストをつくるポスティングですから,ポストというのは政治的な拠点です。つまり,政治的な拠点をつくるというときに,歴史をつくるのか,マーケットをつくるのかというのは,これは政策上も大きな違いだと思います。
 したがって,僕があえてここでヨーロッパのものを上げているというのは,今,日本の経済的な状況とか,それからメディアアートだけのことを考えると,漫画,ゲーム,それからほかにはアニメーション,映画に比べてメディアアーティストとメディアアートだけは,これは個人,個の力なのです。つまり,セルフプロデュース,プラス技量です。それが世界で問われているということです。
 実は,このことをどう考えるのかというのがメディアアートというジャンル,狭い意味でのメディアアートを考える一つの大きなポイントだと思います。つまり,個の力をどう考えるかということです。漫画にしても,アニメーションにしても,それから映画にしても,これは実は共同作業で,漫画は漫画家のもののようでいて実は日本の漫画づくりというのは編集者と,いわゆるプロデュースの能力という部分がすごく大きい。もちろんそうではない漫画家の人もいるし,そういう漫画のジャンルもあるけれども,今でも僕も「モーニング」を読みますけれども,あのつくりのよさというのは世界中どこへ行っても多分できないと思うのです。それはマーケットオリエンテッドだからだと思うのです。そこまで組み込んで,では僕たちがこれからどういうふうな歴史をつくっていきますかみたいな議論をするというのは,すごく重要なことだと,実は思っています。
 実は横浜に藝大をつくるときには,僕は随分メディアコンテンツの振興のためにと言ってきましたけれども,僕らはそうではなくて,むしろ歴史をつくるつもり,それから公の力を高めるつもり,そう言ってもなかなか財務省も時流的に乗ってきてくれなかったのですが,僕らはもっと志を高く,歴史をつくりたいと思いながら,映像研究科をつくりました。
 ここでもやはり僕がぜひご提案したいのは,今までマーケットオリエンテッドだった。これからもマーケットオリエンテッドでいくのか,それともやはりこれからもう一回ここで見直して,歴史というものを自分たちで,例えば日本画という世界にないジャンルをつくったように,「メディアゲイジュツ」というものが,片仮名英語でそのまま世界に出ていく。映画は小津氏それから溝口氏,その二人は少なくとも世界の教科書です。世界の教科書でありながら,日本で見られないものはたくさんあるわけです。信じられないことに,フランス人は見る機会がある。フランス人は映画に対する絶大なる信頼があるので,僕らが見えないものを彼らが見ることができるということか,そういったことも含めて,もう一回アーカイブとかデータベース,もともと僕はアーカイブとかデータベースの専門家ですからあえて言いますけれども,そういう見る機会が担保されている状況をどうつくり出すかだと思います。
 それから,これからそういう目ききの人たちをどう考えるか。それから,メディア芸術という歴史というものを,これまでの市場がつくられてきたことを含めてどういう歴史をつくっていくのか。そういった意味での研究機構ということ,これはハードウエアが必要かどうかというのはこれからの議論としてあるかもしれませんけれども,研究機能を真剣に議論するべき時期に来ているのではないかという気がしています。それが資料の3枚目で,一番上に研究というものがあって,事業というものがあって,それに基づいて基本的に教育というものが,シャワー効果としてあらわれる形というのが一番理想的だと思っています。
 事業と教育の関係でいうと,今,僕らが一番困っているのは,今の学生たちは見ろといってもなかなか映画は見ない。それから,何かを知ろうという好奇心自体が縮退しています。これは現象として間違いない。
 実はこれは例をいうと,ニューアートデフュージョンという,アート系の有名な書店があります。そこの人たちが口をそろえていうのは,若い人たちが何を求めているかというと,中身を求めているのではなくて,情報だけを求めている。店員さんがいいと言ってくれたものだけを買う。昔は,ここにこういうものがあるからといってみんなこぞって探しにいっていたのですけれども,それが何かおかしなことになっている。つまり,物の消費自体も何かそういうふうに好奇心の縮退に直面しているということを考えると,僕は見る機会が担保され,つくる機会が担保された上で教育が行われないと,今後どんどん上っ面なことで終わってしまいかねないかなということを,自戒の念も含めて今思っています。
 結論からいうと,拠点化というときには,メディア芸術に関する研究というものはどういうものかということをぜひご議論いただきたいなということをご提案して,私の意見とさせていただきます。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 それでは,お二人のヒアリングが終わりましたので,ご意見を踏まえて意見交換を行いたいと思います。どなたからでも結構ですので,まず桝山さんのヒアリングについて意見をお願いします。
 まず私から言うのもとまずいのだけれども,3点あります。日本だと各アーティストの方がジャンルごとでコミュニケーションをとれていないとおっしゃっていました。では,海外だとどうかというのが第1点です。いい例があれば教えていただきたい。
 2番目は,桝山さんのご努力でいろいろなことを,個人的にやっているのだけれども,窓口が日本にはない。では,海外だったらどうかというのが第2点で,第3点は,私と桝山さんが,もう忘れてしまったかもしれないけれども,大昔岐阜県の梶原知事に頼まれて岐阜県にこういったものを置きたいというお話があったときに,絶対ゲームミュージアムをやったらいいと梶原知事に言って,相談しました。私も忘れてしまったのだけれども,あれをやろうとしたときにゲームのミュージアムがなぜできなかったのか。その後も続けていらっしゃったでしょう。ゲームという部分だけ切り出したときに,そういったものをやるにあたって難しい障害があれば参考までに,第3点目で教えていただきたい。その3つをお聞きしたいと思います。

○桝山

 1点目は,海外のアーティストがそういう横のつながりがあるかどうかですけれども,これももちろん一概には言えませんが,少なくとも日本よりはあるような気がします。桂さんが書かれているようなZKMとか,アルス・エレクトロニカ・センターは,やはり場があるし,これは国民性,それまでの文化と言ってしまえばそれまでですが,やはりあまりセクショナリズムというマインドというか,気持ちが少ないというのはあるかもしれません。
 桂さんの話を受けて補足的に言うと,やはりメディア芸術の中に漫画が入っていて,アニメが入っていて,ゲームが入っていて,しかもメディアアートという,メディア芸術とメディアアートと何が違うのだというような,混乱する話がある。メディア芸術ということ,今,括弧つきの「メディア芸術」ということをまず海外で説明するのはなかなか難しい。わかりやすくいうとファインアートとファインアート以外のものがごっちゃになっているのかなということだと思うのです。
 そういう意味では,ファインアートはファインアート同士で横のつながりもありますし,ポップアートとは少し違う。ゲームはビジネスですので,ビジネスをやっている人はビジネスをやっている人同士で,当然現代アートとか,映画ということもあるので,非常に密接につながりがあります。日本よりは,こうやって場所があるということも含めて,少なくともヨーロッパはあると思います。ただ,逆に彼らも,これも私が個人でやっている範囲なので,非常にピンポイントな話なのかもしれませんけれども,日本のクリーエーターと話がしたいのです。でもどこに行ったらいいのかわからないというような状況があります。
 2番目のご質問ですが,こういうZKMだったり,アルス・エレクトロニカだったりというところがやはり窓口になっています。あとはキーパーソン,浜野先生はよくご存じだと思いますけれども,キーパーソンみたいな人がいっぱいいるので,そういう人にちょっとでもアクセスすると人を紹介してもらってという,見えないようなネットワークがあって,単純な話,MOMAに行ってビデオアートのことを言うとロンドさんという人が出てきて,それで誰かを紹介してくれるみたいな,そういう形にはなっています。場所というよりは,キーパーソンという形です。
 それから,3番目,ゲームミュージアムというのは,これはもともと私というよりむしろ石原さんがそういうのがあったらいいのではないかというようなことを,もう20年以上前に考えていた。今考えてもすごく先のことを考えていたのだなと思いますけれども,これはできなかったというよりは,もともと我々は箱をつくろうとしてやっていたわけではない。もちろん箱を作れたらいいですけれども,そういうことよりも,運動としてそういう発想がまずなかった。僕らが20年前,10年前やっていたころは,何でそんなものにミュージアムをというようなことだったので,まず考え方を広めようということだった。その意味ではそれはある程度達成できて,僕は2001年ぐらいまでテレビゲームミュージアム的な活動をやっていましたけれども,そのころになると逆にそういう話も世間的に認知されてきたので,役割はある種終わったかなということで,自分の中では役割を終えてフェードアウトしたということです。難しかったというよりも,我々のスタンスとしては箱よりもむしろ意識を変えることのほうが大きかったということです。
 あと,難しいとは思いますけれども,でも今はやろうと思えばできるのではないですか。ゲームミュージアムは,実際に海外でありますし,もちろんビジネスとしては難しいと思いますが,日本でも,アーカイブというか,それこそ秋葉原とか,そういうところにそういうものがあって,海外の人にとってわかりやすい窓口になったりするというのは,イメージできます。やり方としては難しくはないと思います。

○浜野座長

 せっかくなので,石原さんに補足,意見がございましたらどうぞ。

○石原委員

 きょうは桝山さんと桂さん,私に非常に近い方がお話をされたので,私が質問したいことはあまりないというぐらいの感じです。
 少し興味を持ったのは,桂さんがおっしゃった,最近の芸術を目指す学生さんも,あるいはクリエイティブを目指すような人々も,そんなに好奇心が衰退というか,後退しているのかということです。それは一体何のせいなのかというのは興味を持ちました。物をつくるときの発想力とか,あるいはオリジナリティーとか,あるいは執念,そういったものが欠けているように感じられるのはなぜなのだろうか。それはメディア芸術拠点の話とは離れるのですけれども,ただどういう人を育てていくべきかということを考えたときに,すごく深刻だという印象を持ちました。
 それと,前回の検討会の中で,グーグルのストリートビューが発展して,まちのストリートから建物の中に入っていって,そこには本が並んでいて,好きな本を選んだら全部読めるというようなことに10年もすればなっているはずなので,そこにアーカイブがあるということが現実的ではないかという話をしました。というのは,今iPhoneとか,あるいはDSとか,PSPとか,携帯ツールで日本の週刊漫画雑誌,そういったものをほぼリアルタイムに読めるようなサイトが非常に増えてきている。私も最近結構ゆゆしき事態だということを思い研究をしているのですけれども,例えばDSだと,カートリッジに小さいカードが入るのですけれども,これでWiFiであるサイトにアクセスして,そして好きな方は全週刊漫画を毎日スキャンして,そして自分のサイトにあげています。見たい漫画はちゃんと系統だって好きな漫画をダウンロードしてきて,そしてどんどん次々と読んでいくということが世界中でできるようになっている。
 そのことが,もちろんビジネスを破壊しているわけですけれども,一方で先ほど言ったストリートビューの発展系として,そこに行ったら全部の漫画が読める,そこに行けば全部のビデオが貸してもらえるということがもうできるわけです。そういった方向に発展していくときに,実際の箱が必要なのかどうか。実際的な空間として箱はどういう役に立つのだろうかというところも少しお聞きしたいなと思いました。
 最初の好奇心が後退しているのかというのは本編とは関係ない話なのですけれども,ちょっと興味を持ちました。

○桂

 それに関しては,大学の先生もここに何人かいらっしゃいますが,共通の思いだと思うのです。1つは特にサブカルチャーが多様化して,ロールモデルがなくなってしまった。ロールモデルがはっきりしているのはスポーツだけです。またそういうロールモデルが,ビジネスとか,それからメディアと一緒になって,例えば非常にサクセスしたスポーツのスーパースターは社会貢献をするというようなことも含めてロールモデルがはっきりしている。70年代とか60年代は,例えばジョン・レノンみたいな人がロールモデルだったかもしれない。それから,もうちょっと後に出てきた,それこそベンチャーのスティーブン・ジョブスとか,そういった人たちもロールモデルだったかもしれないけれども,あまりにもその後の変化が激しくて,ロールモデルというものが全く崩壊してしまって,そのモデルというものに好奇心が伴わないということが起こってしまったのかなという,それに教育がついてこなかったというのが一番大きいかなという気がします。
 スポーツは実はそういう意味では教育も含めてそれをつくってきたのです。やっぱり歴史ということも関係しますけれども,実はサッカーの歴史というのはそんなに大した歴史はないのだけれども,もう今や世界の一大事になっているように見えるというのは,そういうロールモデルをつくるということも含めて多分やってきたのです。そういうことも含めて,カルチャー全体から考えなければいけないのは,モデルというものがどういうもので,それに向かってどんな技術なり何かを位置づけて,人材育成するのかという体系化というのが必要だろうと思います。それに伴ってそれなりのスピード感,何と言ってもグーグルひとり勝ちというのもあっという間でしたから,そういった意味でも人材育成についてしゃべっているうちにどんどんグーグルがやってしまうみたいなことも当然あるわけです。
 だから,スピード感,ドライブ感みたいなものが,拠点の話にちょっと関係しますけれども,必要だと思います。そのときに何を目指すのかという,立場がはっきりしていることが必要です。何を目指すのか。しかも,そこにはいつも何か人が出入りしている。何かうさんくさい人も含めて出入りしていて,あの人はこんなことを言っていたというのがうまくスピンオフして,いいモデルになったりすると,今の若い子たちのいいモデルになるのではないかなという気がします。
 だから僕の言っている,歴史づくりというのは大げさですけれども,場づくりというのは人が何となく,あそこに行くと変な人も含めて何となくいるみたいな,桝山さんはよく知っていると思うのだけれども,ロッテルダムというまちには,ある場所に行くとすごく変な人がいっぱいいるわけです。この人は,どうやって生きているのみたいな人がいるわけです。そういう人が,実はおもしろいことをやっていたり,社会的にすごく意義があることをやっていたりするわけです。その中からアーティストが生まれたり,おもしろいアクティビストが生まれて,社会的にも非常に重要な本がそこから生まれたりということも実際にはあるので,歴史づくりという意味と同時に,僕はやはりそういう人が行き交う場づくりみたいなものも必要かなというふうに思っています。

○浜野座長

 それは先ほど石原さんがおっしゃったことに対して,ネットワーク以外にも,箱物も必要だという,先生の回答でもあると考えていいですか。

○桂

 もう一つだけ補足させていただくと,デジタル化に伴って物との向き合い方ということも非常に重要になってくるだろうなと思います。ゲームの場合は,いわゆるメディアのアーカイブはよくデジタルアーカイブといわれますけれども,何が一番大変かというと,デバイスのアーカイブが一番大変なのです。つまり,インターフェイスがどんどん変わる。お皿がどんどん変わっていく。今やDVDでも,これはどうかみたいなことになっているわけですから,いわゆるデータそのもの,物そのものと同時に,これからはデバイスのアーカイブをやっていかないと,とてもではないけれども,資産として残っていかない。岡島さんがいらしていますけれども,実はフィルムというのはもう緊急の課題で,昔のフィルムが見られない状態でどんどんどこかにいってしまう可能性があり,散逸してしまい,駆逐されてしまう。早く見られる状態にしなければいけない。これは別の活動として僕はやっていますけれども,いわゆる物との向き合い方というのも,今,石原さんがおっしゃった意味での文脈の中では当然,物との向き合い方というのも求められるところなのかなということは痛切に思っています。
○浜野座長 桝山さんとゲームのことをやったときに,ボードが物すごいコレクターに集められていて値が上がっていて,岐阜県ではとてもそんなものは買えないだろうという話があった。そういうことも含めて公的な機関が収集,きちんとオリジナルを集めていくということはすごく大事で,それは可及的速やかにやらないといけないと思いますし,ゲームの古いものはもう手に入らないわけです。
○桝山 先ほどの石原さんの話から今の桂さんの話を受けて一言二言申し上げると,最近の若い者がという言い方になると全然違うと思うのですが,私も学生とつき合いがあるので,好奇心が衰退しているという言い方が正しいかどうかはともかく,変わってきているのは確かだと思います。知的好奇心に関して,非常に表層的というか,身の回り3メートルぐらいだけで満足していると思います。それがいいかどうかはまた別ですけれども,多分20年前ぐらいは,現代思想や現代美術みたいなものがある種格好よかったというと雑駁な言い方過ぎますけれども,今は多分現代美術も現代思想も格好よくないのではないかと思います。むしろ普通に余暇的に,人生をかけるとか,そういうことを全く考えずに漫画を楽しんだり,バンドをやったり,ゲームをやったり,そういうように私には見えます。それは好奇心の衰退というのか,日本が戦後築いてきたある種のユートピアの完成形みたいな気もしないでもないですけれども,それが私の印象です。
 桂さんが先ほど言われた,よくわからない人がいて,何か人が出入りしていてというのは非常に感覚的な話なので,わかりにくいとは思うのですけれども,すごく実感します。それは先ほど石原さんの話でうまくご説明できなかったのですけれども,多分本人からそういう話は言わないと思うのであえて言ってしまうと,僕もいたのですが,石原さんがいた場は,一応広告代理店の一部だったのですけれども,全然仕事と関係ないようなコンピューターとかソフトを山のように石原さんが持ってきて,非常に先端的なことを,今から考えればですが,やっていた。そのコンピューターのハードとソフトとか,そういうのだけではないですけれども,目当てにした人が集まっていて,そこからいろいろなアーティスト,今もっといろいろな仕事という芽が,アーティストとか写真家とか,いろいろな人が育っていって,石原さんは今ゲームのほうに,桂さんの言い方をすれば行ってしまったということになります。まさにあの場所,あの空間というのが,どの時代にも,音楽がそういうとんがった時代もあるかもしれないし,映画がそうだったかもしれない。ボーボワールなんかはもともと映画評論家出身です。そういうことがゲームについてはある種幸せな時代だった。過去形なのかもしれませんけれども,ポケモンが生まれる前の時代にはあったなというふうなことは肌で感じていたので,おっしゃったのはそういうことだと思うのです。それが一点です。
 箱については,これはいわゆるきれいな箱が何とかということではなくて,先ほどのメモの一番最後にも書いたのですけれども,海外の会議に行くとすごくよくわかるんですが,日常的にはオンラインでメールとかチャットとか,最近はテレビ会議もありますけれども,そういうのでやりとりをしている。メディアアート業界というのは広いようで狭いので,ビエンナーレがあったり,トリエンナーレがあったり,アルス・エレクトニカがあったりということで,大体イベントみたいなことは決まっているので,そういう場所に行くと決まった人がいて,昼間は講演会があったりシンポジウムがあったりするけれども,夜は大きなパーティーがあって夜中まで話をするという,そういうのがスタイルとして非常に定着していますので,日本でもそういうことはある程度やってはいるのでしょうけれども,もうちょっとそれを国際的に,カジュアルにやればいいなという思いはあります。
 なので,最後にモデルケースはと書いて,どういう形が国際的な拠点のモデルなのか私はわからなかったのでクエスチョンマークをつけたのですけれども,むしろそういうテンポラリーな集まりが結果として点が線になるような形で場所になっていくようなことだったらありだと思います。
 あとはテレビゲームのアーカイブについて言うと,実際今オンラインでいろいろな昔のものは,オフィシャルなもの,アンオフィシャルなものを全部含めてかなり見ることができてしまうので,今実際に昔のゲームを収集してそれを見せるという意味は,インターフェイスとか,どこまでオリジナルにこだわるかみたないことはありますけれども,そういう意味では,少なくとも我々がテレビゲームのミュージアム,ミュージアムと言っていたころよりは減っているというよりは変質していると思います。そこは逆に石原さんに今のイメージを伺いたいと思います。テレビゲームミュージアムとかアーカイブの意義みたいなものを。

○浜野座長

 その前に補足ですけれども,私の経験で,9.11の年だからすごく鮮明に覚えているのですけれども,ハリウッドの業界で日本のアニメーションが話題になったときに,ある有名な俳優が独身で死んで遺産を全部アカデミー協会に寄附して,そのお金で月に一回アカデミー協会員だけのクローズドのセミナーをやっているのです。日本のアニメーションのセミナーを企画して下さいというので,宮崎さんと星井さん,今さん,大友さんの4人のうちいずれかを呼んでくださいといったときに9.11がきたのです。僕も司会として行くはずだったのですけども,怖くなって行きませんでした。たまたま当時アメリカにいたブロダクションアニメの石川社長に出てもらって状況を聞いたら,10ドルもらってアカデミー協会の関係者が200人ぐらい来て,終わったらワインパーティーをやって,そこで業界人がハリウッドのアニメーション関係者をみんな知ったというのです。制度的にそうなっていて,素人は入れないという形で,もちろん日本の公的拠点がそんなことはできないと思いますけれども,やり方を考えないといけないと思います。ジーコさんがやってくれるとか,そういうのはあると思うのだけれども,桝山さんがおっしゃるように,何かうまいこと仕掛けを全部持っているなというのはすごくうらやましいとは思いました。
 先ほどの器と,今のゲームミュージアム,もちろん拠点なのでゲームだけではないですけれども,具体的なイメージが,もしあればご発言願います。

○石原委員

 確かに,ここはゲームミュージアムだけを議論する場所ではないとは思うのですけれども,ずっとゲームを開発し,プロデュースしてきた自分にとっては,もちろんどんなデジタルデータがどこに保存されているかということもありますが,やはり一番重要なのが人が触れるもの,要するに入力デバイスです。昔だとファミコンがあって,十字器とABボタンと,セレクトとスタートボタンがある。ああいう手で触れるもの,あるいはトラックボードであったり,要するに自分が触ってそれによって反応する,その構造を遊びとしているものは物すごく触る部分というのは重要で,そこのメンテナンスが一番大変です。なので,先ほど箱が重要なのかとあえて言ったのは,箱をつくるのはいいけれども,桝山さんも桂さんも言われたように,やはりメディアとして一番磁力を持っているのは人なので,人がその箱の中にいて,どういう活動をしているのかという,その人がどういうロールモデルとして立派な存在としていて,そこに皆弟子のように集まるとか,そこで開かれるフォーラムやいろいろなものに参加したいと思うとか,そういうことなのかと思うので,箱は何もなくてもいいのかもしれないし,そこに一番魅力的なキーマンであり,ロールモデルである魅力的な磁力を持った人がいて,その人が,もちろんゲームミュージアムであれば入力デバイスを掃除したり,はんだづけもしたり,ハーネストを磨いたりもして,ちゃんとメンテナンスをしてくれるような技術者であったりしたら理想的なのです。でも,僕が感じているのは,やはり箱とか,あるいは装置が老朽化しないようにどうメンテナンスするかということなのですけれども,だれがやるのか。磁力を持った人がどのようにそこに存在できるか,そこで人がどう集まるかということがちゃんと構想の中に入っていないと,博物館のように物が置いてあるということになってしまうだろうなという印象です。

○浜野座長

 博物館みたいになるという,かなり重要なご指摘です。博物館みたいなものだと思っていた可能性もなきにしもあらずです。お名前の上がった中谷さんはどうお考えですか。

○中谷委員

 お二方のお話を聞いて,私がふだん問題意識を持っていたこととほとんど同じですので,本当にそうだなという意見を持たせていただきました。
 お二方に伺いたいのですが,私も常に悩んでいるということで,先ほど桂さんがおっしゃったボンドのりの話ではないですけれども,メディア芸術という,ネーミングの問題で,メディア芸術の拠点というだけだったらメディア芸術祭とかメディア芸術というネーミングで何とかもやもやしながらもいけるのでしょうけれども,国際的な拠点という視点を持ったときに,メディア芸術という名前が果たしてずっとこのもやもやをかついで歴史をつくっていくのかという問題になっていくと思うのです。メディアアートとメディア芸術の違いというよりも,日本独自なゲームや,前回も申したんですけれども,ゲームや漫画,アニメが僕らが中心にやっているアートアニメとかメディアアートを,いい意味で日本の場合は引っ張っていってもらって,一緒に展開することによって今まで例のない展開ができるのではないかと思っているので,そういうときにメディア芸術をどういうふうに海外に展開していったらいいか。そのためのネーミングを,桂さん,桝山さんでしたらふだん考えていらっしゃると思うのですけれども。どうしたらいいと思いますか。

○桂

 それだけで,研究のテーマになると思うのです。特にぜひやりたないと思っているのは,これはこの数年間に世界に名だたる企業であるパナソニックとかソニーとか,そういった企業が支えてきた,いわゆる視覚メディアの文化というのは世界的にも物すごい大きな地位を占めているわけです。そのことと,実は視覚芸術,音声から視覚文化としての今我々がここで対象としているメディア芸術みたいなものというのを,民間企業,いわゆるプロダクトをつくっている人たちが一体どう考えているのか。つまり,例えばホンダはF1ではっきりポジションを出せるわけです,自分たちはこう考えていると。それはフォーミュラ1という仕掛けがあるから,彼らは自分たちの車にある思いとか,技術開発に対する思いをそこでプレゼンテーションできるわけです。ところが,パナソニックとか,ソニーはそういう表現の場みたいなものが準備されていない。では,あなたたちが理想的に技術と表現とをきちんと出せるフォーミュラ1みたいな場があるとしたら,それはどんな場で,どんなことがあるとうれしいのかみたいな話から始めて,ではそれはこういうふうに呼ぼうということを決めていくみたいなことがあったとしたら,それは日本独自で,ソニー,パナソニックもそういうふうに言っているし,そういえばいっぱいいろいろな漫画もゲームもアニメーションも出てきているという話になって,その用語が初めて国際的に認知されるということになるかもしれない。だから,僕はやはりフォーミュラ1みたいなものを民間企業みたいなところと一緒につくるということも,それがイベントなのか,研究なのか,それはわからないですけれども,イベントのベースでやると大体お金がないからやめますみたいな話になるので,研究ベースがいいかなという気がしています。
 そういうことも含めて,僕は名だたる企業である,今,韓国サムソンが物すごい,あの企業もいろいろ問題はありますけれども,そういうところで自分たちをつくろうとしているわけです。ソニーとかパナソニックとか,名だたるオーディオビジュアルのメーカー,日本のオーディオビジュアルのメーカーはあまりにもそういうことを考えなさすぎたと僕は思います。だから,ぜひそれはこういう機会,もしくは何か違う機会を通じて,ぜひちょっとその辺のことを何かつくる機会があるかなというふうには思います。

○桝山

 今,桂さんの話を伺って思い出した,雑談みたいになってしまいますけれども,先々週だったか,シーテックというIT系の展示会,ビジネスショーが幕張であって,僕の親しいイタリア人のジャーリストが某日本企業の招きで取材に来ていました。シーテックはいいけれども,横浜にある某電気会社の博物館に連れていかれて結構つらかったというようなことを言っていました。メーカーさんもそういう見せるものがあまりないなという気はします。
 それはいいとして,ストレートにご質問にお答えすると,これは皮肉でも揚げ足取りでもなく,僕は「メディアゲイジュツ」と片仮名で言ってしまうのはありかなと思います。要するにメディアアートというと,もちろん何がアートかみたいなことをそれこそ研究のテーマというか美学な話になってしまうので,またそれはそれでおいておきますけれども,アートと片仮名にした瞬間にキリスト教を背景にしたヨーロッパ的な文脈の美術みたいなことの中に入ってしまうので,それとは違うのだということを,啓蒙というと大げさですけれども,まず言うためにメディアゲイジュツと片仮名というか,ローマ字で言ってみる。そこから多分芸術とは何かという話になると思います。皆さんご存じのように漫画とか,アニメというのもとっくにある程度流通する国際語になっていますから,それと同じには多分ならないとは思いますけれども,日本では漫画とかアニメとか,狭義でのメディアアートも含めてメディアゲイジュツと呼んでいるのだよと言い切ってしまうというのは,僕はありかなと思います。

○浜野座長

 村上隆さんとか,佐藤可士和さんが会社をサムライにしたり,カイカイキキにするみたいな,彼らのそういうところはすごく大事ですね。中谷さん,それでいいですか。

○中谷委員

 もう一点,僕の悩みをぜひ解消していただきたいと思うのですけれども,日本のメディアアートのところを狭義的なメディアアートで話をしますと,日本の独特な最近のムーブメントに,やはり工学系の子たちがバーチャルリアリティというところからさまざまな,いわば芸術寄りな表現をし始めています。最近筑波大学の岩田先生とか,デバイスアートなどで,そういう言い方をされて,新しいムーブメントを,そういう問題意識を持ってやってきていらっしゃると思うのですけれども,それとこのメディアアートというものをどういうふうに融合していったらいいか,すごく考えなければいけない。もちろん教育から始めるのかもしれないですけれども,桂さんは教育をされていて,こういうムーブメントをどういうふうに統合していくべきなのか。もしくはお互いがお互いの距離を置きながら切磋琢磨するのかあると思うのですけれども,どういうふうにお考えですか。

○桂

 僕はそれに即効的な方法が一つだけあると思っているのは,科研費の中にメディア芸術というものぜひつくって助成してほしい。それはとても手っ取り早いと思います。それはなぜかというと,どういう人と何を組んだら自分たちの研究が研究として認められるかという,一つの通り道になるわけです。いい意味でも,悪い意味でも科学研究費なわけです。それを科学として,少し夢なのですけれども,科研費でできれば映画をつくる人が出てきてほしいと思っているぐらいです。先ほど言ったフォーミュラ1みたいなものの小さいものとして国内でもいいので,そういう実験の場が科研費を通じてお金をもらってそういうことをやる。それに対してはちゃんとオブリゲーションが当然求められますから,まずは科研費の中にメディア芸術というものがつくられる。一度表象技術という,変なタイトルの一時的なジャンルはできたことはできたのです。そのときにメディア系の人と工学系の人たちがいて,それとアカデミズムの学界的なもの,それがないというのは一番大きいと思います。
 今,メディア芸術祭をやっていますけれども,それは国の顕彰で,学界賞,建築はここまで短期間のうちに世界的な建築家が何人か出たのは幾つかの要素があるのですけれども,あの学界の存在というのは非常に大きいです。いわゆるゼネコン的なコマーシャルなノウハウと,それから今の槙さん,磯崎さんを頂点とする,いわゆる芸術家としての建築家が出てきて両立したというのは,学界的なアカデミズムの存在は非常に大きいと,僕は思っています。
 ですので,まずは非常に即効的な方法として,科研費でメディア芸術なり,メディアアートなりというジャンルをつくって,そこで研究の助成をして,そこでオブリゲーションも含めてどんな方法でアウトプットしていくかということを考えるというようなことが行われると非常に,一番近道かなという気がしています。学校同士でやろうとすると,学校の論理がぶつかる。工学系とか,だから,むしろそういう研究助成みたいなことを通じて,お金を使いながら考えていく。それがセルフプロデュースの一つの大きな魅力で,今年アルスが東大だったのです。だから,そういう時流も含めて,日本ができるだけ早くアカデミズムの中にそういう助成の仕掛けをつくっていくというのは必要だと思います。

○桝山

 ご質問の意味を確認したいのですが,要するにハードウエア,ソフトウエアエンジニアではなくて,ハードウエアをつくっているような人たちにいかにアート的な興味を持たせるかみたいな話ですか。

○中谷委員

 ハードウエアに限らずに,工学的な見地からコンテンツを制作している学生たちがたくさん,将来的にアート系ゲームの会社に入るような子たちがたくさんいるわけです。そういう人たちが,彼らは自分たちがやっていることをメディアアートと思っていないのです。自分たちはバーチャルリアリティの研究をしているのだと言っています。その生産物としてこういうものが出てくる。例えば私の番組などにそういうものが出てくると,僕らはメディアアートと見るわけです。そこにすごく大きな落差がある。溝があるのだけれども,溝はある意味メディアがふたをしてしまっていて,我々は悩むところが多いんです。

○桝山

 それは無理にアートにしなくてもいいような気がしますけれども。何が言いたいかというと,要はマーケットがあるかないかみたいなことだと思うのです。要するに,バーチャルリアリティというのは十何年前からずっといわれていますけれども,実際,最近ニコンがこういうデバイスを売り出したりして,少しずつ出ているのかもしれませんけれども,一般の人がピンとくるようなバーチャルリアリティの応用はまだ少ないと思うので,いずれはくるのかもしれませんけれども,さっきの桂さんの大分前の話ですけれども,役割モデルみたいなものがあれば,例えば村上隆さんがやっているようなことは,ああいうファインアートをやっている人にとってもモデルになっているし,そういう意味で,モデルがあれば,僕は学生が自然にそれを目指すと思う。もし今ないのであれば,別にそんなに無理にしなくてもいいのかなというような気はします。単純にお金を使ってそういう知識を教えるということはもちろん必要だと思いますけれども,マーケットがないところに無理につくらなくてもいいかなという現実的な話になりますけれども,そのようにに思います。

○中谷委員

 私が問題意識を持ったのは,そういう学生,工学部系の学生たちが世界的に見ると非常にレベルが高い。非常に水準が高い学生たちが多いです。そういう子たちがメディア芸術という名のもとにあるジャンルがつくられていく。イメージされていくと,それを目指してアートの子たちのコラボレーションが生まれて,日本独自のすごいレベルが高い表現が出てくるのではないかという仮定のもとにお聞きしたんです。

○桂

 もう一つの大きな表現を見て,僕はマーケットという言葉はあえて使いたくないのですけれども,そういうコラボレーションがある職業として確立する。つまりアーティストと,エンジニアが同じぐらいでレスペクトされるという状況をどうやってつくり出すかというのはあると思います。つまり,それはある種の雇用創出です。例えばそれは民間でも大学でも可能性のあるコラボレーションは日本にすごくたくさんあると思うんです,町工場まで含めたら,ロボティクスも含めてです。それがそういうアーティストと組んで何かをやったときに,リスペクトされる。経済的にもリスペクトされるし,社会的にもリスペクトされるような状況があれば,彼らは多分目指すのです,これならおれもできるぞと。しかも,それなりに,例えばプライズをもらうとか,気持ちいい思いをみんなに見てもらってするという話になれば,これはこれで非常に大きなポテンシャルを引き出せる。ということはどういうことかというと,さっきメディア芸術という名前が問題だというのと同じように,そういう新しい専門家の名前です。固有名,それからそれに見合うだけの経済的なリスペクト,どうやってそういうところにキャッシュフローを生じさせるかみたいな話というのは同時に重要なことになると思います。今は何か学生にお手伝いしてできましたみたいな研究室の発表が多いです。でも,よくよく考えてみたら,これはもうちょっと何とかするとすごいみたいなものもあるわけです。だから,それも含めて何かある職業のジャンルをつくっていく。実際ヨーロッパではそういったエンジニア出身の人たちが,最初はエンジニアといっていたのだけれども,いつの間にかアーティストといっていることもあります。
 だから,それはアーティストと呼ぶかエンジニアと呼ぶかというのは大した問題ではない。ところが,日本の場合は,それはやはり大きいのです。むしろこれは文化的な問題なのかもしれないけれども,最初に自分のジャンルとか属性が与えられて初めて発揮する企業文化みたいなものが強いせいなのかもしれないですけれども。ただ,インディペンデントなそういう人に何かちゃんとした職業的な属性をつくっていくというのは,僕は重要だと思います。

○石原委員

 先ほどのメディア芸術の名前のことで,第1回目の検討会で私が提案してだれも賛成してくれなかったのですけれども,メディアアートセンターとか,メディア芸術センターという言葉は私の母親には絶対わからないし,例えば漫画に興味を持った人がメディアアートセンターと書いてある建物に行ったら漫画に行き着くとは多分想像がつかないという意味でいうと,すごく一般性を欠いている。メディア芸術祭をやっているとメディア芸術は一般的な言葉のように見えるけれども,ほとんどの人が多分知らない。どういうカテゴリーなのかすらわからないということがある。漫画という言葉とアニメという言葉はかなり世界的に知られつつある言葉なので,ちょっと長くなるのだけれども,漫画・アニメ・映画・ゲーム及び装置を使った芸術などのセンターと書いてあったら,漫画の人もゲームの人も装置を使った芸術に興味のある人も行けるじゃないかということを1回目に言ったんですけれども,ああそうですかということだったんです。でも,普通の人にとってわかりやすいということでいうと,そういうネーミングがあっていいと僕は思っております。

○浜野座長

 グーグルに引っかけるという意味で。林さん,いかがですか。

○林委員

 メディアアートは私にとっては非常にわかりづらいお話で,きょうお聞きしていていろいろ勉強させられているのですが,この会合のテーマが国際的な拠点の整備ということなので,その視点で桝山さんと桂さんに3つぐらい,初心者に教えていただく気持ちで,少し自分の頭の中を整理したいので,お教えいただければと思うんです。
 1点目は,今の石原さんのお話にも関連するのですが,メディアアートというものの領域の定義ですけれども,もともと文化庁がおっしゃっているメディア芸術という領域というのは,映画・アニメ・ゲーム・漫画・CGアーツ・写真などという言い方をされています。メディアアートというのは,メディア芸術という中に映画やアニメ,ゲーム,漫画云々とあるというぐあいに申し上げた,もともとのメディア芸術というカテゴリーのところの言葉を変えるとメディアアートということで考えていいものなのか。あるいは映画から写真まで,今6つ申し上げましたけれども,それらとクロスしながらも第7の分野というものを意味しているのか。そこのところの領域の位置づけ,定義というものがどうなっているかということについて,少しお話を聞けないでしょうか。桂先生のマトリックスを見ても,私はますますよくわからなくなってきまして,ここには情報処理技術から音楽まで入ってきているみたいなこともありますので,そのメディア芸術の拠点を考える意味においてメディアアートというものの領域はどういう位置づけ,定義になるのかということを一つお聞きしたいです。
 それから,2つ目には,今現在日本のメディアアートの拠点というものが,先ほども少しお話はあったかと思うのですが,どこにあるのか。例えば前回漫画・アニメの話をしたときには,日本には漫画・アニメの博物館とかミュージアムが五十幾つあります,例えば京都漫画ミュージアムに代表されるようなものということで事例がありました。それと同じように考えた場合に,現状存在しているものの中でメディアアートのミュージアムあるいは拠点といったものはどこにどんなものがあるのか。例えば桂さんが最初に自分のところがまさに拠点だというおっしゃったかと思うのですけれども,その辺のイメージをするために,現状日本にあるものの事例というものをお聞きできないかというのが2点目です。
 それから,3点目には,お話を聞けば聞くほど,私前回申し上げたのですが,メディア芸術の拠点という考え方の中にはリアル拠点とバーチャル拠点という考え方があって,リアル拠点というのはまさにどこかに行けばそういうものが存在しているということですね。そこに行けば何かを見るという,リアルな場所という拠点ですが,それに対してバーチャルな拠点というのはネット上の拠点になっていくような考え方がです。どうもメディアアートという世界は両方必要だろうと思いながら話を聞いていたんですけれども,その辺はどんなイメージを持たれているのかというあたりのことを少し整理の意味でお聞かせいただければと思うのですが,お願いします。

○桂

 メディアアートの領域というのは,きょう僕がここに座っている立場から言うと,極めて狭いメディアアートです。つまり,コンテンポラリーアートの現代美術とか,いわゆるアートミュージアム,美術館が対象とするような芸術としてのメディアアートという立場で僕は話をしています。これがまず1番目のご質問に対する回答です。
 つまり,これはメディアアートの世界でもいろいろなことを言う人がいて,実はこれはドイツ系の作品より言語化している状況のほうがおもしろいみたいな状況もあったりして,そんなことを言うのだったら社会学の本を書けみたいな,500ページの本を書けるぞぐらいのことを,でもひょっとしたらメディアアートならちょっとしたスペースで表現できるかもしれないという意味で,辛うじてアートとして成立しているものがたくさんあるのです。だから,今の社会の状況の問題点を言って,9.11だ,エスニシティだ,フェミズムだみたいな話をすごく凝縮して,たった数平米のところでプロジェクションして,私は発表しました。それだけの問題を本に書くと500ページになってしまうので私はこう表現しましたみたいな人もいるわけです。
 そういう意味では物すごく狭いといえば狭いです。そういう意味で,芸術の条件を探すのが現代美術であるというのが僕の定義ですけれども,言ってみればそれに近い,狭いアートがメディアアートだと思います。つまりメディアとは何かとか,メディアを使った芸術とは一体何なのかとか,それが社会に何の意味をもたらすのかとか,歴史にどう貢献するのかみたいなことを,言ってみれば投げかけている人たちが押しなべてアーティストと今呼ばれているわけです。美しいとか,もはやそういったものをつくっている人たちだけではないので,問題を投げかけている人のことをアーティストと呼ぶとすると,その中でデバイスを改造し,もしくは他の領域で出てきた技術的な成果を,自分なりのうまい,自分が言いたいメッセージの上にきちんと覆いをして発表している人たちのことをアーティストと呼び,それをメディアアートと呼ぶというのが僕の立場です。

○林委員

 そうしますと,国際的な拠点が必要だという場合の必要な拠点の中身というのは,先生のおっしゃる狭義の意味でのメディアアートの拠点が必要だとお考えですか。

○桂

 それは,僕は狭義のメディアアートこそ研究機能というのが重要だろうと思っています。ひょっとしたらそれは50年後の研究者が,もしくは100年後の研究者が,美術史の研究者が今のアーティストと呼ばれている人を研究しないかもしれないのです。例えば人類学者とか,社会学者とか,もっといえば科学史の専門家が今アーティストといっている人たちのことを見て,この時代はこんなことを考えていたのだということになるかもしれないという意味でも,僕は辛うじて彼らがもし意味を持つとすればそういうことなのではないかと思います。今,横浜で横浜トリエンナーレというものをやっていますけれども,メディアを使おうが何しようが,芸術の条件を投げかけているという意味では,僕にとっては同じです。それをうまいメディアの手さばきで見せている人たちのことをメディアアート,メディアアーティストといっているにすぎないと,僕は思っています。そこは中谷さんと少し定義が違うかもしれないですけれども,僕はそう思っています。
 それから,2番目のご質問は何でしたか。

○林委員

 日本に現存している,狭義の意味でも結構ですが,メディアアートの拠点の具体的な例があれば教えてください。

○桂

 これが僕は今日の大きな問題提起の一つになると思うのですけれども,いつも順番が逆だと僕は思うんです。特に国のやることは逆で,先に教育機関をつくって,事業をやり,研究というものは何だったかわからなくなったまま,次のところへ行くのです。僕はこれは全くの間違いだと思っているのです。つまり,関心というものがあり,研究は要するに好奇心ですから,その好奇心というものからいろいろな事業が生まれるわけです。そこにオタクがいたりするわけです。信じられないようなものを家にため込んだりしている人がいるわけです。それはある種の研究なのです。これはどういうことだろうと思って集めるわけです。並んでいるのがうれしくて,よだれを垂らしているみたいな状況も実は研究のうちの一つになり得ると思うのです。
 そういう資料的な価値みたいなものも集めてみなければわからなかったりするわけです。その結果として教育というものがあるのだと思うのです。並べてみたところこれだけの違いがあるということを教えるだけでも,それは教育です。それはヨーロッパでは当たり前の話で,まず美術館がなぜ生まれたかというと,物すごく変わった個人の収集家が集めていたわけです。これを見てごらん,こんなものがあるでしょうということから図書館も生まれ,アートミュージアムも生まれきているわけですから,基本的には個人的な興味がスタート地点なわけです。要するに個人的な興味というのは何かというと探究心ですから,基本的には研究なのです。研究というと何か大げさで,文科省的には何か大型加速器みたいなものをつくらなければと思いがちですけれども,僕は違うと思うのです。そこにその分野なりの幾つかの必要なインフラの条件があって,それが見合うだけのものが必要だと思います。しかし,日本の場合は教育がなぜか先です。
 ご質問に答えるとすると,80年代は間違いなく教育という意味で筑波がリードをしてきたと思います。石原さんの先生でもいらっしゃる山口カツジロウさんという方が,石原さんみたいな,ある意味変な人をいっぱい集めて,何でもいいから,何やってもいいよみたいな,こんなおもしろいもの,そういう技術に対する関心,メディアに対する関心がほとんどそういう先人の人たちの好奇心で成り立っているんです。
 ある意味で日本のメディアアートの教育は先人の関心でスピンオフしていった。僕はもうそろそろそういう時期ではなくて,もう少し体系的に,順番は逆ではなくて,でも90年代からはヤマスとか岐阜の情報芸術科学大学院大学というのがありますけれども,そこの子たちが少しずつ世の中に出始めているとか,僕がいた藝大の先端芸術表現科とか,そういった人たち,子たちが,現代美術かメディアアートかわからないところで違うものをやり始めているとか,そういったものはありますけれども,いつも教育ありきです。必ず人材育成が先にくるのです。それが少し不幸かなという気がいつもします。順番は難しいのです。ということで,質問の答えになっているでしょうか。拠点という意味では,僕はないと思います,コレクションがないですから。
 それから,コレクションに関してはもう一つだけ申し上げます。実は,これは僕の個人的な経験で2つほどの事例を申し上げます。1つは,日本の映画や日本の戦時中のものも含めて戦前から映画というものに関する文献を集めていた牧野守さんという方がいらっしゃいます。この方は実は世界的にも非常に有名な方で,この人のコレクションを僕は藝大にぜひ受け入れたいと,ずっと10年近く前から運動してきました。どんな人にとっても僕は資料になると思ったからです。それはどういうことかというと,映画,もしくは見るということに関することの本も全部集めていらっしゃるのです。それから,戦前に満州で満州映画という有名なプロパガンダ映画がありますけれども,戦争といわゆるメディアとの関係とか,そういったものにとっても資料になるといったもので,実は国分寺に家があって,家がつぶれそうなので何とかしてくれというのを僕に最初に,体が弱ってきたからこれを何とかならないかということでご相談を受けたことがきっかけなのです。
 入っていきなり下駄箱のところからこんなに本があるのです。全部で70平米ぐらいの家で,結局8万冊近くの本がありました。これを最終的に藝大と争って持っていったのがコロンビア大学です。ドナルド・キーンの財団に買われてしまいました。僕はこれを基礎にして,さっき言った拠点化という意味で拠点化のインフラとしてぜひ横浜の映像研究科に持っておきたいということで随分活動をしましたけれども,最終的には,牧野さんのご判断もあり,みんなコロンビア大学にいってしまいました。いろいろな要素はあるのですけれども,僕はそれまでも概算要求もしてきたし,いろいろな助成もそれに関してしてきたんですけれども,全部無視されました。それを僕は今,恨みを言っているのではなく,そういう研究というものにはインフラというものが必ず必要で,資料というもの,つまり先ほど僕がちょっとだけ申し上げた物との向き合い方ということが非常に重要です。資料があるだけで人は集まるのです。実際に牧野さんのお宅に,ボスニアとか,それからフィンランドから日本映画の研究のために人が来るのです。そういうところがほかにありますか,ありませんね。それが僕は悲しいと思います。そういう意味でちょっと残念な気持ちがしているのと,これからぜひ頑張りたい。もちろん皆さんと一緒にぜひ頑張りたいなと思います。
 それともう一つの例は,この10年僕が取り組んできた岩波映画の保存です。岩波映画というのは岩波映画社という,中谷宇吉郎先生という,雪の結晶で有名な方がつくった,大学ベンチャーのはしりみたいな映画会社です。その岩波映画が97年につぶれて,結果的にその後日立が買い取ったのですけれども,結局日立が手放したいといって散逸の恐れが出てきた。これを何とかみなしご,みなしごのフィルムのことをオーファンフィルムというのですけれども,オーファンフィルムになることをとにかく避けるために,そのままとにかく,もちろんネガですけれども,ネガのままとにかく何とかしてアカデミックなところに一括して保存できないかということで,何とかなりそうな感じに今なってきているんですけれども,そういうインフラづくりというのも拠点化の重要な要素です。
 資料というのは,何も図書館づくりみたいなものではなくて,拠点化の中にはそういった資料の保存ということは非常に重要だと思います。そういうことのために来る人だっているわけですから,そこはやはり重要だと思います。

○古川座長代理

 先週あたりからすごくいろいろ勉強になって,個人的な関心で講義を受けているみたいな感じで,先週からいろいろな話を伺っているのですが,一つお聞きしたいと思っているのですけれども,ゲームが20年前とは変わってきているとおっしゃいましたけれども,ゲーム単独のミュージアムみたいなものというのは,例えば世界に,ここに今書かれているメディア芸術の拠点の中に入っているということか,あるいは単独にゲームミュージアムというのはどこかに現存するものですか。

○桝山

 メディアアートの定義の話に戻るのですけれども,英語的な文脈で言うと,これは異論があってもいいんですが,ゲームはメディアアートではないので,ゲームはゲームなので,メディアアートの拠点と思っている人はいないと思います。ゲームの博物館のようなものは小さいですが,ベルリンにあります。あとはニューヨークのもともとパラマウントのスタジオだったところにアーカイブがあります。それはミュージアムムービングイメージということで,動画のミュージアムで,映画もあるし,それこそぱらぱら漫画もあるし,その流れとして,アメリカの博物館なので,アメリカは歴史をつくらなければいけないところもあるので,アメリカ発のものであるアメリカの発明であるビテオゲームをアーカイブしているところはあります。巡回展もしています。あとは,パーマネントの組織ではほかにはあまりないです。
 ついでにメディアアートの定義の,先ほどの林さんのお話ですけれども,文科省に詳しくいろいろ説明していただいて,私は別のレベルで,例えば私の母親が私にメディアアートって何?と聞かれたら,映像とか,コンピューターを使ったアートかなというふうに答えると思います。実際横浜トリエンナーレに行くと,今は時間がテーマだったりするので,ビデオ作品が多いです。ビデオアートがメディアアートかという議論はもちろんありますけれども,一般に聞かれたらそういう言い方をすると思います。20年前はビデオアートがメディアアートだと思います。
 それから,拠点の話ですけれども,これもいろいろな考え方があると思うのですが,例えば旅行ガイド的に私が海外から初めて日本に来る人に日本のメディアアートを見られる場所に行きたいと言われたら,もちろん人を紹介することが先だと思いますけれども,具体的な場所といったら,新宿のICCと,あとは山口にあるバイカムと,全体がメディアアートではないですけれども,お台場の科学未来館がメディアアートをやっていることが多いので,観光ガイド的にはそういう言い方をします。

○古川座長代理

 あとは感想みたいなことになりますが,こうやってみんなで交流の場所みたいなものが必要となってきているのですが,肝心のそこに集まってきてほしい,今の学生とか若い人たちのことを考えると,先ほどからいろいろなご意見を伺っていて,何かどういうふうにしたら人が集まってくれる本当におもしろい場所になるのかなということをとても,今,若い人たちが端末と個人みたいな形で向き合っていることが多くて,だからこそそういう場所に呼んでくる場所が必要なのかなという気もするし,果たしてこっちがわいわいやってつくったのにみんな集まってくるのかどうかいう一抹の心配もしたりしています。

○さいとう委員

 今日のお話は私にはふだん,あまり関心を持ってこなかったところなので,ただただ,今の現状はそうなのだなと興味深く聞いていました。3回今までこの会議に出させていただいたのですが,私は今まで全然意識していなかったせいもあるのですが,日本の現状というか,日本の芸術というか,文化というか,その対応というか,まだこんなに何もされていなかったのかという,もちろんされていなかったのではないと思うのですけれども,私が知らなかっただけだとは思うんですけれども,こんなにいっぱいいろいろな問題が毎回提起されると,そんなに不備なことが多いのだろうかと思って,ちょっと不安になってしまっています。
 ただ,聞いていて思うのは,すごく個々が分離していて,なかなか交流の場を持てないというのはいつも聞くことなので,私自身も本当に漫画の世界にしかいないことが多いので,こういうところに私が参加させていただいたのも,ほかの世界を知って,もっと自分を開発したいという思いがあったので,そういう何か自分を成長させたいというのは若い人には絶対あると思います。若い人に限らず何か前進したいという人は必ずいると思うので,そういうものを何とか満たせる場所をつくらなければいけないと,危機感と同時に,今回は特に感じました。何か気軽に接しやすいところに,ここに行けばこれが得られる,情報が得られる突破口がある,窓口があるということを何とかアピールする方法をもっと研究しなければいけないなと,私は思いました。

○浜野座長

 さいとう先生が拠点の必要性を認識してくださったみたいで大変よかったと思うのですけれども,阿部さん,せっかくメディア芸術祭を運営されて,手短に,時間がかからない程度に,メディア芸術という言葉について,事務局をやっていらっしゃるので説明していただけますか。

○阿部

 メディア芸術祭という言葉を最初に立ち上げるときに1年ぐらい議論して,メディア芸術祭を始めなければいけないということでこの名前にしてしまったといったところがあったと思うのですけれども,今となってはその言葉というのは,いろいろ問題あるかもしれませんけれども,よかったかなと思うのです。
 さいとう先生が今おっしゃられた話,それと先ほど最初のほうに話があった若者が興味を持つのが低下しているといったところですけれども,それはそうでもないかなとメディア芸術祭をやっていて思うことがあります。メディア芸術祭,アートとエンターテーメント,エンターテーメントというのはゲームです。アニメーション,漫画と,非常にいろいろなジャンルのものが集まっていて,いらっしゃられる学生さんたちは大体あるジャンルのものに興味を持ってきます。メディアアートが好きな人はメディアアートを見にこられる。アニメが大好きな若者はアニメを見にきます。ただ,その自分の見たいものを見た後に一緒の空間に並んでいるので違う領域,違うジャンルのものも見られるのです。見られると,あっ,こういった世界もあったのだ,こういったジャンルもおもしろいなということで,非常に楽しんで帰られる。そういったことがアンケートとか,行かれた方のブログを見ていると思うのです。
 今の若者が興味を持たないというのは,一つの原因はマーケティングが進み過ぎているからだろうなと,個人的には思っています。電通,博報堂はじめ,いろいろな代理店が非常にセグメントをきちんとして,こういうターゲットにこういうふうにして売り込もう,興味を持たせようということを非常に綿密に展開されている。それが世の中にあふれ回っていますので,非常に興味を持つ対象が狭くなっている。それをぶち破るような何か場というのがあると,もっともっと若者たちは本来,ポテンシャルを持っているはずなので,興味というのは高まっていく。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。前回と違って今回は全く,前回はビジネス的にうまくいっている領域の方のご発言だったので,収集とか,展示とか,アウトリーチをどうするかという議論が中心だったのですが,今回,第1点目はキーパーソンとか,人とか,資料とか,インフラが集まる場としての拠点というのがすごく大事だというご指摘があって,2点目は,これまで収集,保存とか,展示だけ考えていたのですけれども,石原さんの言葉で言うと,博物館でいいのかということだと思うんですが,研究とか教育も機能として非常に重要だというご指摘があったと思います。3点目は,桂先生がおっしゃったように,ヨーロッパだと歴史をつくるとか,アメリカだとマーケットをつくるとか,戦略があるのですが,そういった戦略を我々はどう考えるのかという,大変重要な投げかけがあったと思います。最後は,中谷さんが大変うまいことをおっしゃったのですが,ネーミングで,メディア芸術といってしまうと訳せばメディアアートになってしまうわけですから,それが海外に出たときにどう見えるか。ネーミングが大変大事で,石原さんのご提案を何も無視しているわけではなくて,私も個人的には村上隆さんとか,佐藤可士和さんがやっているように,日本語でチャーミングな何かぱっとつかんでいるようなネーミングがあればいいなと思います。中谷さんがおっしゃるように,ネーミングはとても大事で,名前で評価軸もわかるし,この委員会の最も大きな成果になると思いますけれども,そういった4点を今日ご議論いただいて,大変参考になったと思います。
 ちょうど時間となりましたので,お二人どうもありがとうございました。本日の討議はこれで終わりたいと思います。では,次回の日時について,事務局からご説明いただけますか。

○芸術文化課長

 次回につきましては,来月11月中を予定しておりますが,改めて日程をお伺いいたしまして,調整をしてご連絡をさせていただきたいと思います。最初に申し上げましたように,また分野が変わりますけれども,次回は映画の関係と写真の関係の分野で,こちらも来ていただける方と日程調整をした上で有識者の方に来ていただいてのヒアリングということを予定しているところでございます。
 どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。

○浜野座長

 本日はこれで,どうもありがとうございました。

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