第10回 日本語教員等の養成・研修に関する調査研究協力者会議
議事要旨
1. 日時
平成23年12月19日(金) 10:00~12:00
2. 場所
文部科学省東館7階 7F1会議室
3. 出席者
出席委員
杉戸座長,砂川座長代理,阿部,安藤,井上,宇佐美,坂本,佐藤,田尻,西尾,西原(純),西原(鈴)の各委員
事務局
舟橋国語課長,鵜飼日本語教育専門官,ほか関係官
4.概要
○ 委員の交代,資料説明,資料についての質疑応答の後,意見交換が行われた。意見交換の概要は,以下のとおりである。なお,引用部分は,資料3からのものである。
<日本語教育機関の区分について>
- 報告書構成のたたき台では,日本語教員養成機関を「大学等」と「日振協」と「地域」の三つの区分に分けて整理・分析を行うようになっている。「地域」を「大学等」「日振協」を区別して取り上げるのは適当と思われる。「大学等」と「日振協」は,これまで文化庁の報告書(「日本語教育のための教員養成について」平成12年3月)では,日本語教員養成について二つの区分をせずに一つの方向性を出しているので,その方向性に合うような形でまとめていくのだろうと思っていた。しかし,今回の調査で現状を見ると,確かに「大学等」と「日振協」では目標や教育内容が違うので,三つに分けて整理するということでよいだろう。
- 現状把握について,整理の途中ではあるが調査結果に違いがありそうだということで分けている。最終的なまとめの段階で,「大学等」と「日振協」で共通する今後の課題等があれば,それを踏まえたものにするということになると思う。
- 略称について,「大学等」はよいが,それ以外は見直しが必要ではないか。「日振協」という略称は,以前は日振協の認定校と法務省の告示校が一致していたが,現在は一致していないため,適当かどうか。「地域」という略称で表されている区分の中には,いわゆる「地域の日本語教室」以外のものも入り込んでいるのではないか。
- 養成機関を「大学等」「日振協」「地域」の三つに分けてしまうと,それぞれの範囲の中での話になってしまうのではないか。日本語教育全体の方向性として日本語教師とはこういうものだということを,報告書のどこかで記述する方がよいのではないか。
<社会的背景と教員養成との関係について>
- 調査研究の社会的な背景は大変大事だが,大学,生活者としての外国人,高度人材,外国人児童生徒など,それら全てが教員養成に直接関わる問題だと受け取られるような書き方でいいか。一つの機関で日本語教員養成に関する全てのニーズに対応するのは恐らく無理だろう。また,養成課程がどこまで担うべきかということが気になる。
- 報告書骨子のたたき台の第Ⅲ章に「全ての社会的要請や学習ニーズに応えることは困難である」という記述が出てくる。一つの機関で全てのニーズに対応するのは無理だという先ほどの指摘は,この記述と合わせて検討するのはどうか。
- 第Ⅰ章の調査研究の目的のところで「日本語教員等の養成にも,このような状況に対応した資質能力の育成が求められている」と記述しているところを,「日本語教員等の 養成・研修にも,このような・・・」としてはどうか。
<調査結果の示し方について>
- 日本語教員の現状に関する調査の結果概要の図表については,資料として最後にまとめられているだけでは,報告書を読む側としては読みにくいのではないか。本文に図表を挿入するなどの工夫が必要。
<報告書の構成について>
- 報告書の構成の枠組みについては,事務局作成のものを出発点として,今後具体的な記述について検討していくこととする。(座長了)
- それぞれの章において,機関の種類別に,まず調査結果を記述し,それに対する分析・解釈を記述していくという構成はわかりやすくてよい。
<目的・目標から抽出されたキーワードについて>
- 「大学等」で「国際感覚」というキーワードが抽出されているが,今の時代に合っていないのではないか。これは大学のカリキュラムが社会とずれているということなのか。
- 古いとは感じるが,「国際」と名の付くところに学生が集まるという事実もある。
- 学生について,もともと強かった内向き志向が東日本大震災でもう少し強くなったのではないかと感じている。ただ,全員が内向き志向ということではなく,地元密着で地域に貢献したいという学生と,世界を飛び回って活躍したいという学生との二極化が進んでいるのではないか。大学として,非常に内向きの学生に対していろいろなプログラム・カリキュラムを用意しているということもあるようだ。
- グローバル化に対応できる人材育成の大学でのテンポが,社会のグローバル化の実態に比べてかなり遅れてしまっていると感じる。大学の人材育成のテンポが社会のグローバル化に追いつくように何かきっかけを与えるカリキュラムなどを企業や経済界が協力してできないかと考えているが,ベースとなるのは,最先端のグローバル事業だけでなく,もっと基礎的な部分もある。各大学がどんな取組をしているのかしっかりと掘り起こしていかないと,課題が見えてこないのではないか。
- 「国際感覚」というと古い感じかもしれないが,「国際理解」「国際交流」はキーワードにもなるし,魅力にもなり得る。
- 「国際」という言葉には,幅広く,積極的な意味合いが込められているのではないか。
- 学生の二極化という話があったが,大学間の交流,国際交流には,どこの大学も積極的に取り組んで行こうという動向はあるのではないか。
- 「地域」の区分で,「国際」という言葉が全然出てこないことにショックを受けた。しかし,これは外国人を迎え入れて,社会適応を支援していく立場の人たちを養成するからではないかと考えると腑に落ちる。ただ,本来,外国人を受け入れるだけではなく,日本人も国際的な感覚を持つことが地域の支援活動の魅力だと思うので,そのことについて提言では触れた方がよいのではないか。
- 地域では外国人の流入が多くなり,定住化が進み,「多文化共生」という視点でのまちづくりも進んでいる。そういうことに日本語教室は深く関わっているので,地域の視点からは「国際化」よりも「多文化共生」という言葉を使ってまとめるのがよいのではないか。
<養成講座の時間と期間について>
- 「日振協」の420時間以上の長期養成講座というのは,少なくとも6か月以上の期間で行うことが一般的だが,中には6か月よりも短い期間で420時間をこなすところもある。これについて「柔軟な運用」と言うと肯定的だが,本会議での検討に基づき表現の仕方も考える必要があるのではないか。
- 420時間をどのくらいの期間で実施するかという話は質保証に関わる話だと思うが,本会議の当初の目的は現状の整理を行うこと。質保証に踏み込めるのか。
- 質保証について,具体的な方策や提案ができるかはわからないが,少なくともこういう現状と課題があるということは書いておく必要があるのではないか。
- 「柔軟な」という言い方には,一般的には肯定的な意味合いが含まれていると感じる。「さまざまな運用が行われている」という表現の方が適切ではないか。
- 第Ⅱ章の日本語教員養成の現状と課題において,「日振協」では「420時間に準拠したものが多く,ある種,教員養成課程の標準が確立されている」という記述があるが,同じ「420時間」でも,それを実施する「期間」には長短があり,標準が確立していると言えるか。期間だけが長い場合もあると考えられる。「期間」の長短と「質」は必ずしもイコールではないと捉えるべきではないか。
<日本語教員に対する研修の実態について>
- 「大学教員として求められることに対応した研修」とは何を指すのか,「機関としては研修が十分に実施されているとは言い難い」というのは,どういうことか。
→ 「大学教員として求められること」には,人権研修やファカルティ・デベロップメント研修等が含まれている。教員側に言語や指導力の向上に関する研修ニーズがあっても,教員個人で研修機会を見つけるのが現状であることが調査結果に表れていたため,このような記述となった。
→ 大学教員は所属機関において自分自身の専門に関する研修機会が特段ないというのが一般的であり,特に日本語教育分野だけがその面で不十分だとは言えないだろう。 - 「日振協」の新規採用者に対する研修についての課題の「教員研修を体系化していくことによって,さらに専門性の向上が期待できるのではないか」という記述には違和感がある。ますます多様化している日本語教育機関に新規採用された者に対して,一律な体系化された研修というのは,相反するものを感じるので,別の表現を検討するべき。
<課題への提言・対応策について>
- 「地域」では「教育」ではなく「支援」という言葉がよく使われる。報告書における用語の解説があった方がよい。
<日本語教育実態調査について>
- 毎年実施している日本語教育実態調査に,今回の調査項目のうち,継続的に調査を行うことに意味があると思われるものを追加していくことをぜひ検討してほしい。
<今後の作業について>
- 特に第Ⅲ章についての意見を事前にお寄せいただきたい。具体的な作業手順については,座長と事務局で相談の上,メールで連絡する。