はじめに

 アジア太平洋地域諸国には各種の文化財が所在し,その中には世界的に見ても優れた価値を有するものが少なくない。これらの諸国は,近年,自国の文化財の保護に積極的に取り組むようになってきているが,その中には,人材や技術,資金の不足などの問題に直面している国も少なくない。このため,同地域における文化財保護の先進国である我が国に対し,文化財保護の分野での積極的な国際貢献を求める声が,これらの諸国や国際機関から寄せられている。

 我が国は,これまでも文化財保護に関する国際協力として海外の文化財の保護に関する各種の協力活動を行ってきたところである。しかしながら,今後増大することが見込まれるアジア太平洋地域諸国からの協力要請に一層積極的に対応していくためには,文化庁,国立文化財研究所等の体制整備とともに,関係省庁,国内外の機関・団体との連携・協力体制の整備,人材養成の充実など多くの課題がある。

 本協力者会議は,文化庁長官の要請を受けて,平成9年7月30日に第1回会合を開いて以来,我が国が文化財保護に関する国際協力を推進していくための方途について検討を進め,このたび以下のとおり各協力者の意見を取りまとめたので,報告する。

 本まとめの考え方と提言が関係者並びに関係機関の共通の認識となり,具体的に実施に移されることによって,我が国の文化財保護に関する国際協力が今後さらに発展することを期待する。

Ⅰ 文化財保護協力の必要性

  1. 文化財保護協力の意義
     文化財保護に関する国際協力(「文化財保護協力」)は,外国の文化財の保存修復・整備活用などの文化財保護活動に対して行う協力である。
     文化財は,様々な人々と諸民族の国々とが交渉し合って形成された世界の長い歴史の中で生まれ,今日に伝えられてきた人類の貴重な財産である。それは,世界の国々の歴史や文化的伝統の理解に欠くことができないものであると同時に,世界の国々の文化の発展の基礎なすものである。したがって,世界の国々が自国の文化財の保護を図ることは,自らの文化的な基盤を維持し,これを発展させる上で重要であるばかりでなく,世界の文化の多様な発展にも寄与することになる。この意味で文化財保護協力は国際協力の重要は分野として位置づけることができる。
  2. 我が国の協力が求められる背景
    • (1) アジア太平洋地域諸国は,近年,自国の文化財の保護に積極的に取り組むようになっている。しかし,実際には,多くの国々において,文化財保護行政全般にわたる企画立案や個々の文化財の保護修復に当たる人材の不足,文化財保護行政に関する法律の制度の不備,必要な財源の不足などの理由により,滅失・破損や観光利用のための拙速な修理・復元などの危険に直面している文化財が少なくないとの指摘がある。
    • (2) 一方,我が国は,高度経済成長と固有の伝統文化の保護を両立させてきた国であることが広く認められている。文化財保護制度も整備されており,文化財保護に関する研究,保存修復技術の水準の高さは国際的に評価されている。そのため,太平洋地域の多くの国々は,文化財保護分野での我が国の一層の協力を期待している。
    • (3) 我が国は平成4年に「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(「世界遺産条約」)を締結し,ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産保護活動に協力するとともに,平成10年の世界遺産委員会を議長国として京都で開催することとしている。さらに,橋本内閣総理大臣は平成9年1月14日のシンガポール訪問時の政策演説で,今後,日・ASEANが共同で取り組みを強化していく柱の一つとして,日・ASEAN間の国民の相互理解を一層深め,文化面での多彩な協力関係を樹ち立てることを提唱し,その一環として,同地域の文化遺産の保存修復に積極的に協力する旨表明するなど,アジア太平洋地域における文化財保護協力の推進は,今日ますます重要視されているところである。
  3. 我が国の文化財保護協力の現状
     我が国においては,文化庁,文部省・日本ユネスコ国内委員会,外務省,国際交流基金,国際協力事業団,大学,地方公共団体,民間団体(NGO)がアジア太平洋地域諸国の文化財の保護に関して各種の協力事業を行っているが,具体的には,以下のようなものがある。
    • (1) 文化庁
       東京・奈良の国立文化財研究所が中心となり,国際共同研究や専門家の派遣による技術協力,招へい研修,国際研究集会の開催などの事業を実施している。
       具体的には,中国・敦煌遺跡,カンボジア・アンコール遺跡などの保存修復に関する共同研究,政府間機関である文化財保存修復研究国際センター(イクロム)との共催による紙を素材とする文化財の修復研修,アジア地域の文化財専門家の意見の交換を目的とするアジア文化財保存セミナーなどを実施している。また,平成6年11月には,国際会議「世界文化遺産奈良コンファレンス」を奈良市で開催し,議論の成果として「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」が採択された。
       さらに,増大する各国からの協力要請に対応し,文化財の保存修復に関する国際的な研究交流・保存修復事業への協力,専門家の養成,情報の収集・活用を行うための組織として,平成7年4月に東京国立文化財研究所に国際文化財保存修復協力センターを設置し,逐次その充実を図っているところである。
    • (2) 文部省・日本ユネスコ国内委員会
       ユネスコにおける文化財保護に関する事業について連絡調整を行うとともに,財団法人 ユネスコ・アジア文化センター等の事業に対して助成を行っている。
       また,科学研究費補助金「国際学術研究」,「在外研究員制度」等を活用して我が国の研究者による諸外国の文化財の調査・研究が推進されている。
    • (3) 外務省
       ユネスコに設置した文化遺産保存日本信託基金及び無形文化財保存振興信託基金への拠出を通じ,アジア地域の遺跡の保存修復事業や無形文化財保護事業を支援している。具体的には,カンボジア・アンコール遺跡や中国・大明宮含元殿の保存修復事業,ヴィエトナムの無形文化財保存に関する専門家会合,アジアの漆技術保存に関するワークショップなどが実施されている。
       また,二国間協力として,文化財の保存活用に必要とされる資機材供与などの文化無償協力を行っている。
    • (4) 国際交流基金・国際協力事業団
       国際交流基金は,我が国の文化遺産保存専門家の派遣や海外の文化財保存・修復専門家の招へい,アジア各国の有形・無形文化遺産の保存,記録,公開に対する支援を行っている。
       また,国際協力事業団(JICA)は,アジア太平洋地域からの研修員を受入れ,文化財修復整備に関する研修を実施している。
    • (5) 大学
       大学は,教育研究活動の一環として,または他の機関からの要請に応じて教員を派遣し,海外において文化財の保護に関する共同研究や文化財保存修復事業に対する技術支導を実施しているほか,国内において文化財保護に関する基礎的な研究や,留学生・研修生の受入れを行っている。
       また,協力人材の養成機関としても重要な役割を担っている。
    • (6) 地方公共団体
       地方公共団体は,近年国際協力に積極的に取り組むようになっているが,文化財保護協力の分野においては,文化庁・自治省・財団法人 自治体国際化協会の支援による諸外国の文化財保護行政担当者,博物館・美術館の専門職員の受入れ協力などが行われている。
    • (7) 民間団体
       我が国の民間団体(NGO)は多種多様な文化財保護協力を行っている。具体例としては,社団法人 日本ユネスコ協会連盟が行う世界遺産に関する広報活動,財団法人 ユネスコ・アジア文化センターが行う文化遺産保護に関するアジア・太平洋地域セミナーの開催や無形文化遺産記録巡回講師団の派遣,財団法人 文化財保護振興財団が行う海外の文化財の保存修復や研究活動に対する助成や海外の文化財に対する緊急支援を行う「文化財赤十字活動」の普及啓発活動などがある。
  4. 我が国にとっての意義
     一国の文化は近隣の諸国との直接的・間接的なつながりの中で生まれ,培われるものである。我が国が,アジア太平洋地域諸国をはじめとする諸外国からの文化財保護協力の要請に応え,協力を推進することは,我が国の文化財保護に関する考え方や文化財の保存修復・整備活用に関する技術と経験を海外に向けて発信することとなる。このことは,国際的な文化財保護の推進に寄与するという国際貢献の観点から重要であるのみならず,諸外国との文化財保護に関する考え方や伝統的な技術・経験の相互交流を通じ,我が国の文化財保護の水準向上や幅広い相互理解の促進等に寄与することが期待される。

Ⅱ 今後の文化財保護協力の方向

  1. 協力の理念
     一国の文化財の保護は,外国からの一時の資金や資機材の供与だけで可能になるものでなく,自国の気象条件や文化財の材質・伝統的な保存修復技法に通暁したその国の専門家による長期間にわたる保存修復の努力と,それを支えるその国の国民全体の理解と協力によってはじめて可能になる。
     したがって,今後,我が国が文化財保護協力を行うに当たっては,自国の文化財の保護はその国の国民が自ら責任をもって行うという「自助努力」の考え方を基本とし,相手国の政府や国民の自助努力を支援するという観点から,その国で文化財の保護に携わる人材の養成支援,すなわち人づくり支援に重点を置き,長期的な視点に立った協力を一層推進していくことが望まれる。
  2. 協力の対象地域
     アジア太平洋地域は,我が国がその一員として緊密な関係を築いてきた地域であり,近年,ますます相互依存関係が深まっている。我が国としては,同地域の安定と繁栄に寄与するためにも,同地域への協力に重点を置き,日本ならではの積極的な役割を果たしていくことが望まれる。
     一方,我が国の文化財保護協力に関するこれまでの経験や技術が役立つ限りにおいて,同地域以外の諸国からの協力要請についても,これまで同様に応えていくことが必要である。
  3. 協力対象となる文化財の種類
     協力対象となる文化財の種類については,何を文化財として保護すべきかという文化財の価値に対する考え方が国によって違うことを考慮すれば,世界遺産としてユネスコの世界遺産リストに登録された文化財だけでなく,それ以外の有形文化財(動産・不動産),無形文化財(伝統芸能,伝統工芸,民俗芸能など)についても相手国の要請があれば広く協力の対象とすることが望ましい。
     中でも無形文化財については,近年のアジア太平洋地域諸国における社会の近代化や工業化の進展に伴い消滅の危機にさらされているものが多いことを考慮すれば,早くから無形文化財の保護に関する制度を設け保護に取り組んできた我が国の経験を生かし,積極的に協力を推進していくことが今後とも必要である。
  4. 協力の進め方
    • (1) 国際機関を通じた協力
       ユネスコや文化財保存修復研究国際センターなどの国際機関を通じた協力については,二国間の協力に比べ相手国にとって受入れられやすい反面,我が国の「顔」が相手国の国民に対して見えにくいという意見がある。
       このような状況を踏まえ,国際機関を通じた協力については,総合的外交政策の観点に留意しつつ,我が国からの職員の派遣などを通じて,情報の交換や協力事業の企画・実施に関する連携協力を積極的に行い,文化財保護に関する我が国の考え方を積極的に発信するとともに,より効果的な協力システムの構築に主導的な役割を果たしていくことが望ましい。
       なお,このことは,アジア太平洋地域諸国が行う域内の文化財保護事業など多国間の枠組みによる文化財保護活動に対する協力に関しても同様である。
    • (2) 二国間の協力
       二国間の協力については,総合的な外交政策の観点に留意しつつ,相手国の主権や固有の文化的伝統,文化財保護に対する考え方や価値観等を尊重するとともに,相手方の要請に対しては,専門家の参加を得て相手国の文化財保護機関との十分な協議と現地調査を行い,相手国のニーズを十分見極めた上で,協力の内容・方法に関する我が国の考え方を積極的に説明し,相手国の理解を得つつ協力を実施する必要がある。
       また,以下の点に注意する必要がある。
      •  ア ハード面とソフト面の組み合わせ
         主として文化無償協力による機材供与などのハード面での協力と,共同研究とそれに伴う研究者交流,専門家の派遣,研修生の受入れを通じた我が国の文化財保護に関する知識・技術の提供・移転といったソフト面での協力を適切に組み合わせた総合的な協力を実施することが期待される。
      •  イ 我が国の経験の活用
         ソフト面の協力に当たっては,個々の文化財の保存修復技術の移転にとどまらず,我が国の文化財保護の基本的な考え方や,我が国の特色ある保護制度,保存修復計画の立案から実施までのマネジメントの方法,遺跡の復元方法,博物館での展示方法など幅広い範囲にわたる我が国の経験を相手国に伝えることが期待される。その際,自助努力の考え方を基本とする立場からも,相手国に我が国の知識や技術を一方的に提供するのではなく,我が国の知識や技術を率直に見せ,その上で相手国と一緒に考え,その国に最適な保護方策を自ら見出してもらうといった,相手国の自主性を尊重する配慮が外交的観点からも必要である。
      •  ウ 他の協力国等と連携・協力
         協力の相手国においては,他の諸国等が同時に協力活動を行っていることが少なくない。相手国のこれら協力国等への多様な協力要請に応じ,我が国を含めた協力を行う側が効果的な支援を進めていくためには,当該相手国への個別案件の調整にとどまらず,協力案件全般に対する協力方針について情報・意見の交換を行うことにより,協力国等間の調整を図り,調和のとれた協力を実施することが望まれる。
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