高松塚古墳の現場

平成18年10月2日(月)

 本日より14:00より開始式を実施しました。
 文化庁,国営飛鳥歴史公園事務所,独立行政法人文化財研究所,奈良県教育委員会,明日香村のほか,修理技術者などの業者,報道関係者も含め,50名ほどが参加しました。
 その後,古墳を覆っていた冷却管設置時の盛土を除去して,平成16年度の発掘時に調査区を埋め戻した土の検出作業にとりかかりました。

 これから来春まで解体作業が続きますが,安全第一で実施していきます。

開始式を待つ墳丘
写真1 開始式を待つ墳丘

開始式の様子
写真2 開始式の様子

多数来場した報道陣
写真3 多数来場した報道陣

平成18年10月13日(金)

 10月2日以後,墳頂部分の冷却管設置に伴う盛土を除去し,平成16年度調査の埋戻し土も除去しました。取り除いた土を利用して,墳丘の裾に解体のための足場を徐々に整形してゆきます。
 墳丘上では平成16年度調査でも確認した昔の蜜柑畑の段差を検出し,墳頂部南側では昭和47年・49年の発掘調査区(以下,旧調査区)を確認しました。旧調査区では,埋め戻し時に敷かれた遮水シートが姿をあらわしました。埋め戻し土にはこまかい亀裂や植物の根がみられます。
 このほか,既存の保存施設の前面に,着替えや簡単な作業のための仮作業室を設置しました。

発掘作業の様子
写真1 発掘作業の様子

旧発掘区の遮水シート
写真2 旧発掘区の遮水シート

仮作業室の仕上げ作業
写真3 仮作業室の仕上げ作業

平成18年10月27日(金)

 石室内は引き続き,修理技術者による養生作業を行いました。必要な箇所について,天井石と側石が接する目地部分を切ったり,強化したりする作業です。27日に作業が終わり,石室内を消毒してから盗掘坑の閉塞ブロックを閉鎖しました。
 発掘作業については,墳丘版築にみられる地震痕跡を精査しました。写真1・2の地面の亀裂を見てください。版築が大きく破壊されていることがわかり,地震の巨大さが伺えます。
 近年伐採したモチノキの根も,その行方がわかってきました。根の先端は亀裂の中へ入り込んでいます。
 また,江戸時代の絵図には墳頂に生えた一本の松が描かれており,これが高松塚という名前の由来になったと言われています。この松の根の痕跡らしきものが断面で確認されました。写真1で人が手をかざしている部分が,根の腐った跡です。なお写真を撮っているのは報道陣です。

墳丘北西部分で見つかった亀裂と松の根らしき痕跡
写真1 墳丘北西部分で見つかった亀裂と松の根らしき痕跡

墳丘北東部分での亀裂とモチノキの根
写真2 墳丘北東部分での亀裂とモチノキの根

平成18年11月2日(木)

 PC版の切断・撤去作業に先立ち,保存施設と石室のあいだに位置する取合部に,仮設庇を設置しました。なぜかというと,仮設庇がないまま上部から掘り下げてきて,PC版を撤去してしまうと,取合部が外気にさらされて石室内への影響が懸念されるからです。そこで保存施設と石室前面をつなぐようにカバーする,ミニ取合部とでも言うべき施設を設置し,石室周囲の空気環境を保つこととしました。仮設庇は防黴剤を塗布した材を用い,機材などはすべて消毒したものを持ち込んで施工しました。最後に全体を入念に消毒して,PC版の切断作業に備えます。
 墳丘上の現場では,シリコンを用いて地震痕跡の型取りを実施しました。
 また,墳丘前面のわきには,奈良文化財研究所の協力で,みなさまに発掘の状況を説明する看板を設置しました。

仮設庇を設置した状態
写真1 仮設庇を設置した状態

型取りの様子
写真2 型取りの様子

説明の看板
写真3 説明の看板

平成18年11月10日(金)

 今週は,調査区南側でPC版の検出とその切断・除去を開始しました。PC版とは,石室南端と取合部の上面を覆う保存施設の一部です。PC版は昭和47・49年の発掘調査区の形にあわせて,将棋の駒の様な形をしています。調査区との細かな隙間は,四角い凝灰岩切石と灰色の粘土とで塞いでいましたが,灰色粘土には細かな亀裂が入り,切石の裏側には黒い黴状の物質が認められました。このPC版があると,石室本体を取り出すことが難しいので,根本から切断・除去しました。

PC版の検出状態
写真1 PC版の検出状態。周囲の目止に使われた灰色の粘土には亀裂が認められます。

PC版の一部を除去し,粘土と石灰岩切石を取り外しました。
写真2 PC版の一部を除去し,粘土と石灰岩切石を取り外しました。

PC版の切断が始まりました
写真3 PC版の切断が始まりました。石室に影響を与えないよう慎重な作業が行われています。

平成18年12月1日(木)・2日(金)

高松塚古墳の発掘現場の明日香村民等への公開

 本年10月から,来年3月の石室取り出し作業に向けた墳丘部の発掘調査を開始しています。これまでの発掘調査において,墳丘の築成状況が明らかになるとともに,大規模地震による墳丘部の亀裂などが確認されています。
 このため,下記の日程において発掘現場の状況を明日香村民の方々を対象に公開しました。
 なお,村民以外の方については,現場の許容量等の関係上,考古学等の研究者の方々について参加していただいております。

1.日時 : 平成18年12月1日(金)~2日(土)10:00~16:00

2.場所 : 高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村大字平田字高松444番地)

3.内容 : 高松塚古墳の発掘現場の公開(現地見学会)

4.参加者数 : 1日802名,2日1,148名 合計1,950名

高松塚古墳の発掘現場における村民等への公開(12月1日~2日)1

高松塚古墳の発掘現場における村民等への公開(12月1日~2日)2
写真 高松塚古墳の発掘現場における村民等への公開(12月1日~2日)

平成18年12月8日(金)

 今週は,調査区の北側の部分で,石室直上を覆う白色の極めて堅い版築層を検出しました。また版築をつくる際の突き棒の痕跡も見つかっています。この白色版築は,上層の版築に比べて倍程度の硬度があります。このように版築を堅く作る方法については,土壌をサンプリングし詳細に分析を行う予定です。また,三村衛(京都大学防災研究所助教授)先生をはじめとする専門家等による地耐力調査(針貫入試験等)も,調査区内の縁辺部に対して行われました。地盤が,今後設置予定の内部断熱覆屋やクレーンベースの設置に耐えられるかを調べる重要な検査です。

石室を覆うように白色の堅い版築層を検出しました
写真1 石室を覆うように白色の堅い版築層を検出しました。茶色い斑の部分が版築を作る際の突き棒の痕跡と考えられます。

地耐力調査
写真2 地耐力調査。針貫入試験などの方法により,地盤の堅さを調べています。

平成18年12月15日(金)

 南北方向に残されていた土層観察用の畦を掘り下げたことにより石室直上を被う白色の固い版築層がはっきりと見えてきました。墳丘の北側ではきれいな円弧を描いていますが,南側では石室天井石の南端部分に相当する付近から大きく下方に落ち込んでいます。これは,石室を白色の版築層で覆った際,後に墓道を掘る目安とするために天井石の南端が外から見えるようにそこを避けて版築を築いたためこの部分が落ち込んでいるものとみられます。石室及び版築層の工法を知るための資料といえます。
 また,この白色の版築層にも大きな地震痕跡が見出されました。石室周辺には石室の長辺に沿うように縦長の亀裂が南北方向に走っています。特に石室東側では版築層に数センチの段差が生じています。
 本日の作業は東西方向に残された土層観察用畦の断面について,図面作成,写真撮影等がおこなわれました。また,14日夕刻に南北方向の畦の南側最下層から見出された「むしろ」を敷いた痕かとみられる痕跡について,さらなる調査,撮影等を継続して行っています。

平成18年12月22日(金)

 発掘現場も第一段階の終盤に入り,あわただしさを増しています。土層観察のために残してあったアゼと呼ぶ壁のような部分の表面を,資料にするために剥ぎ取り,それから掘り下げてゆく作業を継続しています。
 版築は固いのでブロック状にぱかっと取れることがあります。そのような箇所で,繊維状のものの痕跡を発見しました。どうやら「むしろ」のようなものを版築の途中で敷いており,それがスタンプのように版築の面に形を残したもののようです。
 古代の堤防で土の滑り止めなどのために枝を敷きならべる工法があり,それと類似した目的ではないかと推測されますが,類例のない発見なのでまだ断定的なことは言えません。通常の発掘であれば時間をかけて検討してから報告するところですが,出来る限り速やかに情報を提供するために,速報的に発表しました。

剥ぎ取り作業の様子
写真1 剥ぎ取り作業の様子

むしろ痕跡がみつかった部分(中央の帯状の箇所)
写真2 むしろ痕跡がみつかった部分(中央の帯状の箇所)

むしろ痕跡の拡大
写真3 むしろ痕跡の拡大

平成19年1月10日(水)

 新年がはじまりました。
 昨年末で発掘第一段階が終了し,現地では次の段階へむけて断熱覆屋の建設が始まりました。この断熱覆屋内では,発掘第二段階での石室露出に備えて,温湿度をコントロールするための空調を実施します。石室内は温度10℃,湿度ほぼ100%のため,そのまま露出させると外気の影響で急速な乾燥と温度の変化がおこり,壁画への影響は避けられません。外気の影響なく解体を実施するために,この断熱覆屋は必須の装置です。
 また,国営飛鳥歴史公園の一角では解体した石材を搬入して,修理作業を行うための仮設修理施設の建設が進められています。

建設が始まった断熱覆屋
写真1 建設が始まった断熱覆屋

建設がすすむ仮設修理施設
写真2 建設がすすむ仮設修理施設

平成19年1月15日(月)

 先週9日から開始した内部断熱覆屋の設置作業が続いています。フレーム部分はほぼ完成し,屋根や,施設内中段の記録撮影用足場の設置もほぼ終了しました。解体後の石室を断熱覆屋の外に運び出す為のレールクレーンの設置も行われ,問題なく作動することも確認されました。この後は,断熱覆屋内を一定の温度・湿度に保つための機器が取り付けられる予定です。

内部断熱覆屋,壁を残してフレーム部分はほぼ完成です。
写真1 内部断熱覆屋,壁を残してフレーム部分はほぼ完成です。

解体された石室を運び出す為の「レールクレーン」です。
写真2 解体された石室を運び出す為の「レールクレーン」です。

平成19年1月29日(月)

 本日より発掘作業の第二段階が始まりました。これからは10℃,90%の環境制御をした断熱覆屋内での発掘となり,いよいよ石室にせまっていきます(写真1~3)。
 高湿で狭い場所での作業は快適とはいえません。舞い上がる土ほこりを吸い込まないよう,また,人体に付着した微細なゴミや微生物などを出来る限りもちこまないように,作業者はマスクと防護服を着ています。安全帽(ヘルメット)も必須です。
 調査は第一段階で検出した白色の版築を掘り下げてゆきます。すでに当初の墳頂から2.5メートルほどの深さになっていますが,地震による版築の亀裂内には植物の細かい根がみえます(写真4)。固い版築を避けて亀裂内に根をのばしたのでしょう。石室天井石の上面までは,土が厚いところでもあと70センチメートル程度とみられます。
 これから2ヶ月ほどかけて,石室全体を露出させながらさまざまな調査を行い,同時に石材取りあげのための機材の最終調整などをしていきます。高湿度環境での作業はカビとの闘いになると予想されますが,最善を尽くして,安全第一で作業をすすめます。

仮設覆屋の外観
写真1 仮設覆屋の外観

仮設覆屋内に設置した断熱覆屋
写真2 仮設覆屋内に設置した断熱覆屋

発掘の様子
写真3 発掘の様子

亀裂内にのびる植物の根
写真4 亀裂内にのびる植物の根

平成19年2月16日(金)

 今週は,昨年11月の保存施設PC版撤去工事に先立ち,取合部に設置した仮設庇を撤去しました。工事は短時間で終了し,保存施設の設置以来,実に32年ぶりに取合部と石室上面の一部が露わとなりました。これにより今までPC版の陰に隠れてよく分からなかった部分への調査が可能になり,取合部や石室上面の一部に黴が見つかりました。国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会の杉山委員と高取委員による黴のサンプリングも行われ,今後,石室内で発生した黴との関係について詳細な検討が行われる予定です。また今週は,解体後の石材を修復施設に運搬する特殊車両の走行実験も行われています。

仮設庇撤去後の取合部の調査
写真1 仮設庇撤去後の取合部の調査

走行実験は石材の積み込みから行われ,緊迫したムードの中で行われました。
写真2 走行実験は石材の積み込みから行われ,緊迫したムードの中で行われました。

平成19年2月20日(火)・21日(水)・22日(木)

 この三日間では墳丘の南側の掘り下げが行われました。南西・南東部を徐々に掘り下げて行き,突き棒の痕跡が明瞭に見られた墳丘北側と同じ層まで達する予定です。また,旧取合部の西側から墓道の西壁に相当すると見られる層が見えてきています。22日には代表取材として発掘の作業風景の取材が行われました。

墳丘南側発掘作業
写真1 墳丘南側発掘作業

代表取材風景
写真2 代表取材風景

平成19年2月23日(金)

 平成18年8月末~9月初旬にかけて行われた,壁画のフォトマップ撮影の画像が完成しました。撮影はキトラ古墳と同じく,奈良文化財研究所が行いました。3,900万画素の高精細デジタルカメラを用いて,各壁画面を20㎝間隔で分割撮影し,画像の中心部分だけを合成して歪みのない高精細な画像を得ることができました。この画像は,解体を控えた壁画の現状を記録し,また今後の解体,修理などの作業でも基礎的な資料となる重要な画像です。あわせて撮影されたビデオ画像も報道関係者に公表しました。

平成19年3月2日(金)

 今週は石室天井石の上面まであと10センチメートルの高さまで掘り進みました(写真1)。もともとの墳丘頂部から3メートルほど掘り下がっています。高松塚の版築は水平ではなく,まるく積み上げていくので,検出面では同心円状に版築の層が見えています。中央の十字の高まりは土層観察用の土手です。
 天井石の輪郭に沿うように南北の大きな亀裂があり,そこから放射状に亀裂が広がっている様子がわかります。これは,巨大地震によって古墳全体が激しく揺れた際に,版築と石室の境から亀裂が広がったと考えられます。過去に何度もこの地を襲った,90~150年周期で発生するという南海・東南海地震が主な原因と推定されます。亀裂は地震の威力をあらためて見せつけているかのようです。
 発掘調査は亀裂の状況などを記録したのち,さらに版築を掘り下げ,いよいよ天井石の検出作業にとりかかります。また,取合部の周辺では版築層の面や亀裂に大量のカビらしきものが認められます。これらは微生物の専門家によるサンプリングも行われました。

版築にみられる亀裂の様子。
写真1版築にみられる亀裂の様子。画面下が南側になり,取合部に露出していた南端の天井石と,盗掘口の閉塞ブロックなどが見えています。

平成19年3月12日(月)

 国営飛鳥歴史公園の一角に建設を進めてきた仮設修理施設が竣工しました。建物面積は約490㎡,鉄骨造の平屋建てです。内部には修理作業室,準備室,機械室などがあり,温湿度をほぼ一定に保つ高度な空調設備を備えています。また作業スペースをガラス越しに見ることができる見学通路も設けてあります。常時公開は難しいものの,壁画修理の進捗に応じて見学する機会を設けたいと考えています。
 なお詳細については文化庁ホームページの「国宝高松塚古墳恒久保存対策検討会資料(第6回)」の資料6に,設計概要が掲載されていますので,あわせてご参照ください。

全景
写真1 全景

修理作業室
写真2 修理作業室。ここに解体された石材が搬入され,技術者による修理作業が行われます。

見学者通路
写真3 見学者通路。紫外線防止フィルムを貼ったガラス越しに修理作業室が見られます。

平成19年3月13日(火)

 『国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会作業部会(第10回)』を開催しました。作業部会は絵画・考古学・保存科学・地盤工学・微生物など,保存対策を進めていく上で必要な各分野の専門家によって構成されており,実際のさまざまな作業や調査を担当していただいている先生も多数含まれています。本日は13名の専門家が出席され,古墳現地にて石室の状況を実見した後,会議を行いました。会議は報道関係者も傍聴しています。石室石材の形状に予想以上の差異があり,亀裂も多数みられることから,発掘・解体工程に関する専門的な議論などが行われました。議事の内容は翌週の『国宝高松塚古墳恒久保存対策検討会』において報告され,さらに議論されることになります。

交代で入室して石室を観察しました。
写真1 交代で入室して石室を観察しました。

平成19年3月14日(水)

 本年4月初旬からの石室の取り出しの開始を控えて,文化庁では明日香村の村長と村議会の全議員(10名)に対し,高松塚古墳の発掘現場と国営飛鳥公園内に3月9日竣工した仮設修理施設を公開しました。

平成19年3月22日(木)

 『国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第8回)』を開催いたしました。
 午前中に国営飛鳥歴史公園にて仮設修理施設の視察と,高松塚古墳発掘現場の視察を行い,14:00より奈良文化財研究所にて会議を行いました。会議は報道関係者も傍聴しています。発掘調査の成果はもちろん,解体に向けた準備実施状況や生物の発生状況,解体作業によって想定されるリスクなどについて報告と議論が行われ,発掘と解体を同時進行で行うことが決定されました。また,解体後の仮整備についても基本計画が了承されました。
 なお,検討会の資料については本ホームページの「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」を参照してください。

交代で入室して発掘現場を視察する委員
写真1 交代で入室して発掘現場を視察する委員

平成19年3月23日(金)

 3月も下旬となり,発掘も佳境に入ってきました。現場では夜を昼に継いでの作業が続きます。壁石が徐々に姿を現し,ノミで加工した痕跡や漆喰で目地を止めている様子,石材の亀裂などを観察することができます。北壁(内面に玄武が描かれている石)の石材の東西両端も顔を出し,幅が1.5mであることが判明しました。
 また,今週は天井検出状況までの3D測量の成果を公表しました。光線により三次元座標を持つ点を約600万箇所も計測し,コンピュータ上で立体的に再現できるデータです。実際には撮影不可能な角度からの画像や,石材の正確な厚みなど,従来のアナログ手法では得ることが出来ない貴重な画像資料を自在に作成することができます。
 もちろん従来通りの実測,研究所のプロカメラマンによる大判フィルムによる写真撮影なども実施しています(当ページの掲載写真はほとんど文化庁職員が撮影したものです)。
 調査は時間との闘いでもありますが,可能な限りの情報を残すよう現場担当者の努力が続けられています。

夜も作業が続く高松塚古墳。
写真1 夜も作業が続く高松塚古墳。

石室を北西から見たところ
写真2 石室を北西から見たところ。土層断面の白い布は剥ぎ取りの準備。

3D計測の機材。
写真3 3D計測の機材。

平成19年3月28日(水)

 発掘現場を報道陣に公開しました。毎週のブリーフィングでは断熱覆屋内への入室を代表取材4名に限定していますが,解体作業開始前の最後の発掘現場公開ということで,全社に断熱覆屋内での取材を許可しました。もちろん,一度に入る人数と時間は制限しています。記者も防護服・マスク・安全帽などを持参しての参加です。
 石室周囲の掘り下げはほぼ終わり,もとの墳頂から5メートル近く掘ったことになります。各石材の寸法や組み合わせ方,漆喰が厚く塗られた様子などが明らかとなってきました。壁石の周囲は石が倒れないよう土を残しながら掘っていますが,深く掘り下げた部分では壁石を構築した際の作業面が検出されています。
 10月の発掘開始以来,奈良文化財研究所の松村室長には多忙な中で毎週現場の説明をしていただきました。ブリーフィング終了時には記者たちからも盛大な拍手がありました。
 今後は石材の取り上げと交互に,残っている部分の掘り下げや考古学的調査を続けることになります。

石室の外観を南西から見たところ。
写真1 石室の外観を南西から見たところ。

断熱覆屋内での取材の様子。
写真2 断熱覆屋内での取材の様子。

断熱覆屋の外でも説明と質疑応答が行われました。
写真3 断熱覆屋の外でも説明と質疑応答が行われました。

平成19年4月5日(木)

 本日は天井石を取り上げる(つり上げる)日です。天気は快晴,桜も満開です。
 8:30に全員集合して朝礼をおこないました。それから古墳現地,修理施設,事務所などで,それぞれが準備作業や点検・確認をすすめ,11:00前にはつり上げを実行することを最終決定しました。
 いよいよつり上げ作業の開始です。青色の治具を石室の上へ移動して,各種センサー類を接続し,側面のボルトを締めます。さらにベルトを石に巻いてゆきます。慎重かつ迅速な作業です。
 11:30,クレーンが動き,ついに,天井石がつり上がりました。その瞬間,天井石どうしの隙間を埋めるために塗られていた漆喰の一部が石室内に落下しましたが,盗掘口から監視していた担当者から内面の壁画は無事だと声があがりました。

石室天井石がわずかにつり上げられる
写真1 石室天井石がわずかにつり上げられる

 天井石がわずかに浮いたところで,さらに東西方向・南北方向のベルトをかけて万全を期しました。石をしっかりとつかんだ治具はしずかに上昇し,床に据えてある梱包フレームに移動してゆきます。さきほどまで天井石があった石室上面は,ウレタン板を乗せてとりいそぎ蓋をしました。

つり上げて梱包フレームへ移動
写真2 つり上げて梱包フレームへ移動

 天井石をはずした後の北壁と東西壁石の上面は,黒い黴の痕跡が広がっているようにみえます。植物の根も黒い線のように見えています。漆喰の白さと対照的です。

天井石つり上げ後に開いた空間
写真3 天井石つり上げ後に開いた空間

 天井石はいったんフレーム上に安置されました。間髪いれずに,治具をはずし,修理施設へ搬送するための梱包作業が始まりました。

治具を取り外す作業
写真4 治具を取り外す作業

治具を取り外したところ
写真5 治具を取り外したところ。石の上下は本来の天地とおなじ向き。

 石材の周囲に白いフレームを組み立て,ボルトで締めてゆきます。石材は四角いパッドで四方からしっかりと保持されており,動くことはありません。

フレーム取り付け作業
写真6 フレーム取り付け作業

 最後にステンレス製の部品をつけて梱包フレームが完成しました。このステンレス製の部分は,修理施設では石材の台座の一部の役割を果たす部品です。

ステンレス製の部品をつけているところ
写真7 ステンレス製の部品をつけているところ

 フレームは完成しましたが,石室内面にあたる面が下をむいたままで搬送することは非常に危険ですので,石材を回転させます。

フレームに入った石材の回転作業
写真8 フレームに入った石材の回転作業

 回転がおわると,石室内面が上面となり,安全に運ぶ準備が整いました。今回の天井石は漆喰がほとんど残っていない箇所でしたが,次回以後の石材では漆喰が塗られて壁画が描かれている面が,この時点で初めて上を向くことになります。

フレームに入った石材の回転作業
写真9 フレームに入った石材の回転作業

 一瞬も気の抜けない作業が続いてきましたが,ここまでで一応石材が安定した状態になったので,ようやく一服できることになりました。13:00をまわってからの遅い昼休みです。

 14:00すぎから,梱包した石材を特殊搬送車両に積み込みました。
 クレーンで断熱覆屋の外に置いた補助台におき,スライドする台でするすると特殊搬送車両の荷台に搬入し,がっちりと固定されました。

特殊搬送車両への積み込み作業
写真10 特殊搬送車両への積み込み作業

 15:00すぎに準備が整い,石材が古墳から出発します。黄色い回転灯を回した先導車と,同じく回転灯をつけた特殊搬送車両が発車すると,沿道の報道陣は一斉にシャッターを切ったり,カメラの前でリポートをはじめました。車はゆっくりとした速度で,慎重に進んでゆきます。

仮設修理施設へ出発
写真11 仮設修理施設へ出発

 平日とはいえ桜の季節で,天気も快晴とあって,国営飛鳥歴史公園にはたくさんの観光客も来園していました。大勢の市民・関係者・報道陣が見守る中,天井石は古墳を後にしました。

人々の視線を浴びつつ古墳から遠ざかる特殊搬送車両
写真12 人々の視線を浴びつつ古墳から遠ざかる特殊搬送車両

 古墳から仮設修理施設までの経路はおよそ900メートルあり,ほとんど公園内の道路ですが,一般道を走行する箇所もあります。また沿道には一般の来園者もいますので,警備員を配置して体制を整えて臨みました。特殊搬送車両は時速5キロメートルほどで進みますが,段差ではとくにゆっくりと前進し,極力石材に衝撃を与えないように走行します。そのため900メートルを30分ほどかけて,仮設修理施設に到着しました。

仮設修理施設に到着した特殊搬送車両
写真13 仮設修理施設に到着した特殊搬送車両

 仮設修理施設の入り口でふたたび梱包フレームを作業台にスライドさせ,門形クレーンでつり下げて台車におろしました。無事,石材及び壁画が安全に取り出せたことにひとまず安心しました。

門形クレーンでのつり下げ
写真14 門形クレーンでのつり下げ

平成19年4月13日(金)

 今週は,北端の天井石を取りあげたあと,つぎの北壁(玄武)の取りあげに向けたさまざまな作業を行いました。
 まず発掘区の周囲にH鋼のフレームと防腐剤を塗布した板材で,土留めの支保工を設置しました。また,取りあげに備えて石室内の北壁漆喰面にメチルセルロースを噴霧して強化を図りました。
 発掘調査では,石室に関するいくつかの新知見が得られました。天井石を外したところ,北壁石の上面から天井石の下に残していた版築表面にかけて,黒いカビの痕跡らしきものが広がっていました。版築の残りを除去してみると,北壁石の背面全体が黒くなっていることがわかりました。石室北西角には天井石と北壁石の間に隙間があったので,そこが微生物の通り道となっていたようです。そして土と石室の隙間が微生物の温床となっていたことが考えられます。見つかった黒い痕跡は微生物の専門家によって分析されます。
 北壁石の大きさは幅150㎝,高さ113㎝で,厚さは下ぶくれで40~50㎝ほどです。天井石の下面も,各壁石の上面も平らに成形されており,石のカラト古墳のような天井石と壁石をはめる段差は造り出されていないことがわかりました。また,北壁石と東西の壁石の隙間を埋めていた漆喰を外したところ,位置を調整するための梃子棒を入れる穴と考えられる抉りがありました。北壁石と床石の隙間があいている箇所には,小石を詰めている状況も明らかとなりました。このほか,北壁石の上部には数ヶ所の亀裂がありましたが,遊離箇所を事前に取り外すなどの措置で対応できる見込みです。
 (金)には北壁石用の治具も搬入され,取りあげに向けて緊張感が高まっています。

土留め支保工
写真1 土留め支保工

北壁石周辺の状況
写真2 北壁石周辺の状況

技術者による噴霧の様子
写真3 技術者による噴霧の様子

平成19年4月17日(火)

 16日・17日の2日間で,玄武が描かれた北壁石を取り出しました。
 床石と北壁石は漆喰や土によって癒着したような状態になっているので,16日には北壁石を数センチメートル動かして床石から切り離す,「地切り」という作業を行いました。
 地切りに先立って,解体班が石材の最終調査を行い,事前に取り外したほうがよい,浮いている部分をはずしました。また梱包フレームと治具を搬入し,実際に石材に治具を設置して最終的な調整をおこないました。
 安全であることを確認後,地切り作業を行い,その際に北壁石と床石の間に詰められていた合計6箇の小石を取り外しました。地切りは無事に成功し,壁画などに影響はありませんでした。
 4月17日にはΠ(パイ)形の治具を用いて北壁をつりあげ,その場で梱包フレームを組み立てて,フレームごと取り出すことに成功しました。特殊搬送車両で修理施設へと運び,無事に搬入を終えることができました。
 つづいてエタノールを用いた消毒とクリーニングを実施しましたが,殺菌処置が完了していないため,この日は修理作業室には搬入せず,前室に仮置きしました。

Π型治具によるつり上げ
写真1 Π型治具によるつり上げ

フレームごとBゾーンに移動
写真2 フレームごとBゾーンに移動

公園の中をゆっくり走る特殊搬送車両(時速3~5km)
写真3 公園の中をゆっくり走る特殊搬送車両(時速3~5km)

前室に搬入された北壁石
写真4 前室に搬入された北壁石

平成19年4月25日(水)・26日(木)

<天井石3の取り上げ>

 25日・26日の2日間で,取り上げ第3石目となる「天井石3」を取り出しました。「天井石3」には,天文図の一部が描かれています。
 25日の作業は,前回の北壁石と同様,まず,石材の「地切り」を行い,梱包して安置することを目標に行われました。今回の作業は,石材が大きく,複雑にひび割れしているため,非常に難易度の高い作業であることが予想されました。
 他の隣接する天井石との間の漆喰が落下することを防止するため,予め石室内に漆喰を受け止める「受具」を設置しました。また,石材を地切りする前にバンディングをしっかりと行い,Π(パイ)型の治具を用いてmm単位で地切りを行いました。梱包フレームを石室の北側に設置,その上に石材を置き,フレームの4隅をチェーンブロックで固定し,治具とフレームを一体化して,両方で支えるようにしました。
 そして,慎重に吊り上げた後,Bゾーンにて上向きに回転させて安置しました。その後,側壁の転倒防止措置,東西の女子群像などの壁画面のカビの採取・除去作業を実施しました。
 26日には,取り出した石材を安全に特殊搬送車両に積載し,修理施設へ運搬することができました。
 今回の「天井石3」は1430kgと非常に重く,ひび割れしている等,取り上げ作業が困難でしたが,漆喰片や天文図の星(金箔)の落下もなく,安全かつ確実に作業を行うことができました。
 修理施設では,これまでと同様,前室にて消毒及びクリーニングを行い,翌日(27日),修理作業室に搬入しました。

漆喰落下防止の受具の設置
写真1 漆喰落下防止の受具の設置

Π(パイ)型治具の取り付け作業
写真2 Π(パイ)型治具の取り付け作業

Bゾーンへ梱包フレームと共に移動される「天井石3」
写真3 Bゾーンへ梱包フレームと共に移動される「天井石3」

特殊搬送車両に積載
写真4 特殊搬送車両に積載

取り出し後,転倒防止措置を設置,西壁石のカビを除去
写真5 取り出し後,転倒防止措置を設置,西壁石のカビを除去

平成19年5月10日(木)・11日(金)

 「飛鳥美人」の愛称で親しまれている女子群像が描かれている「西壁石3」の取り上げ作業を,5月10日,11日の2日にかけて行いました。
 当初は壁石と床石の隙間にツメを入れて,Γ(ガンマ)型の治具でつり上げる方法を予定していましたが,床石との間にほとんど隙間がないことが判明したため,ゴールデンウィーク中も検討を重ねて別の方法を考え出しました。すなわち,金属製のコロ(回転棒)を用いて石材をスライドさせ,Π(パイ)型の治具でつり上げるという方法です。
 10日13:00から取り上げ作業が始まりました。ジャッキで石をじわじわと上げてゆきます。8mmほど上がったところで,金属板と直径3mmのコロ9本を挿入しました。ゆっくりと石を移動させて,隣接する壁石との間に約40cmの隙間を確保しました。
 15:15,Π型の治具が石材の真上から静かにおろされ,ボルトでしっかりと挟み込みました。石材を持ち上げて90度回転させ,梱包フレームを組み立てます。
 16:30,つり上げを開始。壁画面が斜め上を向くように回転させながら,ゆっくりと上昇させます。途中,フレームにかかったワイヤーがずれたために,「ガシャン」と大きな音がしてフレームごと大きく揺れました。モニターを注視していた報道陣から一瞬どよめきが起きました。壁画面や石材の無事が確認できたため,作業を再開しました。その後,壁画面を上にして,Bゾーンと呼んでいる作業スペースに着地したのち,改めて壁画面に異常がないことを確認してからシートで養生し,作業を終えました。

上から抑えてバランスをとりながらジャッキアップします。
写真1 上から抑えてバランスをとりながらジャッキアップします。

コロとなる棒を差し込んでいます。
写真2 コロとなる棒を差し込んでいます。

治具ではさんで,90度向きを変えます。
写真3 治具ではさんで,90度向きを変えます。

梱包フレームごとつり上げていきます。
写真4 梱包フレームごとつり上げていきます。

 翌日(11日)の朝礼の際,昨日のワイヤーの装着位置の確認が徹底されず,フレームが大きく揺れたことを踏まえ,改めて作業の一つ一つを丁寧に確認しながら安全に作業を進めていくことを確認し合いました。
 その後,作業を開始し,断熱覆屋から特殊搬送車両に積載しました。特殊搬送車両は10:00に古墳を出発し,20分ほどかけて無事に修理施設に到着しました。
 修理施設では,これまでと同様,前室にて消毒及びクリーニングを行い,翌日(12日),修理作業室に搬入しました。

修理施設でおろしている様子。
写真5 修理施設でおろしている様子。

前室に安置された石材。
写真6 前室に安置された石材。

平成19年5月15日(火)

 修理作業室に搬入した西壁女子群像(西壁石3)を報道陣に公開しました。石材取り上げ前に表面に貼った表打ちのレーヨン紙は,前日(14日)に修理技術者が1日かけて丁寧にはずしました。壁画は以前のしっとりとした濡れ色から,乾燥した色調に変わってきています(掲載写真はスナップ写真なので,正確な色調の比較は困難であることをご承知おきください)。
 古墳現地では,次に取りあげる東壁女子群像(東壁石3)の準備が始まっています。発掘調査のほか,青龍が描かれた「東壁石2」との間にある漆喰の取り外し作業を行いました。

表打ちを一枚ずつはずしてゆく
写真1 表打ちを一枚ずつはずしてゆく

再び姿を現した西壁女子群像
写真2 再び姿を現した西壁女子群像

平成19年5月17日(木)・18日(金)

 もう一つの女子群像が描かれた「東壁石3」の取り上げ作業を,5月17日,18日の2日にかけて行いました。
 前回の「西壁石3」の取り上げが成功した後,この石の取り上げについては,前回と同じ「ジャッキアップ-コロ法」を用いるべきか,また,以前から壁石用に開発し改良を重ねてきたΓ(ガンマ)型の治具でつり上げる方法を用いるべきか,担当者間で色々な議論を行いました。その結果,「東壁石3」は,「西壁石3」と比べ床石から外側に出た部分が大きく(床石と接している割合が少ない),したがって前回よりコロが使いにくいことが予想されました。逆に,床石から出た部分が大きいことは,Γ型の治具を用いる際には有利にはたらきます。このような経緯で,今回はΓ型の治具を用いる方法で取り上げることに決定しました。Γ型の治具で石材をスライドさせ,その後は前回と同様,Π(パイ)型の治具でつり上げる方法です。
 17日13:00から取り上げ作業が始まりました。Γ型の治具を石材に設置し,じわじわと持ち上げます。その際,床石や周辺の石材と接触し,お互いに傷がつかないよう,慎重に確認をしながら,石材をスライドさせました。Π型の治具が設置できるよう,隣接する石材との間隔を約40cm確保しました。
 15:20,Π型の治具が石材の真上から静かにおろされ,ボルトでしっかりと挟み込みました。石材を持ち上げて90度回転させ,梱包フレームを組み立てます。梱包フレームを組み立てる際,今回は少し苦労しました。手作りで加工された石材は,当然きれいな直方体ではないのですが,その複雑な形状を直方体のフレームの中に納めなくてはならないのです。少々,時間はかかりましたが,無事にフレームへの梱包を終え,16:48,Bゾーンと呼んでいる作業スペースに移動し,壁画面を上にした状態で安置しました。壁画面や石材に異常がないことを確認してからシートで養生し,この日の作業を終えました。
 翌日(18日)は,朝礼の後,作業を開始し,断熱覆屋から特殊運搬車両に積載しました。特殊運搬車両は11:00に古墳を出発し,20分ほどかけて無事に修理施設に到着しました。石材はカビや泥などで汚れているため,いつも通りまず前室に置き,消毒及びクリーニングを行いました。「東壁石3」は今まで取り上げた石と比べ比較的カビや泥による汚染が少なかったこともあり,夕方までに修理作業室に運び入れることができました。

Γ型治具を用いて移動
写真1 Γ型治具を用いて移動

Π型治具で把持して,梱包フレームに移動
写真2 Π型治具で把持して,梱包フレームに移動

Bゾーンに吊り上げている
写真3 Bゾーンに吊り上げている

修理施設に搬入中
写真4 修理施設に搬入中

搬入された東壁石3
写真5 搬入された東壁石3

平成19年5月22日(火)

 5月28日(月)に予定している「天井石2」の取り出しに備えて,天井の漆喰面の保護を行いました。漆喰面が真下を向いているために,表打ちの紙や薬品を多量につけると重量でかえって落下の危険があることと,割れた天井石の真下に入らずに作業できる範囲に限られることから,取りうる措置には制約があります。
 天文図の星宿には金箔がめくれかかっているようなものがあるので,そのような部分には紙を貼って保護しました。また全体にMC(メチルセルロース)を噴霧して強化をはかりました。

天井を見上げたところ。白い円形が表打ちした箇所。
写真1 天井を見上げたところ。
白い円形が表打ちした箇所。
星宿の金箔(直径9mm)は1,300年を経ても輝いています。
(天井と手袋が触れないように撮影しました)

平成19年5月24日(木)

 5月17日・18日両日で取り出した東壁石3の女子群像を報道関係者に公開しました。漆喰を保護するために全面に貼られていた表打ちの紙を,専門の修理技術者が一枚ずつピンセットで丁寧にめくりました。丸一日ほどの時間を要する作業でしたが,漆喰の剥離などの問題もなく,無事に表打ちをとることができました。

作業前。表打ちの下に女子群像が透けて見えます。
写真1 作業前。表打ちの下に女子群像が透けて見えます。

一枚ずつ丁寧にめくります。
写真2 一枚ずつ丁寧にめくります。

東壁の女子群像(左)と西壁の女子群像が並んだ姿です。
写真3 東壁の女子群像(左)と西壁の女子群像が並んだ姿です。

平成19年5月28日(月)

 石室の南から2番目の天井石(天井石2)を取り出し,修理施設に搬送しました。天井石2は南北,東西に大きく亀裂が入っているほか,北東隅などにも亀裂が入っており,困難な作業でした。これまでと同じ方法でとりあげると危険なので,東西南北から強固に把持するためにΠ型治具を十字に組み合わせた「オクトパス」と呼ぶ治具を用いました。
 まずΠ型治具で北へ移動させ,天井石1との間に隙間が出来たところで南北方向のΠ型治具をあわせて「オクトパス」にして,慎重に天井石をつりあげて梱包フレームまで移動しました。その後は,梱包フレームを組み立てて回転。特殊搬送車輌で修理施設へと無事に運ぶことが出来ました。
 天井を取りはずした後,石室ではさっそく残された壁画や石材の状態などについて調査が行われました。東壁の青龍の付近にある泥が垂れた跡のような部分は乾燥が認められたために対応を検討し,剥落防止措置を行うこととしました。また,天井石2をはずしたあとの壁石上面にひろがっているカビなどの痕跡らしきものについて,写真撮影,微生物の専門家によるサンプリング,消毒などが行われました。

「オクトパス」による吊り上げ。
写真1 「オクトパス」による吊り上げ。

回転作業。
写真2 回転作業。

微生物のサンプリング。
写真3 微生物のサンプリング。

平成19年5月30日(水)

 最後の天井石の一番南の天井石(天井石1)を取り出しました。この石は中央にある南北方向の亀裂によって2つに破断しており,形を保ったまま取り上げることに細心の注意を払いました。
 治具にはΠ型治具を十字に組み合わせた「オクトパス」を用い,亀裂の様子を観察しながら把持して,そのまま作業場におかれたフレームの上まで移動しました。このように書くと簡単な作業に思えるかもしれませんが,締める圧力が高すぎれば亀裂部分がつぶれて粉砕され,低すぎると亀裂に沿ってずれ落ちる可能性があり,非常に緊張する作業でした。1.4トンもある割れた石材をつかんで移動させる技術はまことに驚嘆すべきものです。
 フレームに乗った天井石は前回までと同様に梱包,回転され,特殊搬送車輌にて仮設修理施設へ運ばれました。

石室内から見上げた天井石1の亀裂(青いベルトは補強のため)。
写真1 石室内から見上げた天井石1の亀裂(青いベルトは補強のため)。

石材の状態を確認しながら慎重にボルトを締めます。
写真2 石材の状態を確認しながら慎重にボルトを締めます。

吊り上げている様子。
写真3 吊り上げている様子。

報道陣に見守られての搬出作業。
写真4 報道陣に見守られての搬出作業。

修理施設への搬送。
写真5 修理施設への搬送。

平成19年6月7日(木),8日(金)

 「青龍」が描かれている東壁石(東壁石2)を取り出し作業を行いました。
 この石は,細かい亀裂が縦横に走っており,石材の劣化が進んで脆弱化しているため,形を保ったまま取り上げることに細心の注意が払われました。
 7日の13:00から,ジャッキを活用した地切り作業を開始しました。当初は,その後,Γ(ガンマ)型治具を用いて,石材を移動させる予定でしたが,石材の下部の水分量が過分に多いこと,治具を付ける石材の箇所が脆く,持ち上げるときに損傷させる恐れがあることから,Γ型治具は使用しませんでした。
 そこで,ジャッキの下にコロを挿入し,その上にステンレス製の金属板(3mm)を2枚重ね合わせ,その上にゴムシートを付けて石材の下に入れた状態で石材を動かしました。ゴムシートと石材が摩擦によって滑りにくくし,石材の重量でステンレスとステンレスによって滑らせるという手法です。このアイディアは,事前にあらゆる事態に備え準備したものから地切り作業中に判断したものです。
 地切り作業は,2時間以上もかかり,ある程度移動させた(北側に23cm程度)段階で,Π(パイ)型治具を用いて,梱包フレームまで移動,梱包作業を行いました。その後,Bゾーンに移動,壁画面を上向きに回転してから,7日の作業を終了しました。5時間以上に及ぶ非常に緊張を強いられた作業でした。
 翌日(8日)は,9:00から作業を開始し,11:00に特殊運搬車輌によって古墳から搬送しました。12:00前には,無事,修理施設の前室に運ばれ,午後の作業でクリーニング作業を行いました。

ジャッキアップ作業
写真1 ジャッキアップ作業

ジャッキを使って移動
写真2 ジャッキを使って移動

Π型治具を用いての移動
写真3 Π型治具を用いての移動

Bゾーンへ移動
写真4 Bゾーンへ移動

平成19年6月11日(月),12日(火)

 古墳現地では,13日(水)に取り出す予定の西壁石2(白虎像が描かれています)について,修理技術者が目地周辺の処置をしました。壁面の漆喰が隣の壁石にまたがっている箇所は,解体による破損が避けられないので,事前に表打ちして取り外し,別に保存しておきます。
 また,(金)に取り出しが予定されている南壁石周辺を中心に,外側の目地を埋めている漆喰を取り外したり,図面や写真などの記録作業をすすめました。南壁下端からは梃子(てこ)棒を入れたと考えられる抉り穴が5箇並んでいるのがみつかり,石室の構築に関する新知見が得られました。
 修理施設では,これまでに搬入された石材の壁面部分の撮影がおこなわれました。
 また,先週搬入した東壁石1(青龍)の表打ちを除去した写真を報道に公開しました。

取り外す部分の目地を確認する技術者。
写真1 取り外す部分の目地を確認する技術者。

修理施設での青龍。
写真2 修理施設での青龍。泥が乾燥している部分の表打ちは残してあります。

平成19年6月13日(水)

 長い一日となりました。もともとこの日は夕方から西壁石2の地切り(石材を他の石材や地面から切り離す作業)をする予定でしたが,さまざまな要素を検討した結果,移動・梱包まで一気呵成に実行することにしたためです。
 日中,古墳現地では修理技術者が西壁石2(白虎)を保護するため,全体に表打ちをしました。その周囲では発掘班による記録作業などが同時進行で行われ,断熱覆屋のBゾーンではエンジニアたちが治具の調整をすすめました。
 また午後には,修理施設内の修理作業室において,応急処置の作業状況を報道陣に公開しました。報道陣には事前にマスク等を用意いただき,また,入室に当たって手足等のエタノールによる消毒を実施,メモ等の携行をご遠慮いただきました。公開は,報道各社2名ずつ,代表撮影2社とし,合計26名(記者24名・カメラマン2名)に対し行いました。1グループ6名に班分けし,各班に5分間の公開を実施,作業担当者により作業内容の説明等が行われました。

報道陣に対し西壁3(女子群像)への応急処置を説明する担当者。
写真1 報道陣に対し西壁3(女子群像)への応急処置を説明する担当者。

 それらの作業が終わってから,西壁石2の取り出し作業にかかりました。18:00から全員集合して朝礼(夕方ですが)を行い,作業開始。まずジャッキとコロ(今回は,石材の下に棒ではなくシート状のすべり材を入れてコロの効果を出します)で石材を北へ10cmほど移動しました。
 つり上げるための治具は,石材の仕口の段差にあわせて形を変えられる,新しいΓ(ガンマ)型治具が用意されていました。しかし,一旦セットしたものの,つり上げが不安定になる懸念がもたれました。結局,より安全な方法を取ることになり,Π(パイ)型治具を用いることになりました。Γ型は日の目を見ませんでしたが,準備した治具にこだわらない臨機応変な対応は適切だったと言えるでしょう。
 Π型でつり上げ,フレームに移動して梱包。ワイヤーを張って倒れないように固定して,作業は21:30に終了しました。
 作業が無事終了する直前に,2階テラスで作業を取材していた報道陣の代表カメラが三脚ごと転倒し,ひやっとする場面がありました。幸い大事には至りませんでしたが,文化庁にとってはあらためて作業現場の管理状況について確認をする機会となりました。報道陣も再発防止と今後のより安全な取材の実施を約束しました。

表打ちされた壁面。
写真2 表打ちされた壁面。ジャッキアップ時にバランスをとるために上から押さえています。

ジャッキとコロで移動。
写真3 ジャッキとコロで移動。

新型のΓ型治具。
写真4 新型のΓ型治具。

Π型治具で把持しているところ。
写真5 Π型治具で把持しているところ。

撮影する報道陣。
写真6 撮影する報道陣。※一部修正(名前を消去)

作業終了時の状況。
写真7 作業終了時の状況。

平成19年6月14日(木)

 10:30に西壁石2を特殊搬送車両に積載し終えました。
 警備等に万全を期すため搬送は午後となりましたが,無事に搬送できました。
 その間,Aゾーンでは,発掘班による記録作業,生物班によるサンプリング,クリーニング作業が行われ,また,Bゾーンでは南壁石用の治具の調整が行われました。

Bゾーンでの回転作業。
写真1 Bゾーンでの回転作業。

平成19年6月15日(金)

 本日は南壁石の取り出しです。上部は盗掘口によってU字形に抉られており,さらに東側には亀裂も入っているという,取り上げる際の力のかけ方が難しい石でした。また南壁石と保存施設の間は50cmほどの隙間しかなく,狭隘な作業空間が難度を高めています。
 朝礼の後に南壁石用のΠ(パイ)型治具がセットされました。盗掘口部分はステンレスと木の板で補強してあります。目視観察や音のモニタリングをしつつ,治具のシリンダの圧力を徐々にかけてゆき,手動のボルトも締めて強固に把持しました。わずかに浮いたところでベルトを回して補強,それから南に20cmほど動かし,つり上げました。
 南壁石は棺を安置した後に蓋をする閉塞石で,たいへん丁寧に加工されていました。残念ながら漆喰が失われているために,この石に描かれていたであろう朱雀を見ることはできません。
 Π型治具は南壁石を挟んだままBゾーンへ移動し,梱包・回転まで滞りなく進行しました。
 搬送は15:00。天候は不順でしたが,幸い搬送が終わるまで雨はほとんど降らずにすみました。16:00に修理施設の前室に搬入して,搬送完了です。

南へ移動。
写真1 南へ移動。非常に狭いスペースでの作業。

Bゾーンへ移動。
写真2 Bゾーンへ移動。石の下にも2本ベルトをかけています。

積み込み作業。
写真3 積み込み作業。

花咲く国営飛鳥歴史公園内を,ゆっくり走ります。
写真4 花咲く国営飛鳥歴史公園内を,ゆっくり走ります。

修理施設の門前で梱包フレームをはずし,石材のみ搬入。
写真5 修理施設の門前で梱包フレームをはずし,石材のみ搬入。

平成19年6月22日(金)

 「男子群像」が描かれている東壁石(東壁石1)の取り出し作業を行いました。
 石室の南側にある石材は全体に床石付近の水分量が多く,脆弱なため,取り上げには注意が必要です。
 既に両隣の石(南壁石と東壁石2)の取り上げが終了しているため,Π型治具による吊り上げによって石材を移動させることにしました。
 9:00から作業が開始され,14:00までに特殊運搬車両に積載する作業を終えました。この日は雨が断続的に降り続いていたため,念のために石材を梱包したフレームに黒いビニールシートをかけて保護しました。
 15:00には特殊運搬車両によって古墳から搬送しました。15:42に修理施設の前室に運ばれ,クリーニング作業を行いました。修理作業室には,25日(月)に搬入することにしました。

Π型治具による吊り上げ・移動
写真1 Π型治具による吊り上げ・移動

雨対策のため黒いビニールシートをかけて保護
写真2 雨対策のため黒いビニールシートをかけて保護

特殊運搬車両に積載
写真3 特殊運搬車両に積載

修理施設前室に運ばれた東壁石1
写真4 修理施設前室に運ばれた東壁石1

取り上げを待つ西壁石1(男子群像)
写真5 取り上げを待つ西壁石1(男子群像)

平成19年6月26日(火)

 国宝壁画としては最後となる男子群像が描かれた「西壁石1」を取り出しました。
 前回の「東壁石1」と同じく,Π(パイ)型の治具を用いて慎重に吊り上げ,梱包して搬出しました。「東壁石1」と同様,北へ移動させる作業が必要ないために,作業時間は短くてすみましたが,石材の吊り上げは細心の注意を要する作業であり,決して容易なことではありません。
 午前中に特殊搬送車両への積載まで終え,午後,従来通りの厳しい警備体制のもとで安全に搬送することができました。困難な石室取り出し作業が一段落し,作業後には現場担当者たちが握手する場面もありました。
 仮設修理施設に運び込まれた石材は,まず前室でカビや泥などをクリーニングしてから,修理作業室へ移される予定です。
 これで,天井と壁の合計12枚の石材が,無事に仮設修理施設に搬入されました。これまで,湿った土の中で下を向いたり垂直に立っていた国宝壁画は,高湿度環境でのカビ被害の恐れや,漆喰面の剥落・落下の危険に対して,格段によい環境の中に置かれることとなりました。
 夕方に行われたブリーフィングでは,「関係機関への感謝と,壁画が後世に伝えられるよう最大限の努力をしてまいります」という青木文化庁長官のコメントが出されました。
 今後は残された4枚の床石を取り出すために,まず床石周辺を発掘調査して掘り下げる作業が行われます。まだ高松塚古墳の石室取り出しは終わったわけではありません。気を引き締め直して作業をすすめます。

Π型治具で石を吊り上げたところ。
写真1 Π型治具で石を吊り上げたところ。

回転作業の様子。
写真2 回転作業の様子。

星宿広場を通過する特殊搬送車輌。
写真3 星宿広場を通過する特殊搬送車輌。

仮設修理施設に運び込まれた「西壁石1」。
写真4 仮設修理施設に運び込まれた「西壁石1」。

平成19年6月27日(水)

 古墳では床石周辺の考古学的な調査が始まりました。断熱覆屋内の空調は,壁画の搬出が終わったことと,作業者の健康を考慮して,10℃から15℃に設定を変更しました。とはいえまだ外気との温度差が大きく,体には負担がかかります。
 仮設修理施設では,前室において昨日取りあげた西壁石1のクリーニング作業を行い,作業終了後,表打ちが貼られたままの状態で石材を報道に公開しました。
 また,修理作業室では,取り出しに備えて東壁石1の壁画面に貼った表打ちをはずす作業が行われ,無事に男子群像が姿を現しました。

床石周辺の調査風景。
写真1 床石周辺の調査風景。

東壁石1の表打ちを丁寧にめくっています。
写真2 東壁石1の表打ちを丁寧にめくっています。

ふたたび姿を現した東壁の男子群像
写真3 ふたたび姿を現した東壁の男子群像(泥の部分は一部表打ちを残してあります)。

平成19年6月28日(木)・29日(金)

 28日,修理施設では昨日クリーニングが終わった西壁石1について,表打ちをはずしました。作業は無事に終了し,作業後の壁画を見学通路から報道陣に公開しました。
 29日には奈良文化財研究所から,床石周辺の発掘調査の状況について報道陣への説明をいたしました。発掘はまだ序盤で,今後の成果も期待されます。

西壁石1の男子像が表打ちの下から顔を出しました。
写真1 西壁石1の男子像が表打ちの下から顔を出しました。

男子群像。
写真2 男子群像。

表打ちをはずした西壁石1。
写真3 表打ちをはずした西壁石1。

見学通路から壁画,石材を見つめる報道陣。
写真4 見学通路から壁画,石材を見つめる報道陣。

平成19年7月11日(水)

 青木保・文化庁長官が高松塚古墳現地および仮設修理施設を視察しました。

断熱覆屋内での青木長官(中央)。
写真1 断熱覆屋内での青木長官(中央)。このあと奈良文化財研究所担当者より発掘調査成果について説明をうけました。

修理施設内での様子。
写真2 修理施設内での様子。

平成19年7月13日(金)

 午前中は石室床面の状況について記者発表をおこないました。発掘調査により,床面の漆喰は現在も劣化が進行している箇所があることがわかり,床面上からは顔料や金箔などの1ミリほどの微細な破片がみつかっています。
 午後は,「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」,同「作業部会」の委員16名による古墳現地と仮設修理施設の視察が行われました。それぞれ文化庁担当者と文化財研究所の担当委員から説明があり,質問などが交わされました。
 また,7月の台風としては史上最強といわれた台風4号が週末に接近することに備えて,仮設覆屋内を中心に養生をしました。

断熱覆屋内での委員視察。
写真 断熱覆屋内での委員視察(交代で入室)。

平成19年7月14日(土)

 墳丘の下段発掘区に施工してある土留め支保工は,一部が短い木製のままでしたので,発掘区が掘り下がってきたことに対応させてアルミ製の長いものに交換しました。
 また,台風の強風によって仮設覆屋が倒壊する危険を減少させるために,壁面のシートをめくりました。(その後,幸いにして仮設覆屋などには台風の被害がなく済みました。)

完成した支保工。
写真 完成した支保工。

平成19年7月27日(金)

 古墳現地は今週も床石周辺の版築の調査を続けています。凝灰岩の粉が散っている作業面を,一層ずつ検出して記録してゆきます。すでに発表した水準杭の痕跡は,空洞にシリコンを流し込んで型取りしました。また,8月後半に予定している床石取り上げ用の治具も搬入されました。
 25日には修理施設内部を報道陣に公開しました。万一にも事故のないよう,人数と時間を制限し,何も持たないなどの諸条件の下で取材していただいています。修理施設内部は博物館収蔵庫と同様の環境に保たれているので,古墳現地と違い特殊な防護服を着る必要はありません。

水準杭の痕跡にシリコンを流し込んでいる様子。
写真 水準杭の痕跡にシリコンを流し込んでいる様子。

平成19年8月17日(金)

 今週はお盆でしたが,発掘現場では床石の取り出しに向けた調査が続行されました。作業面を一枚ずつ剥いで記録する,根気のいる作業です。図面や拓本の作業は深夜まで及びました。
 いよいよ次週,最後となる床石4枚の取り出しが行われます。

床石4枚だけが残る調査区。
写真 床石4枚だけが残る調査区。北東から撮影。

平成19年8月21日(火)

 約1ヶ月の中断期間を経て,今週から床石4枚の取り出し作業が再開されました。最後の壁石の取り出し後,床石の取り出しを可能にするため,発掘作業によりその周囲の版築土が綿密に取り除かれました。その結果,床石4枚の組み方も判明し,床石4→床石3→床石1→床石2という作業手順も決定されました。
 今までと変わらぬ緊張感の中で朝礼が行われ,作業手順の確認後に作業が始まりました。これまでの作業と異なる点は,1日に2枚,2日間で合計4枚を取り出すという,タイトな作業日程にありましたが,これまでの経験を生かして作業は安全且つ迅速に行われました。その結果,初日の20日の午前に床石4,午後に床石3の取り出しが完了し,夕方には2石とも仮設修理施設に無事に搬送されました。翌21日も同様の手順により作業は行われ,16:00過ぎには最後の床石2の搬送を完了することが出来ました。

床石3の取り出し作業
写真1 床石3の取り出し作業

すべての床石の取り出し作業を終えた下段調査区
写真2 すべての床石の取り出し作業を終えた下段調査区

平成19年8月31日(金)

 内部断熱覆屋の中では,床石の下の整地層を調査し,その状況が明らかとなりました。また,地山面にのこる斑点状の土を掘ったところ,掘削工具の刃の痕跡を検出しました。地山直上の整地土には,つき棒の痕跡が明瞭にみられます。これらの状況について,報道機関に現場を公開しました。本日をもって掘り下げは終了し,来週は図面や補足的な調査などを行う予定です。
 仮設修理施設では,壁画面の状況を調べる作業が行われています。

調査区の様子
写真1 調査区の様子(南東から)

南東で検出されたつき棒痕跡
写真2 南東で検出されたつき棒痕跡

平成19年9月6日(木)

 本日,発掘調査を終了しました。石室床面より下位の調査は,石室周辺の版築構造に関わる情報を得るための最小限の発掘調査区(トレンチ)を設定し,調査を行いました。その後,遺構面を保護するための砂入れを行いました。
 昨年10月から11ヶ月以上にわたった長丁場の現場で,今年1月には環境管理のための断熱覆屋を設置し,その後は防カビ対策に追われながらの極めて特殊な発掘調査でした。
 今回の発掘調査では,石室解体の準備としての作業スペースを確保するだけではなく,考古学的に,あるいは壁画の劣化原因に関するきわめて重要な多くの情報を得ることができました。これから膨大な情報の整理作業を本格的に開始します。

発掘調査終了時の状況
写真1 発掘調査終了時の状況

遺構面保護のため砂を入れた状況
写真2 遺構面保護のため砂を入れた状況

平成19年9月21日(金)

 今週から,解体のために掘り下げた調査区の埋め戻しが始まりました。
 発掘で掘った墳丘の土を戻し,機械と人力でたたき締めながら,およそ50センチメートルおきに不織布を敷き込みつつ,埋めていきます。

調査区に入れた土を広げている作業
写真 調査区に入れた土を広げている作業

平成19年9月28日(金)

 『国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第9回)』を開催しました。報道機関公開の下,専門家である委員19名が出席し,石室解体の一連の作業報告等が行われました。

平成19年10月1日(月)

 本日付で文化庁の組織再編が行われ,美術学芸課に「古墳壁画室」,伝統文化課に「文化財保護調整室」が設置されました。いずれも平成18年6月の「高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会」報告における指摘事項を踏まえ,文化庁内の課を越えた横断的な連携をとるためのものです。
 「古墳壁画室」は,高松塚古墳とキトラ古墳の保存・管理に万全の体制を構築するために設置され,室長のほか室長補佐1名,事務官2名,古墳壁画対策調査官1名と調査官4名(絵画・考古資料・埋蔵文化財・整備)が配置され,調査官は美術学芸課又は記念物課との兼務となっています。

組織図
組織図

平成19年10月5日(金)

 先週から今週にかけて内部断熱覆屋の撤去作業が安全に行われました。10月5日には16枚の石材の取上げ作業で活躍したオーバーヘッドクレーンが,その役目を終えて撤去されました。今後約1年をかけて行う高松塚古墳仮整備事業のひとつの節目として,その様子を報道機関に公開しました。来週の前半には内部断熱覆屋の骨組み部分である全ての鋼材の撤去が終了する予定です。
 仮設修理施設では,修理技術者により壁画の現状地図の作成を継続し,また,クリーニング等壁画面の修理作業も進めております。

オーバーベッドクレーン撤去作業
写真1 オーバーベッドクレーン撤去作業

取り外されたオーバーヘッドクレーン
写真2 取り外されたオーバーヘッドクレーン

平成19年10月12日(金)

 今週,墳丘では内部断熱覆屋の撤去に引き続き,上段調査区の埋め戻し作業が行われました。また,内部断熱覆屋の撤去により,墳丘の一部が再び姿を現しました。本日,埋め戻し作業を報道機関に公開しました。
 仮設修理施設では,現状地図作成,応急処置等の作業を継続して行いました。

上段調査区の埋め戻し作業
写真 上段調査区の埋め戻し作業

平成19年10月26日(金)

 今週,仮設修理施設では壁画の現状を記録する作業が進められました。
古墳現地は,次の工程である冷却管撤去作業までの準備期間にあたり,特段の作業はありませんでした。

平成19年11月2日(金)

 仮設修理施設では引き続き,壁画の状態を記録する作業が進められました。ひとつの壁面の中でも,樹脂で強化されている箇所とそうでない箇所があり,漆喰の状況も漆喰全体がなくなっている箇所,漆喰表面だけがなくなっている箇所,表層はあるが漆喰内部が消失して陥没している箇所といったように,さまざまな状況が混在しています。さらに微生物による被害の状況なども違います。そのため記録は非常に時間のかかる作業です。

平成19年11月16日(金)

 仮設修理施設では,壁画の現状を記録する作業が進められました。
 本日は,これに石材の修理を担当する奈良文化財研究所のメンバーが加わり,石材の調査と打合せを行いました。
 古墳現地では,来週から本格的な作業を開始する冷却管撤去作業の準備を進めました。

平成19年11月28日(水)

 11月20日から冷却管撤去作業を開始しました。
 本日までに11本の墳丘下部冷却管の撤去を無事に終了しました。

平成19年11月30日(金)

 『国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(第10回)』を開催しました。報道機関へ公開の下,専門家である委員18名が出席し,壁画の現状等の報告や壁画の劣化原因調査についての検討が行われました。
 配付資料については文化庁ホームページをご覧ください。
 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/takamatsukento/10/index.html

平成19年12月6日(木)

 本日,平成19年度文化庁長官表彰式が行われました。文化活動に優れた成果を示し,我が国の文化の振興に貢献された方々に対し,その功績をたたえ文化庁長官が表彰状を授与するもので,平成元年度から実施されています。
 今年度は長官表彰に30名が選ばれました。
 高松塚古墳関連では,石室取り出し作業を担った飛鳥建設株式会社の左野勝司社長に長官表彰状が贈られました。
 また,治具(吊り上げ時に石材を把持する機械)を製作した株式会社タダノに対し,文化庁長官感謝状が贈られました。
 解体作業が無事に成功したのは多方面のご協力の賜物です。あらためて皆様にお礼申し上げます。

左野社長(左)へ青木長官から表彰状が手渡されました。
写真1 左野社長(左)へ青木長官から表彰状が手渡されました。

左野社長ご夫妻と青木長官(左)
写真2 左野社長ご夫妻と青木長官(左)

左から山﨑古墳壁画室長,青木長官,高木部長(株式会社タダノ),山本マネージャー(同),内藤記念物課長
写真3 左から山﨑古墳壁画室長,青木長官,高木部長(株式会社タダノ),山本マネージャー(同),内藤記念物課長

19年12月21日(金)

 仮設修理施設では,本日で今年の作業は終了しました。
 年末年始は壁画の状況を把握するため,数回の点検を行います。

 古墳現地では,約30年使用した旧保存施設の床下に保存していた凝灰岩の切石を報道機関に公開しました。旧保存施設内は狭いので,記者には数人の班に分かれて取材をしてもらいました。この切石が当時の生姜穴から発見されて,昭和47年3月の高松塚古墳の本格的な発掘調査につながったものです。切石は外面が脆くなっており,先に取り出した石室石材と同様,今後,修理のための取り出し作業を行う予定です。

取材の様子
写真1 取材の様子

墳丘の現状
写真2 墳丘の現状

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