高松塚古墳の保存管理の経緯と壁画修理後の当分の間の保存の在り方について

平成26年3月27日
古墳壁画の保存活用に関する検討会

高松塚古墳壁画の発見

高松塚古墳は奈良県高市郡明日香村大字平田字高松444番地に所在する。墳丘の規模・形状は,下段が直径約23m,上段が直径約18mの二段築成の円墳である。墳丘の周囲には,幅約2mの周溝がめぐる。古墳の築造時期は,出土遺物等から,7世紀末から8世紀初頭と考えられている。
高松塚古墳に関わる記述は,江戸時代の絵図等にも認められるが,近代以降においてこの古墳が再び注目されたのは,昭和44年4月のことであった。地元住民が古墳の南側で偶然に掘った穴の底に凝灰岩の切石を見つけたことにより,この丘が古墳であることが再び意識されるようになった。
昭和47年3月,『明日香村史』編さん事業の一環として,明日香村を事業主体として,明日香村教育委員会と橿原考古学研究所による古墳の発掘が実施された。この発掘調査により,凝灰岩切石組の石室が確認され,3月21日には石室内に描かれた大陸風,極彩色の壁画が発見された。この発見は,当時の古代史学,考古学,美術史学における「世紀の大発見」として大きく報じられ,現在につながる古代史・考古学ブームの火付け役ともなった。
高松塚古墳の管理は,その重要性に鑑み,壁画発見の翌月に文化庁に委ねられ,その後,現在まで文化庁による管理がなされてきた。昭和48年4月には古墳全体が特別史跡に,昭和49年4月には壁画が国宝(絵画)に,出土品が重要文化財(考古資料)に指定された。 「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法(明日香法)」(昭和55年)の制定に際しても高松塚古墳壁画の発見が大きなはずみになったという。

現地保存方針の決定

壁画の保存対策については,文化庁により設置された「高松塚古墳応急保存対策調査会」(昭和47年4月~11月)及びそれを発展し引き継いだ「高松塚古墳保存対策調査会」(昭和47年12月~)により検討が行われた。様々な分野の専門家からなるこれらの調査会で,壁画の保存について多角的に検討された。この中では,史跡の現地保存を原則とし,既に壁画の保存修理に関する多くの経験を有していたイタリアやフランスの専門家の意見等も参考にされ,昭和48年10月には,高松塚古墳保存対策調査会壁画修復部会において壁画を現地で保存し修理する方針が固まった。以降,文化庁はこの基本方針に沿い壁画の保存対策を進めてきた。

保存施設の設置

壁画は発見当初から既に脆弱な状態であることが指摘され,特に漆喰層は深刻な状態と判断された。このため,漆喰の剥落止め等の修理作業や壁画の点検作業を石室内で安全に行うための準備空間として,また石室内環境が外気の影響を受けないための緩衝空間として,昭和51年3月に石室の南側にプレキャスト・コンクリート(PC)製の保存施設が設置された。

壁画の修理作業と昭和のカビの大発生

昭和51年度に始まる本格的な壁画の修理事業は,大きく三期に分けて実施された(第1次修理:昭和51年度,第2次修理:昭和53年度~昭和55年度,第3次修理:昭和56年度~昭和60年度)。修理の初期から,カビ等の生物被害への対策は行われていたが,昭和55年頃には石室内の湿度環境の変化,修理作業における樹脂や薬剤の選択,度重なる石室内への人の出入り等により石室内に大量のカビが発生し,白虎が退色した。その後の一連の修理作業により,壁画発見時からの大きな懸案であった漆喰の剥落を食い止めることには成功した。第3次修理終了後,カビ等の発生は漸減し,沈静化した。昭和62年3月には,壁画発見以降,第3次修理終了までの経緯をまとめた報告書『国宝高松塚古墳壁画―保存と修理―』が文化庁の編集により刊行された。

平成のカビの大発生

保存施設と石室を連結する小空間は「取合部(とりあいぶ)」と呼ばれ,修理や点検の際にはこの空間に監視者を置き,石室内作業を客観的に監視することで作業や作業者の安全が確保されてきた。昭和55年頃から,墳丘土が露出している取合部の天井の崩落が断続的に確認されていたが,これに対処するため,平成13年2月,この崩落止め工事が実施された。この際のカビ対策が不十分であったことをきっかけとして,取合部及び石室内に大量のカビが発生するなど,それまでの十数年間,微妙な均衡の中で比較的安定してきた壁画の保存環境が変化し,カビ等の微生物による汚染が著しくなった。
相次ぐ生物被害の拡大を受け,平成15年3月,文化庁に「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」が設置され,現状を客観的に把握するための科学的調査が実施されるとともに,いくつかの緊急措置が実施された。平成16年6月には,これに続く検討の場として,新たな専門家を加えた「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」が設置された。
同じく平成16年6月には壁画発見30年を契機として,壁画の現状と最新の分析手法(非破壊・非接触法)による壁画の技法・材料研究の成果を報告することを主たる目的とした写真集『国宝高松塚古墳壁画』が文化庁の監修により刊行されたが,この本に掲載された写真から白虎の描線の薄れ等の壁画の劣化が報道機関に指摘され,壁画の保存管理について文化庁に厳しい批判が寄せられた。
一方,壁画の生物被害対策の作業中,作業者による壁画の損傷事故が平成14年1月に起きていたが当時は公表されず,平成18年4月に報道がなされ,文化庁の姿勢や対応について厳しい批判がなされた。これらの問題については,平成18年6月,「高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会」により報告書『高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査報告書』が取りまとめられている。

石室の解体修理

以上のように,壁画は発見以来現地保存の方針の下,漆喰の強化と生物被害対策を中心とする保存管理が行われてきたものの,狭隘・高湿な石室において周囲に壁画が存在し,限られた時間で作業を進めなければならず,このような環境下による保存管理には限界があった。また,ダニやムカデ等のムシが石室を出入りし,石室内にカビが持ち込まれ,さらにそれらの死骸が新たなカビ等の栄養源になるという,カビを中心とした食物連鎖が石室及びその周辺に出来上がったこと等により,抜本的な保存方針の見直しが検討された。
その結果,墳丘内の土中環境において壁画を現地保存するこれまでの保存方針では壁画の劣化を食い止めることは極めて困難との判断がなされ,苦渋の選択ではあったが,平成17年6月の「第4回 国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」において,壁画を石室(石材)ごと墳丘から取り出して,安全な環境が確保された施設で修理をする方針が決定された。 解体修理方針の決定にあたっては,以下の5つの案について検討がなされた。

第1案 施設・機器更新を行い,現状で保存する。
第2案 墳丘ごと保存環境を管理する。
   (1)覆屋のみを設置する。
   (2)墳丘を地盤から隔絶して管理する。
第3案 石室のみ保存環境を管理する。
   (1)墳丘の外観を残し地盤から隔絶して管理する(パイプルーフ工法)。
   (2)墳丘を解体し地盤から隔絶して管理する(オープンカット工法)。
第4案 石室を取り出して修理する。
第5案 壁面を取り出し保存施設で管理する。

これらのうち第1案から第3案は壁画を移動しない方法,第4案・第5案は壁画を移動する方法である。
「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」における議論の末,最終的に第4案が採用された。その際にはこの案の
   ・環境制御ができること。
   ・取り出した石室を適切な環境で修理できること。
   ・修理に伴う科学調査等により,壁画の劣化原因が究明されることが期待されること。
等の利点が評価された。修理を終えた後,壁画は,将来的にはカビ等の影響を受けない環境を確保した上で現地に復旧することが,恒久保存対策とされた。
第1案は,環境制御ができないこと,狭隘な石室内での作業を継続しなくてはいけないこと等の理由から,第2案は,環境制御ができないこと,狭隘な石室内での作業を継続しなくてはいけないこと,極めて巨大な覆屋の設置が必要となり風致保存等の観点からも認められ難いこと等の理由から,第3案は,極めて大きな墳丘の掘削を伴うこと,長期にわたり石室がむき出しになること,狭隘な石室内での作業を継続しなくてはいけないこと等の理由から,第5案は,漆喰層が脆弱化しており剥ぎ取りが困難であること等の理由から,いずれも有効な対策ではないとの判断がなされた。
石室解体作業は,平成19年4月に開始され,同年8月に終了した(石室解体事業に伴う発掘調査は同年9月に終了)。取り出された壁画・石室石材は,順次,国営飛鳥歴史公園内に設置した国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設に搬送された。その後,壁画の現状確認,応急処置等を経て,平成19年から10年程度をおおよその目途として本格的な修理が開始された。
石室が取り出された墳丘は,壁画修理中における当面の間の仮整備として,保存施設の撤去等が行われ,平成21年10月,発掘調査結果等から推定される古墳の姿に復元整備された。

高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会

石室解体作業を終え,その後の応急処置にも一定の目途が立った平成20年度から,「高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会」が発足した。高松塚古墳壁画の劣化原因については,それまでも「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」において検討がなされてきたが,本検討会では,石室解体作業に伴う発掘調査の成果や,カビ等の微生物調査,石室内環境データの解析,壁画材料の科学調査,文化庁等に残された過去の対応等に関する資料の分析等について,学術的・総合的な検討が集中して行われ,その成果は平成22年3月に『高松塚古墳壁画劣化原因調査報告書』としてまとめられた。
この中では,当該壁画の発見時以降の壁画の劣化についてはカビ等の生物被害によるところが大きく,特に生物被害が進行した二つの時期(昭和のカビの大発生,平成のカビの大発生)のうち,前者は石室内の湿度環境の変化,修理作業における樹脂や薬剤の選択,度重なる石室内への人の出入り等が複合して起きた可能性が高く,恐らくその対応中に白虎の図像が退色したと考えられた。後者は更に保存施設の温度調整機能が十分に働かなくなったこと等による石室内の温度上昇,取合部天井の崩落による微生物(常在菌)を多く含む土層の露出等の条件が加わった上で,不十分な生物対策により実施された工事が直接的な引き金となった可能性が高く,その後の度重なる石室内への人の出入りも生物被害を拡大させる要因の一つとなったと結論づけられた。また,チェック体制の不備等がこれらの遠因になった可能性等も指摘された。

高松塚古墳壁画修理後の当分の間の保存の在り方について

『高松塚古墳壁画劣化原因調査検討報告書』が出された後,平成22年に「高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会」と「古墳壁画保存活用検討会」が統合され,「古墳壁画の保存活用に関する検討会」が発足した。
「古墳壁画の保存活用に関する検討会」において,特に高松塚古墳壁画については,平成17年6月の「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」で決定された恒久保存方針である「解体修理方針」に基づき修理作業が進められており,平成29年頃に予定される修理作業終了時に向けて,平成24年度からは,高松塚古墳壁画修理後の保存の在り方に係る議論が重ねられてきた。
本検討会では,墳丘に壁画・石室を戻す場合と戻さない場合の両者について,

(1) 壁画の保存
  (ア) カビ等の生物被害
  (イ) 漆喰の劣化
(2) 石室石材の保存
  (ア) 石材の強度
  (イ) 構造体としての石室の強度
(3) 墳丘の保存
  (ア) 整備
  (イ) 墳丘に戻す場合の保存施設
(4) 壁画の公開・活用
(5) 壁画と古墳の関係

等の観点から,様々な議論がなされた。この際には,先の『高松塚古墳壁画劣化原因検討報告書』の内容も大いに参照された。また,関係学会の専門家に実際に修理中の壁画・石材の現状を実見してもらい,意見聴取することも行われた。
これまでの議論で確認されている墳丘に戻す場合の主な課題を以下に示す。

・カビ等の影響を受けない環境を確保することは困難である。
・漆喰の粗鬆化が進んでいる。
・石材には多くの亀裂があるとともに,強度も低い。
・強度が低い石材を用いて,石室を再構築することは難しい。
・墳丘に保存施設を設置する際,さらに遺構を破壊する可能性がある。墳丘の外観にも影響を及ぼす。

これらにより,「壁画・石室は,墳丘に戻すことが望ましいが,現在の科学的・技術的水準の下では壁画・石室に安全な環境を作って墳丘に戻すことは困難であり,壁画を将来に伝えるためにも修理終了後,当分の間は墳丘に戻さず,引き続き保存と公開を行う」ことが妥当であると考える。同時に,恒久保存方針に基づき,将来的には現地に戻すための努力・検討を続けるべきであろう。
史跡の保存はそれらを構成する重要な要素が一体的に保存されることが原則であり,古墳の壁画についても現地で保存されるのが基本である。しかし,高松塚古墳壁画は,墳丘に壁画・石室を再構成して戻した場合,史跡としての一体性は得られるものの,石材の強度や漆喰の状態からみて大地震の揺れなどに耐えられないおそれがあるとともに,現在の技術では再びカビ等の生物被害が間違いなく生じてしまうと思われる。なお,現在は仮設修理施設において年2回ほど修理作業室の公開が行われており,当分の間は,取り出された壁画・石室について,保存しながら公開を行うという視点を持つことが重要である。
本検討会としては高松塚古墳壁画の修理後の保存の在り方として,飛鳥地域,ひいてはわが国の文化財保護において高松塚古墳が果たしてきた役割や,その歴史的・文化的価値を十分に考慮しつつ,「将来的には,カビ等の影響を受けない環境を確保した上で現地に復旧する」という恒久保存方針に基づき,墳丘に戻すための検討を続ける必要があることは言うまでもないが,上記のことから,環境を制御しながら安全に壁画・石室の保存管理ができるよう,修理後の当分の間は,古墳の外の適切な場所において保存管理・公開を行うことが適切であると結論づける。 なお,壁画修理後の古墳現地の扱いや,壁画・石室の当分の間の保存管理・公開の方法,場所等については,引き続き検討を行うことが必要である。その際,例えば,墳丘の整備,壁画・石室の保存管理・公開を行うための施設,将来的に壁画・石室を墳丘に戻すことを可能にする保存管理の研究等の在り方について検討することが重要であると考える。

壁画発見から現在までの経緯

昭和44年 4月 地元住民により凝灰岩切石が発見され,古墳であることが再認識される
昭和47年 3月 発掘調査(事業主体:明日香村)により,石室の確認とともに壁画が発見される
4月 古墳の管理が文化庁に委ねられる
高松塚古墳応急保存対策調査会の設置
12月 高松塚古墳保存対策調査会の設置
昭和48年 4月 古墳が特別史跡として指定される
10月 高松塚古墳保存対策調査会壁画修復部会において壁画を現地で保存修理する方針が決定される
昭和49年 4月 壁画が国宝に,出土品が重要文化財に指定される
昭和51年 3月 石室南側に保存施設を設置
昭和51年度 壁画修理事業(第1次修理)
昭和53~55年度 壁画修理事業(第2次修理)
昭和55年頃 石室内に大量のカビが発生。処置に追われる 墳丘土が露出している取合部の天井の崩落が断続的に確認されるようになる
昭和56~60年度 壁画修理事業(第3次修理)
昭和62年 3月 『国宝高松塚古墳壁画―保存と修理―』(文化庁編集)刊行
平成13年 2月 取合部天井の崩落止め工事。カビ対策が不十分であったため,取合部及び石室内に大量のカビが発生
平成14年 1月 生物被害に対応していた作業者による壁画の損傷事故
平成15年 3月 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会の設置
平成16年 6月 国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会の設置
写真集『国宝高松塚古墳壁画』(文化庁監修)刊行
平成17年 6月 墳丘から石室石材ごと壁画を取り出し修理する方法を決定。「将来的には,カビ等の影響を受けない環境を確保した上で現地に戻す」恒久保存方針を決定(第4回 国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会)
平成18年 4月 高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会の設置
6月 『高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査報告書』刊行
平成19年 3月 国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設の設置
4月 石室解体(~8月)
平成20年 5月 古墳壁画保存活用検討会の設置
高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会の設置
平成21年 10月 墳丘仮整備工事の完了
平成22年 3月 『高松塚古墳壁画劣化原因調査報告書』刊行
4月 古墳壁画の保存活用に関する検討会の設置
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