鼎談

司会(野山):まず最初のプログラムは,3人の有識者の皆さんによります鼎談です。この鼎談のテーマは,「日本語ボランティア活動の醍醐味って何?」というのがテーマです。これから舞台に上がっていただきます3人の先生方ですが,お一人はひょうご日本語ネット懇話会の委員及び神戸日本語教育協議会の副会長をしておられます奥田純子先生,それから帝塚山学院大学の人間文化学部教授のジェフ・バーグランド先生,そして河合隼雄長官という3人です。
3人とも関西と非常に御縁の深い先生方ですので,今日恐らく途中,あるいは最初から,先ほど長官もおっしゃっていましたが,公用語にはならないまでも関西弁で話が弾んでいくのではないかというふうに期待されます。
それぞれの先生方はパンフレットにも皆さん6ページから8ページのところを見ていただくと,先生方のプロフィール,略歴等を書いてございます。御覧になってお分かりのように,3人の先生方ともども,文化の問題,それから心理,精神の問題等に非常に詳しい方々です。そういった問題を焦点を当てていきながら,なおかつ奥田先生には進行役を務めていただきますし,今日は進行役の役割を果たしていただきつつも,日本語教育の専門家としても日本語のボランティアの問題に焦点を当てていただくという務めを果たしていただきながら,鼎談を進めていただきたいと思います。
それでは,鼎談者の皆様,どうぞよろしくお願いいたします。

奥田:皆様こんにちは。ただいま御紹介いただきました奥田でございます。先ほど,河合先生が今日は関西弁でとおっしゃったのですが,私は京都生まれにもかかわらず,どうも自信がございません。ですから今日は,普段着の言葉で話させていただきたいと思います。
先ほど,野山さんから御案内がありましたように,鼎談にあたりまして,まず,地元神戸で河合先生,ジェフ先生をお迎えした側の立場から,以前行いました調査をもとに兵庫県のボランティアの抱えている問題をお話させていただいて,それから,鼎談に入っていきたいと思います。
私は,今,ひょうご日本語ネットというところに,所属というより,参加しております。このネットのことを簡単に紹介させていただきます。皆さん御承知のように,95年に,神戸をはじめ,阪神間に大変大きな被害をもたらした阪神・淡路大震災がありました。そのときに,被災地の避難所では,非常に多くのところで,外国人と日本人の接触がありました。もちろん,それまでにも外国人はいたのですけど,目に見えない存在でした。ところが,震災によって,様々なところにたくさんの外国人が住んでいるということ,そして,彼らが大変困っているということが接触によって顕在化しました。こういったことをきっかけに,日本語の学習や教育を共通項とする人たちや団体が集まって,何とか外国人と日本人が共に暮らしていくことに協力できないか,そのために何かできないかということで,情報を共有するためのネットワーク*1,ひょうご日本語ネットを作りました。
このネットで,2001年の7月に日本語コーディネータ*2についての調査を行いました。日本語コーディネータの役割を中心に調べたのですが,その中で,どんな問題が現場にあるのかということもあわせて調査いたしました。
おおよそ250名の方がアンケートに答えてくださいました。兵庫県には,公,民,合わせて60くらいのボランティア教室があるのですが,そこで活動されている方が,どんなことが問題だと考えているかを調べたわけです。皆さん,250人のうち,40%ぐらいの人,およそ100人が問題ありとおっしゃっています。ところが,問題なしと言っている人もあって,これは,約35%,85人です。この数が多いか少ないかというのは難しいところですが,分からないという回答も20%余りありました。
問題ありとおっしゃった約100人に,それは,どんな問題ですかと聞いてみたところ,100人の中の4割の方が,財政面の問題,日本語学習に関する問題,運営上の問題を挙げていて,これが問題の上位3項目です。続いて,人間関係,日本語学習支援以外の支援の問題があがっています。さて,財政面の問題ですが,これは文字通り,お金がない,どこから持って来ようかということです。日本語学習に関する問題は,大きく分けて三つありました。一つ目は,教える能力,指導力についてで,すごく足りないと感じていらっしゃるんですね。二つ目は,学習のための教材とか教具,あるいは教科書,辞書といったリソース*3,が足りないということ。これは,先程申し上げた財政難とかかわっていることかもしれません。最後の一つは,たくさんの方が指摘された学習者に対する問題です。学習者の出席状況が良くない,学習が不安定で継続してくれない,学習時間が足りないなどです。学習目的に疑問ありという回答も結構ありました。運営については,ボランティアと例えば公民館との間に活動に関する評価への考え方,見方に差がある,だから運営がぎくしゃくしてうまくいかないという回答が多く見られました。ボランティア同士もそうだし,主催者ともうまくいかず,学習者ともぎくしゃくしていて,双方がうまくバランス*4をもって進んでいないように思うという意見もありました。
これは,ボランティア同士やボランティアと学習者との人間関係の問題とも重なるもので,ボランティア同士の関係をうまくつくっていくことやコーディネータとの関係をつくっていくことに難しさを感じるということが出てきています。
財政,日本語学習,運営,人間関係について,このような問題が出てきたのですが,一生懸命かかわればかかわるほど,また,かかわっていればいる人ほどと言えばいいんでしょうか,こんなはずではなかったのに,やればやるほど,どんどん困ってきた,そういった矛盾や葛藤が現れているように思います。
問題があるかどうか分からないと答えた人は,比較的ボランティア活動をやって日の浅い人に多かったということがあります。やればやるほど様々な矛盾や葛藤が出てくる,こういった点について,ぜひ臨床心理学の専門家でいらっしゃる河合先生から,元気に楽しく継続していくための工夫や問題環境を変えるための工夫などをお話いただければと思います。ジェフ先生には,ボランティア同士,ボランティアとコーディネータ,あるいは行政との間のように日本語は通じるのにどうもうまくいかないといった,例えば,行政文化との文化接触の問題について,また,学習者との間の異文化間コミュニケーションについても,文化比較を含め,コミュニケーション上の壁を乗り越えるための工夫をお話いただければと思います。

*1 ネットワーク 網目状の組織のこと。
*2 コーディネータ 物事のまとめ役。
*3 リソース 素材。
*3 バランス つりあい。均衡。


河合:今日の題は,日本語ボランティア活動の醍醐味とは何かということで,答えは問題が多いことだ,ということで。大体醍醐味というのは問題が多いんですね。もっとおいしいものっていうのは,ちょっと食べてすぐに分かるようなおいしさではなくて,初めは苦いなとか,臭いなと思っていたけど,食べているうちに忘れられないという,だからそういうボランティアをやっていて,問題が多いからやめようという,そういう人はもうやめたらいいと思いますね。

バーグランド:ちょっと先生,最後に言ってくださいね。今ここでお帰りになる方あるかも。

河合:いや,今は大丈夫です。笑ってましたから。問題が混沌としているところに醍醐味があるんです。今言われた例えば行政の問題と,ボランティアとの間,それも異文化コミュニケーション,文化ですね。そしてそれを解決するためものすごく大きくとらえていく。そういういろんな障害を乗り越える工夫を自分でして,ああ良かったできたという,この辺をみんな味わって欲しいと思いますね。初めはびっくりする方が多いですね。私なんかもうアメリカへ行ったときにはびっくりすることばっかりでしたが,そのびっくりだけでなく乗り越えようとすると,ああと思う。皆さんがそれをしてるんだと思って欲しいですね。だからいろんな問題が出てきても,これはたぶんですね。そのとおり。
それから財政面の問題,これはもうボランティアに限らない。日本中,いや世界中ですね,どこに行ってもみんなということですから,問題があるということは,おもしろいことことだという,それがもう根本ではないですかね。

奥田:では,問題がないと言われた人には,問題を見つけていただくということでしょうか。

河合:いやいや,分からないという人は,余りやっていない人だと思います。そのとおりで,やってない人はもう仕方ないです。ジェフさんどうですか。

バーグランド:まず日本人はアンケートは好きなんですね。アメリカ人は余りアンケート*1を好きじゃないんですよ。アンケートをすぐ疑うんですよ。日本人に例えばちょっと,ちょっと降りて聞いていいですか。一番前に座っている3人の方に,世界に言語は幾つぐらいあると思いますかって聞きますね。言語,世界で幾つぐらいの言語があると思いますかと。はい,この方。

*1 アンケート 一定の質問について意見を問う調査のこと。


参加者:数え方にもよりますけれど,3,000から5,000ぐらいだと思います。

参加者:国の数が150だから,そのぐらいだと思っています。

参加者:国の数よりは多いと思います。

バーグランド:典型的な集団ではないですね。全国,大学の授業以外で70回,80回ぐらい年間,北海道から沖縄と講演会するんです。この質問するんですよ。大概のとこは,最初答えた人が例えば3,000から5,000ぐらいだと言ったとする。それぐらいだと思う,それぐらいだと思うというのが普通なんですよ。いわゆるアンケートというのは,配って書かすからばらつきが出るんですが,実際に聞くと,右に同じ,左に同じという日本人が結構いますし。だからアンケートは余り重視しないんですよ。
3,000から5,000というふうに出ましたが,もう少し多いですよ。少ない場合で,6,700〜6,800と書いてあります,多い方で1万2,000ぐらい。数え方によって,おっしゃったように数え方によって異なるんですが。文字言語が200ぐらいしかないんです。大体国の数なんですが。ということなんですが,その中で,日本語というのは一つの言語で,さっき僕いろんな問題がある中で,二つだけ僕が昔から考えていると。一つは教科書の問題,教材の問題,やっぱり自分の文化がすばらしい,世界の人がみんな自分と同じ文化を持っていたらいいなと思う非常に傲慢な考え方の人は,教材をどんどん作りますね。だからイギリスは400年前から教材作っていますね。世界に英語をしゃべらせると。私たちの持っている文化は世界一なんです。だからみんなそれを目指して勉強すればいいという非常に傲慢な考え方のもとで,教材を400年も作っているから,いい教材がたくさんあるんですよ。
でも日本人に例えば英語できますかと言ったら,例えば河合隼雄さんにですよ,横に座りたくても僕どきどきと。英語できますかと例えば河合先生に聞きますね。10年以上アメリカにおられた。

河合:いや,アメリカにちょっと。

バーグランド:英語できますかと言ったら,いやいやまだですねと,こういう答え方するんですね。英語本当によくできる人でも,英語できると日本人は言わないんですね。逆にイギリス人は2〜3週間日本語勉強していたら,日本語できますかと言ったら,「はい」と答えるんです。これほど大きな,違いではないですかね。だから日本人はもう少し自信を持って,教材をどんどんやっぱり作っていかんといかんですね。いい教材をね。
それから,最後は財政面なんですが,ボランティア活動自体が非常にあいまいなものなんです。お金が必要なのか必要ないのか,どこまでがボランティアなのか,例えば交通費までボランティアなのか,何がボランティアなのかという非常にあいまいなんです。そこで民間はきっちりと先生にお金も払い,教室の例えば光熱費はちゃんと払うとか,そのためにどれぐらいの収入がないといけないかを,そこで講師選定すると。私はあいまいなことが問題だと思うんですよ。いわゆる学習者,ちょっと学習者が何人いらっしゃるのかちょっと聞きたい。日本語勉強されている方。あ,僕だけですね。

河合:僕は標準語の勉強しています。

バーグランド:標準語の勉強,先生はやっていらっしゃる。

奥田:そういう意味では,私も京都弁を正しく話せませんので,勉強中です。

バーグランド:いや,学習したときの意欲の問題が出ましたからね,ちょっとそそられたんですが。人間の心理から言うと,お金を払うと行こうと思うんですね。ただだと行かんでもいいかもという心理が働くから,やっぱり稀少価値,非常に貴重なもので自分がやっぱり払って,勝ち取っているんだという意識があると,日本語を学ぶ者が学ぶと。だからボランティアの全くただの,行政が全くただで日本語教室を外国の人たちに与えようとするんですが,それと民間の間が僕は妥当じゃないかなと思うんです。

奥田:そうですね。いくつかのボランティア教室で財政面を何とかしようということで,学習者から協力金をもらうようにしたところがあります。数百円ですが,ただ,仕事のない人はただでいいよという具合に,割に柔らかく運用されていて,それを始めると,学習者が結構休まずに来てくれるようになったということです。ボランティアが自ら手を挙げてボランティア活動に参加するのと同じように,与えられる学習ではなく,きちんと学習者も手を挙げて,自ら意思表明をして学習しているところでは,学習者は休まないということを聞いています。

河合:それはそのとおりですよ。ただは休む人が多いです。本当にそうなんです。いろいろ会議があるんですよ。お金払った人は来ますけど,ただの人は雨が降ったら来ないというふうにね。いい天気だったら来ないという,遊びに行きたいですからね。だから,そこを,ただ,お金をなぜ取るのかということをはっきりして,それを,取ったお金をどこに払っているのか。これを明確にするといいです。だから,先生は教えるのはボランティアで受けておられるから,給料は取っておられない。しかし皆さんからいただいお金はこうしているんだと。だから今までの経験で無料で教えるといったらほとんど効果がないことが分かってきましたので。これは私たちは相談していますね。初め京都大学で相談授業をさせてお金を取るといったら猛反対。そんな悩みがあって相談に来る人から金を取るとはけしからん。お金をあげてもいいぐらいだと言われた。ところが,ただでやったらだめなんです。ただでやったらお互いの意欲が落ちてくる。お金を取ってましたら,誰も,僕らボランティアですね,それお金の運営にかかる。そやからきれいに書くと,そこから出して,そして僕はお金を取らないかんいうことを,そういったように力説して,そしてお金をちゃんと取るようにしたと。そうでないと,不思議なんですね。そこを非常に明確に,それこそ透明性がないと。

バーグランド:何も不思議ないと思うんです。コミュニケーションというのは私たちは割りに言葉によるものだという意識が高いですが,異文化コミュニケーション学の中で,本当は数字で出せないんですが,コミュニケーション一つのためにどれだけ言葉でないコミュニケーションを行っていくのかというのが,一コマ一コマ分析していくんですね。その目の配り方とかジェスチャー*1とか。大体少ない人たちで75%から80%ぐらいは言葉によらないコミュニケーション。もっと広げると,例えばさっきの段があって,長官があいさつする舞台と,この花が置いてあってこの柔らかい舞台が,お客様に対する全く違うコミュニケーション,いわゆるものというものとのコミュニケーションなんですね。人間は友達とか親戚なんか,お金が間に入っていなくてもいいんです,コミュニケーションは。でもやっぱり知らない者同士はお金というのは一番コミュニケーションがスムーズ*2にいくんです。だからお金というのはコミュニケーション手段なんです。これがないと貸し借りというのが人間ものすごく感じるから,学ぶ方がただで学んでいる,そしてボランティアで教えている方もただでやっていますという,余りにも意識が高いとやりにくいんですよ。
そこでお金というものがコミュニケーションの間に入ってくると,僕はほかの大学に言うのとちょっと違うんですが,すし屋さんに行きますと,値段書いていないすし屋さんに,お客さんによって同じものを食べても,取るお金が違うというのが,僕は何にも不満ないんです。これが日本の文化やと思うんです。支払う能力がある人から取ると。能力のない人,例えば若いカップルが入ってくると,そんなに安くはしないんですが,若い,例えば男性同士とか女性同士が入ってくると,ああこれはお客さんになってくれるのかなという気持ちで,安く取ると。でも,中年おっさんで会社の社長らしき者が入ってきたからもう高いお金取るんですね。だから同じボランティア教室の中で,さっき奥田さんが言ったように,人によって払うお金が違うというのが,これまた日本文化を知るにいいチャンス*3だと思いますよ。

*1 ジェスチャー 身振り。手振り。
*2 スムーズ 円滑。
*3 チャンス 機会。好機。


奥田:人によって額が違うというのは,公平さに欠けるという発想をされるかもしれませんが,そんなことはないと思うんです。学習者も自ら意思を持って参加しようと思ったときには,何が公正で公平かは,場合によると思います。参加する人たちそれぞれが,参加できる形で参加することが一番いいと思います。
教材についても,足りなくても,使ってみてよかったものを持ちよればいいと思いますし,どのように参加するかには,多様な在り方があっていいと思います。100円もあれば1万円の学習費もあってもいいのではないかと思います。
実は,河合先生は,日本語教室の大先輩なんですね。

河合:そうです。

奥田:そのことを聞かせていただきたいと思うのですが。

河合:1959年にアメリカへ留学を。

バーグランド:20才。

河合:留学していたときに,僕とあと2,3人で行って,日本の二世の方に日本語を教えるという河合塾という名前で。たくさん来られたんですよ。それはちゃんとお金を取ってやっておりました。まさに醍醐味ということをいうと,これかなと思ったのは,日本語を教えているということと同時に,日本人であることとか日本文化ということを考えざるを得ないんです。主張がそれにかかってくるんですね。どうして省略していいんだとか,なぜ敬語があるのかとかいう,全部答えようと思うと,日本人にも間があると言わざるを得ないんです。だから日本人としてはこうなんだとか,そういうことを一緒にくくって日本語で話す。私はすごくうれしかったのは,その頃ですからまだ戦争の終わり目のところですね。それを店で買うたやつが言うことは,自分たちは日本人であるということをできるだけ拒否しようと。自分たちはアメリカ人なんだと,アメリカ人で日本人ではないんだということばっかり思ってきたけど,僕のこれを聞いて,日本人であるということがすごくおもしろくなってきたと。だから私はアメリカに行って日本人だと言えるようになったと。たくさんの人が日本に来られる。一遍でも日本を見てみたいと。今まで留学の意味ないと思っていたんだけど,こんなおもしろいというなら,ぜひ行ってみようと。来られた方もありますけれども。そういうことが,一番うれしいことですね。

奥田:関西弁を広めた功労者のお一人だということですね。

バーグランド:しかし,今故郷という言葉が出ましたですけれど,二世の人にとってはやっぱりアメリカが故郷なんですが,それでもちょっと難しい言葉ですが,「カルチャーマージナル」という言葉を皆さんに教えますが,「マージナル」というのは一番中心ではなくて一番端っこのことです。「カルチャーマージナル」というのは,文化の中心から自分が離れているという気持ち,または状況が自分をそういうふうにさせている。難民がそうですね。自分の国を離れて,離れざるを得ないという状況で離れている。国際結婚の子供たちとか。でも,いろんな文化の考え方がありますから,非常に私たちは文化というのは割に国単位に考えがちなんですが,女性文化,男性文化と考えると,女性でありながら女性の体だから気持ち的には男性っぽい自分の方が強く感じるという,こういう人も「カルチャーマージナル」,年寄りでありながら年寄りの話についていけへんと,若い人が好きだというのも「カルチャーマージナル」,いろんなタイプ*1の「カルチャーマージナル」がいるんですが,特にさっき学長さんからの話の中に,ファーザータングとマザータングの話もありましたですが,父親と母親とが別の国,別の国民,文化圏の人の場合,その子供たちがどうするかということ。それから二世,いわゆる自分の父親,母親が二人とも同じ国の人なんですが,生まれた国がまた別の国だと,生まれ育った国は別の国。そういう「カルチャーマージナル」が今の世の中に非常に増えている。その人たちが,例えば半分は日本人とか,日本人の血を引いているんですが,別の国で生まれている。そういう人たちに対する日本語教育というのは,アイデンティティ*2とかかわってくる。日本人であることはどういうことなのか,国民である,血を引いているとか,日本語しゃべるとか,日本の文化を認識するとかといういろんな段階があるのですが,文化というもの自体は,中心にいる人から文化を余り感じない,中心にいる人たちは文化は引力みたいなものですね。離れないと分からないんです。離れると最初宇宙飛行士になった人が帰ってきて,ものすごく引力感じるという話がありますが,日本語ボランティアなさっている方々は,きっと端っこにいわゆる日本に来られて日本語一生懸命勉強されている人の側にいるだけで,日本人であるということは何なのか。日本文化というのは何なのかというのを,ものすごく考えさせられて,再認識ができるというのは,僕は日本語教える一番の利点になるなと。

*1 タイプ 型。型式。類型。
*2 アイデンティティ 同一性。人が時や場面を越えて一個の人格として存在し,自我の統一をもっていること。


奥田:そうですね。学習者と一緒に日本語を勉強していると,学習者がいろんなことを言ってきます。たとえば,試験があるというと,みんなで一所懸命手伝って,受験票の書き方から何から何まで。これを着て行ったらどうかとか,風邪を引かないように気を付けてとか。でも,試験が終わって結果も出ているはずなのに,おまけに毎日会っているのに何にも言わない。落ちたのかなと思いつつ,それとなくこの前どうだったと聞いてみると,ああ,もう受かりましたよと言う。ああ,これは,わざわざ言葉にして言わない言語文化の人なんだと思っても,むっときてしまうんですね。むっとしてはいけないと思いつつも,やっぱりむっとくる自分,日本人的な自分に出くわしてしまうんですね。

バーグランド:個人文化から来る人は,集団文化の何でも報告するというのは,済みません,ちょっとトイレ行ってきますと言うと,何でみんなに報告するのという。

奥田:そうですね。

バーグランド:あれ,驚くんですね。

奥田:分かってはいるけれど,言ってよと思ってしまうんですね。文化には,例えば舞台芸術のように目に見える文化もあれば,見えない文化もあって,見えない文化は家のにおいのようなところがあるように思います。自分の家には,当たり前に違和感なく入っていきますけれど,よその家に行くといろいろなにおいを感じませんか。でも,1,2か月家を離れて帰ったときには,自分の家のにおいに気付いたりします。
日本語を教える,学ぶということではなく,日本語を使って学習者と何かを一緒にするとき,例えば,受験のために役所に届けるための書類を書くといったときに,学習者が,先生,大丈夫,大丈夫といったりします。明日は休みだから,今日でないと間に合わないという時にも,おそらく彼らは,うまくいくという意味で大丈夫と言うのでしょうけれど,ネイティブ*1には,「大丈夫とあなたが判断しないで」と思ってしまうわけです。家のにおいのように,違うところに行ったことで感じることがよくあります。

*1 ネイティブ その土地生まれの。


河合:奥田さんの言われた異文化のむかっとするなんていうのは,今日本の年配の人と若者の間でしょっちゅう起こっている。若者はこの頃報告しないです。そういうときに,僕はむかっとしたとか言うんじゃなくて,ちょっと収まってから,実はそうなんだという話をできるだけするようにしている。うわさではこう思っているけどあなたはどうだったんだと,若者に対してもできるだけ怒るんでなくて,こういう考え方だけどあなたはどう思うかというふうに話しかける。それをやるとすごくおもしろい。それこそ,あなたの言うことちょっと訳が分からないということを認識される。後で気付く。そうすると,ありがとう言う,それがありますね。それから皆さんもむかっときたときに,むかついて怒るんじゃなくて,むかっときたことを大事にする。それを理解していくということがものすごく大事です。

バーグランド:異文化コミュニケーションにむかっとするということは,価値観,常識が違う。価値観,常識が違うというのが,一番貴重な存在です。教えてくれるものが大きいですよ。だから,むかっと来るというのが一つのサイン*1です。これから学ぶものがあるという。

*1 サイン 合図。


奥田:そうですね。今のように説明されると,ああ,そういうことで私はむかっと来ているんだと思えますけれど,本人はそのときはどういうことか分からないことが実は多いんですね。ハッピー*1な状態でいるときはいいと思うんですが,何か変とか,何これと思ったときは,ボランティアだけでなくて,学習者もきっとそう思っているはずです。全然気が付かないでやっていることも,もちろんあるけれど,これってなんだろうとまず,考えてみることが必要だろうと思います。

*1 ハッピー 幸福であるさま。しあわせ。


バーグランド:相手に言語のレベルもあると思うんですが,結果的に聞いたり,この前電車に乗って私の真横が若い女子学生で,その横が中年おばさんで,若い学生がずっと携帯電話でしゃべっていたんです。そしておばさんがすっと,何度も何度も。変でしょう。女子学生は全然,はいはいってこういってしゃべっていてね,電話を切ったときに,僕携帯電話楽しそうですねってきっかけとして,彼女は楽しいですよって。それで,僕携帯電話持ってないって言うと,えっ持ってないのっていう話から,携帯電話というのは新しいコミュニケーション手段だと。E-mail*1もあるし,どこでも使えるって。あなた大学生ですかというと,そうです。大学で携帯電話について研究したらどうですかと。これ立派な卒業論文になりますよと。特に年齢によって,携帯電話に対するマナー*2の意識が違うんですよと。そういうふうに言っていたら,そうでしょうねと言って。あなた楽しそうにしゃべっていても,周りの人がそうやない場合もありますよと。ああ,そうかなって。

*1 E-mail 電子メールのこと。コンピュータ通信ネットワーク上で,文字情報などを送信する手段。
*2 マナー 礼儀。作法。


河合:うまいね。

奥田:それはとても日本語コミュニケーション的なコミュニケーションですよね。このやり方を世界に広めたら,紛争もなくなるし,いいんじゃないでしょうか。上手に気が付いてもらう方法として。

河合:異文化コミュニケーション,そこまで言える人は少ないですよ。それはおばさんだと思うんですよ。

奥田:京都のコミュニケーションはそういうところありませんか。

バーグランド:遠いんです。

河合:遠いですよ。

奥田:遠いですか…。

河合:彼らはね,携帯電話はよろしおすな,それで終わりですよ。

バーグランド:京都はコメント*1が一番怖いんです。いろんな言葉が出たときに,おっとなるんですよ。池坊保子さんが家元の息子さんと結婚されたときに,東京から初めて出た,一人でお茶会に入っていって,どうやったと聞いたら,着物ほめられたって。何言われるかと思ったら,「いや,若い人は何着てもよろしおすな。」若いから許しますよと。この着物はこの場に合わへんでという,ごっついきつい言葉ですね。

*1 コメント 論評。解説。説明。


奥田:私も京都生まれですが,どうして,いやみを言われていることが分からないの,とよく母には言われます。隣のおばさんは,まめに家の前をお掃除する人で,時々,私に,「秋になってようけ枯れ葉が落ちてきますな,何回掃除しても,もうほんまにね」って,いうんです。うちの方が風上なので,私が掃除しない限り,常に枯れ葉は,お隣にいってしまうということなんですけど,なかなかこちらはそれが分からない。「本当にそうですよね,秋になってきましたね」などと言ってしまいます。
そういう日本語コミュニケーションは察しの文化と言われますけれども,この察しというのは,この場に合わないわよということを,相手を傷つけないように分かってもらうことでもあるでしょうし,また,相手が何を言っているかを,こういうことですかと少しずつ確かめながらやっていくというところもあって,コミュニケーションとして,とてもおもしろい進み方じゃないかと思います。

バーグランド:昨日から本屋さんに並びました。私,新しい本を出しました。

河合:見るな,その本は。

奥田:それは,ぜひ見たいですね。

バーグランド:河合先生の関西から文化力という言葉をちょっとお借りして,日本から文化力という題をつけたんですが,まさに本の中には奥田さんの言われるように私は異文化コミュニケーション学者として,今の非常に戦争の多い憎しみ合いの多い,卑劣な差別の多い世の中に一番,人と人の摩擦を和らげるものというのは,あいまい文化だと思うんです。だから日本のこのあいまい文化を遠回しにものを言ったり,傷つけないようにという心配りというのは,世界の人たちに教えるべきだと。だから本当に輸出国になってもらって,日本の根幹を世界に教えるという。だからこの日本語教育というのが,その最先端だと私は思っていますから,非常に大事にしていただきたいなと。

奥田:今,お話があったように,その最先端にいらっしゃる,そして,その現場の証人のような方がここにたくさんいらっしゃると思います。皆さん,様々な御意見や御質問をお持ちになっていることと思いますので,これより,フロアとの質疑に入りたいと思います。
御質問,御意見,コメントのおありの方は,どうぞお手を挙げください。できましたら,お名前,それから御所属がありましたら御所属もお願いします。できるだけたくさんの方々のお声を聞きたいと思いますので,京都風のコミュニケーションではなく,手短に,ポイント*1を絞ってお願いいたします。

*1 ポイント 要点。重要な箇所。


バーグランド:しかし,本当に珍しい人たちですね。

奥田:そうですか。

バーグランド:普通は質問というときに,普段の慣習としてはみんな横見るんですよ。誰が挙げるかというね。でもみんな前をちゃんと見ているというのは,すごいですね。積極的ですよ。

奥田:では,積極的な皆さん,どうぞ。急に消極的になりましたね。

バーグランド:最初の人がちょっと。その後はどどどっと。

奥田:はい,ではよろしくお願いします。マイクをどうぞお持ちください。

参加者:財政のことで,学習者からお金を集めるかどうかという問題ですけれども,私は大阪府南の方の泉佐野地球交流協会ですけれども,そこではもう始まってから,8年も9年も前から徴収しています。1週間に1回の学習の人は1月に1,000円,1週間に2回の人は1月に2,000円というのをずっと徴収していますけれども。
ほかの団体でいろいろ聞くように,欠席が多いということがないような気がします。その点は私は何か,私が活動し始めたのは7年ほどなんですが,それだけ前からやってきたので,大変わたしはありがたいというように思っています。
つい隣の市ではお金を取るのは悪いというふうなのがあって,私がそういう意見に対して,何か教えてやっているというふうな考えを持っているから,それは悪いという批判をしています。それが一つ。
それからもう一つは,あいまい文化というのはいいぞと,だから世界に広めようということをおっしゃいましたけれど,ではイラク戦争にアメリカの尻馬に乗った小泉政権はいいのかということになると,あのあいまいにはちょっと困ったなというふうに思っていますので。だから,内容によってやっぱり言うべきときは言うべきであると,こういうふうに私は思っています。

奥田:なるほど,これについて先生方,いかがですか。

河合:おっしゃられる件はおっしゃるとおりそのとおりです。そう思います。何も無料でもいいんですよ。無料のときは教えてやっているんじゃなくて,無料としているのはこっちなんですと。お金以外のところでいただいていますから,これは要りませんということをはっきりやれば,これは無料でいいと思うんです。そこらをどうも無料になると,おっしゃっているとおりに教えてやってるとかですね。
もちろん,僕は何にもお金のためにやっているわけではなくて,いろんなのが親切でやってたらみんなちゃんと気持ちを察しているからやっておられるんで,それはお金と一緒になると思います。それが一つですね。
それから,小泉政権の話ですが,それは全然,何ていうのかな,次元が違う話ですので。我々の話にひっつけては論じないように願いたいと思います。しかしもちろん日本人のあいまいさは,今ジェフさんが言われたように,こういうところがいいと,ということは,私は同時にこういうところが悪い,ということを押さえるべきやと思う。

バーグランド:どんな文化の一つの現象をとっても,例えば私は日本に来て,玄関で靴脱いで,スリッパに履きかえて,けじめ,いわゆる外がいろいろと人間関係ややこしい,いろんな利害関係うまくいかない,その汚い汚れた外から,せっかく内に入ってきて,お寺に入っていくときには手を洗って,口をゆすいでいく,その内と外を分けるというのは非常にすばらしい文化に感じた。しかし,内外のきれいなけじめをつくる裏面には,外国人に対する差別意識が,いわゆる外から来ますといつまでも外という。だからどんな現象とっても,よい面と悪い面と必ず裏表というのはありますから,使い分けるというのが大事なことなので,でも私はやっぱり小泉政権は非常に大事な財産を失ったと,イラク戦争の前に国連の視察団がもっと継続したいと言ったときに,強く日本人は一緒になってイラクの問題に取り組んでいくと。そのときから例えば自衛隊でも,イラク国民のためのいろんなお手伝いをするという意味であいまい文化を違う形で主張ができたんじゃないかなと思うんですが。今の現象なんかは最悪の。

奥田:あいまいということでは,河合先生も御著書に書いていらっしゃいますけれど,こういうことも言えるのではないかと思います。例えば,テニスや水泳を始めたときは,ここで息をついでとか,いろいろなことを頭で考えながらやっています。でも,慣れてくると,どんどん自動化してきて,それなりに,息継ぎもしてクロールで泳げるようになっていきます。泳げるようになると,どうしてそんなにうまく泳げるのかと聞かれても,言葉で言おうとすると非常にあいまいでうまく説明できない。だらといって,あいまいかというと,実はそうではない。そのときどきの水の力,アフォーダンス*1は説明できないけれど,状況や場をちゃんと分かりながら泳いでいます。言葉にしても,堪能でもないし,みんな言い尽くしているわけではない,でも,すべて言えないからあいまいかというと,心の中はあいまいではない。ただ,言葉を手段として使うとあいまいになってしまうということがあるんじゃないかと思います。言葉のそういうあいまいさを自覚することは,大切ではないかと思います。

*1 アフォーダンス 環境世界(この例では水)が,人に対して示す意味や価値のある性質。


バーグランド:今の奥田さんの話から,言語というのはテニスとか水泳に近いんです。いわゆる体の中で一番複雑な筋肉構成は口の周りですから,この口の周りの筋肉に一つの言葉を教えるんです。だから自動的に言葉は,今も私は日本語しゃべっているんですが,何も考えてしゃべっていないんですけれども。誤解しないで下さい。
方向性は決めています。言葉の方向性は決めるんですが,一々今口から出ているのが,次が「だ」とか,次が「い」とか,次が「か」とかそんなのついていけないですから,頭が。だから筋肉の動きなんで,一つの壁が個人文化から来る人たちというのが,まねというのが絶対してはいけない。だから英語で「コピーキャット」という言葉使うんですが,子供たちがほかの子供をけがす言葉をとして,一番よく使うんですね。まねする人,「コピーキャット」,何で猫が出てくるのかよく分かりませんが。「コピーキャット」という言葉を使うんですね。だから日本語というのは,「まねる」という言葉から「学ぶ」という語源があるぐらいですから,先生のまねをすることがナイスだという個人文化から来る人は,これちょっと壁なんです。まねることが日本語上手になることというのをなかなか納得しないんですね。

奥田:先程のお金の問題も,今ジェフさんがおっしゃった学習の仕方,例えば,個人文化の人がまねることが難しいこと,見て覚える,のような職人的な学び方は辛いということも,学習者が自分の学習をどういうふうにやっていきたいのか,自分がどんな日本語の使い手になりたいのかということから,いやいや,そうでなくてもいいという人まで,いろいろあるはずです。どんな日本語の使い手にどのようにしてなりたいのかを決めるのは,やっぱり当人で,私たちにできることは,学習者が決めることのお手伝いです。そのときにお金をこう払って,私はこうやって学びたいというのも,ひとつの在り方だと思います。どんな日本語を学習するにしても,自分はどんな日本語の担い手,使い手になりたいと思っているのか,そのことを本人が自ら言える場,そういう意味で,学習者オートノミー*1と言われる学習者が自律的に学習にかかわれるような場,それと同時に,ボランティア・オートノミーと言えばいいのでしょうか,ボランティアも自律的にかかわれる場であることが,地域のボランティア教室には必要なのではないかと思います。
では,あと,何人かの方のお手があがっていたと思いますので,はい,では,よろしくお願いします。

*1 学習者オートノミー 学習者が自分の学習を自分でコントロールする能力,行動,権利。


参加者:福岡からまいりましたNと申します。私は,留学生フロントという名前でボランティアグループ*1をしているんですけれども,来られている方というのは留学生とか,あと地域の日本人の方と結婚された方とか,会社に行っている研修生とか,いろんな方をどなたでも日本語を勉強されるんだったらいいですよという方に来ていただいていて,財政面では私たち日本語を教えるスタッフ*2は7〜8人なんですけれども,経済面で支援してくれるまたボランティアの方がおられて,その方たちが年間の会費,3万円か4万円ぐらい,企業の社長さんとかお店さんとかそういう方から資金を出していただいて,そのうちの幾らかを私たちボランティアの教材とかのために支援してくださって,また,いただいたお金をほかのところのパーティー*3をやったりとか,いろんなイベント*4で使ったりとか,あとその中の私たちは飯塚友情ネットワーク,福岡の中の飯塚市というところでやっているんですけれども,飯塚友情ネットワークという大きな組織があって,日本語を教えるという部分で留学生フロントという名前をつけて,それもまた別のところで家具とか要らなくなった市民から家具をいただいて,それを留学生の方に無料で差し上げて,それをまた別のボランティアの方が自分のトラックで無料でお宅に届けたり,引越しのお手伝いとかいろんな方たちがかかわっているボランティアなんですけれども。だから学習される方も一応無料なんですけれども,私たちは無料でやっているのも,この教材はこういう飯塚友情ネットワークの方から支援していただいているので,今日のこの教材は無料だけれども,私たちもお金ももちろんいただいていないけれども,この教材はそこからいただいているから,安心してお金は要らないですよと。そのかわり年賀状と暑中見舞いを,その支援してくださる方々に日本語で,必ず夏休みに出すと,お正月に必ず全員にそれぞれの名前で自分の手で書いてもらって,ありがとうございます,いつもお世話になりますと,いつもありがとうの気持ちを書いていただくと。それと,あと日頃はいろんな例えば公民館祭りとかあるときには,みんな国の料理を作ってもらって,地域の方たちと接したりとか,小学校の先生とかが来てくださいというと,いろんな国の方に紹介したりとか,そういう感じで見ています。だから,来てくれる方も30人ぐらいいて,余り減ったりはしないんですね。企業の方も参加していただく方もいるし,1年いて,その方達が国に帰ったらまた次の方に引き継いで,もう7年も8年もずっとその同じ会社の人たちというか,学生とかも,地域の奥様とかも,そのお友達が来たりとか,だから日本語を勉強することだけではなくて,いろんな人とお友達になれるということが楽しくて来ている人数が全然減らなくて,何の問題もないという感じできております。

*1 グループ 人々の集まり。集団。
*2 スタッフ 担当している者。
*3 パーティー 社交的な集まり・会合。
*4 イベント 行事。催し。


奥田:なるほど,ありがとうございました。きっと,つながっていくということなんでしょうね。固定的なメンバー*1で,いつも10人の同じ顔が同じところに集まるんじゃなくて,どんどん広がっていく,つながっていく。

*1 メンバー 団体の構成員。会員。


バーグランド:そうしたら,河合先生がさっき言っていたお金がなくてもいい,でもやっぱり人間というのは貸し借りというのが,教えてやっているよと感じると,ボランティア活動でよく身体障害者でもボランティアがあなたのためにやっていますよという態度だと,すごく重荷になるから,それやったら要らんと。だから教えてやっていますよという態度でくると,どう解釈するか。それやったら要らんと。今の形だと,例えばイベントで自分の国の料理を作ったり,年賀状で自分の言葉でね,これは非常に自分が返しているという気持ちがある。それとボランティアの先生方が,いろいろと人間関係で学ぶものがあるとお感じになって,自分も受けている,教えているかわりにいろいろ学べていると。そういうやりとりがあると,お金がなくてもいいと思っているので。

奥田:ありがとうございました。では,そちらの方,どうぞ。

参加者:神戸定住外国人支援センターでボランティアをしておりますIと申します。KBCといいますけれども,KBCの場合,震災後すぐ日本語プロジェクト*1を立ち上げまして,被災ベトナム人日本語教室から出発したんですけれど,2年ぐらいたった時期に,ボランティアもそこの団体の親睦会費ということで登録しようということで,年間2,000円取りました。そうしたらやっぱりボランティアするのに何でお金出さんならんのという方もおられます。やっぱり団体に加盟して,そして団体を一緒に盛り上げていくということ。そして今年からは賛助会員制が導入されましたので,賛助会員になっていただいて,3,000円,それで学習者は協力金という形で一月1,500円,子供は無料,小学,中学,義務教育までは無料ということでしておりますけれども,やはりお互いに出し合ってやっております。それと,やっぱりしていて一番楽しいというのは,やはり人との出会いですし,文化の違いが分かって,よく日本語教育の中に,日本語を教えるとかじゃなくて,むしろそのベトナム人ならベトナム,ブラジルならブラジル,相手の文化を理解するということが非常に大事。だからむかっとするあいさつの仕方とか時間の感覚でも違うから,ベトナムなんかは割合人の家を訪問するのに遅れて来ます,というようなことがやっぱり相手の国の文化,風習を知るということがボランティアをするに当たって大事だなと思いました。

*1 プロジェクト 研究や開発の計画。企画。


奥田:なるほど。河合先生,どうでしょうか。

河合:ボランティアをするのに,なぜ金払わないかんのかということなんですが,お金を出してやるというのは非常にいいと思いますね。私はよく言っているんですけれども,人の役に立つのってめったにないんですよ。それをただでやるというのは,厚かましいと僕は言うんですよ。だからしたい人は金払ってでも全部やってくれと。それぐらいないとボランティアできへん。

バーグランド:今日の意気込みはすばらしい。お金払ってボランティアしようと。

河合:まあ,それは冗談半分ですけれども。たから,そういう感じがありますよね。だからそういうやり方,お互いが。それと,よその国の文化が分かる。これ,よその国の文化が分かるということは,自分の生き方を変えるということになりますね。何にも時間どおりに14:00言うたら14:00に行かんでもええと僕は思っているけど。本当は僕はおかしいと思う。恋人と会うときのように,14:00か15:00かというのはおかしいね。一番星が出たときとか,鳥が鳴いたときとかと言って会うのが本当やったと思うんですよ。だからそういうところだけを見ておられる方はフリー*1に行っても必ずそうですね。もう14:00に言ったって14:00に来ないですよね。ものすごく早く待っている人もいるしね。むちゃくちゃなこと。あれは我々の時間感覚と違う時間感覚でおられて,あの感覚が分かると実に楽しいですね。

*1 フリー 自由であること。無料。


バーグランド:原住民の中で,アメリカインディアンですね,あえてアメリカインディアンという言葉を使いますが,先住民という言葉で,私の義理の弟がアメリカインディアンという言葉を使ってくださいと。稀少なんですが,アメリカインディアンの部族の中に,過去,現在,未来という時間のものの見方のない部族が多いんです。ハピ族というのが一番よく言語学の中で例として出るんですが,「確か」,「まあまあ確か」,「不確か」という三つの部類に分けるんですけれど,「確か」というのは現在,それは「確か」です。信頼できる人から聞いてもこれも「確か」です。それから自分が体験したこと,これも「確か」です。だから現在,過去,両方含むんですね。それから,「まあまあ確か」というのは,例えばこれを落したら落ちる,これは「まあまあ確か」。「確か」に落ちないと。「まあまあ確か」というのは,ずっとこうであるという。だから未来を結構指すんですが,「まあまあ確か」というのは,信頼はそんなに置けないんですが,本人が熱心に言ってはったら,「まあまあ確か」ちゃうんかなという。そのほかは全部「不確か」。だから大過去も「不確か」,現在自分がいないところも「不確か」,未来も「不確か」という見方をするんです。そうしたら,14:00に会いましょうといったら13:00のバスに乗らないかん。バス停で待つ。待つという動詞がないんです。待つというのが「まあまあ確か」,または「不確か」なものを,「確か」なものよりも大切にする心,彼らが何で「不確か」なものをそんなに,バスが来るのは「まあまあ確か」,でも今例えば友達としゃべっているのは,これ「確か」なものですよ。「確か」の世界の方が大事なんじゃないですかということ。それを聞いていたら,ああ,僕の文化は間違うているやんという。

河合:実はもっと古いときからそういうものがある。日本語だって本当は過去とか未来というのはなかったんです,昔は。完了形はあるけど,明確な流通はないんですね,日本語には。外国の影響で見習ってきて,日本語は英語のリズム*1に大分変わってきたんです。昔はそんなに。

*1 リズム 律動。調子。


バーグランド:自分,僕は行くでしょうという日本語初めて聞いたとき,えっ,僕は行くでしょうって,分からんのかというふうに。

奥田:そうですよね。
まだまだフロアの方々からの意見もいただきたいのですが,時間が迫ってまいりました。皆さんからいただいた御意見も踏まえ,最後に鼎談のテーマ,日本語ボランティア活動の醍醐味って何だろうということについて,まず,ジェフさんからまとめていただけたらと思います。

バーグランド:様々な学習者がいると思うんですが,私みたいな学習者もいる。二十歳で日本に来て,それまで日本語一言もしゃべらなかったんですが,本当に「まね」,日本人の使っている日本語を,日本人の持っている文化もまねしていくうちに,日本人である自分が生まれた。アメリカ人である自分,日本人である自分と,二つの自分を持つと。やはり日本語というのは一つのコミュニケーション手段としてではなくて,自分のアイデンティティと深くかかわっていく,日本語で生きているという,日本語で笑う,日本語で泣く,日本語で怒る,日本語で感動する,日本語が本当に自分とかかわりが非常に深いものになっていく。そういう学習者もいる。私一番最初,京都日本語学校で日本語を勉強しているときに,ここまでくるとは絶対思いませんでしたから,いっぱい心配したりいっぱい質問したり。日本語徐々に進歩しますからね。ここまで来る学習者もいるということで,皆さん,頑張ってくださいね。

奥田:ありがとうございました。実は,向こうの方に,ジェフ先生のかつての日本語の先生のお顔がちらりと見えました。後程,お話できればと思います。
さて,ジェフさんは,日本にいらっしゃったんですが,私の友人にドイツに渡って,仕事をしている日本人の先生がいます。その方には,小学校低学年の娘さんと幼稚園に通っている息子さんがいらっしゃいます。ドイツのその先生のお宅に伺ったときに,その先生が,二人の子供にあなたはだあれと聞いたら,自分はドイツ人だと言ったというんです。10年も住んでいるのだから,そうだろうとは思ったけれど,何とも言えない気持ちになったとおっしゃっていました。私も日本で,同じようなことに手を貸しているのかもしれないと,そのとき思いました。外国で暮らすということには,このような側面もあるということを分かりながら活動することが必要だろうと思いました。
ボランティア活動をしていると,それまで接点のなかった行政の方やボランティアとして参加している様々な方とお会いします。その人が,男性か女性か,何語を話すかなどにかかわらず,自分以外の他者という,どこかに異文化性を持った人たちとの出会いによって,びっくりしたり,むっとしたりなど,ある心理学者が言ったように,まさに,文化が出会っているのではなく,人が出会っているのだと強く感じます。他者と出会うことで,その人の向こうにその人の文化を見る,そして,それが鏡になって,ああ,私って,こういうことに腹が立つんだ,頭では分かっているし,行動もできるけど,どうも感情的に乗り越えられないんだなという具合に,自分自身を発見します。いろいろな人に出会うことで,自分自身を見つけていく,そんな旅をしているところに私は醍醐味を感じます。

河合:もう私は,初めに言ったとおりで,問題があるのは大切だ。終わりです。

司会:よろしいでしょうか。奥田先生,それからジェフ先生,それから河合長官,3人の鼎談者の方に,改めて拍手をお願いします。ありがとうございました。(拍手)
フロアの皆さんも含めて,御協力いただきましてありがとうございました。一言申しおくれましたが,お断りしておかなければいけないことが一つありまして,今申し上げます。
実は,今日は,後ろにカメラが入っておりますが,この番組せっかくですので,お見えにならない方もいずれ見ていただきたいというふうに思いまして,NHKテクニカルサービスさんに撮っていただいています。これはNHKで流れるのではなくて,文部科学省のエル・ネット*1の番組で,いずれ流して見ていただこうということで,撮らせていただきました。特に質問されたた方々,3人いらっしゃいましたが,どうしても困るということであれば,後で私のところに来ていただければ。できれば協力いただきたいと思います。どうもありがとうございますということで,ぜひ協力していただければと思います。

*1 エル・ネット (el-Net)衛星通信を活用して教育・文化・スポーツ・科学技術に関する情報を直接全国に発信する文部科学省の教育情報衛星通信ネットワーク。全国の社会教育施設,学校等約2,200か所が受信局として整備されている。

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