日本語教育研究協議会 第3分科会

第3分科会 「心理学・カウンセリング技法を活用したコミュニケーションの在り方について考える―判断保留(エポケー)の実践―」
渡辺文夫(上智大学文学部教育学科教授)


渡辺皆様,こんにちは。渡辺と申します。今現在は上智大学に勤めておりますが,幾つかの大学を渡り歩いて上智に来たわけですが,今,異文化教育学という新しい科目を担当しておりますが,そもそも私は心理学が専門で,大学院のときにはグループカウンセリングの勉強をしておりました。その後,ずっと幾つか大学で学生カウンセリングとか,今現在もある精神科のクリニックで*1グループカウンセリングとか,それから不登校のお子さんを持ったお母様方のミニカウンセリングとかスキルトレーニング*2とか,あるいは医療スタッフの方々の実習とかいろいろやっております。
ということは,実は私の専門が二つあるということにもなるんですが,専門といってもカウンセリングの方はずっと実践ということになります。それで文化的な教育というか,あるいは異文化接触については実践もありますけれども,基礎研究というのをずっとやってまいりました。そういう中でカウンセリング的なアプローチ*3,やり方,カウンセラーがやっていることと異文化接触でどのように対応したらいいかということの教育との間にかけ橋をつくろうということでずっとやって参ったわけです。
今日御紹介するのは,そのうちの一番基礎となる実習です。その実習の名前は,そこにありますようにエポケー実習と呼んでいますが,これは私が勝手につけたわけではなくて,実は長い間,企業での海外派遣研修を私と一緒にやってきたコンサルタント*4の井上さんという方がおいでになりまして,彼とずっとエポケー実習なるものを企業の研修の一番最初にやってきたんです。この研修を何と呼ぼうかということになりまして,井上さんの決断でと言うとおかしいですが,エポケーでいいじゃないかと。
エポケーというのはそもそもギリシャ語なんです。お手元のA4の資料の両面に印刷されていますが,その片一方の面に書いてあります。エポケーというのはちょっと変な言葉なので耳に残りやすいかもしれません。これはそもそもギリシャ語なんです。それをフッサール*5という現象学という哲学の分野を切り開いていったユダヤ系の哲学者がいまして,彼がエポケーという言葉を使ってかなり難しい本というか,厚い本といいますか,「イデーン」*6という本,日本語にも訳本が出ておりますので手に入る本でございますけれども,その中でこのエポケーについて彼はいろいろと書いているわけです。
いろいろ辞書を調べてみますと,エポケーというのはギリシャ語で中止とか抑制という意味なんだそうです。これをフッサールという人は,本質に迫るために私たちの判断というのをいったんわきに置いてそのものを見ていく,聞いていく,それをすることによってその本質に私たちは近づけるんだということを彼は論じていったわけです。
言葉の意味はそんなところなんですけれども,なぜこのエポケーがカウンセリングと関係があるかというと,実はこの中でカウンセリングを専門に勉強された方,いらっしゃらないですか。カウンセラーになるための基礎的な訓練が幾つかあるんですが,その中に私が大学院のときに指導教授から教わったことが幾つかあるんですが,その中の実習の一つに実はこのエポケー実習と非常に似たものがあったんです。それはどういうやり方かというと,今日は二人ペアになっていただいておりますが,相手の話をじっくり聞いて,それを自分が受け取った相手の話した内容とか気持ちをもう1回確かめてみる,そういうやりとりの実習があったわけです。
それをビデオテープにとったりして後で見たり振り返ったりするわけですが,そういう基礎的な訓練になるんですが,それをさっき言いましたように企業研修でやり始めましてその研修を何と呼ぼうかというときに,その井上さんという方が,そもそもの呼び名でいいじゃないか「エポケー実習」ということで,それ以来エポケー実習という言葉で呼んでいるわけです。
例えば今現在のことでもう1度詳しくというか分かりやすく御説明したいと思うんですが,今私は皆さんに向けて話をしていますね。皆さんはそれを目とか耳を使って私の表情とか姿勢とかを御覧になって,あと耳から私の声を皆さんの中に取り入れているわけです。それと同時に,多分いろいろなことを皆さん今お感じになっていると思うんです。一体渡辺というのはこれから何をする気なのか,何かややこしいことを話し始めたぞ,これは何か余り居心地がよくなさそうだとか,ここは蒸し暑いなとか,いろいろなものを感じたり思ったり,我々一人一人ある判断をしているわけです。それは絶え間なく出てきますよね。生きている限りそれは自然に出てくるわけですが,その出てきたものをいったんわきに置いて,フッサールは括弧に入れてとも言っています。英語で言うとサスペンド*7という言葉がありますが,ケンブリッジ大学の哲学辞典を見るとサスペンドという言葉を使っています。ちょっとぶら下げて,つるして宙ぶらりんにしておく。宙ぶらりんにして新たな気持ちで,新たな自分によってもう1回渡辺の話を聞いてみよう。そうすると,また皆さんの中にいろいろな思いとか気持ちとか判断とか出てまいりますよね。それをまたわきに置く,それを繰り返しながら私の話を聞いていかれる。それをずっと通してやり続けることによって,私が一体何をしようとしているのか,どういう人間なのか,先ほど本質というふうに申し上げましたが,フッサールは渡辺の本質に迫ることができるのではないかというふうに考えたわけです。
ここまでで何か御質問はございますか。分かりにくい話だったかもしれません。どうぞ。

*1 クリニック 診療所。
*2 スキルトレーニング 技法の訓練。
*3 アプローチ 接近の仕方。
*4 コンサルタント 指導・助言をする専門家。
*5 フッサール 〔フッセルとも〕(1859-1938)ドイツの哲学者。現象学の創始者。初めブレンターノの記述的心理学の立場から「算術の哲学」を著したが、のちにその心理主義の立場を自己批判して純粋論理学を構想し、やがて「現象学的還元」の方法を確立して一切の対象的意味を構成する超越論的主観性に立脚した構成的現象学を大成した。後期には意味の発生を解明する発生的現象学の立場に移行し、身体・地平・間主観性・生活世界などの独創的な分析を通じて、ハイデッガー・サルトル・メルロ=ポンティらを筆頭とする現代哲学の展開に多大の影響を与えた。著「論理学研究」「イデーン」「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」など。
*6 「イデーン」 フッサールの著作物。
*7 サスペンド 保留する。


参加者そのエポケーのことは分かったんですけれども,それが実際どういう場面で応用されるのか,現場との関係。

渡辺現場との関係ということは日本語教育のということですか,それとももっと広く異文化教育の中で。

参加者日本語でも異文化教育でも。

渡辺どっちがいいですか。

参加者どちらでもいいです。

渡辺難しい。どちらでもいいと言うとこっちも迷ってしまいますけれども……

参加者異文化教育の方が。

渡辺先ほど,企業内の研修と言いましたが,それは大体丸1日か丸2日使うわけですね。長い時間を使うわけですが,最初に導入して我々いつもやっているんですが,その意味は二つあるんですね。
後で実習で詳しく御説明しようと思っていましたが,今ちょっと説明しないと分かりにくいのでここで説明しますが,二人ペアになって片方の人は話をするわけです。Aさんは話をする,Bさんはその話をじっくり聞いてエポケーをするわけです。そのときBさんがエポケーをするというのは,今私が言いましたようにAさんの話を聞きながら,自分の中にいろいろな思いとか判断とか出てくるんですが,それをわきに置いてひたすら聞いて,Aさんの話が終わったら,あなたはこれこれこういうことを感じていらっしゃるのでしょうかと非常にやさしい気持ちで,私は「開かれた確かめ」と呼んでいますけれども,それをするんです。それ全体が一つのエポケーの姿勢になるわけです。
そういう姿勢をとることによって,先ほど二つ目的があると言いましたが,一つは言葉が通じにくい異文化の人,あるいはシステムが違う異文化の人,価値観の違う異文化の人にそういう姿勢をとって対応することによって,より慎重な理解が進む。相手の人もこちらに物を言いやすくなるから言葉が不十分であっても話しやすくなので,話をいっぱいしてくる。Bさんの方もそれを前よりは分かってくる。そういう基本的に違うもの,あるいは人,世界に対して自分を開くといいますか,その一つの方法だというふうに考えているわけです。その基礎訓練。それはBさんの方,エポケーをする方にすればそういう意味があるんです。
それからもう一つは,エポケーをされた方,Aさん,話を聞いてもらった,受けとめてもらった方は,自分の中にあるいろいろ思いとか気持ちとか感情が統合されていくんです,まとまっていくわけです。そのやりとりをしている中で,どんどん自分の深いところに気づきが深まっていって,例えばお手元の資料にも書きましたが,第2ステップのようなやり方,つまり海外派遣というのは自分にどういう意味があるんですかということをテーマにして実施をした場合を考えますと,海外に派遣される自分の意味づけが整理されていくんです。そうすると研修がやりやすくなるというか,研修の効果の一つにもなるわけです。
ある例を言いますと,ある自動車会社でエポケー実習をやったとき,ある人は今まで自分が中国に派遣されるということは仕事の中での意味しか考えていなかった。ところが,こうやってエポケーをしてもらって相手に聞いてもらって自分が整理してみると,実は個人的な意味もいっぱいあるなということに気づいた。それで少し元気が出て中国に行けるようになったという,自分のまとめにも非常に役に立つわけです。ですから,我々はその二つを考えて目的としてやっています。よろしいですか。あとほかにはどうでしょう。何かありましたら。どうぞ。

参加者そうしますと,質問の仕方によって相手が全然変わりますよね。そうすると,今日の講師の中に質問の技法とかどういう質問をするべきなのかとか,そういうことが入ってくるんでしょうか。

渡辺そうです。今「質問」という言葉をお使いになりましたが,エポケーというのは質問ではなくて,私は「確かめ」だと思っているんです。「質問」と「確かめ」の違いは難しいんですが,「質問」というのは自分の頭の中の情報を整理したいために,自分のために情報を手に入れる相手に対する問いかけですよね。だから関心は自分に向いているわけです。だけどこのエポケーというのは,確かにそういう面も全くゼロではないんですが,むしろ相手のためというか,両者のためというか,自分が受けとめたことを相手に何々でしょうかというふうに返すことによって相手の,先ほど言いましたように自分をまとめていくことにも役に立つ,だから相手のことも考えてやることなので,私は「質問」ではくて「開かれた確かめ」と呼んでいるんです。
お手元の資料の第1ステップの「・」4番目に文章がございます。2ページ目の「エポケー実習の手順」ということで,「第1ステップ――絵を描いての実習」とありまして,二人一組,ABのペアをつくる。自分にとって大切なこと,もの,人を絵にかく。それから,AはBに自分の絵を説明する。BはAの説明を聞き「あなたは,何々を大切に感じているのでしょうか(上あがりの調子で)」とあります。お尋ねの答えはこれです。あなたは何々を大切に感じているのでしょうかという,これをこのとおりやっていただく,そういう実習になりますが。それでよろしいですか,御質問の答えになりましたでしょうか。

参加者質問者というか,確かめ者のレベルによって経験,人生によって確かめが全部変わるんではないかと思うんですね。そうすると引き出しができるんだけれども,その辺がどういうふうな。

渡辺おっしゃるとおり,この確かめ方によって変わってくるんです。だから変わってくるので統一したい,機械的に統一。ちょっと不自然な形なんですが,統一したいんです。ちょっと不自然なやり方なんですけれども,そうしないと分からないことが実はいっぱいあるんです。この実習では意図的に,皆さん同じ確かめの文章を言っていただくということになります。よろしいでしょうか。おっしゃるとおりです。内容によって相手の出方が違ってくる。よろしいでしょうか。あとはどうでしょうか,何かございますか。

参加者実際,先生がこれからこの次の段階で話されるならばそのときでもいいんですけれども,実際これを日本語教育の現場でも異文化の教育の現場でも,どこか具体的な場所に設定されてやった場合,構成員の中の例えば信頼関係とか,基本的に自己開示ができる関係性とか,そういうものが素人的に考えると必要になってくるんではないかと思うんですね。実習等の場合は別かもしれませんが,現実の場合,AとBがペアになってさあ話してくださいと言われる関係性というのはどんな関係性なのかちょっと分からないので,自己開示ができるとか,問題を自分がここで話す必要があるのだとかいうような関係性づくりの必要はないんでしょうか。どこででもこういうことはできるものなんでしょうか。

渡辺今までいろいろなところでやってまいりましたが,おおよそやってこれたんですが,今おっしゃられた点は,恐らくこういうこれからやるようなやり方でやると,絵を描いていただくわけです。そうすると絵を描くことに少し消極的な人,ためらう方がやはりいらっしゃるんです。だからそこは無理にはできないんですけれども,こちらで実習の目的をお話しして,絵を描いていただくことは心理テストではない,だから心の中をそれで推し量ろうとするんではなくて,話のきっかけにするだけである。それから,大切なものというのはもちろん人に言いたくないことは書かなくてもいい。ですけれども,何か一つでも大切なことを絵にしていただけますかと,そういうこちらからのお願いをするわけです。そういうふうにしてやっております。よろしいですか。
今時間を使って質問を伺っておりますのは実はもう一つ理由がありまして,この実習は始めてしまうと止まらない。だから途中から入ってこられた方は何が何だか分からない,乗れないわけです。ですからそれをちょっと防ぐために,まだ後ろにも二人の方が今おいでになりますが,お待ちしていると,それと同時に質問をお受けしているということの理由はそこに一つあるわけです。もちろん,質問を伺って十分御納得いただいた上でこういう実習をやるというのは大切なことですのでそういう目的もあるんですが。さて,ほかにはいかがでしょうか。これからもう少し詳しい説明をしてまいりたいと思いますが,また御質問があったら……どうぞ。

参加者今ちょっと話したんですけれども,BがAの説明を聞き,「あなたは何々を大切に感じているのでしょうか」と上あがりの調子で言いますよね。これというのは「いるのでしょうか」というのをすごく強く言ったり,何か言い方に少し癖っぽくすると疑っているような表現がつい出てくるんではないかなと思うんですね。だから私が外国人に聞くときで共感的にやさしく聞くときは,「何とかなんですね」というふうに聞く方がまだもう少し柔らかいかなと思うんですけれども,ほかの語彙を使って聞いてはいけないんですか。

渡辺今の点も,ちょっと私が二つの今の言い方でやってみます。皆さん,どういうふうに感じられるかですね。このとおりにやってみますか。「皆さんは何々を大切に感じているのでしょうか」というのと「皆さんは何々を大切に感じているのですね」。どうですか。

参加者「ね」の方がいいです。

渡辺どういうふうに感じますか,「ね」と言われると。

参加者今話を聞いたんですから,自分が理解しているよということをあらわすには「ね」の方がいいと思います。

渡辺そういう理由ですね。ほかにはどうですか。

参加者同じだと思います。

参加者ちょっと私は違うように思いまして,「ね」は自分がこう理解しているということをちょっと押しつける感じがあって,「でしょうか」の方が白紙に近いように私は思いました。

渡辺ほかにどうでしょう。これだけでもいろいろ感じ方がありますが,私の前提は最後の方がおっしゃってくれたような前提で実はやっているわけです。「ね」というのはちょっと自分の理解がはっきりして,自分は確信を持ってそれを確かめる。その場合に「ね」。「でしょうか」というのは少し,確信はない。
つまり私のちょっと説明の仕方によると,落語ではないんですけれども,長ったらしい説明の仕方になるんですが,私とあなたはどう考えても私は人間としてあなたになり切れない。なり切れないんだけれども,一生懸命努力した結果こういうふうに受けとめましたが,それでよろしいでしょうかというような,慎重に自分を押しつけずに相手に開いていく。そういうふうに受けとめた私ですが,それでよろしいでしょうか。そういうニュアンスが「でしょうか」ということにあるんだと思うんです。
女性の場合ですと「何々かしら」というのを使う方もおいでになりますけれども。あと身近な人とのやりとりですと「何々なの」,「でしょうか」のかわり「の」というのもあるでしょうし,ある人に言わせると「のかな」と言ってもいいんではないか。
これを実は2週間ほど前に京都でやってきたんですが,そうしたら京都の人に言われまして,「でしょうか」というのは言いにくい。我々は京都の言葉を使っているから標準語では言いにくいというお話をいただきました。なるほど,それはそのとおりだなと思って。本当はその土地,その土地の多分方言でやるのが一番いいのかもしれませんが,今日は全国からお集まりですので東京弁といいますか,東京語で。私も生まれが福島ですから福島弁が抜けないんですが,東京弁でやってみましょうということであります。よろしいでしょうか。
それでは,そろそろ始めてもよろしいですか。では,エポケー実習の手順をもう1度読んでみます。また途中で御質問があればおっしゃってください。今日は時間の流れによるんですけれども,うまくすれば第2ステップまでいければいいなと思っておりますが,もしかすると今みたいに皆さんからいっぱい御質問とか御意見をいただきますと時間がなくなるかもしれませんが,それはそれでいいと思っております。
さて,第1ステップですが,絵を描いての実習ということで二人一組,Aさん,Bさんのペアつくる。今,皆さんのお隣の方がペアの方になるわけです。皆さんのお手元にあるコピー用紙に自分にとって大切なこと,もの,人,一つ選んで絵に描いてください。そこには言葉は書き入れないでほしいと思うんです,絵だけで結構です。後で言葉で説明していただきますので。
あと,絵は具体的な絵でも結構ですし,抽象的な絵でも結構でして,例えばある人が愛が大事だというとハートのマークを一つ大きく書かれる方もいらっしゃいますし,少し抽象的な自分と家族,あるいは職場の同僚,社会とかいうイメージを抽象的な図でかかれる方もいらっしゃいます。どういう図でも結構です。描きたいように描いていただいていいと思います。
それから,その絵をかき終わったらAさんはBさんに自分の描いた絵を説明してください。Bさんの方はじっくり聞く,その次の2行目ですか,聞いている間,Bさんは質問や自分の考え,思い,判断,意見などは言わない。これは言いたくなるんです。先ほども言いましたが,生きている限り何かがやはり言いたくなるわけですけれども,そういう言いたくなる自分を抑えるという意味ではなくて,ちょっとわきに置く。自分の中に出てきた質問,思い,あるいは私もこうなんですとか,それは何人いたんですかとか,あるいは自分はこう思いますとか,そういうことを言いたくなってもちょっとそれをわきに置いてみて,またひたすら聞くということです。それでAさんの話が終わったらBさんは先ほどちょっと言いましたように「あなたは何々を大切に感じているのでしょうか」と,このとおりに確かめていただきたいんです。1回確かめられますと,Aさんの方はさらにもっと自分が大切にしているものをBさんに説明していただければしていただきたい。1回で終わってしまう場合もあると思うんですね,「はい,そうです」。それはそれで結構ですが,できるだけAさんはBさんの方にいっぱい分かっていただけるようにお話をしていただければと思います。
Aさんがまた2回目の話を始めた場合,またBさんは先ほどと同じようにじっくり聞く。またAさんの話した内容,話をしているときの気持ちを先ほどと同じ文章で返していただく,開かれた確かめで返していただく。この2番目からは,Aさんはもしかすると大切なことだけではなく話すかもしれませんので,そのときには「あなたは何々を大切に感じているのでしょうか」という「大切に」という言葉は使わなくてよくなります。ですからその後の言葉「あなたは〜〜と感じているのでしょうか」という返し方をしていただければと思います。
それを何回かやっていただいてAさんの話が一応終わるまでこのやりとりを続けていただきたいと思うんですが,試しにちょっとよろしいですか。試しにやりとりをしてみたいんですが,前に出てきていただいて。
今は絵がありませんので,最近あった何か楽しいこと,うれしかったこと,よかったこと,小さなことでいいですから,何でもいいですから,ちょっと私に話していただけますか。

参加者盆踊りのやぐらで太鼓をたたきました。

渡辺やぐらで太鼓をたたいたのがうれしいと感じていらっしゃるのでしょうか。

参加者はい,そうです。

渡辺今のは1回で終わってしまいましたね。どういうふうにうれしかったかもう少し私に話していただけますか。

参加者だんだんわくわくするというか,どきどきとかそういうこともあって,気分が高揚していくような感じで。

渡辺どんどん気分が高揚していく感じがしてよかった,非常に楽しかったなと感じていらっしゃるんでしょうか――という感じですね。今のも1回で終わりましたが。1回で終わってもそれはそれで結構ですが,できたらもう少しBさんの方に話していただければ。

清実習させていただく前のステップの二つ目と三つ目のところを質問させてください。大切なこと,もの,人を絵に描く。次のステップなんですが,自分の絵を説明するというのは,フォトランゲージのように描かれた絵そのものを描写するのか,それともこれを大切だと思ってこういう絵をかきましたと言っていいのか,そこは別に……。

渡辺特に制限はしません。どちらでも。

清では,絵にそんなにこだわらなくていい,そういうことですね。

渡辺そういうことです。

清ありがとうございました。

参加者質問は二つあるんですけれども,この場合,相づちはどうしたらいいのか。

渡辺その辺は自然にやっていただいて。

参加者例えばさっき言った「ね」みたいに共鳴し過ぎるとやはりあれなんですか,「あぁ」みたいなのもいいんでしょうか。

渡辺相づちに関しては特に余り細かいことを言いません。余り細かいことを言うと窮屈になりますよね,それでなくても窮屈なんですから。

参加者あと確かめるといったときに,さっき先生がどう感じたかを聞くとおっしゃったんですけれども,疑問詞でどう感じたんですかとか,そういうのはなしですか。言ったことをそのまま確かめるんですか。

渡辺少し上級コースになると入るんですね。開かれた質問というのを間に入れてやるんですが,今日は初回ですから余りいっぱい課題を入れていくとこんがらがってきますので。

参加者ではもう全く,そのまま言ったことに対する確認という形。

渡辺はい。ですからこの次のレベルでは,先ほどのような場合1回で終わってしまいましたけれども,先ほど僕がちょっと間で言いましたよね。どういうふうにうれしかったのか話していただけますかという開かれた質問を合間に挟んでやるエポケー実習が,この次のステップであるんです。そうすると相手の人はもっと話してくれますし,より自然に近い会話になる。よろしいですか。ほかにございますか。どうぞ。

参加者こちらの文型なんですが,「あなたは何々を大切に感じているのでしょうか」というこの言い方の「あなたは」という二人称は日本語の中では非常に使いにくくて,私は相手の方をつらつらと先ほどから横から拝見していて,「あなた」というのはとても話しかけにくい二人称なんですが。

渡辺そうしたら名字で,名前。

参加者ここはスイッチングしてよろしいですか。

渡辺結構です。ほかにはございますか。

参加者質問は,何々感じているのでしょうかという確かめだけで,例えばさっきの太鼓が先週の(日)だったんですといったときに,「先週の(日)だったんですね」とか「でしょうか」とか事実のところは。

渡辺いいです。実際は確かめるのは事実と出来事と気持ちなんですね。その両方が入っていればいいです。一つ事実だけだったら,余りこのエポケー実習には意味がないと思います。気持ちを確かめるということがあるので,「感じているのでしょうか」というそれが入っているわけです。

参加者確かめることに関してなんですけれども,相手の話したこととか自分の聞いたことの事実を確かめるんですか,それとも相手の話したことによって見える気持ちとか……。

渡辺二つです,二つ両方。頭の中が忙しくなってしまってできなくなった場合には,気持ちだけでいいです。なぜかというと,この実習をやっていくと分かるんですが,気持ちだけを確かめられても十分分かってもらえたという感情が出てくるんですね。それからうれしいと,分かってもらったと。出来事だけだとそういう気持ちにはならないですね。だから気持ちだけでもいいです。

参加者では,気持ちといったときに話す人の方は気持ちというのはどうなんですか,例えば気持ちを言わないこともあると思うんです。そういったとき,聞いた方の人が感じた,相手の気持ちをこうなんでしょうかというふうに聞いていいんですか,確かめて。

渡辺気持ちを言わなかった場合は,この実習では第1ステップでは大切なこと,もの,人についてがテーマですので,大体は「何々を大切に感じているのでしょうか」ということで返せると思うんです。あと先ほどもそうでしたが,最初のお話の中では気持ちが入っていませんでしたよね。ですけれども,それを言っていただく前に最近良かったこと,楽しかったこと,うまくいったことをお話しくださいと言ってありますので,太鼓が神社でたたけたのが楽しい,よかったなと感じているのでしょうかというふうに言葉を推測ではなくて言ったわけです。そういう前提がなくて言われた場合には,基本的には相手が言わないことは確かめの中で使わない方がいいんですけれども,どうしても気持ちに関する言葉が出てこないようであれば,ある程度の推測で言うしかないと思うんです。ただし,そのときの大切なことはそれは本当に自分の推測ですからもしかしたら違うかもしれないという,違ったら全然,この人分かってもらえないなということになってしまいますので,ですからなおさら慎重に何々と感じていらっしゃるのでしょうかと,そこは慎重に確かめる必要があるわけです。そういうふうに思っています。ほかにございますか。

参加者異文化のAとBというのは,どういう人がAとBなんでしょう。我々日本人同士がAとBに入っているんですか。異文化というとき,我々はすぐ外国人と日本人と思うんですけれども,確かに日本の中でも文化が違うことがたくさんありますから,それも対象にされたものなのかどうか一つ。

渡辺それはどちらでもいいと思います。どちらの場合も。

参加者それが一つです。2番目に,我々,質問とか確かめというか,日ごろこういうことをやっているわけです。では,日ごろやっていることのどういうところが悪いからこういうエポケーというのがあって,そういう反省をしなさいということでこういう理論が出ているのか,その辺はどうなんでしょう。要するに,さっきの先生の言われたようなことを聞いて,そうですか,確かめました,それだけではないですよね。この辺はどうなんでしょうか。

渡辺フッサールによると,私たちは自然な姿勢を持っている。その自然な姿勢をちょっとわきに置いてみましょう,そんなことを言っています。ですから私たちが日常的に確かめるといっても,どれだけ意識した上で確かめているかという確かめようとしている自分自身さえもわきに置いて確かめようとしているのかどうかというところが問題なんだと思うんですね。日常的に自分が確かめたいと思っている気持ち自体をもわきに置くという,自然な姿勢をちょっと置いてみようというのが一番のねらいだと思うんです。
もちろんおっしゃるように,そういうことをほかの人よりは自然にできる人が私はいると思うんです。私も今までいろいろな人に会ってきましたが,一人,二人いるんですよね。その人は自然に非常に優しい人なんです。優しい人は自然にそういうことをやっているな,そんなふうに思いますので。いかがでしょうか。

参加者日ごろ苦労しているのは,例えば日本語をもっと上手になりたいですとか,会話がもっと上手になりたいです,具体的にそう言ったとします。そうするとそれを受けて,確かめというのがどういう形になるのかなと思うんです。では,相手が言っているとおり会話がといったら,ではテープをもっと使ってやったらいいとか,単純にいけばそれだけのことですね。だけど,その本質にやはり文法がちゃんと入っていないから会話ができないんだとか,こういうもろもろのことが入ってくるわけです。そうすると,確かめが相手が言っているとおり,その言葉どおりの確かめでは間違っているということが多いように私は思うんですけれども。
むしろ自分が考えたり,日本語の教師の方が,この辺はどうかとかいろいろ聞かないと確かめができないということがたくさんある。私は,現実はむしろそういう問題の方が多いものですから,そうすると相手が言ったのを引き出すだけではちょっと足りないんじゃないかなというふうに思って今あるんですけれども,その辺どうでしょうか

渡辺私がこの実施を今,日本語教育の中のどういうところで役に立てていただいたらいいのかなというふうに考えているかと申しますと,それは一つは授業の中があるんですが,もう一つは授業外でというか。授業外の方は,その学習者の人が何かちょっと相談したいとか,ちょっと自分の不安,心配を話したいというそぶりが見えたときに,最初から自分の意見を言ってしまうのではなくて,やはりいったんこうやってエポケーをして確かめて返してあげて,十分聞いた上でこちらから何か助言を言う。それが一つです。
それから今,私が上智大学の公開学習センターで大学院レベルのコースをやっているんです。そこには毎年,日本語教育の専門家,日本語学校の先生方が何人か入ってくるんですが,その先生方にやっていただいているのは,日本語を教えている授業がありますね,その授業場面をそこで実際やってもらうんです。その中にエポケーをどうやって入れるかというのを挑戦してもらう。
そうすると,今まで見ていますと大体はこういう使い方をしているんです。これは中級以上だろうと言っていましたけれども,学習者に日本語で何か話してもらいますよね。その話してもらったことを,その場ですぐエポケーして先生が返していく。「あなたは,何々と思っていらっしゃるんでしょうか」というふうなことでどんどん返していくと,その学習者の人はどんどん日本語で次の話をしてくれる。それをずっと順番にやっていく。分かりにくいですか。自発的に日本語を使うような中級クラスの授業の中で日本語を話してもらった後に,すぐ確かめを入れる。「あなたは何々と感じていらっしゃるのでしょうか」とか「思っていらっしゃるのでしょうか」。そうすると,その学習者はもっと自分の考えていること,思っていることを日本語で言いやすくなるんです。それがどんどん続いていく,そういう実習をやっています。
私が想定しているのは日本語教育の中ではそういう二つの場面,これがエポケー実習が使えそうだなと思っていますが,よろしいでしょうか。さて,それではちょっと先に進みたいんですが,まだ質問があるかもしれませんが,よろしいでしょうか。
それではいよいよお絵かきの時間でございまして,先ほど言いましたようにほかの人に言いたくないことは描かなくて結構です。それから,一つだけ選んで描いてください。この絵は心理テストではありません。それで皆さんの心の奥底を探るというのでは絶対にありませんので,先ほどお話ししましたように話のきっかけにするだけでございますので,御理解いただきたいと思うんですが。何か絵を描くことで御質問ございますか。よろしいですか。

参加者絵の中に事実と気持ちが入っていなくてはいけないということですね。

渡辺抽象画でも結構です,具体的な絵でなくても。後で説明していただきますので,説明していただくときには気持ちと出来事が入っていないと困ってしまうんですけれども。よろしいですか。

参加者分かりました。

渡辺それでは,よろしくお願いします。

(絵を描く)

渡辺それからちょっと申し上げるのを忘れておりましたが,今日のこの実習の目的はこれだけの人数の方,250人ぐらいいらっしゃるそうですけれども,10人とか20人とか普通はもっと少ない人数でやるんです。それで今日この人数でさせていただいていますのは,いろいろ考えたんですが,こういう方法について皆さんに知っていただくということを一番の目的にしたいと思うんです。
この実習は理想的には,10名ぐらいで五つのペアで一つずつのペアでみんなの前でやりとりをしてもらって,私がスーパービジョン*1していくという形が一番理想的なんです。そうでないと細かいところがチェックできないし,必ずしも手順どおりいかない場合もありますので。こういう大人数で,今まで最高多くて100人ぐらいだったんですが,今日はその記録を塗りかえましたが,そういう目的でございます。
ですからここで,エポケー実習というのは基本的にはこういうことを目指してこういうことをやるんだなということを皆さんに知っていただくことを一番の目標にしたいと思います。ですから,多少やりとりがうまくいかなかった場合も少しお許しいただきたいということなんですが。基本的なやり方に対しての御質問があれば,それは喜んでお受けいたします。
それでは大体よろしいでしょうか。それではどちらが先にAさん,Bさんの役をやるか決めていただきまして,後で交代しますけれども,私が「交代」と言うまで交代しないでください。早く終わったペアはおしゃべりをしていただいて結構です。普通のお茶飲み話のようなお話をしていてください。よろしいでしょうか。ではどうぞ,スタートしてください。

*1 スーパービジョン 精神医学やソーシャル-ワークなどにおいて、熟練した指導者(スーパーバイザー)が、事例の担当者であるソーシャル-ワーカーなどに、示唆や助言を与えながら行う教育のこと。


(エポケー実習)

渡辺それでは,交代してください。

(役割を交代しエポケー実習)

渡辺それでは,まだまだ話が続いているようですけれども,今まで役割を交代して,どんなことに気づいたかを何人かの方にちょっとお話を伺いたいんですが。
アサヌマスミさん,いらっしゃいますか。今,非常にわざとらしいというか,非常に不自然なやりとりをやってみたわけですが,それをやってみて何か気づいたことをちょっとおっしゃっていただけますか。

参加者もっと話したくなるときがありました。

渡辺もっと話したいなという気持ちが強く出てきた。

参加者はい,出てきたときがありました。

渡辺そのお隣のペアの方。

参加者聞く方の立場になりますと,相手が言っていることに同調するといいますか「そうなんですね」「そうなんですか」とつい言いたくなってしまうということがありますね。ですから,常にこの文型だけを使ってずっと耐えているというのが大変でした。もっと違う表現で「ああ,そうなんですか」とかつい言いたくなってしまうし,「それは何ですか」とかつい何か言いたくなってしまうということがありました。

渡辺それが全く自然な状態ですよね。それをちょっとわきに置いて自分の姿勢をあくまでも相手の人に向け続ける。私はあなたの話を私の色眼鏡なしでというか,あなたが言うままに受けとめたいのでもっと話してくださいという姿勢をどういうふうに続けていくかという一つの訓練でもあると思うんです。

参加者ただ感じましたのは,話す方が聞いてほしいと思わないんだろうかと思ったんですけれども。例えば何かについて話しているときに,常に「何でしょうか」ではなくて「それは何ですか」というふうに聞いてほしいとは思わないんでしょうか。
例えば今,趣味の話を私の方でしていたんです。そうしますと,何の趣味ですかと聞いてほしいなと実は私は思ったわけです。ところがそれは聞かれないで,「ああ,趣味というのはあなたは大切と思っていらっしゃるんでしょうか」とただ聞かれただけなんですね。そうするとすごい物足りない感じがしたんですけれども,そういう心理はどうなんでしょうか。

渡辺ほかの方にもちょっと似たような質問を受けたので申し上げたんですが,こちらから我々の言葉で言うと開かれた質問を入れた方が確かに,今のように「どういう趣味ですか」というのは開かれた質問の一つなんです。要するに,趣味について自由に話す。はい,いいえで答える質問ではないわけです。それについては今やっていただいた実習をある程度皆さんができた次のステップで,より自然に近いやりとりとして開かれた質問も間に入れていただいて,開かれた確かめを同時にやっていただくというステップが実はあるんですけれども,それを一遍にやるとちょっとこんがらがってしまうので,最初の実習のときにはやらないで「でしょうか」ということだけでやっているんですけれども。そういう御説明をさせていただきました。
あと,この実習は決して質問をしてはだめだとか,自分の意見を言ってはだめだということではないんです。これはあくまでも相手の人が十分話しやすい姿勢を保って相手の人がどんどん言うことを,自分の判断とか思いとかをちょっとわきに置いて,できるだけ相手の人のままに受けとめることをやることによって,相手の人が自分の気持ちとか考えていることを言葉にしやすくして,Bさんの方もそれをどんどん受けとめていく。一応受けとめた後で質問をしたいならば質問をしたらいいし,忠告をしたければ忠告したらいいし,怒りたければ怒ったらいい,そういうふうに考えていただいたらどうかなと思うんです。決して,これをずっとずっとやっているということではないんです。
私は,急がば回れといつも言うんですけれども,相手の人に入っていきたければ,ちょっと遠回りのようだけれども,まずは確かめ,エポケーをしてくださいと。その後,十分相手の気持ちが分かって,相手も自分を「この人なら話せる」という信頼関係ができた上で意見を言うなり質問をするなりした方が,結局はより短い時間で通じ合えますよ,対応できますよということを申し上げているんです。よろしいでしょうか。あとほかにどうでしょうか,お名前をお呼びしてもいいんですが,何か御質問がおありの方。

渡辺そうですね。そこを無理にやるという実習ではない,そこまで強要できることではないと思います。

参加者そうするとこれは日本語教育の現場で,先ほどの自己開示の会話をどんどん促進させていけるとかいうことは言えますけれども,基本的にそういう場ではなかったら別に使わなくていいこと,そういう気持ちの……。

渡辺この姿勢を使うかどうか,あくまでも自分の判断でやっていただく。決して,いつもこれを使わなければだめだということではないのですが。よろしいですか。

参加者「あなたは何々を大切に感じているのでしょうか」で始まるんですけれども,「ああ,そうですか。ああ,なるほどね」というような相づちは自由と先生はさっきおっしゃったんですが,なるべく相手の言葉をおうむ返しにして「何々と感じていらっしゃるのでしょうか」と言いたいですけれども,100%おうむ返しというのはかなり不自然で,ある程度言いかえが入りますね。言いかえがどこまで許されるのかというのは,ちょっと難しい点ではないでしょうか。

渡辺言いかえというよりも,一番話の流れ,お互いの気持ちの流れにストップをかけない方法は,ずっと相手が話してくれたことの最後の辺に出てきた言葉,そこに出てきた気持ちをあらわす言葉,あるいは大事な言葉を選んでそれを返す。前の方は忘れていい。それでもう十分です。つまり,話というのは話している人も,ずっと長く話していると前に話したことは過去のことなんです。だから,過去にさかのぼられてしまうと話している人も気持ちがちょっと意識しないといけない,前に自分は確かにそういうことを話したかなとか。それよりも気持ちの流れに沿っていくということを考えると,その人が話した最後のところに出てきた……

参加者「何々がうれしかったんですよ」「ああ,それがうれしかったんでしょうか」というのがいいわけですね。

渡辺そういうことです。

参加者ということは,発言のあるまとめ的な言葉ではなく,一番最後の部分を繰り返すということの方が正しいわけですね。

渡辺正しいというか,流れをせきとめないし,大抵の場合は一番最後にその人にとって大事なことを表現する場合が多いんです。それで十分な場合が多いわけです。

参加者今経験として,私はそれを100%同じ言葉を使えなかったことが多いなと自分で感じましたし,自分が言ったことに関してパートナー*1が言葉を差しかえた,多分同じ意味だという判断で差しかえられた言葉について,自分で若干の差を感じたりもしました。

*1 パートナー 2人で1組となるときの相手。


渡辺だから,できるだけ差しかえない方が原則としてはいい。

参加者全く同じ言葉を使うのが原則だということですね。

渡辺基本的にはそうです。相手が使った言葉を使って返す。どうぞ。

参加者こちらの一番最初に,これは「異文化と関わる心理学」とございますけれども,これは同文化,つまり同じ日本人同士ではこれは判断留保ということは当てはまらないんですが,これはあくまでも異文化に関わる心理学なんですか。

渡辺異文化社会でこれから仕事をするとか,そういう言葉も違う,価値観も違う,いろいろなものが違う,基本的なものが違うところに行って人と仕事をする,生活をするという人たちのための基礎訓練なんです。それは大抵の場合,そういう基礎訓練というのは出発が決まっている日本人だけでやることがほとんどなんです。だから自然と対象者,学習者は日本人になってしまうんです。それが現状です。外国の人も入って一緒にやったら多分もっといろいろな発見が出てくるんではないかと実は思っているんですが,そういうケースは今まで僕はやったことがないんです。

参加者つまりこれは異文化の人とのコミュニケーションの一つの方法ということで。

渡辺大事なポイントだと思うんです,エポケーというか,判断留保というのは。

参加者ですので,例えば今日本人同士で話をしていまして,つい共感する部分が出てきたときに「すばらしいですね」とかという言葉が出ないわけです。ところが,いちいち確認で「何々でしょうか」と,私にとってはとても白々しい言葉が出ます。それからまた,私が話しているときにも共感という感じがしなくて「そうでしょうか」という確認の言葉が返ってきたら,この人は本当に分かっているのかしらという感じでつい,とても私にはこのやり方は日本人同士はとても白々しい,また共感ができない,共感してもその言葉が発せられないという,何かプラスにならないような感じを受けました。異文化ということで分かりました。

渡辺今の問題は私はこういうふうに思っているんですが。「何々なんでしょうか」という言葉は使いながら,気持ち,姿勢が質問的な姿勢になっている場合,ちょっと口調が変わって,相手に開かれた確かめにはならない場合があるんではないかなと思っているんです。そこは先ほど言いましたように10人ぐらいのグループでやると,一つ一つこちらがスーパービジョンできるのでチェックできるんですが,もしかするとそういうケースなのかなというふうに想像しているんですけれども,そこは微妙なところなんです。何人かの方々からも質問を受けたんですが,質問と確かめ,どこが違うんですかということなんですが,これはすごく微妙な点だと思うんです。どうぞ。

参加者何度もすみません。私はちょっとだけ大学で勉強したことがあって,来談者中心法*1とこれとどう違うのかなと。

*1 来談者中心法 カウンセラーが,来談者の意識経験を中心にカウンセリングを進める方法。


渡辺基本的には同じです。来談者中心法というのは,基本的に現象学*1と実存主義*2をうまく組み合わせてつくった方法だと私は思っているんですけれども。

*1 現象学 自然的,自然主義的態度を留保し,包括的な世界経験を記述することを目指した哲学。
*2 実存主義 本質よりも実存を優位と考える認識論。


参加者だから,さっき異文化にしか適用できないとかとおっしゃっていたんですけれども,基本的にはカウンセリングということですから,異文化だろうが,同文化だろうが,相談する人がいてとか,相手がいればこういうような環境,同文化だろうが,異文化だろうが,成り立つんではないのかなというのが個人的な感想です。もちろん言葉が固定されると同文化同士はちょっと気持ち悪いというものはあるんですけれども,私の勝手な解釈ですけれども,基本は言葉ではなくて単にずっと聞く人に対して,ずっと話をさせることで本人が何か見つけていくというのが来談者中心法だと私は理解していたので,それと同じようなものではないのかなと。

渡辺基本的には同じです。

参加者だから同文化,異文化という問題ではないんじゃないのかなと思いました。

渡辺私の考えでは,特にこれを異文化教育の中で使うという意味,目的はどこにあるかというと,同文化よりも異文化間の方がそういう姿勢が有効だと考えているんです。言葉が通じなければ通じないほど,こういう姿勢を大事にして対応することが大事になっていく,そういう考えがあるんです。だから一種のカウンセリングの応用になるわけです。ただ,その説明の仕方を来談者中心主義というよりも,もっと源流にさかのぼる。つまり現象学と,今日は実存主義のお話はしませんでしたが,そういうふうに源流にさかのぼって考えていこう,実践していこう。
そうでないと,ロジャーズ*1と対等にならないわけです。アメリカのカウンセリングを開発してきている研究者と対等になりたいという,同じ研究者同士のプライド*2があるというか。彼らの原点にしているものに私もさかのぼってそこからやっていこう,そういう考え。だから「開かれた確かめ」とか「エポケー」という言葉をわざとはっきり使ったり,そういうことをしているわけです。

*1 ロジャーズ Carl R.Rogers(1902-87)。アメリカの心理学者。来談者中心療法の創始者。
*2 プライド 誇り。自尊心。自負心。


参加者どうもありがとうございました。

参加者エポケーというのは日本の中で行われているボランティア活動,日本語教育,ボランティア活動の中で日本人同士がコミュニケート*1をするときにエポケーというのを実際に必要としているということを先生は感じたことがございますか。

*1 コミュニケート 伝えること。伝達。


渡辺ボランティア活動の人の中で仕事をしたことはないんですけれども,基本的には先ほどお話があったように生身の人間を相手にする仕事には全部この方法,この中心的な考えはつきまとうと思うんです。何屋さんでもいいし,どういう仕事でもいいんですけれども,生身の人間相手。というのは,生身の人間というのは感情があり,気持ちがあり,いろいろなことがその場であるわけです。それを全部こっちが勝手に受けとめるんではなくて,その人,今ここでやったようにちょっと自分をわきに意識的に置いておいて,その人が一体何を本当に言いたいのかということを絶えずこちらは理解,受けとめていく必要があるわけです。そういう意味で,このエポケー実習というのは生身の人間相手にしている人にはすべて必要とされる考え方,実習のように私は思っています。

参加者私はちょっと失礼な質問をいたしましたけれども,ボランティア活動に参加して初めてつくづく体験したんですけれども,日本人が日本語を用いて話をしても,言ったとおりに伝わっていないという現象がしょっちゅうありましたし,そのほかに発信者側が発信したことを受信者がそのように認識しているかどうかということを確認するということがこのエポケーの最終目的ではないかと認識しているんですが,いかがでしょうか。

渡辺そういうふうに受けとめていただいてよろしいかと思います。

参加者ありがとうございました。

参加者私もさっきお話がありましたけれども,来談者中心法と似ているなと思いながらお聞きしていたんですけれども,先生の場合,エポケーという概念を持ってこられて,大変それは興味深く拝聴しましたけれども,ロジャーズの場合ですと技法ということを立てない。余り,こうしなさい,ああしなさいという指示をどちらかというとしない方に立っていると思うんですが,先生の場合は文型という形でこういうふうに語りなさいというふうにとても指示的なわけですけれども,エポケーという思想的な部分,相手の共感する,確かめるというところを第一というふうに考えられるか。
それを第一と考えられるのであれば表現は変わってもいいと,先ほど関西弁の場合は関西弁でもいいとおっしゃいましたけれども,表現は割とその人その人,その場で自由に変えてもいいものなのか,それともやはりこの文型で問うということが先生のお考えの中では非常に重要なんでしょうか。

渡辺今二つ御質問をいただいたわけですけれども,後の方の質問に答えますとおっしゃるとおりで,言葉はある程度どうでもいいんです。問題は姿勢なんです。だから「感じているのでしょうか」という言葉がなくても,姿勢がそうなっていれば十分それで済むわけです。実際のカウンセリング,実際の訓練の場合にはそういうこともあるわけです。「でしょうか」というのがなくて単語だけで,ただその後がふわっと余韻を残して終わるというか。そうすると,「でしょうか」とほぼ同じ効果になるわけです。
だからおっしゃるとおりなんですが,ただある程度形から入るといいますか,かなり難しい考え方ではあります。単純と言えば単純かもしれないけれども,実際どういうことなのかということを言葉で説明しようとしてもなかなかしにくいところがあるんです。だから形から入っていただく。そうすると,それに近い経験ができるということで私は言い方,その形にこだわるわけです。
それから前のロジャーズの件は,ロジャーズは無条件の積極的な関心と共感ということを言っているわけですけれども,無条件の積極的な関心というのはまさにエポケーだと私は考えているわけです。ただ,彼はそれを具体的には言っていません。こういう口調で私のようにやりなさいとは言っていないですけれども,無条件の積極的な関心を相手に向けるということがセラピー*1が成り立つ基本的な条件であるとはっきり言っています。それは私はエポケーの姿勢だと理解しているんです。それができると共感につながる,無条件の積極的な関心。
あとロジャーズが言っている非指示的な方法というのは,カウンセラーがああだこうだと言わないということです。あくまでも来談者中心で,カウンセラーは受けとめる役を想定しています。それは基本的にはエポケーの姿勢と同じものだと私は思っているんです。よろしいでしょうか。ほかにはございますか。

*1 セラピー 治療。治療法。


参加者例えば講師の立場としてエポケー実習を使いたいなと思うときというのは,実際にやってもらっている人たちにエポケーという聞く姿勢を少し身につけて体験してほしいなと思うときにこの実習を用いれば効果的だというふうに先生は考えて講習なさっているんでしょうか。

渡辺そうですね。基本的には自分から講習をやらせてくれということではなくて,エポケー実習をやってくれという依頼があってやることがほとんどですけれども,そういう……

参加者例えば企業なんかで先生が呼ばれてその実習をするときというのは,やはり企業側の目的としては,企業の社員にそういうエポケーという聞く姿勢を身につけてほしいという目的のもとでやる場合が多い。

渡辺企業の場合は1回,デモンストレーション*1で人事部の人に見てもらうんです。それでOKならば次に契約を結ぶというか。そういうことが多いですから,おっしゃるとおり会社の人がエポケー実習を入れてやってくれていいという許可が出たときにやりますし,あと私は今ある精神科の病院で,これも理事長からの依頼で病院のスタッフ全員を対象にエポケー実習をやっているんです。それは理事長の判断で,エポケー実習というのは患者さんとの関係向上にも役立つし,スタッフの関係,婦長さんの言葉によれば,それをやるようになってからチーム力がアップした。ちゃんと自分の考えを言うし,聞く姿勢がみんなできているし,チーム力が上がったというふうにおっしゃっていましたけれども,そういう場面でもやっています。だから,おっしゃるようにいろいろなところでやれる実習だと思っているんです。

*1 デモンストレーション 威力・勢力・技能などをことさらに示すこと。


参加者いろいろな場面でやはり聞く姿勢をつけたいなと思うときに,効果的にできる実習だというふうに。

渡辺聞く姿勢というよりも,私はこう考えているんです。積極的に相手に相対するというか,どんどん相手の世界に入っていって,相手も分かるし,こちらも信頼してもらえる,そういう関係づくりです。単に聞くということだけではなくて,こちらで開かれた確かめをどんどんしていくわけですから,より積極的なわけです。
その姿勢でいくと相手の人もどんどん,早く会話が終わってしまったペアもありますけれども,そうでない,最初におっしゃってくれた場合はもっと話したくなったとか,より積極的な姿勢がAさんの方にも出てくる場合が多いわけです。だから,単に聞く実習とだけは私は考えていない。基本的な姿勢,やりとりの研修というか実習だと思っているんです。よろしいですか。ほかに何かございますか。

参加者先ほどスーパービジョンということをおっしゃっていて,私たちがもちろん今日は自分が体験させていただいたわけですけれども,例えば友人に伝えてやってもらおうなんて思ったときは,スーパービジョンというようなことは割と私たちのような者でも,つまり友人に勧めてみても構わないものなんでしょうか,それともスーパービジョンをしていただける確かな方がいなければ,なかなか実習するのが難しいものなんでしょうか。

渡辺現実は,その両方で動いていると思います。今日のようなエポケー実習に参加された人でも実際,自分で研修でやってみたいという方もいらっしゃって,いろいろ御質問をいただきながら実習をなさっている方もいらっしゃいます。あと私のところで十分研修を積んだ者が2,3人,今博士論文を書いているレベルの人たちですけれどもおりまして,実際,大学の教員をしている人たちがほとんどなんですが,その人たちは私とほぼ同じようなエポケーの実習ができる人たちですので,その人たちもやっています。だから両方の場合があると思います。

参加者もし私たちが友人に勧める場合では,スーパービジョンとまではいかなくても,見ていてアドバイスするときのポイントのようなものはございますでしょうか。

渡辺この手順どおりにやっていただいているかどうか,というところをスーパービジョンしていただければよろしいんではないかなと思いますが。ほかに何かございますか。一つ説明し忘れたんですが,最初のお二人にちょっと私は伺いました。この実習をやって何が気づきましたか。本来ならば,同じ質問を全員にするんです。全員に,あなたはこの実習をやってどう感じましたか,何に気づきましたかということを言っていただいて終わりにするんです。発言に対して講師あるいはトレーナー*1である私の方も,エポケーをして対話をしていくわけです。それで終わるというのが一つのサイクル*2になっているわけです。
なぜそれをしているかというと,エポケーとはちょっと関係がないんですけれども,構成主義*3と皆さんお聞きになった方も多いかもしれません。英語ではコンストラクティビズムといいますけれども,実はその考えも導入しているんです。自分の経験を自分の言葉で表現していくことによって,自分の中にできた新しいものとかそれを再構成していく,それを最後にこちらがお手伝いする。そのために何に気づきましたか,今日の体験学習,こういうのをやってみて何に気づきましたかというのを言葉にして1人ずつ言っていただいて,それで終わりにするんです。それをちょっと説明し忘れました。ですから,基本的には現象学と構成主義を一緒にしたやり方と言っていいと思います。
それでは,2分ほど過ぎてしまいましたが,おつき合いいただきましてありがとうございました。それでは,失礼します。(拍手)

*1 トレーナー 練習の指導者。
*2 サイクル あるものの状態が一定の変化を経過した後,再び元の状態に戻ること。循環過程。
*3 構成主義 実存主義流行の後にあらわれた現代の思潮。ソシュールの言語理論の影響のもとで諸現象を記号の体系としてとらえ、規則・関係などの構造分析を重視する。言語学や人類学のほか、心理学・精神医学・数学などの諸分野に広く、多様に展開される。

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