地域日本語教育シンポジウム

地域日本語教育シンポジウム
  「地域におけるネットワークの構築〜日本語支援のさらなる広がりを目指して〜」
 
司会 西尾珪子(社団法人国際日本語普及協会理事長)
協議者 秋山博介(実践女子大学生活科学部生活文化学科助教授)
中和子(ユッカの会事務局長)
渡辺文夫(上智大学文学部教育学科教授)
発表者 杉澤経子(武蔵野市国際交流協会プログラム・コーディネーター)
春原直美(長野県日本語ネットワーク代表財団法人長野県国際交流推進協会常務理事)

橋本皆さんおはようございます。
定刻になりましたので,これから日本語教育大会の第2日目を始めたいと思います。
ちょっとまだ受付の方の方がいらっしゃいますので,先に今日の日程を簡単に御紹介させていただきたいと思います。
本日は,この後,国際日本語普及協会によります地域日本語教育シンポジウムを午前中行います。その後,本日の午後は,これは事前にお申し込みをいただいた方が対象になりますが,日本語教育研究協議会を分科会形式で行います。13:15から行う予定になっておりまして,会場はこのグリーンホールと,それから80年館の中にありますオーロラホール,それから学園本部館の大会議室,この三つに分かれて分科会を行います。午後は前半が13:15から15:15まで前半を行いまして,その後,後半が15:30から17:30までという予定になっております。それで,分科会の方ですが,会場が一部変更になっております。大蔵先生の第4分科会が学園本部館の大会議室の方に,それから,関口先生の第6分科会がグリーンホールの方に変更になっておりますので,御注意願いたいと思います。
それから,分科会の方ですが,昨日と同様に各会場がかなり混雑すると思います。恐縮ですが,席はできるだけ詰めてお座りいただくようお願い申し上げます。
それでは,早速午前中の日本語教育シンポジウムの方を始めたいと思いますが,簡単にこの事業につきまして御紹介をさせていただきたいと思います。パンフレットの22ページ目を御覧いただきたいと思いますが,このシンポジウムは,文化庁の方から社団法人国際日本語普及協会の方に事業として委嘱をしております。ほかにもいろいろな事業を国際日本語普及協会の方にはお願いをして実施いただいておるところなんですが,例えば地域日本語支援コーディネータ研修とか,それから,今年度から始めます日本語ボランティア研修,それから日本語教育相談と,そしてこのシンポジウムの実施を委嘱をしてお願いしているところです。皆様御存じのとおり,国際日本語普及協会は,文化庁の事業のほかにも全国的に様々な地域の日本語教育の活動を行っていらっしゃっております。このシンポジウムでは,そういった全国でいろいろ各地で事情に応じて地域の日本語教育を行っていただいているんですけれども,そういった中で,いろいろな課題とか,あるいは今後の在り方について毎年テーマを決めていただいてシンポジウムということで検討していただいているところでございます。
本年度のシンポジウムにつきましては,パンフレットの22ページに趣旨を記載しておりますが,「地域におけるネットワークの構築〜日本語支援のさらなる広がりを目指して〜」とテーマをつけまして,一般の地域住民の方々も視野に入れました日本語支援の在り方,さらなる広がりについて御検討いただきたいというふうに考えております。
それでは,シンポジウムの司会進行を国際日本語普及協会の西尾理事長にお願いしたいと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。

西尾皆様おはようございます。
朝早くから御参集いただきまして,まことにありがとうございます。
ただいまお話がございましたように,御紹介がありましたように,文化庁の地域日本語教育推進事業の中のこのシンポジウムの開催ということ,私どもが委嘱を受けまして,今年でこれが3回目になります。過去に2回行ってきたわけでございますけれども,1年目のシンポジウムでは,第1回では,コーディネータ研修講座というものがスタートしたときでありましたので,地域における日本語支援のコーディネータという役割は何であろうかということ,コーディネータは,そしてその結果として,結論として,非常に地域には地域性がそれぞれある。それぞれ地域性のある中で,そこで求められているコーディネータの役割ということがそれぞれ違う場合があるというような,はっきり一つの定義で言ってしまうことはできないのではないかというようなことが分かってまいりました。それぞれの地元で求めるコーディネータの育成というものがこれから必要であるということが分かりました。
第2回目,昨年は,そのコーディネータが中心となって,できるだけ幅広くネットワークを構築していこうではないか。日本語支援,日本語ばかりではありませんけれども,在住している外国人の支援に関しまして,幅広く支援活動を広げるに当たっても,コーディネータが幾ら頑張っても,あるいはボランティアグループが幾ら張り切っても,どうしてもいろいろな問題が多種多様に起こりますが,そのことについて,やはりネットワークを構築して,専門家とのネットワーク,あるいはコーディネータ同士のネットワークということもありますし,ボランティアグループ同士のネットワークということもあります。あるいは行政とのネットワーク,あるいは専門家,お医者様とか弁護士とか,あるいは保健所とか,いろいろな専門家とのネットワークというものを幅広く構築していく。そして支援の体制を整えていくのがいいのではないかというのが昨年の結論でございました。
さて,今年のテーマなんですけれども,私はこういう仕事をいただいておりまして,全国各地を回らせていただいておりますけれども,最近は地域の特性に応じてそれぞれのボランティア活動が非常に盛んになってきている,そして,非常に充実してきているということをつぶさに見ることができます。しかし,それと同時にその地域,地域で,やはり一つ一つそれぞれ課題が出てきている,課題が見えてきたということも感じております。そのうちの二つ,代表的なことを申しますと,そのうちの一つは,どうしても日本語支援という名称もありますことですから,日本語を指導するということに偏りがちで,日本語支援だけ考えていたのでは支援が十分にできない。もっともっと広がりを持った考えで支援をしていかなければならないという,日本語を指導するだけでは支援の成果は上がらないなということが一つの課題として,それではどうしたらいいのかということが課題としても持ち上がっているということがあります。
もう一つの事柄なんですが,これが今日のテーマにしようと思っていることなんですけれども,在住する外国人は,今後を見通しましても確実に増えていくというふうに思います。一昨年末の統計が178万人の登録者がいるという,12月31日に,そういう数字が出ておりましたけれども,昨年末が185万人になっております。その前,数年を振り返りますと,大体年間10万人ずつぐらい増えていっているんですね。一昨年から昨年にかけて,少し7万か8万に減ったということは,いろいろ,日本の経済の低迷ということが非常に大きく影響しているのではないかと思いますけれども,それぞれのその時代のやはり状況に応じて,外国人の増え方というのはそう一律ではないと思いますけれども,ただ,押しなべて言えることは,これから確実に増えていくということです。
そのことを片方で見ておりますと同時に,もう一つ,ボランティアの方たちの活動をずっと数年見ておりますと,ボランティアの支援者の中にも非常に流動的――数が流動しているということが分かってきたんです。4,5年やった方たちが,少しいろいろな問題を抱え込み過ぎて疲れてしまった,少し休みたいとおっしゃる方もありますし,いろいろ御自身が転勤とかほかへ引っ越していかれる方もありますし,そういうふうに出入りがあるんですよね,結構。そのときに思いますのは,いつもいつも,どちらでも,どの地域でも,ボランティアの支援者を増やしていかなければならない。育成というと何か堅苦しいですけれども,支援の輪に入っていっていただかなければならないということなんです。ボランティアの養成ということを考えましても,外国人が増えていく,そしてボランティアの方も流動的だけれども,いつもいつも新しくボランティアの方を募っていかなければならない。これは私,近代の一つの現象だなと思いますけれども,ボランティアの養成にも需要と供給を考える時代が来たのではないかなというふうに思うんです。
それで,本日のシンポジウムで思い切ってこのような点をつかまえまして,今までの話題から一歩進んでみたいと思います。そして,これまで,第2回目までの話題にありましたように,構築してきたネットワーク,そのネットワークの広がり,それを面でとらえるとするならば,その面が一体となって,さらに共同作業として市民の方たちにこの支援というものを理解していただく。もっともっと関心をもっていただく。そして,1人でも多く支援のお仲間に入ってきていただきたい。市民の方は,外国人でなくて支援する方たちをどんどん,常に増やしていきたいと思うんです。それで,このような一般市民の理解をどのように獲得していくかということ,どのようにして1人でも多くの市民の方たちがこの支援の仲間に入っていただいて,そして一体となって活動していけるだろうかということを今回は中心的なテーマとして御議論をいただいていこうと思う次第でございます。
このような話題について,いろいろと議論していただくに当たりまして,日本語教師なり,あるいは日本語支援者だけで考えている範囲をはるかに超えて,いろいろな領域の方に,いろいろな御専門の方に来ていただきたいと思ったのが私どもの計画でございました。それで,心理学の渡辺文夫先生,そしてこちらは社会学,福祉学の秋山博介先生,そして真ん中に中さん,横浜で市民と行政の間で精力的に協力体制をつくっていらっしゃる方で,みずから民生委員でいらしたり児童委員でいらしたり,それをなさったり,そして,数々のNGO団体を立ち上げていっている方です。まさに市民を巻き込んでいろいろな活動を起こしている方ですので,その中さんをお招きして,お三方のパネリストにいろいろな御発表,お話を承りたいと思っている次第でございます。
お一方お一方御紹介するのは,この緑のプログラムの方の先ほどの22ページ,23ページですね。後ほど御紹介いたしますが,事例発表として武蔵野市の杉澤経子さん,それから,長野県の春原直美さんにいらしていただいていますので,御発表いただきますが,お一人お一人の御経歴はこれを読んでいただきたいと思います。ただ,その中で重大なミスをしてしまいまして,ミスプリントというよりこちらで用意したときに間違えてしまいましたので,お詫びいたしますけれども,秋山先生の御経歴で重大な間違いを犯してしまいました。申しわけありません。23ページの上のところですけれども,御経歴の中で,明治学院云々とある後で,「大正大学大学院文学研究科」と書きましたのは,「立正大学」の間違いでした。大変申しわけないことをしてしまいましたので,訂正させて――秋山先生,申しわけありませんでした。
そういうわけでございます。
それでは,早速でございますが,ただ,ここで並んでいらっしゃる順に御発表というのではなくて,私,勝手でございますが,1番手,2番手,3番手,決めさせていただきました。まず1番に渡辺文夫先生にお願いしたいと存じます。
渡辺先生に今日お話をいただく内容というのはもちろん先生にお任せしているわけでございますけれども,きっかけをつくりましたことが一つございますので,そのことを特に御発表いただきたいと思っているんですけれども,実は1997年と98年,2年間にわたりまして,私どもの調査・研究の一環だったんですけれども,福島県のある町に大変大勢フィリピンからお嫁さんが来ている。国際結婚が非常に盛んで,フィリピンから大勢来ている。そこで,そのフィリピンから来ているお嫁さんたちへの日本語学習というのはもちろんなんですけれども,そうでなくて,その人たちを迎え,支える御主人ですね,配偶者自身,夫となる人たち。夫である人たちですね,正確に言えば。それから,町の人たち,隣人,そういう人たちに集まってもらいまして,そして渡辺先生に異文化理解とはどういうことだということのお講義と演習のようなことまでしていただきました。
このときに,大変盛況でございまして,大勢御主人が出てきてくれました。それこそ,とてもこれは行かれないよと言って一杯ひっかけて出てきた方もあるぐらいなんですけれども,大変好意的に出てきてくださったし,町の方も,それから役所の方たちも大変熱心に先生のお話を聞いてくださって,45人でしたか,なかなかその場所が盛況であったということがございました。その感想を聞きましたところ,大変役に立ったと。それだったらもっと声をかけて,もっとみんな,大勢で聞けば良かったんだなと。またやってくださいよという,大変な好評の言葉をいただきました。それで先生にお願いして,そのときどういうお話をなさったんですかということを今日は御発表いただこうと思うんですけれども,よろしゅうございますでしょうか。では,お願いいたします。

渡辺どうも御紹介等々ありがとうございました。
今,御説明いただいたようなことで,私がその町に参りましてお話とそれから実習ですね,異文化研修,体験学習をしたんですが,そのときにお話しした私の方の講演といいましょうか,お話といいましょうか,どういう内容をお話ししたのか御紹介したいと思います。
それで,私は大学に勤めている身ですけれども,実践活動とそれから研究,理論的な研究も含めて,それをいろいろ統合しようと,両方をやりながら統合しようとしていろいろなところで実践をしたり,ものを書いたりしてきたわけです。それで,その中で,町の方々にも十分伝わるような,分かっていただけるような内容といいましょうかね,それを準備したわけです。ですから,それは別な言葉で言えば,専門用語を一切使わないで,普通の日常的な言葉で説明するということに努めまして,全部で六つのポイントを皆さんに御紹介したわけです。いずれもこれは私たち日本に生まれ生活してきた者が,海外の文化の違う人たちと出会った場合に,どの辺にポイントを置いたらいいのかということが一番の目的になるわけですが,それに関する私の研究から出てきたもの,それからいろいろ論理的に,あるいは哲学的にと言いましょうか――言われていることなどを取りまとめてみました。ですから,皆さん十分もう既にお分かりのことも内容に入っているのではないかと思いますが,こういうことを話したという一つの事例としてお聞きいただければと思います。
全部で六つのポイントをこのときにお話ししました。まず最初にお話ししたものが,「やりとりがうまくいけばいい。分からないことにこだわらない」ということですね。これは,私のある調査に基づいて実はこの考え方が出てきたんですが,一言で言うと―― 一言というか,哲学的な意味合いで手短に言うとすれば,「関係は本質に先立つ」という,そういう考え方を分かりやすく御紹介したわけです。
その中身というのは,本質に先立つ関係って何かということですけれども,やりとりという言葉を関係という言葉に置きかえたわけですね。それで,分からないことにこだわらないと。私はどういう人間であなたはどういう人間でという,その本質的なことの理解,これはできるにこしたことはないんですが,文化が違うとなかなか難しい面もあるんですね。文化が違うからこそ分かり合える点も実はあるわけですけれども,やはり言葉が難しいということも含めて,価値観,前提が違うということがございますから,なかなか本質的なことというのは分かりにくいことが多いのではないかと思うんです。そういう本質を理解するということに余りこだわらないで,それよりも先にやりとりがうまくいく,もっと別な言葉で言えば,一緒に仕事をしたり暮らしたり,生きていくということがうまくいくようなやりとりをまずしてみると。そちらの方を大事に生きるということが大事なのではないかということをまずお話しいたしました。それが第1点目ですね。
それから,第2点目は,「自分を純粋にはっきりとするように努める」ということです。これは,先ほどちょっと私が申し上げましたように,言葉,文化が違うからこそ分かり合えることがあるということでもあるわけですね。これは不思議なことですけれども,私もいろいろな国で仕事をしてきましたけれども,言葉が違うからこそ,あるいは価値観が違うからこそ,文化が違うからこそ,自分を純粋にして相手に伝えるという。それなしに――そういうふうな気持ちが強くなるといいますかね。だからこそですね。そうすると,意外なことに日本人,私の場合日本人の友達よりももっといい友達といいましょうか,何がいいかということは問題になりますけれども,より純粋な気持ちでつき合える友人がそういう中から出てくる。数は多くないかもしれませんが,そういうことがあるなというふうに思います。
私の場合ですと,例えば,もう大分前,もう20年ぐらい前に出会ったフィリピンの方で,今,日本の在日フィリピン商工会議所の会長をされている方がいらっしゃるんですが,この方は,何か本当にそんなにしょっちゅう会っているわけではないんですけれども,会うとすぐ意気投合するといいましょうか,ストレート*1にポイント,ポイントの話ができて,すぐ用事は済んでしまうし,後はいろいろ考えていることをずばずばと話すんですが,これが私も英語が――彼女は日本語は余りできないんですけれども,英語でやりとりをするしかないんですが,下手な英語を使いながら非常に深い話までできる。そういう人がおりますが,こういう人に会っていると,今申し上げましたように,自分を純粋にはっきりとするように努めるということがいかに大事かということを思うわけです。
それから,3番目にお話ししたのは,これもちょっと変な日本語かもしれませんが,「同じと違いを同時にとらえる」と。一つの例をお出ししますと,これは私が考え出した例ではないんですが,今,朝日新聞のオーストラリア支局長をしている大野さんという方が,私が大昔にフィリピン大学に調査に行ったときに,大野さんもフィリピン大学の大学院の学生でして,そのときに彼が言った言葉をちょっと御紹介したいんですが,彼が,実はあるとき突然行方不明になってしまったんですね。それで,誰にも何も言わずに彼はフィリピンを出て実はあることをしていたんですが,それは,今のミャンマーですか,あの辺からずっと陸伝いにシンガポールまで一人旅をしてきたと。しばらくしたら彼が姿を見せたので,話を聞いたらそういうことだったんです。
彼はそのときに我々に話してくれましたが,いろいろな人間に会ったと。ある人たちは――ちょっと私,福島生まれなので正当な日本語のアクセント*2ができないんですが,「はし」,「はし」はどっちですか,渡る橋ですか,食べるはしですか。福島県では区別がないんですよね。分からない。で,食べるはしですよね。だから,ある人たちはフォークとスプーンで食事をしていたし,ある人たちは手で食事をしていたと。だけれども,よくよく考えてみれば,食べ物を口に運ぶという動作ではみんな同じことをやっているんじゃないかと。というようなことを考えながらミャンマーからシンガポールまでぶらぶら旅してきたけれども,それで良かったよと。言葉の問題でも何でもなく,そういう考え方ですね。
ですから,一見違うように見えても,その奥にある仕組み,もう少し難しい言葉でいうと構造ですね,あるいは機能は同じだということは山ほどあるわけですね。そういうふうな考え方,実は構造主義という一つの認識論の問題でもあるわけですが,そういう今申し上げましたような構造主義とか認識論とか,そういう言葉はこの福島県の某町でお話ししたときは一切そういう難しい言葉は使わないで,今申し上げましたように,同じと違いを同時にとらえると,それが大事なんじゃないでしょうかというお話をしたわけです。
それから,4番目は,「何気なく自分がしていること,感じていること,思っていることに気づく」と。これは,我々の専門用語でいいますと,英語でいうとカルチャーアウェアネス*3ということなんです。日本語では,私は文化的覚知法と最近は訳していることが多いんですが,「かく」というのは覚える,それから知識の知。それで,これは何て言うんですかね,カウンセリング*4的な背景が実はこの考え方にはあるわけです。それは,自分に対する気づきですね,自分に対する気づきが多ければ多いほど自己実現の道は開かれているといいましょうか,簡単に話すとそういう理屈といいましょうかね,理論といいましょうか,そういうものがある,考え方があるんですね。
文化的な問題でも同じで,私たちが何気なく普段していること,感じていること,思っていることが,違った文化圏に行った場合,あるいは違った文化圏から来た人と会う場合には,それが違う,それがうまく機能しないというんでしょうかね,対応しないということが多くあり得るわけですね。
ですから,そういう違い,行き違いに―行き違うことはしょうがないかもしれません,最初のうちは。ですけれども,その行き違いが少しでも減るためには,自分が今感じている感情はこういうことかなとか,そういう意識化をしていく。それから,相手に対して自分は何かちょっといらいらしているけれども,それはどういう自分がいらいらしているのか,それに気づきを深めていく。そういう自分に気づきを深めていくと。そうすると,自分が普段思っている日本人はこうでなければいけないというような価値観が,どうも自分の心の底にあったなと。それから見て彼女や彼ら,外国から来た人たちに自分がちょっといらだっているんだなというふうに気づけば,価値観の違いは消すことはできませんが,気づくことができれば,それを少しわきに置くことができるわけですね。少し自分が冷静になれば,あるいは第三者的な目から自分と相手のやりとりを考えて,やり直すことができるわけですね。そういうことを4番目に,「何気なく自分がしていること,感じていること,思っていることに気づく」という,先ほど言いましたように優しい日常的な言葉で御紹介したわけです。
それから,5番目には――全部で六つですから,あと一つで終わりますので,御辛抱ください。五つ目は,こんなふうに言葉にしてみました。それは「確かめに確かめた後で自分の考え,意見,判断,決定を相手に言う」ということです。これは,普段のやりとりではここまでする必要がないのかもしれませんが,どうしても今はこの人の話をじっくり聞かないと,こちらの意見が言えないな,こちらが対応できないなというような場合とか,今,このままで進んでしまったら,ちょっと関係が悪くなりそうだな,あるいは仕事がうまくいきそうではないな,一緒に暮らせそうもなくなっちゃうなという,そういう少し危機的な状況,あるいはすごく重要な場面というんでしょうかね,そういうときにこのことが大事になると思うんです。
それは,確かめに確かめた後で自分の――確かめに確かめた後にというのは,それはどういうことかといいますと,今日の午後の協議会で私がちょっと御紹介することではあるんですが,自分が相手を理解した,あるいは判断したことを少し意識のわきに置くと。現象学の人たちはそれを括弧に入れるというふうに,そういう表現を使いますけれども,それをわきに置いて,さらに相手の気持ち,考えを確かめる,問いかけをしていくと。それをずっと続けていくことによって,現象学では相手の本質に近づいていくという考え方をするわけですね。それを分かりやすく言葉にしたのがこの「確かめに確かめた後で自分の考え,意見,判断,決定を言う」ということなんですね。午後の実習でエポケー*5という言葉を使ってまた御説明し,体験学習を皆さんにしていただこうと思っております。
確かめに確かめた後で意見を言う。その方がより分かった上で意見,判断,決定を言うことになりますから,かみ合うわけですね。すれ違わない。相手からも信用される。この人はじっくり自分を受けとめてくれる人なんだなと。その上で物を言ってくれる人だから,だから分かると。自分の考え,問題,実にポイントを突いたことを言ってくれるという,そういう信頼関係をつくるためにも重要なことになるわけです。
それから,最後,6番目ですけれども,それはこういうふうに私は表現しました。「助けになり元気づけてくれる人(キーパーソン)をうまく見つけてあげる」と。外国から日本に来た方に対してですね。このキーパーソン*6というのは,鍵となる人ですよね。だからその人にとって鍵となる人。ですから,例えば――だけれども,これは文化によって違うこともあるわけですね。
例えば,ちょっと一つ研究の例を御紹介しましょうかね。それは,イスラエルでやった調査なんですけれども,イスラエルというのは御存じのように世界中に何十年,何百年と暮らしてきたユダヤ人たちが集まってつくった自分たちの国ですよね。そこでは,実は同じユダヤ教と同じユダヤ人なんですけれども,みんな文化が違うんですよね。何百年何十年と,例えば,ある人たちは今のロシアで暮らしてきたわけです。ある人たちアメリカで暮らしてきた,ヨーロッパで暮らしてきた。そういう人たちが集まってつくった国家なものですから,実は多民族国家と同じなんですね。これは私がイスラエルでの比較文化的な研究の調査をしていて分かってきたんですけれども,非常に数が多いんですね。国内の比較文化的な,今申し上げましたような研究ですね。
この研究の中に,こういうものがあるんです。それは,イスラエルの中学校だったかな,小学校だったかで調査したんですが,子供たちにとってキーパーソンはだれだという調査なんですね。そうすると,旧ソ連から来た子供たちにとってのキーパーソンというのは学校の先生なんですね。アメリカからイスラエルに来た子供たちにとってキーパーソンはクラスメイトなんですね。それはなぜかというと,皆さんに説明する必要もないんですけれども,もう時間も大分過ぎましたので,ただ一言言いますと,旧ソ連というのは,共産主義国家で,思想的な伝達の中核というのは学校教育の中にあるんだろうと。教育の中にあると思うんですけれども,そのときに,メッセージを出す中心的な人がやはり教師であって,生徒もそれは無視ができないわけです。だけれども,一方アメリカでは,自由・平等の国だと言われていますけれども,同じ仲間同士の方が自分の相談役になるというか,励みになるというか,そういうつき合い,そういう関係があるわけですね。
日本に外国から来ていらっしゃる方々にとっても同じことが私は言えると思うんです。すべての人を調べたわけではないですけれども,どの文化から来たかによって,文化の中でのキーパーソンというのが誰かというのがあるわけですから,そういうことに合わせた対応というのが必要になると思うんです。
ちょっと理屈っぽい話になりましたが,1人でもこういう助けになり元気づけてくれる鍵となる人が外国から来た人のそばにいることだけで,大分心が安らぐし,自分の不安も少なくなるし,やり方も身につけるし,いろいろな対応ができると。いい人間関係がつくれると。そこでうまくやっていくために大事なことをいっぱい学べるという,そういうことになるんじゃないかなと思います。
時間をちょっと超過してしまいました。以上,六つの点を今のようにお話をしたわけです。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

*1 ストレート まっすぐなこと。一直線なこと。
*2 アクセント 相対的な高低や強弱の配置。音調。話し方の調子。語調。
*3 カルチャーアウェアネス 文化的気づき。文化的覚知法。
*4 カウンセリング 悩みや不安など心理的な問題について話し合い,解決のために専門的な援助・助言を与えること。
*5 エポケー 判断留保の意味。
*6 キーパーソン 重要人物。中心人物。


西尾ありがとうございました。
それでは,また,今の項目について御質問があるかと思いますが,3人のパネリストの方が終わりますまでちょっとお待ちいただければと思います。では,2番手でございますが,秋山先生,お願いできますか。

秋山実践女子大学の秋山と申します。
日本語支援コーディネータの方は去年ぐらいからですか,かかわらせていただいていまして,私自身は日本語自体は余りできないんじゃないかと逆に思っております。ただ言えることは,私の信念の中に,どれも一緒だと。結局その中にあるのは人間のつながりなので,現在のこういうふうな専門性というのは何なのかということをちょっとまず一つお話ししたいと思います。
経歴のところを見ていただいたら分かるように,訳が分からないと思うんです。私自身は何が専門なのかということが良く分からないかと思います。実は,これはこういうふうになってしまったのは,私自身が27歳のときから始まりまして,もともといろいろな経歴をずっとやってきたんですね。一番初めは,デビュー*1したのは高校のときの不登校から始まりまして,これは仕事ではありませんが,そういったことから始まりまして,学校に行かなくなり,そして裏で番長をやるような感じで,どっちかというと余り良くないですね。表の番長ではなくて裏の番長ですね。裏から引くという感じですね。それで,そのまま大学に入るんですが,体育でバレーボールをやっていたものですから行ったんですが,すぐやめました。周りからのレッテル*2は,「秋山はしょうがないやつだ」と。全然辛抱も足りないし,それから,親の育て方がかなり悪かったんだろうと。どうしようもないやつだと,そういうふうなことで言われてきたんですね。
しかし,私の頭の中にあったのは,何て住みづらい地域なんだろうか,何て社会ってこんなに変わってしまったんだろうかと。昔の歴史を見れば見るほど,信念のある人がいて,そして人を動かす心を持つ人がたくさんいるんですね。しかし,その当時からずっといろいろ見てみると,全く自分の心を揺るがされるだけであって,全く自分自身のやりたいことが見えてこないと。学校に行けば勉強しなさい。勉強しないやつはだめだとレッテルを張られるわけですね。これは同じだと思うんです,全部。例えば外国から日本に来た場合も,何でおまえは来たのか,何となく来ました,しょうがないやつだと。じゃあ何のためにここにいるのか,しょうがない,私が助けてあげようと,そういったような関係になる。その人に関して,多分その人はスポット*3も当たらず,無気力になって何でこんなところにいるのか,日本ってどうしようもない国だと思ってもしかしたら非行を起こすかもしれないし,犯罪を起こすかもしれないし,違う諸外国に行って日本の悪口を言うかもしれない。それは何になるか分からないですよ。かえってこういう場所が良くて日本にいるなんていう人もいるかもしれない。これは日本人であろうと,その地域の人であろうと,別の地域に住んでいる人だろうと,全くそれは変わらないところなんじゃないかと。
そういうことは少しずつ感じたんですけれども,実際,青少年の時代,青年の時代はやはり勉強をしなければいけない。日本の規範はどこか勉強しなければいけない,大学に行かなければいけないんですね。特に今は大分少なくなってきて,行かない子もたくさんいるんですけれども,ちょうど僕の時代というのは受験戦争真っただ中の時代であって,行かないとだめなんですね。しかも経済学部だったらどの学校に行かなければいけない,それに行かないともうだめなんですね。で,たまたまいい時代になりまして,経済がバブル*4のちょうど手前ぐらいでしょうかね,そういうことで活性化していって,誰でも欲しいと。猫でも欲しいという時代になって,たまたまそれは恩恵をもらったんですね。受ければすべて受かるというような時代に入ったんですが,そこにもちょっと疑問を感じたんですね。
すごく大学時代もマスプロダクション*5でして,こんな感じですね,授業は。今のこの講演会みたいな感じで,すべての授業が500人とか600人の授業で,何でこれが教育なんだろうかと思いながら一番前で聞いていたんですけれども,次第に3回,4回出るうち,足が違うところに向いていくという,学校に行かなくなってしまうということがありまして,そこからもんもんとするんですね。じゃあ,やはりまず自分自身が考えるためには地域に出なければいけない。そこが実践の始まりに私はなっているんですけれども。
じゃあ,何をやろうかと。まずはみんな働いている,経済の分で言えば働いているから働いてみようと。学校も行かなくなってしまいまして,何をやったかというと,運送会社に勤めたんですね。何で勤めたかというと,たまたまそのころはまだスポーツクラブ*6も高いですから,運動もできて,そしていろいろな人間関係がつくれれば一番最高だと思って行ったんですね。まさしくそこはすごく人間関係の宝庫でした。なぜならば,大きな運送会社でしたから,みんな人生経験豊かな方なんですね。いろいろ社長をしていたり,それから,本当にそういう意味でいうと,昔は経営のことばかり考えていたけれども,今は一運転手になって,地域のこととか,自分のこととか,人生のこととか,人間関係のこととかということをずっと考える人ばかりがたまたまいたんですね。必ず声をかけてくれるんですね。おまえ,何で学校に行かないんだと。今の世の中は学校に行かないとやはりだめなんだと。勉強は嫌いかもしれない。それから,人間関係は嫌いかもしれない。しかし,そこには大きな一つの夢がある。君にも夢があるだろうと。そのとき僕は余り夢がなかったんですね。いや,ないですと。ないはずはないと。それを分からなくしているのは自分だと。その辺にやはり気づかなければいけない。
今さっき渡辺先生がおっしゃったように,自己覚知というんですけれども,自分自身の気づきを増やしていくというのがすごくあって,いろいろなことで気づかせてくれるんですね。例えば,一生懸命働くとほめてくれる。おまえ,良くやるな,大したもんだと。そういう形で何も考えないで,本当に触れ合いの中で人間関係をつくらせてもらうことによって,自分自身が毎日変わっていくのが何となく分かるんですね。だから,次に行ったときには楽しくまた仕事をしようと。楽しく荷物を運ぼうと。それがどんどん重なっていって,また大きな人間関係になるんですね。あと,トラックドライバー*7の中では秋山はどうもよく働くと。おまえも横につけてみたらどうかというふうな形になるんですね。いつの間にかずらーっと僕を欲しいというメンバー*8はいっぱい増えまして,結局その中で仕事をしていくということがどんどんできるわけですね。
考えてみると,そこがものすごく僕の基本になっているというか,まず断らないで,何にしても専門――専門というのが狭くなったらやはりだめなんですね。今の時代というのは,専門性というのをものすごくうたっていて,それで必ずそういう意味で言うと資格を取らなければいけない。では,資格を取るとなるとどういう専門性かというと,いろいろな例えば研究者とかそういういろいろな業界の人たちが本当に知恵を絞って,こんな狭いミクロ*9なところを研究して,そこを問題にすると。それはだからみんな例えば受験勉強に慣れていますから,良くできるんですね。では,実際に出てみたらもっと広い中でいろいろな仕事をしていかなければいけないんですね。できないんですね。そのことは分かるんだけれども,実際に分からない。
もっとおもしろいのは,いろいろなコーディネータをやっているので,例えば携帯電話。某大きな会社の携帯電話の人とつながって,携帯を何とか地域の中で,例えばお年寄りの生死とか,それから人間関係に使うことができないかということで,何で俺のところに来たのかなと思うんですけれども,そういう話が来て,いろいろ話を聞いた。とんでもないですね,携帯電話の会社というのは。どういうことかというと,デザイン*10をつくっている人と液晶をつくっている人と中のいろいろなシステムをつくっている人が全く別問題。コーディネータがいないんですよ。社長がやっているわけではない。その中の中心の部長がやっているわけではない。もしもそれをみんなが何も考えないでつくったら,どういう携帯になりますか。まずは箱の中に部品入らないだろうねと。出てしまっているんですね,もしも本当にそのままつくってしまったら。それから,ボタンはどうなのと。もしかしたら押したら鳴らないかもしれないと。めちゃくちゃなんですね。いわゆるばらばらになっていて,しかも専門性で考えるから,私はこういう液晶じゃなきゃいけないとか,こういうボタンじゃなきゃいけないと思っている人がたくさんいるわけです。
そういうふうな流れの中で,全く人間関係ができていない。本当に今の言葉で言えばカオス*11の社会だと言われるように,混沌としてしまっていて,何が何だか分からない。経営も分からない,部品も何だか分からない,どうやって使えばいいのか分からない。全くもうめちゃくちゃになっている。本当にそういう意味でいうとばらばらになってしまっているというのが現状。どれを見てみても,専門性になればなるほどばらばらになってしまっているということに気づいたんですね。
それは本当にもう20代のときにそう思って,それで大学院にたまたまいろいろやっていると,やはりまだいろいろと自分自身がコーディネータになるためには学歴を積まなければいけない時代なんですね。しょうがないですね。だから勉強しなければいけないかなと。するしかないと思って大学院に行くんですね。行ってみると,ものすごくドライブ*12感がないんですね。なぜかというと,余りにも狭い専門性で,僕の行ったところがもっと悪い学科でして,社会学なんですね。言葉の遊びなんですね。本当に難しい言葉をつくっていって,言葉の遊びをしているんですね。論文を書きますと,易しく書くと,先生から秋山全然勉強していないなと言われるんですね。それで,しょうがないなと思って難しい言葉で書いていくと,最近勉強しているじゃないかと言うんですね。全然変わっていないんですね。変わってないのに何なんだろうかと。これはおかしいじゃないかと思ったわけですね。
それで,自動車教習所のように大学院を行きまして,黙ってほかの仕事にいろいろ就いたわけなんですね。何に就いたかというと,どうもやはり自分自身のバックボーン*13とか,自分自身が何がやりたいのかとか,自分自身が地域の中に住んでいて,自分がどういうふうに生きていきたいのか,そこをやはり知らなければいけない。ある意味でいうと,自分自身に戻っていくということですね。これは日本語支援コーディネータの講座を見ますと,結構病んでいる方が多い。そう思います。結構メールで相談したり,後になっていろいろと何回か交流した方はいますけれども,すごく心が病んでいるなと。実際的に,本当は日本語支援コーディネータになりたいのではなくて,日本語支援コーディネータにすがって,何か自分自身見てもらいたいんじゃないかと。何か神棚の上が日本語支援コーディネータで,ここでこうやってお祈りしているんじゃないかというような人がすごく多いんですね。
それを見てみて,果たしてこのコーディネータというのがうまく行くんだろうかと。自分をコーディネートされたいからいるんじゃないかなというような姿がものすごく見える。そういう人に限って「日本語とは」とかと言って,その専門性をものすごく強調されるんですね。それをもしも強調したとして,みんなが寄っていくだろうか。「日本語というのはですね」と僕がここで言ったとしたら,みんな多分引いていくと思うんです。やはりその中に出てくるのは,そういった中での自分の人柄とか,何となく次に話してみたいなという多分人間関係だと思うんです。そこに大きなポイントがあるんじゃないかと。コーディネータというのは,その後の技術というのは二の次ではないかなと思うんです。いろいろとやっていくうちに,これも勉強しなければいけない,あれも勉強しなければいけない,そうか,じゃあ私もそれを勉強してみるねって,同じ立場でかかわっていくということがすごく重要なんですね。
専門家になると,一番いけないのは,自分自身がちょっと上の立場になってしまうということなんですね。私自身も教員になってやはり考えなければいけないのは,こういうところで話さなければいけない機会がすごく多いわけですね。そのときに,やはり自分が上の立場になっているということにすごく気をつけているというのは,今の現状でもそうなんですね。なるべく自分自身は外に出ていって,同じ立場でいろいろと考えていきたい。そこからじゃないと何も出てこないんですね。そこに大きなポイントがあるんじゃないかと。だから,コーディネータという名前,すごく重要だと思うんです。そのポジション*14がないと,やはりみんなは分かってくれないし,周りの人を引きつけるということは難しいと思うんです。
ただし,もっと考えなければいけないのは,自分自身のいろいろな人生経験とか経験とかを踏まえて,どういうふうにしてその人と接触していくのかということがすごく重要になっていると思うんです。だから,外国人とか日本人とかということを抜きにして,どういうふうに楽しくにこにこと,余りむつっとした顔の人とは話したくないですよね,多分。むつっとして「そうですね,おもしろいですよね」って言われても,全然おもしろくないと思うんです。やはりその中には笑顔があって,やはり外国に行ってもそうですね。英語がしゃべれなくても,笑顔で,例えばハワイなんか行くと,よくセレモニー*15があって踊りをすると,必ずそこに入っていて,もうめちゃめちゃ踊っていくと,「オー,ビューティフル」とか「グレイト」とか必ず言われて,そこから先何か話が続いていくというか,緊張感なく,こっちも緊張感なく,相手も緊張感なく接触していけるということがあると思うんです。そこからだと思うんです。
あとはその場,その場に応じてコーディネータというのは変わっていくんです。変わっていかないとうそですね。だから,今日の自分は昨日の自分とは,僕の信念としては違っているんですね。多分明日の自分も,今日今ここにいる自分とは違っている。やはりそれがないと相手に通じるものがないですし,いろいろなところにいろいろな話をしに,コネクト*16するためにいろいろ話をしに行くんですけれども,こちらもおみやげを渡さなければいけない。だけれども,あちらからもおみやげをいただく。これは単に契約するだけがおみやげだけではない。例えば笑顔をいただく,いい話をいただく。やはりいただくという気持ち,何か日本語の一番中心になっている,ポイントになっているんじゃないかと。大分最近はいただくとか向かわせていただくとか,いただくというのがすごくなくなっているような気がするんですね。その辺の部分は,やはりもう1度元にもどって考えていく必要があるんじゃないかと。
だから,まずコーディネータとして考えなければいけないのは,いろいろなところをつなぐということばかり頭に入れるのではなくて,まず自分自身がどういうふうにしたいのか,これで食べていきたいのか,いろいろあると思うんです。これで食べていきたいのか,これを趣旨としてやっていきたいのか。それから,これをもとにしながら,自分自身の気づきを増やしていきたいのか。まだほかにもたくさんあると思うんですけれども,そういったもののどれを自分はセレクト*17するのか,選択するのかということがまずあると思うんです。私は,例えばこの実践女子大学というのは食うためにあるんです,これは。しょうがないんです。だって,これがなかったらかこうするしかないです。すみませんといってこうやってやっていくしかないんですね。やはり食べていくためにあるものなんですね。
ただし,一つだけの目的ではつまらないので,やはり先生になろうと思ったきっかけになるのは,コーディネータになるためには,やはり現代の中ではまだまだそういう肩書というのが必要だと。本当は肩書がなくて話せる世の中が一番いいんですけれども,やはりまだまだ,後何十年続くんでしょうか,ちょっと僕はそれはよく分かりませんが,肩書というのがすごく重要になってくる。しょうがないから肩書を持っているだけなんですね。ですから,専門はと言われると一番つらいんですね。この業界ですと専門はこれですと言わないといけない職場なんですね,大学の先生というのは。必ずつくらなければいけない。僕は逆にいうと,専門は書いてありますけれども,専門というのはどっちかというといろいろなものをつないでいく,どっちかというとコーディネータなんですけれどもと。そう言われると,大体同じ関係者ですとふーんと言われてしまうんですね。研究してないわけねという,そういう関係になってしまうんですね。
だけれども,それはそれで僕はいいんじゃないかと。やはりそのすき間を埋めていく仕事をさせていただいている。そこが一番大きいことですから,毎日楽しく,明るく,いろいろな意見を聞きながら,今日も多分これだけいらっしゃっていますから,いろいろなことを聞きながら,何か一緒にやってみましょうよと言えるスタンス*18であるということが本当のコーディネータなんじゃなんいかなと。 時間が来てしまいましたので,この辺にさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

*1 デビュー 初登場。
*2 レッテル 人や物事に与えられる評価。
*3 スポット (スポットライト)特に明るく照らす照明のこと。
*4 バブル 泡沫的な投機現象のこと。
*5 マスプロダクション 大量生産。量産。
*6 スポーツクラブ 企業や住民のスポーツ同好の者が集まってつくる組織。
*7 トラックドライバー トラックの運転手。
*8 メンバー 会員。
*9 ミクロ 非常に小さいこと。微視的であること。
*10 デザイン 作ろうとするものの形態について構想すること。図案。
*11 カオス 混沌。混乱。
*12 ドライブ 運転。
*13 バックボーン 人の生き方・信条などを貫いているもの。
*14 ポジション 位置。職務上の地位。
*15 セレモニー 儀式。式典。
*16 コネクト つなぐこと。
*17 セレクト より分けすること。選別。
*18 スタンス 姿勢。態度。構え。


西尾ありがとうございました。
まだまだ何か続けてお話を伺っていたいような感じですけれども,申しわけありません時間が大分……。では,中さん,お願いいたします。

中ユッカの会の中でございます。
今,秋山先生のお話を伺って,肩書というお話がありましたけれども,私の履歴には何も肩書がありません。本当にちょっと気が楽になりました。本当に地域の中で地域の方々と私たちの活動をどういうふうに結びつけていったらいいか,そのあたりのことを地域の方にもう少し知ってほしい。そういうことを,本当に当たり前のことを,ああそんなことということしかお話しできませんけれども,ユッカの会で続けてきたことをお伝えしたいと思います。
まず,私どもユッカの会の設立経緯についてお話ししたいと思いますけれども,一般に日本語教室というのは,日本語のボランティア要請を受けて,それがきっかけでどこかの地域に新しくできる,そういう日本語教室というのは多いと思うんですけれども,私たちの場合には,日常会話が上手になったんですけれども,元気がなくなって学校に行かなくなってしまったり,そういう中国帰国者の子供たち,その帰国者の方たちを支援していた自立指導員の方たちが本当に元気がなくなってきた子供たちを目の当たりにして,その子供たちの補習教室を始めました。そこから今度はお母さんたちがああ日本語も勉強したい,そういうお母さんたちの要望にこたえて1991年ころ日本語教室ができました。そして,パソコン,進路相談,生活相談など,会に参加する方たちに押されて,本当に手探りで,できるであろうと思う活動をそれぞれのボランティアが続けてまいりました。現在では,行政とか専門家の方々,学校,県内の日本語教室の方々と連携をとって,約200名のボランティアの方が1対1で学習活動を続けています。そして,この1対1の学習の活動では,マイナス面もたくさんあります。そういうものを補うという意味で交流活動も頻繁に行っています。
今日,これから地域という言葉をたびたび使いますけれども,私がイメージしている地域というのは,歩いて行ける中学校区,そのくらいの生活区域,そういうものをイメージして地域と使わせていただきます。それで,その地域の問題に入る前に,私たち日本語教師が抱えているたくさんの課題の中から,四つほど気になる課題だけをお話しさせていただきたいと思います。
一つ目の課題は,私が住んでおります横浜市には,約60近い日本語教室があります。そして,その教室はほとんどが1週間に1時間から2時間教室活動を行います。ところが,学習者の中には1週間に2回,3回と集中的に勉強したいという方もいらっしゃいます。そういう方たちがこの教室をはしごするという現象が起きています。私は,昨日,渡辺先生もお話しになったんですけれども,言葉を人権の問題としてとらえたい。やはり,公的機関かあるいはNPO*1によって,短期集中方の日本語教室があったらいいなと思っています。
二つ目は,年少者への教科補習の問題です。私たちは1985年ぐらいから,先ほどお話ししました子供たちへの教科補習を行っていますけれども,横浜市の場合には,1年間の日本語指導はあります。その日本語指導は,いわゆる生活言語です。それで1年でほとんどが終わってしまいます。そうしますと,本当に子供たちがよく言うんですけれども,日本語,日本語って日本語ばかりしていたので,中国では本当は数学が大好きだったんだけれども,さっぱり数学が分からなくなって嫌いになってしまった,そういう子供の声をよく耳にしますので,本当に学習言語と生活言語,これの手渡しをどうするかということは,早急に考えたいなと思っています。それから,地域には多くの方が生活しています。神奈川県の場合には154か国,約38言語ぐらいの方々がいらっしゃるわけですけれども,そして,いろいろなところの施策として多言語情報もたくさん出されていますけれども,やはり生活に必要な情報をどう手渡すか,これも大きな課題だと思っています。そこで,後からもお話ししますけれども,優しい日本語による情報提供の試みも始めています。
もう一つ,4番目なんですけれども,先ほどから子供のお話をしていますけれども,神奈川県には住まいサポートセンター*2とかMICかながわ*3,いろいろな外国人のための相談窓口とか通訳のボランティアの制度,本当に充実してきていると思いますけれども,まだ子供についての教育相談の窓口がありません。このあたりも早急に解決したい課題だと思っています。 ここまでは広い意味での課題だったんですけれども,これから私たちが住んでいる本当に地域の中でのいろいろな私の取組をお話しさせていただきたいと思います。
例えば,横浜市では6万人の外国籍の人々が生活しています。でも,依然として市民も行政も外国籍の人たちが抱える様々な問題というときに,外国籍の人々の枠をなかなか外せないんですね。それで,もちろん日本人でないから言葉とかいろいろな意味で外国籍の方々特有の問題もあるわけなんですけれども,実際には多くの外国籍の人々が普通に地域に暮らしていて,彼らが持っているいろいろな問題というのは,日本語教室でも皆さんもいつも感じていらっしゃると思うんですけれども,子育てについての悩みとか夫の暴力の問題とか,このような外国籍市民特有な問題として簡単に割り切れないことが私たちの周りにはたくさんあると思います。また,先ほどからお話ししている私たちユッカの会では,子供たちの補習教室をしています。そこで参加する子供たち,逆に外国籍ではなくて日本人の子供がかなり参加するようになりました。
ですから,役所の国際化や国際交流協会といった枠の中だけでなく,地域振興課とか地区の社会福祉協議会,あるいは民生委員,児童委員,そして,今日大勢参加していらっしゃる日本語教室の本当の地域の一員として,そういういろいろなところに,関係機関と連携するようにしていくと,いろいろな課題が解決しやすいのではないかと思っています。
それと,行政だけでそういうことを考えるのではなくて,私たちが住んでいる本当にお隣の方,そういう地域に住んでいる方々の意識の変化を促すような働きかけもとっても大切だと思っています。私の家にはよく中国やフィリピンの方が遊びに見えます。そうすると,これ,本当にあるんですけれども,「ねえ,怖くない」って聞かれます。そういう方たちに本当に丁寧に自分が活動していることをお伝えしたり,いろいろなところにお誘いしたりすると,いつの間にかその方も理解してくださって,一緒にいろいろなイベントを手伝ったくださったりというように変わってきます。でも,やはり私が住んでいる周りにはいまだに外国人と聞くだけで構えてしまったり,特別な目で見る方が非常に多いと思います。
ちょっとした機会を見て一緒に出会う場,例えば,今日は餃子をつくるんだけれども,一緒につくってみないとか,本当にちょっとしたことなんですけれども,楽しそうだと思ってもらえそうな異文化体験とか,そういうものにお誘いする。そういうことの繰り返しで少しずつ皆さんが安心を持ってきてくださっているように思います。自分がどんなボランティア活動をしているか,私が毎日忙しくて,何となくでも楽しそう,そんなことが周りの人たちの興味を抱く原因になっているようにも思っています。とにかく聞かれたら面倒くさがらずにお話しすること,その積み重ねがとても大切なように感じています。
私は民生委員,児童委員をしております。そこでも優しい日本語の情報をお配りしたり,それから,近くで行われるいろいろなイベントを紹介したり,委員の皆さんの方の表情を見ながら,何というのか,ばっと出すのではなくて,相手の様子を見ながら情報を小出しにしていく,そんなことをして過ごしています。そして,その人たちへ少しずつ理解をしていただきたいなと思っています。
そういうことをやってきたんですけれども,昨年私たちの地区の民児協*4なんですけれども,子育て支援について,外国籍の方たちのことを少し視野に入れた活動をしてきました。そうしましたら,県レベルの会議でも事例発表をしてくださいと言われまして,何というか,ほんの細い糸なんですけれども,いろいろなところに少しずつ外国籍の方々が自分たちの周り,本当にお隣に住んでいるんですよということが伝えられていけているのではないかなと思っています。
もう一つ,私が地域の中で一番頼りにしている方々が,本当にこれも当たり前のことなんですけれども,20年近く住んでいる中で,学校の子供たちを通して知り合いになった小学校や中学校のときのお母様たちです。あるいは,スポーツクラブで一緒に全然違う活動をしていた人たちです。こういう方たちと連携ができたときに,私たちの活動はすごくやりやすくなると思います。
ここで,今私個人的なお話をしましたけれども,もう1回自分が住んでいる地域を見回したときに,各地域によって地域の施設の呼び方は違うと思いますが,例えば私が住んでいるところでは,地域ケアプラザ,地区センター,自治会館など,小さな拠点となるような場所がたくさんあります。そして,民生委員,児童委員,それから福祉保健センターの保健師さん,社会福祉協議会の方々,そういう方は外国籍の方たち,あるいは地域住民の方の顔が見える関係をつくるポテンシャル*5を備えているように思われます。例えば,民生委員,児童委員は,地域の中の250人ぐらいから300人ぐらいの担当をしていますから,たくさんの情報を持っています。そして,そのたくさんの情報を持っていると同時に,いろいろな相談機関へのつなぎ役を果たす。そしてそのたくさんの情報を提供する人にもなり得ると思います。また,福祉保健センターの保健師さんですけれども,子育て教室,予防接種,生活相談など,本当に多方面で地域の中でかかわっていますので,この方たちも私たちの活動にとても強い味方になると思います。
そして,私たち,本当に外国籍の方々と親しくしている日本語教室のメンバーは,ちょっと背中を押したり一緒に手をつないだりして,外国籍の人々が地域に入るきっかけづくりができるのではないかと思っています。そのきっかけさえつかめれば,地域の中にはお互いを支え合うことができる様々な人材が存在すると思います。ただ,誰かがつながないと,そのきっかけがなかなかつかめない。以外にそのきっかけをつかむことが難しいのではないかと感じています。これは外国籍の方だけでなく,育児に悩む日本人のお母さん,お年を召された方々も同様ではないかと思っています。
このように地域の中でのかかわりとは別に,もう一つ横浜市の中で本当に年月を積み上げてと申しますか,1992年に横浜市国際交流協会が行ったボランティア研修会,そこでの出会いからもう10年ちょっとたったんですけれども,いろいろな場面で顔を合わせた人たち,そういう人たちがネットワーク*6を組んでいろいろな活動を始めています。日本人同士でも,いろいろ連携するのにはかなりの時間が必要かなと思っています。ネットワークをつくろうと集ったのではなくて,活動の中で必要な出会いがあって,出会いの繰り返しの中からいろいろな連携が生まれてきていると思います。
一つは,横浜市国際交流協会と市民との共同企画で3年ほど前,2年間で「ニューカマー*7の子供が生き生きと暮らすために」という研修講座を行いました。その講座が終わってからも,ただ講座をやって報告書を作って終わりにしたくないということで,去年はニューカマーの子供たちに,来日間もない子供たちへの学習支援ということで,皆さんで勉強会をいたしました。それから,高校進学についても正しい情報を知ろうということで,やはり勉強会をいたしました。
それからもう一つ新しい試みとしては,横浜市のやはり国際交流協会との共同なんですけれども,日本語の上手になった方たちのボランティア育成講座というのをしています。これもここに参加した人たちがまた地域に戻ってきて,日本語が不自由な人たちへの橋渡し役,相談窓口への橋渡し役となっています。
こういう中で,外国籍の方々は学校のPTA*8の役員,国際教室での講師とか高齢者施設でのボランティアとか,地域の中に私たちと一緒に,本当に最初はお手伝い的なところから始まったんですけれども,今は企画・運営までできるような方たちが随分増えてきています。母語教室もこれから始めたいなんていう話も出てきています。これも本当に外国籍市民の方たちが本当に自主的に動いてきている。それが本当に今私は地域の中で少しずつですけれども,新しい動きが出てきたなと手ごたえを感じています。
どうもありがとうございました。(拍手)

*1 NPO
(non-profit organization)
非営利活動法人。政府や私企業とは独立した存在として、市民・民間の支援のもとで社会的な公益活動を行う組織・団体。
*2 住まいサポートセンター かながわ外国人住まいサポートセンター。
*3 MICかながわ 「特定非営利活動法人多言語社会リソースかながわ」の略称。
*4 民児協 民生委員・児童委員の組織。全国のすべての地域に設置。
*5 ポテンシャル 可能性として持っている能力。潜在的な力。
*6 ネットワーク 対等な立場で自立性を保ちながら,ゆるやかに結合し,情報などを相互に交換する組織編成の在り方。
*7 ニューカマー 新来外国人。
*8 PTA
(pearent teacher association)
父母教師会。


西尾大変幅広い御活動の中で,示唆に富むいろいろなお言葉がありました。恐らく中さんのところでは,横浜市では,もう外国人とかそういうふうに分けて言わないで,同じ地域の住民としてのとらえ方というのが進んでいっているように思います。
それでは,御質問をと思いましたけれども,ちょっと時間が押してしまいましたので,早速,ひとつこちらで準備させていただきました地域の事例をもう二つ御紹介させていただきたいと思いますが,まず長野県の場合を春原さんにお願いいたします。

春原こんにちは。長野県の春原でございます。長野県の様子を簡単に御説明いたします。
まず,前置き的にお話しいたしますが,長野県内には約4万ちょっとの外国籍の方が在住しております。県民50人に1人という割合になっております。その半数の方がブラジル国籍の方です。また,県内には120の市町村がございますが,その市町村の中に外国籍の方が1人も住んでいないという市町村はありません。
長野県内には現在ブラジル人学校と言われるポルトガル語による授業を行っています学校が8校,それから,朝鮮初・中級学校という朝鮮語による教育が行われているのが1校ございます。
主に今申し上げたブラジル人学校の児童・生徒,この就学援助をしようということで,県の国際課が音頭をとったわけなんですが,民間団体,ボランティア団体,経営者団体等々の寄せ集めの就学援助委員会という委員会を昨年つくりまして,募金活動によって得た資金でこの子供たちに学校の就学援助をしております。こういうリーフレット*1をつくって県民の皆さんに訴え,(土)(日),私どもも先頭に立って街頭募金等をやったりしまして募金活動,皆さんの協力をいただいております。昨年,960万のお金が集まりまして,今年の4月から28名の子供たちが就学援助金を受けられるようになっております。そのうちの12名が日本の学校,ブラジルの学校,どちらの学校ということでもなく,学校に行っていない子供たちに手当てができたという成果が上がっております。
それから,一部,私の方でメールで配信いたしましたが,先月24日,長野県の教育委員会は来春の高校入試制度の改革の中に,外国籍生徒の入試特別枠ですね,これを設置いたしました。
次に,一般県民,それから地域住民との連携とか協力体制ということでお話します。
長野県内には,外国籍の方がたくさん住んでいることを先ほど申し上げましたが,少しでも住みやすく,それからいろいろな行政等の情報等,サービス*2等が円滑に受けられるように,次のような制度を設けております。地域共生コミュニケータという制度なんですが,平たく言いますと,外国籍県民と行政とのパイプ*3役になっていただく方々を登録していただく制度です。これは英語以外の言語,二つ以上の言語をお使いになれる方々に登録していただいております。言ってみればおせっかいなおじさんやおせっかいなおばさんの登録制度――と言ったら怒られてしまうかしら。若い方もいらっしゃいます。現在16の言語で143名の方が登録されております。
それからもう一つ,コミュニケーションアシスタント*4という制度がございますが,これは有料の通訳制度ということで登録いただいております。これも英語以外で17言語,114名の方が現在登録しておりまして,県の機関,保健所ですとか教育事務所ですとか地方事務所等々で,外国籍の方が円滑なサービス,相談ができるようにというもので,1時間1,000円の通訳に対して報酬が出ます。これはお願いをする県の機関の方が負担するようになっています。
この二つの制度がございますが,再三申し上げているように,外国籍の方が日本人県民と同じようにサービスを円滑に受けられることを目的としていますが,この制度ができたときに,私ども指摘したわけなんですが,緊急のときにどうするんだと。それから,ボランティアの皆さんがお仕事をお持ちなので,予約しておかなければいけない。ですから,緊急のときに間に合わないという恐れがありますね。それから,役所が昼間開いている間,通訳の方々はお仕事をお持ちなので,その辺をどうするかということが問題になっておりましたが,やはり稼働率が低いのが実情です。今年,とにかくこれを何とかして稼働率を高めて,外国籍の方々の役に立てたい,そういうふうに考えておりますが,なかなかうまく回らないというのが状況で,一部の地域の皆さんたちは,私たちをもっと生かせということで,自分で営業活動を初めて,役所へ行って使え,学校へ行って通訳させろというふうに言っているところもございます。それで,そんなことが全県波のように波及して,これがもっと活性化すればありがたいと思っています。
それから,市町村の窓口,120の市町村があると申し上げましたが,市町村によっては国際交流協会等,市町村の外郭ということでお持ちのところもございますが,単独の市町村で地域の実情に合った支援活動をしておりますが,中で13ぐらいの市町村だと思いますが,実はこれ,緊急雇用のお金を使ったりしているので,7月31日までいたんだけれども,8月1日,お金が切れてしまっていないとか,そういうのもございまして,ちょっと把握がうまくできていませんが,13の市町村で英語以外の言語による相談体制,窓口に相談できる人を置く,非常勤といいますか,臨時職員で置いているところが多いんですが,ございます。人数とか言語についてはばらばらなんですが,13の市町村ということで聞いております。学校に通訳で行ったりとか,市役所,町役場の窓口で相談等に応じている。場合によっては入管に一緒に行ったりとか,そんなこともしているようです。
まだまだ少なくて,今後,これは期待されるんですが,どうしても市町村の場合は目で見える交流活動,交流イベント等が多く開催されて,それはそれで結構なんですが,もうちょっと地道な住民サービスという,そういうことが必要かなと思っております。
再び県の制度に戻りますが,私ども県の国際交流推進協会には,これは県の委託事業なんですが,外国籍の皆さん,9名が私ども協会の中に2名,あと現地機関,地方事務所に7名,五つの言語に対応できる人たちを暮らしのサポーター*5ということで採用しております。県によっては巡回相談員というような形をとっておりますが,私どもはその場所にいて,そこへ電話する,そこへ行けば会えるようになっております。まだまだ言語に対応できる人が欲しいんですが,とりあえず地域性,例えば県の東側ですとタイの人が多い,南側ですとブラジルの人が多い,そういう必要な言語をまず採用しております。
ほかにいろいろな取り組みをしておりますが,これだけはキーワード*6として申し上げておきますが,文化庁さんの方の委託を受けました親と子の日本語教室,今年2年度目,決定をいただきまして,開始しております。これに輪をかけて私どもの社長が新しいことが好きということもございまして,長野県でもやれと,そういうことがありまして,親と子の日本語教室が文化庁の費用で三つ,それから長野県の県費で四ないし五つ県内で開催いたします。
それから,それに合わせた形になりますが,日本語学習リソースセンターを県内7カ所で開催すべく,今それぞれの地区でお願いして開設できる場所を模索しております。これも重要なことだと思うんですが,今までですと県とか協会の方でお金を用意して,中身を買ってさあ使え,使えないものを用意するというケースが多いので,これはしばらく辛抱しながら,現地の皆さんが使いやすい場所,使いたいもの,これをじっくり考えていただいて開設したいと今頑張っております。
それから,これは希望的な来年度のお話で,何かが笑うそうですが,進路ガイダンス*7というものを開催したいと思っています。これは教育委員会が本来やるべきことだと思っていますが,さっきのおせっかいな男がここにもおりますので,自分の本来の業務以外のことに首を突っ込むことになるかと思います。長野県の場合は,外国籍の皆さんへの支援活動が非常におくれておりまして,ほかの県の皆さんの様子を見て,いいところをいただいて施策化しております。そんなことで,御協力ありがとうございます。
私,実は4月1日に民間から県の外郭団体,国際交流推進協会というところの常務理事兼事務局長というポスト*8をいただいて入りました。今まで地域でボランティアとしてやっていたことが仕事としてできるわけなんですが,今までどおりおせっかいなおじさんとして,コーディネータ役ですね,そんなことで全県を飛び回りたいと思っています。また皆さんの県にもいろいろ教えていただくために参上いたしますので,ひとつよろしくお願いいたします。
簡単ですが,長野県の取り組みでございました。(拍手)

*1 リーフレット 宣伝や案内などのための印刷物。
*2 サービス 相手のために気を配って尽くすこと。
*3 パイプ 2者の間の橋渡しをするもの。
*4 コミュニケーションアシスタント 意思・感情・思考を言語・文字などを使って伝達することを補助する役割の人。
*5 サポーター 支持者。支えとなるもの。
*6 キーワード 問題解決の手がかりとなる語。
*7 進路ガイダンス 進路指導。進路の選択・決定のために助力・指導すること。
*8 ポスト 地位。役職。


西尾ありがとうございます。
民間で地域で活動していた方が,そのまま県の国際交流協会の常務理事になられたと。自らが大変そこでいろいろなことを物語ってくださったような気がします。
では,武蔵野市の杉澤経子さん,お願いいたします。

杉澤武蔵野市国際交流協会の杉澤と申します。
実は,武蔵野市で外国人相談の事業を行っておりますが,これが東京都内にリレー相談会という形で昨年度から広がり始めました。今年2年目になるんですけれども,先ほどおっしゃっておられましたけれども,弁護士や精神科医,そして通訳ボランティアの方たちとの共同での事業ということで,都内全域をリレーをして回るという相談会を開催しています。昨年度は9か所だったんですが,今年は12か所に広がりました。
これ,やってみて,なぜこの話をしたかというと,弁護士や精神科医という方と市民ボランティア,通訳の方が共同で一緒に一つの事業をやるわけです。やってみて非常におもしろいなと思ったのが,一つの外国人の相談者に対して,弁護士は全く違うアドバイスをする。その案件に対して,精神科医はまた違う,別の切り口でアドバイスするということが分かったんですね。これは恐らく弁護士の先生や精神科医の方が同じ席に着いて話し合うということが今までなかったおもしろさなんだと思うんですが,同じ1人の人の相談に対して,専門が違うことによってこんなにもアドバイスが違うのかということを改めて今実感させられているところです。
そして,通常,行政の方にも外国人相談というのがございます。一般の外国の方たちは行政の方にも相談に行くわけですけれども,弁護士会の方でも法律相談の窓口を持っています。そういうところを渡り歩いてきたある中国の留学生が私どもの相談会にやってきました。この案件は,法律的にも全く解決できない案件でした。弁護士は今までその留学生が受けてきただろうと思われるアドバイスと全く同じアドバイスを受けたわけです。で,そうかと思って帰ったわけですが,そのときに通訳ボランティアの方がエレベーター*1のところまでついていきました。そして,最後にその留学生がその通訳ボランティアの方に一言こう言ったそうです。「私は今まで5年間日本に暮らして日本語もできます。でも,初めて今日いい日本人に会いました」というふうにコメントをして帰ったそうです。問題の解決は全くできなかったんですけれども,彼は大学もやめてしまっていたんですけれども,大変なつらい思いをしながら相談の窓口を渡り歩いていたんだと思いますが,その通訳の方のボランティアの方にめぐり会ったことによって,その中でここに来てよかったなというふうに思ってくれたのではないかというふうに思った次第です。
この相談会なんですけれども,実はこの外国人のための専門家と通訳ボランティアの方がタイアップ*2しての相談会の事業が始まったきっかけが,実は地域の日本語の学習の現場からでした。私ども武蔵野市では,日本語の学習の事業というのが二つの形を組み合わせて行っております。一つは,教室授業で週1回通ってくるわけです。学習者が一つの場所で一緒に学習をします。そこの場所に来ている学習者にマン・ツー・マンで日本語交流員というボランティアの方についていただいて,教室以外に週1回交流の活動をしていただいています。この二つを組み合わせて一つのコースにしているわけですけれども,お手元に資料があると思うんですが,後でこちらの図を見ていただければ分かっていただけると思うんですが,この二つの活動を組み合わせて一つのコースになっています。
90年からこの活動は始まっているんですが,本当に当初のころでした。台湾から来た留学生の配偶者として来日した女性,台湾から来た女性が,私どもの日本語教室にまいりました。留学生は東京大学の大学院生で,ほとんど毎日,朝から夜遅くまで御自宅にいらっしゃらない。配偶者の方は全く日本語がゼロということで,日本語の教室に来たわけです。私ども,この日本語が全くできない方の場合には,媒介言語のできる方をなるべくマッチング*3するようにしているんですが,中国語のできる方にその方の面倒をお願いすることにいたしました。それで交流活動を進めていくんですが,マンツーマンでやる場合,ほとんど自宅を使ったりするわけです。御自宅に行ったり,または御自宅に呼んだりという形で交流をしていきますと,大体4,5回ぐらい日本語の学習活動をやってくると,学習者が自分のことを語り始めるわけです。媒介言語がありますから,自分のことを語り始めてきた。しばらくすると,その学習者の様子が変だということに日本語の交流員の方が気づいたんです。それで私どもの方に「どうも様子が変なんです」ということで相談に来ました。当初は私たちも異文化の方たちの心の問題ということに余り理解がなかったものですから,とりあえず内科のお医者さんに行ったりということをしたんですけれども,内科のお医者さんに言っても「風邪でも引いたんでしょう」ということだったわけです。それで,結局その方は精神障害を引き起こしていたんですね。結局は帰国をしなければならなかったということがありました。
この一つの事柄から,地域の日本語の現場には,日本語学習ということで参加してくる人たちがたくさんいるんですが,継続した活動の中で,実は異文化の人たちが日本で暮らす中で抱える様々な問題が見える場所なのではないかということに気づかされたわけです。私どものところでは様々な事業が行われております。ほとんどすべてといっていいほどこの日本語の学習の現場から事業が起こってきているわけです。これは実際に活動している日本語交流員の方たちの発見や気づきの中から事業が起こっているわけで,ある意味では人や事業や情報をネットワークという形で考えていけば,日本語教育の現場の中にはネットワーク構築の宝が,種が埋め込まれているというふうに感じています。
なんですけれども,地域日本語の活動の中に幾つかやはり課題があるなというふうに感じるのは,学習支援している方たちは一生懸命活動されているんですけれども,一般の市民の方たちは,地域に暮らす外国人の姿が見えていないということなんだと思います。先ほど,一般の市民にどう理解を広げていかれるのかということが今日テーマとして上げられていましたけれども,こういう活動の現場の中に埋め込まれている宝物を,どう地域の中に見えるようにしていけるのかというところがとても大切なポイントなんじゃないかなというふうに思うんですが。
それから,もう一つは,学習者が抱えている問題を学習支援者の方が認識はするんですけれども,その問題解決の方法が余り模索されていないというか,解決方法が模索されていないというようなことが課題としてあるのではないかと思います。二つ,三つ課題はあると思うんですが,一般市民方たちにどう理解を広げていけるのかということに関していえば,私たちが持っている宝物をどういうふうに地域に広げていけるかという意味で,一つの方策はやはりネットワークをどう構築していけるのかということなんだと思います。
このネットワークの構築なんですけれども,一言でネットワークと言うと簡単なんですが,私は三つのポイントがあると思います。ネットワークを広げる上での最大の基点というのはやはり人で,人のネットワークが築かれない限りは,何もことが始まらないというふうに思います。人のネットワークの中から情報が流れ,人の言葉,そして説明などを通じて情報が生きたものになり,役に立つ情報になっていく。そしてそういう人や情報のつながりの中からともに働く,共同での事業が起こってくるというふうに考えられます。この共同での事業というのは,先ほど申し上げました弁護士や精神科医,そして通訳ができるボランティアの方たちが,ともに一つの場でそれぞれの役割を担い合って活動していくという意味での共同での事業ということです。
そこで考えられることが,学習支援者の方に役割というのが恐らくあるんだろうと思うんですけれども,学習支援者の方の役割としては,やはり地域へのネットワーカー*4というふうに考えられるかなと思うんですが,これはやはり人と人をどうつなぎ合っていけるのかというところの役割ということなんだろうと。先ほども1対1での活動の中で,楽しいという感覚が普通の会話の中で,御自分の家族の人たちに語られていくということが――家族の人は活動しているわけではないんですが,お母さん楽しそうだねといって,そのお母さんがお相手をしていらっしゃる学習者とお友達になっていったり,興味・関心がなくても,身近な人たちの中の生きた言葉によってその理解というのはものすごく広がっていくということもあると思います。地域の中で外国人の方に地域参画として外国人の方の企画の事業を起こしていくというのも一つの方法だと思うんですけれども,支援者の1人1人の言葉によって地域の人たちに理解を広げていくという意味合いで地域へのネットワーカーと言えるのだと思います。
ここで語られている日本語コーディネータなんですけれども,これは先ほどお話がありました立場が上とかということではなく,私は役割が違う立場としてあるのではないかと思います。これは日本語コーディネータという立場なんですけれども,逆にいうと先ほどの問題・課題が見えてきたときに,それを事業として,仕組みとしてつくり上げていったり,それからもう一つ,情報のネットワークということからいいますと,例えば日本語交流員の方たち,私ども,今200名ぐらいおりますけれども,その1人1人の中に宝物がたくさん埋め込まれています。その宝物を1人1人が抱え込んでしまっているんですが,それを日本語交流員や市民の方たちの共有の宝物として見えるようにしていくというような意味での情報の共有化というところで,そこから問題・課題の解決の方法や,それから日本社会が共通して持っている課題などが見えてきたりするわけです。そういう問題意識を共有化していくという意味で,役割として人と人をつなげるネットワーカーというよりも,組織や事業などをつなぎ合わせていくというような意味でのネットワーカーという意味で,役割が違うという意味で日本語コーディネータというのは私は非常に重要ではないかというふうに考えています。
もう時間なので。ということで,文化庁さんの方がやっていらっしゃる地域日本語のコーディネータ研修というのに私はとても期待しております。外国人相談などを見ていますと,これは日本社会の今までのシステムではもうやっていけないというのがよく見えてくるわけなんですけれども,私は先ほどもお話がありましたけれども,何でこの仕事をやっているのかという意味でいうと,やはり今の日本の社会のシステムや体制では,異文化の人たちとともに暮らしていけないと感じているんですね。ということは,日本語学習支援のコーディネータの方たちは,ある意味では日本社会の変革をしていく意味でのキーパーソンになっていくんじゃないかというふうに私は大変期待しているところでございます。
すみません,ちょっとオーバーしました。ありがとうございました。(拍手)

*1 エレベーター 人や貨物を運搬する昇降機。
*2 タイアップ 手をつないで力を合わせること。提携すること。
*3 マッチング 対照させること。
*4 ネットワーカー ネットワークをつなぐ役目の者。


西尾どうもありがとうございました。
大変支援者に力を与えてくださる御発言で,うれしゅうございました。
それでは,一通りのお話が済んでおりますけれども,今までのお話の中で,どなたのどのお話でもいいですけれども,まず,パネリストの方で何か御意見,あるいは御質問などおありになりますでしょうか。何か確認しておきたいこととか。よろしいですか。おありになりますか。
それでは,フロア*1の方々ともぜひいろいろとやりとりをしたいと思いますけれども。今までのお話のどなたのどの部分でも結構ですけれども,フロアの方たちからも御質問なり,あるいは確認をとっておきたいこととかありましたら,どうぞ手をお挙げになっていただきたいと思います。
はい,どうぞ。

*1 フロア 聴衆席。


参加者法政大学,ヤマダといいます。渡辺文夫さんに御質問というか。受け入れ側の人たちに対するある種の多文化受容能力を高めるようなトレーニングというんですか,非常にすばらしい試みだと思うんですけれども,一方で外国から来る人たち,この場合女性なんだと思うんですけれども,その人たちに対するトレーニングというのは,この同じときか,あるいは別の機会に何か実際にされたのかどうかを伺いたいと思うんです。それは受け入れ側がこういうトレーニングをするというのは,そういうことさえ今までなかったのがおかしいんですけれども,それだけだと,どうも何か受け入れ側がうまく受け入れてやるみたいな――やるための研修みたいな形になってしまうと,ちょっと差別的な受け入れになるのではないかなという危惧を感じたからなんですけれども,お願いします。

渡辺残念ながら今までそういう日本語学習者の方々に直接私が研修をしたということはございません。それは私が選択してそうなったのではなくて,たまたまそういう機会がなかったということであります。

西尾よろしいですか。
ちょっと補足してもよろしいでしょうか。ヤマダ先生,よろしいですか。
そのときのこの講座をしようと思いました本来の動機ですね,それは日本語にかかわらず,在住外国人に対する様々な支援者たちは,十分に異文化理解にしても,例えば国際理解にしても,それから,あるいは交流の気持ちにしてもあるわけですよね。それで,一生懸命そのグループ*1の方たちはやっているけれども,問題は一般と地元の方というか,市民の方たちにもう少し受け入れの何か心を開く気持ちがあったらいいのにというような場面をさんざん見てきていたわけなんです。それは御覧になっていらっしゃると思いますけれども,皆さん。それで,むしろ支援している,あるいは,外国人そのもの,その交流のところは置いておいて,そして日本の全部の方たちにというんでしょうか,国民全員にというんでしょうか,この時期に異文化の方たち,他文化の方たちを受け入れるに当たって,もう少し自分たちで考えておこうではないかということをしていただきたかったというのが動機でございましたので,先生が選んでそういうふうになさっているというのではないので,そのつもりでお聞きいただければありがたいと思います。
ほかにございますでしょうか。

*1 グループ 人々の集まり。集団。


参加者桜美林大学のマツシタと申します。
ユッカの会の中さん,それから場合によっては事例報告をされた春原さんや杉澤さんにお答えいただいてもとも思いますけれども,お伺いしたいと思います。大きく二つございます。
一つは,短期集中の教室がほしいというアイデア*1,これは日本語教室のことと考えてよろしいわけですよね。それに非常に耳を引いたんですが。といいますのは,ありそうで少ない,それから,できそうでできていないことのような感じを受けたんですね。その点についてもう少し詳しく,まず,短期というのはどのぐらいをイメージされているのか。それから,なぜそれが必要だと思われたのか。それから,ありそうで少ない,できそうでできていないという阻害している原因,要因というのは一体どういったことで,それに対してどうすればこれが実現するんだろうかといったことですね。ちょっと細かい質問が並んで申しわけないんですが,短期集中教室ということについてもう少し詳しくアイデアをお伺いしたいと思います。
それからもう1点は,子供の教育相談が必要とされているというアイデアで,それは私も非常にそうだろうと思っているんですけれども,これは特に日本語が母語でない,あるいは複数の言語や文化を背景とする子供に特に必要という意味だろうとお伺いしたんですけれども,特にどのようなスキル*2や知識のある人がその相談に応じることが必要なのか。これは恐らく一つではないだろうと。特に杉澤さんのお話などを伺っても思うんですけれども。特にどのような,恐らく一般的な保護者や学校,あるいはスクールカウンセラー*3を含む学校の相談,その他一般の自治体が持っているような仕組みでは多分救い切れない事例があるからだというふうに思うんですが,その辺のことを少し詳しくお聞かせいただきたいと思います。

*1 アイデア 思いつき。着想。
*2 スキル 技能。
*3 スクールカウンセラー いじめや不登校などの心の悩みに専門的立場から助言・援助を行うために小・中・高の学校に配置された,臨床心理士,精神科医,大学教授などカウンセリングの専門家のこと。


西尾分かりました。それぞれの方々にとおっしゃいましたけれども,マツシタ先生。中さん,まず。皆様にはちょっと回ることができないかと思いますが。

中先ほど申しました短期集中の日本語教室というのは,ずっと私たちも考えて,1度,週2日の教室を実際行ったことがあります。それで,いつでもこういう活動というのは場が保障されて,そこに人があって,それからもう一つ,お金の問題があります。それで,私たちの場合はこの三つで,場は確保できたんですけれども,一番問題だったのがお金でして,やはりある程度の――週1回ぐらいでしたらボランティア活動でできるんですけれども,きちっと週2回,それを3か月なり6か月なり,時間をつくるというときには,それがある程度の保障がないと,なかなか参加してくれる方がいらっしゃらなかったということで,立ち消えになってしまいましたけれども,先ほど杉澤さんもおっしゃったように,私たちが日本語教室の現場でいろいろ見えてくる課題というのはたくさんあって,その中で本当に何人もの方たちがもっと早く日本語を学びたい,そして早く就職したい,就職するための言葉がほしいって,そういう方は本当に大勢いらっしゃいます。
横浜市の場合はたくさんの教室がありますし,それから,地域的にも本当に近いところにも教室がありますから,そういうところを3か所とか4か所とか回っている方がいらっしゃるんですけれども,私はやはり短期に学習する場合,もう少しきちっと系統立てた学習ができた方が効率がいいのではないかなと思っていますので,できたら――もちろん私たち横浜市の日本語教室がネットワークを組んでそういうものをつくることも可能かもしれませんけれども,今のところまだ私たちにはそれだけの余力がありません。それで,言葉というのはやはり,先ほどもちょっとお話ししたと思いますけれども,生きるための武器,道具だと思いますので,それはもしできたらば公的なところで保障することができたら一番うれしいなと思っています。

西尾相談の方のことではいかがですか。

中子供の相談のことは,先ほど言葉が足りなかったんでしょうけれども,外国籍の子供たちの相談窓口です。一つは,もちろん異文化理解とか,あるいは心理的ないろいろな問題があって,そういう意味での相談を受けてくれるところ。それから,今私たちが一番問題になっているのは,先ほど長野の方もお話ししましたけれども,進路について,中学を卒業してからどうするかということ。この問題が私たち,子供にかかわっていて,今とても大きな問題になっています。今までは中学校に行っている子供たちがほとんどだったんですけれども,中学を卒業してきて日本で高校に行きたいというような,お母さんについてきて,そういう方たちも何人もいらして,進路の問題というのはとても複雑になってきています。こういうこともどこかで相談を受けてもらえるところがやはりきちっとあるといいなと思います。今はボランティアの思いつきであちこちを訪ね歩いて,最終的には教育委員会に行ったりという形でしかできていませんので,本当にこれはもう少し考えたいと思います。

西尾大変申しわけないんですけれども,あとはまた個人的にお聞きになっていただけますか。
こちらの方も手を挙げていらっしゃいます。

参加者埼玉県の加須市の加須日本語の会のカワノと申します。私は35年間高等学校で英語の教員をやってきました。まだ日本語ボランティアを初めて本当に日が浅いんですけれども,ちょっとお聞きしたいのは,本当は中さんにもお聞きしたいんですが,杉澤さんにちょっとお聞きしたいと思うんですけれども,武蔵野市の方では弁護士とか精神科医とか,それから通訳ボランティアとか,いろいろな方を結びつけて活動なさっているということなんですが,学校の教員に対しての働きかけというのがあるでしょうか。今学校の中,もうかなり国際理解とかいろいろことで門戸を開いているはずなんですが,いったん社会に出てみると,学校の先生は分からないからねという言葉がすごく出てくるんです。私,そんなはずじゃない,一生懸命やってきたはずなんだけれども,社会の方にはそれが通じていない。そういうところもあるし,いろいろな生徒を引き受けているのが学校ですから,学校の方の先生との連携というのがとても必要だと思うんです。その辺のところの体験がありましたらお話しいただければと思うんですが。

杉澤よくぞ聞いてくださいました。先ほど時間がなかったのでお話を割愛させていただいたんですが,実は国際理解教育を推進しようということで,学校の教員ワークショップ*1というのを開催しております。これはやはり日本語の学習者の人たちの中に,日本語はできなくても例えば美術の先生がいたり,中国の水墨画の大家がいたりするんです。日本語は全くゼロだったんです。そういう人材がたくさんいるわけです。これは地域の国際理解のまさに生きたリソース*2と考えられるでしょう。
こういうことを学校の先生たちもぜひ知っていただいて,学校での国際理解の取組で連携できないだろうかということで教員ワークショップというのを開催しています。教員ワークショップを開催して今4年目になるんですが,私も人生長いですけれども,これほど異文化の人がいるのかという。外国人の人たちとの事業というのはさんざんやっているんですけれども,学校の先生の文化がこんなに違うかというのをまさに体験させられております。事業としても一番大変です,やるのに,学校の先生相手にやるのがです。もし学校の先生がいたらごめんなさいですが。
それで,そういう中で地域の日本語との連携ということで,昨年から取り組んでいるのが地域の日本語の教室丸ごと教室との交流というプログラムをやっています。これが,外国人を1人,2人派遣するのとは大違いのものすごい効果があります。これ,長く時間をとってしまうといけないので,私たちで冊子を用意してありますので,ぜひ御興味のある方は読んでいただきたいと思いますけれども,小学校,中学校のクラス丸ごと,学年丸ごとと日本語教室の丸ごとの交流というのをやっています。子供たちの言葉ではないコミュニケーションの取り方というのは,私たちの想像を絶するほどのすごさがあります。学校の先生が幾ら教育的に枠組みをつくって仕込んだとしても,外れます。子供と外国の方との交流のプログラムというのは非常な効果があるというのを感じています。ということで,ぜひ御興味がありましたら。
ついでに,外国人相談については,「外国人基礎知識」というのも作りましたので,もし御興味のある方はどうぞ御覧になってみてください。

*1 ワークショップ 作業場。研究集会。講習会。
*2 リソース 資源。


西尾ありがとうございました。
実は時間が12:00までと書いてあるんですけれども,文化庁の方から5分から10分ぐらいはこの教室は延ばしていいと言われております。ただ,食事のことなどありますでしょうから,5分ぐらいだけ延長させていただきたいと思いますが,よろしいでしょうか。(拍手)
ありがとうございます。 それでは,御質問をいただきたいところですけれども,まだ終わってからも時間のある方たちも多いので,こちらの先生方も。申し訳ないけれどもここでとめさせていただいて,まとめて最終的に何かお言葉をいただいておいた方がよろしいのではないかと思います。渡辺先生,中先生,申しわけないんですけれども,1分か,本当に一言ずつになりますけれども,お許しください。それから,秋山先生は質問のお答えという対応のお役目がなかったので,1分半でも2分ぐらいでも。春原さんも。お願いいたします。まとめでは申し訳ないんですけれども,時間が押しました。

渡辺先ほどの法政大学のヤマダさんの御質問ともちょっと絡むかもしれませんが,実は先ほど御質問を受けて,ふと自分のことを考えると,なぜ日本人を対象に主に今までやってきたかというと,実はかなり大昔に,学生のころと言ってもいいかもしれませんが,いろいろなことを考えておりまして,日本人及び日本社会がより良い変革の方向に進むような流れに自分も参画したいと。そういう思いがあって焦点を,自分の研究対象,実践対象を日本人に合わせたんですね。これがずっと今まで来ている流れだなと御質問を受けて思いました。まとめということには直接ならないかもしれませんが,今,全体的な,最後にお伝えしたいことでございます。

西尾ありがとうございました。中さん。

中重たい課題がたくさんあるんですけれども,そういう課題を一つずつ解決しながら,地域に住む1人1人の個が自分の色を保ちながら,それが本当にやわらかくて温かい色になった,そういう地域があったらいいなと,そういう思いでずっと活動し続けてきました。これからも続けていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

西尾ありがとうございます。

秋山地域の問題というのは,さっきも言いましたように日本語だけにかかわらず,やはり一番大きなのはどう住みやすくするかということが一番大きな観点だと思うんです。そこを基にしながら,一番やはり考えなければいけないのが発想の転換で,日本人の間でできていないものの中に外国人を入れてみるということもすごく大きなポイントなのではないかと。日本人のできていないことは外国人にもできないというのではなくて,逆にうまくやるときがあるんですけれども,かえって外国人の人に意見を聞いたらぱっとうまくいってしまったりするような事例というのはたくさんあるんですね。だから,こちらが何かいろいろと考えて枠をつくってしまうということが一番まずいのではないかと。枠を取り払って,やはりまずちょっとかかわってみるという問題が一つあると思います。
それからもう一つは,協会がたくさんあるんですけれども,協会の方はみんな疲れているんですね。そこが一番大きい問題です。僕もよくコーディネートするんですけれども,ボランティアの人がやってくれないという人が結構多いんですね。聞いてみると,調査すると,ぶら下がり型と見学型が多いんですよ,ボランティアの人に。それに関してまた右往左往してしまう。だから例えば途中,ちょっとすみませんけれども休ませてくださいという方が出てくる。これはその人自体が楽しんでないからその協会自体もだめになってしまうし,その人がぶら下がり型とか見学型のボランティアをつくってしまっている。もっと言うと,自分自身がその協会の中にいて,どう地域の中で役割を持って楽しめるか,今さっきも言いましたように,そういう生き生きとした姿というのがすごく重要なんだけれども,そこら辺がいろいろな調査をすると出てこない。何かボランティアが悪いだのどうだの文句ばかり出てきて,そういうところがすごく目につくので,もっと毎日楽しく,すべて難しい問題ではなくて,生き生きと自分自身をもう1度鏡の前に映してやっていただければなと思います。
以上です。ありがとうございました。

西尾ありがとうございます。
春原さん,いかがですか,何か一言おっしゃりたいことありますか。

春原すみません,言い足りなくてまた出ます。
私たち,外国の人たちの少しでもお役に立てればという思いがあります。その思いが強過ぎると,相手が引っ込んでしまいます。それから,サポートを受けるであろう外国の人たちも,もうちょっと積極的に,分からないのかなと思いますけれども,もっと積極的に,自分たちのこととしてどんどん出てきてほしい。だから,私たちの思いがもう少し「まぁまぁ」と言って,外国の人たちがもう少し「さぁさぁ」と言って一緒になれば,もうちょっといい関係ができるかなと思っています。以上です。

西尾ありがとうございます。
杉澤さん,まだ一言ありますか。いいですか。そうですか。
どうもありがとうございました。今日お聞きになっていて,私の掲げましたテーマどおり十分にそれが言及できていたかどうかは別としまして,大変いろいろ皆さんから示唆に富むお言葉をいただいて,どうでしょうか,皆さんが地元に帰られて,現場でこれもやってみよう,こうもしてみたいというような,何かしらいろいろなヒントを得てくださったのならば大変ありがたいと思います。このシンポジウムが何らかの形でお役に立てるものであったのならば,私ども主催者としても大変ありがたいと思うところでございます。
どうかこれからも,余り真剣になって疲れてしまわないような,楽しい雰囲気で,昨日のシンポジウムでもありましたけれども,心のやすらぎを与えてあげたい,外国人に。そして,いろいろな理由で日本語教室に来る人たちがいるわけで,その人たちに「はい,今日は何かから勉強しましょう」というような押しつけのないような,本来私が考えますには,従来の日本語教育と地域の日本語支援は違うと思います。ですから,従来の日本語教師がそのままに地域の支援者となり得るかどうかというのには大変大きな問題というか乖離があるというふうに私は考えておりますが。
先生,これを御紹介してください。どうぞ。秋山先生の監修で……

秋山現在,奥村先生と野山調査官と私で,「現代のエスプリ」というのを編集しました。もうちょっと日本語支援というところを広い立場から,いろいろなコミュニティとか,それから様々な考え方を含めて,先月なんでけれども,至文堂というところから出ておりますので,もしも興味のある方は見ていただければと思います。申し込み用紙が多分入っていると思いますので,ファックスをいただければこちらの会社の方で送料は無料だそうですので,そのまま,よろしくお願いいたします。

西尾ありがとうございました。
それでは,最後にちょっと,これは申しわけないんですけれども,国際日本語普及協会から一言,二言お知らせがありますので,お聞きになっていただきたいと思います。
私どもでは相談窓口というのを持っておりますが,地域地域に相談窓口がありますし,何かまたこの地域支援のことで御質問があれば,いつでもEメールで御相談に応じるようなシステムもできております。それから,この6月からメールマガジン*1を発行しておりますので,2週間ずつ更新しておりますが,いずれもAJALTのホームページから地域日本語支援というところに入っていただくと窓がさらに開くようになっておりますので,どうぞ御利用いただきたいと思います。
それでは,何かまだお別れするのが残念なような雰囲気が漂っておりますけれども,ここで午前中のシンポジウムを終了させていただきます。パネリストの先生方,本当にありがとうございました。それから,何よりも大変熱心に聞いてくださいました,参加してくださいました会場の皆様にお礼を申し上げたいと思います。御協力ありがとうございました。(拍手)

*1 メールマガジン 電子メールで配信される雑誌的な読み物。


司会(橋本)どうもありがとうございました。西尾先生,ありがとうございました。
会場の皆さんもいろいろお聞きになりたいこと,発言されたいことはあったかと思うんですが,申しわけございません,時間の関係で。
最後に,AJALTの方から御案内申し上げましたとおり,文化庁の方からも相談事業ということでAJALTの方にお願いしております。インターネットでいろいろ情報をやりとりする手段も新しくAJALTで作っていただいておりますので,ぜひ御活用いただいて,我々にまたいろいろなことを教えていただければと思っております。
では,午前の部はこれで終了させていただきます。ありがとうございました。
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