文化庁主催 第5回コンテンツ流通促進シンポジウム“次世代ネットワーク社会の到来は著作権制度を揺るがすのか”

第1部:特別講演

「次世代ネットワーク社会がもたらす著作権制度上の課題」

金正勲(慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ総合研究機構准教授)

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 まず、クリエイティブエコノミーの台頭ですが、言葉通りに、創造性が経済システムにおいて中核的な資源になっていくという考え方です。なぜ、今創造性かということですが、先ほどのフラット化する世界でもお話ししたように、グローバル競争が激化し、創造的でない製品/サービスは高い付加価値を生み出すことができなくなったという背景があります。
 歴史的な観点から社会経済システムの変遷をみてみると、人間や動物のマッスル/肉体が生産性の源泉であった農業時代から、機械/分業/自動化/大量生産が中核的役割を果たす工業時代へ、そして情報を持つこと、又は情報を処理することが価値生産の源泉となる情報社会を経て、今や新しい技術、ビジネス、情報を生み出す創造性が価値生産の主役となる「創造社会」へと移行しつつあると言えます。私は昨年度から慶應の大学院において「クリエイティブエコノミー論」という授業を担当していますが、これに関する日本における研究は殆どないのが実情であります。ただ、間違いなく、今後注目されていくと思います。
 既存の経済システムでは、「希少な資源を人間の無限な欲求を満足させるために如何に効率的に配分するか」という命題に焦点を当ててきたとすれば、創造経済と呼ばれるこれからの経済システムにおいては、「個人や組織の創造性を如何に最大限引き出し、その成果を経済的な価値に転換させるのか」が最重要な命題となります。創造性という資源は人間の頭の中で眠っている「潜在的に無限」なものなので、それを如何に引き出すのかが重要になります。これを政策的に考えると、政府としては、「国民の頭の中に眠っている創造性を最大化することや、そこから生まれた創造的産物が持つ経済的・文化的価値を最大化すること」に力を入れる必要があるかと思います。つまり、「創造性促進」というものと、「市場化促進」というものをコンテンツ政策の両輪として捉えた政策展開が求められていると言えます。この創造性をどうマネジメントしていくかというのは、国家戦略のみならず、都市行政においても、企業経営においても、学校教育においても今後、キーとなっていく問題だと思います。

 ここで創造性という概念について少し考えたいと思いますが、辞書的な意味で言えば、創造性とは新しいことかつ意味あること、であるとされています。新しいこともそうですが、誰にとって意味あるのか、価値があるのか、というのが重要になります。そこには絶対的な基準が存在しているわけではなく、それを評価する社会やコミュニティに大きく依存するのが創造性というものであります。作者が亡くなってからずいぶん時間が経過した後にその作者の作品が創造的であると評価される例も稀ではありません。そういう意味で、創造性というのは社会的に構成/構築されるもので、社会的なプロセスとして捉えることが適正であるように思います。
創造性についてはいくつかの分類ができます。まず、誰がどういう基準で創造性を規定するのか、ということですが、創造性には小文字のcreativityと大文字のCreativityがあると言われます。前者は個人、特にクリエイターにとって創造的かどうか、ということですがそれが社会から見て創造的であると言えば必ずしもそうではないです。一方、大文字のCreativityというのは、個人ではなく、社会全体やコミュニティにおいて創造的であると評価されるものを指します。ここでも創造性というのは、作品自体に普遍的に存在するものではなく、それを評価する社会やコミュニティに依存するということであります。
次の分類ですが、創造性は一般的には芸術的創造性をイメージしやすいですが、創造経済でいう創造性は、それだけではなく、研究開発を行い新しい技術を生み出す技術的創造性や、新しいビジネスモデルを生み出すという意味での経済的創造性も含むものであります。近年のコンテンツ産業の場合は、優れた表現に優れた技術、そして優れたビジネスモデルによって、大きな付加価値を生み出す例があるように、今申し上げた3つの創造性が相互独立ではなく、相互に循環又は統合し合ってはじめて付加価値を生み出す例が多いと言えます。
 次に、ひとりぼっちの創造性とコラボレーションとしての創造性という書き方をしていますが、伝統的な創造活動がスタンドアロンの孤独な創作であったのに対し、コンテンツ産業における創作活動は複数の人々によるコラボレーションである場合が多く、その産物としてコンテンツが生み出される場合が結構あります。映画も、音楽も、放送番組も、ゲームも、その生産においては複数の人々同士のコラボレーション無しにはコンテンツが出来上がらないものであります。この傾向はますます強くなっていくと思われます。
 最後の分類として、著作権政策を考える上でも特に重要だと思いますが、創造性には、「ゼロからの創造性」と、「既存にあるものを創造的にコンビネーション」させることによって生まれる創造性というのがあります。そして、後者が占める比重が大きくなっていく傾向があるということが指摘できると思います。著作権の世界では、よく、「巨人の肩の上に立つ小人」という表現・アナロジーを使いますが、この言葉が意味するのは、我々の創造性の多くは、先人たちが築いてきた基盤の上で成り立つものであり、全くゼロからの創造性は少ないということであります。これは著作権政策を考える上で重要なインプリケーションをもたらすものであります。
 以上、申し上げたような創造性に関する議論は、実は表現という人間の創造の産物がその対象である著作権政策議論においては驚くほど抜けている部分であることも指摘すべき事項かと思います。創造性の本質や創造的プロセスに関する理解や議論が十分ではない中で、著作権政策を議論することでどれくらい正しい政策を打ち出せるか、ということについては個人的には疑問を感じるのも事実であります。

 次に、融合社会の台頭についてお話しします。これからの社会では、全ては既存のバウンダリーを超え、融合に向かいます。日本では放送と通信の融合が昨年あたりから話題になっていますが、融合はメディア産業に限定したものではありません。例えば、学問分野の融合、国家間の融合、産業間の融合、生産者と消費者の融合、仕事と趣味の融合、文化と経済の融合などがあり、それ以外にも後ほども述べます生産者と消費者が融合する、プロとアマが融合する、リアルとバーチュアルが融合する、制度面でも規制管轄が重複/融合といったように多面的な意味での融合が社会経済の中で進展している現実であります。
 そこで、融合するということはどういうことかというと、今まで独自の領域を持っていたもの同士が、重なり合うということです。それはもちろん、液体的な融合もあれば、固体的な融合もありますが、いずれの場合も、過去異なる分野だったところが重なり合ったところに、接点/交差点、英語で言うIntersectionが生まれるわけであります。創造性という観点でいえば、異質な者同士が出会う接点上で、創造性が発揮しやすいということが指摘されますが、そういう多様性を容認する/奨励するところに創造性が生まれやすくなります。
 ただ、融合が必ずしも肯定的な側面だけを持っているわけではありません。ある主体にとって機会として見られる融合が、他の主体にとっては脅威としてみられる場合もあります。日本において放送と通信の融合が簡単に進まないのも、そうした視点の違いによって、融合が持つ意味が異なるからであります。

 次に、メディア環境の変化と著作権制度の関係について見てみることにします。人間同士のコミュニケーションは、コンテンツといわれる著作物とそれを伝達するメディアが組み合わされてはじめて成立するものであります。著作権は著作物を保護するものでありますが、著作物はそれを伝達するメディアやそのメディアを取り巻く環境の変化に大きく依存することになります。
 例えば、過去の著作物・コンテンツはメディアの中でもパッケージメディアに一体化される傾向が強く、無形財が有形財化した例であります。本、CD、DVDなどはその典型的な例でありますが、我々はそれはあまり意識しないまま、本を買う時がコンテンツを買うことと同じだというある意味、錯覚を持ちます。過去は、コンテンツがある特定のメディアに全面的に依存する場合が多く、力関係からしてもコンテンツはメディアに従属する体制になっています。つまり、過去においては特定のコンテンツは特定のメディアでしか流れないというのが中心だったという意味で、「硬直的な垂直統合構造」がメディアコンテンツ業界において形成されていたと言えます。

 しかし、近年の技術革新によってメディアを取り巻く環境は急速に変化することになり、それによって情報の生産、加工、流通、利用における根本的な変化が発生することになります。こうしたメディア環境の変化は、既存の硬直的な垂直統合構造に対し、重大な影響を与えることになります。中でも、コンテンツとメディア間での垂直レベル、そして水平レベルにおける「互換性」「相互運用性」が技術革新によって実現することによって、両者の自由な組み合わせ/コンビネーション/ミックスアンドマッチが可能になります。
 例えば、デジタル技術というのは、コンテンツが0、1という数字/デジタルデータに変換されることによって、それが音楽か、文字か、映像かに関係なく、同じフォーマットを成すことになりました。ネットワークにおいても、それまでばらばらで互換性がなかったネットワーク同士が、IPと呼ばれるインターネットのプロトコルを採用することによって、ネットワーク同士の自由なデジタルデータの伝送が自由にできるようになったわけであります。これによって、今まで特定のメディア/ネットワークでしか提供されなかったコンテンツ/サービスが、メディアを跨いで自由な配信/提供できるようになりました。
 一例を申し上げると、過去、通信事業者は通信サービスしか提供できなかったわけですが、今や音声電話のみならず、インターネットサービスや映像放送サービスまでも手がけるようになりました。放送事業者も同様で、例えばケーブル放送事業者は放送サービスのみならず、インターネットサービスや電話サービスを提供しています。こうした1つの事業者が、音声、データ、映像サービスを一緒に提供するのを最近はTPSを読んでいます。このように、デジタル化やIP化に代表される技術革新によって、コンテンツやメディアが自由にミックスアンドマッチできるようになったのが、メディア融合の本質ではないかと思います。

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