国語施策・日本語教育

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国語問題要領

3 国語問題の歴史的展望



(1)国字改良の意見とその実行

 近代になって国字改良のために発表された意見としては,慶応2年(1866)に前島密(ひそか)が建白した漢字御廃止之(の)議が最初であり,これが動機となってローマ字論やかな専用論が現れ,明治16年(1883)にはかなのくわいが作られた。今のカナモジカイ(大正9年,1920―)の運動は,この考えかたの系統を引いたものである。
 漢字の全廃は,現実の問題として実行が困難であるという理由から,別に漢字節減論が現れたのも明治初期のことである。福沢諭吉,矢野文雄などはその代表的論者であり実行者であった。
 ローマ字採用の意見は,明治2年(1869)南部義籌(よしかず)の修国語論の主張に始まり,17年(1884)には羅馬(ローマ)字会が作られ,後にローマ字ひろめ会(明治38年,1905―)と日本ローマ字会(大正10年,1921―)とが設けられた。
 このほか,明治初期以来,新しい文字を考案したものもかなりあるが,それは行われなかった。


(2)国語政策の実施

 政府は,早く国語問題の重要性をみとめ,明治35年(1902)文部省に国語調査委員会を設けて,この問題の解決に着手した。さらに大正10年(1921)には臨時国語調査会を設け,12年(1923)に常用漢字表,14年(1925)に仮名遣改定案を発表した。これとともに国語問題に対する社会の関心もしだいに高まり,特に昭和6年(1931)には,以上の二つを修正して作った案を国定教科書に採用しようとして,はげしい反対にあい,社会的に大きな反響を呼んだ。
 ついで昭和9年(1934)には,国語審議会が文部大臣の国語改善に関する諮問機関どして設けられ,昭和17年(1942)には,この審議会の手で標準漢字表・新字音仮名遣表が発表されたが,一般に行われるようにはならなかった。
 戦後になってこの審議会は,従来の国語改善に関する成績を検討して,昭和21年(1946)には当用漢字表・現代かなづかいを決定し,別に義務教育のための当用漢字別表,当用漢字音訓表,つづいて当用漢字字体表を決定した。これらはすべて政府によって採択され,内閣訓令ならびに告示として公布された。そしてそれが,法令・公用文・教科書に実行される一方,一般の新聞・雑誌なども多くはこれと歩調を合わせている。なお,昭和24年(1949)には,中国の地名・人名を現代の中国標準音によってかな書きにする案が発表された。
 ローマ字についても,政府は,教育上・学術上または国際関係上,そのつづり方統一の必要をみとめ,早く昭和5年(1930)に臨時ローマ字調査会を設けてその審議に着手し,昭和12年(1937)内閣訓令としてその方式を発表した。


(3)口語文と話しことば

 書きことばを口語に近づけようとする,いわゆる言文一致の運動や標準語の簡題も明治初年におこった。やがて言文一致は文芸作品と教科書とに実現され,今日の口語文にまで発展した。特に戦後,日本国憲法が公布されてからは,官庁の文書もおいおい口語に改められるようになった。
 いわゆる標準語は,義務教育に用いられる国語教科書や放送などを通じてしだいに全国にゆきわたってきたが,話しことばについては,社会生活の上からも,国語教育の上からも,従来その重要性があまりみとめられず,指導の点にも具体的な方策が確立されていない。

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