国語施策・日本語教育

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議事 審議

土岐会長

 学術用語文化審議会会長から国語審議会会長あてに「建築学」の用語について審議の依頼があったが,前例によって国語課に依嘱して調べてもらうことをご承認願いたい。
 かなの教え方については,世間一般,新聞などでいろいろ議論されている。国語審議会に対しても意見書が多くきている。個人からのものと団体からのものとがあるが,個人からのものは数も多くなるしするから省くこととし,団体からのものは適当な機会にお目にかけるよう取り計らいたいと思っている。
 中央教育審議会からの答申に基く「かなの教え方」についての審議の参考資料は,お手もとに配ってあるが,資料全部についてよくわかっていただけないところもあると思うので,問題の取り上げ方について整理分類して説明する。
 新聞・雑誌,その他に出ているものを分類すると,(1)ひらがなをかたかなにしたほうがいいというもの。(2)現在どおり,ひらがなでよいというもの。(3)どちらを先にするというのでなく,かたかなも早く教えたほうがよいというもの。つまりかたかなを同時に習わせるという考え方――カリキュラムの問題であるが――1年ではひらがな,2年でかたかなを教えているのを,1年からかたかなを教えるという考え方。以上の三つになる。国語審議会としては,これら種々の型を整理して取り扱っていきたいと思う。かたかなをひらがなとともに教えることは方法の問題である。方法が可能かどうかという問題になる。
 国語研究所の調査は,かたかな・ひらがなの学習上の問題をつかむ資料として,審議の際の参考にはなると思う。
 中央教育審議会の答申は,国語審議会と教育課程審議会との両方で審議をするようにということである。波多野委員が教育課程審議会初等教育教育課程分科審議会会長であるから,そのほうの事情をお聞きしたい。

波多野

 教育課程審議会は,初等教育教育課程分科審議会と中等教育教育課程分科審議会との二つに分れており,わたくしは初等教育のほうを受け持っている,分科会は,文部大臣の諮問がなければ開かないことになっており,この問題については,まだ諮問がないので分科会は開かないが,国語審議会と教育課程審議会とで審議が食い違うとまずいから,昨日,懇談会を開いて話し合いをした。
(1) 教育課程審議会に諮問があった場合は,小委員会を作るなり,あるいは他の方法で審議する。(2) 国語審議会から出た代表的な意見を初等教育分科会で検討した上で,国語審議会と合同して審議をするか,または常に密接な連絡をとりながら審議をするかしていきたい。また,内容的な面では,次のような三つの意見が出た。
 (1) かたかな先習論は,特殊教育・へき地・PTA・文字に苦労している人から出た。(2) ひらがな先習(現状維持)は,現場の先生・校長その他から出た。(3) オーソグラフィー(正字法)からの論は,現場の教師に多い。これは,1年生でラジオ・オルガンなどのことばが現在の教科書では,ひらがなで出ているが,世間ではかたかなで書いてあるから,これらはかたかなで教えるほうが正しいとする論である。どういう事情でひらがなから教えることを決めたかという事情は,当時の国語審議会の審議事項の中には,そういうことがはいっていなかったので,国語審議会にははからなかったということである。現在の国語審議会は,国語教育についても審議事項の一つになっているので,取り上げて審議できるようになったのである。

土岐会長

 初等教育分科会と連絡をとりながら,国語審議会は独自の立場で審議をやっていっていいわけである。

時 枝

 この問題は,国語審議会と教育課程審議会とでは取扱方に相違があるのではないか。国語審議会の審議事項は,国語・国字の問題,国語教育の問題,ローマ字の問題である。国語審議会での国語教育の問題は国語政策の上から見たもので,教育課程審議会では,方法の上からではないか。また,答申には両審議会で審議するようにとあるが,教育課程審議会には諮問されていないということであるがどうか。

波多野

 教育課程審議会には,ひらがな,かたかなの問題だけでなく漢字学習の問題もからんで,国語学習の時間の問題にも関係するために諮問がおくれているということである。

土岐会長

 この問題をどう取り上ぐべきか。
 波多野委員の述べられた三つの考え方は,前回の総会で試みにわたくしの述べたところと一致する。すなわち,(1)現在のひらがな教育の状況を考えてみること。(2)かたかなのことを中心にして考えること。(3)正字法の問題として考えること。以上の三つであるが,これについて一つ一つ別に取り上げるか,または,この三つを総括して考えていくかについて御意見を伺いたい。

田 口

 全部をいっしょにやってほしい。教育課程審議会のことは,一応考えなくてもいいと思う。あまり遠い将来のことまで考えないで,現行のものを土台にして審議していきたい。(1)と(2)の問題は,はっきりしている。(3)の問題ぐらいからやっていくのがよいだろう。〔資料4〕を分析してみると,かなが読めるかどうかの能力の測定である。字のむずかしいもの,やさしいものがあることが伺われるが,これらを無視してやっていっていいものかどうか。読み書きの能力から考えるよりも,かなの形を変えることにまで触れないでもいいかどうか。電送写真の場合問題となる。ローマ字では,8ポイントでフィギュアーができているが,かなの場合いくつでできているか統一的法則がない。これらを加味して総括的にやってほしい。

野 島

 こんどのかなの教え方については現場では問題が多い。現場の人たちの声を聞くと,結論を簡単に出さないで,あらゆる角度から慎重にやってほしいという意向が強く出ている。問題のおこりは,現状のひらがな先習論から出ている。ひらがなを現状のように先習することに切り替えた理由を当時の責任者から聞きたい。さらに,現状ではどういうふつごうがあるか,また,現状のままでよいかということを検討して,第3の意見に落ち着くかどうかやってみたい。

時 枝

 取り上げ方は問題であると思う。学習指導の問題は,現行の学習指導要領に関係している。国語審議会の結論の出し方によっては重大な影響を及ぼしてくる。国語審議会で扱う教育問題は政策面のものであって,教育課程審議会と同じような方法でやることは,あとになって危険ではないかと思う。これはあくまでも国語政策の立場から取り上げるべき問題である。

土岐会長

 田口委員の言われた学習能力と結び合わせて,現在のかなの形を批判する考え方は,おそらくローマ字にまで及ぶわけであるが,今はそこまでいかないで,現在の,ひらがな・かたかなを認めた上で審議することに限定しておきたい。次に,現場での意向のように結論を急がないで慎重にやってほしいということは,問題が問題であるからまずだいじょうぶと思う。また,戦後ひらがな先習になったいきさつは,やや詳しい資料があるからあとで紹介することとする。
 時枝委員の意見は一応もっともであるが,教育課程審議会は国語教育一般のプロセスを考える立場であり,連絡をとりながらやるのであるから国語審議会と結果が対立するようなことはあるまいと思う。国語審議会の審議の結果を,教育課程審議会のほうでいかに取り入れるか考えてもらえばいいのではないか。

時 枝

 たえず連絡をとりながらやるのならいいだろう。

土岐会長

 どういう理由でひらがな先習になったかのいきさつについて,文部省当局から中央教育審議会で説明した資料があるから紹介して参考とする。(読む)

松 坂

 わたくしは,時枝委員の意見に賛成である。国語審議会と教育課程審議会との両委員会の性質からいっても,国語審議会は,国語政策の立場から検討していかなければならないと考える。この問題は,教育技術上の問題ばかりではなく,国語政策とも深い関係があり,現状をよくみつめていかなくてはならない。〔資料4〕は,文部省で調査したもので重要であり信頼度も高いものであると思う。これによると驚くべきことは,かたかなを書く能力は,5年の学年末になっても1年のひらがなを書く能力よりも劣っていることである。6年で91パーセントの能力を示しているが,これは,1年の最初にかたかなを教えられたという児童である。入学の当初にかたかなを習ったというだけで,これだけの違いを示している。これを見ても,1年の初めにしっかりかたかなを教えなければだめである。かたかなに重きをおかない教育は,ひらがなの重要度が多いということからであるが,もう少し掘り下げて考えたい。
 公用文や憲法は,こどもの生活環境からは縁遠いものである。これらをこどもにわからせるには,もっとくだいてわかりやすく書くべきである。また,法律がひらがなであることは,教育上問題ではない。新聞は,1〜2年のこどもには別世界のものである。ひらがなだけで新聞が読めるものではない。児童は漢字の補助文字であるひらがなに興味はもっていない。常にひらがなに目を触れていることが,教育の環境をよくするという論者もいるが,意味もない字を見てもだめであって,児童には理解できない。これは重大な問題である。こどもの読みものがひらがなであるのは,教育がひらがなになったからで,かたかな先習のときはかたかなであった。また,かたかなから教えればかたかなに変るであろう。世間の文字と,教育とは違う。世間でひらがなの重要度はふえて,かたかなの重要度は減ったかというに決してそうではない。(1) ラジオ関係のことばはかたかなが多い。新聞の広告欄,デパートの広告にもかたかなが多く見られる。住のほうでは,アパート・テーブルなど。レクリエーション方面のことば,こどもの学習方面での,クレオン・ランドセル・ノートなどかたっぱしからかたかなである。昔は,ランプを「洋燈」と漢字で書いていたが,外来語が多くなって,かたかなで書くようになり,今日ではむしろかたかなの重要度は増している。1年生で漢字は40〜50字数えているが,「山」は「やま」,「川」は「かわ」としか使いみちがないような漢字を教えるよりも,重要度の多いかたかなを教えたほうがいいのではないか。かたかなはすべての外来語が書ける。いちばんやさしいかたかなを顧みないで,ひらがなや漢字を詰め込んでいるのは何かの手違いかと思われる。(2) 国語政策の面からいうと,新聞は非常に協力し,当用漢字を使っている。新聞では当用漢字のむずかしい漢字のかわりに,広い範囲にかたかなを使っている。マグロ・アヤメ・タンス・ゼイタクなどみなかたかなである。漢字をたくさん使わなくても,りっぱに読みやすい方法で書いている。今日では,かたかなはむずかしい漢字の表記に代って昔と違った役目を果している。かなはいずれも漢字の補助文字であった。今日では,ひらがなは漢字の補助文字であるが,かたかなは漢字に代るものとなってきた。これは用字法の新聞における実験と成功の結果である。新聞の用字法を学ぶべきである。基礎学力としては,自由に読めること,書けることがたいせつで,漢字を多く覚えることではない。これは,ひらがな・かたかな併用ではじめてできることである。新聞はこの解答をしている。漢字に代るものとして,かたかなを使えば,社会科・理科の基礎学力としても役にたつ。入学の初めにしっかり教える必要がある。(3) かたかなの重要度について,明治のかなの運動はひらがなであったが,かな専用といえばかたかなに変り,今日に及んでいる。横書き,かたかなで日本文を書くことは,遠い将来の国民に訴えるべきことである。アメリカ占領軍の能率的な事務ぶりに刺激されて,精度の高い機械が発明されたが,これらがことごとくかたかなの機械であることは注目に値する。カナモジタイプ・テレタイプ・フォアモストなど。今日の実務界でかたかなを使うのは,事務能率のためであって決してかたかな運動のためではない。産業能率を高めることが,国語政策にどんな重要な意味をもっているかということを考えてもらいたい。
 結論として,入学当初からかたかなをしっかり教えること。今変えられては困るという現場の声もあって,過渡期の混乱は避けられないとしても,遠い将来に目を向けて審議してほしい。

土岐会長

 ただいまの意見は,かたかな先習論である。もういちど問題をどういうふうに取り上げるかについて,いろいろ資料が出ているからこれらを参考にして第3の問題が可能かどうかという問題を検討してみたらどうか。

石 井

 かたかなはなぜやさしいか,ひらがなはなぜむずかしいかということから,こういう問題が出てきたのであろうか。従来は,どちらかからやることにはっきり決まっていたのである。審議の結果,第3のほうに落ち着くのもけっこうではあるが,1年生の初めから,どちらからでもいいという形になったのでは,なお混乱するだろう。現代かなづかいの例を見てもよくわかることで,学生などどんな書き方をしてもいいという考え方であるために混乱している。〔資料15〕で言われているように,どちらか一本でまずはいって後に両方を教えるということである。あさひ読本を用いた時と,現代とでどのような混乱の違いが見られるかを比べて研究してみたい。両方を1年生で全部教えてしまうことになると,現場ではますます混乱してしまう。
 現在は,教科課程の中で国語の時間がたいへん少ない。明治33年には,1年生は,1週22時間のうち12時間,3〜4年生で15時間あり,これは全科目の約50パーセントである。今日は算数と国語とを合わせて40〜50パーセントになっており,国語の時間が非常に少ない,国語の時間が少ないために基礎学力が落ちているのである。これをみな,ひらがな・かたかなの問題に押しつけている感がある。漢字の提出順序にしても,やさしい字の順にというだけでなく,いろいろの要素がはいってくるのである。やさしいからかたかなからはいるというのは,教育課程上問題がある。小委員会を作り,学問的に研究してほしい。

遠 藤

 現場について詳しい話は,ただいま石井委員がされたので触れないが,これは,コースオブスタディーのほうの問題ではないかと思う。現在かたかな学習能力が劣っていることは確かであるが,なぜ劣ったかということについては掘り下げて検討することが必要である。2年の教科書についてどんなかたかなが出てきているかの調査が行き届いているか。かたかなを書く能力が落ちているのは,指導法に問題があるのではないか,文字体系をまとめていく必要がありはしないか。かな文字教育のどこかでしめくくりをする体系ができあがっていないために,かたかなの能力が落ちているのではないか,などの問題を考えていかないと,落ち着きかけている現場を混乱させてしまう。また,かたかなを先にしないから劣っているかどうか,現場の指導法におちどがありはしないかどうか。どうか慎重に審議してほしい。

土岐会長

 国立国語研究所から,現状についての調査資料が出ている。西尾所長もこの席に見えているから,これについて報告を聞いてはどうか。

西尾所長

 国立国語研究所で調査したものを,審議資料の一つとしてさしあげたが,これは,かたかな・ひらがな先習論について表向きに調査したものではない。かたかな・ひらがなの読み書きについてどちらがやさしいかという調査には,すでに,松本・元良両博士の研究されたものがある。実際学習の難易はたやすい問題ではない。おとなの読み物がこどもの文字環境に影響を与えていることについては,複雑困難なので調査資料は作れなかった。現行制度によって,ひらがな・かたかな・漢字を義務教育で完全に習得できるということを前提として,実験学校を設けて調査し,どのような成果をあげているかという点を抜き出して報告したものである。
 国字としての重要性を目ざして,今の制度でどういうふうにやっているかということについて,調査からどんな結果が出ているか,要点を申し上げる。ひらがなを1年で先習した場合,4月〜9月の6か月で71字(清,濁,半濁音を含む。以下同じ。)のうち80パーセント習得。2年でかたかなを教えた場合,9か月で80パーセント習得ということになっている。これは,かたかな教育が不備のためであって,文字の困難からではない。教科書でかたかなの提出が少ない。71字のうち21字しか出ていないものさえある。最も多く出ているものでも2字は提出していない。提出度が少なすぎるということがいえる。(国研提出資料参照)個人的な意見であるが,このような調査を基礎として考えられるのは,今の教育がことばからはいっているという方向にきている。こういう観点から,ミルク・ラジオなどは世の中でかたかなで書かれていえる。正字法からいっても目に触れるものは,かたかなで教えるのが当然ではなかろうか。両方入れるのは混乱をきたすとの心配もあるが,一度は混乱も避けられないだろう。文字体系としてどこかでしっかり区別して教えなければならない。提出のしかた,指導のしかたによって解決がつくのではないだろうか。現在のような提出のしかた,指導のしかたは改善しなければならないと思う。
 漢字学習のうえからは,かたかなを習っておけば便利であろうと思うが,ひらがなよりも先に,かたかなをやることが必要であるかどうかということは,まだじゅうぶんな調査ができていない。第3の問題をしっかり取り上げて,現在の不備な点を検討し,国字問題の現在に処することは重要なことであると思う。

土岐会長

 今までの御意見から,第3の方法について,コースオブスタディー・カリキュラムの方法的な問題にしぼられてきたようである。自然にこういう方向へきたようであるが,きょうはこのところまでとしておいて,もういちどこの問題について総会を開きたいがどうであろうか。もし,小委員会を作ったほうがよいということでもあれば,そのときに決めたいと思う。

松 坂

 かたかなの成績が悪いということは目に見えている。かたかなをやめるなら別であるが,1年で外来語を申しわけ的に出しても問題にならない。初めからかたかなを全部教えてしまうこと,これをおいては方法はない。あるところまで混乱は免れないだろうが,混乱を受け入れて,早く整備するのが教育ではないかと思う。

土岐会長

 松坂委員の今の意見は,問題がしぼられていないということからであろうと思うが,五十音図的なかなの学習がいいか悪いかも問題である。現在は,ひらがなをことばとして学習させている。五十音図的に教えるのは,別に方法があると考えられる。

緒 方

 しぼるという意味は。

土岐会長

 ひらがな先習論と,かたかな先習論,それに対して現在の課程でどの程度かたかなを学習させるか,その方法である。

緒 方

 出ている資料には二つある。一つは調査であり,一つは主張である。きょう伺ったことで,これらについてははっきりしたが,もう一つ資料がほしいのは解釈である。これからやっていく問題は三つのうちの一つしかないが,これらに到達するにはどう理由づけていくかということが必要である。どうやるかについて,小委員会を作る前にもういちど総会で検討したい。全体に教育は下がっている。小学校ばかりではない。それらについても話していきたい。

土岐会長

 かたかな先習,ひらがな先習,かたかなもひらがなも併用というこの三つの問題について,われわれが審議する課題は,中央教育審議会の答申に基いてやることになっているのである。問題は,ここが中心である。

緒 方

 そういう主張が出た根拠のデータがほしい。でないと,かたかながふじゅうぶんだから先習にするという筋道が納得できない。事実を解釈して結論にいくよういしたい。

有光分科会長

 国語審議会と教育課程審議会とは,それぞれの立場があって,いき方も違うだろうが,両方で連絡していくからいいと思う。しかし,教育課程審議会では決められないことを国語審議会で扱うこともあっていいと思う。松坂委員の意見をどう判断すればいいか。また,緒方委員の意見の線で,もう少し討議していくか。ひらがなを先に教えるからかたかなの成績があがらないのであるか,両方同時に教えてもいいのではないかなどの問題があるが,国語・国字の表記の問題は,国語審議会で検討していき,どう教えていくかという教育の問題は教育課程審議会で専門家が研究すればいいのではないか。
 なぜ,1年からやらなければならないかということの根拠を考える必要がある。当用漢字のためにかたかなが必要であるということが起ってくれば,1年から先にやらなければならないということについて,もう少し意見を伺いたい。そのほかにももっといろいろなかたの意見を伺いたいと思う。

時 枝

 松坂委員の意見の,かなの学習の効果のあがらないという問題は,純然たる指導上の問題ではなく,現行の用字法の根本的改革を企図されているように思われる。これは国語政策の問題である。指導法の問題は国語審議会で扱われなくてもいいのではないか。

土岐会長

 指導上の問題であるという結論が出てもそれでいいと思う。ここで,そういう結果を見るまで審議していけばいいのではないか。

照 井

 ひらがな・かたかなの難易,学習指導上の問題に触れずに,この問題は論じられないのではないか。

石 井

 教育課程全体の上から国語学習がどうなっているかについて,高等学校では,そうたくさんの国語の時間をとれない。基礎である小学校でもじゅうぶんやらなければならない。ところが,現在は週6時間であって,これは従来の約半分の時間である。これではたして国民の基礎学力ができるであろうか。義務教育でどの程度やったらよいかということも考えていただきたい。

高 辻

 いろいろお話を伺っておいて,かえってわからなくなった点があるのでお聞きしたい。かなの教え方について,三つの問題のいずれかになるのだとは思うが,それぞれの観点・角度から違った形が出てきている。重点がどこにあるかを知りたいと思う。文字生活をどうもっていくのか,改良の見地からかというのが一つ。また,かたかな・ひらがなのいずれかに重要性を認めて,最初に重要なものをやるのかということであるか。わたくしは,かたかな・ひらがなは,使う度数は違うが重要度は同じであると思う。どちらも知らないわけにはいかないから,なるべく早い時期に読み書きの成果をあげるには,どういう方法でやればいいかなどに対して,観点自身の討議を先にしてほしい。従来の改良についてはわかりかねる。重要・不重要の点では,法令の立場からはかたかなの使用度はふえている。かたかなの地名も出てきたし,甲乙をつけることはできない。早く両方ともに習熟するにはどうしたらよいかという点について伺いたい。

土岐会長

 両方とも重要ではあるが,現在の学習方法として,ひらがな・かたかなのどちらを先にするのがいいかというのが中央教育審議会の答申である。しかし,第3の方法が正書法として考えられるというわけである。

高 辻

 かたかなにせよ,ひらがなにせよ,文字生活に慣れさせるにはどうしたらよいかということになると,理論よりも経験の問題になるのではないか。児童について実験をしてみるのがいいが,時間的に許されないとすれば,今までにやったデータを集めて考えてみたい。

松 坂

 さきにわたくしの述べたことについて,かたかな国字論に関しては省くとのことであったが,誤解を生じたと思われるので申し上げる。新聞,実務界でかたかなを使っている現状を述べたので,決してかな文字運動のためではない。

中 島

 両方併用している以上,どちらが重要かということは問題ではない。かたかなの習得が低下していることは,その原因を見きわめる必要がある。現状でかたかなの成績が悪いことを認めるのであるか。かたかなが読めなければ不便である。教科書の現状を聞いて驚いた。これはむちゃである。

遠 藤

 ひらがなが先に出ているために,かたかなを軽視している傾向はある。これは現場が錯覚を起しているのである。

中 島

 往来の看板が読めないこどもがあるということを認めることになるのであるか。現状を確認してからでないと議論を進める意味がない。

菅 原

 今の話を聞いてわたくしも驚いた。かたかなの使われ方について,ことばをかたかなで表現する場合,むずかしいことばをそのままかたかなで書いて使っている事実があるのではないか。そういう事実を並行して考えていきたいと思う。

波多野

 漢字の学習について,かたかなが重要であるということは,さきほども言われたが,現在の児童に,かたかなの「タ」と「ト」だといって「外」とう字を構成させようとしても,反射的にひらがなが出てきて,かたかなが浮んでこない。かたかなの一部を思い出すと,漢字がわかるということもたいせつである。漢字の場合,かたかなが反射的に出てくるように学習させておくことは必要である。国民学校のころは,国語は1週7〜8時間であったのが,現在では5〜6時間,この中には,話し方・聞き方が含まれている。したがって家庭学習に追いやられているありさまで,主婦の教授能力をあわせて考える必要がある。

土岐会長

 きょうはこれで閉会とする。次は,4月25日(月)に総会を開く。なお,それまでに,資料をできるだけ作ってお送りしたいと思う。

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