国語施策・日本語教育

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議事 審議

土岐会長

 ただいまから第28回総会を開く。暑い中をお集りくださってありがとうございます。議事としては,「かなの教え方について」の審議を願うのであるが,はじめに,保科委員の死去について国語課から報告がある。

白石課長

 (保科委員の死去について報告――さる6月16日,国語審議会を代表して土岐会長が病床を見舞われた。7月2日死去。同7日葬儀が行われ,会長が弔辞を述べた。――)

土岐会長

 議事にはいる前に,故保科委員に対して黙とうをささげたい。
 (一同起立,黙とう)

土岐会長

 「かなの教え方について」これまでの総会の意見を,小委員会(6.23)でまとめた案ができたので,あらかじめお手もとへお送りした。これに対して,千種・大塚・田口各委員から意見が送られてきた。きょうは,これらの意見も含めて皆さんから御意見を伺い,まとまったものにしたい。
 (会長〔案〕を読む。)

大 住

 諮問は,かたかなとひらがなとのどちらを先に教えるかということではなかったか。

土岐会長

 そうではない。1年でひらがなを教え,2年からかたかなを教えることに異論があるということである。どちらを先に教えるかというのでなく,審議会では,それは方法論的なものであるということに落ち着いたのである。

池 上

 〔案〕(2)の「かたかなの句または文」というのは,どういう意味か。また,(1)と(2)とは,どういう関連があるか。

土岐会長

 たとえば,「鈴がチャランチャラン鳴る。」は文で,「チャランチャラン鳴る鈴」は,句である。
 (1)は正書法的のもの,(2)は学習の資料である。

池 上

 その場合「鳴る」も,かたかな書きにするのか。

土岐会長

 そうである。

大 塚

 (1)は,ひらがな書きの習慣のない語は,ひらがなで書かないことになるととった。かたかな書きの習慣のある語とは,擬声語や外来語であると思う。しかし,実際にはかたかな書きがふえている。学術用語などその一例である。かたかな書きが習慣でないものも,かたかな書きをやりだし,それがだんだんふえてきている。わたくしの属しているある会などは,初めは国語審議会で定めたものにのっとってやっていたが,不便なのでしだいにかたかなをふやすという意見が強くなった。

土岐会長

 それとは性質が違う。(1)は正書法の場合であり,(2)は正書法をはずした場合の方法論である。

大 塚

 わたくしのは,将来かたかなを使うことが多い可能性のあるものは教えたほうがよくはないかということである。

石 井

 (2)の「教科書の中に――」は,「教科書」と限定しないで「学習の課程において――」としたほうがよくはないか。

松 坂

 大塚委員の意見に賛成。また,「教科書」を「学習課程(過程)」と直すのは危険である。現行の教科書では1年で社会の習慣と異なるひらがな書きを出している。それに対しての方針が(1)で,(2)は低学年で「山」や「川」を漢字で書かせると同時に,かたかなの文・単語や句を入れることである。

土岐会長

 教科書を使うことは,学習の課程の中に含まれるから,しいて「教科書」と限定しなくてもよくはないか。

松 坂

 「次のようなことが考えられる――」とあるから,次の(1)(2)では具体的に言ったほうがいいのではないか。

土岐会長

 具体化する上の考慮から,このような形になった。一案として,「学習の課程(過程)において(教科書を含む。)」とすることも考えられる。

高 津

 (2)の句・文は普通かたかなで書かないものでも,教えるためにわざわざかたかな書きにするのか。

中 島

 原文がかたかな書きのものは,わざわざひらがなに直さないで,かたかなのまま入れるということである。(たとえば,宮沢賢治のカタカナ書きの詩のようなもの。)「教科書などの中に――」としてはどうか。

吉 田

 中島委員の案に賛成。また,「句・文」のほかに「語」がはいったほうがいい。

緒 方

 「学習の過程において教科書などに,かたかなの語,句または文――」としたらどうか。
 (「かてい」は,「過程」か「課程」かが問題となる。)

時 枝

 教科書検定基準を縛るようなことは,しないほうがいい。

有 光

 「教科書の中に」をとってはどうか。

吉 田

 「学習の過程」はないほうがいい。

有 光

 方向を示すだけでいいのではないか。

緒 方

 (1)と(2)とは,どう違うか。

松 坂

 (1)は現在の不合理を指摘している。(2)はかたかな学習の方法論である。

吉 田

 (1)は現在かたかなで書いているもはかたかなで書く。(2)はかたかなをもっと効果的にするための方法をとるということではないか。

土岐会長

 (1)は現在第1学年では社会でかたかな書きのものでもひらがなで提出されている。それを1年から,かたかなのものはかたかなでやろうというのである。(2)の方法は,かたかなを教えるのに,いろいろ材料を広くして早く覚えさせようというのである。

有 光

 実際問題として,カリキュラムが変ってこなければ変えられないので,こういうふうになったのである。

松 坂

 もっと具体的に出したらどうか。

吉 田

 「教科書など」と,「など」があれば教科書検定基準を拘束することにはならないと思う。

有 光

 (1)にも教科書を変える意味がはいっている。(2)で,さらに「教科書など」といわなくてもいいのではないか。それは専門家に任せればいい。

緒 方

 教科書を使わなくても学習できるなら,さきほど松坂委員の「教科書」を入れろという意見とは矛盾する。

照 井

 そこは,「教科書などの中にも」と広い意味にしたい。

石 井

 ここは,他への影響を考慮してのことと思う。教科書のことはいわずに,それぞれの場で考えてもらうようにしたらいい。

颯 田

 「教科書など」と言わずに,「教科書にも」または「教科書の中に」でよくはないか。

土岐会長

 「教科書」の語を入れないで,広く「学習の課程(過程)の中に」という表現で,文字で表わさないが含みをもたせてはどうだろう。あるいは,「教科書」も「学習課程(過程)」もぜんぜん省いてしまうか。

松 坂

 「教科書の中に,かたかなの語・句または文などかたかなの学習を効果的にするために――」としてはどうか。

時 枝

 「教科書」に触れていいだろうか。

有光分科会長

 終戦後,教科書の地位が変り,まずコースオブスタディーによってカリキュラムが決まり,教科書は有力な教材となるのである。現状で,もっとかたかなに重点をおけということである。かたかなの資料を提供する方法はいろいろあるであろう。しかし,ここでは即断を避けておいたほうがいいのではないか。それには,「教科書」ははずしたほうがいい。

松 坂

 指導要領には,「3年で読み書きともに――」と出ているが,現状は習得できていない。結果において教科書をおさえることが必要ではないか。

土岐会長

 教科書に対する方法的なことは言わなくていいだろう。

西 本

 教科書は teaching aid である。教科書はスライドと同じ列にはおくが,印刷された物として大事なものである。影響を及ぼすことが大きいから入れなくてもいいと思う。

大 住

 現在は,かたかなは教科書以外では教えていないのか。

松 坂

 1学年では教えていない。2学年になって,ピアノ・ラジオの類が出てくる。

時 枝

 「学習の過程において」としたらどうか。
 (「学習の過程において」と決まり,「課程」「過程」は,「過程」と決まる。)

土岐会長

 (2)は,「教科書」は省いて,大臣に報告するときに,口頭で具体的に説明するということで,一応決めてはどうか。
(大部分 賛成)

大 住

 カリキュラムというような説明を要することばは,審議会は避けたほうがいい。

時 枝

 (1)について今の教育では,かたかなで書くものは,外来語・擬声語といっているが,一般社会ではかたかなで書くものが,やたらにふえてきている。漢語のかたかな書きなど,社会の習慣として認めるのであるか。

松 坂

 教科書では,厳格な規定はない。

石 井

 認めれば,国語審議会で認めるという条件がつかなければならない。

時 枝

 社会の習慣によって,教育をやっていくというのはどうであろうか。問題である。

大 塚

 教科書編集の方針にうたっておけばいいだろう。学会で使っているかたかなが教科書で使われている。外来語でない「テコ」(梃子)などその一例である。

松 坂

 新聞などでかたかながむちゃくちゃに使われているというが,国語合理化の流れとしてむしろ望ましい現象である。一般社会の動向としてやむを得ない。当用漢字実行のうえから,かたかなを交えているのである。大新聞がやっている。公用文では限定していようと,社会で使っていることは認めていかなくてはならない。

土岐会長

 表記の社会的習慣の,いい悪いということには触れていない。

時 枝

 かたかな書きの習慣のある語とは,どのようなものであるか。

緒 方

 かたかな書きにするものが,外来語・擬声語とすると,(1)の「現に社会で――」は困る。「高学年で用いるものをかたかな書きで教える」というようにしたら。

有 光

 「外来語・擬声語など,現に社会で――」はどうか。

丸 野

 「テコ」などがあるから,外来語・擬声語と限定することはどうか。

中 島

 かたかなを,外来語・擬声語に限定するのは無理だろう。「パン」や「ビスケット」をひらがなで書くのはきざであるが,学術語としては,「トラ」「ネコ」はかたかな書きである。

石 井

 「社会で」というのは,無拘束だから心配なのであろう。「教育でかたかな書きと決められているもの――」としたらどうか。

土岐会長

 「現に,かたかなの表記が一般に認められている語については,初めからかたかなで学習させる。」としてはどうか。

中 島

 「初めから」というのは,1年からという意味か。

土岐会長

 現在,1年では,一般にかたかな書きが認められているものを,ひらがな書きで教えているから,かたかな書きのものは初めからかたかなで教えるという趣旨である。

緒 方

 「初めから」は,いらないのではないか。
 また,ひらがなが基調になっているのだから,そこは「きまりのあるかたかな書きは」としたらどうか。

松 坂

 ひらがなから教えるのが現状であるから,「初めからかたかな書きで――」と,「初めから」は必要である。

緒 方

 「初めから」というと,4月1日からともとれる。
 「ピアノ」という語がいつ出るかということである。1年にはいってから効果的に教えればいい。ひらがな書きのものを途中でかたかな書きにするようなことはしないで,初めからかたかなでやるのだから「初めから」はいらない。

中 島

 千種委員の意見のように,「現行の方法においても」はとったほうがいい。次の,「少なくとも小学校第2学年あるいは第3学年――」ということばに触れる。

有光分科会長

 どうして「少なくとも小学校第2学年あるいは第3学年の終りまでに」としたかという理由を,ここではっきりしておく必要がある。

土岐会長

 ひらがながだいたい3年までに完全に習得される。しかし,かたかなも必要であるから,それらを同時にじゅうぶんに習得させなければならないということである。

西 本

 4年からは,学習の内容もふえ,児童の生活内容も豊富になるから,道具としての文字は,3年までに一応マスターさせておくことが必要であるというのではないか。

土岐会長

 文字といえば漢字の問題もあるので,ここではかなの表記の学習についていえばいいのではないか。

西 本

 かたかなは3年までにという段階を設けたらどうか。

土岐会長

 ひらがなが終るときに,同時にかたかなもともに終る必要があるという意味である。

有光分科会長

 ひらがな・かたかなともに,3年で習得できるようにするということを是認したのである。

白石課長

 さきの「現行の方法においても」をとると,国語審議会が,改めて新たに決議したような誤解を受けはしないだろうか。

土岐会長

 「現行の方法においても」を残しておくと,現行の方法を認めていることにもとれるから,削るというのである。

松 坂

 現行法では,3年の終りまでに習得させることになっているが,この案では2年あるいは3年となっている。

白石課長

 「現行の方法にもとづいても」という意味である。

松 坂

 「少なくとも現行の方法のように第3学年の終りまでに――」では。

中 島

 現行法は,3年の終りまでにかたかなを習得させるというのをなるべく早くかたかなを習得させようということであろう。

有 光

 現行では,3年であるが,かたかなは簡単であるし,2年の終りまでに習得できるかもしれない。しかし,最悪の場合でも3年の終りにはかたかなも全部習得させるということで,現行であると,かたかなが特に遅れるのである。

中 島

 現行の方法でいくと,「パン」は1年ではひらがなで出ることになるから,「現行の方法」はとったほうがいい。

松 坂

 かたかなは,一つ一つ全部を教えるのか。

土岐会長

 ひらがなの表記の全部を,かたかなについても教えるのである。今までの皆さんの御意見によって,まとまった案を読んでみる。
  (会長 修正案(別紙)を読む。)
 これで決定されれば,ただちに文部大臣に報告したいと思う。
  (賛 成)

土岐会長

 暑いところ長い間,ありがとうございました。きょうはこれで閉会する。

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