国語施策・日本語教育

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議事 質問、意見等

土岐会長

 まことに御苦労でした。これに対して質問・意見,また,これを総会でどう取り扱うかについて。

伊 藤

 現代かなづかいを抜本的に解決するのはむずかしいことである。調査の苦労に同情する。総会に責任をもってこられたが,国民のいちばん大きい問題であるかなづかいを,今後どうやるのか,数年かかって部分的な小改正をすることがいいかどうか,また,抜本的にやるか。わたくしは急進派であるが,かなづかいは,すぐ根本的に変えるか,多少の訂正にとどめるか,最後的決定はどうなるか。

 今言われたとおり,報告の終りで逃げたが,現代かなづかいは旧かなづかいを知らなければ使えないという性格がある。それをできるだけ早い機会に取ってしまいたいという方向に期待したい。

伊 藤

 非常に抜本的で進歩的な意見である。

 しかし,部会は,全会一致で希望することができない。部会として報告するのだが,全会一致の方向で進みたいという現実の処理の困難がある。
 総会で改訂の方向を決めていただけたらありがたい。

時 枝

 報告の終りの部分に不審がある。現代かなづかいは,成立当時の事情によって――と,特別の事情があったというが,事実が違うであろう。現代かなづかいを決めていくのは,旧かなづかいを現代かなづかいに修正していくという方向にあるのである。別の原則にたって決めるのなら別だが,歴史的変遷によって改めていくなら現状修正の線で今までのもののどこを修正するかという点にもっていくべきである。現代語音に基く整理が必要であるというのは疑問を生じる。現代語音に基いてなら別個の原則によるもので,それならば全面的に改めなければならない。原則ががたがたしている。個別的に申せば,「かたずく」を決める時の考え方に問題がある。「かたをつける」「かたがついた」ということばが一方にあるから,その連関を考えるべきである。これは2語連合にしたほうが体系が整うと思う。このほうが便利で使いよい。また,注意事項の2「レンチュウ」「レンジュウ」とあるが,「チュウ」ということがある場合は,「ち」の形を残して「ぢ」を保存しておいたほうがいいのではないか。かえってまぎらわしいと思う。

土岐会長

 今の意見に対して答弁がいるか。

時 枝

 いや,意見があればということだから申し述べた。

 実例の場合,いちいち説明はしてない。決めた当時のいきさつを当局から説明してもらう。

広田事務官

 「かたずく」について,「かたをつける」というから「づ」がいいのではないかという意見もあったが,「かたずく」は,一語とみていいのではないかという認定で「ず」になった。

時 枝

 「みかづき」と似ている。教育の現場で迷いが起るだろう。

松 坂

 「かたずく」の問題に補足する。「かたずく」は,ずいぶん問題になった。「仕事がかたずく」「娘がかたずく」のうち,娘のほうは一語の意識で「かたずく」(嫁)である。それぞれの意識によることではあるが,いずれも同じように普遍化し,一定したほうがいいといううえから,物よりも人を尊重するということで,娘が「かたずく」のほうに寄せて「かたずく」としたのである。

中 島

 この問題はいつまでやってもきりがないだろう。これは原則を決められないだろうか,原則はいくつかのケースに分けられる。そうすれば,どれかに決められるだろう。2語の連濁の場合など,原則論に立って処理すべきである。わたくしは便宜的にやることは賛成だが,これは,めのこでやるときりがない。次の段階では,抽象的になってもいいから,原則を立ててやればある程度もむことができる。これでは原則がたっていない。原則を立ててやることを進めていただきたい。

舟 橋

 反対意見について,部会長の報告では,具体的に示されていないので補足する。わたくしを除いて多くの意見は,現代語音に基いて整理を加える必要があり,「は・へ」も発音どおり「わ・え」にしようという空気がある。「は・へ」だけは,今までどおりにしたいという意見が,わたくしと2〜3の委員にあった。「は・へ」を「わ・え」にするという革命的な処置をするのは国語の混乱を招くものである。「は」を「わ」にすることはどうしても同意できない。これがこれを防ぐために反対した根本である。「ぢ」「じ」の,「れんちゅう」も「れんぢゅう」,「つまる」を「づまる」としたいと思ったが,これは圧倒的多数で現代語音による整理がされ,わたくしひとりの反対では及びもつかないことである。わたくしは極右的な存在と見られて当惑している。そういうわけでなく,わたくしは文学をやっているので科学的でないのだと思う。現代かなづかいはあいまいで,どうしても未練を残して,「は」は「わ」にならない。下村先生も,ほかはみな賛成するが,「は」は「わ」にすることができないと言われた。これは文学者と科学者との対立がはっきり出たものである。当用漢字についても同じことで,科学者だけが集って国語を決める。ここに出たとき,科学者でないので恋々として旧態に心をひかれ,少数意見を出すので部会がまとまらない。こうした少数意見が出て障害になり,強い革命的意見の松坂委員などと対立して一方をじゃますることになり,中島委員の言われたように原則を決めて科学的にやるということになれば,文学者は必要ない。国語審議会は進歩的であることを喜んでいる。こうした進歩的な審議会に敬意ははらうが,わたくしは,文学者として未練を感じているのではなく,古い語いを残したいのである。当用漢字で書けず,現代かなづかいでぎくしゃくするものが非常に多いので,これを国語審議会で考えてほしいので申し上げた。

吉 田

 中島委員の原則を決めてやれという意見はもっともであるが,「ぢ・づ」については原則があり,2語連合の場合も原則はあるのであるが,その適用で問題が起る。たとえば,「もとづく」を2語連合とする側からは「もとづく」であるが,今はもう2語の意識がなく1語だとする側からは「もとずく」である。原則は一応あるが適用上で問題となる。原則を決めてもなおかつかたづかない。舟橋委員は,文学者はすべて旧かなづかいを欲すると言われた。舟橋委員だけが文学者ではない。作家の中には現代かなづかいの人もいる。

大 住

 舟橋委員に申し上げる。部会では,「てにをは」はあのままでいいではないかという意見のほうが多かったのではないか。舟橋委員ひとりが反対したのではない,「てにをは」はあまり問題にはならなかったと思う。

 そのとおりである。具体的に審議したのが,資料(1)(2)(3)であり,(4)は問題はなかった。全面的な改訂論者でも,「てにをは」はそのままにしておくということであった。

金田一副会長

 原則を立てても実行に臨んで疑わしくなるため,原則を立てても無益であるというのはどうだろうか。言語学的には,2語連合とは,一つ一つの語が純然たる単語であるときをいう。「こずかい」の「こ」は接頭語である。「つかい」と意識するからという理由で「こづかい」とするところに混乱がある。「かたづく」「もとづく」の「かた」「もと」は独立の単語で,これは2語連合と認められる。「こずかい」は「こいし」「こがたな」の「こ」と同じ接頭語で,2語とみるべきではない。分けることができなければ,1語と認むべきである。このように2語の連合を吟味してゆけばはっきりする。独立して使われることが原則である。接尾語も,同じであるから「ず」でいいと思う。これが唯一のごたごたを避けるものだと考えている。

時 枝

 「世界中」(せかいじゅう),「女中」(じょちゅう)と,澄むときと濁るときとがある,これは2語連合と認めていいと思うがどうか。

金田一副会長

 「中」(ちゅう)は接尾語とみればいい。「ちゅう」「じゅう」は,澄むときと濁るときとでは別の字になる。

時 枝

 「中」(ぢゅう)は,文字として「ち」を保存しておいたほうが,体系として整うのではないか。2語連合と認めていいと思う。

金田一副会長

 「中」(じゅう)という語は,独立しては用いない。

 そういうことは,部会の審議中しょっちゅうくり返された。「自分はこう思う」というだけでは,水かけ論ではてしがない。どんな学者でも決めようがないのではないか。

高 津

 1語か2語かを判断させるということは感心しない。こどもに1語か2語かをわからせるのは困難である。そのような考慮なしに書ける方法がいい。

金田一副会長

 こどもには,なぜこう書くかを教える必要はない。一語一語具体的に教えればいい。「one」「two」を,一語一語,この語はこう書くのだということだけを教えればいいので,なぜそう書くのかは教えなくていい。

高 津

 それなら歴史的かなづかいでもちっともかまわない。もっとやさしくするというのでないと…。

金田一副会長

 現代かなづかいでは,「ちゃう,ちょう,てう,てふ」はみんな「ちょう」一つで書ける。「きゃう,きょう,けう,けふ」にしても「きょう」でいい。「よう」も同じである。歴史的かなづかいでも,現代かなづかいでも同じとすれば,歴史的かなづかいのこのような区別が覚えられるか。これが日本語の漢語・古代語・近代語に普遍的に起ってきた事実である。これが,古語と現代の日本語とを区別する目安となるものである。両者の難易は天地の差である。

高 津

 それなら発音どおり書いたらいいのではないか。

金田一副会長

 ほんとうのところはそうだが,実行性がなければ机上の空論である。それは原案としても問題になった。 なぜ,にしたか。とするのが理想的だが,当時3大新聞社が,にすると紙面が読みにくくなる。は,ことばの上について読むくせがある。読みにくい新聞は作れない。紙面と目のうえの抵抗でもあるというので,あしたからでも実行できるという程度に表音かなづかいを歴史的かなづかいに譲ったので,全国の新聞社・文学者もこれにならった。将来はそうなるために,当用漢字とともに遠大の目的のために譲ったのである。実行のためであるから暫定的なのである。

高 津

 区別のあることはややこしい。自分としては一本にしたい。

金田一副会長

 わたくしの辞書は発音どおりでやっているが,一般がやっていけるものでなくてはならない。現代の成人は,将来のために犠牲にならなければならない。食生活その他の問題でもたいへんである。新しい時代のためがまんしてほしい。後の人に対する苦しみである。

高 木

 議事の進行と関係して申し上げる。中島委員は原則を立ててやれと言われた。金田一副会長は,原則は立てられる,立てておいてこどもに教えると言われた。金田一副会長の意見をまとめていったほうが議事が進むと思う。金田一副会長のは,2語の連合とは,一つ一つの語が純然たる単語である場合で,「こずかい」は2語の連合とは考えなかった。
 「れんちゅう」は2語の連合とは考えないで,これに準じた取扱をしたらどうかという意見はいいと思う。多少今の常識から離れても,そうした原理・原則を立てるなら立てておく。例外は割愛する。教える場合は理屈なしに教えていく。識者は知っていて,場合によって教えていく。「は・へ・を」は,今までどおりにするという意見が多いから問題にしなくてもいい。こうすれば一つの問題に集中させていくことができる。この総会で伺ったところでは,わたくしは金田一副会長の意見に賛成する。

下 村

 舟橋委員から,わたくしが「は」を「わ」と書くのはいやだと言ったと言われたが,これは部会の席で話したことであるけれども,もういちど皆さんに聞いてもらいたい。ここに集っているのは老人が多い。老人はやがて死んでいくが,将来を達観しなければいけない。長い習慣のために,ほかのものは新しいものに直せても「は」を「わ」と書ききれないのである。いやだということと,いかにすべきかということは別のことである。
 度量衡の場合でも,メートル制を決めたとき,わたくしも委員であった。わたくし自身は,貫・尺を使っているが,今日の若い人はメートル制になじんでいる。いい悪いではなく習慣づけられているのである。新聞社は読者を,審議会は世論をひっぱっていかなければならない。わたくしは戦犯容疑者となった。そのとき,マッカーサーに,この機会に日本の府県を合同すべし,日本の文字を統一すべしなどということを進言した。これはいれられなかった。イギリスではポンドを用いているために,世界の産業がどれだけ迷惑しているかわからない。普仏戦争で破れたフランスのメートル制を勝ったドイツが採用した。イギリスでは,下院で通過したが上院でだめになった。あのとき通っていれば世界はどんなに楽になったであろう。トルコのケマルパシャは,アラビア文字をローマ字に直した。やろうと思えばやれることである。実行に移すように国語審議会はもっていかなければならない。原則があって例外がないことは理想的ではあるが,ある方向に実行に移してほしい。われわれは長い歴史にとらわれているから,現代かなづかいはいやだが,後世からあの時代の国語審議会はこういうことを言っていたということを記録に残しておきたい。お互いに進歩するほうへ努力しよう。これは年とったわたくしの言うことであるが,全体のもののいいほうへ進めてほしい。これは国語だけの問題ではない。世界各国の問題であると考える。

舟 橋

 下村委員の言われた,新しい古いは年とは関係ない。現にレスリングはポンド,すもうは貫を使っている。若い年代にも,もっと古いものもある。三島由紀夫その他は歴史的かなづかいを使っている。現代かなづかいに困難を感じているのが大多数ではないか。新しい人も決して簡単にすることのみに賛成しているわけではない。わたくしは,新聞で(小説の)現代かなづかいには迷惑している。当用漢字は実行されていない。さきほど,わたくしだけが文学者であるような印象を与えたようだが,わたくしだけでなく,だれにも歴史的かなづかいに対する未練はあるだろう。ここではわたくしひとりが反対している。現代かなづかいは制定当時に曲げられている。わたくしは当時は,はいっていなかったが,今は文芸家協会の代表として来ている。中島委員もおられ,進歩的な人もいるが,文芸家協会のだいたいの傾向としては年とった人も若い人も,当用漢字・現代かなづかいには困難を感じている人が大多数といっていいと思う。吉田委員の言われた現代かなづかいを賛成している人は数のうえから言えば,3対1ぐらいになっているのではないだろうか。新しい時代の人もただ簡単にすることには満足してはいない。もっと複雑に表現したいと考えている。
 いくら申してもきりがないから,わたくしは現代かなづかいを主張する強い意力を持っている人に代ってもらうべきだと自覚している。さきほどの金田一副会長の意見が動かすべからざる大勢なら,わたくしは異端者であり,じゃまするようでこの場にいづらくなる。

中 島

 ただいまの舟橋委員の意見は,舟橋個人としてならいいが,文芸家協会を代表してのものなら少しかってなことを言いすぎるのではないか。わたくしも文芸家協会の理事であるが,文芸家協会がもめているようでみっともないし,申しわけないことである。この席で舟橋委員と論争することがあるだろうとは最初に申し上げた。沈滞した空気の刺激となることなら舟橋個人としてどんどん発言してほしい。
 「かたづく」の問題は,2語連合とみるか,1語として発音どおりにするかは,どちらでもいいと思う。この原則をどちらかに決めてほしい。わたくしは,簡単にことばの音で表わしたい。困難だと思うものは「ず」にしている。常識では「かたずく」「もとずく」もみな「ず」にしようというのであろう。

遠 藤

 金田一副会長の説明をもう少し聞きたい。原則論が出たが,現代かなづかいの原則がもたもたしているのは,1語を表わすかなの使い方が,歴史的かなづかいと,ことばの音を表わす現代かなづかいとの原理に分れているからの混乱であろう。「かたづく」を2語とするのは歴史的精神であり,「かたずく」とするのは現代的精神がはいっている。理想的な案としては,ことばの音で表わす方法にするが,歴史的なものも若干入れておきたいと言われるのであるか。

金田一副会長

 原則は音どおりとしたいのだが,「もとずく」を「ず」にしては変だといって受け取りかねる人が多いので残してあるのである。わたくし自身が必要としたのではない。そのうちに原則を生かしていくなら,ことばどおりに解釈していったらいいと思う。1語か2語かの独立性をもっているかどうかが標準となっている。必要からでなく,原則を生かすためにである。

遠 藤

 2語の連合の条項を生かしておくのであるか。

土岐会長

 このへんで議事の整理をしたいと思う。第1部会の報告に対して意見が多く出ることは予想していた。この報告は,今までの部会の努力・希望をお伝えしたものである。これに対して問題はいろいろ出たが,なかなか議論が尽きないから,きょうの意見も取り上げ,さらに部会で考えてもらって,第2・第3の報告をまとめてもらったらどうだろう。これは報告であって,決議や建議にもっていこうとしているのではない。学術的調査をしてどの程度まで原則が立てられるか,また,世論を聞き,その他の意見を聞くとある。この問題は一応終りとしたい。

時 枝

 原則を考えよという意見に対する考えを発言してもいいか。

土岐会長

 第1部会でこの問題をさらに検討する際にしてはどうか。

 第1部会の報告は,二つに分けて考えてほしい。一つは,現代かなづかいを告示など動かさずに,どうしたら都合よく使えるかという「現代かなづかいの適用について」である。次は,これを審議した結果,現代かなづかいはこのままではいけない,改訂の方法を考えてほしいということであって,初めの「現代かなづかいの適用について」は,今までのものの具体例を補足したものである。次の改訂が成立し,それが原則にまで及ぶものとすれば,それまではこの「現代かなづかいの適用について」を一応認めていただきたいというのが部会の気持である。現代かなづかいは,告示を改訂しないかぎり疑問の点は解決できない。今後,現代かなづかいを審議する方向について,あとのほうは部会で意見を述べてもらえばいい。現代かなづかいは今までどおり認めたうえで,困るものをどうしたら便利になるかという部分の改訂になるのである。どうかその点を了解していただきたい。

土岐会長

 原部会長の意向も含めて,世論に聞く資料も出されているし,総会は公開でもあるから,これは自然外に出るだろう。世の中の批判も考慮して,部会でさらに慎重に検討する。もしそれでよければ,この問題は解決し,また,改訂についての考慮が払われたことも世間に伝わる。

 それは違う。もういっぺん部会の報告をくり返すが,「現代かなづかいの適用について」は告示についての原則を変えることなく,現在困っている点を解消するためのものであるから認めてほしい。告示に触れていないものであるかぎり,いっこうさしつかえないものである。部会の空気は,現代かなづかいは,歴史的かなづかいを知らなければ使えないものであるから,なんとかしなければならない。この点については総会でなんらか指示してほしいと願っているのである。

土岐会長

 わたくしの言うこととそう違わないのではないか。第1部会の報告は,部会での調査研究はこうした範囲で考えられた報告である。告示の適用をふまえたものであることの報告であり,これを解決するうえの考慮が発言の中にあった。報告を聞いたことは事実であり,部会の線に沿うことにもなる。総会で報告されたことを認めればいいのではないか。総会で認めたということと法律的にどうなるか。

高 辻

 特に申し上げることはないが,部会の報告があったという事実を認めるのか,それ以上のことを望んでいるかの相違ではないか。

 現代かなづかいの疑問について国語課へよそから聞いてきたときに,新しい資料で返答ができるようにしたいということでもあるのだが。

土岐会長

 「もとづく」は,もとの原則そのままではないのではないか。

 2語連合の見解の相違である。これはいくら議論しても始まらない。2語か1語かは,この例にあるとおり解釈したというところである。原則を変えたのではない。こうしたほうがつごうがよいという研究の結果を出したのである。ただ例をふやしただけである。

舟 橋

 これは,適用について原則が変らないからといって,総会で認められれば,世の中で実行されるのであるか。

土岐会長

 総会で認めたとなれば変る。

舟 橋

 「口づたえ」「口ずて」など,かなりまぎらわしい。ここで決まり,これで正しいと微妙なところで決められてしまっては困る。

高 辻

 報告の本論の中でなく,総会に対する部会の報告をめぐっての問題に口を出すのはいかがかと思ったが,取扱のうえから感じたことを申し上げる。法律の原理・原則を適用する場合,解釈の問題が出てくる。事実について解釈は千差万別である。この問題を伺って,今までどおりの原則ではあるが,それをどう解釈するかという点で何か出ている。会長は,部会の報告は,権威あるものとして,総会で報告を受け取ったという意であろう。また部会長は,原理・原則は変りがないから解釈も同じだと思っていられる。今までのところでは,決めたという段階にまではいっていないと考えられる。総会では,部会の報告を承ったというにとどまるのではないか。

高 木

 「かたずく」などの問題について,ここですぐわれわれが権威あるものとして受け取るのであるか。

高 辻

 適用として正しいものとして受け取るのではなく,適当であると言ったことを,まだ決定ではないが,敬意を表するものとして承るのである。

高 木

 もうやることはないかもしれぬが,問題になった点だけでももういちど部会でやるという手続きが必要なのではないか。

高 辻

 今のお話のとおりである。

土岐会長

 今までのことで,御参考になったと思うから,部会の努力をむなしくすることでなく,御迷惑でも総会の意見を反映させて,もういちど部会で審議していただきたいと思う。

高 津

 このままでもういちど審議しても進まないのではないか。もう少し総会の指針が示されていないと,部会でやりにくいだろう。

 一語一語について練っていったところ,現代かなづかいはもっと考えようがありはしないかということになった。今のままでやるなら,ここまでしか考えられない。みな見解が違う。総会でも決まらない。総会が現状維持か全面改訂かの意思表示をしてほしい。

土岐会長

 今までの原則どおりにすればこうなる。また,現状に即しなくても理想的な方向を示したらこうなるという二つのものがあるわけである。前者と後者のどちらを採るかというところまでいって,それを決めるのが総会の方向ではないだろうか。

中 島

 問題はもっと具体的になるのではないか。「ちかづく」「きずく」「くちずて」「くちづたえ」などは,原則を立てるならすっきりさせてほしい。中(ちゅう・じゅう)は,具体的なことで付帯の追加をつけて考えたい。

土岐会長

 第1部会の報告に対してこれこれの意見があったという説明を加えて,これは世間にも伝わるはずである。それはそれとして,御迷惑でももういちど第1部会の仕事として考慮してほしい。
 予定の時刻が迫ったが,もう30分だけ時間を延長していただきたい。ローマ字調査分科会の報告をさきにしていただく。

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