国語施策・日本語教育

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議事 正書法について(1)

土岐会長

 きょうの議事は,「正書法について」ということになっているが,これを取り上げることになったいきさつを申し上げる。
 昨年11月10日の第29回総会で正書法のことをおはかりしたところ,これを取り上げるという話合いになった。具体的にどう進めたらいいかという問題を残して総会を終えた。昨年7月12日,中央教育審議会から答申した「かなの教え方について」の問題があり,国語審議会では,これに対する審議結果を文部大臣に報告した。その中に「(1)現にかたかなの表記が一般に認められている語については,かたかな書きで学習させる。(2)かたかなの学習を効果的にするために,学習の過程において,かたかな書きの語,句または文を交える。このようにして,かたかなについても全部,おそくも第3学年の終りまでに習得するよう指導されることが適当であろう。国語審議会としては,正書法その他国語国字政策の方向については改めて検討することとし,…」と言っている。それで,この正書法といわれるものを改めて検討することを約束しているので,これをどのように扱っていくべきか。
 学問的に考えることは,むずかしいかもしれないが,昭和24年改組後の国語審議会では法令用語・標準語その他多くの問題を取り扱ってきたが,これらの問題は当初にまとめた「国語問題要領」の線に沿って解決の方法をとってきたわけである。国語研究所からも資料を提供してもらい,国語課で事務的な処理,普及宣伝に努めている。こうして,国語問題は社会的に関心を集めてきたが,しかし,こうした仕事がどういう方向にあるかについては一般の認識がまだじゅうぶんでないようである。
 人名用漢字別表,当用漢字の補正案なども国語政策の推進を期するためのものであるが,この機会に漢字・かなづかいを含めてどのへんのところを日本語の表記の基準的なものとするか。そこに従来の仕事がまとまっていくと思う。
 まとめることができるかどうかはあとの問題として,必要だから扱ってみる。
 それが数年間審議してきたことの総ざらい,つまり体系づけになるのではないかと考える。これはいつかはやらなければならないことであるので,この任期中になんらかの形でまとめておきたいということになったのである。
 正書法と表記法といろいろあって,それらの一応の意味を決めてかからないと話がごたつくと思う。正書法をどういうものと考えるか。表記法でいいか,標準表記法とするか,まず,正書法というものを規定していただきたい。
 正書法あるいは正字法は,オーソグラフィーの意味に使われているが,外国のと違って日本の国語表記は漢字・かなの両方を交えているものもあり,その場合,どういうものに漢字を使うかの問題,かなづかい・送りがな・かたかなの問題,その他文法的にはわかち書きの問題もあり,社会的にはわかち書きは行われてはいないが,とにかく正書法をそのようなものと考え,文の表記,語の表記と考えれば,標準表記法ともいえよう。ことに,現在の現代かなづかいは,正書法(オーソグラフィー)として考えることによって,なりたつものと思われる。
 漢字は当用漢字のわく内でやっていくために,漢字のおきかえ・言いかえなどの問題があり,新聞社の表記方法と学校教育のそれと一致しないというようなことも出てくる。それらのばらばらになっているものを,国語審議会としてどう整理していけばよいか。こういうところからでも,日本的な正書法が考えられなければならないわけである。基盤あるいは基準と言ってもいい。

田 口

 わたくしは非常に期待している。正書法は独立国の国語として必要性を感じている。さきの総会で中国の略字などと連絡する委員会が持てないかという論があったが,それはどうなったか知らないが,どうしても正書法をやらなければならない動きになっている。今までの表記法は,はっきり正書法という名を使ってはいない。
 表記は一定の標準を示すものが必要である。それを守らなければ罰するというものではなく,もっと美しい書き方があるはずである。みんなが努力して理想に近づいていくというようなものでなければならない。
 文章などについて言えば,正書法にはずれているということは言わないようにしてその線に沿っていくようなものにしたい。科学でいうプロバビリティーを考える。幅のない理想点があって,一つの理想に近づいていく。つまり,はずれているから国語ではないとは言えないが,ある理想に近づいていくような正書法がほしい。

土岐会長

 わたくしが基盤と言ったのはその意味である。漢字・かなの一つでしか書きようがないというようなものでなく,たとえば,「さくら」と書くのに漢字・かなといろいろ書く場合がある。どういう場合にそれらを使うかという,その場合の使い方の基盤は出てくる。どちらか一方で書かなくてはならないということはない。
 当用漢字にないから,かたかなで書くということが出てきたが,これを無制限にやっていくと,もっとわかりにくくなる。新聞などで書くことがあってもそれは自由であるとして,基礎的なものはこうだということを示すことになるのではないだろうか。
 そういうことができるかどうか,できないから不必要ということでなく,できるかできないか,やってみる必要があるのではないかと考える。

伊 藤

 今の説明の中で少し意見が違うところがある。2〜3のものについては,もう決定済みのものがある。一定の基準のものを取り決めるのが国語審議会の務ではないか。今の正書法・基準・オーソグラフィーの間には多少変化がある。表現の方法であるから,基準を取り上げるのが,この会の趣旨なら,その目的に沿ってやるべきである。今までに,当用漢字・現代かなづかい・左横書きの実行など幾多の問題について部分的には実行されているとき,おのおのその標準法の趣旨に沿って確立させていくことが必要である。それらは熱心に行われている時期もあり,逆もどりするときもあるが,その趣旨に沿ってゆく以上,ある目標は必要と考える。わかちことば,わかち書きを採用することは,書く方法にもよるが,根本的に可能・不可能があると思う。現在,日本語は話しことばに変りつつある。これは文献によっても,ここ数年来飛躍的に変っていることがわかる。それから,縦書きでは進歩しない。よう音・促音は決定的である。標準語を日本の歩みとするときは,左横書きにするには,ひらがなとかたかなでは根本的な相違がある。かたかなを採用しないで左横書きはむずかしい。目の角度からも相違がある。左横書き・わかち書き・かたかな書きは当然必要だと考える。法律・官庁公用文の様式改正の面からも必要である。
 左横書きを採用することによって,実業界では驚くべき変化がある。東京都の調査では,縦と横とでは2〜3割能率が違う。ことに電力会社では,はなはだしく,5割7分のまちがいが減っている。そのほか貿易会社の例をとってみても,4割以上まちがいが少なくなっている。これは実業界にとって死活の問題と言っていい。これらは国語審議会の範囲に属している仕事である。正書法,標準表記法を取り上げるにあたって,左横書きの適否,わかち書き・よう音・促音の完全の実施,かたかな・ひらがな採用の検討などについてやってもらいたい。

土岐会長

 今の御意見は,ひらがなは使わないというたてまえからであるか。

伊 藤

 かたかなを原則として使う。ひらがなは商品名などに使う。この前のは,教育・教科書の面からであるが,わたくしは官庁の文書様式などの場合,横書きはかたかなを原則とすべきであるということで,むろん,ひらがな・かたかな両方とも使うのである。

土岐会長

 そうすると社会的慣習と逆になるわけである。

伊 藤

 「うどん・そば・しるこ・てんぷら」などの看板には変体がなのものまで残っている。しかし10年後,15年後には,小学校のこどもには読めなくなるだろう。しかし,これは広く実用漢字として読みうる一定のわくの中ではおせない。縦書きにはひらがなが絶対にいいものと考える。

時 枝

 正書法の問題は,かたかなの問題とからんで出てきたという御意見だが,「かなの教え方」では,現在かたかなで書く習慣のあるものはかたかなで教えるという現実の問題であって,いい悪いの問題ではない。現実に習慣のあるものをかたかなで書くというのが正書法の発端である。現実の習慣が大きく結びつかなければならない。かたかな・ひらがな論になると,政策論になる。標準語を教育しなければならないと同様に,全国的に標準的な記載法がなければならない。そういうことなら賛成である。

土岐会長

 わたくしはさっき時枝委員の意見と同じ考えで述べたのである。伊藤委員の言われた能率の問題は,次の段階であろうと思う。現実はひらがなを主としてかたかなで書く習慣のあるものはかたかなと考える。

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