国語施策・日本語教育

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議事 正書法について(4)

西尾所長

 先日も申し上げたとおり,国語究所では語い調査をやっている。その実態が出れば,語いの表記の調査をしたいと思っている。部分的にはできているが,現在進行中で成果を急いでいる。その結果として事業項目では,現代標準語辞典を作ることになっている。そのときは国語審議会で決められたものによって作りたいと思っている。国語研究所の辞書をもとにしてという話があったが,もっと広く,今行われている表記法で何が標準的であるかということをやっていただけば,よりどころにもなり,話し合う経過と相まってわたくしのほうの資料もお役にたつことと考える。

倉 石

 今までにかなり決まっているものもある。副詞・代名詞・助詞(てにをは)はだいたい決まっている。名詞は数かぎりない。けっきょく,動詞・形容詞をどういうふうに標準的に書くかという原則が立てば,名詞もやれるだろう。たとえば「すむ」「澄む」「済みません」などの書き表わし方を決めていく。順序を立ててやれば,正書法に対する疑問はなくなるのではないか。

土岐会長

 いろいろ段階があるから,まず原則を立てていくことに努力する。どういうふうにやるかは,小委員会を開いてやりたいと思うがよいか。

吉 川

 正書法について,実は今までよくわからなかったが,きょう話を聞いてよくわかった。正書法の第1は,当用漢字・現代かなづかいで表記するのが望ましいと解してよいか。

土岐会長

 現代の社会習慣としてそれが一般に行われているとみていいと思う。

高 津

 現在話合いは,そこまでいっていないのではないか。いろいろな原則のもとに,根本の原則が先に出るのではないか。いきなり現代かなづかいを持ち出すことはよくないのではなかろうか。

吉 川

 前提とするのではなく,そうしたものが望ましいとなれば,正書法の第1条にそのことが書かれるのであるか。

高 津

 たとえば,発音式に書くということがでて,語表記の立場で書けば結果として,現代かなづかいになるのではないか。いきなり現代かなづかいが原則として先に出ては困る。

土岐会長

 現代かなづかいが国語史的に現在存在するものと考えることはできる。現代かなづかいをどう考え,どう適用するか,それを正書法として取り上げる。現実的なものとして,かなづかいの現代的な体系として取り上げるのである。

桑 原

 小学校で教えている現代かなづかいをやるのでなく,現代かなづかいを制定した精神をよしとして出発する。結果として現代かなづかいの適用が一部分改められるかもしれないということであろう。

吉 川

 現代かなづかいが,正書法の委員会によって改めて検討されるとなると問題は大きくなる。

高 津

 手続はそうであるが,結果としてはそう変りはないと思う。

土岐会長

 現代かなづかいを考えるうえに,語意識を加えて考えると,適用の部分が変るかもしれない。

高 津

 そうすれば,現代かなづかいの原則が変ってくるのではないか。

土岐会長

 原則は変らないと思う。

石 井

 昭和24年以来,国語審議会がやってきた当用漢字・現代かなづかいは,それぞれ考えられるべきことが考えられてきた。今はそれのあとかたづけである。仕事の根本をはっきりしてほしい。現代かなづかいの検討などといってあまり驚かさないでほしい。ただいまの高津委員のような表現をされると心配になる。

大 塚

 もし,きれいなことばを使うなら高津委員の説のようになるが,正書法は,現在あるものをもとにして決めるべきもので,架空に決めるものではない。考え方は高津委員のような考えである。いきなり正書法を決めるのでなく,土台になるものをまず見つける。その方法として現代かなづかいが土台となる。外部に対する言い方を注意すれば,解決に近づくのではないかという期待をもっている。

高 津

 現代かなづかいを考えるとき,基本の立て方,根本的な考え方はそうでなければならない。

土岐会長

 現代かなづかいの見方,観察のしかたによるのである。われわれの考えているより別の面が強く出過ぎたようである。

高 津

 現代口語の書き表わし方の体系を立てるために,現代かなづかいを資料とする。現代かなづかいのまえがきからはいると,体系的でない部分を直さなくてはならない。

土岐会長

 体系づけを見つけるためにやるのである。

高 津

 現代かなづかいを原則とするのでは困る。

吉 川

 正書法の小委員会では,いかなるかなづかいによるべきかということは議論されるだろうが,別に新しいかなづかいそのものを論議することは権限を出ることになりはしないか。正書法の委員会草案を作るのならいいと思う。

土岐会長

 わたくしの考えも同じである。ただ,言い方の違いではないか。

吉 川

 きょうのことがそのまま外へ出ると,現代かなづかいが危機に臨んでいるような印象を受ける。正書法委員会は,日本語をどう表記するかを決める委員会である。

高 津

 現代かなづかいをいじるなら,第1部会でやればよいと思う。

田 口

 いろいろ議論は聞いたが,正書法をやる目的は,今すでに名文を書ける人のためにやるのであるか。または,これから学ぶ人のためにやるのであるか。文章の書ける人には文法は無関係である。学校で困っているのは,字を知らないというほかにことばの用法を知らないので日本語の文章が書けないことである。ことばの使い方を考慮すること,あわせて口語文法を確立すべきである。口語文法の確立なしに正書法はなりたつだろうか。かなづかいは末の問題である。学校では,語の使い方を教えていない。語が正確に使われるようにするために教えられる機会があるかどうか。今,じょうずに正確に使っているのは周囲の状況から覚えているのが多い。正書法の根本の文法教育をどう考えているのであるか。

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