国語施策・日本語教育

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議事 正書法について(1)

土岐会長

 まず,正書法について,わたくしから報告する。(資料〔総1〕「正書法について」を読む。)これは,現代かなづかいをその適用のうえで考えていく場合,現代かなづかい制定当時の説明のふじゅうぶんのものを,こういう考えでやれば説明がつくのではないかということでやったものである。まず,現代かなづかいについて,(1)表音的という考え方,(2)現在の現代かなづかいの適用による考え方,(3)語構成・語意識による考え方の三つの方向を考えて,それぞれについて整理してみた。その結果出たのがこれで,これは現代かなづかいの修正ではなく,現代かなづかいの意味をはっきりさせるという一つの考え方の形を出したのである。
 正書法を国語表記の規範的なものとして決めることは,漢字・かなを使うかぎり困難である。しかし,だいたいこういう線で,これが妥当だと考えられれば,国民的表記法が落ち着いていくのではないかと考えて,この報告書を出したのである。また,国語審議会としては,正書法を考えたとき,現代かなづかいについて世の中にいろいろある批判に対して,答を出さずあれで押し通すという態度をとらずに,現代かなづかいにはこういう問題があるということを示して,社会的にも考えてもらい,広く世論に問う資料として出したものであるということを御承知いただきたい。

時 枝

 この中で,連濁の「じ・ず」「ぢ・づ」と二とおり出ているが,これは中が動くものとみてよいか。

土岐会長

 それは,個人差でどっちになるか判定のつかないものがある。見解の相違もあるだろう。そこで判定としては,おおよそのところが例に出ているので,もっと語原的要素を考えるというものもあろうし,もっと表音的になるというものもあるだろう。

時 枝

 「とんちゃく」「とんじゃく」のように方言的に対立しているものも出ている。連想がこれでいいかどうか問題ではないか。

土岐会長

 「しんじゅう」など一つのまとまったことばで,「ジュウ」には「中」の連想がないと考えられる。清音のときは「チュウ」(中)であるが,濁った「ジュウ」のときは「じゅう」と書くということである。

時 枝

 正書法は漢字で書くということなら問題はないが,そういうことを意味しているのであるか。

舟 橋

 わたくしもおそらくこういう質問が出るだろうと思っていた。例示の表の前(5ページ)まではわりによくできている。小委員会の中には表音の支持者と,そうでない者とがある。これは必ずしも個人差ではなく,もっと大きな問題であると思う。例の中には「づ」の意識と思われるもので「ず」となっているもの,また,学問的にはっきりしていないものも出ている。最後の表の部分は,もう少し保留しておいてほしいと思っていた。この表は,分け方に無理があるから,もう少し保留しておいてはどうか。

時 枝

 今まで現代かなづかいは,一応表音的な線にいっていた。適用のところで,連濁・連呼がどういう要素で分けてあるか,はっきりしていなかった。そういうものについてある程度説明がつくのではないかという一つの考え方がこれである。ただいまの意見のように,これでは不適当だという考えも出てくるだろう。

時 枝

 現代かなづかいが制定された当時にも,連濁・連呼の意識があったと思う。どういう場合に表音式にするかはむずかしい。これは,潜在意識にあったものをもち出したわけだろう。問題はまだ残っている。

土岐会長

 現代かなづかいについての社会の批判に対して,国語審議会としてどう答えるか。今まで説明の困難な部分の説明を示すことができるならと考えてこれを出した。それらを正書法というわくに入れて考えれば,こういう考え方が出てきたのであるということを示せば,ある程度責任は果せるのではないか。これはこうなるのだと決めたのではなく,こういう考え方もあるということで示したのである。また,前に第1部会でうまくいかなかったものに対しての説明にもなるだろう。国語審議会としても,これらに対する今までのほおかぶりを全部ではなくても,取れるだけは取った形にもなる。

大 塚

 個人差ということについて,わたくしは次のように解釈している。さきほどの意見の場合だと変ってくる。たとえば,「とんちゃく」から「とんじゃく」になるが,「とんちゃく」というときは声帯の振動が加わっていない。「とんじゃく」という場合は「じゃく」をさきに覚える。声帯の振動はそのままにしておいて,t-zに2段の変化をしている。つまり1ぺんの変化しか認めない人と,2へんの変化を認める人との個人差である。これは相当多いことであるから,個人差,見解の相違だけでかたづけてよいかどうか。清音と濁音との両方が生きている場合は,清音の変ったものであるというふうに考えてゆけば,説明できるのではないか。

時 枝

 変ったものと説明すればどちらでもよいことになる。2本立てにすると同じように適用できるものに対して説明するのに困るだろうと思う。

大 塚

 音としてのインフォーメーションと,形としてのインフォーメーションとがある。

舟 橋

 われわれ審議会の委員としても説明のつかないものがある。たとえば「ずくめ」などについて,これらをどうするか。

土岐会長

 「ずくめ」は「つくす」と同じ内容をもっているという考え方が薄い。つまり「ずくめ―つくす」のつながりがここでははっきりしない。

 語原的の考え方は取り上げないということで,小委員会では決まった。例示には「語原的には関係があると見られる語」として出ているが,これはほおかぶりをとったから出てきた形であって,われわれとしては,これにこだわらないで考えるのである。「きぬずくめ」などでも,二つに分けられるという意見もあるだろうが,小委員会では,分けないで考えたのである。

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