国語施策・日本語教育

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議事 正書法について(2)

時 枝

 珍しいものは別として,「れんちゅう」「れんじゅう」(連中)などは両方使っている。教科書にも「ちゅう」という使い方は出ている。これは働きからいえば同じではないか。

土岐会長

 それとは違う。「ジュウ」(中)という音を「ぢゅう」と書く場合はないということである。したがって「れんちゅう」のときは「ちゅう」,「れんじゅう」のときは「じゅう」と書くのである。

高 津

 「しんじゅう」「れんじゅう」は語原意識を認めない。また,分析的意識のあるなしにかかわらず,「しんじゅう」から以下は例から省いたほうがいい。

舟 橋

 これは「ぢゅう」のほうがいいのではないか。

土岐会長

 ほかにもまた解決しきれないものがある。たとえば,「地」(じ)など連濁・連呼の形がないものなどの取扱をどうするか。正書法についてどこまで認めるかお考えいただきたい。

高 辻

 正書法について,考え方としては,まず一定の基準を設けることと,その基準によって実際に適用した場合との二つが考えられる。正書法の基準として採用するのは語意識・語構成でいいのかどうか。適用した場合はどうか。これ以外にいい基準はないのではないかということを明確にされたところは進歩的である。連想・語原的とみられるものはいいが,それ自身を一致さそうというのは問題であり,それを証明していくのは無理である。個々のことばについて当っていけば適用としては,この例示の表は,このまま入れることは時期が早すぎると思う。一部訂正するか,または全部削除してしまうことがよくはないかと思う。

土岐会長

 正書法として考えるときは,決めていかなくては正書法にならない。決まったことは,ある程度理由がなければならない。多少理屈に合わなくても,このへんが妥当であると認めようとした形のものもあるだろう。理屈に合わない場合があったとしても,語意識としてはこのへんまでオーソグラフィーで認めようというものもあろう。その結果,このへんが正書法ではないだろうかというものがこれである。現代かなづかいについて正書法を考えた場合,このへんで決めたらどうかというのである。
現代かなづかいを全面的に変えれば別だが,これを基調として考えれば現段階ではこの程度だろうということである。

時 枝

 わたくしも,現代かなづかいを生かして意見を申し上げている。このへんで決めるとは,どのへんをさすのか。

舟 橋

 今までの意見を聞いていると政治的なものが強すぎるように思う。

土岐会長

 現代かなづかいを正書法の中において見たというところである。今までの音表記から語表記として正書法的に考えたらこうなるというところである。

時 枝

 現代かなづかいは音表記とはいっていない。今までの連濁・連呼も語表記だろう。

土岐会長

 語表記としてこう決まった,正書法としてこう決まっていたという推定の中で,こうしたベースに立つ必要があったと思う。社会では,あなたのようには受け取っていないから,そこをやろうという意味でやったのである。
 また,高辻委員の意見は,資料〔総1〕5ページの考えに従えば,7ページ(下から4行目)の例をやめて,全体を取り上げるということであるか。

高 辻

 例を入れることはかまわない。また,こういう考え方そのものはいいが,これを適用する際,各人各様であるから,こういうふうに考えられるという例を示されていると,そういうふうにするのだととられるところに無理がある。けっきょくはある意味では人為的に一致するとは思うが,現在の段階ではこういうふうに割り切ること自身が無理ではないかと考える。

前田(賢)

 正書法としての考え方は実務上困っているところを,ある程度考え方の方向は決まって,たいへんけっこうである。しかし原則だけ決められても困る。例示はどうしても必要である。国語審議会の構成の有無にかかわらず許される範囲で,できるだけたくさんの例があったほうがいい。なるべく現代かなづかいの適用に便利なようにしてもらいたい。

土岐会長

 あたりさわりのない例では意味がない。問題になるものは,中に入れても外に出しても問題になる。国語審議会の任務は国語問題の解決のためにこう考えていったらどうだろうかというデータを出すことが,民主的な性格だと思う。決めなくては権威がないとは考えなくてもよいと思う。

松 坂

 さきほど,審議がふじゅうぶんだというような意見があったが,これは第1部会で,もみぬいたあげく小委員会でも議論をし尽した。第1部会・小委員会を通じてずいぶん長い間検討した。しかしこういう問題はいくら論議しても自然科学の原理のように割りきれるものでなく,いくらやっても一致点は出てこない。審議を重ねることと,学問的に割り切れるということとは違う。めんどうなものは握りつぶしてしまうことはかえって権威を失うことになる。むずかしいことに全力を尽すことが権威である。これは出た結果の最大公約数のもので,非常に謙虚に書かれている。このままで承認されることをお願いしたい。

高 辻

 この基準については,これ以上のものは考えられないと思う。また小委員会の審議の苦労はじゅうぶん敬服するところで,少しも審議ふじゅうぶんだとは思っていない。わたくしも例示は入れたほうがいいと思っている。しかし,わたくしとしては,まだ区別のつきかねる点が示されているので,このまま例として示すのは時期が早いのではないかと申し上げた。そういうものは除いたほうがよくはないかと考えるのである。

土岐会長

 では例示を付属書の形としてはどうか。本文のような考え方で行くと,「付」の例のようになるということにしてはどうか。

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