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正書法について(報告)

 国語審議会は,広く正書法について考え,その立場から,特に現在教育上その他において問題となっている「現代かなづかい」の適用上の諸点について審議し,別紙「正書法について」のような結論に到達した。

正書法について

 国語審議会は,昨30年,中央教育審議会の答申「かなの教え方について」を審議した際,正書法その他国語国字の将来の方向について,あらためて検討することとしたのである。
 戦後,「当用漢字表」「現代かなづかい」を制定した国語審議会は,さらに24年改組後,法令用語・標準語その他多くの問題を取り扱い,また「人名用漢字別表」「当用漢字補正案」などによって当用漢字の実行の円滑を期してきた。
 今その第3期の任を終えるにあたり,漢字・かなづかいを含めて,日本語の表記の基準を求め,これまで個別的に行われてきた仕事の総まとめ,ないしは体系づけを考えてみるべき段階に至ったといえるであろう。
 「当用漢字表」については,その目標や基盤の上に立って,いっそう妥当性のあるものにしていかなければならない。そのため,たとえば「当用漢字表」外の漢字をもつ漢語については,その漢語の言いかえ,その漢字の同音の漢字による書きかえ等の整理を試みる。また「現代かなづかい」はもちろん発音のままのものでないから,この際その原則の適用において語意識ないし語構成ということを考えてみることも必要ではないかという見解に達した。
 以上のことは正書法的な考え方によって解決の方途が求められるであろう。正書法(正字法)はオーソグラフィーの意味で使われているが,日本語の表記は漢字・かな(ひらがな・かたかな)を交えて書き,しかもその使用が比較的任意になりやすいから,厳密な意味での正書法は漢字・かなの表記であるかぎり,一定することがきわめて困難なことである。しかし,ひらがな・かたかななどの問題,漢字・かなづかい・送りがなを含めて,日本語の表記について正書法を考えてもさしつかえあるまい。あるいは,正書法の語を避けて,それを表記法といったほうがよいかもしれない。その場合,一語一語についてそれを漢字で書くか,かなで書くか,かなはひらがなで書くか,かたかなを用いるか,あるいはどの部分を漢字で書き,どの部分をかなで書くかというふうに決めていく方法もあり,また,どういう種類の語を漢字で書き,あるいはそれもかなで書くか,特にかたかなで書くというふうに原則的なものをまず決めてみる方法もある。もっとも,漢字・かなの一つでしか書きようのないというようなものではなく,たとえば,「さくら」と書くのに,漢字・かなといろいろ書く場合があり,どういう場合にそれらを使うかという,使い方の基準が出てくればよいのである。
 日本語については,すべての語について,かな書きをする場合もあるから,それも決めておかなければならない。
 正書法は,もともと語の一定した書き表わし方であるから,新しく考える際は,一貫した法則によることが望ましい。どうしても一貫できないものについては例外を認めざるをえない。
 「現代かなづかい」は,「大体,現代語音にもとづいて,現代語をかなで書きあらわす場合の準則」であるから,その適用として示された中には,必ずしも現代語音にもとづかないものがある。「現代かなづかい」は歴史的かなづかいでないことはもちろん,音韻表記としても徹底的なものではない。
 「現代かなづかい」では,連濁・連呼の書き方,助詞の「は」「へ」「を」の書き方,オ列長音をめぐる「おう」「おお」の書き方,「言う」の書き方など,必ずしも表音的ではない。
 かなづかいは語の表記であって,その語の表記によって語を認めるのである。その意味において,音韻表記の方式も語の意識によるものということができる。
 語の意識は,それによってまた,特殊な用法のあるものを特に区別するとか(1),同じような発音であってもその類を書き分けるとか(2),語の構成に対する意識を書き方の上に表わすとか(3)することができる。
 「現代かなづかい」における助詞の「は」「へ」「を」は,ワ・エ・オと発音するが,これは従来の書記習慣などを顧慮して本則としたものである。しかし,これも正書法としては,その妥当性が考えられよう(1)。
 「現代かなづかい」におけるいわゆる長音の「おう」「おお」の類については,異なる発音かどうかの問題はある。しかし,従来辞書などに試みられた表音式かなづかいにおいて,漢語と和語による区別,また音節の個々に発音されるものと2音節の融合して発音される感じのあるものとの区別などによって別の類とされていたことでもあるし,したがって,これを書き分けることにしたのである(2)。


 「言う」はユウという発音もあるが,「現代かなづかい」において「いう」とするのは,その語幹が動かないという意識によるものである。
 「現代かなづかい」の2語の連合における連濁の「ぢ」「づ」の書き方は,語の構成意識をかなづかいの上に表わしたものであるが,しかし,2語とは「ぢ」「づ」に始まる語の語意識によって前後の部分が二つの部分からできている意識のあるなしによって決まると考えられる。その意識は,後半を漢字で書く際の書き方,後半の語を含む語群との連想,その語と派生関係にあると思われる語との連想がささえとなる。
 もっとも,これらのうち,「家中」「一日中」の「〜中」などは,「〜じゅう」とすることに多少問題はあるが,しかし,ジュウと発音するものの中に「ぢゅう」と書かなければならない語がないから,「じ」と書いてもよいことになる。のみならず,「家中」「一日中」の「〜中」は,いっぱいの意味を添える接尾辞に転じて,語原とは離れてきているから,語原によらず「じゅう」と書いてもさしつかえない(3)。
 このように,語意識というものを導入すれば,「現代かなづかい」の中の難点といわれるものに対して説明がつき,「現代かなづかい」の適用もいっそう合理的に扱えることになろう。これは,「現代かなづかい」が歴史的かなづかいの体系にもどることではなくて,音韻表記の性格を保ちつつ,われわれの現代日本語の語意識を基としようとするわけである。
 「現代かなづかい」の連濁の問題点について具体的に説明すれば,次のようになる。


 「ぢ・じ」「づ・ず」の書き分けについて,語意識の考えを導入し,疑問の語を処理してみると,「2語の連合によって生じたと書く。」という場合の「2語の連合」ということばは,その解釈に幅をもたせる必要が生じてくる。2語の連合といっても,必ずしも独立する語どうしの結びつきに限らず,接頭辞・接尾辞のような接辞と独立が明らかな語との結合をもその中に入れて考えられる。こう考えてくると,現代語として語構成の分析的意識がある場合には,と書くことになる。このときは,漢字の連想を伴う場合もあろう。
 以上の考え方に従えば,たとえば次の語にはを使うことになるであろう。


正書法 ぢ・づ


 また,次のような語は,現代語としては,語構成の分析的意識のないものと考えられよう。したがって,これらには,を使うことになるであろう。


正書法 じ・ず


 語構成の分析的意識は,現状においてはかなり個人差のあるものであるから,以上の判定についても見解の相違はあろう。(たとえば,特に,*印をつけてあるもののごとき。)しかし,「現代かなづかい」を前提とすれば,この程度の判定を認めることによって正書法の解決に一歩近づくことができるであろう。
 今期の国語審議会においては,かなの学習についてかたかなの教え方を正書法の問題として位置づけたが,さらに「現代かなづかい」の適用上の問題点を考え,また,「当用漢字表」による漢字の置きかえについても,その一部分について成案を得たわけである。
 われわれは正書法の確立について,今後さらに広く実践と研究が行われることを期待するものである。

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