国語施策・日本語教育

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語形の「ゆれ」について(部会報告)

〔第2部会審議報告の別冊〕

語形の「ゆれ」について


1

 国語の中には,発音・アクセント・語法あるいは表記の各方面において,語形が確定しないで,いわゆる「ゆれ」ている語がある。そして,この語形のゆれが,われわれの言語生活や教育のうえで多少とも妨げになっていることはいなめない事実である。コミュニケーションの合理化,教育の負担軽減という立場からいって,語形のゆれの整理統一を図ることは,当面の要望にそうばかりでなく,標準語ないし標準的な表記法の確立への一段階としても意義のあることであるといえるであろう。
 ここでは,語形のゆれのうち,漢字表記(当用漢字の範囲で)ゆれと発音のゆれとに限って取り上げ,その整理統一について考えてみる。


2

 語形のゆれについては,国語辞典・漢和辞典などに記載されているものもあり,また実際上に必要から,内閣法制局の「法令用語改正要領」(国語審議会「法令用語改正例」に基づく。),文部省の「文部省刊行物表記の基準」,日本放送協会の「日本語アクセント辞典」「放送用語参考辞典」,日本新聞協会の「新聞用語集」(統一用語を収める。)などで,そのどちらを採るかが決められているのものある。国立国語研究所では,語形確立のための基礎調査を試み,その結果が同所の年報7の中にまとめられている。国語審議会でも,「法例用語改正例」の中や標準語部会の審議で,この問題を取り上げたこともある。しかしながら,語形のゆれについて,広く語例を集め,その使用度数などを調べた実態調査の類は見あたらない。

第1部 漢字表記の「ゆれ」について


1

 漢字表記のゆれを整理して,その標準的なものを選ぶうえで考えるべき事がらをあげてみれば,まず原則的には,いわゆる「正しい」とされている,あるいは一般的に行なわれていることが尊重されるべきであろう。しかしながら,それだけで断定するのは適切でない場合もある。すなわち,漢字の意味がわかりやすいとか,字画が少ないとか,熟語構成の機能が大きいとか,かな書きにするほうがよいとかいうような観点からも考えられなければならない。
 これらのほかにも,なるべくなら教育漢字(当用漢字別表の漢字)であること,問題になっている漢字を使う語群の中の統一,同訓異字の整理なども,考えのうちに入れるべきであろう。
 以下,具体的な語例について考えてみる。


2

 「専門」と「専問」――本来は「専門」が正しいのであるが,一般の人にはこの場合の「門」の意味がはっきりしないために,「学問」の「問」などと混合して書かれているのか,あるいは字形が似ているためにあやまって書かれるのか,しばしば「専問」という用例を見かける。今日のところ,これは誤りとすべきである。したがって,この場合はゆれの問題というよりは,むしろ正誤の問題である。このように,国語の漢字表記には,他の語と混同して誤りをおかしたり,あるいは字形が似ているために,ついあやまって書いたりすることが多い。
 次に掲げる語なども,かっこの中のように書かれることがあるが,これらは今日ではまだ誤りとみなすべきであろう。

委 譲(依 譲)   会 心(快 心)
架 空(仮 空)   荷 担(加 担)
疑 似(擬 似)   決 着(結 着)
更 迭(交 迭)   口頭試問(口答試問)
根 性(根 情)   小 康(少 康)
縮 小(縮 少)   折 衝(接 衝)
善後策(前後策)   漸 次(漸 時)
忠 告(注 告)   篤志家(特志家)
特 典(特 点)   発 起(発 企)

 これらのうち,「荷担」「決着」などは,今日では「加担」「結着」の語を記載する辞典もあるくらいなので,むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない。


3

 「記念」と「紀念」――今日では,「記念」のほうが広く行なわれていて一般的であり,「紀念」はあまり使われない。「史跡名称天然記念物」というように,「記念」を使っている。
 したがって,今日,「記念」を採ることに異論はないと思われる。このうように,漢字表記にゆれがあるといっても,その一方が一般的であるということで解決のよりどころとすることができるものもある。
 次に挙げる語なども,かっこの外のほうが一般的であると考えられる。

栄 養(営 養)   簡 単(簡 短)
観 点(看 点)   気 概(気 慨)
機 転(気 転)   規 範(軌 範)
漁 網(魚 網)   幸 運(好 運)
豪 胆(剛 胆)   作 戦(策 戦)
残 酷(残 刻)   自 動(自 働)
集 荷(集 貨)   冗 員(剰 員)
定 規(定 木)   定 宿(常 宿)
常 連(定 連)   準決勝(准決勝)
親 切(深 切)   深 刻(深 酷)
素 性(素 姓)   整 然(井 然)
折 衷(折 中)   先 頭(先 登)
奏 功(奏 効)   滞 貨(滞 荷)
端 正(端 整)   富 裕(富 有)

 これらのうち,「集荷・集貨」「冗員・剰員」「奏功・奏効」「滞貨・滞荷」などは,むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない。また,「素性・素姓」は,もとは「素姓」が一般的で,「素性」は「根性」などとの混同かとも考えられるが,今日では「素性」のほうが一般的に行なわれている。


4

 「語源」と「語原」――「原」「源」は同字である。教育漢字であり,字画も少ない点からは,「原」のほうがよいのであるが,現在では,「原」は「はらっぱ」,「源」は「みなもと」というふうに意味が分化して使われる傾向にあるから,これからは,しぜん,「語源」と書くようになっていくであろう。「起源」「根源」「病源」「源泉」「源流」なども同様である。比較的に新しく造られたと思われる「給源」「財源」「資源」「震源」「熱源」などの語は,「源」を使って「原」は使わない。しかしながら,「原」から「もと」という意味をなくすことはもちろんできない。「原因」「原住民」「原料」など多くの熟語があるからである。
 「賞賛」と「称賛」――この場合も,「称」に「たたえる」という意味のあることは,一般に知らなくなってきているから,だんだん「賞」を使うことが多くなっていくであろう。これからは,「称」は「となえる」の意味の「称する」「称号」「愛称」「人称」「名称」などの場合に使い,「称賛」「称美」「称揚」「嘆称」などは,むしろ「賞」を使うことも考えられる。
 「肉薄」も,「薄」の字は「迫る」という意味であるから,当然「肉迫」と書いてもよいわけであるし,また,そう書くほうがわかりやすいといえるであろう。


5

 「付属」と「附属」――「附」「付」は古くから通じて使われている。「付」は字画が少ないので,今日では,「付属」を採ることが望ましい。同じように,これまで「附」と「付」とを使い分けてきた,「附加」「附記」「附近」「附言」「附則」「附随」「附帯」「附託」「附着」「附録」「寄附」「添附」「附する」,「付与」「付議」「下付」「交付」「付する」なども,すべて「付」の字でさしつかえないであろう。
 これは当用漢字表選定の際の方針でもあったが,同表には日本国憲法に使われている字として「附」をも採っている。音訓表では「付」に「フ・つける」の音訓を採り,「附」には「フ」の音のみを認めている。教育漢字では「付」を採って,「附」は採っていない。補正資料では,「附」を削る字の中に入れている。
 その他,字画が少ない,あるいはなるべくなら教育漢字であることが一つのよりどころとなりうる例としては,次のような語がある。

究 極(窮 極)   建 言(献 言)
古 老(故 老)   醜 体(醜 態)
重 体(重 態)   小 憩(少 憩)
小 食(少 食)   順 守(遵 守)
順 法(遵 法)   植 民(殖 民)
試 練(試 錬)   鍛 練(鍛 錬)
定 年(停 年)   年 配(年 輩)
配 列(排 列)   反 復(反 覆)
表 札(標 札)   表 示(標 示)
変 人(偏 人)   膨 張(膨 脹)
容 体(容 態)   乱 作(濫 作)
乱 造(濫 造)   乱 読(濫 読)
乱 発(濫 発)   乱 伐(濫 伐)
乱 費(濫 費)   乱 用(濫 用)
乱 立(濫 立)

 「遵」「錬」「濫」は憲法に使われている字である。補正資料では,これらを削る字の中に入れている。字源的に「錬」は「練」でさしつかえないし,たいていの場合「遵」は「順」,「濫」は「乱」でさしつかえないからである。 また,「膨脹」は「膨張」でさしつかえないから,「脹」も補正資料では削る字にしている。なお,「醜体」「重体」「容体」「順守」「順法」などをこう決めるには,多少の異論があるかもしれない。


6

 「何歳」と「何才」,「年齢」と「年令」――年齢を数える場合に,「歳」のかわりに「才」を使い,また,「年齢」の「齢」のかわりに「令」を使うことはこれまでもかなり普通に行なわれている。「才」「令」は教育漢字,「歳」「齢」はそうでないことなども考え合わせると,今後はこのような場合,「才」「令」の使用がいっそう一般的傾向になるであろう。これを一概にとがむべきではないと考えられる。
 「率直」と「卒直」――「率」を「利率」「円周率」など「リツ」と使う場合には問題はない。ところが,「ソツ」と使う場合,「率直」「率先」などの「率」に「卒」を使うことがこれまでも行なわれている。これは,「率」の字画が複雑なので,音通によって簡単な「卒」でまにあわせるのであろう。「卒直」「卒先」などは,今日では,漢和辞典にも記載するものがあるくらいである。そこで,これを広げて,「軽率」「引率」「統率」などの場合にも,「卒」を使うことが考えられる。そうすれば,「率」は「リツ」とだけ使って,「ソツ」には「卒」を使うようになっていくかもしれない。


7

 「劇暑」と「激暑」――演劇関係の語に使う「劇」は別として,「はげしい」という意味に使う場合の「劇」と「激」との熟語構成の機能を比べると,次のようである。

激 越    激臭(劇臭)    劇 職
激 化    激震(劇震)    劇 務
激 減    激痛(劇痛)
激 賞    激変(劇変)    劇 毒
激 情    激烈(劇烈)    劇 薬
激 戦    激論(劇論)
激 増    急激(急劇)
激 怒
激 動
激 突
激 流
激 励
激 浪

 だいたい,左欄は「激」を使う語,中欄は「激」「劇」いずれをも使う語,右欄は「劇」を使う語である。こうして見ると,「激」のほうが「劇」よりは機能が大きいといえるであろう。また,意味のうえからいっても,今日,「劇」に「はげしい」という意味があることは一般に知らなくなっているから,「劇職」「劇務」なども「激」を使うようになっていくであろうが,「劇薬」は今日のところ「劇」を使うのはやむをえないであろう。


8

 「状態」と「情態」――漢字は一字一字意味をもっているものであるから,漢字のもつ意味を厳密に生かそうとすれば,漢字表記のゆれの多くは,同音類義ないし同音異義の語であるとして,使い分ける必要がある。しかしながら,こういう場合,漢字の意味のわずかな相違にあまりにこだわることは,社会一般としては限度があるであろう。「状態」「情態」なども,厳密に言えば,「状態」は「ようす・ありさま」の意味であり,「情態」のほうには心的な意味が加わるのであろうが,普通には両者同じように「ありさま」の意味に使う。その場合,今日では「状態」を使うのが一般的である。
 次に揚げる語も,別の意味に使われることもあるが,同じような意味に使う場合もあるものである。特に必要のある場合のほかは,かっこの外のものを使うようにしたらよいと考えられる。

〔3の類例として考えられるもの〕

委 嘱(依 嘱)   委 託(依 託)
応 対(応 待)   学 習(学 修)
起 因(基 因)   機 運(気 運)
基 準(規 準)   起 点(基 点)
強 豪(強 剛)   自 習(自 修)
修 得(習 得)   成 育(生 育)
精 彩(生 彩)   成 長(生 長)
探 検(探 険)   的 確(適 確)
的 中(適 中)   独 習(独 修)
独 特(独 得)   敷 設(布 設)

〔5の類例として考えられるもの〕

因 習(因 襲)   改 定(改 訂)
終 局(終 極)   上 々(上 乗)
状 況(情 況)   前 兆(前 徴)
兆 候(徴 候)   無 残(無 惨)

9

 「十分」と「充分」――いずれも普通に行なわれている。憲法では「充分」を使っている。本来は「十分」であって,「充分」はあて字である。また,「十」のほうが字画も少なく,教育漢字でもあり,「充」はそうでないことなどからも,漢字を使うとしたら「十分」を採るべきであろう。しかしながら,最近では,この語はかな書きにする傾向がある。
 公用文や「文部省刊行物表記の基準」などでは,かな書きを採り,「十分」と書くことを許容している。
 「一応」と「一往」――本来は「一往」が正しいといわれるが,今日ではあて字の「一応」のほうが一般的に行なわれている。しかしながら,これなどもかな書きにしてよいと考えられる。このように,語によっては,かな書きにすることによって,漢字表記のゆれを解消したほうがよいものもあるであろう。この種類のものを次に揚げる。

おおぎょう(大仰・大形)   すいきょう(酔狂・粋狂・酔興)
ちょうほう(重宝・調法)   のほうず(野放図・野方図)
ようす(様子・容子)   ふだん(不断・普段)
しんぼう(辛抱・辛棒)   ぞうさない(造作ない・雑作ない)
へんくつ(偏屈・変屈)

10

 以上は,主として用字の傾向や考え方の方向を述べ,これにいくつかの類例を添えた試論であって,必ずしも一語一語についてこう書かなければいけないというように決めたものではない。また,語例の中には,今日使うにはどうかと思われるものもあるであろうが,ここでは,その語を漢字で書く場合には,どういう漢字を使うほうがよいかを問題にしているのである。



 字訓の語の漢字表記にもゆれのあるものがあるが,その整理統一は異字同訓の問題にかかわるところが多い。音訓表では,異字同訓はできるだけ整理しているが,「かえる―替・換」「つくる―作・造」「のびる―延・伸」「はかる―計・図・測・量」「くら―倉・蔵」など,いくつも残っている。これらをいずれか一つの漢字で書くことにすれば,漢字の使い方はやさしくなるが,現在では,まだ抵抗を感じることが多いであろう。一般にはその使い分けがむずかしいので,最近では,こういう場合,単独の動詞などはかな書きにする傾向も出てきている。

第2部 発音の「ゆれ」について


1

 国語の発音のゆれを整理して,その標準的なものを選ぶうえで考えるべき事がらをあげてみれば,漢字表記の場合と同じように,原則的には語源的に正しい,あるいは一般的に行なわれているということが尊重されるべきであろう。しかしながら,そのほかにも,方言でない,言いやすい,聞いて感じがよい,口頭語的である,必ずしも伝統にこだわらないなど,いろいろな観点から考えられなければならない。
 以下,具体的な語例について考えてみる。


2

 「カシ」と「クヮシ」(菓子),「ガイコク」「グヮイコク」(外国)――いわゆる唇(しん)音退化によるクヮ行拗(よう)音の直音化の現象である。国語の「クヮ・グヮ」の音は,今日では,東京その他全国的に広く「カ・ガ」と発音されるが,九州・四国をはじめ,各地方に「クヮ・グヮ」の音を保存している所もある。「カ・ガ」が一般的であることに問題はないであろう。
 国立国語研究所(以下「国研」という。)の調査の回答によれば,「菓子」は*採る形としては「カシ」が絶対多数(80%以上)で,**使う形としても大部分が「カシ」である。その理由としては,言いやすい61%,一般的53%,使用地域が広い39%,増加の傾向31%,変化の傾向にそう23%,口頭語的21%,語感がよい12%などがあげられている。
   * 被調査者が口頭語の標準語として採る形。
  ** 被調査者が使う形。

 以上から考えて,「菓子」「外国」は「カシ」「ガイコク」と発音するのが標準的であるといえるであろう。
 「フジ」と「フヂ」(),「ミズ」と「ミヅ」(水),――これは〔d〕〔dz〕〔〕相通の現象である。「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」の音の区別を残す地方として最も有名なのが高知県で,九州その他の地方にも区別する所がある。しかしながら,「クヮ・グヮ」が「カ・ガ」に発音されるのに比べると,さらに範囲が狭く,全国の大部分の地方では,「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」同一に発音されている。したがって,「藤」「水」は「フジ」「ミズ」と発音するのが標準的であるといえるであろう。
 なお,現代かなづかいでは,末尾の〔注意〕で,「クヮ・カ」「グヮ・ガ」および「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」を言い分けている地方に限り,これを書き分けてもさしつかえないとしている。


3

 「ハイ」と「ハエ」()――これは二重母音〔ae〕が〔ai〕に変化する現象である。「帰る」「名まえ」を「カイル」「ナマイ」というのは,なまりといわれるが,「ハイ」「ハエ」は二つとも広く行なわれていて,その標準的発音がどちらであるかがしばしば問題になる。
 国研の調査によれば,採る形としては,「ハイ」が多数(55〜79%)である。(ただし,第1回調査では「ハエ」が多い。)採る理由として,言いやすい
38%,一般的27%,増加の傾向18%,語感がよい15%,口頭語的13%などがあげられている。また,使う形としても全般に「ハイ」が多く,東京の下町に特に率が高い。ただ,日本の東部に限って「ハエ」のほうが多い。
 NHKの「放送用語参考辞典」には,「古くはハエである。しかし,現在ではハイを使ってもいい。(注)動物学など学術上の用語としてはハエである。」とある。
 以上から考えれば,今日では「ハイ」というのが妥当のようであるが,現実の表記の面では圧倒的に「はえ」(または「ハエ」)が多い。表記のうえでは,このほうが他の語との区別ができる長所があるといえるであろう。そこで,問題は,発音に従って「はい」(または「ハイ」)と表記するか,表記に従って「ハエ」と発音するか,あるいは表記は「はえ」(または「ハエ」)として,「ハイ」と発音することを許容するかということになるであろう。


4

 「ムズカシイ」と「ムツカシイ」(しい)――普通,「ムズカシイ」は関東的,「ムツカシイ」は関西的であると考えられている。教育・放送などでは「ムズカシイ」を採っているので,今日では,「ムズカシイ」が優勢であるといってもよいであろう。しかしながら,「六ヶ敷」というあて字とともに,「ムツカシイ」もかなり行なわれている。
 国研の調査によれば,採る形としては,第1回・第2回ともに,「ムズカシイ」が多数(55〜77%)である。理由には,一般的35%,言いやすい34%,語感がよい21%,共通語的19%,口頭語的16%,関東的14%などがあげられている。なお,日本の東部,東京には「ムズカシイ」を「言いやすい」「語感がよい」とするものが多い。使う形としても,全般に「ムズカシイ」が多いが,西部・九州に「ムツカシイ」の率が比較的に高い。
 以上から,「ムズカシイ・ムツカシイ」のゆれは関東・関西の対立によるものと考えられ,標準的な形として「ムズカシイ」を採るにしても,「ムツカシイ」の形をも認めないわけにはいかないであろう。


5

 「シュッパツ」と「シッパツ」(出発)――これは,拗(よう)音の直音化といわれる現象である。「芸術」「伸縮」「新宿」「輸出」などの場合にも起こる問題である。「シュッパツ」を「シッパツ」と発音するのは「クヮ・グヮ」が「カ・ガ」になったように一般的なものであるとはいえない。
 国研の調査によれば,第1回・第2回を通じて,採る形として「シュッパツ」が絶対的多数(80%以上)である。理由としては,本来の形65%,規範に合う38%,一般的33%,共通語的27%,語感がよい22%,言いやすい17%,ていねい12%などがあげられている。
 以上から考えて,やはり字音に即して,本来の形「シュッパツ」に従うべきであろう。しかしながら,ここに属する語の中には,類音語があるなど特殊な場合のほかは,直音「シ・ジ」に近く発音することを認めざるをえないものもあるであろう。


6

 「センセイ」と「センセー」(先生)――これは,二重母音の長音化(〔ei〕→〔e:〕)といわれる現象である。「経済」は「ケイザイ」か「ケーザイ」か,「衛生」は「エイセイ」か「エーセー」かなどもこの問題であって,主として漢字に現われる。
 国研の調査によれば,第1回・第2回ともに,採る理由としては「センセイ」「センセー」がほぼ同数(45〜54%)である。理由として,「センセイ」は本来の形37%,ていねい20%,規範に合う・語感がよい各18%,一般的・共通語的各17%などがあげられ,特に九州に「センセイ」を「一般的」「本来の形」「言いやすい」とする者が多い。「センセー」には言いやすい33%,一般的32%,変化の傾向にそう20%,口頭語的15%,共通語的12%などがあげられている。使う形としては,国語研究・国語教育関係者に「センセー」が多く,新聞・放送等各界には「センセイ」が多い。
 NHKの放送文化研究所の「放送言語の研究の現状」によれば,「〔ei〕を〔e:〕と発音するのは,全国的な現象ではない。九州の熊本・宮崎・鹿児島県,四国の徳島県では,ほとんど全地域が〔ei〕である。九州の福岡・佐賀・長崎県,それに高知・和歌山県では〔ei〕を使う場合がある。」とし,また,「日本語アクセント辞典」でも,その凡(はん)例の中で「ケイケン[経験],セイカク[性格]などにおけるエ段音の次のイは,特に改まって,一音一音明確に言う場合いは,イと発音されるが,日常,自然の発音では長音になる。」といって,両方を認めている。
 以上から考えれば,現在のところ,「センセイ・センセー」は両様を認めないわけにはいかないであろう。
 なお,現代かなづかいの表記では,「せんせい」と書くが,発音のうえでは含みをもたせている。


7

 「イバル」と「エバル」(威張る)――これは母音「イ」「エ」(〔i〕〔e〕)相通の現象である。「イボ・エボ()」「ニンジン・ネンジン(人)」「ミミズ・メメズ(蚯蚓)」「シッキ・シッケ(湿気)」「アジキナイ・アジケナイ(味気無い)」「イヤキ・イヤケ(気)」などもそうである。
 関東・東北をはじめ,「イ・エ」の音の区別をしない地方は諸所にあるが,これは一般的になまりと考えられている。したがって,「エバル」は方言的であるから,標準的な形としては「イバル」を採るべきであろう。
 同じように,「マ行・バ行」(〔m〕〔b〕),「ダ行・ザ行」(〔d〕〔z〕),「ヒ・シ」(〔〕〔〕),「サ行・シャ行」(〔s〕〔〕),「ザ行・ジャ行」(〔d〕〔〕)などの相通なども,おおむねなまりとして扱ってよい。
たとえば,

キミ(キビ)   (気味)
ケムリ(ケブリ)   (煙)
サムイ(サブイ)   (寒い)
トモス(トボス)   (す)
カナダライ(カナザライ)   (金
ナデル(ナゼル)   (でる)
ノド(ノゾ)   (咽喉
ヒト(シト)   (人)
ヒトツ(シトツ)   (一つ)
ヒバチ(シバチ)   (火
シチ(ヒチ)   (七)
シチヤ(ヒチヤ)   (質屋)
ヒョーシ(ショーシ)   (表紙)
サケ(シャケ)   (
サカン(シャカン)   (左官)
ザクロ(ジャクロ)   (柘榴
タンザク(タンジャク)   (短

8

 「ウサギ」と「ウサキ°」()――これは,ガ行鼻濁音化の問題で,語頭以外のガ・ギ・グ・ゲ・ゴの鼻音化を採るかどうかということである。「音楽」「外国語」「会議」「しらが(白)」「なぎなた(薙刀)」など,国語では語頭以外のガ・ギ・グ・ゲ・ゴは鼻音化して,カ°・キ°・ク°・ケ°・コ°と発音するのが普通である。(「十五」の「ゴ」のように鼻音化されない例外的なものもある。)
 国研の調査によれば,採る形としては「ウサギ」が多数(55〜79%)で,語感がよい46%,言いやすい32%,共通語的24%,使用地域が広い・望ましい体系を作る各11%などの理由があげられている。使う形としても,全般に「ウサキ°」が多いが,九州だけは「ウサギ」「ウサキ°」両方が同数である。
 NHKでは,早くから放送言語にガ行鼻音を採用している。「放送言語の現状の研究」によれば,「ガ行鼻音は江戸時代以来,東京で使われてきたものである。さらに全国的にみても、本州の大部分(東北・関東・中部・近畿地方。ただし,千葉県と群馬県を除く。)および徳島県が,ガ行鼻音を使う区域である。この点からみても,放送でガ行鼻音を使うことは,無理な処置ではないと言えよう。」と述べている。
 戦前の小学校教育でも,ガ行鼻音を使うことを原則としていた。しかしながら,ここに注目すべきことには,東京の区部で,若い年齢層にこれを使わない傾向が出てきていることである。(金田一春彦・岡崎有鄰両氏の調査)
 現在のところ,ガ行鼻音を使うほうが標準的であるとみとめてもよいであろうが,将来の問題として残るものと思われる。


9

 「イリクチ」と「イリグチ」(入り口),「ケンキューショ」と「ケンキュージョ」(研究所)――これは清濁の問題で,「入り口」を「イリグチ」というのは連濁の現象である。
 「入り口」については,国研の調査によれば,採る形として「イリグチ」が多数(55〜79%)で,言いやすい51%,一般的31%,語感がよい18%共通語的・口語的・望ましい体系を作る各13%,伝統的・変化の傾向にそう各10%などの理由があげられている。
 「研究所」を「ケンキュージョ」というのは,漢語の連濁の例である。「研究所」を「ケンキューショ」というか「ケンキュージョ」というかについては,同じく国研の調査によれば,採る形として「ケンキュージョ」が多数(55〜79%)で,言いやすい40%,一般的35%,語感がよい25%などの理由が数えられる。
 なお,「所」のつく語はたくさんあるが,必ずしも「ジョ」というわけでもない。たとえば,「裁判所」「事務所」「検疫所」などは「ショ」である。
 以上の語だけでなく,国語には,清濁両様に発音する語は無数にある。「センタク・センダク(洗)」「カカシ・カガシ(案山子)」「カカト・カガト()」などのように,清濁が関東・関西の対立と見られるものもある。今日では,「センタク」「カカシ」「カカト」が標準的なものと考えられ,教育・新聞・放送などこれに従っている。
 以上から考えても,原則的に,清音を採るとか,濁音を採るとか決めることはできない。しかしながら,若い年齢層には,こういう場合,濁音を使わないで清音を使う傾向があることは指摘できるであろう。


10

 「イイ」と「ヨイ」(良い)――普通,「ヨイ」は文章語的で,ていねいであり,「イイ」は口頭語的で,そんざいであるとされている。
 国研の調査によれば,採る形として「イイ」が多数(55〜79%)である。(ただし,第1回調査ではほぼ同数(46〜54%。)その理由としては,言いやすい45%,口頭語的39%,一般的30%,語感がよい16%,共通語的14%などがあげられている。使う形としても全般に「イイ」が多く,特に東京は「イイ」の率が高いが,西部に限って「ヨイ」が多い。
 以上から考えて,口頭語の標準としては,「イイ」(ただし,連用形は「イク」とは言わない。)がよいかもしれないが,改まってものを言う場合や文章語では,「ヨイ」を使うことも認めないわけにはいかないであろう。
 「イク」と「ユク」(行く)も同じように考えられ,標準的な形として口頭語的な「イク」を採るとしても,改まってものを言う場合や文章語では,やはり「ユク」を使うこともあるであろう。(ただし,「行くえ」「行く末」「行く手」「行く行く」などは「ユク」である。)
 当用漢字音訓表では,「良」には「よい」,「行」には「ゆく」「いく」の訓を認めている。
 同じ「ユ」「イ」(〔j〕〔i〕)相通の現象でも,「ユオー・イオー(硫)」「カワユイ・カワイイ(可い)」などは,「イオー」「カワイイ」だけでよいであろうし,(学術用語集<化学編>では「イオー」を採る。)「アユ・アイ()」「カユ・カイ()」「カユイ・カイイ(い)」「マユゲ・マイゲ(毛)」などは,標準的な形としては「アユ」「カユ」「カユイ」「マユゲ」を採るべきであろう。
 「ユダル・ウダル(る)」は〔j〕の脱落の現象であるが,これなども標準的なものとしては「ユダル」を採るとこになるであろう。


11

 「エツネン」と「オツネン」(越年)――「越」の漢音「エツ」,呉音「オチ」である。「越年」は「オツネン」と読むのが伝統的であるが,近年は「エツネン」と読むけいこうになってきている。「越権」なども同様である。「越」の字は「エツ」と読む場合が多いことから,しぜん,そうなってきたものであろう。
 以上から考えて,必ずしも伝統的な「オツネン」にこだわる必要はなく,むしろ新しい傾向の「エツネン」を標準的なものとしてよいであろう。なお,当用漢字音訓表でも,「越」の音は「エツ」だけを採っている。
 「アイチャク・アイジャク(愛着)」「シューチャク・シュージャク(執着)」「トンチャク・トンジャク」(着)なども,今日では,「チャク」のほうを標準的なものとして考えてよいかもしれない。
 このように,伝統にこだわらないで新傾向に従うといっても,一概にそうもいえない。「発意」「発熱」は,もと「ホツイ」「ホツネツ」であったが,今日では「ハツイ」「ハツネツ」と読むのが普通であるから問題はない。しかしながら,「発足」「発端」は,「ホッソク・ハッソク」「ホッタン・ハッタン」両様の読み方が行なわれていても,伝統的な「ホッソク」「ホッタン」を捨てて,「ハッソク」「ハッタン」を標準的なものとして採るのには,今日のところ,まだ少なからぬ抵抗を感じるであろう。
 なお,「発願」「発起」「発句」「発作」「発頭人」などは,言うまでもなく「ホツ」であって,これらを「ハツ」と読むことはない。したがって,音訓表でも「発」には「ハツ」「ホツ」の2音を認めている。

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