国語施策・日本語教育

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議事 国語審議会のあり方について

阿部会長

 ただ今から開会する。きょうは,運営委員会で協議した結果をおはかりするが,その前に,文部当局から国語審議会のあり方について報告したいとのことである。

天城局長

 前の総会の決定で設けられた運営委員会で,部会設置のことが議題になり,それと関連してこの際,文部省としては,現行の国語審議会令を若干直す必要があると考えたものである。
 昨年,この審議会の発足にあたり,文部大臣のあいさつの中に,「委員の選考方法として,現在行われております推薦協議会の制度には再検討を要する点がありますので,いずれ機をみて改善を図りたい…。」旨の発言があり,以来,選考の方法等を研究,検討してきたが,これと部会設置の時期が一致したので,審議会令の改正を考えたしだいである。
 国語審議会は,文部省設置法により,「国語およびローマ字に関する事項を調査審議すること」と定められたもので,そこに官庁の機関としての基本的性格があるが,従来,沿革的に,自主性の強い性格をもつものである。たとえば,審議会が自分で問題を取り上げて建議するとか,委員の選任についても,推薦協議会の推薦によるというものである。これらの点が,咋年,国語審議会で議論の的になったものである。文部大臣が,国語審議会に対して行政上の責任をもつ以上,制度上はっきりと文部大臣が諮問できるように改めることと,推薦の形でなく,文部大臣が委員を任命できるように改めることが必要であろう。次に,現行の国語審議会令では,ローマ字調査分科審議会を当然置くように規定されている。これには二つの審議会が途中で合体したという沿革的な理由,経過があるが,部会設置を機に,この点を明らかにして直したい。ローマ字の問題についても,他の問題の一つとして扱い,部会の中で審議することができるのであるから,ことさらにローマ字だけの分科会を必置にすることはないのではないかということである。次に,審議会分科会の公開主義についてである。これらの審議会,分科会は秘密会ではないが,規定の中に,「原則として公開する。」といったものは,他に例がない。公開するかどうかは,会長,審議会で決めればいいことであって,特に,規定にいう必要はないであろう。次に,審議会の委員の人数であるが,二つ審議会が合体し,その人数を合わせた関係で,70人以内となっている。これはあまりにも多いので,実情に合うように50人以内とするのが適当であろう。
 なお,現行の規定が改正になれば,現在の委員については,規定に合った経過措置を加えながら考えたい。
 以上,部会の設置に関連して,国語審議会のあり方についての文部省側の考え方を示したものである。運営委員会でも趣旨を了承いただけたものであり,総会でも了承していただきたい。

阿部会長

 法律的には文部省が行なうものであるが,ともかくも,この審議会のあり方を変えるのであるから,改正前に報告し,ご賛成を得たいとのことである。

中川委員

 改正すると,文部大臣の諮問がないと審議会は何もできないというようになるか。

天城局長

 諮問にも応じ,従来のような建議もできるのである。

藤堂委員

 推薦協議会によらずに大臣の任命ということであれば,簡単にいうと,委員の天下り任命になるという心配があるが,それについてどのような配慮がされるのか。

天城局長

 いわゆる天下りということを考えているわけではない。国語審議会の自主性を尊重するという点で,本質的に改めたいとは思わないが,従来の推薦方式では委員が自分で自分を選ぶ弊がもたらされるおそれがある。文部大臣が国語審議会について責任をもつということは,大臣の責任において選んだ委員についていうことである。たとえば,文化財保護委員会については,文部大臣が責任をもって委員を選んで,委員会の運営を任せているのである。この意味で,従来の推薦協議会で推薦したかたが当然次の委員になるというのでは,文部大臣が責任を果たせないと考えるわけである。

千種委員

 国語審議会と文化財保護委員会が同一の性格をもっているような説明であるが,大臣が任命するとなると,時の大臣の意見と同じ意見のものを委員に任命するというおそれがある。たとえば,国語はかな文字が理想であるという声明をしている人が大臣になったとすると,そのような主張の賛同者が全部,委員に任命されてもいいと考えているのか。

天城局長

 任命は,そのように国語審議会の審議方向をコントロールするために考えたものではない。他の政府機関と同じようなたてまえで,責任をもてるようにしたいというのである。

西尾委員

 これは,選任の方法を改正したいということについて,意見を求めているのか,あるいは,もう改正することに決めたという報告であるのか。文部大臣のあいさつには,委員の選出方法についても審議会で考えてほしいというような発言があったのではないか。

天城局長

 国語審議会令の改正は,まだ行なっていないが,目下,以上述べた方向で考えている。大臣のあいさつは,「機会をみて改善を図りたい」ということで,変える必要があるという考え方である。

西尾委員

 決める過程における中間の話と考えていいか。

内藤次官

 文部省として,こういう案を用意しているので,審議会の了承を得たいという趣旨である。

千種委員

 国語審議会令は,文部省が政令で決めるので,異議を唱える権限はないが,改正案のことは突然のことでじゅうぶん考えるいとまがない。国会等で大臣が質問されても,委員を任命したのではないから,責任がもてないという事情もわからないことではない。また,文化財保護委員会の例も出されたが,国語審議会とはかなり性格の違うものと考える。過去の文化財をどうするかということでなく,過去の国語ばかりでなく,現在および将来の国民に対して,どのように一貫した国語政策をとるかということが,国語審議会の重要な課題である。大臣の替わるごとに,国語政策が右または左に変わるとすれば,政策の一貫性は失われ,教育上にも大きな問題となることは明らかである。従来でも,推薦協議会で推薦した者に対して,だれを任命するかは文部大臣が裁量できるのであって,――実際上は,かなり困難であろうが――規則上はそうなっているのである。
 なお,従来の推薦協議会において,文部大臣が意見を述べるように規定されていないが,実質上は,文部省から希望が述べられ,協議会の委員も,それをじゅうぶんくみ入れていたので,大臣の意向が無視されていたとは思えない。従来のように,多くの委員が文部省側と協議し,教育の一貫性を保つべきであろうと考えるもので,もし,大臣の一存で委員が決められるのであれば,今後,国会で国語審議会に対する不平が述べられたときの責任は,文部大臣が全部負わなければならないことを指摘しておく。

藤堂委員

 千種委員の意見に全く賛成である。現行のままでいいのではないか。

内藤次官

 大臣が替わるたびに委員が替わるのではなく,そのために任期が定められている。国語政策の一貫性は尊重したいと考えている。また,推薦されても大臣が任命しなければいいというご意見であるが,これは審議会と大臣が対立した形になるので,推薦の形をとる以上は,推薦者を任命するのが筋である。大臣が任命するといっても,文部省がかってに一方的にやるのではなく,良識のある会長,副会長と相談し,国民の納得を得てやらなければならないことである。ただ,このような選任方法をとっていることは異例であるので,他の一般の政府機関と同じように形を整え,運営に誤りなきを期したいがために改正したいのである。

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