国語施策・日本語教育

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「これからの敬語」についての意見(提案)

「これからの敬語」(27年5月文部省)についての意見

八木委員

まえがき:「これからはこうあるほうが望ましいと思われる形」

 昭和27年頃の国語審議会が望ましいと思って総会で議決し,建議したというのであるが,今日われわれが全くこれと同様に思わねばならぬとは考えない。

基本の方針

(2) 「敬語が上下関係に立って発達したこと」は当然で,それなればこそ敬語である。これからは各人の相互尊敬の上に立たなければならないというのは一つのイデイオロギーに立脚した考えのようである。
 対等者間の敬語だけを敬語と認めようというのは行きすぎである。上下関係に立つ敬語を無用で悪いもののように考えるのは早計であろう。それは一種の偏向した考えとも認められる。

(4) はなはだいましむべきことである,という表現は変である。はなはだを削るがよい。「自他の人格的尊厳を見うしなうことがある」というのも言いすぎている。

□自分をさすことば
 わたしを標準の形とする,というのは漢字には反対でかなもじ論によっているのかどうか。
□相手をさすことば
「あなたで通用するようにありたい」これもかなもじ主義に立っての希望であるか。
「きみ」「ぼく」は標準の形である「わたし」「あなた」を使いたい,とあるのは,ことばの制限に急でありすぎる。
独断的であるとおもう。

敬称「氏」を話しことばに使わせないのは勝手すぎる。
「さん」に限るのは行きすぎである。
議会用語の「……君」を慣用語として逃げるのはおかしい。
慣用語を制限しながら議会だからよいというのはおかしい。
職場用語で,局長,社長に「さん」をつけて呼ぶに及ばない,とあるがこのように風俗習慣を改めさせようとすることは慎重でなければならぬ。
「先生」は「さん」の代りであるから「先生さん」は使われないが,校長,社長,専務などは役名であって「さん」をつけて悪いことはない。むしろつけない方がおかしい。
「たち」自分のほうにつけてよい,とあるのは変だ。「たち」は複数をしめすもので,2人称でも3人称でも必要である。「ら」も「たち」も複数をしめすが,「ら」は物品を含めて広く用い,「たち」は生物につかうことが多い。
(お)米(お)ひる(お)茶わんなどの「お」を省く省かぬを論じないがよい。森田たまさんの話に男の子が「おどり」を「どり」と書いたそうだ。
(ご)芳名(ご)令息の(ご)は私は使わないが,慣用がある程度固定しかかっているらしい。

対話の基調

 付記として,使用を制限するものではない,という文句があるが,政府が制限権をにぎっているというような錯覚が一あるかのように感じられる。印刷物の第6ページ,第7ページ,第8ページの記述はおおむね適当である。それは主として叙述だからである。

むすび

 公衆と公務員,職場における職員相互の間のことば云々,すべて「です,ます」体を基調としたい云々。
 これには考慮の余地がある。社会には師弟,長幼,上役と下役など対等でない場合が多い。上下の差別をなくすことはできない。
 ドイツ語でDu IhrがあってSieがあり,フランス語でtuとvousとがあるが,これらを一種にしようとはしていない。tuとvousとではその動詞までちがっている〔vousはtuの複数であるが敬語でもある。英語のあなたはyouだけだが,語勢によって「おまえ」と「あなた」とあるとおもう〕日本語の動詞も上下関係でちがっていて,それは風習となっている。これを一種にしようというのは日本人の感情をもてあそぼうとするものである。

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