国語施策・日本語教育

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森戸会長

 第2部会の報告に対して,ほかに何もご意見がなければ,まだ多少時間のゆとりもあるから,両部会の報告についてご意見があれば発言願いたい。

宇野委員

 教育では基準であり,公用文などでは範囲とする考え方はおかしい。憲法の漢字のうち,日常あまり使用しないものを漢字の小委員会では不要として削りたいとしているが,憲法は公用文中の最たるものではないか。

西尾委員

 基準としても,それ以外の字を覚えていけないということはない。だからといって,公用文,新聞等がその基準を守らなくてもいいということにはならないし,何でもルビをつければ解決するということにも賛成しかねる。憲法の字については,なお慎重に検討すべきであろうが,きわめて特殊なものに限ってルビをふるということも,一つの方法であろう。

中田委員

 当用漢字は制定当時,明らかに範囲としたものである。それを,現在になって基準と解釈できるかどうか議論しても混乱するばかりである。当時と現在とをはっきり区別して考えたい。

宇野委員

 範囲としてやってきたが,よくないので改めて基準と考えたいという主張をしているのである。

市原委員

 当用漢字表を新聞の報道記事に限って適用するとか。学術文化を日常の国民生活と切り離して考えるその考え方自体がおかしい。

西尾委員

 両方を含めて考えるべきだとの趣旨には同感だが,義務教育での限界,習得の可能性など考え合わせると,いちおう区別して考えることもやむをえないのではないか。

市原委員

 芭蕉や兼好の作品を理解することができるということは日本国民の資格の一部をなすものであり,小学校でも教えうるものである。教育に限界があると言われるが,規則などで決めるから限度が出てくるので,現在の程度を引き上げるよう努めるべきである。

宇野委員

 児童の漢字の習得能力は世間で一般に考えられているよりもはるかに高いものであるという実験の結果もあるし義務教育の年限を6か年として当用漢字別表が決められたものであれば,9か年になった現在では,字数をかなり大幅にふやすことができるのではないか。

天城局長

 その当時から9か年の含みで検討し制定されたはずである。

塩田委員

 教育上は最低の基準が必要であるとしても,それ以外の漢字の扱いについては,まだ決めていない。かりにそれ以外のものを,すべて同音の漢字とか,かなとかに書きかえるということにでもなれば,大問題である。なお,同音の漢字で置きかえる。つまり,音だけのあて字を使うことは,漢字の表意性を乱すものであるから,ぜひともやめてほしい。

中田委員

 「送りがなのつけ方」についてかなづかい・送りがなに関する小委員会で審議しているが,複合した名詞・動詞などに問題があるが,これまでのところ,あれ以上送りがなを多くつける方向に進んでいるわけではない。

森戸会長

 これまで出た意見は部会での今後の審議に反映させていただくこととし,第1・第2部会の審議経過報告はご了承いただけたものとする。
 次に,吉田委員から総会に提出されていた四つの提案の一うち,「国語審議会は,漢字かなまじり文を国語表記の正則とするという立場を規定して,これを声明する。」という提案については,昨年10月の総会で第1部会長から検討の結果が報告された。しかし,当日提案者が欠席されたので,そのときは,単に報告をしただけにとどまり,その後の取り扱いは,本日に持ち越したものである。第1部会長から報告の要旨をもう一度,くり返していただきたい。

相良第1部会長

 第1部会の審議の状況を要約すれば,少数の委員はこの声明をすることに賛同したが,多くの委員は提案の趣旨にあるように,国語審議会が漢字かなまじり文について審議することは当然のことであり賛成であるが,このことを今日の時点でわざわざ声明するには及ぶまいという意見であった。

森戸会長

 第1部会での審議の結果は以上のようであるが,提案者としてご意見があれば発言願いたい。

吉田委員

 提案理由等については省略するが,わたくしがうかがったところでは,反対理由のおもなものは,(1)国語表記の正則としてどんな表記が正しいかを審議するのが国語審議会の任務であるのに,それを今,かってに規定してしまうのは大それたことである。(2)今,こういうことを規定するのは,今後の審議を拘束するからよくない。(3)にの提案には表音派にとどめをさすという政治的な意図がかくされている。の3点のようである。今日までの国語審議会は当然,漢字かなまじり文についてこのような原則のもとで審議してきたのだから,今さら声明する必要がないというのが大勢のようである。しかし,世間一般は,国語審議会は,いわゆる表音・表意の両派が対立しており,従来は表音派が指導し表音化を企図してきたことも常識となっている。この大衆の受け取り方は否定できないのではないか。単なる文化運動ならともかく,文部大臣の諮問機関である国語審議会としてであるから,この際,取るべき態度なり審議の実情を明らかにすベきであると考えたわけである。

森戸会長

 第1部会の大多数の委員は国民全体が,漢字かなまじり文を使用しており,この審議会もそれを対象に審議しているという事象をそのままに認めれば提案の趣旨に沿うものと考え,それならばあえて声明するまでもないことと了解されたのであろう。

塩田委員

 国語審議会はあくまでも現実の国語表記を審議するところであって,理想的な表記を夢みるところではない。要は,このわかりきった事実を,なぜ今までに条文化しなかったかということがおかしい。その意味で,このわかりきったことを確認するだけでもいいのであって,声明する,しないにこだわるのは,何か別の考慮があるように思われる。

森戸会長

 どちらの派にもとらわれない立場からみると,今,改めて社会に対して声明するまでもないことと思われる。それをあえて声明すれば,かえってイデオロギー論争にまきこまれることになるのではないかというのが第1部会の報告であるが,この第1部会の報告を承認するかどうか総会でお決め願いたい。

吉田委員

 これはだいたいの了解で決めるのか,あるいは表決するのか。提案者としては,後者を希望する。

市原委員

 記名投票でなくともいいが,提案者の希望を入れてほしい。

村上委員

 だいたいの了承でいいのではないか。多くの人が提案の趣旨には賛成しており,根本的な対立ではないのであるから,表決の形で決めるのは好ましくない。総会の審議のしかたに関することで,前例にもなる。

西尾委員

 国民全体に実状を示す必要があるが,誤解があるとしても,それは声明の形で解くべきではなかろう。また,委員の大多数がこの提案の趣旨に賛成していることからみても,国語審議会が表音化を図っているということはありえないし,誤解があったとしても,ごく少数ではなかろうか。表決するということについては国民の言語生活に関する問題は多数とか少数の表決でなく,あくまで話し合いでまとめていくべきではないか。

森戸会長

 この提案について,だいたいのところを会長の判断にまかせていただきたい。

吉田委員

 提案者としては反対である。

宇野委員

 単に公表するかどうかの点だけであるから,表決してもいいのではないか。

西原委員

 実際に漢字に関する部会,かなづかい・送りがなに関する部会などが設けられていることからみても,国語審議会が何を審議しているかは明らかである。急に声明をしたりすると世間の人々は,かえってびっくりするのではないか。

吉田委員

 提案の趣旨に賛成であるとすれば,漢字かなまじり文を正則とすることと,その前提にたって審議するということについては,総会で確認されたものと考えていいのか。

森戸会長

 正則とするということばはいろいろな解釈があり,正則とは何かという問題も出てくるであろう。漢字かなまじり文は,現在,世間でも一般に使われているし国語審議会では,漢字かなまじり文をもとにして審議をしているという事実が確認されたと考えている。

吉田委員

 正則ということばにいろいろの解釈があって,誤解を招きやすいというのであれば,この総会で多数の賛成を得て確認されたことを文書の形にまとめて審議の立脚点としたい。それを公表することに支障があるのなら,委員に配布していただきたいし,その文案の起草を部会にでも付託してほしい。

森戸会長

 ここで確認するが,世間では漢字かなまじり文が使われていること,国語審議会はこの現実に行なわれている漢字かなまじり文を審議の対象としていること,この2点であろう。もっとも,このことを含んだ問題を考える場合に,これ以外のことを議論してはいけないということは言えないだろうが。これら2点の趣旨を文書の形にまとめることを,第1部会に付託していいか。

相良第1部会長

 そこまでは第1部会の任務ではないのではないか。

高木委員

 総会から第1部会に検討するように付託され,その検討の結果が部会長から報告されたのであるから,総会としてその趣旨に多数の賛成を得ている以上,それを了承すればいいのではないか。表決とか,第1部会にさしもどす必要もないと思う。

森戸会長

 いろいろとご意見が出たが,吉田委員の提案についての第1部会の報告を,だいたいご了承いただけたものとして,散会したい。

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