国語施策・日本語教育

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森戸会長

 引き続いて吉田提案の問題にうつる。まず,吉田委員からご説明を願いたいが,提案内容については前回の総会においても,すでにじゅうぶんにその説明を伺ってあるので,きょうは,できるだけ簡潔にお願いしたい。

吉田委員

 提案の趣旨について再度,説明をさせていただく。まず,わたしの提案というのは,「国語は漢字かなまじりをもってその表記の正則とする。国語審議会は,この前提のもとに国語の改善を審議するものである。」ということを国語審議会の名で世に公表することができるかどうかということである。わたしは前期においても,この議案と提案理由を文書でもって提出したにもかかわらず,前期では議案として正式に審議されるにはいたらなかったのである。そこで今期も引続いて同じ議案を提出したものであるが,きょうの総会にいたるまで,いまだ正式な結論が出されておらず,提案者としては,まことに遺憾に堪えないしだいである。これでは,提案者の真意が会長ならびに多数の委員各位にじゅうぶん理解されていないためと考えるほかはない。ことに,前回の総会において,この議案の検討を委嘱された第1部会長が,「国語審議会は,現に漢字とかなの問題を審議しているのであるから,改めて提案のような声明などを行なう必要は認められない。」との見解を述べられ,会長もこれに賛意を示されたが,これは,わたしからみれば,提案の真意がまったく理解されていないか,曲解されているものであると考えるよりほかはない。よって,この再度の説明の機会に,説明の観点を変え,従来よりは率直に問題点を述べてみたい。
 日本の国語問題は明治初頭以来100年,同じ議論を反復してきている。明治初年の漢字全廃論,あるいは50年前,30年前の同じ漢字廃止論と,これらに対する数々の反対論とは,今日,この場に持ち出してきても,なお,今日の議論としてそのまま通用すると思われる。つまり,国語の論争は外見は複雑多岐であるものの,要するに漢字廃止の可否の論であるといえよう。かなづかい改良問題,ローマ字論,または新しい音韻文字の創造等は,漢字廃止に伴う日本語の音韻表記の問題で,問題としては派生的,技術的な問題である。かなづかい改良の問題は,その発生においてこれをみれば,漢字廃止に持ち込むための中間手段,あるいは戦略とみなければならない。もし,漢字かなまじり表記のなかのかなづかいだけの問題であるとするなら,それは,国語学者の学問的問題であって,このような人的構成の国語審議会が取り扱うべき問題ではあり得ないと思う。それが戦略的意図をもって非学問的,世俗的に提示されるものであるから,これらに対する反論もまた騒然たるものとなるのである。そして,それらの表面に現われた問題の様相を,ただ全体としてながめると,国語論争は複雑怪奇で収拾すべからざるもののように思われるが,これらの枝葉を取り払ってみれば,あとに残る根幹は漢字廃止の可否の論であり,すべてはそこに帰するものなのである。漢字廃止の可否は議論としてこれを続ける限り,何年続けても決着のつくものではないから,日本の国語問題が議論としては100年同じことを反復している結果となるのは,けだし,当然といわなければならない。
 明治初頭以来の国語改良論者,あるいは漢字廃止論者は,早くから欧米の事情に通じ,自ら先覚者をもって任ずる人々,つまり,今日の流行語でいうエリートに属する人々のうちにあった。そして,かれらは欧米の言語と比較して,日本語がいかに不規律であるか,特に,国際性のない漢字の複雑さは日本の進歩を阻害する元凶であると信じ,国語の改良は一日を急ぐものと考えたのである。極端な人々は,漢字の廃止さえできれば,その日から科学技術が発達し,豊かな物質文明の恩恵が全国にゆきわたるかのような言論を発表してはばからなかった。そして,かれら国語改良に反対する者は,島国根性のがん迷,偏狭の徒であると論断したのである。
 明治33年,根本正ほか5名が衆議院に,加藤弘之ほか2名が貴族院に,それぞれ「国字国語国文の改良に関する建議」を提出し,両院を通過,そこで政府は同33年4月2日に7名の国語調査委員を任命したのであるが,のろうべき国語の改良という仕事は,このときに,国の政策としてその地盤を固定したとみるべきであろう。越えて明治35年,文部省はこの国語調査員を廃し,3月24日,新たに「国語調査委員会」の官制を公布したのであるが,この委員会はわずかな審議でもって,きわめて重大な決定を行なったのである。すなわち,「文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトトシ,仮名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト」という,つまり,漢字の廃止を国語政策の方針として決定したのである。これは学問的にみて,また,一国の文化の伝統的立場からみて,驚くべき勇猛なる武断,即決といわざるを得ないが,その後,文部省あるいは国語審議会で,この決定方針が廃棄または修正されたということを聞かない。したがって,わたしは,文部省のなかには,この「音韻文字採用」の方針が,今日もなお脈々として生き続けているものと考えざるを得ないのである。
 事実,明治35年以後,大正・昭和を通じ,文部省が策定し実施を試みた幾多の国語政策は,この音韻文字採用という既定の基本方針に忠実であったことを示している。それらの政策は,そのつど学者や世論の批判と攻撃にあつたが,文部省はそのたびに国語政策に関する調査,あるいは審議の機構を改組して,不利な状況に対処してきたのである。大正10年の臨時国語調査会,昭和9年の国語審議会,昭和15年の文部省国語課の新設等がそれである。日本の国語政策においては,政府と民間との確執不和が事あるごとに表面化するのは,このように政府に譲ることのできない既設路線があり,いかなる反対を押し切っても,それを踏襲するという,がんこな方針があるからだと解釈するほかはないと思われる。次に述べることは,この特殊事情が,たまたま国会において公然とその姿を現わしたものである。すなわち,昭和11年5月,当時の文部大臣平生釟三郎は,第67議会の貴族院本会議での質問に答えて,文相として自己の信念である漢字廃止を遂行したいという趣旨の発言を行なったのである。この発言は,当然,現職の大臣の言として穏当を欠くものであったことはいうまでもなく,同じ議会できびしい追求を受けることになった。文相はついに再検討の上,自説が誤りであるならば取り消したいと答えたが,この事件は平生文相個人の問題で終わるものではなく,国語問題に関して政府に対する国民の疑惑不信の念が,いかに根強いものであるかを強く反映したものであるといえよう。しかし,文部省の堅持する方針は,この事件によって変更されることはなかった。このことは戦後の一連の国語政策に最も如実に現わされているし,また,昭和25年における改組後の国語審議会に「ローマ字に関する事項」が審議事項に加えられていることにも示されているとおりである。


 さて,これまで述べてきたような経過と背景とを合わせ考えると,国語問題の核心は,次のように要約することができるのではないかと思う。すなわち,「わが国の国語問題は,文部省が時に応じて,あるいは外に現わし,あるいは内に隠れて強く堅持する漢字全廃の方針にその核心を有するものである。」と。これは,わたしが明治以来の国語問題の歴史から取り出した要点であるが,これに加えた言辞は,あくまで個人的判断と見解によるものである。わたしは,その当否がこの国語審議会において審議され,結論が出されることを要望する。もし,わたしの所見が正しいものであるならば,漢字の全廃を方針とする国語政策は,日本の文化にとって民族の運命にとってきわめて重大であるから,国民は,慎重にこれに対処していかなければならないであろう。反対に,わたしの所見が誤っているものであり,漢字は明らかにこれを国字として認め,その前提のもとに国語の改良・改善の審議されているものであるとされるならば,早急にこれを公にして,国民の疑惑と不信とを一掃する必要があろうと思う。提案の精神は,まさにこの点にあるものである。つまり,「漢字を国字として確認しその前提のもとに審議するのであって,漢字の全廃を意図するものではない。」ことを公表できるかどうか,できないとするなら,「漢字廃止を目標とするものである。」ということを公表できるか,その点の審議を希望するものである。文部省はこの点を国民の前に明らかにする義務があり,国語審議会は,そのための審議をする義務が国民に対してあると思う。
 終戦後,一連の国語政策が米軍占領の混乱期に乗じて抜き打ち的に実施されて20年,その効果はきわめて顕著で,漢字の軽視,軽べつ,ひいては国語そのものを軽んじる風が世上にあふれ,青少年の精神形成の上にも,はなはだ憂うべき様相を呈してきている。わたしは,このときにあたって,文部省も国語審議会もその立場を明らかにし,日本語の愛護育成に関して,真に意のあるところを国民に示すべきであると考える。提案の精神もそこにあるもので,どうか,単に提案の説明を聞きおくというだけでなく,結論をあいまいにすることなく,簡潔な回答をお願いしたい。もし,この総会で決着がつかないようなら,次期に申し送っても明らかにしてほしい。

森戸会長

 ただいまの説明は,長くて,よくその趣旨が理解できなかったが,一口にいえば,漢字全廃を基本的な政策としている文部省は,けしからんといわれるのか。

吉田委員

 文部省は明治35年に国語調査委員会を設け,漢字廃止を国語政策の方針として打ち出したが,その方針が今日にいたるまで,まだ,廃棄または修正されたということを聞かないので,それをこの総会において廃棄ないし修正するということを表明し,かつ,国語審議会は漢字かなまじり文を前提に審議するということを,公表してほしいというわけである。

森戸会長

 わたしがこれまでに2度文部大臣を勤めた経験からいっても,今日,文部省が漢字全廃ということを基本方針としていることは考えられない。あなたの大きな誤解ではないか。

字野委員

 会長自身はそういうお考えであっても,戦後の国語改革において,漢字をしだいに減少させていくという文部大臣の発言もあったし,それに,明治35年の国語調査委員会の方針をも考え合わせると,漢字全廃の思想が,文部省に現存していないとはいいきれないと思う。

森戸会長

 明治35年の国語調査委員会の方針が現在も生きていると考えるかたは,文部省のなかにもいないと思う。わたし自身,過去に文部大臣として,そういう方針を受け継いだことのないことを,責任をもって明言する。いま,吉田提案を議決,採択し,公表することは,むしろ,国語審議会がこれまで別の方針のもとに審議してきたかのような印象を国民に与え,日本の国語を漸進的に解決させるものとはならないであろう。

石井委員

 吉田委員の説明では,明治35年以後大正・昭和にかけて,文部省が策定し実施を試みた幾多の国語政策は,そのつど,学者や世論の批判と攻撃にあったといわれたが,賛成意見のあったことは認められないのか。もし,それはごく少数意見にすぎないといわれるなら,どういう理由で少数意見とされるのか,伺いたい。吉田委員の説明には,だいぶ主観がはいりすぎているように思われるが,こういう歴史的事実は,客観的資料に基づいて発表してほしい。

吉田委員

 わたしの説明はあくまで個人的な見解を述べたもので,不適当であると思われるなら,文部省なり国語審議会なりのこれまでの国語政策が,いかに正しかったかという反論をしていただきたい。なお,漢字制限の必要性を説く者の立場にも,漢字は国字として認めるけれども乱用をせずという立場と,けっきょくは,漢字全廃の方向にもっていくのをよしとする者の立場との二とおりがあるが,これは白と黒との違いであり,各委員は,それぞれの立場を明確にしておく必要があろう。会長は,現在,だれも漢字全廃などは考えていないということをいわれるが,過去の歴史的事実を顧みるとき,それだけではかたづかない面もあるのではないかと考えるわけである。

森戸会長

 漢字全廃ということを,現在の文部省やわたし自身はもとより,国語審議会の皆さんも,本日はもとより近い将来においても,そういうことを考えておられないと思う。したがって,ここで改めて,漢字かなまじり文をもって国語の正則とするということを公表する必要はないと考える。また,そういうことが第1部会の主張でもあったし,それでけっこうではないかと,前回の総会の審議もそこに到達したと思っている。

吉田委員

 文部省や国語審議会では漢字全廃は考えていないといわれるが,それならば,なぜ,世間にそれを公表することをはばかられるのか。わたしには,さきの藤堂委員の発言もあり,一概にそうはいいきれないと思われる。

藤堂委員

 わたしの発言は,少し勇み足だったと思うが,それでも1,000年,2,000年後には漢字はなくなるだろうということが,どうして漢字全廃論につながるのか。かりに,明治・大正における文部省が漢字抑制の方向に少し傾きすぎを示したとしても,だれが,これを漢字調整論とはいえても,漢字全廃論だといえようか。

西尾委員

 吉田委員の意見は第1部会でも問題になり,すでに結論を得たものである。吉岡委員は江戸末期からの漢字全廃論が今日まで,なお存続していると考えておられるが,漢字全廃論,およびそれに伴って現われたローマ字運動やカナモジ運動は,特殊運動としては継続しているけれども,国民的な国語運動の方針となったことはこれまでに一度もなかった。たとえ,平生文部大臣の問題があったにしても,明治初年からわれわれが祈願し発展させてきた日本語の表記は,明治中期における言文一致運動,そして今日の口語文というように,それは,けっして漢字全廃ではあり得なかったのである。また,国語審議会にはこれまで個人的にはローマ字論者やかな文字論者は存在していたけれども,したがって,そこから多少表音化への行きすぎはあったとしても,国語審議会みずからが漢字全廃の立場をとったことは,一度としてなかった。これは会長の発言のとおりである。しかるに,その個人的な意見を国語審議会全体の意見と考え,そしてそれが国民に誤解を生じさせているから,それをこの国語審議会で取り消せといわれるのは適当ではなかろう。われわれは常にものごとを対立的に考えることを避け,また,表意・表音という単なるイデオロギー論にとらわれることなく,日本語を最も合理的に,かつ,効果的に表記する方法を考えていかなければならない。また,それがわれわれの絶えず考えてきた問題でもあった。

細川委員

 吉田提案をめぐって,いろいろ議論が出たけれど,けっきょくは,会長がさきほど申されたことに尽きているのではないか。つまり,文部省や国語審議会では漢字全廃などは考えていないし,現に漢字かなまじり文を審議の対象にしているということ,そして,また,第1部会の結論もそのとおりであったという,その会長の発言のままを新聞発表してはどうか。吉田委員もそれで異存はないと思われるし,そのへんで調整しないことには,きりがつかないであろう。

吉田委員

 新聞発表をするという会長発言を文書にして見せてほしい。

森戸委員

 新聞発表は文書でなく口頭でする。国語審議会はこれまで漢字かなまじり文を対象に審議してきたものであり,将来もそういう立場で審議していくということを述べたい。

千種委員

 将来においてもそうするというようなことを会長が述べる権限はないと思うが。

森戸会長

 失礼した。ただいまの発言のうち,将来もという部分は撤回したい。

横田委員

 わたしはこれまで,国語は漢字かなまじり文でといわれる吉田提案は当然のことであり,また,それを世間に公表することによって,その基準のもとに審議するという大きな基礎がつちかわれるものを,どうして総会で決定されないのかと疑問に思っていた。しかし,いま,会長のことばを聞き,また,りっぱな西尾委員の発言を耳にして,わたし自身は,この問題はそれで解明されたと思っている。この会場の空気も,おそらく,両者の発言に同感されたのではないかと思える。また,問題になった藤堂発言にしても,これまでの議論でその真意が理解されたのであるから,細川委員のいわれるように,会長から吉田提案に対する回答を記者会見で述べるということでよいのではないか。これは,まさに異例のことでもあろうが,それで,吉田委員の考え方とも相当に相寄るものがあると考えたい。

吉田委員

 これまで国語審議会は,漢字かなまじり文を対象に審議してきたというそれだけでは,こどもじみて満足できない。国語審議会では,今後も漢字かなまじり文を対象に審議されるであろうと考えたい。

宇野委員

 わたしも,その点がいちばん問題だと思う。漢字かなまじり文を対象に審議するのは今期だけで,次期からはローマ字やカナモジのほうに進むおそれがあるかもしれないと,われわれはそれを心配している。さきほど,会長発言をとがめられた千種委員の発言もあることであるから,この点を明確にしていただかなければ,おさまらない。

蒲生局長

 こ参考までに申しあげたい。先日,国語問題協議会のかたがたが文部省に見え,文部大臣と国語問題について話し合われたことがあった。その席上,中村文部大臣は,当用漢字表などの個々の問題については,多多,審議する必要もあろうが,自分としては,国語は漢字かなまじり文で書き表わすのが当然であると考えるし,漢字廃止などは考えていないと申されたことがあった。このことは,同席された宇野委員もご記憶のことと思うが,参考までに申しておきたい。

吉田委員

 中村個人としては,漢字全廃などは考えておられなくても,文部省としてはわからない。

蒲生局長

 文部大臣として答えられたもので,個人として答えたものとは思われない。そういうことがあったということをひろうして,あとは会長の判断におまかせしたい。

吉田委員

 ただ,新聞発表は,今後も表音化の方針で国語審議会が審議することはないであろうとつけ加え,かつ,その文案を作成して示してほしい。

高津委員

 今後,国語審議会がどういう人々によって審議されていくのかは知らないけれど,ここで,われわれが将来のことまで決定するとなると,それはけっきょく,明治35年の国語調査委員会の問題とまったく同じ結果を生むことになる。将来,どう変化していくかはわからないことであり,束縛はできない。わたしは賛成できない。

森戸会長

 わたしが会長の責任において,吉田提案に対する総会の気持ちを口頭で新聞発表をしてよいか。(賛成多数。)なお,吉田提案に関して,日本文芸家協会から前回の総会における吉田提案否決の理由をお聞かせ願いたいと質問状が寄せられているが,総会では吉田提案を否決したわけではないし,また,これまでの先例からいっても,いちいち回答するのがよいかどうかは疑問であろう。ただし,こちらに来ていただければ,口頭で説明申しあげるようにしたい。

吉田委員

 最後に,今後も国語審議会は漢字全廃を意図するものではないというのがこの総会の総意であったと了解してよいか。

森戸会長

 その点については,ここで改めて述べる必要はないと思う。では,これで今期最後の総会を閉会とする。
 今期は会長として,はなはだまずい面もあって,皆さんがたには多々,ご迷惑をおかけしたことと思う。それに,会長として,議事をまとめていかなければならないということから,多少とも無理をした面もあったかと思うが,その点はよろしくご理解いただきたい。長らくのご審議に厚くお礼を申しあげる。

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