国語施策・日本語教育

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配布資料 審議を能率化するためのメモ(木内委員提出)

〔注:原文は縦書き。用字・用語は原文のまま。〕

審議を能率化するためのメモ

 いままでの部会の審議は、具体的な末端から研究を進めるというやり方であつたが、"採用すべき原則を探る"という努力を試みてみたら、審議は著しく能率化するのではないか。またそのような試みを行うべく、すでに研究は熟しているのではないかと思う。「採用すべき原則」の主なるものは次のようなものではないかと思う。

一、  音訓表については、"音訓は制限しない"という原則を採用すべきである。
  •  これはつまり「一字一音一訓主義」を棄てることであるが、制限しないといつても、強いて稀にしか使われない音や訓を教える必要もないし、音訓表(そういうものを引続き作るとして)に書き上げる必要もない。通常に使われるものを挙げればいいので、その「通常」とは、いわゆる「基準」を決める目的によって決まる事柄である。
  •  一字につき一音一訓しか認めないという従来のやり方は、音にしろ訓にしろ、少くすればする程日本語は簡素になると考え、また、日本語は簡素になることだけが望ましき理想だと考えた従来のイデオロギーに立脚したやり方であつた。そのイデオロギーを棄てるのである。何事によらず"少ければ少いほどいい"とする考え方は、従来の国語施策を一貫して支配した考え方であつたが、少いのがいいのではない"筋が通る""理屈が通っている"のがいいのである。
  •  音訓の場合、"筋が通った考え方"と認むべきものは、日本語の表記として漢字が採用されたが、両者の間には根本的な性格の相違がある、その相違を日本人は長い年月をかけて調和することに成功した、"その経緯に即した考え方"、それが筋の通る考え方なのである。これはつまり「やまと言葉と漢字」「やまとことばはどういう経過をもつて現代日本語となったか」といつた研究論文乃至著述によって始めて明らかにされる事柄であろうが、学問的裏付は如何ようにもあれ「通常」用いられている音訓が、その現実的解答なのだから、一般社会の基準にしても教育上の基準にしても、その現実をそのまま、適当なる範囲認めればいいのである。「海苔」を「のり」と読ませるのは訓の概念からはみ出しているものかも知れないが、これも、そう書いてはいけないという規則は出すべきではない。学校では、むしろ逆に、海苔の例等を用いて、上記の「やまと言葉と漢字」との関係を児童生徒に理解させる機会を作るべきであろう。
二、  右の原則を採用すればおのづから「送りがなの付け方」についての解答が容易となろう。送りがなの問題をひとつ簡単な原則によって処理することは出来ないが、"訓をすべて認めてよい"という立場に立ち"異種の漢字をどうやつて日本語と調和させるか"、その方法を探るという見地に立って考えることとし、それに若干の他の観点を加えて考えれば、いくつかの原則を導き出すことが出来ることと思われる。
三、  「現代かな使い」をどうするか。これはカナ部会でまだ取上げていない問題であるが、ここでは明らかに通すべき筋が一本あると思う。その筋とは、"五十音図を中心とする日本文法を崩さない"ということである。少くとも教育の場においては、この筋が守られねばならぬ。
  •  そのような教育を行うことによって、ある程度、実際社会においても「は行」と「わ行」の旧かな使いが復活することにもなるかと思うが、それは差支ないのみならず、結構と認むべきであろう。
  •  とはいい乍ら、現代かな使いを廃止にもつて行く必要はあるまい。この点は"いまも進行している日本語進化の過程"としてこれを受取るべきだと思う。
    (△新年には"おめでたう"と書きたい。)
    (△テフテフの問題は全然別の問題である。)
四、  「当用漢字表」の字種選定について採用すべき原則は、"一般社会が通常使っている語彙を考え、それによって字種を選ぶ"という原則である。これには旺文杜「国語実用辞典」のやり方が参考になると思うが、この辞書では漢字の数は二三六○だそうである。
  •  学校ではそこまで教えなくともいいであろうから、もし学校用漢字表を作るとすれば、仮りに国語実用辞典の語を全部採用するとしても、恐らくは字数は二一○○といつたことに落ちつくであろう。何にしてもそれを「負担の増加」と考える考え方は棄てるべきである。
五、  以上、国語審議会がこれまで取組んできた諸問題の主なるものについて「原則」を模索してみたが、それらとは別に、これは国語審議会がすでに第八期において決定した新しい考え方に基いて、文部当局として直ちにアクションをとっていいと思われるものがある。それは従来の「簡素化」のイデオロギーが変更をみたことと同時に、国語問題には官庁的・命令的押付けは行うべきではない、ということが認められることの結果である。そのアクションとは、
   (一) 「駐屯」という言葉を使う以上は、屯という漢字の使用を避けるべきではない。
   (二) 「煽動」を「扇動」と書かせることは止めるべきである。
   (三) 「従つて」「即ち」といった漢字を使う方が、見た眼に美しく且つ読み易いと考える場合、それらの漢字の便用を遠慮すべきではない。
   (四) 横書きの強要は止めるべきである。
   (五) 数字を123と書けという強制も止めるべきである。
という新方針を確認し「訓令」によってこれを下達することである。

 以上五項目に亘つて書いて来たことは、すべて第八期の審議会の決定に悉く内包されているものといつていいものと考えるが、それ故にこそ、これらの「原則」を明示することにすれば、部会の審議は格段に能率化されるであろうと考える。
(以上)

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