国語施策・日本語教育

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次第 漢字部会およびかな部会の継続について

前田会長

 それでは,今後の運営についてはおはかりする。先ほどからも指摘があったように,今期も前期の審議の継続という意味では,前期同様に,今期も漢字部会およびかな部会を継続して設置してはどうかと考える。いかがか。

柴田委員

 漢字部会とかな部会という二つに分けて審議を進めてきたことのいろいろなマイナス点は,このまえの総会のときに明らかになっているとおりである。従来,漢字部会とかな部会との間の連絡機関として,合同会議があったが,これは名まえだけの合同会議で,実際は総会に相当するものであり,内容の詳しい点にわたっての議論はできなかった。そういう議論ができなかったというか,許さないというふんい気に包まれて総会にまで持ち込まれてきたということがある。そこでこんどは両部会をつなぐ語表記部会というようなものを設けてはどうか。前期の両部会間の不統一は,不統一のまま世間に報道されているわけである。これをどこで調整するか。その組織さえうまくすればじゅうぶんな成果が得られるものと思う。漢字,かなの両部会を設けておくことはよいが,そのほかに語表記委員会というか,その名称はともかく,実質的な審議のできる,そういう委員会を設けることを提案したい。

大島委員

 前に総会で,わたしはかな部会と漢字部会とを,あまり機械的に分けないで,なるべく総会を開いて,両部会の意志疎通を図る必要があるのではないかということを申し上げたが,残念ながら認められなかった。そのため漢字部会とかな部会とは全く別々の形で並行して,そして最終の総会で,ああいう結果になったわけである。そういうことから,どなたかの発言にもあったように,漢字部会がある程度進行してから,かな部会があとを追いかけるというような方法を取る必要もあろうし,また,あまり機械的に漢字部会,かな部会といったように分けないで,なにか両部会の間に,常に連絡のある弾力性をもったようなことをぜひ考えていただきたいと思う。

大野委員

 今期は,漢字の問題,かなの問題どちらが先でもよいが,ともかく国語審議会を1本にして,そして一つの問題に審議会の総員の総力を結集して論議し,われわれとしては,これが最善であると考えられるものを世に問う,あるいは答申するという形をとっていただきたいと思う。前回の総会で,いろいろ申し上げたが,わたしは決して個人的に部会の対立的なことを申し述べようとしたのでもなければなんでもないのである。ただ,国民に対して行き届いた案を示すことが必要であると考えたからにほかならない。しろうとは,こういう問題に対して細かいところを批判することができない。ただ実際に使ってみて,はじめてなにかぐあいが悪いという形で,これはうまくいっていないということを認識するにすぎないのである。そういうことから,われわれはできるだけ行き届いた処置をする必要があるわけで,そのための必要だと思われる時間が前期では足りなかった。それに部会を二つに分けておいたために双方の交流がいろいろ困難になってしまったというようなことがあって,それがまた妙に感情的な受け取り方を起こすようなことになってしまったわけである。前回の総会のかな部会長の発言で,「大野さんからは当時ずいぶんかたはらいたい御意見があったんですけれども,これは残念ながら抽象論であって,どの点がどうというようなことはなかった。」と言われたが,わたしは決して感情的な発言をしたつもりはなく,全く純粋に学問的に,ものごとがきちんとできているかどうかということの観点だけに立って申し述べたのであって,これをかたはらいたいという受け取り方をされること自体,まちがいだとわたしは思う。こういうことになったのは,明らかに漢字部会とかな部会というふうに分けておいて,漢字部会がいろいろやっているようだから,かな部会もなんとかしなければならないという発想が先に出てしまったということに原因があったと思われる。今期は,そういうことはもうやめたい。そして一つの問題に全力を集中するような体制を作っていただきたいと思う。

西原委員

 ただいままでの各委員のお考えに全面的に賛成である。特に,前期の最後の総会で非常に熱心に発言された委員のかたから,今期の初めに,いまのような御提案のあったことは,まことにけっこうなことであり,かつ,会議の進行にとってもきわめて妥当な考え方である。それで根本的には柴田委員の御意見そのままに賛成である。大島委員の考え方も,ともに帰するところは一つであると思うが,やはり,いちおう前期で試案が世に示されている以上,その批判などを整理する,あるいは調整するという必要があるから,当分は漢字部会,かな部会を設けておいてよいと思う。ただ,いつまでも漢字部会,かな部会という分け方で音訓と送りがなとを決めるのは,少し型にはまりすぎていると思う。特に送りがなは,漢字の訓についての送りがなであるから,どちらかといえば漢字部会の審議事項の一つといってもよいぐらいで,漢字を離れての送りがなはない。分業ということで当分分けてもいいけれども,いずれ適当なおりに,一つになるべきものであるというように考えたい。そういう意味では,最後は大野委員の言われるように一つという考え方になるわけであるが,まず,当分は二つになっている現在のままで調整していくことが先だと思う。
 次に,両部会をつなぐ連絡委員会の設置をという柴田委員の提案は,まことにけっこうである。前期のように,最後にわずか数回の合同会議を開いても,どういう態度,立場で会議するかという予定もなく,ただ一方的に言い合いするということでは全く意味がない。今期は,進行上いろいろな手続きもあろうが,適当な調整の機関や専門調査員の設置などでよろしくお考え願いたいと思う。

前田会長

 ほかに意見はないか。

西島委員

 柴田委員の意見は,漢字,かなの両部会は存置する。しかしその間に,なんらかの意味の調整委員会を設けたいということか。

柴田委員

 そのとおりである。

西島委員

 大野委員は,漢字部会,かな部会と両方に分けて委員を編成することに反対なのか。

大野委員

 賛成ではない。二つに分けたことが,前期でうまくいかなかったことの大きな原因であると考える。

西島委員

 では,今期では,たびたび総会を開いて,その席上で前期での両部会の試案をもう一度論議しようということか。

大野委員

 そういうことではない。委員全員が集まるということは実際上むずかしい。そこで,本日の総会で漢字を先にするか,かなを先にするかというように,まずとりかかる問題を先に決め,そしてそれの処置について新たに20名程度の委員会を構成する,そしてそこで答申の成案を作成し,ある程度の段階で総会にかけるというように,一つの作業に全力を結集するという心構えでやりたいということである。常に総会形式で審議しろというわけではない。実際には専門調査員も委嘱して,整理してもらうこと,調べておいてもらうことをやっていただく必要もあろうが,審議会の中に小さい委員会のような中心的に働く部会を設け,そこでことを進めていく,むろんその間の情報はたえずみなさんに流し,意見も伺う,そしてある程度まとまった段階で総会にかけ,御審議いただくという方法をとりたいということである。
 これは前期のように,大きな問題を二つ並行してやって,同じ日に同時に処置しようとするのは無理であると痛感したからにほかならない。

大島委員

 わたしの意見は大野委員の意見とは少し違う。前期の両部会があれだけ綿密な検討をし,また現在,国民の反響を問うている段階では,あと1年間は,いままでどおり並行して進めてはどうかと考えている。ただし,両部会の所属委員の半数を互いに入れ替えて,徹底的に検討し合う,それで1年後の総会で,それがはたしてうまくいったかどうか,全員で改めて検討する,検討してうまくいかなければ別途の方策を考えるというのが,わたしの考えである。

西島委員

 大野委員は漢字部会,かな部会を設けることには絶対反対だということか。いちおう柴田委員のいわれる調整委員会のようなものを先に設けて,そこで検討をしておいて,その後,また,漢字部会とかな部会にもどして,そこで検討して最終的な報告をするということも考えられる。わたしは,やはり漢字部会,かな部会があって,そこで部会案をまとめて総会にかける,そして総会で決定し答申にもっていくというのが,こういう審議会としてのやり方ではないかと思う。そういうやり方をやめてしまって,まとめてしまおうというのは,なにか手続き上おかしい気がする。

大野委員

 問題が二つあるから,それをどちらか先にやるというように,問題を一つに絞って一つずつかたづけていこうということである。

柴田委員

 最初の提案者として,もう少し詳しく趣旨を説明したい。現実的な方法として,漢字部会とかな部会を,いちおうこのまま出発させることは必要なことだと思う。というのは,音訓表に対する社会的な責任は,漢字部会あるいは国語審議会がもっているものであり,送りがなについては,わたしは,あれは世間に発表するものではないといったが,また,いまもその意見は変わらないけれども,それから受ける世間の批評は,かな部会が全部受けるもの,あるいは,わたし,および,2,3名の者を除いたすべての国語審議会の委員が受けるべきものだと思う。だから大島委員の意見のように半数入れ替えというようなことは責任回避である。予定としては,だいたい1年後に成案を出すということであるから,その間は,われわれはそれぞれ責任をもっているということになる。その意味でもかな部会と漢字部会は必要であろう。しかし,部会そのものはきわめて弱体にして,むしろ調整委員会というか,連絡委員会というものを強大にし,両部会の案の間に矛盾,どうちゃくのないようにすることがたいせつである。わたしは論理的につじつまが合うことをやかましく言いたい。国民は知識をもっていないかもしれないが,つじつまが合わないということに対しては,われわれよりもはるかに敏感である。そういうことでほんとうにつじつまの合ったものにしたい。われわれとしては,欠点がないものとして出さなければいけない。しかし,なおかつ欠点はあるに違いない,その欠点については広く意見を聞くというのが普通の態度だと思う。国家的な一つの機関の発表物であり,両部会の案に矛盾どうちゃくがない筋の通ったものにするという意味で,調整委員会をきわめて強大なものにして,組織としては,三つ並行して出発させていただきたい。そして,これらの部会なり委員会なりは,技術的な小人数のものでなければいけないと思う。合同会議という名のもとに総会を何度もやってきたが,そういうところでは議論がどんどん薄まっていき論理というものを追求しないことになる。なお,送りがなについては,わたしは世間に公表することに反対したし,現に反対しているわけであるから,このままの形で協力するわけにはいかない。協力するということは論理的に合わないわけである。しかし別な形でなら,わたしは協力するにやぶさかではない。

前田会長

 各委員の御意見を慎重に考えさせていただきたいと思うが,わたし自身の経験から申すと,第8期では部会を設置したものの,ひんぱんに総会を開いて,具体的に各委員の意見を取り入れていくという方法をとった。しかし結果としては具体的な考え方が固まらないという欠点をもったわけである。そこで前期では,部会を中心に審議を進めた結果,作業としてはかなりはかどったような印象をもった。そして,前期の結論そのものは,国語審議会の案としてではなく,部会の試案として公表するという限度で受けとめたわけである。したがって,そういういきさつから考えて,今期では少なくとも両部会を設置して,前期での試案に対するいろいろな意見を承りながら,国語審議会としてこれを受けとめ,今度は,いままでの方向がよかったのか悪かったのか,その内容等についても,新たに検討するというたてまえに,よかれあしかれなっているのではないかと思う。このように少なくともこれらの試案についての意見を問うという形をとっている以上,やはり当面は両部会を存続させることが一つの行き方であろうというように考えたい。ただし,これまでの各委員の御意見の点は,わたしも同感であるので,今後は,今期の運営について,特に,その谷間を埋める方法をじゅうぶんにとらなければいけないと思う。この点,どなたにも御異論はないと思われるが,その取り扱い方,できれば運営委員会等で基礎案を考えたほうが,より実際的ではないかという気もするので,ただいままでの議論を受けとめながら,この問題は,いちおう御賛成を得られれば,わたしが御説明申し上げた方向で,つまり両部会を存続させるという前提に立って,ひとまず運営委員会の問題に移っていきたい。そこで運営委員会を前期のように設置してよいかどうかについて御意見を承りたい。

遠藤委員

 前期では漢字部会,かな部会ともに,それぞれ部会内に小委員会を設け,そこで相当に審議を重ねたように記憶しているが,できれば,そういう両部会の小委員会の合同の場があれば,審議も尽くされるのではないかというように考える。ただ,その小委員を選ばれる場合に,その選任は運営委員会にお任せはするが,学者ばかり選んでいただきたくはないと思う。わたしとしては,しろうととしての意見もやはりこの審議会にとって必要なのだというように考えている。それは国語問題自身は,学問や論理だけでは解決のつかない問題があると思うからである。したがって合同の委員会を設置される場合には,学者ばかりでなく,たとえば新聞社関係のかたがたなど,いわば学者としてはしろうとのかたも選んで審議を尽くすよう希望する。

前田会長

 遠藤委員の御意見はじゅうぶんに考慮したい。そこで,いちおう両部会は存続するというたてまえで,その中身の決定はしばらく中断し,とりあえず運営委員会を継続して設けることには異議はないか。

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