国語施策・日本語教育

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次第 問題点整理委員会の報告について(字体表の検討の方針に関する問題について)〔その2〕

林(四)委員

 意見ではなく,分からないことを伺いたい。今,活字体か筆写体かという意見が出たが,それよりもっと足もとで「当用漢字字体表」とは,一体何なのか,私たちに何を示しているものなのかということが前からどうもよく分からない。「当用漢字表の漢字について,字体の標準を示したものである。」と一番先に書いてあって,そのほか幾つか項目が書いてあるが,字体の標準といっても,そのことの意味がよく分からない。私の感じでは,字体の標準というのは,字形の標準を示してくれているのではないかと思われるが,このように理解していいのかどうか,せっかく検討資料があるので,これで具体的に伺いたい。例えば,「字体検討資料」の真ん中の欄に「「当用漢字字体表」に示されているもの」という欄があるが,この欄の「叙」の字は私たちに何を教えているのか。字を書くときに「敍」の旁(つくり)の上の部分「」は要らない,これのない「又」を書けば,これを標準とするということを教えているのか。同じ太さの線書きで示しているということは,肉の太さ,例えば,「又」の字の右側,永字八法の最後の部分はすっと引くようになることを示しているのか。それとも,すっと引いてもポンと止まっても,そんなことは構わなくて,とにかく「又」の字がここに書いてあればいいということを示しているのか。しかし,「剣」の字は,右側の「」の最後のところははねてある。これはすっと引いたり止めたりしてはいけない,やはりこれはここではねるものだということを教えているのか。それから「台」の字については,これはよく教育のときにいわれるが,このごろの子供は「口」という字を書くときに正方形を書いてしまう,いずれにひっくり返しても同じような字を書くといって笑うが,この字体表が示しているものはそういうものである。私たちが書くと,左下のところは縦棒の方が少し下に出る。その下の明朝体にしろ何字体にしろ,皆縦棒の方が少し下に出ている。教科書体はそうでもなくて,よく分からないが,決して真四角なものではない。しかし,字体表には四角で書いてあるから,今後は縦棒が横棒より下へ来るなどということは気にする必要はないということを教えているのか。それから,一般に私たちは漢字を右肩上がりで書くくせがあって,それが正しいと思っているが,字体表は右肩上がりに上がっているのは,単に美的センスの習慣にすぎない,そんなことは気にする必要はないということを教えているのか。それから,「当」の字については,字体表では真ん中の横棒の起筆が上下にある横棒より少し内側に入っている。しかし,下の欄に示されている活字を見ると同じであったり,少し出ていたりする。中が少し出ている教科書体は,字体表に逆らった字体と見なければならないのか。それともここはそんなことを教えているわけではなくて,こだわらずに書けばいいという字形のことを教えているにすぎないのか。
 一体この「字体表」というのは,その中にどのくらいの情報が含まれているのか。何を教えようとしているのか。そのところが,「まえがき」を読んだだけでは分からない。そこのところを教えているものはこうなのだということをはっきりさせて,これを拡張解釈して,こんなふうに振り回されたら困るということをはっきり教えていただきたい。そこから何かが始まる気がするので,私はそれを伺いたい。

福島会長

 その辺のところは問題点整理委員会でも議論の中心であったように聞いている。この「字体検討の方針に関する問題(案)」の備考に書いてあることもそういう点を指摘しているのではないかと思う。遠藤主査,何か説明がおありか。

遠藤主査

 今,林(四)委員から質問のあった点については,問題点整理委員会でも一体字体とは何であるか,あるいは字形と字体とはどう違うかというようにいろいろ問題になって議論があった。意見はいろいろ出たが,共通理解にまでは至らなかった。したがって,今,林(四)委員がお聞きになりたいと言われても,それについての結論を言う立場にない。むしろここの総会でいろいろ議論してもらいたい。共通理解に達した上で,問題点整理委員会としては次の段階に引き渡したいと考えている。

福島会長

 字体とは何であるかとか,あるいは「字体の標準」とはそれぞれの字の素型(あるいはパターン。)として考えていこうとする意味を含むものなのかどうかというようなことについて,できるならば総会である程度の意見の一致を見るか,又はそれぞれの意向を承ってから,字体表委員会という段階に進むという話であろうと思う。現行の字体表としてはどう考えているかについては,だれか説明してほしい。

林(大)委員

 私がここで答えるのは,少しおかしい感じもするが,その前にまず質問がある。第11期では,字体表の必要性については,ほとんど全員が何らかの意味で必要であるとしているが,その「何らかの意味で」ということを聞きたい。それが分からないと,字体表の説明をして,我々の思っていることはこういうことだといっても分からないと思う。

遠藤主査

 それは前期のアンケートのまとめであって,アンケートの1項目として,字体表は必要と思うか,それとも必要でないと思うかという質問の仕方をした。それに関して一般的に字体表は不必要であるという答はほとんどなく,多くの委員がいろいろ理由を挙げて字体表というものはどうしても要るという意見であった。しかし,その必要と思う理由は必ずしも共通したものではなく,まちまちであったので,「何らかの意味で字体表は必要である。」とまとめたものである。

林(大)委員

 私は,各委員がその時何らかの意味で字体表は必要であるとしたと思うので,その理由を各委員から聞きたいということである。

阪倉委員

 私は次のような意味で必要であると答えた。漢字表を作るときには,例えば「当」という字を漢字表に入れるということではなく,具体的には何らかの形を持った漢字を漢字表に入れるということになると思う。そうすると,その何らかの形の一応それこそ目安のようなものを示す必要がある。したがって,パターンとして示されているといってもいいが,「当」という字の真ん中の横棒を長く書いたら別の字になるから,それはいけない,これはこの程度に書かなければいけない,しかしそれが多少右の方に突き出ようが,短かろうが長かろうがそれは同じ字であるということを一つの基準として当然示すべきである。したがって,「漢字表」には「字体表」が当然付かなければならない。そういう基準のない「漢字表」は,単にこういう漢字が「漢字表」に入っているということで終わるから,具体的な形というものは当然示さなければならない。そういう意味で必要である,と考えて回答した。したがって,「台」の字は多少下つぼまりになろうと開こうと,それは同じ「台」という字であるが,「犬」という字と「大」という字は,点があるとないとでは別の字になる。このように同じ字であるか,違う字であるか,という基準を示すのが字体表であると考えている。

福島会長

 要するに問題点整理委員会としては,いずれかの段階で字体表委員会というものが組織されて,具体的専門的な検討を始める時期が来るということを予想していると思う。それで字体表の具体的な検討ということが問題になるならば,今日の資料の「字体検討の方針に関する問題(案)」に書いてあるように,字体表が必要かどうかという問題と,その性格をどう考えるかということは,総会の段階においてある程度まとめておいてほしいという希望なのであろうと思う。つまり,印刷及び筆写における字体の標準を示すものとして考えておいていいかどうかという問題をここに出しているわけである。こういうことで検討を始めてよいのかどうかを総会段階で確かめておきたいという希望であろうと思う。

宇野委員

 林(大)委員から「何らかの意味で」ということの説明が欲しいという話があったので,私のそのときの気持ちを申し上げる。今,阪倉委員が言われたのと同じような気持ちもないわけではなかったが,私としては先ほど来,繰り返し言っているような意味である。筆写体については,昔は正字というか(今なら旧字というのであろうが。),伝統的な楷書体を習って,それを書くことが当然というように教えられていた。しかし,自分でノートをとったり,日記をつけたり,手紙を書いたりというときには,自分で勝手に崩して書いた。私はそのけいこをしたので,そう間違った字を書いた記憶はないが,一般的には勝手な字を書く人もいた。小学校時代を今思い出すと,例えば,「壓」の字は難しい字であるが,「圧」の字が「(圧)」というように括弧の中に入って教科書の頭注欄に出ていたように思う。それから「亀」の字などもそうだったかもしれない。これらは略字としてはこういう字が通用しているというサンプルだったと思う。多くはないが,そういう字が何字かあったように覚えている。これらは要するに略字であって,書くときにはそう書いてもいいのだというように了解している。筆写体あるいは略字としてそういう一つの字体を決めておく方がいい。そうしないと,今の子供たち,若者一般は草書の正しい崩し方を知らないから,勝手な書き方をする。それでは何のことやら分からない。ちょうど江戸時代に御家流が決まったのもやはり同じ理由であると思うが,そういう字体というか書体というか,一つの標準ができていないと大変具合が悪い。そういう意味で私は字体表があった方がいいと考えた。私が字体表といっているのは,略字としての字体表のことである。
 もう一つ,林(四)委員の質問についてであるが,これは前に林(大)委員から随分詳しく説明があったが,どうも私はもう一つぴたっと分かるというところまでいかない。もし間違っていたら,お教え願いたいが,私は字体とは正字体とか略字体とか俗字体とかをいうと考えている。一方,書体とは,昔からいわれている楷書体,行書体,草書体,篆(てん)書体,隷書体というものをいうと考えている。もしこれでいけなければ教えていただきたい。

森岡委員

 字体について少し関係のある本があるので,参考までに紹介したい。音声学の場合に日本人であると,例えば「エ」という音について少しぐらい崩れた発音をしたとしても,音の観念としてはそれは「エ」の音ということとしている。また,「ガギグゲゴ」と「カ°キ°ク°ケ°コ°(鼻濁音)」とは,同じ音の範囲であり,音素,音韻としては同じであるというように意識する場合が多い。これを区別しないで一つの音素としてとらえているように,文字に関しても形はいろいろ現れるのに対して,日本人が持っている文字の概念というか,文字素(グラフィーム)というか,そういうものが考えられる。結局字体というのは,字形といった方がいいのではないかと思う。国語学辞典は字形・字体について次にように説明しており,これによれば字体には二通りの説明がしてある。
 まず,字形については「字の表象をになう,具体面を除いた基本形態。手書きでも,活字体を異にしても,朝は朝,日は日で,それぞれ同一の字形。その構成は造字法になる。……字形が別個の字についてなのに,字体あるいは書体は,字形の現われる様式をさして全体に関する。」としている。要するに,字のスタイルと基本形態のグラフィームとを区別している。
 字体については「(1)ひとそろいの文字に通じた字形の様式で,大篆,小篆,隷書,楷書,行書,草書,筆写体のお家流,勘亭流,活字体の明朝,清朝,宋朝,ゴチ,あるいはローマン,イタリック,ボールド,ゴチ,スクリプト,それから飾り文字,個人の筆跡に見る特徴を含む。(2)基準になるものを正体とすれば,それに対する俗体,異体,略体または誤字がそれに当る。」としている。
 更に書体については,同辞典の中で林(大)委員が「一つの体系をなす文字の群について,個々の字を区別する字体のほかに,実現の際一貫して認められる字形上の共通様式。これを字体と呼ぶこともある。……漢字の篆,隷,楷,行,草等がその例。」と書いておられる。
 結局,字体というのは,様式・スタイルのようであり,むしろ観念として抱いているグラフィームというようなものは,字形という言葉で表されているように思う。
 なお,グラフィームというのは,字形素というように訳した方がいいのではないかという意見も出ている。
 参考になるかどうか。ちょうど関係のものがあったので申し上げた。

福島会長

 問題点整理委員会でも,この備考に書いてあるように「これを示す用語をどうするか。」ということも問題として出しているので,どうぞ自由に発言願いたい。

岩淵主査

 字形,字体,書体等の問題が出てきているが,その前に先ほどから話が出ているように,字形か字体か分からないが,それをなぜ今考えなければならないのかという理由について述べたい。
 (1)昭和24年に「当用漢字字体表」が出て,その結果,その字体がいいか悪いかは別として,小学校,中学校,高等学校ではその字体を教えているし,新聞・雑誌でもその字体を使っている。旧字体・正字体を使っているものももちろんあるが,昭和24年に決められたものを基にした活字が相当使われている。そうすると,今回はそれをそのまま引き継ぐのか,それともそれは廃止するのか。あるいは,いわゆる正体字といわれているものとの関係をどう考えていくのか,先ほども話があったが,正字体というのは間違いだときめつけてしまっていいのかどうか。このようなことが問題点であると思う。
 (2)「当用漢字字体表」が作られた一番大きな理由は,その当時私はわきで見ていたので,正確ではないかもしれないが,活字が小さくなったということがあったと思う。新聞がタブロイド判か何かで非常に小さな活字を使う。昔の正字体は画数が多くて黒々となってしまって字の区別ができなくなる。そのため,もっと簡略な字を考えようではないかという要求があったのだと思う。したがって字体表についての考え方としては,簡易化が考えられたのは事実であり,簡易化の場合には先ほど来の話のように,昔我々が小学校で教えられたような略字が採用されることもあったし,点画について一点一画でも少なくしようということも行われている。つまり,それはすべて小さくなった活字を見分けるために考えられたことではないか,と私は解釈している。
 そこで,更に,従来明朝体の活字にもいろいろな字体があって,しかも活字の母型を作っている会社でできる母型が少しずつ違っていたということもあった。簡易字体を考えるということと字形を統一する,あるいはもっと進めていえば,活字の母型を何とかきちんとしたいということで,字体表は考えられたのであろうと思っている。それで,果たしてそれを引き継いでいいのかどうかということが,問題点であると思う。
 (3)筆写としては,いろいろな略字,例えば「斗」とか「」とかかなり使われているが,それがたまには筆写体ではなく,活字になってくることもある。そういうものは昭和24年の形式からいえば,あるいは採用されるものかもしれないし,あるいはそこまでは行き過ぎだと考えられることもある。そういうものをどう考えておくかということが問題点であると思う。
 以上のような問題があるので,字体表を検討すべきであると思ったわけである。

福島会長

 ほかにないか。

鈴木委員

 字体表の検討を既にある程度始めている問題点整理委員会の報告とか,森岡委員の発言とかを聞き,次のように考える。国語審議会の総会の場ですべてを審議するわけではあるが,問題によっては,国民各層の委員が集まって総会の場で深く立ち入る方が有効な問題とある程度専門家の委員ないし非常に興味を持っている委員が,たとい意見は対立するにせよ,内容を整理して,その結果を総会に提出するために幾つかにまとめた方がよい問題とがある。
 字体に関しては,細かな討議を総会の場でやればやるほどよく分からなくなるのではないかという心配があるので,早急に字体表委員会を小委員会として作って,そこで「当用漢字字体表」はそもそもどういう趣旨であったかを岩淵主査のようにある程度事情を御存じの委員から伺ったり,あるいは学問的ないろいろな意見を交わしたりして十分時間を掛けて,ある程度の意見の線が出てから,総会へ再び持ってきた方が有効ではないかと思う。

福島会長

 もっともな意見だと思う。字体表委員会の発足ということをある程度考えていたわけであるが,その場合に先ほども述べたように,「字体表」という用語でいいのかどうか,あるいは字体表委員会が検討していく場合に,現在の「字体表」から出発してそれを若干修正していくという検討の仕方をしていいのかどうか,あるいは字体を考える範囲を新漢字表の中に含まれるものと限定しておくのかどうか,という面については,できることならば一致した意見というところまでいかないまでも,あるいは総会の場で各種各様の意見が出たとしても,なるべく大勢の委員の意見を伺っておきたいという希望があって,それが今日の問題提起になったのであろうと私は考えている。字体表委員会を発足させるという段階をいつにしたらいいかということを見定めるのも,実はこの総会で意見を聞いてからにしようと考えていたわけである。
 確かに御意見のとおりである程度進んだ段階で字体表委員会が発足し,検討願い,更にその報告に基づいて総会で意見を交わすことの方が実際的であることは間違いないと思う。
 なお,今日の意見を伺った上で,今後の取り運び方をもう一度問題点整理委員会で検討願い,字体表委員会の発足の仕方,その他について,次回総会以降に相談するようにしたいと思う。
 字体の問題については,なお検討すべき点がたくさんあると思うが,漢字表委員会もせっかく数回にわたって開催したので,この総会の機会に全委員に現在の状況を報告する必要もあると思う。それで,これから漢字表委員会の報告に入り,それに基づいて意見を出してもらいたいと思っているが,字体に関しては以上でよろしいか。

遠藤主査

 問題点整理委員会の考えを申し上げたい。ここに問題が五つ挙げてあるが,これは一種のアンケート様式になっている。今伺っていても,我々の方ではなかなかはっきりしない面があるので,今日の意見も参酌(しゃく)して,この5項目にわたる,大体のこのような様式のものをアンケートとして出して全委員の意見を伺ってもよろしいかどうか。あるいはその必要はないというのかどうか,総会の意見を伺っておきたいということである。

木内委員

 今の会長の御発言は,私には少しつかみにくかったが,字体表については取りあえずもう少し問題点整理委員会でやってもらうということか。

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