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次第 漢字表委員会の報告について(漢字表の具体的検討の状況等)

福島会長

 それでは,漢字表委員会の現状の報告を聴いた上で,本日の総会の終わりまでに結論を出していただいたらどうかと思う。それでは,岩淵主査どうぞ。

岩淵主査

 漢字表委員会は資料を作らなかった。というのは,作ってお見せするようなところまで仕事が進行していなかいからである。この総会までに小委員会を5回開いて具体的に漢字表についていろいろ議論してきた。その結果を10月14日開催の漢字表委員会に諮って考えていただいた。いろいろな意見が出て,もう1回漢字表委員会でも開かれれば,もう少しまとまったことが報告できたと思うが,それも時間的に余裕がなかった。
 まず前回総会直後の7月11日に開催された第5回漢字表委員会で,総会で示された基本的な考え方についていろいろ協議をして,いよいよ具体的に小委員会をつくって一字一字の漢字を取り扱ってみようではないかということになって,第1回の小委員会を7月25日に開いた。何分資料として取り上げなければならないものが多くあり,また,できるだけ資料は豊富にしていろいろな観点から考えてみる必要があるということで,時間を掛けることにした。前にもお目に掛けたと思うが,いろいろな資料がある。例えば,その後沢村委員から提出された凸版印刷の方で作った漢字の使用度数表のようなものもある。
 その後は8月12日,8月29日,9月5日,10月3日と5回の小委員会を開いて継続的に審議し,検討してきた。この検討の仕方は前から申し上げているように,一応使用度数という観点からながめてみるということで,使用度数が高く,しかも辞書に出てくる漢字というのではなくて現実に用いられた漢字約4,200字ばかりを検討した。前期11期の時には,この4,200字について検討して,約2,400字ばかりの重要と思われる字を拾い上げた。
 この約2,400字については前期の報告書にもあるように使用度数という点からだけでなく,その一つ一つの字の機能度,漢字の表す意味(殊に現在の当用漢字に入っているものと当用漢字に入っていないものとの比較対照,つまり,こういう字が当用漢字に入っているのに,この字が入っていないのはおかしいではないか,あるいは表外字で,もしこういう字を表の中に入れなければいけないとなるとどうなるかとか,ということを意味の方から考えてみるということ。),品詞(例えば,現行の「当用漢字表」の使用上の注意事項には,副詞は「なるべくかな書きにする。」とある。実際には副詞でも漢字で書けるようなものが幾つか入っている。もちろん副詞とはどの範囲のものであるかということも問題になるが,恐らく「当用漢字表」を作成するときには,副詞専用の漢字はなるべく表の中に入れないという考え方をしたのではないかと思う。それでそういう考え方でいいのかどうかということを検討してみる必要がある,ということである。),漢字の構成(こういう点から見て非常に大事なものが抜けているのではなかろうかという指摘もあったので,漢字の構成という点からも考えてみようということであり,前期の考え方を引き継いで検討した。),別の言葉による言い換え,同音の漢字による書き換え,漢字と仮名の交ぜ書き(殊にこの交ぜ書きについては,各委員から非常に不格好であるという指摘があったように思う。なるべく交ぜ書きをしないで済むような,あるいは同音の漢字による書き換えが適正であるかどうか,というようなことについても検討してみるということである。)というところからも検討作業をしてきた。
 また,根本的な問題としてこれから我々が考える漢字表というものは,制限ではなく目安であるということから,目安としてどういう表が適切であるか(目安であるからそれ以外の漢字も当然使えるわけであるし,また表の中に入っている字をどうしても使わなければならないということでもないと私は理解している。目安としての漢字表はどういうものであったらいいか,ということが大変議論の的になった。),すなわち,これから作る漢字表の目的とか性格はどういうものであるか,殊に教育との関係はどう考えたらいいか(極端な論としては,教育のための漢字表を作ればいいので,一般社会用の漢字表のことは考える必要はないのではないかという意見も出た。教育との関係ということについてもかなり議論をした。),ということがあった。
 更にこの漢字表に具体的にどういう字を入れるかということがあって,これまた一字一字非常に問題になって,それを検討しているうちに,実は本日の総会になってしまった,という段階である。
 この総会後,早速10月28日に小委員会を開いて漢字表委員会でのいろいろな議論をもう少し細かく検討し,それを受けて漢字表委員会を11月14日に開きたいと思っている。また,前からの了解事項としては,具体的に漢字を検討している間に表の性格,目的なども固めていく,あるいはその表がどういう意味を持つものであるかということを説明するようなものを付けるということになっている。今後,小委員会あるいは漢字表委員会を開いて議論をして,その中で出てきたいろいろな問題や違った考え方なども整理する。その違った考え方などを総会に示して議論していただいて,なるべくある方向にまとめていきたいと考えている。
 そういうわけで,もちろん決定したものを総会に持ち出すというのではなくて,漢字表委員会などで考える上でいろいろ問題点のあることをただ生のまま出しても,各委員に迷惑が掛かると思うので,それをある程度まで整理して違った考え方はこういう点が違っているということを報告して総会で審議していただく方が良くはないかと考えている。漢字表についてももうしばらく時間をいただきたい。

福島会長

 両委員会の検討の途上で逐次中間報告を願いながら,また総会の意見を伺っていくというように現在までしてきた。できる限り原則上の問題は総会での審議で決定していく方がいいことは当然である。今の報告にあるなしにかかわらず,漢字表,字体表の問題について基礎的な点をできるだけ総会の意思で決めていくというつもりで御発言いただきたい。
 特に教育との関連などはかなり重要な問題であり,教育漢字については別途研究ということで,多少簡単にかわした傾向があったが,検討を重ねてくるとそうもいかないという感じも大分強くなってきた。御意見を伺いたい。
 漢字表については目下進行中という報告があったが,もう少し進行したところで報告を願って,更にそれについて総会の意見を伺うという段取りが次回又は次々回総会でできると思っている。
 字体表についても,何らかの形での組織で検討して中間報告を願いながら,総会の意思を反映させていくということになろうかと思うが,どういう形でということは,本日の総会の終わりまでにある程度の意向が伺えれば,結構であると思っている。

新井委員

 字体表の問題について先ほどいろいろ意見を伺ったが,少し述べたい。
 現在「当用漢字字体表」というものが規定され,当用漢字の字体はこれであるとして一字一字載っている。一体これは「活字」であるのかないのかという議論が出てくるかもしれないが,この当用漢字の字体はかなり特殊な字体,特別に決められた字体だと私は理解している。その理由は,昭和24年4月の内閣告示・訓令「当用漢字字体表」の「まえがき」に「印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させることをたてまえとした。」とあり,更にそのあとの「備考」には,「この表は,当用漢字表の配列に従い,字体は,活字字体のもとになる形で示した。」とある。つまり,「当用漢字字体表」を決めるについては,これこれの根拠,事情によって決めるに至ったが,今後はこれが活字字体のもとになるものと思ってこう決めた,ということが書いてあるからである。私は字体について,大体こういう考え方でいいのではないかと思っている。
 つまり,この当用漢字の字体というものは一体どういう性格のものであるか,字体の一種と見ていいのか,あるいは一種の活字と見ていいのかという問題も出てくるかもしれないが,私は当用漢字の字体という現在決められている字体は活字字体のもととなっているので,義務教育において使われている教科書体活字や世間で印刷,出版などの関係で使われている明朝体活字というようなものは,そもそも当用漢字の字体から発生しているものであるというのがこの当用漢字の思想ではないかと思っている。したがって,私は当用漢字の字体は線や点で作った図形というか,絵のようなものになっているが,こういう字体表の性格をそのまま認めていっていいのではあるまいかと考えている。これ以上にいろいろなことを言い出すと,活版活字には活版活字の問題,例えば横の棒にも一つの山「いち」が付くとか付かないとかいろいろ出てくる。そういうことは印刷業界としても確かに重大な問題であるし,新聞社としても無視できないが,当用漢字を論ずる場合は,当用漢字字体表の字体だけを中心にし,尊重して考え,活版文化に関するいろいろなことは第二義的な問題として考えておくとしていいのではないかと思う。

福島会長

 大変重要な問題をお出しになったと思う。確かに昭和24年の時には,お話のような考え方で決まったのであろうと思うが,ここで今日当用漢字表の再検討をしていくということになると,その辺のことも検討のうちに加えてもう一度考えてみるということになっているのが,この審議会の現状であろうと思う。また,大体「当用漢字表」という言い方自体が,あるいは問題であるかもしれないという気もする。昭和24年以来の決め方から言えば,一度決めれば,それが活字体を多分支配するであろうということも考えられる。漢字表というものをどういう字体で示すことにするか,例えば,康熙字典にあるような漢字の字体ではまず漢字表を作って,簡略な字体は別の字体表を作って,略字はこの程度までやってよいということを別に決める,というような基本的な問題もあるかもしれない。あるいは略字的なものについて考えがまとまっていれば,それを並べて漢字表を示すということで,漢字表一つで両方の役に立つようにするということであるのかもしれない。小委員会的な検討を願うわけであるが,総会に伺ってみたいのは実はこういう点である。これは具体案ができてからでも遅くはない議論だとは思うが,筆写体のための字体であるとばかりは必ずしも言い切れず,実際問題としては活字体をも支配するであろう,筆写の方はこの字体によってもらいたいと言ったところで,どういう字を書いてくれるか,いろいろな字を書く若い人が多いことからも全く見当がつかないということになる,恐らく字体表が決まれば,活字はこれに従ってくるであろうということは予測しておかなければならない。
 ごく大まかに言えば,漢字表と字体表と二つ要るのか,字体表を兼ねた漢字表一本を発表すればそれでいいのか,という大問題があるように思う。昭和24年当時は字体を検討しておいて,それを基にして漢字表を作ったということのようにも思うが,再検討の時期に来てそれでいいのかどうかということなどもかなり重要な問題であろうと思う。御意見を伺いたい。

岩淵主査

 歴史的事情から言うと,漢字表作成の時には字体のことを余り議論する余裕がなかった。したがって,その中には例えば「拠」の字のような,古い康熙字典体でなくて,略字の方,我々が楷書で書く字,多分小学校などで略字体として教えられた字のようなものを幾つか採用して入れたということはあるが,大体においては康熙字典体で発表されたと思う。しかし,一方ではそういう康熙字典体,明朝体ではなくて,もう少し字体を簡略にした方がいいという考え方があった。殊に新聞社などの活字を取り扱う面では,その当時は非常に紙が乏しくて新聞はタブロイド版で,本は仙(せん)花紙などで作られた時代であり,活字を小さくして紙を節約すると,康熙字典体の活字では紙面がどうしても黒々となってしまい,困るということからも点画を省略したような字体を考えるべきである,という考え方があったのではないか。
 「当用漢字表」は昭和21年に一応の漢字の字種の表ができた。追いかけて字体の審議に入り,昭和24年に「当用漢字字体表」ができた。その当時の考え方では,あくまで漢字表というのは制限であるから,制限された漢字だけについてその字体をどうするかという議論をして,漢字表以外の字は普通使わないという建前から,それ以外の字には及ぼさなかった。これは私の考え方であるが,もし新しい漢字表が出るとすれば木内委員の意見のように康熙字典体で発表したらどうかということもあるが,今まで二十数年活字として使われてきた字体をそのままにしておくわけにいかないので,そういう歴史を踏まえて,ある意味では,新しい漢字表の字体は康熙字典体でないようなものが考えられなければならないのではなかろうかと思う。
 私は原則としては,字体というものはそう始終変わっては困ると思う。というのは,私は小学校で楷書体を習って,中学校へ入ると今度は明朝体の教科書になった。たとえば「養」の字を楷書体で「よう」と覚えていて黒板に書くと,中学校の教師は間違いと言うので,明朝体の活字の「養」をまた覚え直した,小学校で覚えなければ,中学校で新しく覚えるのは楽であるが,一度小学校で覚えて,それを捨ててまた新しいものを覚えなければならないという目に遭ったことがあるからである。これは私一人だけでなく,第11期のある委員も同じ経験をしたということを話していた。
 そういうわけで,字体が今変わると今まで教育を受けた人たちが,もう二十数年間で相当な数になっていると思うが,また新しく字体を覚えなければならないということになる。今まで書いた字は間違いで,今度制定された字が正しいのだということになると非常に困ることになる。もちろんそれが活字であっても,昔のように草書や行書で書くということではなくなって,大体活字体と近い字で書くのであるから,これは間違いと言われても困るわけである。また,活字が変わると,早速学校ではどちらが本当かということが問題になる。
 しかし,今の字体には,それでは欠点がないのかと言うと,私はそうは思わない。やはり,今の字体について検討する必要があると思うが,原則的にここで大変革をするということはとても考えられないことであろう。
 もう一つ,「当用漢字字体表」が教育に適用された場合,「当用漢字字体表」に出ているのが正しい字であって,康熙字典体は間違いであるという考え方,あるいはそれに近い考え方が行われた,少なくとも康熙字典体というものを否定するような考え方が行われたことに問題がある。康熙字典体はやはりあり得るし,それ以外の字体も当然あり得る。ただ,私としては,昔から漢字には正俗通という考え方があり,我々がここで考えなければならないのは,俗字であるか通用字であるかということであって,正字は元のままであるということにしておかなければいけないのではないかと考える。
 今までの教育では,康熙字典体,正字体は,何か間違いであるかのごとく考えられていた。これは音訓表でもそうであった。「おとうさん」は仮名で書かなければいけないとしたから,「お父さん」と書くと間違いになる。それで学校はいいとしても,父兄の間で大変問題が起きている。新「音訓表」の場合には「お父さん」と書いても「おとうさん」と書いてもどちらも正しいとした。私個人の考えで言えば,康熙字典体のようなもの,今までの古いものは正字体である,しかし,これから我々が決めるもの,又は現行の字体は通用字であるという考え方で進めたらどうかと思う。

福島会長

 なるほど,康熙字典体で漢字表ができて,字体表は略字としてはここまで許容されるという形で,もう一つの表としてできることになるわけか。また,現行もそうなっているという話か。

岩淵主査

 これも私個人の意見であるが,もし新漢字表が発表される場合には,どういう字体で発表するかということが問題になる。木内委員が前に言われたように康熙字典体で発表するということも一つの方法かもしれないが,現行の「当用漢字字体表」を無視していいかどうかも問題になるので,できたら,検討された字体と康熙字典体とを両方並べて発表したら,と考えている。

福島会長

 漢字表と字体表と二つの表が要ることになるのか。

岩淵主査

 表は一つである。

林(大)委員

 「当用漢字字体表」制定当時のことを申し上げると,先ほど岩淵主査から話があったように,最初に漢字表ができて国語審議会総会で決定される時の原案は,康熙字典を参考にして謄写版刷りで書いたものであった。しかし,それが官報で政府から発表された時には,大蔵省印刷局が正しいと考えたものを国語課で検査をして,それで発表している。したがって,康熙字典によっていると言って差し支えはないと思うが,康熙字典体そのものではない。康熙字典体によって作った活字を使って発表したことになる。それが1,850字,康熙字典の順に並べられて発表された。
 その後,「当用漢字字体表」が決められた時には,その1,850字の一字一字について検討した。その中にはそのまま一向に変更のない字も多かったが,変更のあった字もある。その変更のあった字だけを取り上げないで,変更のなかった字も改めて字体というものを示す形で書いてそれを当用漢字表の順に並べて,そして総会で決定し発表することになった。その順が当用漢字表の順にそのままであるということは,結局「当用漢字表」自体がもし新しい字体で示されるとすれば,そのままかぶせればいいということであった。したがって3番目にある字はこういう字体,11番目にある字はこういう字体となって,ある字とある字との一致関係,新旧の一致関係は漢字表の順序によって示されるというように考えた。「当用漢字表」と「当用漢字字体表」とが2度にわたって発表されたが,それは一つにかぶせられて同一の形になって差し支えないものというように考えた。
 ただ「当用漢字字体表」そのものは,先ほどから話があるように線で書いた図形で,実際の明朝体でもなければ,楷書体でもないような形で示されてあったから,あのままを「当用漢字表」というのは少しおかしいかもしれない。その後,いろいろな方面で両者を組み合わせて出版されているいわゆる「当用漢字表」は新しい字体表によって作られた明朝体活字を使っているので,それらはそのまま「当用漢字字体表」と考えても差し支えはないということであると考えている。
 私は,今後示される字体表の性格がはっきりしていないし,宇野委員がたびたび言われるように略字のものだけを考えるとすれば,漢字表の漢字全体の字体を字体表として示す必要はなくて,略字表として示すということも考えられないことはない,と思っている。そこから性格が違ってくると思う。そのときにはやはり旧字体と新字体とを対照させる必要が出てくると思う。ただ漢字表の示し方について述べると,この字はどういう字だということは実は「当用漢字表」には書いてないので,例えば「山」は「やま」という字であるという証明はどこにもない。我々の習慣によって,これは「やま」に違いない。「さん」と読むに違いないと思っているだけなので,その点を明確にする必要があるかもしれない。「当用漢字字体表」は「当用漢字表」の1,850字に倣っているので,我々はその何番目はこの字であると分かっているが,もし今度新たに加えられる字があるとすれば,これはどういう字であるということを注記する必要があるのではないかと思う。そんなことは常識であると言ってしまえば,もちろんそれで通るが,その点が一つの問題であろうと考えている。

江尻委員

 今までの繰り返し,あるいは多少この審議会のわくをはずれた話になるかもしれないが,簡単に意見を述べたい。
 漢字の問題は,ここで論議する範囲で私の解釈するところでは,広く国民大衆のコミュニケーションを図るための手段としてどういうものがいいかということが,第一義に考えられなければならないと思う。つまり,政治的,社会的な生活を送る上で,意思の疎通が国民の間で円滑にかつ十分に行われるための有効な表現手段としての漢字は,どういう形のものであり,どういう数のものであるかということが,全体の立場としては第一に考えられなければならないということである。
 そうなると,大多数の国民にそういう漢字が理解され,また効果的に教えられるというものでなければならない。そして,そういう働きをするものとしては,私の立場から言うと,多少我田引水になるかもしれないが,マス・メディアは国民の意思疎通の大半を果たしていると思うので,それを考えると非常に多数の漢字や複雑な字体の漢字では社会的な意思の疎通を阻害するという結果になる。したがって,できるだけ易しいものであるべきであるということが,第一の基本条件になる。もっともそれだけでは専門的な表現,美しい表現に欠けるという場合も生じると思うので,それぞれの目的に従って別個にそれぞれの分野に適用するような漢字表があっていいのではないかと思う。一般的に国民に普及しなければならないものは,やはりできるだけ易しい,簡略なものであるべきであるということである。
 それから,新漢字表を「当用漢字表」と呼ぶか,「常用漢字表」と呼ぶかは別の問題としても,少なくとも国民一般が教育を受ける段階である高等学校の教育では,新漢字表の漢字と教育用の漢字とは一致してしかるべきではないかと思う。普通の教育を受けた一般の国民がコミュニケーションをするに足る日本語としての表現ができて,しかもそれを理解できるというものでなければならないとすれば,両者は当然一致すべきものであると考える。

江尻委員

 その他,考慮すべき問題点は機械化とか省資源とかいう問題から大きく考えていかなければならないということである。紙という資源は今,世界的に非常に不足している。これを増やすことができないという状況も考慮願いたい。先ほど岩淵主査からも話があったように,終戦直後の状況では新聞は,紙面2ページというような状況の中で,国民的コミュニケーションを果たしてきた。紙面をできるだけ増やしていって,活字を大きくしていきたいという希望を持ってやってきたが,かような資源不足の状況のもとでは,これを将来増やすという方向には行けないというのが,新聞界の一般的な判断である。発展途上国ではこれから教育が普及してくるので,紙の需要は大いに増えてくる。したがって先進国ではこれを今までのような状況で増やしていくことはできない。新聞のことで考えると,大体今程度のページで当分はいかざるを得ない。新しい資源が発見されない限りは,朝刊は24ページ前後,夕刊は8ページないし12ページというところでいく。そうなると,内容を盛るためには,活字を大きくできないという状況もあるので,なるべく見やすく,視力には障害にならないような字画の少ないものを採用していくという方向でいかないと,時代の要請に合わなくなる。複雑な字体を採用すると,大変難しいことになると考える。
 また,機械化についてであるが,コンピューターとか自動化とかという技術を採用しないでやっていくと,印刷文化もテレビも日本だけ世界の流れに遅れていく。非常に手間が掛かる,労力が掛かる,コストが掛かるというものでなければ,伝達ができないということになると,文化全体が遅れるということになる。以上の点についてもやはり考慮願って,漢字の問題などもお考え願いたいと考えている。
 ただ,たびたび変化が起こるということは全体としては非常にロスになる。現在の機械化のことを考えると,もし変化が起こると,日本全国で大変な巨費を要する結果になる。しかし,一方において社会の環境がどんどん変わっていく。これに適応することも進歩であり,必要であるという問題もあるので,絶対に変えてはいけないというわけにもいかない。
 結論としては,一定の期間,すなわち,今の情勢でいくと,10年とか15年とかいう期間は少なくともこれでいく。そして,その期間を過ぎたところで改めて状況を考えて再検討し,若干の小範囲の手直しをする。こういうふうにやっていくことが社会全体として非常に有益ではないかと考える。

真田委員

 「当用漢字表」と「当用漢字字体表」との関係については,先ほどの岩淵委員,林(大)委員の説明ではっきりした。つまり,昭和21年にまず「当用漢字表」ができて,1,850字が決まって,その後字体の検討が進められて,昭和24年に「当用漢字字体表」ができたということになっているようである。その間,年月のずれがあった関係で,是非とも二つの表が必要になったと思う。
 ところで二つの質問がある。昭和26年に「人名用漢字別表」ができて,幾つかの字が付け加えられたが,この「人名用漢字別表」の中にはいわゆる略字なるものが入っていて,例えば「亀」とか「弥」という字が付け加えられているが,これについては字体表というものはない。これは「人名用漢字別表」を作った時に,字種と字体を込みにして,つまり二つの表を一本にして出したものであるのか。
 もう一つお聞きしたい。昭和21年の「当用漢字表」にしろ昭和24年の「当用漢字字体表」にしろ,いわゆる略字については,昭和21年に既に慣用されているということで取り上げたものについても,昭和24年に「当用漢字字体表」を作った時に,改めて更に追加して採用した略字についても,本字というか元字というか,それをきちんと併記してあるにもかかわらず,昭和26年の「人名用漢字別表」については「亀」なら「亀」はいわゆる略字だけであって,本字との結び付きは書いてない。その辺の実情が分かっているのなら,お聞きしたい。これは新字体表と新漢字表とを1表にするか2表にするかという論議にもはなはだ参考になるのではないかと思う。

福島会長

 林(大)委員,いかがか。

林(大)委員

 先ほども申したように「当用漢字表」に新しい字体をかぶせた形を示したものであって,まさに一本化したということである。当用漢字表に対して字体表がある。字体表の考え方を及ぼして漢字表を作るとこういうふうになる。それに準じて「人名用漢字別表」も新しい字体で発表したということである。であるから,明朝体の形で新しい人名表を作って発表したということになる。だからこれは一本にかぶせている。
 ただ,これが何の字であるかということは,私も常識の線で「亀」は「かめ」に違いないと思っているわけである。これについてはだれも疑わずにそう思っているわけで,何と読んでも構わないようなものかもしれない。が,とにかく世間で使われているものがこういうふうに発表されたということである。

福島会長

 私などが今日見ている「当用漢字表」なるものは,それでは「当用漢字字体表」の方を見ているわけか。

林(大)委員

 そうではなく,両方である。漢字表というのは,漢字の種類を決めている。例えば「林」という字を採っておくということで漢字表に入れる。そして,それをどう書くかということになり,「木」を二つ並べておくというのが,字体表であると思う。であるから,本当は音訓表も一緒に付いていないと,意味がないというか,その字であるということの確証が得られないということを申したかった。

岩淵主査

 林(大)委員の意見は大変厳密であるが,「亀」の字にしても「弥」の字にしても歴史的にそういうふうに略字で書いたものがある。「当用漢字字体表」は昔はこう書いたという典拠を探して,それに従って考えているということで,勝手に新しく考え出した字体ではない。したがって,やはり当然結び付くのであろうと思う。例えば,昔,「亀」のように簡単に書いたという歴史があるので,それに基づいてそういう略字を使ったというように考えていいのではないか。

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