国語施策・日本語教育

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次第 韓国における国語問題等について(報告)

福島会長

 第2番目の議題,「韓国における国語問題等について」に入りたい。前回総会で事務当局から事前の説明があったが,昨年の11月16日から25日までの10日間,森岡健二委員,林四郎委員,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の大江孝男教授,国語課の小林一仁専門職員の4人が文化庁派遣という形で韓国における国語施設の問題について調査に行かれた。いずれ報告書にまとめられると思うが,本日は,森岡委員,林(四)委員にその要点を口頭で御報告いただきたい。まず,森岡委員にお願いしたい。

森岡委員

 少し時間をいただいて,簡単に報告し,あと足りないところを林四郎委員に補っていただきたい。
 ただいまの会長の話のように,4人で調査団を組み,昨年11月16日から25日までの10日間,韓国に行ってきた。延世大学校,ソウル大学校,高麗大学校,仁荷大学校の教授の方々にお会いし,また,役所の方では日本の文部省に当たる文教部,それから文化公報部を訪問して国語施策についていろいろと伺った。それから,ソウルでは誠信女子師範大学附属国民学校及び中学校を訪問し,授業を見学した。また,釜山市では,市教育委員会で懇談し,そのあっせんにより釜山女子高等学校及び慶南高等学校を訪問,授業を見学した。
 私たちが会った大学教授は,国語政策についても随分仕事をしている方々で,それぞれ大体2時間ぐらい話をした。詳しく伺うことができたので,初めの目的をおおむね達成できたと思う。具体的な国語問題の内容であるが,古い時代からの韓国の国語問題の流れを少し紹介しておきたい。
 新羅時代は935年まで続き,次は高麗時代で1392年まで続いた。新羅と高麗の時代には,漢字の音・訓を借りて朝鮮語を記す表記法で「吏(り)読(と)」というのがあり,これは日本の宣命・祝詞などの送り字に似たものである。また,古代歌謡である新羅の「郷歌」というのも,漢字を利用し,その音あるいは訓を借りて朝鮮語を表記している。このように,古代の朝鮮においては,漢字に対して,ただ外来語としてではなしに,日本のように自分の国の言葉で読むという方法をもっていた。しかし,1392年に李朝時代になると,そういう漢字の使い方がなくなり,漢字はただ音読するだけで,漢文も音読によって棒読みするという方法をとったようである。結局,その時代には,自分の国の言葉を文字で書くという方法を持たなかったわけである。1443年世宗王の時,「訓民正音」,今言うとハングルという文字を発明し,制定して,1446年に公布している。
 それ以来,韓国語が発音どおりに記録できるようになった。訓民正音を公布した時には,むしろ漢字の読み方を研究するために表音式の文字を使ったといわれているが,その後現在のハングルが,法華経の注釈,杜甫の詩諺(げん)解(俗語で翻訳すること。)など,難しい漢文で書かれた文献を自分の国の言葉で翻訳するということに役立ってきた。その時代には,これを諺(おん)文(もん)といい,俗語であり,卑しい言葉であるとされ,漢字,漢文に対して低い位置にあるものとされていたようである。
 1894年,韓国では甲午更張といい,ちょうど維新開花期に当たるそうであるが,政治,経済の改革と同時に国語にも改革の波が及び,それまで公式の文書であった漢文に代わり,ハングルだけの公用文,あるいはハングル漢字交じりの公式文を書くことが認められ,ハングルが正式の文字とされたようである。
 その甲午更張から2年後,周時経という人が,漢字を追放してハングルにしようという運動を起こしている。それから間もなく1910年に日韓合併があり,朝鮮総督府の学務局では,1912年にハングルの綴字法を制定している。ハングルを広めるに当たり,綴字がいつも問題になっており,総督府は1912年,1921年,1930年に綴字法の案を出しているが,それらはいずれも発音式である。
 それに対し,1921年に朝鮮語研究会という団体が組織され,間もなく朝鮮語学会という学会に改まった。この会は,民族運動の性格をもった学会で,その後ずっと韓国における国語施策のリーダーシップをとってきたようである。
 総督府で決めた綴字法が発音どおりにハングルをつづろうというのに対して,1933年朝鮮語学会は,表意式のつづりをするハングル綴字法の統一案を出した。ハングルは表音文字であるが,表意式のつづりをするのである。
 ところで,ハングルで国語を書くための運動としては,まず綴字法が問題になるが,ハングルは表音文字であるため,たとえ表意式のつづりをとっても,標準語として正しい言葉の語形が決まらないと,なかなか実行に移せないので,ハングル学会では1936年に標準語の査定をしている。
 日本語の標準語と相当違うと思われるのは,約1万語をこの音は長音でなければいけないとか,この音は濁音でなければいけないとか,この音は有気音でなければいけないというふうに,70人の委員が一語一語決めて,標準語を査定していることである。
 つまり,韓国語における標準語というのは,話し言葉で全国共通の言葉を持ちたいという日本の標準語運動と違い,むしろハングルを実用化するための一つの準備であったように思う。
 国語施策としては,ほかに,外来語のハングルによる表記法とか,ローマ字問題とか,いろいろとハングルを実用化するための運動があり,実用的な案が次々に発表された。現在のハングルの使い方は,戦前における朝鮮語学会の案が一応基準になっていると思われる。
 1945年独立し,1948年には李承晩大統領がハングル専用に関する法律を出し,公用文はすべてハングルにすることとしたが,新聞等においては漢字ハングル交じり文を使っていたようである。
 文教部では,ハングル専用にするための過渡的な措置として,まず漢字を制限して,1951年には常用1,000字漢字表,57年には臨時制限漢字表1,300字を出し,その範囲で学校教育を行うというふうにして,ハングル化への道を開くための政策と運動が続いた。
 そして,1967年に朴大統領がハングル専用に関する指示を出した。非常に強力な指示で,5か年計画で漢字を一掃し,ハングル専用を実現するというもので,政府もそれによって5か年計画の実施案を出した。そのため,登記,裁判所その他の用語もすべてハングルで書くというふうにそれが実行に移されていったようである。その翌年の1968年には,5か年計画を2年短縮して,1970年から,いっせいにハングル専用にしようという動きになった。
 そういうふうな非常に強力なハングル政策がとられた結果,それを契機として,1969年に語文教育研究会(主として,国語,国文学者の団体)が,今度はハングル漢字混用文を主張し,ハングル専用化に対する非常に強い反対運動を起こした。語文教育研究会は,哲学,東洋学そのほか50団体近くの学会,研究会,研究団体を動員して,次々に漢字教育復活の建議書とか声明書を出して巻き返しを起こしたので,1970年から実施するはずのハングル専用の施策は進まなくなり,72年には中学,高等学校で漢字の教育を行うという特別政令を出している。

森岡委員

 そして,75年からは高等学校の国語,国史の教科書には漢字を併用し,76年には国語,国史以外の教科書にも漢字併用を及ぼしていくというふうな経過になっている。(漢字併用とは,ハングル漢字交じりの表記ではなく,漢語をハングルで表記した場合,その漢字をハングルの後に括弧内に併記して示すことをいう。)
 そういったハングル専用の動きと漢字混用の動きとが,どういう主張と根拠に立っているかを簡単に申し上げておきたい。
 ハングル専用を支持する立場の人々は,日本でも言われるように,漢字の学習が非常に困難である,時間の浪費である,労力のむだである,だから表音文字であるハングルによって勉強すれば,文字を覚える時間で科学的な知識を増やして教育の効果が上がる,という。
 ハングル学会は,先ほど申したように,民族主義運動という性格を持っており,非常に強い団体である。まず漢字の弊害を説き,そしてハングルは科学的な文字であるという思想と,表音文字であるから機械化が容易であるという考えなどに立っている。現在,ハングルタイプライターもできている。
 それから,ハングルにするからといって漢語を別に排斥するわけではなく,漢語をハングルで表記すればいいではないかという考え方である。そして,漢字の読めない世代が育ってくるときの対応策として漢文で書かれた古典をハングルで翻訳していくという大事業を起こして,古典を若者に読ませて歴史からの断絶がないようにしたいということである。
 これに対して,漢字を擁護する立場の人たちは,ハングル教育により,教育効果が減退した,漢字が読めなくなった,学術の発展を阻害したなどというふうな論点に立っている。
 前者も民族主義の上に立っており,後者も長い伝統文化の上に立っている。国語問題は,過去の歴史,文化から切り離せないものがあるだけに今後に問題を残していると思う。
 このたびの旅行経験によると,町の看板はほとんどハングルであり,書店でもハングルの本が多い。ハングル専用は事実上非常に進んでいる。ハングル専用の人たちの考え方は,一般大衆の日常の言語生活はハングルによっており,それで十分であり,それにより民主化しようではないか,そして,専門家,学者,教養層,大学に入った人は漢字を知っている方がいい,それからハングル専用になっても,地名・人名もあるし,多分漢字はなくならないであろう,というのである。

福島会長

 引き続き,林四郎委員,何かお話しいただきたい。

林(四)委員

 とりたてて私が付け加えるようなことはないが,教科書のことだけ少し述べたい。
 韓国の教科書は,国定,検定,認定と3種類ある。小学校では全部国定で,中学校以上は現在は検定と認定とでやっている。検定と認定との境目だが,検定の方がより国定に近く,認定の方が少しゆるいということである。
 教科書と漢字との関係だけで見ると,大体4期から5期くらいにわかれる感じである。先ほどの話のとおり1948年に李承晩大統領のハングル専用法がでて,それに伴い,その年からハングルの教科書が編集された。それがどの程度徹底して使用されたかは,はっきりしない。
 それから,1951年と1957年とに文教部の1,000字,1,300字の制定があったというのは先ほどの話のとおりで,それが徹底して行われ始めたのは1963年からのように思われる。国民学校では600字,中学校までで,1,000字,高等学校でそれに300字加わって1,300字ということになる。国民学校では,3年までは漢字は教えなくて,4年で200字,5年で250字加わって450字になり,6年で150字加わって600字になる。中学校ではそれに400字加わって1,000字になり,更に高等学校で300字加わって1,300字になるわけである。なお,国民,中,高の分かれ方は日本と同じ6・3・3制である。
 それが,先ほどのいろいろな経緯があり,ハングル専用を強め,もっと早くやるという国の方針が出て,それに伴い,1970年からの教科書は国民学校については完璧(ぺき)に全部ハングルになって漢字は一字も現れないということになった。その精神は,中学校,高等学校にも大体貫かれていて,1970年以降の教科書には非常に漢字が減った。しかし,全くなくなったわけではなく,中学校と高等学校の検定,認定の教科書には必要に従って若干の漢字が使われる。若干の漢字使用とは,例えば,高等学校でいうと,索引に少し漢字がでてくるとか古典に漢字が括弧内に併記される,つまり漢字を併用するということである。この程度に遠慮がちに最小限に中学,高校で漢字を出していたというのが,1970年から72年までの状況である。この3年間は教育界において漢字が一番姿を消した時期である。ところが語文教育研究会の猛烈な巻き返しがあり,1972年に文教部が先ほどのような政策を発表し,1973年から実施された。国民学校は依然としてハングルだけで,漢字は教えない。今もってそうである。中学校と高等学校とは漢文が必修になり,基礎漢字1,800字のうち900字が中学校で出されて,高等学校で残りの900字が出され,中,高が終わるまでに基礎漢字として文教部が発表した1,800字が履修されるわけである。
 ここで,漢文というのは,我々が頭に描く漢文とは多少ニュアンスが違い,漢字というのと非常に近い。必ずしも漢文の文章だけを指すのではない。そこで,漢文教育というのは,古典漢文の教育と漢字教育のこととを指しているようである。

福島会長

 漢文の教科書を見ると,余り長い文章は出ていない感じで,文も短く,大体論語程度のセンテンスである。それから,特に力を入れて教えているのは,4字漢字,「一心不乱」とかいったものである。古典的漢文の教養をたたき込むという姿勢は余り教科書からは見えなくて,むしろ言語生活でそういう4字漢語のようなものを知っていると,表現力が豊かになるので,それを教えていくというような感じに受け取った。
 それが1973年から実施され,1975年からは更に国語と国史の教科書(中学校以上で国語と国史は必須である。)の中に今の1,800字を漢字併用ということで入れていくということになった。その傾向は今年の4月から強化されるであろう。1976年度以降は漢字併用を全教科に押し及ぼしたいと文教部は語っている。ただし,それがどの程度実現できるのかは分からない。そういう状況である。
 こうした流れを見ると,漢字が復活してきて,ハングル専用にはとてもいかないという感じがするが,どうも話はそうでもないようである。文教部の首席編修官などは,もちろん我々に対して公式に,このことについて次のように言っている。
 「決して漢字が復活しているのではなくて,ハングル専用の方針は確固として続いている。いつからハングル専用に踏み切るか。そこまでもっていく段階的な移行をできるだけスムーズにするための処置であり,今後,漢字が復活していくことは全くない。」
 若い層と漢字の教養を既に持っている層とには,何か断層があるのではないか。その断層を見て,大人が,これでいいのか,その間をどのように埋めるか,埋めるためには漢字教育をしなければならない,ということで,こういう施策があるように見える。若い人たちの意識としては,果たしてどの程度なのだろうかということは,どうもつかみかねる感じである。
 釜山などの学校見学で,国語や漢文の教員について,校長が優秀であるとほめていたが,非常に漢文の教養が豊かと見受けられた。黒板には次々と難しい杜甫の詩などを書いては教えていた。生徒もまじめにきちんとした漢字で,一生懸命書いて覚えているという感じであった。今の若い世代の言語感覚が,ハングルと漢字に対してどのようになっているのだろうかというと,非常に流動的なのであろう,というのが私の感想である。

福島会長

 両委員の報告について質問があったら,どうぞ。

碧海委員

 日本の漢字を考える場合に考えなければならないことの一つは,漢字が可能にする非常に自由な造語法ということである。ヨーロッパの新しい言葉を日本の近代化の過程において日本人が,割合,困難なく入れてきた背後には,漢字による造語法があると思う。例えば,ディレイド・フィードバック・サーキットという言葉があると,それをすぐ遅延帰還回路というように直すことができる。これはほかの国の言葉ではできないのではなかろうか。しかし,容易な造語法にはマイナス面もある。つまり,言葉だけが走り,何を言っているのか分からないような言葉がはやるというマイナスの面もあるが,基本的にいうと,日本の明治以後比較的早い時期に,日本語で,電気工学でも,医学でも,機械工学でも,法律学でも勉強できるようになったところに,日本の近代化の一つの秘密があったと,私は長年思っている。
 私は,決して漢字というものを無条件に支持する立場から述べているわけではないが,韓国も漢字とハングルの併用という面では同じような問題を持っているのではないか。つまり,新しい最先端の知識を吸収し,特に国を工業化していく過程において,あるいは医学を若い人が勉強していく過程において,ハングルだけで外国語で書かれた文献を吸収することができるのかどうか。その辺のことを伺えればと思う。

森岡委員

 ただいまの質問に関連して申し上げると,ハングルの浸透には目をみはるものがあり,一挙にハングル専用化ができるのではないかと,旅行者としては思うが,よく聞いてみると,漢語の言い換えが非常に困難である。1945年に独立し,純韓国語を復活するという運動が展開され,日本的なニュアンスのある言葉を全部排除して言い換えをしようとして,「こんにゃく」とか「そば」とかいう言葉まで変えようとしたようであるが,物の名であるから,しかたがないということになった。それから,「学校」を「学ぶ家」,「飛行機」を「飛ぶ機械」というように,純韓国語で言い換える,言い換え運動が展開されたが,今やハングル学会でもそれが不自然であることを認めており,言い換えたいという願いはあるが,なかなかできない。そこのところが,漢字混用派の巻き返す一番大きな原因になり,いわゆる政治,経済,科学の用語を純粋な韓国語で言い直すことは非常に難しく,韓国のハングル専用化の一つの隘(あい)路になっているようである。日本人はヨーロッパの言葉を漢語によって造語することができたのに対して,韓国の人は,漢字,漢語を捨てて純韓国語で何とか翻訳しようとするから,どうしても不自然になる。そういうことが問題になるのではないかと思う。
 それから,幾ら表意的にハングルでつづろうとしても,漢字・漢語には同音異議語がたくさんある。恐らく日本語よりも韓国語の方が漢語を多く含んでいると思うが,同音異議語の書き分けができない。これが,ハングル専用化の一つの隘路になっているかと思う。もう一つ隘路になっているのは,つづりが非常に難しいということである。つまり,日本でいえば,歴史的仮名遣いを強いることになる。そこで,表音式と表意式の中間ぐらいに改正する必要があるということを言う人がたくさんいた。それから,新聞なども分かち書きがうまくいっていないし,ハングルのつづりが語によってまちまちなものもあるという指摘もあった。
 綴字法と同音異議語及び言葉の言い換えという問題が,一挙にハングル専用化できない原因になっていると思う。

福島会長

 ほかに質問があったら,どうぞ。(発言なし。)

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