国語施策・日本語教育

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次第 自由討議(直接漢字に関するもの以外の国語の諸問題について)〔その1〕

福島会長

 なお,自由討議を予定しているので,日本の国語問題とも関連のある形で,韓国における国語問題の話になっても差し支えないわけであるから,恐縮であるが,先へ進みたいと思う。
 これまでの総会で,各委員から現在検討中の字種字体問題以外にも国語審議会として考えなければならない国語に関するいろいろな問題があるのではないかという意見がかなりたくさん出た。そこで運営委員会で協議した結果,漢字表委員会に漢字表及び字体の問題の具体的検討を願っている間に,総会としては,直接漢字に関するもの以外の国語の諸問題について自由討議しようということになった。
 今期中に必ずしも具体的に問題点を取り上げるというところまでいかなくても,その自由な意見交換の中から今後適当な時期に字種,字体問題以外に国語審議会として取り上げて具体的に検討すべき事項も出てくるのではないかと思う。これまでの総会及びアンケートでの各委員の御意見などの中から問題点となる項目を問題点整理委員会で整理をしていただいた。整理された問題点は,3月19日付けの文書でお手もとに差し上げてある。この総会に先立って各委員にあらかじめお知らせし,御検討いただこうという問題点整理委員会の御配慮である。そこで本日は,問題点整理委員会から資料を御提出いただいているので,問題点整理委員会の遠藤主査から御説明願いたい。

遠藤主査

 今,会長から御説明があったように,11月20日の運営委員会の議に基づいて,11期及び12期に行ったアンケート及び総会での各委員の発言あるいは文章から漢字の字種,字体に関するもの以外の国語の諸問題を拾い出して整理してみた。これを3月5日の問題点整理委員会にかけて,そこでの意見によって更にまとめたものを3月9日付けで各委員にお送りした。
 お手もとの1枚の資料「自由討議事項――直接漢字に関するもの以外の諸問題――」には,3月9日にお送りしたものと同じ6項目を掲げている。この資料の右側に1・2・3……と打ってある数字は,お手もとのもう一つの枚数の別紙資料のページを示している。
 この数ページの別紙資料「これまで出された総会発言等での委員の意見」について説明すると,例えば,一番初めに「話し言葉にかかわる問題について」という題目が挙げてあり,その下にアンケートあるいは総会での各委員の発言の中から拾い上げた言葉が書いてある。(委員の名前は,いろいろ都合があって,これでは省略させていただいた。)
 そして,この資料の題目と各委員の発言の間に「関連する従来の建議・報告等」というのが挙げてある。自由討議の題目の中には,既に今までの国語審議会において何回か扱われてきた問題(あるいは新しいものもあるかと思うが。)が含まれている。それらがいつどういうふうに扱われてきたかということを見る手掛かりをここに示してある。お手もとの青表紙の資料つづりの一番初めに「国語審議会答申建議集」というものがとじてある。この答申建議集にあるもので,当面の題目にかかわりのあるもののページをそこに示したわけである。
 なお,この答申建議集の目次を見れば,今までに,いつ,どういう問題が検討されたかということが分かる。この中には,答申と建議のほか,総会の報告という形でまとめられたものも含まれている。このほかに,この答申建議集に入っていない報告も文書としては一応残っているものもあることを申し上げておく。

福島会長

 この資料にある問題は必ずしも体系的なものではない。これまでの意見を話しやすいように分類して並べてみただけのことである。それぞれ大きな問題であり,相互に関連しているところもある。どういう点から自由討議を願うかということであるが,発言がそれからそれへ移るようなことになっても不便であるので,例えば敬語からとか,ローマ字からというように一応題目ごとに集中して意見交換をしたらどうか,ということで分類してある。進行上の問題もあるので,ここに並べた順序でお話し合いいただければありがたい。
 なお,自由討議は必ずしも今回だけで終わりということではなく,字種問題,字体問題を漢字表委員会で御検討いただいているので,総会はその中間報告を承りながら,今後も漢字表委員会の作業と並行して,こういう意見交換を続けてよいと思う。また,各委員の意見によっては,このうちのある問題についてはもう一度問題点整理委員会で検討して,資料を作成していただくということがあってもよいのではないかと思う。今までの発言,アンケートの意見を整理すると,「話し言葉にかかわる問題について」の意見が多かったということであるので,便宜上,この題目に近い発言から始めていただいたらどうかと思う。
 国語審議会は,漢字表とか漢字の字体とかばかりとやっていて,漢字審議会ではないかという批評もたまには聞くことがある。我々は必ずしもそうだと思っているわけではなく,あくまでも国語審議会であると思っているので,漢字の字種,字体の検討作業をいただいている間に,審議会として心配しなければならない問題,将来具体的に取り上げて,更に作業してみようという問題などが出てくるとも思うので,自由な意見の発表をいただき,また,それについての意見交換が行われるようにお願いしたい。
 話し言葉にかかわる問題については,従来の建議・報告などにもある。また,11期及び今期においても,読み書きの言葉と話し言葉の関連の問題は重要であり,積極的に取り上げてほしいという意見,揺れ動く言葉と「共通語」づくりをどう考えたらいいかという問題提起,話し言葉,語彙(い)の問題について積極的検討を加えるために何らかの組織も要るのではないかという意見,国語のアクセントをどう扱うかということについての問題提起などが出されている。そういったことで御意見をいただきたい。

下中委員

 「話しことばの改善について」という建議が取り上げられて,具体的な施策として,あるいは研究問題として進んだのか進まないのか,その点を聞きたい。

福島会長

 その点は事務当局に説明してもらうが,私が発言をお願いした趣旨は,こういう問題について意見をいただいて,その中でこれとこれについては具体的に検討あるいは作業をする必要がある問題であろうということになれば,審議会としてはそのやり方をどう考えるか,ということである。
 石田課長,今の質問については,従来固まったものでもあるのか。

石田国語課長

 私は詳しくは承知していないが,「話しことばの改善について」(建議)の4項目のうちの,第2項に「話しことば教育の指導者を養成する方策を,できるだけ早く立てなければならない。たとえば,とりあえず既設の大学その他の機関内に講座を置くなどの方法を講ずる。」という点については,当時,国語審議会から教員養成のことを審議していた中央教育審議会に申入れが行われた。それを受けて昭和36年に教育職員免許法の施行規則の改正がなされて,国語の免許状を取るための国語学の単位として音声言語に関するものを含むということが入ったということである。
 そのほか,第4項の「話しことばに関する必要な調査をいっそう根本的に継続的に実施する必要がある。」ということについては,国立国語研究所で以前から研究が進められている。
 ほかにも,委員各位が御存じのこともあるかと思うが,今,私の承知していることを申し上げた。

北村委員

 今,建議に基づいて話し言葉の改善に関する具体的な方策がどのようにとられたかという話があったが,私は教育の現場人としての立場から,この問題については現在進んでいる漢字問題の進展がある段階に達した時点で,特に話し言葉を専門的に研究し,あるいはこれをある形にまとめるような組織を考えていただくことが大事ではないかと思う。話し言葉の重要性は論ずるまでもなくはっきりしているが,現在の学校教育における話し言葉教育の実情は,私の考え方からすると,誠に低調であって,こういう低調な教育を長いこと受けて国民になっていったとしても,一般社会での話し言葉の姿がこれから先次第に向上するとはとうてい思えないような場面がいろいろある。
 こういうことを考えると,国語審議会のような権威ある立場から話し言葉教育に関する一つの提言をしていく必要があるのではないか,社会全般が大きな関心を持ち,更には教育の支えとなるような具体的資料を出していくということが,現状を救って純正な話し言葉の世界をつくっていく,話し言葉の水準を保っていく大事な要素になるのではないかと考えている。
 文部省で現在話し言葉教育についていろいろ配慮し,具体的な方策を立てていることは申し上げるまでもない。文部省の現在示している指導要領の内容,方策が間違っているとか手薄であるとかいうことは言えないと思う。しかし,話し言葉というものが非常に難しい要素をいろいろ抱えているので,考えの分かれるところがいろいろな面にある。そのために現場では,規範として示されているコースははっきりしていても,それをどのように解釈し,どのように具体的に指導の場に生かしていくかは,必ずしもはっきりしていないと思う。特に最近では,話し言葉教育の低調化の現象をもとにして,話し言葉教育を特に国語教育という場で意識的に取り上げる必要はないのではないか,というように解される発言も方々から出ているように聞いている。
 私は,そういう片寄った考え方を聞くごとに大変残念にも思い,今後の日本の国語教育のために,是非,この際,正しい方向,望ましい方向をこの審議会で求める姿を打ち出していただきたいと念願している。
 音声言語であるので,現場で指導しがたい条件は,いろいろあるが,まず第1は文字のように目でとらえることができない,瞬間的に消えさってしまう,という生得的な難しさがあり,このため,話し言葉を児童,生徒の教育の素材として使うには本質的な困難があるということがある。
 それから,話し言葉の教育では,学習しなければならならい必然性を学習者自身に痛切に感じさせるような場をいかにして設けるかという非常な難しさがある。
 更に,話し言葉の指導は,指導の場で実際にいかに方法化し,いかに技術化するかということになると,大変に難しい問題がある。
 特に話し言葉における一番の隘路は評価の問題だと思う。話し言葉の力がついたかつかないかをいかにして評価するか,これは大変な問題である。こういったことが,現在の教育の場において話し言葉が不振になっている一番の原因であると思う。
 現在の文部省で示している指導要領の方向が悪いとか足りないとかいう気はないが,特に現在の日常生活の中から強く感じていることを一,二申し上げたい。
 現在小学校などで話し言葉教育の重点として押さえられている方向は,比較的技術面に片寄っているように思う。話し言葉を技術としてとらえるような考え方では,いつまでたっても話し言葉の純正化ということは望めないように考える。態度とか,習慣とか,話し言葉にぴったり即している人間性の面をもっと重視した教育観に立たなければ,話し言葉の充実ということは期しがたいであろう。
 技術面重視の示され方が具体的に出てきている根底には,社会全般の話し言葉教育に関する考え方があるように思うので,社会全般が私がただいま申し上げたような考え方になってくれることを切に希望している。
 国語審議会としても,話し言葉の教育の根本にある考え方はどうあるべきかということについても十分審議し,それが社会全般の一つの世論として強い力を発揮するように,ひいてはそれが教育の場で具体的な方策として現れるように示していただきたいと切望している。

福島会長

 関連して,又は別の問題についてでも御発言をどうぞ。

林(四)委員

 今,北村委員から小学校を主にして話し言葉教育に関する御意見があったが,私も同感である。話し言葉がどういう方面で手薄てあり,どういうところを増強しなくてはいけないかという話があったが,それについては本当に考えなくてはいけないと思う。今までに学校では話し言葉教育が盛んになったようでも,それが技術方面に過ぎなかったというのは,私もそう思う。会議の仕方というような点では非常に発達して子供たちの会議の仕方は非常にうまくなったと思うが,その会議で何をどういうふうに話して正しい考え方を伸ばしていくかということになると,それは教育の対象外であるという感じが強かったように思う。
 したがって,考えるための言葉,望月委員の著書にも思考語・考え言葉というものを重視した考えが発表されているが,そういう方面をもっと国語審議会としても考えなくてはいけないのではないか,例えば話し言葉の基本語彙とはどういうことかということである。基本語彙ということを考えると,どうしても書き言葉の方にいってしまうが,話し言葉で物事を正しく考え運んでいくとき,最重点に教育すべき語彙というようなものはあるのであろうと思うので,そういう研究を起こすような掛け声が必要ではないかと思う。
 それから,今の北村委員の御意見から思い起こして,それとは少しそれるようであるが,一つ感じていることを話したい。今,指導要領の改編期に当たっていて,私も中学校の協力者としてその席に出ているが,その時に一つの危機を感じる。
 教育過程審議会から各教科の精選ということが中間答申として出た。どの教科も教育内容を精選し,むだなことをやらないで重点に力を入れるということになり,それはそれとして結構なのであるが,そのことが時間数を減らすという方向にいやおうなしに向かっていく。学校における自由な活動をもう少し重視して必須の時間をもう少し減らして負担を軽減していくべきではないかという方向が,今,強く出ているように思う。理科,数学,社会の3教科などは,明らかに教育内容が多すぎて精選しなければならない。それははっきりしていると思う。したがって,教育過程審議会の答申でもその点は非常に明快である。しかし,国語では,それほど教えている内容が多過ぎるという指摘はないように思う。国語教育は言葉の教育であるということをもう一度考え直して,表現力,特に作文などが薄いからそこを重点的に教育しなくてはいけない,ということはある。そういう意味での精選という言葉は確かに使ってあるが,いわゆる知識教科における精選とは,国語の場合は全然違うはずである。
 国語以外の教科では,時間数を減らすことが実際必要であろうと私も思うが,国語まで時間が減ってしまうと,大変なことになる。その場合,精選の対象は必ず話し言葉へ向けられていく。戦後,話し言葉が強くなったが,これはむだではないか,こんな学校に話し言葉教育をやらなくてもいいのではないかということで,精選の対象はまず話し言葉教育,聞く話すという教育に向けられていく。
 更に,それだけで防ぎとめられなくて,漢字教育すら問題になる。小学校の漢字教育(いわゆる教育漢字881字とそれ以外の当用漢字120字ぐらいを読むこと。いわゆる教育漢字を主として当用漢字のうち800字ぐらいの漢字を書くこと。)と高等学校の漢字教育(当用漢字の読み書きが全部できること。)の中間で,中学校の漢字教育の負担は,現場の教員から聞くとかなり大きいもののようである。しかも,昭和48年6月の「当用漢字音訓表」の内閣告示・訓令により音訓は400ばかり増えている。それをも教育しなくてはならないのに,時間が減るのであったら,そんなことは全くできるはずがないという危機感が,国語の方には,今,指導要領を改編する時期に,満ちているように思われる。国語の教育が同じ精選の対象にされて,時間まで減るようなことを見過しにしてよいのであろうか。国語審議会としても何か考えていただかなくてはならないと思って発言した。

森岡委員

 私は話し言葉については,また別の考えがあるが,今,林(四)委員が話された現在進行中の教育課程審議会の国語教育の在り方については私も問題を感じている。ただ,文化庁の国語審議会と文部省の教育課程審議会とは一体どんな関係にあり,こちらから何かすることができるのかできないのか分からないが,ある意味の危機というか国語教育をかえって混乱させるのではないかというおそれを感じる。
 自由討議であるので,高等学校の国語教育が今どのように考えられているかを少し報告しておきたいと思う。
 小学校,中学校,高等学校と一貫して国語教育を体系的にしたいという趣旨であるが,今の林(四)委員の話にあったように時間数に拘束されて高等学校の1年生は,4単位必修,2年生以降は選択という決定がなされる公算が非常に強い。
 現在のカリキュラムでは,高等学校3年間で,現代国語7時間,古典T甲2時間であるが,実際には普通高校では,現代国語7時間,古典T乙5時間,更に古典U3時間を付け加えて,15時間ぐらいの国語の学習をしていると思う。つまり,普通高校では12時間ないし15時間学習していることになる。それが,今後の教育課程審議会では先に述べたようなことになりそうであるが,やはり国語は絶えず反復学習することが必要であると思うので,時間数の拘束はしかたないとしても,ある程度基本になる2年,3年にも必須の科目としておいてほしいということである。
 もう一つは,今度の場合には,作文教育と古典教育に重点を置くということが,高等学校の場合,建前になっているそうであるが,今述べたようなことであると,高校3年間のカリキュラム及び指導事項が立てにくい。せめて国語科だけは3年間3階建てに持ち込むことができるようにしたい。国語審議会としても国語教育の系統に対して関心を持っていただきたいし,また何かそういうことでできることがあったら,お考えいただきたいと思い,発言した。

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