国語施策・日本語教育

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次第 自由討議(直接漢字に関するもの以外の国語の諸問題について)〔その3〕

望月委員

 既に御承知のように戦後,学制改革があって,大学に一般教養(あるいは一般教育と呼んだかもしれないが。)というものが導入されてきた。その中に「言語・文学」というのが必ず入っていた。さて,その「文学」の指すものは分かるとしても,「言語」が分からなかった。大学で「言語」を専攻している人はどういう人なのか,文法の学者をそこに充てればいいのかということで,一般教養の「言語・文学」はかなり惑わされた感じがした。
 それは今もってすっきりしないのではないかと思う。
 私の勤務している教員養成の大学では「言語」を「言語生活」というふうに言い直して,必修単位としている。一般教養の取り方は大学によってさまざまであるが,私の大学では「言語生活」はとにかく必修単位ということでやってきた。この「言語生活」は,西尾実氏が唱導されていたが,大学で日本人の言語生活をどうとらえるかということについては,何ぴとも分からないという状態であった。外国には似たようなものとして,スピーチというものがあるということを言われていろいろ調べたが,結論的にはどうもはっきりしたものをつかまないままに過ぎているように思う。
 つまり,日本人の言語生活というものを,大学レベルの講義の対象になるような形でとらえるとすれば,どういうふうになるかということが,私自身には今もって課題として残っているのである。
 そして,先ほどのスピーチがアメリカのティーチャーズカレッヂにおいては必修となっているもので,日本でも是非そういうふうにしたいということで,国語教育学会は,しばしば文部省に陳情を行った。その結果であるかどうかは分からないが,これを「表現」という形で言い直して,教員養成大学に課せられるようになった。
 さて,その「表現」についてはスピーチもさることながら,書き言葉の方についても表現があるわけなので,これをどういうふうに扱ったらいいのか,「表現」とは何か,第一にそういうことを研究した学者がいるのかというような問題が出てきた。結論としては,作文を書かせればいいではないかという方へ大勢は赴いていって,スピーチとしての本義に立った講義なり実習なりは結局理論もなければ,実際にそれを指導する教授もいないということで,うやむやになっているような感じがする。現在,大学にそうした「表現」というような題目の科目を持っているところも少なくないが,実際は今,申し上げたようなことで過ぎているのではないかと思う。
 ただ今問題にされている話し言葉を,我々は今まで問題にしなかったわけではないが,当面の研究対象において話し言葉をやるということは,ごくまれである。全国の卒業論文等を見ても,大学院における卒業論文では,本当に話し言葉に関するものは取り上げられないで,専ら書き言葉に関するものである。
 話し言葉に関するもろもろの問題がここに提起されているが,それらを踏まえた上での日本語の話し言葉について,一体どこで,だれが,どういうふうに研究を進めているのか,進めていくのかという問題をいつも私は自分の心の中に持っている。
 話し言葉の問題をすぐにこの審議会で審議して具体的なものを示して,ある形をとって,それを基に大学のテキストをつくるというわけではないと思うが,日本語を扱っている立場からすれば,やはりただいまのような視点が問題にされていいのではなかろうか。つまり,書き言葉というものに対しての話し言葉とするならば,話し言葉を単なるテクニックの問題としてやるのではなく(しばらくそういうことをやったこともあったが,マスコミ,特にラジオ,テレビの進出が目ざましく,いろいろと改善も図られたので,何も大学で話し方のテクニックを教えなくてはならないというようなこともない。それがいいか悪いか分からないが,一般的に教授も学生もそれが学問であるとは思わないし,専攻することもない。),話し言葉というものをどういう形でとらえていくのかということになるかと思う。ただいま出ている断片的ないろいろな問題は,いずれもその中において位置づけられてしかるべきことではないかと思う。
 以上,私見ではあるが,何かの参考になればと思って申し上げた。

三根谷委員

 口語文法というのも書き言葉の文法で,話し言葉の研究は遅れている。
 しかし,外国人に対する日本語教育が盛んになり,この方面の専門家による話し言葉の研究がすすめられており,その成果が注目される。

松村委員

 望月委員,前田委員の御意見のように,国語を美しく広く普及させていくということは,私も大賛成である。話し言葉については,例えばアナウンサーの養成とかの場合には,多分放送局で練習期間があると思う。そうしないで,アナウンサーの言葉のアクセントが間違っていたりすると,すぐ国民の反撃を食う。しかし,学校の教員の場合は,先ほどから述べられているように,スピーチというものに対する教育,実践教育に欠けたままで教壇に立っている。
 そういう意味で,教員養成大学等では国語科の中でスピーチというものが是非必要だと思うので,アナウンサーの養成の際の訓練と同じように,教員養成の場合にも正しい発音,アクセント,いわゆる話し方の正しい発音,洗練された言葉遣い,といったことの教育を徹底させることを,国語審議会でも是非要望する立場をとってきただきたい。

吉川委員

 先ほどの北村委員,遠藤委員の御意見にあったように,せっかく出された前の建議を,是非生かしていくようにしなければいけないと思う。北村委員の御意見のように,話し言葉といわゆるマナーとのかかわり合いなども,割合に見落とされていたのではないかと思う。人と人との関係で,目上・目下の場合のほか,懇意な者同士の場合でも,マナーがないためによくいろいろなところでトラブルが生ずるということがある。先ほどの項目の中にも,話し言葉と社会というようなことがあったと思うが,やはりマナーと話し言葉とのかかわり方という点も重んじなければならないだろうと思う。

阪倉委員

 先ほどからいろいろと大学における国語教育ということが出ていたが,私の勤務する大学では「言学」(言学というのは倉石武四郎教授の御命名だそうである。)という科目を設けている。これが先ほどの「表現」ということに関連している講義ということになる。具体的に言葉遣いのようなことを問題にしても,大学生は一向に興味を持たないので,結局話し言葉と書き言葉の違いということの理屈を述べたりしている。
 また,現在の物言いというものに関連して,古文を利用してそれを読ませ,古代の日本語でもこのように論理的な表現ができる,例えば擬古文を読ませて擬古文から更にさかのぼって中世の歌論なんかを読ませて,いわゆる文語文でも論理的な表現ができるということを言うと,古文というのは非常に情緒的な文章であるという先入観が強くて,情緒的なことは古文では表現できるが,論理的な表現は古い日本語ではできないのだろうという漠(ばく)然とした先入観を持っていたのが改められる。
 具体的に物言いということを考えると,論理的によく分かるように物を言うということと,対人関係をよく考えて物を言うということの問題になるので,具体的に物を言わせたり,作文を書かせたりはしないが,そのような材料を使って講義をすると,従来関心を持たなかったそういう問題について,学生は案外興味を持つようである。
 そういうことで「言学」という講義を続けているが,私が考えるのに大学において,1年や2年,そういうことをしても,ほとんど効果はない。結局は社会教育になると思う。先日たまたま見たテレビで,中原中也の母親に当たる人を20歳前後の女性が訪ねて,いろいろ物を聞いていた。どういう身分の女性か知らないが,その物言いが非常に乱暴で「……なの?」という言い方をする。とすると中原中也の母親に当たる人が「そうでございます。」と返事をする。何度もそういう話が続くので,不愉快になってテレビを切った。
 言葉について非常に影響の強いテレビ,ラジオ,新聞等で,例えば,敬語の問題にしても,今放任されている。字幕の字が一字違っていると,ただいま間違いがあったと訂正があるが,先ほどの表現に間違いがあったという訂正はほとんど聞いたことがない。
 そういう敬語の使い方を知らないような人間は今後出演させないというくらいの厳しい態度をマスコミでもお持ちいただかないと,大学で幾ら講義をしても,社会的には全然通用しないということになる。そういう点ではモニターというか,実行力を持った何らかの機関というか,具体的に,先日のこの放送のこの言葉は間違っている,先日のこの新聞の記事の皇族に対する言い方はおかしいというような指摘ができる機関ができないものかということを常々考えているので,この機会に申し上げた。

坂本委員

 今,阪倉委員が指摘された番組がどこの局の番組であったのか分からないが,放送を担当していると確かに御意見のように,最近の話し言葉・言葉遣いの乱れといったものを痛感する。これはマスコミ関係者に言わせればむしろ教育の問題ではないかと思う。もう少し小学校,中学校,高等学校等でその種の教育について御配慮いただければ,もう少しそういう点の改善も実が上がるのではないかと思う。
 最近,テレビの番組に,一般の家庭の主婦が出演するが,敬語の使い方等については,正直のところ全くお手上げの状態である。NHKでも「上手な話し方教室」という番組をラジオでやっているが,これに対する関心が比較的強い。特に敬語の問題などを取り上げると,大変反響があるので,何回となく繰り返して放送している。国語審議会等でこの種の話し言葉の問題を取り上げるということであれば,放送事業者としても大変心強い。是非今後ともよろしくお願いしたい。

福島会長

 時間の都合上,本日の自由討議をそろそろ終わりたいと思う。いろいろと意味の深い御意見が出たことをありがたく思っている。漢字表委員会の進行の都合もあるが,こういう自由討議的な総会をもう1,2回は行ってもいいのではないかと思う。
 国語審議会として,文部大臣の諮問事項に入っていない事項について,意見を述べることが適当なのかどうかということも検討してみなければならないが,意見を申し述べるということは,決しておかしくないと思っている。また将来の問題として,漢字問題以外にこのような問題を国語審議会に諮問すべきであるという意見などは当然まとまってもよいのではないかと思う。
 本日は誠に有意義な自由討議であったと思う。今後の問題として,引き続きこのような機会を設けて,何かしらの意見をまとめて,文部省,文化庁に提出することにしたらいいのではないかと,目下私としては感じている。問題点整理委員会あるいは運営委員会などにもお考え願うことになろうかと思う。
 総会が3か月に1度であるので,この次の総会は6月中・下旬になろうかと思う。追って事務局から通知を差し上げたい。
 この審議会の今後の進め方としては,できれば,この12期の間に,漢字表あるいは字体についての試案をまとめたいと考えているので,漢字表委員会には引き続いて御苦労をお願いしなければならないと思う。そして必要に応じて総会で協議するということになると思う。
 差し当たり総会の今後の進め方についての意見があったら,いずれ運営委員会にも相談することになるが,どうぞ。(発言なし。)
 それでは特に御意見がなければ,先般新聞に出ていた法務省における人名漢字の問題について事務当局から説明がある。これは検討を要する問題であろうと思うが,その問題の検討については,次回総会に譲ることにして,現在の問題点だけを国語課長から簡単に説明願いたい。

石田国語課長

 昨年の暮れに,新聞で法務省での人名漢字検討の動きが報道された。そのことについて法務省に連絡をとって問い合わせをしたので事務局として承知していることを御報告申し上げる。
 50年3月の第95回総会でも御報告申し上げたように,法務省の民事行政審議会で,戸籍制度に関し当面改善を要する問題についての1年間の検討結果の答申が出た。それによれば,子の名に用いる漢字は戸籍法とこれに基づく法務省令で「当用漢字表」と「人名用漢字別表」に掲げるものに制限されているが,その今後の取扱いについては,国語審議会における今後の検討を待って対処する,ただそれまでの間,当面国民の要望の多いものなどについては,必要に応じ漢字を追加する措置をとる,ということであった。
 この答申に基づいて,法務省では50年の夏,全国の市町村役場で実際に人名の戸籍の受付をしている窓口に向かって,「当用漢字表」及び「人名用漢字別表」にはない字だが,名付けに使いたいとして出生届に出てくることの多い字,あるいは正式には出てこないが,事前の名付けの相談では出てくる字などを調査した。その結果が発表されており,これが新聞に報道されているわけである。
 そして,この調査結果についてこれをどのように取り扱っていくかについて,法務省から内々に連絡もあった。それによれば,法務省は,「人名用漢字問題懇談会」を開催して,そこで12人の学識経験者から意見を聴くことになり,既にその懇談会での検討が開始された由である。(なお,その中には,国語審議会の委員の中からも7人の委員が加わっている。)
 そして,そこで具体的な人名漢字についての当面の改善案ができたら,文部省に連絡があるようである。その時点でまた審議会にもお諮りし,御意見を伺いたいと思っている。

福島会長

 人名漢字の現状はそういうことである。いずれ次回総会あたりで御意見を伺うことになると思う。
 それでは本日はこれで閉会する。

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