国語施策・日本語教育

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次第 自由討議〔その1〕

福島会長

 3月に開催された第98回総会の際に,漢字表委員会で御検討いただいている間に,当面の漢字表問題以外にも国語審議会として考える諸問題があるだろうということで,委員各位の御意見をアンケートによって求め,それを問題点整理委員会で整理したものが,お手元の資料3に掲げられている。それに話し言葉,敬語,外来語等と挙げられているが,最後のその他の問題の一つとして木内委員の御意見を拝聴したわけである。木内委員の御意見に関連した問題についてでも,あるいは漢字表を検討するに当たって審議会として意見を交換しておくべき問題についてでも,本日の漢字表委員会の報告に関する問題についてでも,また,その他の問題についてでも,本日は一応自由討議を予定している日であるので,自由に御意見をお出しいただきたい。

木内委員

 一言付け加えさせていただく。提案の中の「関連事項」についてであるが,その中で一番大事なものは,戸籍の問題などではなく,教育との関係についてである。今までの漢字表の検討において常に教育との関連を考えると言ってはいるが,教育の問題をどう処理するかを言ったことがない。私の提案では,国民一般が漢字を理解しやすく,覚えやすくして,それを使うことにより日本語の能力を高めるために新漢字表を作るのであり,教育の問題とは切り離して考えるということにしてある。
 したがって,私の言う第3表があるからといって,これだけは是非とも教えろとか第2表を作るからといって高等学校ではここまで教えろとか言うのでもない。文化的な生活を営むには第2表ぐらいの漢字が大事であると言って,示しているだけであり,教育については全く別途の見地から考える,つまり,新しくいろいろなことが分かってきたので,それをも取り入れるのであるが,なかんずく,日本語を教え,漢字を教えるのなら,漢字のシステムを教えるという見地から考えるということになる。
 以上のように,私の提案の中では国語審議会の今までの検討においても延ばしてきたものに対して結論を出しているわけであるから,良いなり悪いなり論議していただきたいと思う。

福島会長

 漢字表作成の段階で教育との関連をどう考えるかということについては,第11期の審議会あたりではかなり活発な意見交換が行われたと記憶しているが,一応漢字表の草案でもできた段階で,教育の問題は立ち返ってもう一度意見交換してみなければならないという感じであったように記憶している。確かに教育の問題をどう考えるかということは,漢字表作成に重要な関係があることは間違いのないところであろう。第11期のような考え方でいくか,あるいは漢字表の原案ができかかった段階でもう一度教育との関連について考えてみるか。そうすることも決して意味のないことではないと思う。ここに自由討議の問題点として掲げられた中には,教育との関係は差し当たり書いてないが,これについての御意見でも差し支えない。
 これからの国語審議会の問題について,当面,漢字表に直接関係がなくても,国語審議会として今後考えなければならない問題点であれば,第13期以降の審議に引き継ぐこともできるわけであるので,御意見があったらどうぞ。
 私は第11期の審議会から引き続いて進行係を務めている関係で,第11期の時に到達した結論の延長で第12期の作業も一応行われるというつもりで今日まで来ているわけである。そのつながり方なども,正直言って大問題であると思うので,その辺についての御意見もあろうかと思う。
 つまり,一番大きな問題は,第11期審議会でとにもかくにも出した結論は新しい漢字表ができる際に,字種については減るにしても増えるにしても急激な変化は避けたいということであろう。しかし,第12期から新たに委員におなりの方々もおいでになるし,その辺のつながり方は,審議会自体の総意の赴くところで調整はできるはずだと考えている。新漢字表は,制限的なものとしないとか,新漢字表の字数は現行の当用漢字表に比べ余り急激な変化を来たすことは避けようという了解の下に,今まで検討が行われていると考えているので,もしそれ以外の御意見がある場合には,早めに伺っておかないと,困ることもある。その意味で木内委員の御意見も本日拝聴したわけであるから,これなどについての御意見があったら,どうぞお聞かせいただきたい。

楓委員

 若干議事進行に関連して意見を述べたい。前々回総会で,非常に活発に自由討議がなされて,そのほとんどが賛成できるような,非常にいい意見があったように思う。
 特に敬語とか外来語とかについての提案もあったが,最近,敬語が乱れているために,話し言葉では,「先生,行くか。」式のものが非常に多いと言われている。また,外来語についても,外国人で正式に日本語を習った人が分からないような語がかなりあるようである。
 せっかくいい提案があるのだから,例えば敬語についてはもう少し単純化して(今は,余りにも複雑過ぎるために普及しない,あるいは家庭の中で日常生活の中で,敬語が使われないことからそういう乱れが起こってきていると思う。),標準的な,しかし最低限の必要性は押さえた一つのパターンに整理していく,外来語についてはフランスのアカデミーのように,この外来語は採用するかどうかという具体的な自由討議を一つの形にしていくということをしてはどうか。問題点整理委員会などで一つ一つ取り上げて,ラフな形でもいいから,ある程度整理されていくと非常にいいのではないかと思う。つまり,若干議事進行に関するが,例えば敬語について少し自由討議を詰めていくと,かなり実のある形ができるのではないかと思うわけである。

福島会長

 ごもっともだと思う。現在の国語審議会は,文部大臣の当用漢字等についての諮問があって,それに答えるために今日までやってきているわけである。その関係は,第11期以来総会でかなりの意見交換を4年間やって,その意見を土台として,現在は漢字表委員会で検討しているわけである。その結論が出てきた段階でもう一度総会の御意見を伺おうとしているのが現在の進行状況である。
 その間,漢字表委員会の検討の結果が出てくるまで総会が何もしないで待っているのもどうかということで,自由討議問題が取り上げられて,外来語とか敬語とか,あるいは関連するいろいろな問題について意見を交換しているわけである。これらの問題は文部大臣の諮問事項ではないが,漢字表作成に当たっての関連事項として文部大臣に意見として申し入れることができるところまでいけば申し入れておこう,引き継いで,これらの指摘した問題について,文部大臣から,第13期以降の審議会に諮問事項を作成して意見を求めるときの参考のためにも,関連がなくてもいいからできる限りの国語に関連する意見を交換しておこう,というのが現在の自由討議の趣旨である。

下中委員

 木内委員の御提案について意見を言わせていただく。
 4表作ったらどうかということであるが,第1表,第2表は,私たちの商売の言葉で言うと,漢和の中辞典とポピュラーな辞典を作るようなものである。ただ辞典だと限られたページ数で,売り物にするわけであるから,どういう語を選ぶかは,並べ方,語と語のかかわり,字と字のかかわり等で相当配慮が行われると思う。また,字だけ出しても売り物にならないから,そこに解釈とか用例とかを付けるという形をとっているわけである。
 そういう意味で,必ずしも国語審議会がタッチして,第1表,第2表を作る必要はないのではないか。第4表の場合には,英語のベーシック・イングリッシュに相当するようなベーシック・ジャパニーズというか,基礎日本語というか,そういうものができれば,非常に望ましいと思う。この中に当然漢字の問題が絡んでくると思う。
 ただ,これにはいろいろな考え方があって,ある人は,200字で相当スマートなものを作るという人もいるであろうし,700字ないとなかなかできないという人もいるであろう。あるいは動詞とか固有名詞とかの扱いをどうするかという問題があるかもしれない。グループとか個人のアイデアをいろいろ出していただくことが一番いいのではないか。
 したがって,国語審議会で500字見当でまとめるのは難しいし,必要がないのではないかと思う。しかしながら,国語審議会が日本語あるいは漢字の理解の普及を促進すること,また,文部省なり文化庁なりが補助金を出して,そういう研究を推進するのは必要だろうと思う。
 もう一つの教育との関係については,基本的に木内委員の御意見に賛成である。

木内委員

 直接のお答えになるかどうか分からないが,8月15日付けの文書での提案に「二,右を提案する理由」というのがあるが,一番大事なことはここに述べてある。漢字表は,漢字を制限して,段々になくしていくのなら必要であるが,漢字を制限することをやめて,悪いものなら段々に廃れていくというように自然淘汰(とうた)にまかせるなら,必要ない。
 今は現行の「当用漢字表」をいきなり廃止するわけにいかないので,それにかわるものをつくっているのであり,既に4年間ぐらい取り組んでいる。
 私も漢字表委員会の委員であるが,あの研究は決して悪くない。今の一般の俗生活は大体これで足りるはずである。しかし,文学を読み,宗教を考えるような場合には,もっと多くの字を頭に入れて考えているので,これを何とかしなければならない。漢字表を全然作らないのならいいが,作る以上は,そういうものを入れたのを作らなければならない。それは3,500字の表を作ればいい。そして,これを無理に覚えるというのでも何でもないという意味で作らなければならない。それをやるについては,漢字のシステムというものを考えながらやればいい。
 なお,第1表はあってもなくてもいいし,また作ったとしても,第1表という名を付けなくても,一向差し支えない。この表は,ただ,漢字は無限にある,5万字あるなどと脅かされているから,そんなに使われているわけではないということを示すだけのものである。
 さて,9ページの2に書いてあるように,なぜ文化庁は,一般の世俗生活の所要はおおむねこれで足りるという表を作るのか。それは何のためかとなると,実際は回答に窮する。私も国語審議会委員をずっとやっているが,なぜ表を作るのかというと,廃止するわけにはいかないから作るというだけの話で,積極的に意味はない。しかし,私の提案のように,一般国民が学校教育とは離れて,漢字を覚えやすく,理解しやすいようにする,国語の能力がつくようにするために作るというのなら,理由は成り立つ。
 したがって,11ページの4にもあるように,極めて自然な解決案が,複数の表を作るということであって,それが私のこの提案である。
 私は以上のような考えで言っているので,さっき会長の御答弁で少々不安になったことがある。それは,今までやってきた漢字表の研究のほかに,話し言葉の問題とか,いろいろな問題はやるが,表そのものをなぜ作るのかという元に立ち返った議論を,これからやると蒸し返しになって大変なことになると思っておられるのではないかということである。そこで,念のために言うと,今までは何のために作るかを論じたことはなく,それを論じると大変なことになる,とにかく現行の表はまずいから直そう,直すとすればどうするか,ということで,字種の選定に入っている。
 だから,何のために作るのかという議論は是非しなければならない。それをすれば,今,世の中では1,850字どころではなく,もっと多くの字を盛んに使っている以上,現行の「当用漢字表」を改良して,それだけを発表するということにはならないはずである。そもそも,2,000字やそこらの表を出しても,何のために国語審議会は4年も掛けて漢字表を審議してきたのかと世の中から相手にされないと思う。学校教育はまだ別として,日本において普通森おう外でも何でも読むためには,3,500字は必要であるから,そういう表を上手に作って発表すればそれが一番世の中のためになると思う。
 今,作っている表は,非常に綿密にやらないと,うまくいかないが,私の提案のように複数の表を作るという場合には余り手数は要らない。今まで審議してきたことをまたやり直すのかと思って心配するかもしれないが,すぐにできると思う。すぐにできるので,作ったものを今日持ってきてお見せしようと思ったが,8月は休んでいたので,さすがにそうはいかなかった。

林(四)委員

 木内委員の御提案のうちで現実に一番大事なのは,最後に述べられた教育からの切り離しということだと思う。私も是非切り離してほしいとは思う。国語審議会は国語教育審議会ではないのだから,本来教育のことをやっているはずではない。だから当然切り離されているものとは思うが,現実には切り離すことはできないと思う。
 幾らここで切り離すという宣言をしてみても,今までの歴史から考えて,「当用漢字表」1850字の時も,「当用漢字別表」の時も,決して教育のためというふうにして作ったわけではないはずであり,むしろ教育とは無関係につくったということは,作った委員の方は記憶しているはずだと思う。しかし,作られてしまえば,日本の教育の機構などの中では必ずそれに頼らざるを得ない。それで,幾らここで教育とは切り離すと宣言してみても,現実には教育の機構などの中でそれはできないに決まっていると思う。
 昭和48年の「当用漢字改定音訓表」にしても,教育は別途に考えるということは,何度も言われている。しかし,現実には今あの音訓表が小学校,中学校,高等学校の中でどういうふうに学習されるべきかが考えられているし,確か教科書会社へは通達のようなものがいっていると思う。
 たとえ,現実に切り離せたとして,教育界が新漢字表を冷然と見送る事態が起きたとして,それではどうなるかというと,新漢字表はそのままでは使わないのだから,教育は教育の方としてまた別途に,教育漢字表といったものを考え,委員会を作らなければならなくなる。それはまた大変な仕事であろうと思うし,そういうことを教育界というか,文部省として受ける姿勢はないだろうと思う。したがって,非常に賛成したいが,幾ら賛成してみても現実的に意味がないならば,結局は影響するものというふうに考えて,作らなければいけないのではないかと思う。

福島会長

 教育に関連する問題は,第12期審議会では十分に意見交換した記憶はないが,第11期の初期の段階では,かなりの意見交換があったと思う。その際に出た一応の考えとして,国語審議会としては漢字表を教育の関係と切り離して検討していく,その上で国語に関連する教育の問題は必要があれば別の組織でもう一度考えてみなければならないということであったように記憶しているが……。
 したがって,第11期以来,直接教育を頭に置いての漢字表の作成という仕方はしていないと思う。ただし,出来上がったものは教育に非常に関連を持ってくるので,漢字に関連する教育関係の委員会が必要になってくるかもしれないという了解はしていたように思う。文部省に御用意があるかどうかは別として。

下中委員

 出発点では,教育の問題は別個に切り離して考えたとしても,表がある以上は当然のかかわりがあると思うし,かかわるべきだと思う。
 一番困るのは,字種でも字体でも送り仮名でも,古いもので書くと,これは今は間違いであるとされ,学校教育の場では点数が減らされるということである。教える側のそういう理解の低さが問題と思う。新旧ともに併存していっていいのではないか。古い字体も新しい字体も,自然淘汰されて決まっていいと思う。その辺の混乱が問題だと思う。

福島会長

 その辺のことになると,手に負えないので,改めて教育に関連する委員会が必要という話になったのであろうと思う。

遠藤主査

 教育との関係はお手元の資料1の「漢字表の具体的検討のための基本的方針」の4番目に,「学校教育との関係については,初等,中等教育との関連に十分配慮するものとし,当用漢字別表その他については,更に総会において検討する。」とある。したがって,いわゆる教育漢字,「当用漢字別表」その他も,一応新漢字表ができてもその後に総会で検討するということがここに書かれているわけで,別のところから出発するというのではなかったように記憶している。

北村委員

 確かに国語審議会の本質的な性格は,教育を直接の対象とするものではない。しかし,ただいまも補足の説明があったように,教育のことは全く知らない,それはそっちの問題だと言えないのは,これまでの過程ではっきりしているわけで,絶えず教育の問題に心を向けつつ審議をするというように話し合ってきたように思う。実際問題として国語審議会である結論が出れば,それは必ず何らかの形で学校における国語教育に大きな影響を与え,大きな作用を及ぼすのは当然のことである。私としては,現段階で,教育の面についてどう考えるかを全員で考えるべきであるように思う。
 したがって,国語審議会としては,少なくとも学校教育においてはこういう方向で,このようなやり方が望ましい,という意思表示だけでも,はっきりさせておく必要がある。今はそういう段階に来ていると思う。教育の関係にある者として特に申し上げておきたい。

下中委員

 「漢字表の具体的検討のための基本方針」によれば,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など一般の社会生活において使用する場合を考慮するものとすることになっている。つまり,義務教育を終えて世の中に出た人が,少なくとも漢字においては公平,平等であるというか,そういう基本線が漢字表をつくる目的の中にあるというふうに考えられる。法令を読めない人がいては困る,新聞を読めない人がいては困る,そういう関連で,社会へ出るまでに,学校教育(国語教育だけではないと思う。)の中で字をいかに覚えさせるかという点で,教育とのかかわりは出てくると思う。
 つまり,世の中に出たときに,看板を見ても新聞を見ても雑誌を見ても法令を読んでも,そこでは平等であるという基本的な精神から漢字表をつくるわけで,今までもそういうように作られて,社会的な意味を持ってきている。それだからこそ,木内委員の言われるように,急にこれを廃止するわけにはいかないのだと思う。

佐藤委員

 これから言うことは,私見に過ぎるかもしれないが,少し申し上げる。現行の「当用漢字表」は,確かに批判の声もあるが,かなりの年月もたち,一般にもなじみ,また,活字(私は特に新聞関係の仕事が長かったから言うが,)というような面から言っても非常になじんできたというのが現実である。
 元来,漢字は煩瑣(さ)で,難解で複雑だという問題から,当用漢字というものの仕事が始まったと考える。その意味では,一方に批判がありながらも,功績もまた極めて大きかった。確かに批判があり,運用した上でいろいろな不便もあることから,これに手を加えることについては賛成であるが,せっかく年月をかけ,国語審議会の先輩諸氏の苦労の結果できたものが,社会的になじんできているという現状を,ここで大きく転換する必要が果たしてあるのか,ないのか,私は,そのプラス,マイナスを考えた場合に,マイナスの方が大きいのではないかとまず第一に考える。
 ところで,批判の中で特に耳を傾けるべき問題は,当用漢字は制限漢字なのか,あるいはそうではないのかという問題である。人名に用いる漢字を制限した戸籍法,あるいは当用漢字で表記することになっている公用文などの関連で,世間では,当用漢字は制限漢字であるという見方もあるので,新漢字表については,増やすにしても,減らすにしても,制限漢字ではなく,国民の標準漢字であるという意味合いをこの際宣言することが必要ではないかと思う。
 また,教育との関連の問題も非常に大事で,教育とは関係ないとは,とても言えない。出す以上は,教育は常に念頭にあるべきである。文化的な意義と標準漢字に対する教育漢字というか,義務教育漢字というか,小・中学校を卒業するまでに必ず覚える漢字の表をつくるのは決して難しいことではないと思う。その字数は800字になるのか1,000字になるのか,分からないが……。

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