国語施策・日本語教育

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次第 人名用漢字の扱いについて

室屋国語課長

 人名漢字の扱いについては,これまで総会でいろいろ御協議いただいたわけであるが,この問題は,御承知のとおり,戸籍事務の運営,戸籍行政の面とも密接な関連がある。そこで,戸籍行政を主管している法務省民事局と接触して,国語審議会で人名漢字についての考え方の決定を見た後の,法務省側の取扱い,またその運びについて,事務的に詰めてきたわけである。それを整理したものが,配布資料2である。それを御参照いただきたい。最初に人名漢字の扱いについてである。まず戸籍法令の仕組みであるが,現在,子の名に用いる漢字及びその扱いは,戸籍法及び同法施行規則で規定されている。このことは既に御存じのとおりであるが,注1に,戸籍法及び同法施行規則の抜粋を掲げてある。参考までに読み上げると,「戸籍法」第50条(子の名に用いる文字)に「子の名には常用平易な文字を用いなければならない。A常用平易な文字の範囲は,命令でこれを定める。」とある。
 これを受けて,「戸籍法施行規則」においては,「第60条(常用平易な文字の範囲)」として「戸籍法第50条第2項の常用平易な文字は,次に掲げるものとする。」ということで,「一 昭和21年内閣告示第32号当用漢字表に掲げる漢字」「二 昭和26年内閣告示第1号人名用漢字別表に掲げる漢字」(92字)「三 昭和51年内閣告示第1号人名用漢字追加表に掲げる漢字」(28字)「四 片かな又は平かな(変体がなを除く。)」となっているわけである。
 また,これらは,文字生活の一環として国語問題であると同時に,区市町村の戸籍窓口での取扱いをどうするかという民事行政の一環でもあることにかんがみ,法務省では民事行政審議会の答申に基づいてこれら法令の規定を先ほど申し上げたように整備している。
 補足すると,戸籍と民事行政の改善について,法務大臣の諮問に応じて調査・審議する民事行政審議会があるので,戸籍の改善についてはこの審議会に諮るということになっているわけである。最近では昭和52年2月28日「戸籍制度に関し当面改善を要する事項に関する民事行政審議会答申」で,子の名に用いる漢字についての扱いが述べられている。注2はそれを抜粋したものである。その「第四 子の名に用いる漢字」として「〔結論〕子の名に用いる漢字について,当面は,当用漢字表」「人名用漢字表」による制限方式を踏襲しながら,必要に応じその「人名用漢字別表」の漢字を追加する等の従来の措置を継続することとし,なお,国語審議会における今後の検討をまって対処するものとすること。」とある。
 2番目は,今後の運びについてである。新漢字表が昭和54年3月に答申されれば,それに基づいて,新漢字表の内閣告示・訓令を制定することになるが,同時に最低限,「当用漢字表」は廃止するということになる。戸籍法施行規則には,この「当用漢字表」を取り入れているので,「新漢字表」制定の時点で,同時に法務省の方では子の名に用いる漢字及びその取扱いについての方針を定め,法令の整備ができる状態にしなければならない。
 すなわち法務省では,民事行政審議会の答申をもとに,法令の整備を行うということになる。戸籍法施行規則に当用漢字を取り入れているので,新漢字表が告示され,「当用漢字表」が廃止された場合に,廃止されたものをそのまま法令の中に残しておくということはできない。したがって,「新漢字表」の告示の時点で整備しておかなければならないということになる。つまり,「新漢字表」の訓令の日付と,戸籍法施行規則の施行期日を一致させる必要があるということになるわけである。このように,国語施策と民事行政の整備が一致するためには,次のような運びを考える必要があるのではないかということで,参考までにスケジュールを掲げさせていただいた。
 すなわち,昭和54年3月,新漢字表の答申をいただき,半年後の9月に内閣告示・訓令が出されるとした場合には,時期的に,1年前の本年9月から,法務省では民事行政審議会(任期は1年である。)を開いて審議を始めてもらわなければならないということになる。したがって,事務的に考えて,次回総会ぐらいまでで国語審議会としての態度を固めていただいて,法務省に連絡しなければならないということになろうかと思う。法務省では,この通知を受けて,民事行政審議会を開く準備を進めていくということになるわけである。
 なお,法務省では,国語審議会の最終答申以前においても,人名漢字の扱いについての方向が打ち出されるならば,それを受けて民事行政審議会を開き(字種の問題は最終的になるので無理であろうが。),人名漢字についての基本方針,その扱いについて検討を開始するということである。
 ただ,民事行政審議会の答申の中で,先ほど申し上げた「子の名に用いる漢字」は「国語審議会における今後の検討をまって対処するものとすること。」とある以上は,国語審議会の検討の結果を待たないで,独自で民事行政審議会を開いて検討するということはできないという意向である。資料には以上述べたような流れを事務的に記してあるわけである。
 次に,国語審議会が人名漢字の扱いについての態度を固めるための手順に関しては,次回総会に提出する原案はどこで,またどのようにまとめていただけるかという問題がある。今まで審議会で出た人名漢字の扱いについての意見を集約して,整理すると,おおよそ注3のとおりに分けられるかと思う。これは,第103回から第105回までの総会で出された人名漢字の扱いに関する意見の集約である。これを大別すると,次のようになる。取扱いに関しては,1 国語審議会としては人名漢字に対する考え方だけを述べて,後の処理は法務省に一任する。2 国語審議会が人名漢字表についても案を出す。それから内容に関しては,1 人名漢字について制限を維持する。それは(1)現状を維持する,(2)字種は再検討する(多少の増),の二つが考えられる。2 人名漢字について制限を撤廃する。これも(1)字種を大幅に増やす,(2)正しい日本の文字なら使用を自由とする,の二つが考えられる。

福島会長

 人名漢字問題についての事情はただいま御説明のあったとおりである。したがって,この問題を国語審議会はどう考えるかを法務省になるべく早く連絡する必要があるということになる。そこで人名漢字の扱いに関する国語審議会の意見・態度を,できるならば次回総会あたりでおおよそ固め,法務省に連絡することが妥当だろうと思われる。
 総会としては何回も審議を繰り返してきたわけであるが,本日,人名漢字の扱いに関する国語審議会の意見をどうまとめるべきかということで,できるだけ多数の御意見を伺いたい。それを,恐らく問題点整理委員会ということになろうが,取りまとめてもらい,次回総会で御報告を受けて,審議会としての態度,法務省へ連絡する方針を決めていただければ非常にありがたい。
 人名漢字については制限を撤廃して,まともな字であれば自由だという御意見も伺ったように思うが,そこまではいくまいという気もする。恐らく国語審議会としては,人名漢字に対する考え方だけを述べて,後の処理を法務省に一任するということになるような気もするが,もう少し具体的に,国語審議会の意見を整えた方がよろしかろうという御意見も当然あるのではないかと思う。
 過去の総会で出された人名漢字についての意見は大体資料に見るように整理されているわけであるが,これをこのままの形で問題点整理委員会に取りまとめていただく,あるいは場合によっては,審議会委員全員に文書で意見を求める,アンケート調査を行って審議会の大勢を見定めるという方法もあり得るわけである。そうして,審議会の大体の意見をまとめた上で,次回総会で協議をいただく材料をつくってもらうということが,あるいは実際的なのかもしれない。

鈴木委員

 前回の第105回総会で,私は,人名漢字の問題について質問をした。それは第105回総会の議事要録の32ページから33ページにかけて記録されていることである。人名漢字を制限するということの意義については前々回の総会以来,審議されているが,制限する一つの意味は,余り漢字が多いと当然いろいろ社会生活に差し支えるからということである。
 その問題に関連して,最近中国人の人名が新聞紙上に非常に多く出てくる。その中には私たちが読めない,また,見たこともないような漢字がちゃんと活字で拾ってある。日本人の人名の難しい字や字数を制限しようという方針が新聞の印刷能力とか経済的な理由からだとすると,外国人の難しい名前の字をなぜわざわざ出さなければいけないのか。また私たちが読めないという点で,実は人名というのはその人のものだけではなくて,ほかの人の財産でもあるから,読めない字を使うのは失礼であるという議論だとすると,中国人が我々に読めない字を使うことは非常に困るのではないか。
 これは外国人の名前であるから制限範囲にならないが,日本の新聞がなぜ,寸秒を争うようなときに,難しい字をわざわざ活字を切ったり張ったりして,時間をかけ外国の人の名前を拾っているのか。
 その点に関して,新聞関係の方々から,調べて,御意見を伺いたいということを前回総会で申し上げたのであるが,どなたからでも結構であるが,どういう方針・理由で,難しい中国人の名を表す漢字が新聞紙上に出てしまうのか,伺いたいと思う。

古賀副会長

 会長が中座されたので,私がかわって進行係を務めさせていただく。

八木(淳)委員

 ただいまの鈴木委員の御質問について,お答えしたいと思う。ただ私は,現在,論説担当で,編集の実務を直接担当していないので公式な見解ではない。新聞社としても,実務上,中国の難しい人名の漢字を使うことは確かに不便なことには違いないが,固有名詞はできるだけ尊重するという考え方で,複雑な名前の漢字を用いているのだと思う。個人的には,人名漢字もやはり日常生活の常用の漢字内として,若干の制限を設けることができたら,ありがたいというふうに感じている次第である。

山本委員

 今,八木委員からもお話があったように,全く困る場合が生ずるのである。新聞では,日本人の人名の場合も,例えば,正字でないとどうしても困るという人が若干いて,そういう人については特別な扱いをしているケースがある。
 中国の人名の場合は日本の漢字にないような字が用いられている。例えば「毛沢東」という字は「人民日報」の字体と日本の新聞の字体とでは,少し違っているが,原則というか,方向としては,日本の新聞社にある活字の範囲内でやっているようである。
 それでどうしても置き換えられない字があった場合に,鈴木委員の御指摘のような字が若干出てくるケースがあるかと思うが,数としては多分そんなに多くはないのではないかと思う。特にスポーツ選手とか,政治家とかでそういう難しい人名が直接出てくるケースというのはそう多くないと思われるが,しかし,全くそういう例外的なものはないかというと,やはり実際には幾らかあるわけである。

鈴木委員

 実はその問題は,私もすべての新聞を克明に数えたわけではないが,私の知っている範囲では,10ぐらいのものであると思う。しかし,今後日本と中国の関係がだんだん深くなれば,減ることはなく,むしろ増える可能性が多い。
 しかし,数が幾つあるということよりも,新聞関係の方々が字数を減らすという原則を立て,不便なり異論はあるけれども,ある範囲内で,日本人の名前もできるだけ法律で抑えたいということに賛成されているとすれば,そう簡単に外国の地名や人名を安易に原則と無関係にとり入れるというのは,問題があるのではないか。
 私は実は3回ばかりそのことについて発言しているが,非常に大きな問題であると思う。中国の漢字と日本の漢字とを同じ漢字だと思うことが間違っているわけである。中国のものが漢字であれば,日本のものは日本漢字であって,それを同列に扱って,一々対照したりするからいけない。日本の文字を考えるときは日本の国のことだけを考えればいい。だから中国の漢字は,私たちは全然念頭に入れる必要がないのではないか。これは,もう少し話が進むと,日本と中国の簡略字,簡体字を一緒にするとかしないとかの問題に対する一つの態度にもなってくると思う。
 人名だけに限って言えば,中国の文字を漢字と思う必要はない。もちろん歴史的には日本の漢字と関係があるわけであるが,現在,機能的にも,言語的にも全部違うのだから,中国の文字は漢字と考えないで全然別個に対応すべきものだと思う。
 それでは解決策としてどういう方法があり得るかというと,音で読んで,それを仮名で書くということである。これはだれでも考える一番易しい解決策だと思われる。ところが問題は,中国では,御承知のように,一つの漢字の読み方が方言によって全部違う。ことに,時々政治局員などに辺境の政治家が現れると,その読み方は北京官話では読めない。読めても全然似ても似つかない音になる。だから,逆に中国では,漢字を与えて置くことで,「読み方はあなた方で好きなようにしなさい。」という漢字の本来のすばらしさが残っている。
 その点は日本の漢字にもいえる。日本の人名というのは,仮名にしてしまえばいいというものではなくて,漢字でなければ,実態がある意味で損なわれる。つまりだれも本当の読み方が分からない人の名前というのが非常に多いわけである。
 現在,私の編さんしている,日本語の歴史に関する本に関係することであるが,有名な言語学者で神保格という方がおいでになる。私は何となしに「じんぼかく」というふうに発音していたら,それは「じんぼういたる」ではないかという説が出てきた。「じんぼ」と「じんぼう」,「かく」と「いたる」の一体どれが正しいのかということにさわらないでおくためには,「神保格」と漢字だけを書いておけば,あとは責任を逃れられる。
 実は,日本語の表記にはそういう不思議なことがある。これは本来漢字が持っている宿命であるが,結局概念を表して,読み方は各自好きなようにしなさいということが実は漢字の本来の姿であったのだということを,橋本萬太郎という漢字学者が,このごろ声を大にして言っている。私もそうだと思う。
 話がグルグル回るようだが,中国の人名等の問題は,実は日本の新聞で簡単に仮名で書けと言われても,読み方が分からないという問題がある。私たちが日本の人名を考えるときに,読み方を統一しなければ漢字の字数を減らしても,例えば「神戸」と書いて五つの読み方があるというような問題にまで立ち入る気持ちがないのだったら,名前は本人だけではなくて社会的財産だから,その人のために制限するということも,実は何も意味がなくなってしまう。易しい漢字でも本人の名前を正しく読むことができないという事実もある。

鈴木委員

 結局,日本人の名前というのは漢字を使っている限り,音であるのか,文字であるのか。あいまいなところが特質というか,そういう実態がある。そういう意味で,人の名前というものは余り法律でいじらない方がいいのではないか。いじることによってだんだんどろ沼に入って,原則がなくなっていくように思う。
 だから,私は一番最後にあったように,人名漢字というものを制限したのは間違いであって,潔くそれを改めて,人名漢字は日本の漢字なら構わないとした方がよい。つまり日本の漢字ということを定義して,中国のは漢字ではないんだということをはっきり踏まえた上で考えないと,中国の漢字全部をしょい込んでしまい,大変なことになるというふうに考える。

古賀副会長

 今,鈴木委員としてのお考えも付け加えてお話があったが,そういうような形での御意見もまだあるかと思うので,どうぞ自由にお話し合い願いたい。

村松委員

 審議の進め方について述べたい。
 ここで意見をたくさん聞くのも非常に有効だと思うが,問題点整理委員会があるのだから,いきなり法務省に一任するとか,現状維持であるとか,再検討とかいう結論を出さないで,アンケートのような方法も併用しながら結論を出していくということもいいのではないか。

古賀副会長

 ほかに御意見があったら,どうぞ。

渡辺委員

 中国人とか韓国人が帰化したときは,その字はどうなるか。

古賀副会長

 現在行われている実際の方法はどうなっているかという御質問と思う。幸い法務省の方がおいでになっているそうであるから,今の御質問に答えていただきたいと思う。

坂梨(法務省民事局第二課)課長補佐

 ただいいま御発言の,我が国に帰化する外国人の氏名については,特に法規上の規定はない。帰化は,法務大臣の自由裁量で許可することになっているので,許可に際して,将来日本人として子々孫々に過ごしていいくわけなので,日本人として奇異な感じを与えない氏,それから名前も,今の当用漢字なり人名用漢字に定められているものを使うように指導している。したがって,そういうことで帰化者の氏名が決まっているというのが原則である。
 つまり,帰化が許可されると戸籍ができるわであるが,戸籍をつくる前提として身分関係を明らかにするわけであるが,本人が,帰化が許可になればこのような氏と名前を使いたいということを意思表示するので,その際に,現在の当用漢字なり人名漢字から選んでもらうように勧めるということにしている。

古賀副会長

 私の質問も交えて意味をはっきりさせておきたい。数人のヨーロッパの人が,従来の横文字をそのまま日本での名前にすることは許されないから,日本に帰化したいが,いまだに実行されていない,と言ったのは,正しいことか。

坂梨課長補佐

 アルファベットでの表示は難しいと考えている。片仮名の場合には例もあると思う。

古賀副会長

 ほとんど似たような発音で読める片仮名などで書いた名前ならば読めるということか。

坂梨課長補佐

 基本的な考え方を言うと,法務大臣の許可に当たって,日本国籍を取得して今後日本人として生活していく上において,日本の社会に溶け込んでいくなじみやすいような名前をつけたらどうか,という指導はしている。

古賀副会長

 渡辺委員,それでよろしいか。

渡辺委員

 そうすると,法律的には何もないということか。鈴木委員が言われたような場合はどうするかという微妙な点が残ったり,それからこれは多分漢字だろうと思うが,子の名に用いる字は,生まれてから何日以内の出生届の際に決めておくとは,書いてない。子の名というのはどういうふうに解釈していいのか分からない。つまり言いたいことは,帰化する人が子供であった場合はこれが適用されると考えていいのか,適用されないと考えていいのか。もともとそういうことに関する法律がないのだから,ただ勧めるということになるようである。すると,私としてはどう考えていいのかちょっと分からない。

古賀副会長

 実際問題として相当込み入った関係があると思う。そういう点で,今は,普通の場合に適用するやり方としてはどういうふうにするかというのが主であって,今言われたような,特別の場合はどうするかということは,その次の段階である。当面,目の前に控えている,この問題をどうするのかということで考えていただきたい。

室屋国語課長

 さっき御指摘のあった,子の名に用いる漢字というのは,出生した時の場合というふうに解釈している。

渡辺委員

 限定されているわけか。

古賀副会長

 生まれて初めて名前を付けるときに,その子供の名前に使う字をどうするかということが規定されている。それ以外のものには触れてないということらしい。

林(大)委員

 人間の名前が必ずしも一つでないこともあり得るということを考えると,戸籍というのは一体どういうものなのか,戸籍は一体何のためにあって,何のために名前を登録しているのかということについてどう考えたらいいのかということを承知したいような気がする。
 我々は,自分についた名前を非常に尊重して大事にしている。そのことはよく分かるが,戸籍に登録されることにおいて初めて尊重されるべき名前が出てくるというような考え方は一体どういうことなのか,という問題があるように思う。大宝の戸籍とか,あるいは壬申の戸籍とかと名前との関係はどういうことなのか教えていただきたい。

古賀副会長

 せっかく法務省から来ていただいているので,説明していただきたい。

坂梨課長補佐

 戸籍については,人の氏と名で,ある人を規定し,そのほかに本籍が人を規定する作用を果たしている。氏については,詳しくは知らないが,明治の初めごろに定められたものがそのまま現在使われているわけで,特別に戸籍法に一部難しい漢字,難読な文字を使ったような氏について,家庭裁判所の許可を得て変更できる規定にあるが,原則は現在の氏がそのまま使われてきている。したがって,氏については,歴史的にも制定されたものが現在そのまま尊重されて戸籍の上に表示されている。
 名前については,昭和21年の当用漢字制定,それから戸籍法の規定以降は,当用漢字,人名用漢字にある字種を用いないと名前をつけることはできない。それ以前に出生された方については,そういう制度がなかったので,両親が付けた名前が,制限外の文字でもそのまま使用されているという状態である。

古賀副会長

 今の御質問の意味は,なぜ名前をつけなければならないのかというところから出発していると思う。私の感じでは,法律は,しばしばこうしてはならないとか,しなかったものはこういう刑に処せられるとか,罰金を取られるということは規定しているが,今の御質問のような角度からは,必ずしもはっきりしないものが結構あるように思う。この問題に詰め寄って明快な説明をお願いするということは少し無理があるかもしれない。とにかく法律で決められていることだから,それは履行しなければならない,どんな必要性があるのかということは二の次である,というような感じのものの一つではないかと思う。とにかく履行すべきものであり,履行する方法として,どういうものがふさわしいかということを考えていただくよりしかたがないと思うが,いかがか。

林(大)委員

 住民登録とはどう違うのか。住民登録の方でもこんなにやかましく文字のことをいうのか。結局,戸籍とは,国民の一人一人がアイデンティティ,根拠を得るというようなことが役目かと思うが,先ほど一人一人を決めるのには本籍もあるという話が出たが,それと同じように,名前で登録しておいて,その本人との一致を常に定めておくためのものであろうと思う。ただ,その名前がその本人にとって唯一であるのかどうか。唯一でなくてもいいというところに基本的人権があるのであって,登録するときのものについて基本的人権を云々(うんぬん)すること,必ずしも必要がないのではないかという気がしている。
 それで,私は,戸籍がなぜあるのか,戸籍になぜ名前を登録するのか,名前を登録する必要はどこにあるのかというようなことを,もう少し基本的に承知したいと思ったわけである。

室屋国語課長

 今の御質問については,事務的に調べた上で御報告する。

林(四)委員

 名前とは言葉で規定されている形だと思う。その形が,音の形なのか,字の形なのかというところが問題だと思う。一般の言葉だと,音の形が先にあって,それを字で書くときに,いろいろなバリエーションがあっても構わないと考えるか,この音の形はこの字で書き表さねばならないと考えるのか(そこで正書法というのが出るわけである。)ということであろう。人の名前の場合には議論を楽しんでいるわけにはいかないので,何か決めなくてはならない。それで今の戸籍では恐らく字の形で決めているんだろうと思う。つまり,字形で登録されて,その登録が漢字で行われていれば,それはどう読んだって構わない。この字がこの人をアイデンティファイするものだというふうにしている。名前とはそういうものだという哲学が戸籍をそうさせているわけで,それを許しておいていいかどうかというのは問題だと思う。
 まず戸籍のその観念から変えなくてはいけないのではないか。昔は,すべての人が名前を持っている必要はなかった。民衆は生きていることで十分で名前なんか必要はなかった。上流は名前をちゃんと持っていた。その場合には名前が立派な字で書かれるということが必要だから,音の形ということではなくて,字の形でその人を決める,それをどう読むかは自由だ,というところに楽しみもあったと思う。
 例えば,私の名は四郎であるが,四郎というのは,本来から言えば固有名詞ではなくて四番目の男という意味であった。林の四郎は何とかと,別の名前が当然あることを予定したのが太郎とか四郎とかというものだったろうと思うが,これがついてしまえば,もはやほかに名前を持っていない,唯一の名前になるから,「よんろう」と読むのではなくて「しろう」と読むという,音形と字形との一致がそこに要求されてくると思う。
 一部の人だけが名前を持っていればいいという場合には,そんな一致は要らないので,字形だけがあればいいと思うが,今はすべての国民が,存在する以上名前を持ち,それが登録されるということになれば,音の形だけがあって,字に表したときは何と書いてもいいということでもいけないし,字の形だけがあって,それをどう読んでもいいということでもいけないと思う。
 現代の能率的な生活を送る上で,この人は,口で言えばこうなんだ,字で書けばこうなんだと,音の形と字の形と一致した形で登録されていないといけない。
 それ以外に自由を楽しみたい人は,勝手に自分でペンネームとか別名を持って楽しめばいい。
 そうなると,先ほどの鈴木委員の御意見は,結局,名前はいじるな,変な法律がましいことで縛るなということになると思うが,この字は人は常識をもってしてはとうていこうは読めないというのに,自分はこう読むとがんばられても困るので,やはりある程度の範囲内の字と,ある程度の範囲内の読み方を与えて,この範囲内でつけなさいということにする必要があるだろう。それは今の人名用の92字プラス28字と,当用漢字の字種がいいかどうかというのが問題なので,やはり検討の必要があると思う。今後,これは大問題ではないかと思う。
 私の一つの提案は戸籍に音形欄と字形欄を設けて,この人はこの字でこう読むということを確認するわけである。読みは片仮名でやるのか,ローマ字でやるのか分からないが,実際にその人が署名するときは,字形欄のところに署名するということにする。仮名を振って戸籍を出すと,仮名振りの形が正式になってしまうという変な形にならないようにするために,戸籍に音形欄と字形欄というものを設けて登録するような形式に変えたらいいと思う。

古賀副会長

 今の御意見は法務省の関係から希望されている事柄の答えを出すだけでなく,この際,今,御提案にあったようなことも同時に考えてほしいということのように承った。恐らくそういうことも今後は考えなければならないかもしれないが,今はとりあえず法務省でひっかかっている問題に決着をつけてほしいという希望があると思う。従来の届出の方法で仕事をしていて,そのために使う字をある範囲の文字に限るようにする,しからばその範囲はどうやって決めるのか,どんな字ならばいいのかという答えを出すことが法務省の要求だと思う。
 さしあたり,与えられた要求に対してどう答えるか,さっきの会長のお話にもあったように,余りいつまでも延ばしておくわけにはいかないと思う。先ほど村松委員から議事進行に関してということで出された御意見のように,問題点整理委員会でアンケートを出していただき,重要なポイントについて各委員の御意見を伺った上,大勢を示して再び総会でそれを協議して国語審議会の意見なるものとして法務省へ伝えるということにするのがいい案ではないかという感じがするがいかがか。

下中委員

 改めてアンケートを出して,それをもとに議論しても,意見はここに要約されたような形で大体出尽くしていると思う。私が前に申し上げたのは,国語審議会が人名漢字とすっぱり縁を切る適当な方法はないかということであった。
 これから新漢字表の成案が,あくまでも国民生活の日常の用に足る目安としてできるわけであるから,従来の流れを全く無視するわけにはいかないと思うが,民事行政審議会というものがあるならば,そこに新規に舞台を移して,出来上がった新漢字表をどういうふうに戸籍法の中に位置付けるのか,あるいは子の名づけをどう取り扱うのかということを任せたらどうか。そういう手続が法的に可能なのかどうかということはよく分からないが,簡単に言うと,国語審議会は人名漢字について縁を切るというふうにしたらいかがかと思う。

古賀副会長

 御意見,ごもっともと思うが,先ほど会長が席を立たれる前に,今,下中委員の言われたようなこともアンケートの中に含めて,念のためにもう一遍アンケートを全員に出して返答を伺ったらどうだろうか,そして意見がまとまれば,人名漢字の問題は法務省の意見で仕事を進めていただきたい,国語審議会では特にそのことについては考えない,といったような返事をすることも一つではないか,というふうに言われたが,その点いかがか。

遠藤主査

 問題点整理委員会のほうでアンケートをとる手数を惜しむわけではないが,大体私もいま下中委員の言われたようなことで,もしアンケートをとってみても,ここに出ている四つか五つのところに集約されてくると思う。これは賛成が幾つ,反対が幾つということで決めるような事項でもないと思うので,労を惜しむわけではないが,もう一度アンケートをとるということにそんなに意味があるとは考えられない。それに,新漢字表ができる際には前文がついて,趣旨が載るわけであるから。
 それから法務省の管轄下にあることを国語審議会が変えるといったって,ごらんのとおり急に変えられるわけではない。つまり,既にある戸籍法を急に変えられるものではないから,今のところは,新漢字表ができた際には,法務省の方でも人名用漢字についてその趣旨に沿って処理をしてもらいたいということで十分ではないか,それに尽きるのではないかと考える。

古賀副会長

 アンケートを是非とるという意味ではないが,国語国字に関連のある問題として一応国語審議会の意向も知った上でやりたいというのが法務省の意向であるから,それにこたえて内容は別として何らかの返事はしなければならないかと思う。

杉山委員

 アンケートをとるということについては必ずしも反対はしない。これを問題点整理委員会へ回すということに,少し抵抗があるのではないかと思う。一応整理されたものが本日の資料の中にもあるから,こういったことを中心に,事務局で各委員にアンケートして事務局で次回総会にたたき台を出すというやり方をするならいいのではないかと思う。

畑委員

 アンケートをするなら,その前に一つ伺っておきたいことがある。このごろ,戸籍謄本をとると,邦文タイプで打ってあるが,昔は皆,手書きであったような記憶がある。私の知っている人で,違った字が戸籍に記載されたために,とんでもない字が自分の名前になってしまっているような人を二,三知っているが,これは結局,手書きであったために,届け出た戸籍の窓口で書き間違えたのが登録されたために,後でえらい迷惑をしている例だと思う。
 人名で問題のあったごく初期のころに,受付の窓口で起きたトラブルは届け出た字が法律で決められた中に入っていないで,受け付けろ,受け付けないで,もめたということであり,このケースが非常に多いと思う。一方,先ほど鈴木委員が言われたように,私はどんな字でも受け付けてもいいのではないかと思うが,人名漢字を制限しないでどんな字でも受け付けるということにした場合,窓口で何か問題点がないのか。それが少し気になるので,アンケートを書けと言われても,窓口が困るような案をつくるのに賛成するのは困る。窓口でのトラブルはないのかということを一応質問しておきたい。

古賀副会長

 今のお話は,人名漢字について制限を撤廃するという場合ははずしてアンケートをとった方がいい,こういう場合は考えない方がいいという御意見か。

畑委員

 トラブルがなければこれでも差し支えないと思う。

碧海委員

 先ほどの下中委員の御発言に賛成である。人名漢字の問題はいろいろ御意見があって,宇野委員のような御意見があると同時に,新聞その他の関係の委員からは制限をしないと非常に困るという御意見もあるし,また林(大)委員のような人名の哲学に関するような御意見もあるので,ここで最終的に決めることはできない。しかし,これをいつまでもペンディングしておくことはできないので,当面の問題として,資料2で提案されているような手続が妥当かどうかということを本日は無理かもしれないが,次回にでも中心に審議するのがよいと思う。そこではいろいろな問題が残るとは思うが,これは将来に残す以外には問題の解決はないのではないか。
 それから,法制局関係の方にお伺いしたい。資料2の3にある手続であるが,詳しくは(1)から(5)までで決めようというふうになっているが,これが従来の扱いと基本的に違うのか,基本的に変わらないのかという点をお教えいただきたいと思う。
 いずれにせよ,資料2の3のような扱いが一番実際的であると思う。ただし,その後ろにある基本思想としては,国語審議会は全く知らん顔はできないが,法務省が国語審議会で出した漢字表その他をどう扱うかということについて一種のフィードバックが資料2の3の(1)から(5)までのような形で必要だと思うが,つまり資料を提供し最終的には法務省がどう決めたか通知を受けることは必要だが,主導権は法務省にあるというふうに考えた方が将来のやり方としては妥当ではないかと思う。

林(知)委員

 今のお話で一つ問題がある。戸籍法によると,命令でこれを定めるとして,確実に範囲を制限してしまうという性質がある。新漢字表の精神だと,目安ということが問題になるが,法務省に任せれば,命令として定めるということで,必ずある形でやられると思う。それを持ってこられても,こちらではどうにもフィードバックのしようがないのではないか。任せるなら完全に任せてしまった方がいい。こちらに審議を求められても,なかなか一つにまとまらないし,また範囲を定めるとして,当用漢字のところを新漢字表に定めて出されると,やはり新漢字表の精神に反することになるのではないかという気がする。

下中委員

 「人名用漢字追加表」の時は,法務省から,この28字を追加したいので,このことを国語審議会で決めてほしいという依頼があって了承するというような返事が国語審議会から出て,あの追加が決定した形になっている。将来,国語審議会は人名漢字についての縁が切れるということになるのが望ましいと私は思うが,その場合に,民事行政審議会の扱いによっては,改めて国語審議会に追加の是非を聞かなければならなくなるようなことがないように処理しなければならないと思う。ただ,決まった場合には当審議会に通知をいただくということは必要だろうと思うが。将来,全般的な人名漢字の扱いの流れが,不満とか不安を感じる場合には,改めて国語審議会がそういうコメントを出すという形になるのが望ましいと思う。その点いかがか。

宇野委員

 昭和22年に戸籍法施行規則の60条で当用漢字とするということが決まった。ところで当用漢字表のまえがきには「固有名詞については,……別に考えることとした。」と書いてあり,当用漢字はあくまでも実用の普通の文章に使う文字ということで決められたわけである。私は始終このことについて食ってかかるのだが,これは国語審議会の趣旨でなかったのである。だから,あの時,人名漢字を当用漢字1,850字にしぼるということに対して,それは困るということを国語審議会として当然言うべきであったと今でも思っている。あの時には,地名とか人名は将来仮名にしてしまおう,漢字をやめてしまおうという空気が非常に濃厚であったので,反対を申し出られなかったんだろうと思う。その時に申し出たところで,果たしてそれが通ったかどうか,保証はできないが国語審議会としては,少なくともそれは我々の趣旨ではないということを言うべきであったと思う。今度の場合でもいろいろ御意見があるようだが,日常に使う漢字でさえ一つの目安であって,それ以上使ってはいけないということではない,制限ではないという立場をとったのであるから,まして人の名前の場合に,例えば今度の新漢字表以内とするとか何とかということに決められたら,少なくとも国語審議会として,それは困るという異議を提出しなければならないと私は思う。ただいま下中委員の言われた縁を切りたいという気持ちもよく分かるが,国語審議会としては前のことがある以上,生みっぱなしというわけにはいかない。生んだ以上は後始末をしなければいけないと思う。
 今度の場合も,民事行政審議会は国語審議会における今後の検討を待って対処するということがある以上,国語審議会としては,漢字についてはこのように考えるので,人名漢字については慎重に対処してほしい,あるいは場合によっては国語審議会の意見を徴してほしい,という程度のことは申し出るべきではないかと思うのである。
 それから,先ほど林(大)委員が言われたことについて申し上げる。一体戸籍に名前を登録するということはどういう意味なのかという御意見であったが,これについて伺っていた範囲ではどうもそのものズバリの御回答がなかったように受け取った。
 人の名前というものは,昔は始終変わっていた。最終的な戸籍ができてからも,明治の初めのことはかなり自由に変えられたらしい。
 先ほど子の名についての御意見があった。子供に名前を付けるということは,親の願いというか,祈りを込めて名前をつけるのだと思う。むろん中にはなるべく簡単な名がいいという立場の人もいるし,中には姓名判断ということに非常に真剣な人もいる。これが人間の考え方であって,自分の子供には祈りを込めて字面はこういう字を使いたい,しかし,幾ら字面がよくても読みが気に入らなくてはいやだから読みもこういうふうにしたいという願いがあると思う。そういう考え方は,人間の名前というものについての,やかましく言えば哲学の問題になる。先ほど,事務的にお調べになってということであったが,事務的や法律的に調べて結論の出るものではないと思う。極端に言うなら,個人個人の一つの考え方であって,そういうものを,法律か何かでこの字はつけてはいけないということを決めるのは,それこそ憲法の言論,思想,表現の自由に反すると思う。名前は,親の願いを込めて自由に漢字を使ってよいというふうにあるべきだと思う。
 先ほど畑委員が,どんな字でもいいのか,その歯止めが心配だということを言われたようであったが,私は,それについては前にも申したように,例えば現在の日本における漢和辞典の最も権威のあるもの,具体的に言えば諸橋大漢和辞典のようなものを基準にして,それに登録されている文字であればよい,それにない字は困るとして受け付けないということにしたらどうであろうか。非常に煩雑だとお考えかもしれないが,実際にそういうことが起こるのはそう多くはないと思っている。それでいいんではないかと思う。
 私は,日常の文章と人の名前とは全然別の概念だと思う。名前は,他の者と区別するために付けるものである。もちろん中には林(四)委員のように四郎という,普通名詞といってもいいような名前の方もおられるが,林(四)委員は4番目の息子さんだから四郎というお名前がついているのだと思う。もし御長男であれば,まさか四郎というお名前はお付けにならなかっただろうと思う。そこにはそういう意味を持っているわけである。したがって,戸籍に登録するということに意味があるのであって,別の名前を勝手につける方が能率的だという御意見もあったが,それはかえって複雑になるばかりである。後になってこの名前の人とこの名前の人と同じかどうかというめんどうな問題も起こってくるので,名前はできるならば一つであることが望ましい。ただし,文学作品などにペンネームとか雅号とかを使うことはもちろん自由であるが,正規に登録した名前はやはり一番大事なことではないかと思う。
 繰り返すと,正規に登録する場合の名前に,この字は使ってはいけない,読むのはこう読まなければいけないということをするのはどうも今日の日本においては筋が違うというふうに考えるわけである。

古賀副会長

 まだ大事な御意見を伺えるとは思うが,実は大分時間が迫ってきたので,とりあえず,問題点整理委員会の主査,副主査と会長,私の4人にお任せいただき,問題点整理委員会でアンケートを出すか,あるいは事務局に整理してもらい何らかの形で原案をつくって賛否を求めるという形にするか協議したいと思うが,いかがか。

杉山委員

 副会長の御提案に賛成である。国語審議会が答申をするのは昭和54年3月で,人名については53年の6月か7月ごろにこちらの意見を法務省へ出すということになっている。結局,中間の段階でこの問題を処理しなくてはいけないということなので,具体的にどうせよ,こうせよということは非常に難しい。したがって当審議会の意見を付して出すということになるが,ここでいろいろ議論しても同じようなことが繰り返されるだけだと思うので,何らかの形で各委員の意見を集約して原案を出していただいて,それで討議していった方が解決は早いと思う。

古賀副会長

 会長に早速このことを伝えて,問題点整理委員会の主査,副主査と協議して仕事を進めていきたいと思う。

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