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次第 協議
有光会長
それではこれから協議に移り,ただいまの御報告に対する御質問なり御意見なり,御自由にひとつ御発言をお願いいたしたいと思う。
ちょっと申し上げるが,ただいま林主査の御説明の中にもあったが,今後のスケジュールの問題である。15期の我々の審議会の任期は,来年の3月4日までということで,あと5か月ほどである。これまでの進行状況から見て,任期中に具体的な案をまとめるというところまではいかないように思われる。
そこで,もう一度総会を開いて,仮名遣い委員会の審議経過の御報告を伺って,次期の審議会に引き継ぐということになろうかと一応想定されるのであるが,その辺もお含みの上この際十分御意見をお述べいただければと思う。
御発言がありましたらどうぞ……。
木内委員
質問ではなくて,提案である。この機会に提案をさせていただきたいが,正確を期するために文字に書いてきたので,そのコピーを会長と林主査に差し上げてお話ししたい。
仮名遣い委員会には私はおおむね出席してきた。今日の御報告はすぐれた研究だと思うが,しかしこの研究は,主として現状の整理をしたものであって,理念の問題には及んでいない。だから,これからその点を補っていく必要があると思う。
いやしくも,今までの国語政策,その中の仮名の部分に関して改めて何かをしようというのであるから,これは政策提案である。いやしくも政策提案をする以上は,理念が明確に示されていることが不可欠である。だからその点を研究なさる必要がどうしてもある。
その点,今日皆さんの御意見を伺うことが望ましいが,今からでもまだ1時間足らずであるから,それもいいかと思うが,その結果も織り込んで,最近の機会に運営委員会を開いて何らかの決定をしてほしいと思う。
その何らかの決定について私案を申し上げる。
現在の仮名遣い委員会に並行するものとして,理念を審議するための委員会を至急に設置して,研究を開始すべきだと思う。それは現行の仮名遣いを修正するにしても,しないにしても,それぞれの場合の理由は何か,それを明らかにするということを目的とするのである。それには「現代かなづかい」の功罪いかんというところから研究を開始したらいいと思う。
右の研究を行うとすれば,当然のこととして,戦後の国語政策の功罪いかんという問題を取り上げざるを得なくなるから,進んでそれを取り上げるのがいいと思う。それを論じないで政策を今までやってきたことを変えるにしても,変えないにしても,変えないとするならば,今までやってきたことは非常にいいからこれでいきましょうということであるし,変えるなら,今までやってきたことが悪いから変えましょうということであるが,それを論じないで,現状がこうなっているということで,それをどっちにするかということでこういうふうにいろいろ迷いがあるのだが,それだけではまずいと思う。
仮名遣いに関する問題は,国語政策の中にある四つの大問題の一つであって,小さい問題もまだ幾つかあるけれども,その第一は漢字制限であり,第二が送り仮名,第三が音訓の指定であり,第四がこの仮名遣いである。これが大問題の最後のものであるについては,その答申は右の研究の上に立って行うこと,すなわち,理念の問題を研究して,仮名遣い問題ばかりでなくて,国語政策の功罪を判定した上で答申を行うということは,特に意味が深いし,是非そうあらねばならないことと考えている。
これが私の提案であるが,どうぞ十分な御考慮を賜りたいと思う。
有光会長
ただいま木内委員から基本問題を審議する委員会を新たに設けて,並行して審議を行い,総合的な成果を挙げるのに資するように考えてはどうかという御提案があったが,これに関連して,御意見があったらどうぞ。
寺島委員
今度審議会でこの仮名遣いの問題を取り上げるときに,基本的に大きく変えないというようなことの合意があったのではなかったか。私などはそういうふうに理解して,基本的に大きく変えない,ただ矛盾しているところだけを整理するというふうに理解していたのであるが。
有光会長
今度の諮問の在り方を事務局から説明してほしい。
後藤国語課長
昭和41年に文部大臣の諮問があったときには,「現代かなづかい」については,内容上の問題点について検討する必要があるということを言っており,他の当用漢字,送り仮名の付け方については,その方針及び内容について検討する必要があるという提示の仕方をしているわけである。
この点について,当時の委員から,「現代かなづかい」については方針に触れてないけれども,それはどういうことであるかという趣旨の御質問があったのに対して,当時の審議官が,方針のこともさることながら,主として内容上の問題について御検討を賜りたいというように御説明している。
有光会長
先ほどの仮名遣い委員会の主査からの御報告の中にも,やはり基本問題も議論していいのではないかという御意見もあったようであるが,結局はそういう議論も踏まえながら結論を出していこうということに皆さんのお考えが大体は向いているのではなかろうか。だから基本的な考え方を避けるということは必ずしもしなくてもいいのではないか。いい答申を出すために必要な審議なら,そういうことに触れる場合もあっていいだろうが,最終的には具体的な改善案が出るようにしたいというところではないかと思う。
そこで,殊に総会で出された御意見は,それぞれ今後の仮名遣い委員会の御審議の一つのよりどころと言うか,参考にされて委員会案を出していただくということで,この総会での御意見をいただくほかに,アンケートによって各委員の御意見も伺って,仮名遣い委員会の方でそれを基に御審議いただいて,総会の原案のようなものにまとめ上げていただくことになろうかと思う。そしてまた仮名遣い委員会の方では,そういうような仕事をあと5か月の間に片付けるために,能率的な小委員会というものを設けて検討していきたいとう御提案だったと思う。
この場合,仮名遣い委員会と並立するような委員会を別に設けて,その委員会の論議と仮名遣い委員会の論議とがしょっちゅう連絡がついて,そうしてうまく具体案ができるというような仕組みにするということが,この5か月の間にまとめる上にどう影響するかということを考えると,やはり皆さんの御論議を踏まえながら,仮名遣い委員会の方で十分御検討いただくということではどうかと,これは私見であるけれども,小委員会まで設けてやっていかないとあと5か月ではなかなかまとめにくいという見通しのようである。したがって,その理念的な基本的な問題は仮名遣い委員会でも触れておられるが,総会でまた御発言があったということで,それを十分仮名遣い委員会で含んでいただいて御審議をいただいたらいかがなものであろうか。
村松委員
私も仮名遣い委員会の委員の端くれとして,1回だけ休んだけれども,4回出席している。木内委員もほとんどおいでになっていらっしゃるので,仮名遣い委員会の内容もよく御存じの上での御発言かと思う。
仮名遣い委員会と並行して,理念の確立をするための委員会ができるということに,私,別に反対ではないが,ただちょっと誤解が生じやすい点があるかと思って申し上げる。一体理念というものは何だということになれば,国語審議会の委員が全部,国語政策というものの今までの経過の上に立って,日本語をよくしよう,仮名遣いの伝統を失わないで,更に使いやすい仮名遣いにしていこうというような存念は,お一人ずつが持っていらっしゃると思う。
したがって,仮名遣い委員会のやっていることは整理にすぎないのではないかという御発言であるが,もちろん具体的にはそういうことだけれども,その一人一人が理念を内在しながらそういういろいろの検討をしているのであって,理念はどっちだっていいのだ,ただ整理しているのだというふうに截然と分けて考える必要はないのではないか。ただ,これからの仮名遣いをどうするかという理念をみんなで言葉にしていこうというようなことはいたさなかった。しかし,委員一人一人がそういう理念を内在しながら検討を進めていったというふうに私は解釈しているので,それだけをちょっと申し上げたいと思う。
有光会長
御発言いただける向きがあったら,どうぞ。
鈴木委員
ただいまの村松委員の御発言を伺って,私もかなり同じような感じを今まで持っていたので,あるいは村松委員のおっしゃることとは違うかもしれないけれども,あえて申し上げたい。ただいまの御提案は,仮名遣い委員会の方で提起された「検討の基本的な方向について」,これを補足する形のものでは済まないのか。全く別次元の御提案としてお出しになるわけなのか。
木内委員
別にやらないと間に合わないと思う。
鈴木委員
間に合わないとおっしゃるのは,……。
木内委員
仮名遣い委員会は,人選も,今までのようなこういう研究をやるようにできていると思う。だから気分を変えるために別な委員会をおつくりになる方がいいと思う。
ちょっと説明させていただく。「理念」という言葉を使わざるを得ないから使っていたのだが,そういう言葉を使うと,大変めんどうくさいことのようにお思いになる風潮がある。この席でもどうやらそうなりはしないかと思う。
もう一つ,国語政策の功罪いかんということだけれども,これも大変な大研究を要するようにお思いになったかと思うが,私の頭にあるのは,実は簡単である。
まず功罪の方からいくと,功は非常に大きかった。戦後の日本が急に変わって,非常な勢いで新しい日本になった。それに国語政策が大いに貢献している。漢字制限をする,仮名遣いは発音のとおりに書くということである。何でも簡単で早ければいいということなのだ。ところが弊害も非常にあった。それは過去とは断絶するし,何のかんのと言って,日本らしきものは非常に傷つけられた。
ところが,これからをどう考えるかというと,今までは漢字を制限したから能率が出たと思う方もあるかもしれないけれども,日本は現状のまま,国語政策は中途半端なままで非常に能率が出た。今は普通の能率が欲しいのではないのである。もっと深いものが欲しいのである。そのときに今までのようでいいとは全く言えないので,今から先を考えると,現在の国語政策,殊に仮名遣いの問題は非常に弊害が大きい。その点に一顧も与えずしてこの会が答申を書くというのは,私は絶対に反対である。
木内委員
それからもう一つ,こういうことを別の委員会をつくってやるというのは,大変に手数がかかり,時間がかかるようにお思いだろうが,やり方を少し変えればわけないことである。例えば,アンケートを利用してもよい。私が提案している以上,私が考えている理念とは何だ,功罪いかんということに対する私の答えはどうだということをサンプルとして書いて差し上げる。わけないことである。そんな長いページは要らない。200字詰め30枚くらいで十分に収まる。それを回して,それで例えばこういう意見があるのだがどうだ──つまり,アンケート調査の中に入れてくださってもいい。そうなると,一遍に出てくる。それを見た上で皆さん意見をおっしゃった上で,なおここで議論を戦わせてみれば,私は1回か2回そのために総会を開いて,1時間半くらいの時間をかけてくだすったらそれで十分だと思う。何も結論を出す必要はないのである。
こういう問題はこれでなければいかぬというのが今までのイデオロギーで,仮名遣いはこう書けということを決めるから厄介なのである。大体国語というものは規則をつくって押し付けるものではない。自然発生的にいくのである。例えば,こういう仮名遣いの方が望ましいということは言えるけれども,是非こうでなければならぬということを言うから厄介になる。
それが新しい政策を出すならば,そういう点を変えていくのであるけれども,極めて簡単になって,政府が口を出す場合というのは実に少なくなった。今までは訓令・告示によって強圧して引っ張った。だからここまできたので,今までに功が大きかったという点から言えば,それは悪いとは申せない。しかしこれからそれを変えればいいのであって,これからの国語政策というのは,実に簡単明瞭なものだ。だから私は200字詰め30枚で十分に書けると思う。それを御覧になった上で,十分な議論をしていただきたい。
私はこの会にも十何年関係しているけれども,理念の問題というのは,それを論じるとけんかになるというので,抑えられてきた。今それはけんかにならない。絶対にならない。そういうふうに時勢が変わってきたからである。
とにかく,そういうことを書いて差し上げる。一番簡便な方法は,今のアンケートの中に入れること,あるいは単独にそれを回していただく。書くのなら2週間もあれば十分に書ける。そう大仰なことは全然要らない。
ただ,これは一つの私の考えであるから,それを参考にして皆様お考えになって,国語政策はどうあればいいのだ,それを考える前提として,今まではなるほど言われてみればこういう理念に立ってこうやってきた。そういう理念というのは,簡単であればいいという理念で,仮名遣いで言えば,発音どおりに書けばいいという理念である。そうやってみたら,非常にあちこちにぶつかることは今日の報告を見てもお分かりになる。しかも,それで正しいものをこれだと決めようとするからひっかかるのである。一口に言えば,どっちでもいいのであるが,この方が望ましいということを奨励していれば,しかるべき人はだんだんその望ましい方に直ってくるので,望ましい仮名遣いが使われれば,要するにどうということはなくていくのである。
この会で今までしばしば出てきたことなのであるが,教える方が大変だといつもおっしゃる。無理に正しいものを教えて,間違ったらしかる。間違ったら点を引くということを義務付けたら,教えるのは大変である。しかし仮名遣いの難しいところなんかどうだっていいのである。そこの教育理念を変えるというのも国語政策の理念の一つである。それを含めて考えれば,実に簡単なのである。
日本語というのは非常に複雑微妙な言葉である。それを規則で縛るから,日本語のいいところはどんどん失われていく。
ところが,いまそれを保っている人がたくさんいる。例えば天皇陛下を引き合いに出しては悪いかもしれないけれども,とにかく陛下が和歌をお詠みになっている限り,日本語というものは昔のスタイルは変わらない。一般の人は新しいタイプの歌を詠む方もあるから,それは変わる。日本語が日本語らしいということは変わっていい,時勢がたてば。ただ,官庁の力で変えようとするのはやめてほしい。殊に簡単にすれば日本語は進歩する,だから簡単にするというのはなるほどそれで経済的進歩はしたであろうが,今はし過ぎて困っている。だから経済摩擦が起こるのである。そういうことを考えれば,実に簡単明瞭な原理でさばけるので,それを書いて差し上げる。それを見た上で改めて臨時総会を開くか何かしていただいて,本格的な討議をしていただきたい。
この大問題の中でも特に仮名が一番日本語の核心に触れるのである。漢字制限というのは字を制限することだけであるから。略字のよしあしなどというと,日本語の本質に触れるけれども,今までの問題というのは,それほど大きな問題ではなかった。送り仮名の問題は,送り過ぎるのをやめようというだけで何でもないことである。音訓は,一字に対して一音一訓を理想として,それで押さえようとかかったのだけれども,それをやめたから一つの漢字が二つの音,三つの訓を持とうが構わないということにすれば,おおむねの大事な訓はこれだということさえどこかに書いておけば,あと違う訓を自分で発明してもいい。それが日本語の性質である。だから規則で縛るということは要らない。
こういうことが私の思っている国語に関する理念である。それから政策の理念が要る。国語というものはこういうものだということのほかに,政策というものはこうあるべきだという理念が要る。両またかけても,極めて短い文章で書けると思うので,それを出させていただいて,是非審議していただきたい。こう思うわけである。
有光会長
国語政策についての基本的な考え方なり方向については,皆さんそれぞれにお考えがあって,そして具体的な事案についてどう判断するかということを表明するような具合に動いてきておるわけで,ある考え方に統一して,その結論が出なければ審議が始まらないとなると,これは大変なことである。今伺っていると,アンケートの中に取り入れることである部分は解決する……。
木内委員
今は機会がないから,人様が何を考えているか全然分からない。今日の報告でも,理念らしいものは伺い知ることはできない。だからいけない。私も報告されたことが悪いとは言わない。これは結構な研究であるけれども,それとは別に理念についてやる委員会がなければならぬ。
有光会長
今日,木内委員からその御意見が出されて,それに対して皆さんの御意見も拝聴したわけであるが,今後のアンケートのつくり方等についても,ひとつ十分今日の御意見も参考にさせていただいて,そして場合によったら,木内委員の御意見の要点のようなものがあれば,皆さんにあらかじめお配りしておくようなこともしていただいたらどうかと思うが,事務局の方で計らっていただけるか。そういうことでひとつ御協力願えるか。
木内委員
アンケートの中に付録のようにしてつける。結構である。
有光会長
また御意見があれば伺わせていただきたいと思うし,今日の御発言の要旨を場合によったら皆さんにお配りしておくというようなことで,それで皆さんがアンケートに対してお答えいただくときにそれを参考にしていただく。アンケートのつくり方についても,もし御意見があれば,できるだけ事前に委員会に連絡がつくようにしておいていただけないか。
林主査
それは10月の仮名遣い委員会で御相談しようと思っているが,今日,木内委員からのお話が出たので,そういうことをお聞きした上での話し合いが仮名遣い委員会でできようかと思う。ただ私はもしほかの委員の方からもそういうような御提案があるならば,間に合えば一緒にしていただいてもよくはないかと思う。
私は,強いて基本的な理念を避けたわけでもないつもりであるけれども,私としては,なぜその統一が必要であるか,標準化がどうして必要であるかというところに問題があって,その標準化するのにはどういう方向で標準化したらいいかという問題と,どの方面でその標準化が必要なのかということが問題なのではないかと思う。それについては,実は今,木内委員がおっしゃったように,基本的に論議はされていないが,大体において私は方向は分かっているような気がしているわけである。だが,その分かり方が誤っているとするならば,ここで広く皆様方から御修正をお願いしたいと考えるわけである。
松村副主査
木内委員から急な御提案があったけれども,これについての話は木内委員御存じのように,この間の仮名遣い委員会でも御自身から話が出された。私は仮名遣い委員会の副主査ということで,林主査をお助けする立場なものであるから,委員会では積極的に自分の意見を申し上げたりすることはできるだけ避けて,全体の委員の方の御意見をまとめるのに林主査をお助けするということで,大体やってきているつもりである。
林主査の運営をそばでお助けしている者としての感じとしては,決してこの仮名遣い委員会が,今木内委員から御提案のあったような仮名遣いそのものの基本的な問題,あるいは国語政策全体に対する我々審議会の取り組み方そのものの問題を全く避けているとか,あるいはそういうものを故意にはずして,ただ具体的な仮名遣いの技術的な問題だけを論議しているということはないと思う。そういうつもりで林主査もやっていらっしゃらないと思うし,私も,そういうつもりでお助けしているのではないと思っている。
ただ,何と言っても当面我々のこの委員会に課せられた問題は,「現代かなづかい」を中心としての問題点をとにかくやるということであるから,具体的な問題をまずいろいろ煮つめて,そしてそういう中にこれからの仮名遣いの在り方,あるいは全体の国語政策の中での仮名遣いの持つ意味,それぞれの方がそれぞれいろんなお考えを持ちつつ,具体的な問題点を今とにかく中心にしてまとめているという段階であって,何か私どもがそういうものをわざわざ避けているとか,あるいはそれを全然度外視して,ただ技術的な問題だけをやっていたとか,そういうふうにもし木内委員が御理解になっているとすれば,それは私どもの考えていることとちょっと違うと思う。
確かに今日の林主査の御報告の中では,理念とか,そういうふうな言葉を出しておられないけれども,ここにいろいろ具体的な問題を通して,それぞれの委員の方の御意見もまとめられている。私どもはそういう御意見を伺いながら,それぞれの委員の方が国語問題,更に具体的に言えば,仮名遣いの問題について,大体どういうふうにお考えになっているか,分からないわけではないのであって,そういうそれぞれのお考えを土台にして,いろんな具体的な問題に対して非常に細かいいろいろな御意見が出ているということなのである。これからも,林主査のお話にもあったように,全体の委員の方のいろいろな御意見をアンケートその他でお伺いするということもあるわけであって,もう少し我々を広い目で御理解いただきたい。別な面から理念の問題だけやっていったらいいといっても,私の個人的な考えでは,それは今の段階ではかえって余り意味がない──意味がないと言っては語弊があるけれども,余り実りがあるものとは思わない。
むしろアンケートなどの中にできるだけ全委員のそういうことに対するお考えを出していただき,さらに木内委員からも具体的にそういうことに対して詳しく聞かせていただいて,それを我々の今後の仮名遣い委員会の審議の中でも生かせるものはできるだけ生かしていく。そういう方向でやっていっていいのではないかと私は思う。
林主査
今,私の考えていることを基に,仮名遣い委員会で皆様に御相談したいとは思っているのであるが,ただいま木内委員がおっしゃったように,御意見を三,四十枚にまとめてくださるとすれば,それは今日ここで伺ってもいいわけである。あるいはそうでなくて,ゆっくりと文章の上で拝見するというようなことが得られれば,皆さんそれを御覧いただいた上でアンケートに答えていただくというようなこともできると思う。
私としては,基本的な問題もアンケートの中に含められるだけは含められるかと,ひそかに思っていたわけであるが,それに対して前もって御意見を聞かせておいていただいて,それをお読みになった上での皆様の御回答が得られてもいいのではないかと思う。
どれくらいアンケートにその御意見を生かせるか,あるいは木内委員の方から御自分のアンケートの案を作成されて,ここが問題だということをマルバツではないかもしれないけれども,マルかバツかというふうに尋ねていただいてもいいわけかと思うのであるが,我々は我々の考え方でアンケートをさせていただこうと思っているので,それは今度の仮名遣い委員会でお諮りいたしたいと思う。
鷹取委員
どうもこの総会の発言,皆さん余り堅苦しくなっているようであるが,もう少し総会をみんなざっくばらんにやわらかく皆さんの御研究なり御意見なりを話し合えるような雰囲気にしていきたいと思う。
私,最後に確認しておきたいと思うのであるが,先ほど寺島委員からお話しになった最初の国語審議会の総会で,今後の仮名遣い委員会というのは,現代の仮名遣いを余り大きく変えないのだ,よほど不都合な点とか,よほど差し支えのある点とかを検討するものだということがお互いにおおよそ了解されていたのではないかというふうに私も了解しているし,当時私も総会にそういうふうにお願いを申し上げたような記憶がある。この点は非常に大事な基本方針だろうと思う。
今後いろんな委員会なり,いろんなアンケートなり,いろんな御議論をなさると思うが,その第1回の総会のときに,大体こんなようなことだったという了解をはずさないように御配慮願いたいと思う。
これはやかましく言うと,小学校,中学校,高校,その他の教育の問題にも関係するだろうし,現在の仮名遣いで教育されてきた人たちにも大変影響を与えることになるだろうと思う。また,我々,実業界で活動している多くの社員たちが大変影響を受けることになると思うので,この点だけ一つ,余り難しい理論的なことではないが,おしゃべりさせていただいた。
有光会長
次の総会は,大体来年の2月ごろを予定させていただきたいが,そのためには,10月に開かれる仮名遣い委員会で,今日の御意見等も考慮されながら,今後の運び方,アンケートのつくり方等について御審議をしていただくということをお願いしたいと思う。
木内委員
2月の総会が最後の総会になるのか,この期の。
有光会長
そうである。
林主査
一言述べさせていただきたい。私は従来考えてきたことを,その方向へ委員会を持っていこうというふうには必ずしもしていなかった。しかし,この機会に私の考え方をちょっと申し上げさせていただこうと思う。
我々がこの審議会で議論していくのは,国民の生活の将来にわたる問題を考えているのであって,将来に向かって我々はどのようにしていったらいいかということを考えるわけである。しかしながら,我々は過去を背負っているので,それは「輝かしい」という形容詞を付けてもいいわけであるが,輝かしい過去を背負いながら前進をしていかなければならない。
問題は,その前進にあるわけであって,そのときに過去は切り捨ててもいいというふうには絶対に考えることはできない。過去を切り捨てずにどのようにして我々は前進をうまくしていくことができるかということが,我々の問題であろうというふうに考えている。
その前進について何をするのかと言うと,我々がここで一応考えることは,標準化の問題である。標準は立てない方が前進のためにはいいのであるかどうかという問題もあるかもしれないけれども,ここではもうそれは問題にならない。何らかの標準を立てる必要があるのだということにおいて,我々は御相談している。標準化が必要でなければ,こういう会は必要でないというふうに私は考える。
その標準化は,しかしどのようにしたら成立するかと言えば,まず,標準化が必要なのはどこかということが問題となる。標準化を余り考えなくてもいい生活部面と,標準化を考えた方がいい部面とがあるが,それはどこにあるのか。我々の生活全体を多少とも統一しなければならないかどうかという問題があると思うが,我々は差し当たってどこに統一が必要なのかということを考えてみる必要があろうかと思っている。それを簡単に言うならば,一つは官庁の文書の問題。これは法律用語の問題であって,これは統一がなければ困るという部面であろうと思う。それに続いて教育の問題がある。教育の問題も自由であっていいかもしれないが,しかし国が世話をして教育を行うとすれば,そこに統一がなければならない。国のために統一するのではなく,国民のために統一が必要なのではないかということである。
それからもう一つ大きな部面は,マスコミュニケーションの問題であって,新聞報道界というようなところでのある統一が必要なのではないか。これも統一は必要でないという考え方もあるかもしれないけれども,しかし国民に与えるところにおいては,やはり統一がなければならないのではないか。
そこで私は,官庁関係と報道関係,それが基本的に統一の必要な面であって,それが統一されれば,おのずから教育はそれによって統一されていくべきものであると考える。教育の分野だけを取り出して独自に統一を考えることはできない。世間とともに統一は考えなければいけないと考えているが,そういう統一についてどのように考えたらいいか。
統一したこと,そのことが弊害があるとは木内委員もおっしゃらなかったと思う。その統一の内容についての問題ではないかと思うのであるけれども,その内容についても,我々は背後に背負ってきたものをどういうふうに考えるか,千年単位で考えるか,八百年単位で考えるか,百年単位で考えるか,三十年の単位で考えるか,いろいろの問題があると思う。そういうことを考えた上で,我々の前進に向かってどのようにしたらいいかということが問題ではないかと思っている。
それを解決するためにはどうするか。現実がまずあって,現在こうなっている──そこからやはり出発しなければならない。その現在が過去を切り捨てていいかどうかというところに問題があるわけだと思うが,それをどのように我々の前進に生かして現在を切り開いていくかというところが,我々の問題であるというふうに私は考えている。私はちょっと文章を書くのがめんどうくさいもので,今日,驥尾(きび)に付して申させていただいた。これについても御批判を得なければならないと思うのでよろしくお願いいたしたい。
それで現実の問題としては,アンケートの原案を事務局と私どもで相談して10月の仮名遣い委員会にお諮りしたいと思うけれども,その際また十分に御意見を承らせていただき,修正をしていただきたいと思う。仮名遣い委員会の委員以外の方々からも御意見があったらお聞かせをいただきたいと思うので,どうぞよろしくお願いいたしたい。
木内委員
今おっしゃったことがあなたの立派な理念である。それを書いていただきたい。それを書いてくださらないと要するに分からない。速記を整理してもいい。
林主査
そういうふうにしたいが,これは記録に載るので。
有光会長
本日の討議は内容的にいろいろ御意見も出たし,来月の委員会の運営に非常に資するところもあろうかと思う。
なお,運営委員会で小委員会をつくりたいという御提案もあったが,これも特に御意見がないようであるので,これは仮名遣い委員会の方にお任せいただきたいと思うがよろしいか。…… それではそういうことにいたしたい。
それから,仮名遣い委員会には審議会の委員の方はどなたも御出席いただけることになっているので,御都合のつく方は,10月の仮名遣い委員会にも御出席いただければ結構だと思う。そのときにアンケートの問題も十分検討していただけると思う。
今日は長時間にわたって熱心な御審議をいただいた。
それでは,今日の総会はこれで散会といたしたい。