HOME > 国語施策・日本語教育 > 国語施策情報 > 第15期国語審議会 > 第5回総会 > 次第
次第 仮名遣い委員会の審議経過について(報告)
有光会長
それでは,林主査から,仮名遣い委員会の審議経過について,御報告をお願いいたしたい。
林主査
仮名遣い委員会の審議経過について御報告を申し上げる。
お手元に,主査報告資料というのが配布されておるけれども,この資料は,これから私申し上げる報告の原稿のようなものであって,委員会で御検討をお願いしてはいるけれども,報告書という文章にするほど字句を練り上げていないものである。しかし,今日の御報告は,大体この文章から外れないようにして申し上げようと思っている。
全体としての組立ては,まず第1には,審議の状況と審議資料等に関する概況である。次に「現代かなづかい」をめぐる問題点というのがある。第3は,仮名遣いについての基本的な考え方というもの,第4に,前々いろいろ御厄介をかけた意見調査,アンケートの御報告をいたそうと思う。最後,第5に,まとめというふうになっている。
まず第1の概況であるが,審議の状況は,仮名遣い委員会は,昭和57年7月16日の第2回総会で「現代かなづかい」の問題点に関する技術的,専門的事項の検討を行うための委員会として設置が決まり,同年9月以降第14回の会議を開いて審議を行ってきた。また,58年11月以降,特に専門的な検討を行うための小委員会を4回開いた。
14回の委員会のうち,第1回から第5回までの委員会では「現代かなづかい」をめぐる基本的な諸問題について検討を行い,その概要を,58年3月22日の第3回総会に御報告いたした。6回から10回までの5回の委員会では「現代かなづかい」における具体的な表記上の諸問題について検討を行い,その概要を9月29日の第4回総会に御報告いたした。第4回総会で,従来の仮名遣い委員会の審議状況の報告や,総会での論議に基づいて「現代かなづかい」の検討の上で問題となる諸項目について,アンケートの形式で各委員の御意見を調査して,以後の仮名遣い委員会の審議に資するということが決まり,第11回の仮名遣い委員会で調査項目を取りまとめて,11月に調査を実施いたし,皆様の御意見を伺ったわけである。
また,小委員会といたしては,第1回から第3回まで現代語音,音韻と仮名との対応,その他仮名遣いについての基本的な考え方を論議いたし,12回の仮名遣い委員会には,アンケートの結果の概況とともに,小委員会での検討の状況が報告された。
その後,第4回小委員会,13回,14回の仮名遣い委員会を経て,今期の仮名遣い委員会の審議経過について取りまとめた。それを今日御報告するわけである。
審議資料として,仮名遣い委員会での審議においては,「現代かなづかい」関連の諸資料のほかに,明治以来の仮名遣い関係の諸案や仮名遣い問題の論評等があるのでそれらを常時参照することに努めた。
また,現行の国語辞書等から,仮名遣いの上で問題になる語を収集いたしたり,また教科書,新聞等における仮名遣いの現状,児童・生徒や一般社会人の仮名遣いの習得状況に関するデータなどを資料として用意することに努めた。なおまた,日本点字委員会,日本書籍出版協会から寄せられた意見書も参照いたした。なお,近日に至り,日本雑誌協会の方からも御意見が出ている。
第2に「現代かなづかい」をめぐる問題点であるが,仮名遣い委員会では,総会での論議を踏まえて「現代かなづかい」をめぐる基本的な問題及び具体的な問題として,次のような諸問題について検討を行った。基本的な問題,これは項目だけを挙げているので,読むことを省略するが,これは第3回総会に内容を御報告申し上げてある。
それから,具体的な問題として,「を」「は」「へ」の問題,その他8項目にわたり掲げてあるが,これも内容は,第4回の総会に御報告を申したことは,先ほど申し上げたとおりである。
次に,第3の仮名遣いについての基本的な考え方というのであるけれども,仮名遣い委員会では,第4回総会の後,小委員会を設けて,仮名遣いについての基本的な考え方,すなわち「仮名遣い」という言葉の示す内容,現代語音,それから音韻と仮名との対応,規則としての構成配列等の問題を論議した。これらは,仮名遣いのきまりを考え,我々が審議するに当たっての基本的な事柄であり,これは理解を共通にしておく必要があると考えたからであって,仮名遣い委員会では大体このように考えようということにしているので,今日皆様方の御了解が得られれば,と思うわけである。
まず第1,「仮名遣い」という語の示す内容についてであるが,国語施策として「常用漢字表」に並べて仮名遣いというものを考えるに当たっては,漢字表が漢字を用いて国語を表記するときの目安というきまりを示しているのに対して,仮名遣いの方は,仮名によって国語を表記するときのきまりであると考えておくのがよかろうと思われる。それは,従来一般に,仮名遣いというのは,同音の仮名を語によって使い分けることというふうに考えられてきたのであるが,それに比べると,広い見方である。しかし,同音の仮名の書き分けが主要な部分としてそこに含まれていることは申すまでもない。
次に,仮名遣いの沿革,歴史についてであるが,仮名によって日本語を表記するということは,漢字の表音的使用,すなわち漢字を漢字という形のままで万葉仮名(真仮名)として用いたところから始まったものであるが,その初めは,表音の原理があっただけで,同音の漢字が幾らあっても,一つの音に読まれる漢字が何種類あっても,それらの間で使い分ける何らかのきまりが立てられていたというふうに認めがたいのである。さて次に,9世紀,800年代に至り草体及び略体の仮名文字,これがいま申す「いろは」の平仮名とか片仮名などになるものであるが,草体及び略体の仮名文字が9世紀に至って用いられるようになって,11世紀のころに,いろは歌による仮名体系,47字の仮名体系が成立したと考えられるが,その後の音韻の変化によって「いろは」の中に同音のものが生じてきた。その使い分けが問題になったわけであるが,1,200年前後に藤原定家を中心として,その使い分けのきまりを立てる考えが生じた。すなわちこれがいわゆる定家仮名遣いというものである。定家仮名遣いはどういう原理で立てられているのかという点で疑いを持たれた。これは今日ばかりではなくて,14世紀,15世紀のころに既に,定家仮名遣いの意味が分からんというようなことを言った人がいるわけであるが,しかし大変権威があって,後世長く歌道の世界を支配したものである。
林主査
次に,1,700年ごろになって,1,698年に「和字正濫鈔(しょう)」というものが出たが,契沖が「いろは」を上代の万葉仮名の文献に当てはめて,万葉仮名で書いてあるところへ「いろは」の平仮名をあてはめて考えてみて,そこには定家のとは違った仮名遣いがある,語ごとに決まった仮名の使い方が,特別に上代には上代の使い方があることを明らかにした。それ以後,古代における先例というものが,国学者を中心とする文筆家の表記のよりどころになった。これは一つの復古主義である。
一方,漢字音について申すと,漢字音の方は中国の韻書に基づき仮名表記を定めるという研究が1,800年代に進んだ。これは本居宣長がその先駆者と言われているが,1,800年代である。この字音仮名遣いと契沖以来の和語の仮名遣いとを合わせて,今日では普通に歴史的仮名遣いと呼んでいるわけである。
それで,明治の新政府が成立すると,これが1,868年であるが,公用文や教科書には,歴史的仮名遣いが主として用いられることになり,それ以来今日まで約120年であるが,その約80年間は,歴史的仮名遣いが,国家的,国民的な基準であった。しかし,その間には,議論としては,表音原理による仮名遣いに改定をすべきだというような議論が行われたし,また字音については,小学校の教科書に表音式仮名遣いが数年間実際に行われたということがある。そして,昭和21年にそれまでの歴史的仮名遣いに代わるものとして「現代かなづかい」が制定されて,その後約40年間,この表音原理による仮名遣いが,官庁,報道関係,教育その他の各方面に一般に用いられて,今日に至っているわけである。
以上が仮名遣いの大体の沿革である。
第3に,表音原理と例外といたしておいたが,「現代かなづかい」は,その表音原理について「大体,現代語音にもとづいて,現代語をかなで書きあらわす」というふうに表現しているとおりであって,実際上表音原理によらない例外的な条項を多少含んでいる。これは,新しいきまりを行われやすいものとするために,従来の表記の習慣を考慮したものと言うことができる。
その例外としては,使用頻度の高い助詞─「を」「は」「へ」のようなもののほかに,個々の語について決めている場合もあるし,また同音の連呼とか二語の連合とか申して,語構成に関することを目印にした場合もあるわけである。なお,そのほかに細則の適用に問題のあるものもあって,このたびの「現代かなづかい」の検討ということは,主としてこの例外的事項と,適用に問題のある事項の処理に関して行われるべきのものであると考えている。
次に,現代語音ということである。「現代かなづかい」のいう現代語音と申すのは,現代語の標準的な音韻というふうに言い換えてもよかろうと思う。ここには特殊な方言音とか,擬音・擬態の表現における特殊な発言というものは,一応含まないものと考える。すなわち,これらの表記は,きまりに強いて当てはめる必要がないもの,きまりによってそれを書き分けるというようなことを考える必要はないものと考える。また,外来語の表記は重要な課題であるけれども,外来語の原音と国語の音韻との間には単純に取り扱うことのできない面があるので,外来語の仮名表記については,別の検討をすることにする。
さて,現代語の音韻の単位としてはどんなものがあるか,どれだけあるかと申すと,50音図で申して,直音・拗音及び清音,濁音いろいろあるが,もちろん清,濁,半濁も含めて,短い音節を数えると,数え方にもよるけれども,100種類に見ればよかろうと思う。またそれに対するそれぞれの長音がある。長音は,文章には余り現れないものもあるが,それぞれの長音,理屈で申せば100種類の長音があることになるわけである。そのほかに促音と撥音(はつおん)という特殊な音節がある。大体短い音節として考えると,100種類と促音,撥音,102種類ということになると思う。
第5に,その音韻と仮名との対応であるが,いま申したような音韻の一つ一つに対して,仮名一字若しくはその組合せ,連続,例えば「キャ」という発音に対して「き,や」と二つの組合せで書くというようなことであるが,又それらの仮名に濁点・半濁点の補助音符を伴ったものをそれぞれ対応させようとしたのが「現代かなづかい」の表音原理である。ところで,仮名の種類を「いろは」47字と「ん」の範囲とすると,それらのうち,現代語音に当てると同音になるものに次の組がある。い−ゐ,え−ゑ,お−を,じ−ぢ,ず−づ,こういうものが全く同音になっていると考えられる。
「現代かなづかい」では,以上のうち,「ゐ,ゑ」を全く用いないことにした。「を」は助詞の場合にだけ使う。「ぢ,づ」は同音の連呼,二語の連合の場合にのみ用いることにしている。
また,歴史的仮名遣いの場合には,語頭以外に現れる「は,ひ,ふ,へ,ほ」はそれぞれ,発音としては「わ,い,う,え,お」と同音に読まれることが多いのである。例外もあるが。また「ふ」はある場合に「お」と同音になる。「あふぐ」と書いて「アオグ」と読むとか「たふれる」と書いて「タオレル」と読むとかいうようなことである。「現代かなづかい」では助詞の場合の「は,へ」を除き,これらの「は,ひ,ふ,へ,ほ」がハ行以外に読まれることを排した。すなわち「ワ,イ,ウ,エ,オ」と読まれることをやめて「ワ,イ,ウ,エ,オ」と読まれるならば「わ,い,う,え,お」と書く,こういうのが原則になったわけである。
また,歴史的仮名遣いでは,ウ列拗音,例えば「キャ,シュ,ジュ」の長音,それからオ列音の長音「オウ,コウ,ソウ,トウ」というもの,それからオ列拗音の長音「キョウ,ショウ,ジョウ」というものについて,様々な仮名連続形式が書き分けられている。例えば「コウ」で申すと「かう」「かふ」「こう」「こふ」「くゎう」というのがあるわけであって,いろいろ様々な書き方が書き分けられているが,「現代かなづかい」では,同じ長音に対しては,「コウ」には「こう」,一通りの「こう」という書き方だけを用いるようにしている。
林主査
これらが,一つの音韻は一つの表記をとり,一つの表記は一つの音韻で読まれるようにする,という「現代かなづかい」おける表音原理の適用の実際である。表音原理は立てたが,そのうちに例外はある,例外を持ちながらこういうふうに適用したわけである。
なお,「現代かなづかい」には,エ列長音,オ列長音などという場合に,現代語としてそれに該当するかどうか,実際の発音にゆれがあったり,その解釈に疑義があったりするものがある。「生命」というのを「セイメイ」というのであるか「セエメエ」というエ列長音なのであるかとか,「氷」というときは「コオリ」というのは長音であるのかないのかといったような問題がある。細則の適用に問題があると,先ほど申したのは,これらの類である。
次に,構成配列と申すのは,例えば「現代かなづかい」というものがいろいろ複雑な組立てで書かれており,その構成配列が問題になる。「現代かなづかい」では,まえがきが3か条ある。それから発音と新旧の仮名遣いを対照した四つの表がある。細則が33か条,注意が2か条,それから備考に10か条というものがある。細則には語例が添えられている。これらはおおむね歴史的仮名遣いで同音の書き分けがあったものについて,表音原理による新しい書き方を示しているものであるけれども,その記述の仕方において必ずしも一貫していないところがある。すなわち,細則の第1から第9までは表音原理による歴史的仮名遣いの改定という形をとっている。第10から第33までは現代語音をどう書き表すかという形をとっている。また,細則に添えられている語例は,歴史的仮名遣いで同音の書き分けがあったものを逐一網羅的に掲げてあって,その結果「現代かなづかい」の細則の部分は一見複雑な様相を呈している。仮名遣いの検討は,記述の仕方を一貫したものにするとか,語例の掲げ方を簡明なものにするとか,構成配列の面からも行われるべきものと考える。
以上が共通理解のための事項である。
次に,昨年御面倒をお願いした意見調査の結果である。「意見調査による委員の意見の概要」。これは,二度にわたって総会へ委員会から御報告申し上げた後に,総会でいろいろ御論議があって,上記の前に申し上げた問題点の中から調査項目をまとめて,審議会所属の各委員の意見を調査して,以後の審議に資することにいたしたわけであるが,そのアンケートの結果,全委員数の8割を超える回答が寄せられた。38人の方の御回答があった。
意見の概要はおおむね以下に申し上げるとおりであるが,回答については,各委員の書かれたまま,お名前は表さなかったが,複写をして,既に御覧に入れているので,ここにはその要旨だけをまとめてある。そのアンケートは,国語審議会としての考え方を表決によって決めようとしたのではない。しかし,大体の傾向はおのずから知られるものであろうかと思う。
以下御説明申し上げるけれども,なるべくお書きになった原文の言葉をそのまま用いるように生かしながら書いてみたものであるので,ここでは資料をなるべく読むようにいたしたいと思う。
これは全体から申して,1が「現代かなづかい」実施の得失(功罪)等に関する御意見。2が基本的な問題に対する御意見。これは5ページにある。6ページの具体的な問題が3である。7ページにいって仮名遣いと古典教育の問題が4である。5がその他の問題というふうにしてある。
まず,「現代かなづかい」実施の得失(功罪)等に関する御意見である。
得はどうか,失と考えられる面があるとすれば,それを補うために今後どのようにすればよいかなどについての御意見であるが,まず,得(功)については,明らかに得であり,功であった面が大きいとする御意見,一般の社会生活にとっては,圧倒的に得が多く,失はほとんどない。一部に失を大きく感ずる人や社会があり得るが,本質的な意味では得を評価すべきだと考えるという意見など,得(功)が多大であるとする意見が多い。
具体的には,旧仮名遣いの場合と比べ,日常生活で迷うことが少なく,能率的であるという意見,国民のだれもが現代の語音に基づいて自然に,かつ容易に文章を書き表すことができるようになったことは疑いのない事実であり,様々な分野の中で日本の文化水準を引き上げる上で「現代かなづかい」の果たした役割は大きいという意見など,能率の増進や文化水準の向上に役立ったとする意見が多い。
また,学校教育において国語表記の習得の負担を著しく軽減したという意見,殊に字音仮名遣いが簡単になったことは,かけがいのない利点であるという意見など,習得の負担を軽くしたとする意見が多い。
その他混乱しがちな仮名の用法によりどころを与えるという効果は十分に上がっている,日本語に現代的な広がりを持たせた意義は非常に大きい,国際語に育つ方向に前進した,などの意見もある。総じて,戦後の国語改革の中で,国民の生活の中に定着して成功したものの一つだと評価する意見が多くある。
次に,失(罪)についてであるが,失又は罪は少なかった,罪はむしろ漢字制限の方が多かったと思う,という御意見もあるが,古典や文化的伝統との断絶の面を挙げた意見もかなりある。すなわち,「現代かなづかい」世代が旧仮名遣いで書かれた古典や戦前の文章に大きな違和感を持つようになったという意見,古典文法を現代文法との関連において考えたり,言葉の成り立ち,変化等について説明したりするのに遠回りしなければならなくなり,古典教育全般について,「現代かなづかい」施行以前に比べ,困難な問題が多くなったという意見,失の最大は文化伝統の弱化,断絶であり,殊に明治大正時代の諸文献が教育面をはじめとして全般的に「現代かなづかい」に改められたことに不満を抱くという意見,「現代かなづかい」は効率主義一点張りというべき思想に立つものである結果として,これをそのままにしておくと,国民が精神的なもの,うるおいとか優雅さとかを身に付ける機会を失わしめるばかりでなく,過去との断絶という取り返しのつかない結果を生むことになろうという意見などがある。
その他,文章の味わいがなくなったこと,仮名文字の情緒性が薄れたことなどを挙げた意見がある。また,ただ一つの書き表し方だけが正しく,それ以外は間違いだという考え方,言わば画一的な強制を失として挙げた意見もある。
一方,失があるとすれば,不徹底に表音主義であるため,いろいろ例外を設けて複雑にした点であるという意見,「現代かなづかい」の中に歴史的仮名遣いの残滓(し)があり混乱する面があるという意見など表音化の不徹底を挙げた意見もある。
以上が失である。
林主査
次に,失を補う方策,あるいは今後の審議の方向としては,国語は余りいじるものではない,現時点では小修正で我慢せざるを得ないという意見,安定させ落ち着けることが第一で,大幅な変更は混乱以外の何物でもないという意見など,小修正にとどめるべきだとする意見が多い。
具体的には,言葉の成立過程や語源を不明にしていることがあるので,「じ・ぢ」「ず・づ」などの正書法の若干の手直しは必要だとする意見,「現代かなづかい」の規定の中のあいまいな部分,例外的な事項をできる限り取り除いて簡明で分かりやすいものにするという意見などがある。また,「現代かなづかい」の規範性を暖めるという意見,表音主義を徹底させるという意見などもある。
歴史的仮名遣いとの関連については,学校の国語教育において歴史的仮名遣いとの断絶感をなくすための方途が講じられるべきであるという意見,少なくとも近代百年くらいの小説は楽しんで読めるような教育をすべきであるという意見などがある。一方,歴史的仮名遣いの復活については,歴史的仮名遣いに戻ることを考えるより,「現代かなづかい」をよりよくすることを考えるべきだという意見,歴史的仮名遣いを現代において復活させることは,漢字音の表示においても当然「歴史的」なものにしなければならないので,もはや不可能に近いという意見などがある。
また,国語審議会は「現代かなづかい」をそのままにしておく弊害について,十分な論議を行わなければならないという意見,わずかな失に引きずられて全体を評価しては,日本語の将来を誤る。ただ,失を重視し,根本的に改革すべきだという意見があるのなら,この際,十分に議論を尽くしておく方がよいという意見もある。
これが得失(功罪)の問題である。
次に,基本的な問題について伺ったところ,すなわち仮名遣いの規範性の問題,適用分野の問題等である。
仮名遣いの規範性については,是非これに従うべきもの(強い規範)と考えたいとする意見もあるが,なるべくこれに従うのが望ましいもの(ゆとりのある規範)と考えたいとする意見が多くを占めている。ここで「多くを」というふうに申すのは,大体委員の半数以上を占めている意見というふうにお考えくださればよろしいかと思う。
適用分野については,現行のとおり,適用分野を特定しないでよいとする意見もあるが,「常用漢字表」(及び「送り仮名の付け方」)のように「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活」としておく方がよいとする意見が多数を占めている。
それからそれに関連して,専門分野や個々人の表記への適用のことを伺っているが,現行のとおり,専門分野や個々人の表記については言及しないでよいという意見と,それから「常用漢字表」(及び「送り仮名の付け方」)のように「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」としておく方がよいとする意見とがそれぞれ伯仲しているわけである。
それから,適用する文体等については,現行のとおり「主として現代文のうち口語体のもの」に適用するとしておいてよいとする意見,「現代かなづかい」が「主として現代文のうち口語体のもの」に適用すると書いてあるが,そのとおりでよいとする意見と,「常用漢字表」(及び「送り仮名の付け方」)のように「現代の国語」としておけばよい,文体に言及しないでよいとする意見とが,それぞれ相当多くある。いずれにしても,半数には達していないが,相当ある。
それから,固有名詞については,現行のとおり,固有名詞については言及しないでよいとする意見と,「常用漢字表」のように「固有名詞を対象とするものではない」としておくべきだとする意見とが,それぞれ相当ある。そのほかに固有名詞も対象とすることを明示すべきだという意見もある。
次に仮名遣いの内容(個々の語の仮名遣い)であるが,現行のあいまいなものをはっきりさせるにとどめるとする意見が多くを占めているが,多少の変更は検討されてよいとする意見のほか,大幅な変更も検討されてよいとする意見もある。また現行のまま変更しないでよいとする意見もある。
それから,規則の立て方(組織・構成)について,なるべく簡明なものにする等,全体の手直しを図る方がよいとする意見が多くを占めているが,現行の不備な点を修正するにとどめるとする意見もかなりある。現行の組織・構成のとおりでよいとする意見,新しい法則を示すべきだという意見もある。
それから,歴史的仮名遣いとの対比については,一方に現行のとおり,歴史的仮名遣いとの対比に重きを置いてよいとする意見,また一方に,歴史的仮名遣いとの対比を示すことは必要ではないという意見も同様にあるけれども,何らかの形で歴史的仮名遣いとの対比を示しておくことは必要であるとする意見が多くを占めている。
国語仮名遣いと字音仮名遣いの扱いについては,国語と字音とを区別する方がよいとする意見もあるけれども,現行のとおり,両者を区別しないでよいとする意見が圧倒的に多数を占めている。
擬声・擬態の表現や嘆声,特殊な方言音,外来語・外来音などの書き表し方との関係については,現行のとおり言及しないでよいとする意見と,これらの書き表し方を対象とするものではないことを明らかにしておく方がよいとする意見とが,それぞれ相当ある。そのほか,これらも語である限り正書法の対象になるという意見もあるし,新工夫を奨励する意味でいろいろの例を示すのがよいという意見もある。
次に,具体的な問題であるが,まず,助詞の「を」「は」「へ」については,現行の手直しを検討するという意見もあるが,現行のとおりでよいとする意見が多くを占めている。
それから「おうさま(王様)」「とうげ(峠)」など,オ列長音の書き方については,オ列長音は,オ列の仮名に「お」を付けて,「おおさま」「とおげ」と書くという意見もあるが,現行のとおり「おうさま」「とうげ」でよいとする意見が多くを占めている。
それからそれに関連するが,「とお(十)」とか「おおかみ(狼)」「こおり(氷)」「とおい(遠)」などの書き方については,現行は「お」と書いているわけだが,語によっては「う」に改めることも検討するという意見もある。しかし,現行のとおりでよいとする意見が多くを占めている。
林主査
それから,「きゅうくつ(窮屈)」「うれしゅう」など,ウ列拗長音の書き方については,和語の場合,「うれしゅう」を「うれしう」と書く類を検討するという意見もあるが,これも現行のとおりでよいとする意見が多くを占めている。
「言う」の書き方については,終止形,連体形の場合「ゆう」と書くことにするという意見もあるが,現行のとおり(「いう」)でよいとする意見が多くを占めている。
「ねえさん」「ええ」など,エ列の長音の書き方については,漢語の「えい」「けい」等も「ええ」「けえ」等にする。「えいせい」というものも「ええせえ」と書くようにするという意見がある。それからエ列の長音はエ列の仮名に「え」でなくて「い」を付けて書くことにする,漢語のようにしてしまう。だから「ねえさん」も「ねいさん」,「ええ」というのも「えい」こういうふうに書くことにするなどの意見もあるが,現行のとおりでよい,漢語の「えい」「けい」等はそのままにしておくという意見が多くを占めている。
それから「じ・ぢ」「ず・づ」(四つ仮名)についてである。これには,現行のとおりでよいけれども,昭和31年の「正書法について」を再検討するなどして,改めて書き分けの標準を示すべきであるとする意見が多くを占めている。そのほか,現行のとおりでよい,そのままでよいというのと,それから「ぢ」「づ」はすべて廃止してしまうという意見,それから同音の連呼の場合の「ぢ」「づ」だけ廃止するという意見,なるべく理屈に合った書き分けをするという意見がある。
それから次は,地方的な発音としての「クヮ・カ」「グヮ・ガ」及び「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」の発音の仕分けについては,このことに言及しないでよいとする意見が多く占めているが,現行のとおり,地方的な発音への配慮を残すとする意見もかなりある。
促音化する語中の「キ」「ク」については,「的確」というのを「てっかく」と書くかどうか,その問題であるが,現行のとおり(言及しない)でよいとする意見と,そのことについて何らかの標準を示すか,説明をしておくという意見とが,それぞれ相当ある。
なお,その他の発音にゆれのある語については,現行のとおり(言及しない)でよいとする意見と,そのことについて何らかの標準を示すか,説明をしておくという意見が,それぞれに相当ある。
なお,以上に申したほか,これら具体的な問題の諸項目において,歴史的仮名遣いの適切な復活が望ましいとする意見がある。
次は,仮名遣いと古典教育の問題であるが,それに関する意見の概要は,まず古典教育の重要性について,日本の文化の継承,発展の基礎となるものであって,古典教育は十分に行わねばならない。また,古典教育は「現代かなづかい」の学習にとっても,その歴史的過程を知るために不可欠であるなど,古典教育の重要性についての意見がある。
次に,古典教育は新旧いずれの仮名遣いを用いて行うべきかという問題については,古典教育は歴史的仮名遣いで行うべきであるという意見,明治以降の文章を国語教育の教材として用いる場合も歴史的仮名遣いによるものはそのままの形で扱うのが望ましいという意見がある。一方,高度の専門的な古典教育は別として,一般の古典教育においては,古典教材を「現代かなづかい」に改めて使用するのも一法であろうという意見もある。古典に振り仮名を施す場合,字音については「現代かなづかい」でよいという意見,明治以降の文章を国語教育の教材として用いる場合,現在行われているように口語文については「現代かなづかい」に改めることは一向差し支えないという意見もある。
それから,歴史的仮名遣いをどのように教えるかという問題については,歴史的仮名遣いはしっかり教えたい,少なくとも自由に読めるようにすべきであり,歴史的仮名遣いに対する違和感をなくすようにすべきであるという意見,歴史的仮名遣いを教えるのは理解力に余裕の生じる段階になってからでよい,進路や関心に応じて程度に差があってよいという意見などがある。なお,歴史的仮名遣いの読みを身に付けさせることは,高等学校での古典の学習を通じて現に実際に行われているという意見もある。
その他,「現代かなづかい」の実施によって古典教育が著しく困難になったという批評は当たらない。古典が現代人にとってある程度疎いものになるのはどこの国にもあることだという意見もあるし,古典が一般の現代人にとって難しいのは,語彙(い),文法,社会的背景の相違など様々な要因によるものであって,仮名遣いだけを元に戻して解決するという問題ではないなどの意見もある。
その他の問題として記述された意見があるが,仮名遣いの答申に際しては,「常用漢字表」や「送り仮名の付け方」との関連を考慮すべきであるという意見,「現代かなづかい」の問題点の処理に当たっては,性急に完全を求めるべきではなく,時間の経過にゆだねる部分があってよいとする意見,言語については,実用性だけでなく,芸術性,歴史性をも尊重する必要があり,その意味で言語改革はなるべく保守的であるのが望ましいとする意見などがある。また,「現代かなづかい」の改定は,国民の大部分が「現代かなづかい」の下で育った世代となる20年後を期して行うのがよいという意見もある。
アンケートの言葉を取ってまとめてみると,以上のようなことになるわけである。あるいは取り方に趣旨と違う点があるかもしれないが,ここで紹介いたしたのは,なるべくお言葉のとおりに申したつもりである。詳しいことはまたお手元のそれぞれのお書きになったとおりの原稿のコピーの方を御覧いただければよろしいかと思うわけであるが,まとめて申してみた。
第5は,この仮名遣い委員会の御報告のまとめであるが,以上申したように仮名遣い委員会は「現代かなづかい」に関する基本的な問題,具体的な問題についていろいろな方面から検討を行い,さらに,これらの問題について広く審議会の各委員の御意見を聞いて,今後の審議の参考にするとともに共通理解を得ることに努めた。アンケートの結果では,各委員の意見の傾向は多くの点で大体一致しているが,問題によっては傾向の分かれているものもないではない。仮名遣いの問題は国民の文字生活の基本をなすものであるが,今期の委員会では成案を取りまとめるまでには至らなかったけれども,今期の審議を土台として今後慎重な検討が進められることを期待するものである。
以上,審議経過として御報告申し上げる次第である。
有光会長
どうもありがとうございました。
仮名遣い委員会では小委員会を設けて大変入念な検討が行われたように伺った。またアンケートについては,委員各位の御協力によって,御意見の趣を非常に詳しく,また的確に伺うことができて,大変有意義であったと思う。