国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 意見交換1

坂本会長

 ただいまの説明について御質問があれば,どうぞ御発言いただきたい。
 特に御質問がないようであれば,この日程(案)の冒頭にあるように,きょうの総会では,今後の審議の進め方などについて引き続き意見交換をお願いする中で,どのような項目を優先的に取り上げるか,どのような委員会を設置するかということを中心に御協議いただきたいわけである。
 さらに,例えば「言葉遣いに関すること」という項目,柱の中には,多くの小項目があるわけで,それぞれについて皆さんがどのようなお考えをお持ちかといったことまで当然お話が広がっていくのではないだろうかと思う。
 そういう問題も含めて,きょうは時間も十分あるので,なるべく多くの先生方から御意見をいただきたいと思う。どうぞ御遠慮なく御発言をいただきたい。
 前回御欠席になって,きょう御出席になった先生方お一人ずつ御発言いただくというのは,少し押し付けがましくて恐縮であるけれども,いかがであろうか。フリートーキングということでもあるので,どんなものかとも思うが……。
 けさ,どこの新聞であったか,日本語のいわゆる縦書きと横書きの問題にかかわりながら,縦書きの場合は必ず右から書くけれども,縦書きの場合に左から書くということも当然考えてしかるべきではないかという意見もあるという紹介があった。
 そう言えば,電車だかトラックだかの横書きは右から書いている。あれは,すれ違うときは右から読むと速いという理屈らしいのだが,そういう現実もあるように思うので,頭の中がこんがらがって,今度は左から書く縦書きもあるということになると,どういうことになるのかなという気がした。
 話のきっかけで余計なことを申し上げたけれども,どうぞひとつ御自由に御発言いただけたらと思う。

浅野委員

 それでは,前回欠席をした者として,最初に口切りをさせていただく。
 19期の国語審議会は,我々の能力の範囲内で知恵を絞って苦労はしたのであるが,終わってみると,なかなか楽しい審議会であった。私は運営委員会と問題点整理委員会にまで入り込まされて,苦労が報われたというのは,一つは,私どもには新聞用語懇談会という組織があるが,19期の審議の経過が反映したせいか,このところ国語に対する読者の関心が非常に高まってきているということを懇談会の委員の方々から伺う。皆様のお目にもとまっていると思うが,各紙にもかなり多彩な国語問題に対する投書が寄せられている。
 せっかく関心が高まったところで,20期の審議というのは大変だなというのが正直な感想であるが,内田長官が5点に絞られたのは大変結構な仕分けだと思うし,私ども新聞ともかかわりがあるので,この線に沿ってやっていきたいと思う。
 1番目の「言葉遣いに関すること」では,新聞用語懇談会の中に放送分科会というのがあって,1991年4月から最近までかかって,これはまだプリント刷りのものであるが,「放送で気になる言葉」というものをまとめてある。あしたぐらいに簡単なパンフレットになるので,きょうは間に合わなかったのであるが,これを読んでいると非常に面白い。放送で,アナウンサーの方々が非常に気にされていることを詳細にまとめたものであるから,「言葉遣いに関すること」の審議ではかなり御参考になるのではないかと思う。
 2番目の「情報化への対応に関すること」では,新聞界は,現在ワープロなどにおける漢字の字体の整理・統一の問題というところに関心が寄っていて,新聞界でやるか,あるいは国語審議会がやってくれるのかというところである。字体の整理・統一ということになると,我々の能力を超えてしまい,専門家グループの方々に御苦労を願わなければならないのではないか。
 そういう意味で,1番目の問題,2番目の問題というところを取り上げても,これからのこの審議会のやり方というのは,全体の皆さん方の討議と並行して,専門家の方々に御苦労を願わなければならない部分が混在していて,どうなるのかという私自身の見通しはなかなか付け難いというのが正直な感想である。
 簡単であるが,口切りということで,今のことだけ申し上げておく。

阪田委員

 前回お尋ねしようと思っていたことだが,例えば「言葉遣いに関すること」というふうに申したときに,「敬語の問題」というようにまとめることができればよろしいのだけれども,かなり個別的に考えていかなければならないことが多いと思う。今,浅野委員が「気になる言葉」をお出しになったけれども,かなり洗い出しをしていかなければいけないのではないかと思うが,いかがか。
 特に,教育の現場にいると,非常に細かいことなどは,一体どちらが正しいというか,標準的なものとして教えるべきなのか。例えば助動詞の問題など,何でも1個,2個と言うし,発音との関係もあるけれども,1階,2階,3階というのは「サンカイ」と言う方が多いし,このごろの方は,「三,四(サン,シ)」とはおっしゃらないで,「サン,ヨン分」とか「サン,ヨン軒」とおっしゃる。私なんかは非常に抵抗を感じるけれども,現場にいると,そういう非常に細かい問題がいろいろ出てまいるので,その辺の言葉の使い方の洗い出しというのはどいうふうにしたらよろしいのか。

浅野委員

 言葉が足りなかったかもしれないが,私ども放送分科会が最初にまとめた「放送で気になる言葉」のパンフレットは,1が「ら抜き言葉」,2が「敬語」,3が「助数詞の使い方」,4が「数字を含む語の読み」,5が「ことばの選択、用法など」,6が「和製英語、国籍不明の語」である。2回目にまとめたのは「乱用を避けたい言葉」というのが中心で,パートVは,「注意して使いたい言葉」「誤用に気をつけたい言葉」「読み方に迷いやすい言葉」という仕分けで総括をしてある。
 答えとして正しいものであるかどうかは別として,これは現場のアナウンサーの方とか,放送用語に関連している方々が集まってまとめられたものであるので,後で参考にしていただければと思う。

加藤委員

 前回の議事録を拝見いたして,私,小池委員,山口委員のいわゆる差別語問題のところが大変おもしろく重要な意見のように思うが,私の意見は『中央公論』の1月号に書いたので,ここでは申し上げない。
 前回の19期でも申し上げたのであるが,これは国語課長をはじめ事務の方に随分御負担になるかと思うけれども,この議事録の文章なるものが果たしてこれでよろしいのか。要するに,国語審議会の議事録は模範的な日本語で書いていただきたい。つまり,文部省内には各種審議会があるけれども,将来それらの審議会が国語審議会の議事録に準じてやろうやということになり,これがモデルになって議事録の表現方法あるいは漢字仮名交じりの原則のようなもの,日本の各省庁の審議会の文章などができるぐらいの気構えで作っていただきたいなと思う。
 前期にも申し上げたけれども,「国語審議会答申・建議集」を拝見しても,期ごとに,あるときは漢字,あるときは平仮名,一貫性が全くないのである。こちらの方は歴史的資料だから,それはそれとして,今申し上げたように,議事録などに関する限り,政府各審議会だけではなくて,これを目安にして議事録を作りましょうというぐらいのモデル的なものであっていただきたい。そんな感想を持った。

坂本会長

 なかなか手厳しい御発言で,その点,一番お粗末なのが会長じゃないかと思って,伺いながら頭をかいている次第であるけれども,笑い話は別として,まじめに,確かにそういうことは重要なことだなというふうに伺ったわけである。
 一応担当の方からの御発言もお許しいただきたいと思うが,いかがか。

韮澤国語課長

 これが模範となるかどうかは別として,基本的に,私どもは一応先生方の発言を正確に筆記して,表記についても,内閣告示等で決められたものに従っているというのが今のスタンスである。
 先生の御指摘の点は,具体的には,表記の問題であるのか,それとも文章の方であるのか。その辺,お分かりになるところを教えていただければと思う。

加藤委員

 今,表記の統一がとれていないということの事例は申し上げられないけれども,例えば最終ぺージに,坂本会長の御発言として「この段階で,そういう御発言があったことを,私が,それはと言って拒否するわけにはいかないだろうと思うから,言葉の問題として論議をする場は持つべきだろうとは思う。」これだけ取り出してみると何のことやら分からない。そういったようなことが散見するということである。

片倉委員

 確かにここだけを取り出すとそうなんだけれども,これは発言なさったものをこういうふうに表記なさったので,言葉を話し言葉と書き言葉に分けるとするならば,これは中間ぐらいの,どうともしようがない,あいまいな──しゃべったことが書き起こされてくると,私などは大変自己嫌悪に陥って,こんなくだらないしゃべり方をしていたかと思うのであるが,そういうものと比べると,これはなかなかよくできている方だと思う。
 こういうものが模範たり得るような状況になっているならば,国語審議会というのは要らないわけで,「ここに模範があるから,これで。」というようなことになるのではないかと思う。
 今の問題とも関連するが,私は,これは全くの素人の考えだとお思いになる方もいらっしゃるかもしれないが,日本語という言葉を三つに分けて考えてみたらどうかと思っている。
 一つは共通語としての日本語である。「共通」というときには日本国内だけではないので,このごろ,外国でも,オーストラリアのみならずエジプトとかシリアとか──カイロ大学なんかでは大分前から日本語教育がなされているし,いろいろなところで日本語教育がなされている。特に国際交流基金なんかが力を入れているわけであるが,そういうところも含めて,世界中で使われる共通した言葉としての日本語というもの。
 二つ目は,そこからは当然はみ出るであろうけれども,芸術的日本語というか,美的なもの。ついこの間,私は候文のお手紙をいただいたが,これはまたなかなかいいものである。こういうのを使っていた時代があるのかと思うと,うっとりするような感じであった。しかも,それはワープロで打たれており,候文を打てるようなワープロが出ているということを認識したのである。この中には作家の方もいらっしゃるが,そういうふうにそれぞれの美的センスとか,哲学的思索とか,いろいろなものと関係して出てくる日本語というもの。
 もう一つは,これは何と言っていいのか,どなたかお知恵のある方に教えていただきたい気がするが,「自由なる日本語」と言うとちょっと変なのだけれども,言葉は生き物でどんどん変化していく。若い人たちにしろ,老人にしろ,やはり自由勝手に使う日本語を規制するわけにはいかないだろうと思う。それはそれとして,その範疇(ちゅう)でやっていくということで,こちらの方は国語審議会はほうっておいてもいいのではないかと思う。
 例えば,そういう三つに分けて考えてみる。ここで考える場合に,その三つのことを一応頭に置いて,こんなに大勢では,先ほどから自由に話せと言われても,かなり強制されないとしゃべれないというのが日本文化であるので,小さく分けた方がいいのではないかと思う。ここに甲,乙と書いてあるが,甲,乙だと半分ぐらいで,半分でもかなり多いのではないかという気がする。世話をしてくださる方が,余りたくさん委員会ができてしまったのでは収拾に困るということなら,ニつぐらいでもいいかと思うが,ここにある言葉遣い,情報化,国際社会というのはどの言葉にも全部引っかかってくるので,もし分けるとすれば,新聞関係の方,作家の方,それからこういう文章をお書きになる方を中心にした書き言葉,もう一つは話し言葉──きっと放送大学なんかもそこに入るんじゃないかと思うが,放送大学は両方かもしれない。ともかく,話すというか,耳から入る方。耳と目に分けて考えてみて,それに情報化やら,国際社会やら,いろいろなものがみんな覆いかぶさってくるのではないかと思うのだが,そんなことをちょっと考える。

中西委員

 今,具体的なお話が出たので,引き続いて発言したいと思う。
 結論から申すと,既にあるのかもしれないけれども,国語審議会が機動力を持ったらどうかという提案である。例えば,一日国語審議会というのを前回やったということだが,これは私ども知らなかったので,多分19期が終わった段階ぐらいのところだったのであろうか。そうではなくて,この審議と並行してそういうものをしていただければ,そこからいろんな意見を吸い上げることができるわけである。つまり,この場だけ,あるいは委員会に分けてやるというのではなくて,そこに当然出席される方がいらっしゃるわけであるから,私ども以外の人たちの意見をより多く吸収することができるし,そういう方々にここに来ていただくとか,そんなこともできると思う。
 片倉委員の非常に具体的な御提案があって,大変前進するかと思うけれども,そんな機動性といったようなものをもう一回組織の上でも持っていただきたい。あるいは既にあるのかもしれないが,その辺はいかがであろうか。

韮澤国語課長

 先ほどの一日審議会というものは,実は今年度から予算が付いた新規事業で,今年度については,今中西委員がおっしゃったとおり,夕イミングの問題もあって,19期の審議会が終わった後,10月から11月にかけて全国4か所で実施したということである。
 また,平成6年度についても同様の形で実施したいと思っている。今度は,審議会も動いているので,審議会の先生方の御指導も得ながら,どういう形がいいのか,その辺りはまた御相談をしてまいりたいと思う。

中西委員

 大変よく分かった。期待いたしている。
 もう一つ,大変具体的な話になるが,その機動力というのはかなり予算を伴うと思う。一日審議会をしないまでも,今度は莫(ばく)大な調査が必要だろうと思う。ここには専門家の方々がたくさんいらっしゃるわけであるから,その方々の知識なり御意見なりがデータになることはもちろんであるけれども,それ以外に,例えば「ら抜き」にしても,どれぐらいの世代,どれぐらいの範囲で,それが行われているとか行われていないとか,そういうような調査も非常に大事だと思う。
 私は,京都からここへ参る途中に,この審議会の予算はどうなっているんだろうという要らぬ心配をしてまいったのだけれども,長官,その辺はたっぷりと裏付けがあるのか。(笑声)

内田文化庁長官

 予算というのはたっぷりないのが文化庁であるけれども,今御指摘の点については,文化庁そのものがやるというよりも,大学の方がやっている調査,うちの方の国語研究所が既にやっている調査,いろいろ利用させていただき,なおかつここに御出席の先生方にいろいろ御示唆をいただくというのが中心である。
 しかし,これがこの期の課題を解決するためにどうしても必要な調査だということになれば,また別途何か考えたいと思う。あるいは科学研究費などを使ってグループを結成することも可能だと思う。
 いずれにしても,具体的にどういうことが必要であるかという御指摘,御提案をいただければ,できるだけ御要望に沿うように努力するつもりである。

福原委員

 前回欠席した福原である。三つほど申し上げてみたいと思う。
 一つは,先ほど浅野委員から,言葉遣いに対して大分関心が出てきて,それが新聞の投書なんかにも見られるというお話であったが,確かに第19期の答申がいろいろ報道されて,言葉遣いの中でも,特に敬語の使い方というものに若い人の関心が集まって,それ以前に比べれば国民全体の言葉に関する関心は盛り上がったと思う。
 しかし,私は,欧米の諸国に比べると,国民一人一人の自分の国の言葉というものに対する重要性の認識,関心は,まだ低いレベルにあるのではないだろうかというふうに感じるわけである。1億何千万人の国民の中で,ここにいらっしゃるような本当のスペシャリストが一生懸命議論しても,それが一般に広がっていかなければ,さらにそのフォローアップがないと,何にもならないんじゃないかというふうに感じるわけである。
 例えば,先ほど「サンガイ」か「サンカイ」かというお話もあったが,そういう話が,事務所の中でも,学校の中でも,あるいは家族の中でも出るような社会を作るということも,ーつの目標ではないだろうかというふうに私は考えるわけである。
 そうすると,それは一審議会の問題ではなくて,文化庁あるいは文部省のそれに対するPRというか,教育を通じてそういうことをするということになるか,そういう問題があろうかというふうに考えている。
 さらに,ここにいらっしゃる委員の皆様方は大変なネットワークをお持ちの方々ばかりであるから,この方々に,そのネットワークを通じてそうした関心を盛り上げていただくとか,新聞に記事を書かれるときにそういう話題の一つも取り上げていただくとかというようなことは,大変大きな力になってくるのではないだろうかと考えるわけである。
 第2には,今の国語に関する関心ということで,食品関係の雑誌にこういう話題が出ていた。例えば,「光合成(コウゴウセイ)」と言うと何を言っているのか分からないので,これは「ヒカリゴウセイ」と読んだ方が学生には分かりやすいんじゃないかというような問いかけ,それから「白米(はくまい)」という言葉がありますが,一方,野生のお米が今注目されていて,それは「赤米(あかごめ)」と言われているが,「白米(はくまい)」に対して「赤米(あかごめ)」と呼んでいいものだろうかどうだろうかという問いかけもある。
 こういうことがいろんな世界で行われているということに対して,一つの指針を与えることも大切ではないだろうかと考えるわけである。

福原委員

 3番目は,中村専務理事がいらっしゃるのであるが,NHKの国際放送審議会で,NHKの国際放送に対する視聴者の感想が配られた。その中で,ブラジルにいらっしゃる在留邦人の方がNHKの短波放送を聞かれて,「立て板に水の早口のアナウンサーにはとてもついていけない」とおっしゃっている。もちろん,これは短波放送のためにフェーディングがかかるということもあるという御説明があったけれども,放送の中で,早口のキャスターに人気のあることも事実であって,きれいで正確な日本語をゆっくりしゃべる方が,もう少し出てきてもいいんじゃないだろうかと考えるわけである。
 例えば,英国のサッチャー前首相の英語を聞いていると,英語というのは余りきれいな言葉の中に入らないということを聞いたけれども,英語が分からない我々でも,彼女の英語は本当によどみがなくて美しい英語であるということを何となく感じるわけである。
 特に,放送関係の方々に,そういう努力をしていただくと有り難いなというふうに考えている。

坂本会長

 お話の半分ぐらいは放送の話になって,こちらが御答弁するのにいささかたじろぐ次第であるけれども,おっしゃることは大変大事な御指摘ではないだろうかと思った次第である。
 私事を言って恐縮であるけれども,昔のラジオ時代は,本当に言葉だけで伝えるということで,話し言葉とか,しゃべり言葉とか,言葉にはかなりみんな神経を使ったと思う。ところが,テレビになって絵が映るようになり,顔が出るようになりということで,表現の伝達が複雑になってくると,言葉の点についての認識が少し弱くなっている点があるんじゃないかなと思わないでもない。
 この間も,NHKのテレビを見ていたら,何の番組だったか,これからいよいよ始まるという時に,「これから幕開け」と言うわけである。芝居用語だったら「幕開き」で,我々は「幕開け」とは絶対言わないのに,「幕開けです」と大きな声で言われて,がっくりきた経験を持っている。芝居用語で言えば「幕間」を「マクマ」と言うような一例もあるけれども,御指摘の点は,確かにもうちょっと勉強しなければいけないんじゃないかなと思う。その方のベテランの山川委員がいるから,これ以上余計なことを言うと,こっちが御用になっちゃうから……。(笑い)
 大変核心を突いた御指摘かと思うので,予算を伴うことには事務局が多少ナーバスになるかもしれないけれども,考えるところは考えていただいたらどうかというふうに思ったわけである。

服部委員

 私は雑誌・書籍の方の代表で出ているわけであるけれども,書籍の方はそれほどでもないが,言葉の乱れといったものの原因の一部はテレビの娯楽番組や漫画にもあると思うが,一方で,ギャグ漫画などは,これを否定していったら面白くなくなってしまう。だから,子供たちのいろいろな新語や何かというのは,こういうところから相当発生しているのではないかなと思うわけである。
 これから言葉遣いの討議を進めていく上において,こういうところの取扱いというか,これはこれで別だというふうに割り切ってしまえばよろしいんだけれども,そういう点もひとつ考慮に入れて,いろいろとやっていただければいいかなと思っている。
 我々雑誌協会の方にも国語についての委員会があるし,書籍協会にもある。恐らく両方併せてもなかなか意見は合わないだろうと思うけれども,いずれ両方集めて意見も聞いていくようにしたいと思っている。
 それから,さっき加藤委員もおっしゃったけれども,遠慮語というか,差別語というか,古いものを扱ったり,いろんなことをしていると,この問題がどうしても出てくる。扱う者として,「差別」語はなくしていかなければならないと考えているが,今のままで良いと,ほうっておくわけには行かないんじゃないかと私は思う。このままでは,表現そのものもおかしくしてしまう。筒井康隆さんの「断筆宣言」などもきっかけに,今まで以上に,真剣な討議がなされてきている。こういうようなことも念頭に置いて,議論を一層深めていってもらいたいと思っている。

坂本会長

 後段で御指摘になった差別用語とか遠慮語とかいうのも,なかなか難しい問題で,どうしたらいいのかと思うけれども,やはり何らかの形で検討するということになるか,そこら辺のところが難しいところだなというふうに思ったわけである。

斎賀委員

 先ほど阪田委員がおっしゃったが,言葉遣いに関しては,細かい一々の言葉の洗い出しをどうするかというのが一番大きな問題になってくるように私も思う。
 その方法というか,手掛かりの一つとしては,我田引水めくので恐縮だが,文化庁が毎年出している「言葉に関する問答集」の第20集がこの3月に出るから,もう20年たったわけだが,あの中には一般の国民の方が迷われる,言葉のゆれの例はほとんど取り上げているのではないか。
 例えば,小さな問題と言うと怒られるかもしれないが,先ほど会長がおっしゃった「幕開き」か「幕開け」か,あるいは「幕間(マクマ)」か「幕間(マクアイ)」かというのも既に取り上げている。そういうものから拾っていって,なるべく広く国民の各層にかかわりの深いものから,重点的に取り上げていくという行き方があるのではないかと思う。
 例えば,「ら抜き言葉」などは,先ほど第一に浅野委員が挙げられたが,避けて通れないかもしれない。
 それから,細かくなるかもしれないが,私が「ら抜き言葉」以上に今気になっているのは,「あげる」と「やる」の問題である。「鶏にえさをあげる」「ヒヤシンスに水をあげる」と,動植物の場合はまだ考えやすいかもしれないが,「うちの子は今度三つになるんですけれども,どんなおもちゃを買ってあげたらいいでしょう。」というようなことをカウンセラーの先生に言う若い人がいる。特に関東の女性に多いと私は思っているのだが,そういう「あげる」と「やる」というのは非常に難しい。
 つまり,昔どおりに謙譲だと考えれば,おかしいということは言えるのだが,「あげる」が謙譲の意味を失って丁寧語になり切っているとすると,あながち責められない。これはいろんなところで問題になるケースではないかと思う。それもたしか問答集の中に大分昔に取り上げたことがあったと思うが,そういうものの中から拾っていくというのが,具体的な一つの手掛かりになりはしないかと思っている。

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