国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会の審議状況について

坂本会長

 続いて,本日の議事に入らせていただく。
 前回の総会では,第1,第2の両委員会からそれぞれの審議状況についての御報告を伺ったわけであるが,本日は,両委員会の発足以来,今日まで行われた論議の概要について御報告を伺い,それをめぐって御協議を願いたい,そういうことを予定している。
 それでは,まず第1委員会の御報告を野元主査からお願いしたいと思う。

野元(第1委員会)主査

 これまで第1委員会は9回会合を開いた。その論議の概要について御説明申し上げる。
 概要は資料1としてお手元に差し出してあるので,ここではその内容について,かいつまんで説明申し上げるという形にする。資料1を読む形で御報告すると,時間が足りなくなると思うので,資料1は各自お読みになりながら,併せて,その説明ということで私の話を聞いていただきたいと考えている。主として,前回3月14日の総会以後に変わった点について申し上げる。
 主な考え方としては,前回までは意見の羅列といったようなところがあったけれども,これを多数あるいは有力意見によって整理するということを行った。これによって,今期国語審議会報告書に向けてまとめの段階に入ったということになるかと思う。しかし,中にはこういう意見もあったということで,羅列部分を残しておいたものもある。
 1枚目の1の(1)については,前回と余り変更はない。
 2ぺージの(2)については,今までは4項目を○でまとめていたけれども,今回の概要では○を全部やめている。最初のところは,第1委員会と第2委員会,双方の委員会の論議にかかわり合うところである。第2のパラグラフの「また」以下は,中西委員の御意見によってここに入っている。第3パラグラフは,第19期の国語審議会でお決めになったことである。
 次に,2の見出しのところは少し長くなったけれども,平明,的確で,美しく,豊かと,四つ挙げてある。これは四つ挙げるべきであるという意見が多いようであったので,今回はこのようにした。前回までは,「美しく豊かな」という二つだけだったところである。
 (1)の(ア)は,前回は平成4年度の世論調査のことが出ていたが,今回は,新しい世論調査の結果を援用するということになるわけである。この考え方からすれば,どんな程度かは別として,審議会として何らかの独自の結論を出しても差し支えないということになろうかと思う。
 (イ)は,「乱れ」とか「ゆれ」ということについての考え方を書いてあるが,最後のところで,「ゆれ」のうち,一つを標準形として認めることの難しさを述べている。これは,私も度々申しているように,人それぞれの言語観,ひいては世界観によるところが大きいのではないかと思う。
 (ウ)は,今回新しく作ったものだが,四つの項目,「平明,的確で,美しく,豊かな」ということについて述べている。
 3ぺージに行って,(2)のところであるが,「言語環境の整備について」は,基本的には今までと余り変わっていない。
 5ぺージの(3)は方言の尊重についてであるけれども,ここは前回と内容的には同じである。
 5ぺージの一番下からは3になる。3の(1)についても余り変わっていない。
 (イ)の「言葉遣いの標準についての判断基準等」というところだが,前回は,ここは(2)の「言葉遣いの標準の在り方について」で,その中の終わりの方にあったのをここに持ってきたものである。(イ)の「また」以下は今回付け加えた。
 その下の(2)であるが,これは今回の世論調査の結果を付け加えた。また,第2パラグラフで,必ずしもその結果のとおりにしなくてもいいということを述べている。第2パラグラフの主な点については,前回もそっくり同じことが述べてあった。「次のような意見があった」というところ以下は,紹介が主である。
 (ア)は,そのまま前回にもあったが,前回は,その後に「具体的にどのような言葉遣いが適切かということは,むしろ個々の日本語の使い手が自ら判断すべきことではないか」とあったのをカットして,第2パラグラフは別のところから持ってきた。
 それから,第3パラグラフ以下,(イ)のところも含めて,内容については変わりないけれども,記述の順序は人れ替えてある。
 「「これからの敬語」に代わるものを示す必要があるのではないか」というのは,今期の国語審議会が敬語について論議をしているということがある程度周知のことになってしまった以上,何もこれに触れないということは,論議の結果,触れなくてもいいという考えに到達したというように受け取られるおそれがあるということになる。昭和27年の「これからの敬語」は,その名にもかかわらず古くなっており,現状に合わない点が多くある。
 さて,その「敬語の問題について」が,7ぺージの4のところから始まる。
 (1),(2)は,前回の概要とほとんど変わりない。
 8ぺージになるが,(3)の(ア)は,今回世論調査を実施したこともあって,世論調査の数字をまず出して,昭和27年の「これからの敬語」のことはその後になっている。これが前回は順序が逆になっていた。主として,三つ目のパラグラフにあるようなことを今期の第1委員会は論議をしてきた。そこで,これについて総会のお考えをお示しいただければ幸いである。
 (イ)の第1パラグラフの最後は,前回は,上下関係の視点をも「含めるかということになるのではないか」と,多少あいまいだったのをややはっきりさせる形でこのようにした。
 女性の言葉のところでは,「指摘された」というのは,「これからの敬語」において指摘されたということである。この項目については,簡素化とは言っても,男女の言葉が同一になることを必ずしも意味しないということが前回は述べられていたが,今回はこの部分はカットしてある。
 (ウ)では,場面とか呼応という問題が非常に重要であるということを指摘している。
 9ぺージに入る。(4)の(ア)の@,Aは,世論調査のことを除けば前回と同じ内容になっている。
 Bの「敬称」のところでは,最後のところは,前回は「性により敬称が使い分けられることがあるのはいかがなものか」とあったが,今回はこのように少し方向を出している。
 Cの項目については,方言的な差異もあるようで,例えば東北方言では「自分たち」のことを「わたしがた」といったようなこともあるようである。

野元(第1委員会)主査

 D,Eは,文末表現を少し変えた。
 Fも文末を少し変えてある。「おっしゃる」などの形も,非常に特殊なもの,例えば「寝る」ことを「およる」というような,そういうものを除けば使ってもよいのではないかと考えているところである。
 Gでは,私などの世代では「形容詞+です」には心理的な抵抗感が多少あるが,「形容詞+でした」は,「形容動詞+でした」,例えば「丈夫でした」というものとそろえるという点では有利ではないかと思われる。
 Hで「日本人のあいさつが画一的」と言っているのは,例えば,国立国語研究所がドイツのドイツ語研究所と共同で調査したところでは,朝のあいさつでは,日本人は「おはよう」とか「おはようございます」が主であって,その他のものを加えても300人の被調査者の中から8種類しか出てこなかったけれども,ドイツ人の被調査者の場合,同じ人数から55種類のいろいろな言い方が出てきているというような例がある。
 (イ)の@については,言葉以外の面もあって,国語審議会として何らかの考えを示すことができるのかどうかということについては,考えなければならないのではないか。
 Aは前回と余り変更はない。
 Bの最後のところは,前回は「内容が空疎になる傾向があるのではないか」とあったのが,今回はここに御覧になるような形に変わっている。
 Cは,世論調査の結果が組み入れられている。「おる」という言葉については,方言的な違いも影響しているのではないかと思う。
 Dは,「やる」か「あげる」かという問題である。先ほどもあった世論調査の結果を入れた点が少々違っている。この結果によると,先ほどもお聞きになったように,「あげる」は一般に言われているほどは多くないように思われる。しかし,一面,このような調査では反省的と言うか,あるいは建前的な意見が出やすいということも考慮に入れるべきではないかと思う。
 (5)は,二つ目のパラグラフを少々改めた。前回は,高校生には敬語が使えない者が多い状況にあるということから教育の問題に入ったわけであるが,今回は「適切なコミュニケーション」という考え方から教育に結び付けるようにした。
 (6)は,日本語教育における敬語の問題であるが,前回は,「敬語についての明確なよりどころが存在しない」というのは入っていなかったが,ここに新しく入れた。
 これで4は終わって,11ぺージの下,「その他」のところに入る。
 (1)の(ア)は,「ら抜き」についてであるが,述べてある順序は少し入れ替えてある。第2パラグラフはこれへの容認論ということ,次のパラグラフはこれへの反対論という形でまとめてある。この反対論の中に世論調査の報告が出ている。
 次のパラグラフは,この反対論によって国語審議会はどうすべきかということに触れている。前回は,「「ら抜き」を使う人のほとんどが本来は「ら」が入ることを知らないのが問題である」ということが書いてあったけれども,事実はそうでもないだろうと考えて,今回はその部分をカットした。
 Bでは,方言と関係があることを述べている。また,リズムとかスピード感があるというようなことが書いてあるが,これは容認論の一部を成すものと思う。
 (イ)の「若者言葉」については,前回の二つの意見をここでは一つにまとめてある。
 (ウ)は,@,Aは変更ないが,Bは「三階」について記述を追加した。(4)は変更はない。Dは,前回は「指摘しておく方がいいのではないか」としていたものを,今回は御覧のように改めてある。
 Eは,「助動詞「ない」+すぎる」の場合と違って,「形容詞「ない」+すぎる」の場合は,「さ」を入れる方がむしろ普通ではないかと思う。例えば「思慮がなさすぎる」などというように,この場合は「さ」を入れるということになるかと思う。
 Fは,前回は「日本語の造語力として認めるべきではないか」とあったのが,今回,ここにあるように多少穏やかな表現になったのは,前回は意見の羅列であって,意見のうちの一つをそのまま書いたのを今回は改めたから,こういうふうに柔らかになったのかと思う。
 Gについては,今回は「どの程度まで認めていくかの判断が難しい」という文言が付け加えられている。
 Hは,内容的には前回と変わらない。
 (エ)も前回と同じである。「トラブる」というのが省略形であるのかどうかということは意見があるかもしれないが,「アポ」というのは下を省略した語で,今,我々の語彙(い)になってしまった「ポア」というのとは関係ない。
 (2)の(ア)はアクセントについてである。前回には「放送等では共通語アクセントを用いることが望ましいといった考え方や方向を示し」と言っていたが,一つ一つの具体例を網羅的に挙げるということは大変難しいからかと思う。なお,アクセントは変化が激しいものなので,一度網羅的なものを作ってしまうと,後は改定の作業が大変になるかと思う。
 (イ)については,東北地方では,鼻濁音とそうでないものとが音韻論的な対立をしていることから,ここに書いてあるようなことが言えるわけだと思う。
 (ウ)については,「ロ腔(こう)内の構造にも関係があると言われている」とあるが,なお医学的,解剖学的な検証も必要であろう。もっとも医学的というようなことになると,ここは「コウクウ」と読まなければならないということになるかと思う。
 (エ)のところは前回と全く変わっていない。
 以上で,第1委員会における論議の概要についての説明を終わりとするが,今までの議事要録をお読みになって,第1委員会の報告はどうもよく分からないというつぶやきが私のところにも聞こえてきたので,議事要録をお読みの際には,その時の資料をわきに置いてお読みいただくよう僭(せん)越ながらお願い申し上げて,私の概要への説明を終わりとする。

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