国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 議事要録の公開について

坂本会長

 次に,議事要録の公開について,まず,事務局から御説明をお願いしたいと思う。

大島国語課長

 それでは,御説明を申し上げる。
 冒頭申し上げたけれども,現在お配りしてある資料2のとおり,平成7年9月29日に閣議決定されたことを受けて,国語審議会における対応を御検討いただきたいと思う。
 資料2の閣議決定の4であるが,「審議会等の公開」という部分がある。2枚目の(1)に,「審議会等の具体的運営は,法令に別段の定めのある場合を除き,当該審議会等において決定されるべきものであるが,一般の審議会は,原則として,会議の公開,議事録の公開などを行うことにより,運営の透明性の確保に努める。」,――このような記述がある。
 現在,国語審議会においては,総会を公開,そして議事録を任期終了後に公開とお決めいただいているところである。したがって,私どもで議事録を刊行し,市販をするというふうな処理をしているが,従来の例を見ると,御報告をいただいてから最低3か月ぐらい掛かっているという状況である。
 今回の閣議決定の趣旨から,議事録の公開については速やかに行うことが求められているわけであるが,お決めいただいた取扱いによると,相当の時間が経過してしまうという問題もある。
 そこで,本日の総会の議事要録について,私どもの一つの案としては,事務局の方で速記録から議事要録を起こして,会長に御覧いただいた後,暫定版――これは「文責事務局」という形で,例えば「速報のために爾後修正の可能性あり」というふうな断りをした上で公開をしてはいかがか。そして,その際に,御意見に当たる部分の発言者名は伏せることとして,その後,先生方に郵送させていただき,御確認いただいた上,確定版として公開する。かような扱いにしたいと考えているが,御検討をお願い申し上げたいと思う。

坂本会長

 ただいま事務局から検討の依頼のあった件についてであるが,第1回総会において,任期終了後に議事要録を公開することで御了解をいただいたところである。また,毎回の議事要録については,次に開かれる総会において確認の手続をとっている。
 そこで,9月29日の閣議決定を受けて,本日の総会の議事要録の扱いであるが,まず暫定版を「文責事務局」として公開し,次に,個々の委員に御覧いただいた後,確定版として公開するという案である。そうさせていただきたいと思うので,御了解をいただきたい。
(異議なし。)
 まだ時間があるので,これまでの審議の御感想や次期以降の審議についての御要望などをいただければ,記録にとどめて,後日の参考にさせていただけると思う。積極的に御発言いただけたらと思うが,いかがであろうか。どうぞ御自由に御発言をいただきたい。
 先ほど会議が始まる前に,片倉委員が江藤委員とかなり積極的な御発言をなさっておられたようにお見受けしたけれども,こういう機会であるから,指名するのは大変失礼かとは思うが,いかがか。

片倉委員

 それでは,御指名なので一言申し上げる。
 一番大きな問題は,これから先,恐らく国語か日本語かということになるだろうと思う。国語審議会では,国の言葉としての日本語を議論したわけであるが,現在,地球上いろんなところに日本語が飛び火というか,広がっていて,私がよく行くエジプトのカイロ大学を卒業して私よりも立派な日本語をしゃべる人がいるし,ヨルダンやらあちらこちらに日本語学科ができているということである。そうすると,世界の中での日本語はどうあるべきかという議論をこれから重ねていかなくてはいけないんではないか,そんなことをずっと考えながら,国語審議会に参加させていただいていた。

坂本会長

 ありがとうございます。
 おっしゃる点はそうだなというふうに,今伺って私も思ったわけである。
 私,けさ新聞を開けたら,NHKのテレビ放送のスケジュールが書いてあるところ,夜のところに,オウム真理教の話と並んで国語審議会の「ら抜き」の問題がテーマに挙げられているんで,正直言って,NHKというのは私の卒業したところなので,うーんとしばしうなったような感じがある。確かにおっしゃるように,言葉,国語,日本語というのは大変な存在になったんだなというふうに認識しており,国語審議会会長としては,「ら抜き」ばかり取り上げられることに,誠に忸怩(じくじ)たる思いをしているところである。
 ほかに,せっかくの機会であるから,山川委員,いかがか。

山川委員

 情報はいろいろあるけれども,今我が国では情報が偏りがちで,国語審議会というのは「ら抜き言葉」しかやらないのかというくらい必ず見出しになっている。
 ここでは随分いろんなことを話し合ったけれども,次期は,まず言葉の源というか,人と人の心が通い合うあいさつというところから,本当に根本からスタートして,一体そういうことは家庭でどういうふうにやっていったらいいかとか,あいさつから始まって,小さいうちからだんだん言葉に関心を持っていくという,そういう状況はどういうふうにしたら作れるか,もう少し具体的な話がどんどんアイデアとして国語審議会で出てくるとすばらしいと思う。
 きょうの答申を決してとやかく言うものではなく,すばらしいものだと思うけれども,雑談的にでもいいから,もう少し具体的な話も欲しいなというふうに感じた。

吉村委員

 先ほど野元主査をはじめ皆様から言われたが,「ら抜き言葉」のことがあって,今度,マスコミでも事前に国語審議会についてかなり取り上げられたと思う。その意味で話題を提供したと言われたが,正にそのとおりだろうと思う。
 今度の報告は,私自身は非常に良識に満ちたバランスのとれたものだと思っているけれども,これまで事前にマスコミに取り上げられた論調を見ていると,いささか保守的ではないのか,それは委員が半分以上60代だからであるというような意見が冷やかしぎみにあちこちに出ていた。この問題について会長をはじめ皆様方の御意見を伺わせていただければと思う。

坂本会長

 思いも掛けないところで厳しい御発言をいただいて,いささか当惑しているが,おっしゃるように,若い人たちの言葉遣いはこの審議会でも問題になった点が多々あるように,私自身自分の家庭を振り返ってみて,自分の孫がこんなことを言うのかと,しばしば驚かされることがある。
 しかも,私の孫は,娘の方も,せがれの方も今アメリカのニューヨークにいて,会話をするにしても,夜中の一番安い時間帯に電話を掛けるというしきたりにしているので,言葉遣いを私なりに教えるということは現実問題としてなかなかできない。それに,ニューヨークとかそういうところで,日本人同士でどういうふうに会話しているのかも分からない。そんな状況で,言葉の問題というのは,ある意味では一番大事なことなんだけれども,いささか手を焼いているという状況じゃないかと反省したりしているわけである。
 そういう点から,私をはじめ審議会委員が老人すぎるんじゃないかという御指摘は,ある意味で文部当局でも十分お考えになっているだろうというふうに思っているので,次期の第21期以降の審議会にひとつげたを預けると言うと,言い方がいささか品が悪いけれども,げたを預けたいなという感じである。
 答えにならなくて申し訳ないけれども,御了解いただけるであろうか。
 私が大学を出て生活をしていたころは,電波はラジオしかなかったのが,テレビも加わり,白黒がカラーになり,衛星放送も始まるというように,本当に手段が多様化した。新聞社の方にはまたおしかりを受けるかもしれないけれども,新聞というのは,ジャーナリストとしてはラジオ・テレビと違う一つの見識と基盤を持っているんだという多少身構えた目つきで我々を御覧になっていたと思うが,最近の新聞は,「きょうの夕刊はありません。」とか,あしたは何だとか,休刊ばかり多くて,休刊のときに不思議と大きな事件がある。そして休刊が明けたときは自分のことのように書き立てるんで,何言っているんだ,おれのところはもうやったんだという後から来た者の一つのひがみ根性があって,新聞ジャーナリストに見えを切ったりしている。
 笑い半分に申し上げてはいるけれども,こういう手段の多様化というか,売り手とメディアの在り方が,ある意味では言葉遣いとか国語に大きな影響を与えていて,いろんなおしかりを受けるような言葉遣いが案外ラジオとかテレビとかいうところから発生しているということも言われかねない点もあって,頭が半分は痛いというのが現状である。
 そんなことも踏まえて,また,多少時間もあるようだから,おしかりを受けることがあったら御発言いただけたらと思うが,いかがか。
 江藤委員,いかがか。江藤委員にはしかられっぱなしだったから,この際……。

江藤委員

 第20期の報告が文部大臣に提出されたというので,私も多少の感慨がある。というのは,私は多分これでお役御免になるだろうと思うので,老兵は死なず消え去るのみと言っておけば一番格好がいいけれども,17期から8年国語審議会の委員を務めてきた。
 最初は,「外来語の表記」の問題,ずっと前からやっていた表記問題の積み残しを処理し,19期から心機一転で,20期には新しく大臣の諮問をいただいたというわけである。したがって,20期の審議経過報告というのはなかなか大事な文書であろうと思う。これに基づいて21期以降の審議がなされていくという,ちょうど折り返し点の道標のようなものになるだろうと思っている。
 それにしても,考えてみると,この審議経過報告の中にもあるように,昭和27年に「これからの敬語」というのが出ている。昭和20年代に「これからの敬語」というのをやったわけで,「これからの敬語」が平成7年まで一応ずっとある標準になってきたのであろうが,ここで新たに敬語についてはどういうふうに考え直すか,考えを広げていくか,そういうことが提起されているわけである。
 この審議会はずっと続いているけれども,その歩みは非常にのろいという感じが私はする。人生も余りないと思うせいかもしれないが,老兵には老兵の感慨があって,こんなにゆっくりやっていていいものだろうか,もう少ししゃきっとやったらどうだろうか。課長もしょっちゅうお代わりになるし,大臣もお代わりになるし,お役所の担当の方もいろいろお代わりになって,そっちのぺースは割合順当にいっているように思うけれども,審議の方は,ほかの審議会はどうなっているのか知らないが,もうちょっとずばずばとやれないものかという感じがしている。今までは非常に優雅に,やや緩慢にやってきたのかもしれないが,世の中も地震があったりして大分動いているから,21期以降は多少ぺースを速め,かつ,ずばりずばりと遠慮なく御議論をいただいて,正しい国語の在り方をお示しいただきたいと祈っている。

坂本会長

 どうもありがとうございました。
 大体とどめを刺されたようである。以上,いろいろ貴重な御意見を伺わせていただいてありがとうございました。
 それでは,これをもって第20期国語審議会の審議を終了させていただきたいと思う。
 これまでの委員の先生方の御協力に感謝申し上げ,本日の総会はこれをもって閉会とする。(拍手)

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