国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 協議1

清水会長

 どうぞ御質問,御意見を伺わせていただきたいと思う。
 また,先ほど第1委員会の方で言葉遣いのお話もあった。まず,第1委員会の方で,何か御意見があったら伺いたい。

片倉委員

 大変いろいろとよく御議論くださって,感心しながら聞かせていただいたが,第1委員会の方で,3ぺージの下のところであるが,確かにこのとおりで,「平明,的確,美しく,豊か」というのは,大変平明で,的確で分かりやすいが,「豊か」というのは,いろいろなふうに取れるような気がするので,ちょっと具体的に御説明いただければ有り難いなと思う。
 それから,本筋とはちょっとずれているのかもしれないが,さっき北原主査が大変うまく説明してくださったが,「させていただくという表現はいけないそうですが」とおっしゃって,これは低姿勢だということだった。そうすると,私なんかもいつも低姿勢で話しているのかなと思うが,これはいい表現ではないということになったのか。ちょっと余計なことかもしれないが,教えていただきたい。

北原(第1委員会)主査

 「平明,的確で,美しく,豊かな言葉」というのは,実は第20期の審議経過報告の最初,「言葉遣いに関すること」の1の「基本的な認識」のところに「平明,的確で,美しく,豊かな言葉の重要性」という柱を立てている。これはもとをたどると,昭和47年の建議までさかのぼるわけであり,それを書かせていただいたと言うと余りにも主体性のないことであるが,今,文化庁では,確か「美しく,豊かな言葉をめざして」というシリーズのビデオも作ったりしているようで,釈迦(しゃか)に説法であるが,貧弱でない,いろんな言い方を持った国語というようなところ,そんなのが一つだと思う。
 それから,「させていただく」については,私,主査の立場なので,軽々なる発言は控えさせていただく。

片倉委員

 私はちょっとサボりぎみなので,出てきたときだけ一生懸命頑張って聞かせていただいているが,今の「豊か」というのは,例えば,先ほど第2委員会の方で御報告があったいろいろな漢字の書き方――「籠」なんかにしても,微妙に異なる様々な字形が出てきたり――そういうふうなものもみんな含めて,いろいろなものがあるのが「豊か」というような意味合いもあるのか。

北原(第1委員会)主査

 その辺は,二つの委員会にわたることなので,私がお答えしていいのか,会長さんがお答えするのか。「平明,的確で,美しく,豊か」ということで,多くの言い方があればいいということではないだろうが,平明で,的確で,されど貧弱ではないというような,そういうことだろうと思う。多分に昭和47年以降のうたい文句という点があるかもしれないが,豊かな言葉遣いというのは,私はいろんな表現が使えるというようなことではないかと理解している。
 これでよろしいか。余り答えになっていないかもしれない。余りにも基本的なことを突かれて……。

片倉委員

 感じではもちろんよく分かるし,私なども本当にこのとおりだと思ってはいるけれども,この審議会では,これを審議会答申として国民に発表するときには,できるだけ具体的に,敬語なんかにしても「美しく豊かな敬語を」と言ってもよく分からないので,先ほどの「させていただきます」なら,これはちょっと丁寧過ぎてかえって不適切なので,こういうふうにすべきだとか――特に敬語に関しては,私ども学生を相手にしていると,学生はめちゃくちゃな敬語を使っていたり,敬語を使わなかったりするが,そのときにこちらがきちんと具体的に指導してやる必要があるわけである。そういったことを少し気にしていただくと,私どもとしては有り難いと思う。

江藤副会長

 今,具体的にというお話があったので,少し具体的なことを言おうかと思う。
 まず,「第1委員会における論議の概要」の1ぺージ目に枠が書いてあって,その中を拝見すると,Vのところは何も書いていないので,恐らく今期は,Uの一番下の「付 敬語の教育」というところまでであろうというお見通しなのだと思う。
 したがって,今,御質問の出た「平明,的確で,美しく,豊か」というのも,この段階では,そういうものだというふうに理解できるのではなかろうかと私は思う。
 したがって,V以下は第22期に審議を尽くされることになるのであろう。今期は,この辺でおとどめになるのが時間的な限界でもあり,また主査の御配慮もあり,いろいろなことに伏線を張っておられるような感じもするので,私は今期はUまででおまとめになるのは適当であろうかと思う。
 そこで具体的な方であるが,Vに移って,来期になったら,是非皇室敬語についてどう考えるかということをお考えいただきたいと思う。
 ちょうど今の字体の問題で,読売書体,朝日書体,あるいは印刷局書体等々,いろんな書体が出てきたように,放送あるいは新聞等で,「天皇陛下が行った」というふうに書いてあるところがあるし,「天皇陛下が行かれた」と書いてあるところもある。「皇太子殿下が国体に行った」と書いてあって,同じ新聞の別のぺージに「ダイアナ妃は何々された」と書いてあるわけである。つまり日本の皇室のみならず,外国の君主,元首というような人々に対して,我々はどのような敬意を表するべきなのか,あるいは表さないでおくべきなのか。
 新聞の場合には,社の方針ということもあろうから,君主も人間である,人間に敬意を表すのはそのときだけでいい,顔を見たときだけでいいと考える新聞があっても不思議はないので,その代わり,これは絶対に敬意を表さなければならないと考える新聞があってもいいと思う。
 問題は公共放送である。NHKで,途中まで皇族に敬語を使っていて,途中から普通の人に対するような言い方になってしまったというようなことが「7時のニュース」か何かであり,そのことがどこかの新聞か何かで指摘されたことがある。
 現在の言語生活を考えると,学校における教科書と常用漢字,1945字プラスアルファは大変大事であるけれども,同時に,言論界,マスコミにおける言語生活,言語現象というものが国民に及ぼしている影響は非常に大きいわけである。日本の君主に限ってなるべく敬語を廃す。しかし,「クリントン大統領がおっしゃった」「江沢民国家主席はかくのごとく仰せられた」というようなことは出てくるのである。日本の政治家が外国に行って,このごろやたらに外国の指導者に対して丁寧な言葉を使う。「させていただく」どころの騒ぎではないことがある。
 これについてはちょっと余談であるけれども,朝海浩一郎さんという,もうお亡くなりになったけれども,駐米大使,外務次官等を歴任された方のことを申し上げたい。ある時に日本の皇族が外国からお帰りになった。当時は羽田であった。そこに各国外交団がお迎えに出たが,その時に,NHK以下のテレビが時の駐日アメリカ大使の顔だけ映した。それに対して激怒されて,「自分はこんなばかなことをする外交を後輩に教えた覚えはない。」と言って,最長老の外務省顧問であったと思うけれども,即時辞職された。
 それは当然で,外交団には昔から慣例があってドワイアン(doyen団体・組織の最古参者の意)という者がいる。つまり,その国に派遣されている使臣のうちで一番経歴の古い人が外交団長になる。その人がその国に遣わされている各国の使臣のうちで一番偉い, つまりシニアリティが高いわけである。だから,そういうような儀式的な場合にまずスポットライトが当たるのは,その時はたまたまアフリカの小さな共和国の大使がドワイアンだったと思うけれども,その人でなければならないはずなのに,アメリカ大使の顔だけを映して「外交団がお出迎えいたしました。」 と言った。そんなばかなことがあるかということである。これは言葉ではなくて,要するに,プロトコルの問題であるけれども,言葉もまたプロトコルのうちと考えれば,君主,元首等については敬意を表するのかしないのか。それに対しては,私は別に内外を差別する必要はないと思う。
 私は,ちょっと研究上の必要があって,ただ今大正3年の第1次大戦勃発当時の「東京朝日新聞」を,化粧品の広告に至るまでコピーで細かく見ている。それによると,日独が開戦し,日本は青島(チンタオ)を攻撃するが,その直前まで「独帝は北海より還幸せられたり」と書いてある。独帝というのは,もちろんウィルヘルムニ世のことで,もうすぐ戦争をしようというところになってきて,北海巡遊をしていたのがウィルヘルムスハーフェンの軍港に戻ってこられた。日本からすれば日英同盟の契約があるので,ドイツは当然,早晩敵国になりそうだというのにもかかわらず「独帝は還幸せられたり」と書いたのである。
 これは非常に感じのいい話で,あさってはぶん殴るけれども,今のところは丁寧に言っておくというのが,言葉の世界,敬語の世界じゃないだろうか。
 そういうわけで,「豊か」というのは,そういうふうに言葉を使い分けられることで,明日はぶん殴るから,今日は,おめえ,こんちきしょうというのでは話にならないんで,ぶん殴る瞬間までは敬語を使っているというのが,言わば豊かな,平易な言語生活の世界ではなかろうかという私の考える具体例を一つ申し上げて,来期以降,是非審議の対象にしていただきたいと思う。

清水会長

 大変具体的なお話が出たようである

山口委員

 第1委員会に属しているので,いつも敬語の話を聞いていたはずなのだが,ふと気が付いたので,3点だけ気が付いたことを言わせていただく。
 まず,4ぺージ目,(2)の5番目の○であるけれども,「日本人は「すみません」とか「おかげさまで」など,感謝や平和の気持ちを表す言葉を大切にしている。とあるが,「すみません」とか「おかげさまで」は,共に感謝と取ってもよろしいということか。「平和の気持ちを表す言葉を大切にしている」というのは,具体的にはどういうことが挙げられるのか。これが1点。
 あと二つは5ぺージ目である。(2)の三つ目の○の,「女性の社会進出が一層進み,良い意味での平等社会が実現するには,そのような状況にふさわしい言葉遣いが必要であるが,それには企業等における丁寧語中心の敬語使用の習慣が定着するとよいと思う。」という部分が少し分かりにくいという気がする。
 まず,「女性の社会進出が一層進み」というところがひどく気になってしまって,どこに係っていくのかという心配が一つ。
 もう一つ,3点目である。後半に「丁寧語中心の敬語使用の習慣が定着するとよいと思う。」とあるが,この「丁寧語」というのは,よく国語学なんかで言われる尊敬語,謙譲語,丁寧語の「丁寧語」の意味と取ってよろしいのか。つまり「尊敬語や謙譲語が廃れつつあるから」の意味を背後に含んで,「丁寧語中心の敬語使用の習慣が定着するとよいと思う。」というふうな発言にまとめられたのか。
 私,いつも出ているはずなのだけれども,以上の3点,ちょっと忘れてしまったのか,書き加えだったのか,教えていただけると大変幸いである。

北原(第1委員会)主査

 さっき片倉委員の方からも御質問があったが,この○のところは,毎回申し上げているとおり,全く個人的な意見である。私個人ではなくて,多分調べればどなたの発言かというのが分かるような個人的な御意見であり,もっとたくさんあるわけである。こういうものを基礎にしながら,これから委員会の文章をまとめていくために取っておく大事なものである。
 今度,こういうふうにまとめた時に転記して,その際にちょっと落ちたりしているかどうか。私も今回比べてこなかったので,責任があるけれども,この前までのものをそのまま転記してもらっているというふうに思っているが,転記した点を事務局から説明してほしい。

大島国語課長

 最初の,「平和の気持ちを表す言葉を大切にしている。」の具体例を,というふうな御質問であるが,これは総会での御発言を第1委員会に取り込んで御議論いただく中で,こういう形で残ってきているということで,総会の御発言を取り込んだものだと思っている。

山口委員

 私たちがこれに肉付けすればいいということか。

大島国語課長

 そのようにお願いする。

山口委員

 もう少しまとまった段階のものだと誤解してしまったので,それは失礼した。まず1番目は了解した。

大島国語課長

 「丁寧語中心の敬語使用の習慣が定着するとよいと思う。」は,これも確か総会での細見委員の御発言だったと思うが,細見委員の御真意としては,尊敬,謙譲,丁寧というふうに位置付けられる中での丁寧語という意味合いだったと記憶している。

山口委員

 分かった。私,今日,もう少しまとまった形で出てきたとつい錯覚して,ああ,こういうふうにまとめてしまったのかという不安に駆られて伺った。大変失礼した。
 それから,片倉委員の「豊かさ」に関する質問について,これは私自身の理解であり,江藤副会長もおっしゃってくださったことへの一つの付け足しであるけれども,ロにする表現は一つでも,背後にたくさんの言い方を知っているということが豊かさの内容かと私は理解していた。

神谷委員

 敬語そのものではないかもしれないけれども,若干関係というか,関連がありそうなことで,具体的な話なのだが,私,かねて気になって仕方がないことがある。
 一つは,日本では,新聞もテレビも,「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」とか,「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」とか,少なくともあの国に限っては,時々調べてみると,新聞の紙面のわずか4分の1ぺージのところに5回も6回も「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」というのが出てくる。どうやら見てみると,ソウル発でもそれをやる,ベイジン(北京)発でもそれをやる,東京でもそれを書く。小さな記事が4分の1ぺージに並んでいて,北朝鮮の国名が出てくると,一々,「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と書いているけれども,私は,あれは少しオーバーに言えば国辱ではないかとさえ思っている。何もののしる必要があるという意味で言っているわけではないが,もっとフラットに書けないものか。
 どうしても気になるなら,年に1回,「この新聞では朝鮮民主主義人民共和国のことを北朝鮮と言います。」と書いておけば,多分それで済むだろうと思うけれども,ああいう奇妙な,ちょっと恥ずかしいような,常軌を逸したような表現をどの新聞も―― 一つ二つ例外があるようだが,一体どこの差し金というか,サゼスチョンというか,命令というか,それでそういうことをやっていらっしゃるのか。どうも先手先手に回って,それこそ先方の意向を忖度(そんたく)して,そういう言葉を使ってはいけないのかもしれないけれども,とにかく丁寧にやってしかられることはない,やっておけやっておけというので,そういう非常に見苦しい,みっともない紙面になっているんじゃないか。
 もう一つ,私どもは「豊臣秀吉」と言う場合に,一々「関白秀吉」とは言わないわけであり,特に死んだ人なんかは,(とう)小平であろうが,トルーマンであろうが,それでいいのだが,その国に限っては,日本の新聞・雑誌はほとんど押しなべて,死んだ人にまで「主席」とか,「国家元首」とか,そういうのを付けている。
 外国の代表的な新聞は,一例であるけれども,「ニューヨーク・夕イムズ」にしろ,「人民日報」にしろ,現在生きているトップ・リーダーでも,金正日なら金正日と呼び捨てにしているわけであり,そんなのは私は常識だと思う。これをどうしても言うんだったら,1回だけ記事の中で言えば,後は呼び捨てが普通であって,クリントンだってクリントンと書くわけである。私自身はそうしているけれども。
 しかし,あの国のことに限っては,死んだ人も生きている人も,皆「元首」とか「主席」とかいうのを付けなければいけないようなことになって,それが悪い意味でほかにも影響して,さすがに小平みたいな人は死ぬ直前は肩書がなかったわけで,まさか「最高実力者」というような肩書を付けるわけにも行かないので,小平はどうやら小平と呼び捨てにしているようであるけれども,私は,そういう政治的に微妙な問題があるにしろ,お隣の国の呼び方については,もう少し国際的に恥ずかしくないようなことを何かの機会に要望するくらいはやらないと,こういった奇妙な習慣がどんどん思わぬ方向に波及するのではないか,そんなことを考えている。
 やや場違いな発言であったら御勘弁いただきたい。

井出委員

 昨年のこの審議会で,一番初めのころだったと思うが,私は「美しく,豊か」という言葉のビデオ作成にも何年か携わらせていただいたけれども,「豊か」というのは一体どういうことなのか,さっぱり分からないということを申し上げたと思う。御記憶にある方もいらっしゃるかと思う。
 先ほどからの議論を聞いていても,具体例は幾つも挙がってきているが,統一的な見解は難しいようにも思う。それで,今期の審議会としては具体例のところには入らず,敬語の理念について議論するのならば,最初の方の国語審議会では「平明,簡潔」だけであったのが,今,北原主査が47年とおっしゃったけれども,約四半世紀前に「美しく,豊か」というのが入ったとしたら,その実態は何なのか,その言葉に代わるもっといい言葉が必要じゃないか。それがあたかも目的のように思って,みんなが苦労して具体的な例を探すより,もっと何を求めるかという議論をした方が,私どもでさえよく分からないことは国民の皆様にも分からないわけであるから,もっと分かりやすい目標の言葉を探す検討をしてもよろしいんじゃないかと思う。

清水会長

 言葉遣いについて,まだまだいろいろ御議論もあるかと思うけれども,いかがか。第2委員会の方で御議論いただいている点についても,御意見があったら伺わせていただきたいと思う。

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