国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 協議1

清水会長

 それでは,第1委員会のコミュニケーションと言葉遣いの問題,それから,第2委員会で今お話があったように大変御苦労いただいて整理して,ある標準の下で検討を進めてまいった表外字字体表,これがいずれ公表されることになるわけであるが,何か御質問,御意見があったら伺わせていただきたいと思う。

福原委員

 ちょっと末梢(しょう)的なことであるが,第1委員会の6ページに,H「マスコミュニケーション」というところがある。この2行目に「番組制作者は」という文言があるが,番組制作者というのは一体だれか。先般から低俗性番組とか,何を持って低俗とするのかとか,最近は,中教審で問題になっているVチップとかSチップとかということをかんがみていろいろ検討しているが,「番組制作者」というのは,プロデューサーのことなのか,現場にいるディレクターなのか,あるいはその下で実際に働いている人なのか,実は本当に分からないわけである。
 そこで,私は,各放送局あるいは各新聞社の社長,つまり,経営者に問題があると考えているので,「番組制作関係者は」と「関係者」をお付けになった方がいいんじゃないか。そうしないと,特定の職種の人だけに責任を負わせるということになりかねないので,関係者一同全部が気を付けろというふうに御指摘になった方がいいと思う。

清水会長

 こういった御意見をちょうだいして,この次の第1,第2合同委員会の時には,更に各委員会の方で詰めたものをお出しする形になるので,ほかにもどうぞ。

神谷委員

 これも些(さ)細なことかもしれないけれども,敬意表現というのは,言うなれば,素人的に言えば言葉遣いのことであるが,それとは別に,言葉自体に敬意がこもった言葉と敬意がこもらない言葉との別があるように思うが,そういうのはどこへ記述されることになるのか。
 私,最近非常に気にしているのは,あるいはいつかも言ったかと思うけれども,著名な人から駆け出しの人まで含めて,テレビのドラマなんかで男性の一人称がやたら「おれ」というのが多いことである。幾ら何でも若造が大先輩に「おれ」と言うのはおかしいんじゃないか,あるいは下の者が上役に対して「おれ」と言うのはおかしいじゃないかと思われる場面でも,頻繁に,しかも手慣れたベテランの劇作家などが,せりふに「おれ」と書いていらっしゃるようである。ともかく「おれ」というのは敬意に欠ける言葉で,「私」とか,「僕」とか,いろいろあると思うけれども,そういうのは敬語ではないが,一種の丁寧語ということになるのであろうが,それは一体どこに記述されることになるのか,ちょっとお尋ねしたいと思う。
 「おれ」「私」「僕」,その他似たようなケースはほかにも多々あろうかと思う。

北原(第1委員会)主査

 具体的な言葉については,次期の国語審譲会の審議にゆだねることとして,Vでやることになると思うけれども,今おっしゃったようなことは,正に相手,場面に配慮して,いろいろな表現を選ぶというところに相当すると思う。今,神谷委員のおっしゃったことの内容は,いわゆる代名詞も敬語にかかわるので,特に二人称は「あなた」と言うか,「おまえ」と言うかというのは,相手によっても決まってくるような面がある。一人称の自分について言う場合もそれと対応して,「おまえ」に対するのは「おれ」であろうし,「あなた」に対するのは「私」であろうしというようなことを取り上げていくことになると思う。

徳川(第1委員会)副主査

 ちょっと補足させていただく。
 7ぺージの一番下のところに「敬語の概要」というのが述べられているけれども,敬語の内容の説明がやや簡素であって,今のような代名詞の使い方のことは触れていないけれども,ここに補充する。「これからの敬語」でも二人称は「あなた」と言えというようなことが書いてあって,「これからの敬語」でも既に扱っている問題であるから,7ぺージ以下の「敬語の概要」のところを更に検討させていただきたいと思っている。よろしいか。

神谷委員

 ありがとうございました。

山口委員

 第2委員会の方にお願いしたいのであるけれども,6ぺージの3「明朝体の字形と筆写の楷書字形との関係」という項目で,3行目の括弧内の,「(←活字字形としての「」などを,手書きするときはどのように書くのか,というようなことに対する,審議会の考え方を述べる必要があるか)」という部分に関して,私は是非お願いしたい。つまり考えを述べていただきたいと思っている。今までは「」だと「ロ」に「尊」を書けばいいと思っていて,そう書いていたけれども,活字の上の方が全部「八」になっていると,こういうふうに書かないといけないんじゃないかと思い出して,ちょっと気持ちが揺れたりしているので,これは私の個人的な意見であるが,ここを述べていただくと有難いという意見である。

水谷(第2委員会)主査

 山口委員,ほかにはどうか。これと似たような問題で,ここに出ていなくて,こういうものはどうだということにお気付きだったら,今ついでに教えていただきたい。

山口委員

 ほかには「食へん」のことが気になる。

水谷(第2委員会)主査

 「食へん」は例として挙がってきているが…。

山口委員

 それがすごく気になっている。

水谷(第2委員会)主査

 了解した。御意見に感謝申し上げる。

山口委員

 それから「」も気になる。

宇冶委員

 第1委員会の言葉とコミュニケーションの問題である。私,第1委員会をサボっていて申し訳ないのであるけれども,最近,若者たちの間で,例えば「ムカつく」とか「キレる」というような言葉が非常にはやったり,それが即行動に出ているわけだけれども,3ぺージの「世代差の顕在化」というところで,「若者文化の優勢は言語生活にも反映される」という辺りに多少は触れているが,最近の若い人たちの言葉遣いと行動がどういうふうにかかわっているのか。言葉遣いと行動のギャップというか,差というか,その辺の問題にもう少し突っ込んで,言及した方がいいのではないかという気もするけれども,その辺のお考えがあったらお聞かせ願いたいと思う。

徳川(第1委員会)副主査

 今の「キレる」とか「ムカつく」という問題と,敬語ないしは敬意表現との関係をどのように考えていくかは,これから検討させていただきたいと思うけれども,どこで出てきたか,良い言葉を使っていると良い人になるとか何か,やや楽天的かもしれないけれども,そういうことが書かれているところで結び付くのか,あるいはもう少し別の面で結び付けていくのかは,これから検討させていただく。ただ,直感で言うと,敬意表現と「ムカつく」は少し距離があって,その問題を国語審議会が扱わないというのではないけれども,我々の第1委員会に課せられている話題とはちょっと別なことではないかと思った次第である。これは第1委員会でまた改めて検討させていただく。

北原(第1委員会)主査

 今の御指摘は世代差ということを述べているわけであるけれども,今おっしゃってくださったコミュニケーションの大切さというのはむしろ4ぺージ辺りのところで,ここでは余り若者だけを取り上げないで,コミュニケーションは双方向的なものだから言葉遣いに注意しなければいけないという,その辺で一般論化しておいてよろしいのではないかと思うが,また議論をしていけばいいかと思う。

徳川(第1委員会)副主査

 さらに,勝手に付け加えさせていただくけれども,5ぺージの真ん中に「世代を超えたコミュニケーション」というところがある。さっきは問題点の指摘のところで,今度は,それにどう対応していくかということをここに書こうとしているわけであるが,確かに若者たちは発展途上にあって,もちろん完全ではないと思っているし,これからの発展を期待するわけであるけれども,高齢者の側にも今までのままでやっていっていいかどうかというようなことをここに書いている。
 例えば,昔なら女性に対して「まだ結婚しないの」とか「子供生まれないの」とかいうようなことは,決して非難されない表現としてされていたと思うけれども,現代になると,その辺は既に問題になってきて,高齢者の側も心構えを少し新しくする必要があるのかもしれないというようなことを,ここの(5)のところに書いている。
 今,御発言があったこととちょっと関係ないことを言ってしまって申し訳ないと思う。

細見委員

 第1委員会のことで,ちょっと感じたことを申し上げたいと思う。
 4ぺージであるけれども,(2)「コミュニケーションと言葉遣い」というところがある。第1委員会では非常に分かりやすく書いていただいて勉強になったわけであるけれども,(2)の「コミュニケーションと言葉遣い」については,あえて要らないような気もして,(3)を(2)にして,(1)から飛んだ方が非常によく分かるんじゃないかなという気が私はした。繰り返しになるのではないかなと思ったわけである。
 もう一つは,(3)の@であるけれども,後ろから2行目に「一般的に広場の言葉によって」という表現があるが,これはどういうことなのか,私はちょっと分からなかったということを申し上げておきたい。
 それから,飛ぶけれども,9ぺージの上の方に(3)「敬語以外の敬意表現」ということがある。全体を読んでみると非常によく分かるけれども,「例えば」というところの4行目辺りが非常に分かりにくい。後の@,A,B,C,Dというものの例示であるならば,あえてこういうようにまとめてここに再び出す必要はないのではないかなと思った。
 もう一つ,ついでに申し上げたいけれども,11ぺージの「敬意表現の教育」というところは,「敬意表現」という新しい概念を学校でどう教えるかということで,非常に関心を持たれるところだと思う。この中で,敬意表現を教育としてどう教えるかということも書かれているけれども,学校自身の現場での言葉遣いというか,先生間のコミュニケーションというか,そういうものが子供たちにとってはモデルになるということだから,教えるという意味と同時に,現場でどういう人間関係なり,教師間でコミュニケーションができているかということも,非常に大きなモデルとしての教育であるということを,是非1行なり2行なり付け加えていただきたいというように思う。
 第2委員会に関しては,私も勉強しなくてはと思うけれども,表現が非常に難しくて,正直申し上げて,なかなか分かりにくい。括弧とか,前の例がどうだった,こうだったというような脚注というか,そういうようなものは番号を付けておいて,最後に分かりやすく例示するような形で,すっと読めるというか,括弧を少なくしていくような文章に是非していただきたいなというのが,これはかなわぬお願いかと思うけれども,そういう印象を持った。

徳川(第1委員会)副主査

 更に加わると覚え切れなくなるので,今のところでお答えしてよろしいか。
 ただ今,御覧いただいている第6バージョンというものは,今までの論議の結果を整理したわけであるけれども,御指摘のように,ちょっと重複が多いんじゃないか,あるいは多くないかもしれないが,とにかく重複部分があるんじゃないか,ちょっとくどいかもしれないと思われる。いろいろなものを積み重ねてあるので,そういうことになっているので,更に検討させていただきたいと思う。
 それから,例を挙げているのが,これで十分なのかという点もあって,今度は重複じゃなくて足りないというものもあるかと思っている。

徳川(第1委員会)副主査

 それから,教育のことを御指摘いただいた。ここでは「敬意表現」という言葉を使っているが,子供たちも,いわゆる敬語に関してはまだ未熱であろうが,対人関係で遠慮深くとか,断定的に言わずに文末をぼかすとか,そういう表現をしているのではなかろうか――子供同士,強い子供と弱い子供がいるとか,あるいは先生と子供の間でも。ここで述べる敬意表現に関するものが,自分たちが使っている言葉の中に実はあるんだということを教育の場で意識化していただくように,先生方は大変でいらっしゃると思うけれども,ただ枠を示して覚えろというのではなくて,そういう国語教育になっていくといいんじゃないか。それを目にして,将来一人前の人間として敬意表現が使えるようになっていくことを期待するというのではどうかという気持ちがあるが,さっきちょっとおっしゃった教師間の表現とか,そういうことにも関心を持ってもらうのも大事だろうと思うので,更に検討させていただきたいと思う。

西尾委員

 二つほどあるが,私も第1委員会に籍を置きながら,その時にもう少し突っ込んだ議論をしてくればよかったと思って,こういうところで恐縮である。
 敬意表現という文字あるいは音を聞いたときに,「敬」という字が入っている限り,やはり敬意あるいは敬語を含んだ敬意というところが印象に残る。待遇表現という言葉は,先ほど専門性を持っているというふうにおっしゃったように伺ったけれども,私ども日本語教育の立場から申すと,待遇表現あるいは接遇表現という,どちらかと言うと「敬」とか「下を向く」ということよりも,大変ニュートラルな表現を使って言葉の連用を掘り下げてきている。例えば,7ぺージの(1)「敬意表現とは何か」というところを読んでいくと,「敬語も含みつつ,その周辺の広い範囲の言語表現を総称した言い方である」。確かにそうではあるが,実態としては,こういう言葉を使っていいか,蔑(べっ)視表現という言葉があるかどうか分からないが,どうしても人間であるから,さげすむような言葉遣いというものも実際に世の中にはあると思う。それをここでは大変きれいに,「親しくない人(ソトの人)に対して距離を置く言葉遣い」,あるいは「下位の者へのやさしい配慮」というように包み込んでおられるが,やさしくない気持ちというものもどうしてもあるので,そういうときの言葉を敬意表現の中に入れて考えられるということを,今後もう少し焦点を当てて議論していかなければならないのではないかと思った。
 第2には,国際化の時代に,できるだけ簡潔に明確に表現をする。結論がすぐ分かる,結論が先に来るような表現をするということを推進してきて,そういう言葉遣いが進められてきているわけであるけれども,簡潔に,結論を明確にという方向付けと,その中に敬意表現を含めていくという言葉遣い,その運用をどのように絡ませていくかということも,まだまだ議論が足りないところではないかと思い,その2点を申し上げた。

徳川(第1委員会)副主査

 敬意表現という言葉遣いについては,それなりの議論をしているが,また,更に第1委員会で議論していったらと思っている。皆様に笑われてしまうかもしれないが,そこでは敬意という言葉は確かに使っているが,例えば「広さ」という言葉は「狭さ」のことも表す。「この部屋の広さは」というのは,絶対的には広くなくても使うから,敬意でもいいかとかというような議論もあったが,更に検討させていただく。
 「敬語の働き」というのが8ぺージの半分から下のところにあるが,ここでは「上位の人を高める」というのが最初にあるけれども,「親しくない人との距離をとる」とか,そういうのも働きとして出ている。
 実は「敬語」という言葉それ自体が,「敬」という字が付いているけれども,敬意だけではない働きを持っているわけである。本当は敬語という言葉もやめたらというような気持ちを持っている人もいるかもしれないが,既に長いこと使われているし,伝統的に敬意ということがその裏にある面を全く否定することはできない。そこで,更に広い範囲のことを言うときに何と言ったらいいかというのは,実は第1委員会あるいは敬語小委員会の悩みの種である。
 それから,国際化のことについて述べられたけれども,その辺も更に検討したいと思うので,委員会の論議に御参加いただきたい。

俵委員

 私も参加していないのにこんなところで申し上げるのは大変に恐縮であるけれども,第1委員会の方で,4ぺージの(3)の@に「「ソト」の人とのコミュニケーション」とあって,「ソトの人」という言い方を,わざわざ「ウチの人ではない人」というふうに説明をされているが,何かちょっとこなれていないというか,ピンと来ない表現のような感じがした。「仲間内」とか「内輪」とは言うけれども,「仲間外」とか「外輪」と言わないからかなと思ったのであるが,わざわざ言葉を作っているのに,ここで言いたいこととは少しずれているような感じを受けた。

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