国語施策・日本語教育

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第1 現代における敬意表現の在り方

U 敬意表現の在り方

1 敬意表現と敬語

 「敬意表現」とは,既に述べたように,狭い意味の敬語を含む敬意にかかわる表現の総称である。我々は現実の言語生活における他者との言葉のやりとりに際し,相手や場面に応じた様々な配慮の下に自己表現として敬意表現を使っている。
 世界の多くの言語にもそれぞれの文化に裏打ちされた敬意表現があり,敬意表現を適切に用いることはどのような社会においても必要なことである。
 日本にはいわゆる目上を敬うばかりでなく,相手を思いやり,相手を立てて自らはへりくだる態度を一定の言語形式に乗せて表す慣習がある。その「一定の言語形式」が敬語であり,国語の体系の根幹にかかわる存在である。国語の歴史における敬語の推移は,上代の絶対敬語(特定の人物に対して常に使う敬語)及び尊敬語・謙譲語中心の時代から,中古の聞き手意識の出てくる時代を経て,現代の尊敬語・謙譲語・丁寧語中心の時代へという流れとしてとらえることができる。敬語はこのように長い歴史を持つ日本の文化であり,日本人の精神的な基盤にかかわるものと考えられる。そして,ある面では日本社会を支える求心力となってきたが,一方には立場の上下意識を強調し過ぎる面や,用法が煩雑で一般の人には習得困難な面もあった。
 昭和27年の国語審議会建議「これからの敬語」は,従来の複雑な敬語を廃し,民主主義社会にふさわしい平明・簡素な敬語を示した。これは当時の社会には画期的な提案であり,以来国語審議会が敬語について示した唯一の見解として人々のよりどころとされてきた。ここに示された内容のうち,相互尊敬を旨とすることや,過剰使用を避ける等のことは現代においても継承されてしかるべきであるが,一方には社会における敬語使用の実態に即していない面があることも否定できない。すなわちこの建議の掲げる敬語使用は画一的で,様々な人間関係や場面等の視点がないため,広い意味での敬意表現にかかわる配慮に触れていないという問題や,また,謙譲語及び「いらっしゃる」「伺う」等の敬語専用の形を取り上げていないという問題がある。
 近年,尊敬語や謙譲語,とりわけ謙譲語衰退の傾向が指摘されているが,一方で丁寧語の使用は非常に普及し,話し言葉では「です・ます体」が一般的な文体として意識されていると言えよう(注1) 。
 多くの人々はよい人間関係を求め,円滑なコミュニケーションを望んでいる。それを行うためには,相手や場面にふさわしい様々な配慮の表現が必要であると感じていると思われる。敬語についても,その必要性を認めている人は少なくない(注2)。丁寧語や敬語以外の敬意表現で配慮を表していこうという考え方もあろうが,尊敬語や謙譲語の適切な使用が日本の文化,国語の体系上重要であることは言うまでもない。
 国語審議会としては,敬意表現が個々人の自己表現として用いられ,コミュニケーションを円滑にするという認識の下に,謙譲語や敬語専用の形も含めた多様な敬語の使い方を敬意表現全体の中で論ずる必要があると考える。


 (注1)  世論調査(平成9年1月 文化庁)では,「食べます」の「ます」を「敬語だと思わない」と答えた人が85.3%に上っている。このことから,尊敬語や謙譲語だけを敬語と思う傾向が強いということが言える。
 (注2)  世論調査(平成9年1月 文化庁)では,目上の人に対して敬語を使うと答えた人の割合が86.0%に上り,年上の人,尊敬する人に対してもそれぞれ79.2%,69.7%の人が敬語を使うと答えている。どんなときも「敬語は使わない」と答えた人は,1.8%である。

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