国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会における審議状況について1

清水会長

 早速であるけれども,本日の議事に入りたいと思う。
 ただ今の庶務報告にあったとおり,前回以降,三つの委員会にそれぞれ大変精力的に2回の会議を進めていただいた。各委員会の審議状況について順次御報告をいただいて,そのことについてまた御意見をいただくという手順でまいりたいと思う。
 それでは,井出主査から第1委員会の審議状況について御報告をお願いする。

井出(第1委員会)主査

 まず最初に,時間の有効利用ということも考えて,皆様のお手元の資料1の朗読を事務局にお願いしたい。その後に御説明を申し上げる。

浅松主任国語調査官

 それでは朗読させていただく。

〔「第1委員会における論議の概要−4」朗読〕

井出(第1委員会)主査

 第7回,第8回の第1委員会においては,二つのことを決めることができた。第1は,私どもがあれやこれやと考えてまいった「敬意表現」という用語について,今まで皆様にいただいた御意見をいろいろ考えた上,やはり「敬意表現」で行くのがいいのではないかということで御了承いただいた。第2の点は,今朗読いただいたようなI,U,Vの構成の内容を決めたということである。これは少しプロセスを御説明する必要があろうかと思う。
 先回の総会の時に,Vのところで具体例を扱うということを申し上げていた。皆様,今日は具体例が出てくるのではないかと期待していらっしゃる方もあろうかと思う。実際,第7回の時にはVのアウトラインを立て,第8回との間で各委員から具体例の場面付きの例をたくさんお出しいただき,もちろん小委員会のメンバーも参加して,たくさんの具体例をどのように整理していくかを考えた。
 その過程において具体例を見ていく中で,それまで考えていた枠組みも二転三転して,私どもの考え方を考え直さなければいけないところも分かってまいった。具体例を今日お出ししていないのは,考えていないからではなくて,どれをどういう形で書いていくかということまで第1委員会での議論がまだ進んでいないからである。4月,5月の第1委員会では,実際に出す出し方まで検討した上で,次の総会にお出しすることができようかと思う。
 更に申し上げると,今の2ぺージ目のUの3に「敬意表現の慟き」というところがあるが,この内容を説明する過程で例が出てくるかと思う。もう一つ,Vのところに「敬意表現についての留意点」があるが,そこでも具体例なくしては説明できない場面もあろうかと思う。そのように現在のところ考えているということである。

清水会長

 大きな枠組みとしての形がこのようにできてきた。例示については,I,U,V,それぞれのところで意味を明らかにするというか,説明をする中で例示を入れていきたいというようなことで,これからまとめをいただくということである。次回の総会には御覧いただけるのではないか。このことについて,何か御意見,御質問があったら伺わせていただきたいと思う。
 I,U,V,順番に従うと,Iは「言葉遣いをめぐる問題状況」ということで,第2l期の審議経過報告のIの「内容」を継承して,問題状況の事項を列挙したということであろうと思う。

井出(第1委員会)主査

 そうである。

清水会長

 何かお気付きの点があったらどうぞ。また,Uの「言葉遣いの中の敬意表現」のところで,こういった要因に支えられて,円滑なコミュニケーションを図れるということでの図も付いているが,そのようなものも御覧になりながら,御注意でもあったら,どうぞ。

山口委員

 2ぺージのVの「敬意表現についての留意点」というところであるけれども,この「内容」というところに今回新しくいろいろ付け加えられて,大変面白く拝見した。例えば,(1)の「あいさつや前置きの中の敬意表現」という項目が立ててあるが,ここは「あいさつや前置きの中の敬意表現は適切に用いる必要がある。」とか,おしまいまで言っていただくことは可能であろうか。つまりその方が分かりやすい気がするのである。ここは,敬語ではこういうことに注意しなくてはいけないということを述べているところである。そうすると,ただ見出しだけで「あいさつや前置きの中の敬意表現」と言われると,今度,内容はまた中を読まなくてはいけない。それをもし一言で言えるのであれば,「あいさつや前置きの中の敬意表現は適切に用いる必要がある。」などと書いていただいて,具体例を出していただくともっと分かりやすいかと思う。
 以下,(2)の「人格や人間関係を表す言葉遣い」とか,(3)の「相手や場面にふさわしくない過剰な敬意表現」とか,見出しだけ付いているけれども,例えば(3)なども「相手や場面にふさわしくない過剰表現は慎んだ方がいい。」とか,何とか述語を付けていただけると非常に分かりやすいと感じたので,検討していただけると幸いである。

井出(第1委員会)主査

 御意見として承る。実は,ここへ出てくる前にはそういうものが付いていた段階もある。いろいろな考えの下に落としたのだが,その御意見をいただいたので,また検討させていただく。
 できれば,今のそういうものを付けた方がいいか悪いかについても,御意見がいただけたらと思う。

清水会長

 いかがであろうか。

千野委員

 御意見とおっしゃったので,簡単に言うと,私はこのままで結構だと思う。「敬意表現についての留意点」ということで注意を喚起されているわけであるから,ここに留意するんだなというふうなことで中身を読むということであれば,このままでよろしいのではないかと思った。

清水会長

 ほかに御意見があったらどうぞ。

小林(第2委員会)副主査

 2点お伺いする。
 1点は,2枚目のVの「3 敬意表現の働き」の「内容」の(1)(4)に「尊重する」という言葉が出てくる。それから,Vの(2)に「人格や人間関係」という言葉が出てくるが,こういうことを表していくときに,基本的な人権の問題というのは説明中に書き込んでいただけることになるのかどうか,そういう考え方が基本的にあるということなのかどうかをお伺いしたい。
 2点目は,3枚目の「付」の(3)の「外国人に対する日本語教育における敬意表現の扱い」というところにかかわってお伺いする。日本語における敬意表現について,現状を踏まえて整理し,現代における相互の敬意表現の在り方という実態を踏まえた方向から将来的展望を考えて,外国人に対する日本語教育等も配慮しながら敬意表現を整理していくというか,言葉遣いそれ自体を分かりやすいものにするというか,簡略化するという方向も考えられているのか。つまり,一つの言い表しをするときに,相手に応じて別の言葉で,従来で言う尊敬語とか謙譲語というような形で言い換えないで言う言い方というものが生み出せるのかどうか。相手との関係の中で,丁寧表現の「です・ます」プラス例えば「あなたとわたし」とか,若干の慣用的な表現を残して,簡略の方向に行くという将来的展望のようなものも考えられるのかどうか。
 以上,2点についてお伺いする。

井出(第1委員会)主査

 両方ともまだそこまで議論が進んでいないが,第1の点について,基本的人権ということとの関連をもう少し御説明いただけるか。

小林(第2委員会)副主査

 別に難しいことを言っているわけではなくて,民主主義社会においては,相互尊重というのは,結局,人権の尊重ということを踏まえての言葉遣いの問題だというふうに考えたということである。

井出(第1委員会)主査

 相互尊重という限りにおいてはもちろんそうであるが,今,私の方から質問をお返ししているのは,話し手の品位とか人格や人間関係を表す言葉遣い,特に人格の部分と基本的人権とのかかわりについて,何かお考えがあるのかということである。

小林(第2委員会)副主査

 前回総会の資料に上位者・下位者という言葉が出ていた。今回はそれをすべて消されたというか,それは過去のものになったというか,そういう踏まえ方で進んできたのかなというふうに理解したわけである。現在の人間関係は,上下関係ではない,身分関係ではないという認識から,相互に人権を尊重し合うという基本的な人間関係の上に立つ言葉遣いであるべきだというふうに私は考えたので,申し上げたまでである。

井出(第1委員会)主査

 私どももそのように考えて,このような書き方をしているわけである。
 第2の点については,第3委員会のお考えになることとも合わせつつ,これからいただいた御意見を尊重して,また考えてまいりたいと思う。

浮川委員

 私は,敬意表現の議論をお聞きするたびに何か違和感をずっと感じてきている。何の違和感を感じているかというと,この結論は,今後,敬意表現をより広く,あるいは言葉は悪いかもしれないが,より強化をしないといけないのではないかという,あるターゲットが最初からひょっとして決まっていて,その考えに立って推奨しているのではないかという部分がどうしても感じられる。
 そして,敬意表現というのがこのようにいろいろ分析されているけれども,これからの社会を考えると,例えばここに,コミュニケーションを円滑にするためには敬意表現が大切であると結論付けられている。
 ところが,社会というのは,今の小林委員の議論にもどこかで通じるかと思うけれども,人間関係で,上位関係あるいは上位者とか下位者という言葉は避けましょうというふうにお話は進んでいると思うけれども,基本的には,この敬意表現の中では,常に上位者・下位者という概念がどうしても持ち込まれざるを得ないことがたくさんあるかと思う。例えば,そういう使い方の中においても,そのような状況を基本とした言葉遣いがある場合については,それを強化するのか,あるいはそれについては将来的にだんだん弱くなればいいのか,ある方向性を示さなければ国語審議会の答申にはならないと私自身は思っている人間なのである。ある方向性は示すべきで,単にこれを論理的に分析をしてこうでございますと言うだけでは,それは本当に国語の学者の方か何かが教科書を書けばいいわけである。ここは国の一つの大きな方針を話し合う審議会であると思っているので,ある指針を示さなければならない。
 そういう点においては,ちょっと飛ぶようであるけれども,過剰な敬意表現,例えば商業用語とかマニュアル敬語の行き過ぎについては,ブレーキを掛けたらいいんじゃないでしょうかという言葉があるのであれば,すなわち,あることについては,規制と言うとおかしいが,ある方向性,教育的な視点をここで提示するのであれば,そういうような上位者・下位者というような表現をより強調するようなものについては,これから考えないといけない問題が非常にたくさんあるように思う。人権云々(うんぬん)という言葉は直接的に表現するのは難しいと思うけれども,何かそういう配慮,つまり日本の社会がよりフラットな社会を目指していく方が望ましい。これも意見がいろいろあろうかと思うけれども,恐らく長い目で見ればそういう社会に行っていると私は信じている一人であるが,敬意表現というもの自体については,そういう点においては非常に注意して議論をしていただきたいと思っている。

井出(第1委員会)主査

 貴重な御意見として伺っていきたいと思う。
 今日お示ししたようなまとめの枠組みを出しただけでは,そういうところは出てきにくいわけである。次の総会にお出しできると思っているものは,たたき台ではあるが,文章の中で,そのような表現の中でフィロソフィーというものが出ていくべきだと思っている。
 そういうことは一番大事なことであるので,慎重に扱っていこう,そのために,まず枠組みだけをしっかり今日皆様にお諮りしておこうと考えているわけである。

平野委員

 今の浮川委員の御意見の驥(き)尾に付して申し上げたいのであるけれども,浮川委員がおっしゃったことよりも,もうちょっと複雑なトーンをこの報告書は持ちそうに私は思う。
 一方では,浮川委員がおっしゃったように指針を示すということであると,例えば,一つ一つの文末は「必要である。」というような表現で終わると思う。他方で,日本語の現状を記述するということであれば,「敬意表現が商業語では過剰に使われている。」という記述で終わるわけである。ところが,この文章は,すべて説明する,解説する,留意するように促すというような,何か中間のところにトーンがある。その上で,最後の「付」の(2)のところでは「学校教育においても本文の趣旨が尊重されるよう希望する旨を付記する。」というふうになっている。そうすると,指針を示すのでもないし,日本語の敬意表現についての現状を事実として記述するのでもない。何か真ん中辺のあいまいなところにあるように思えるのである。
 その上で申し上げると,私は第3委員会で日本語の国際化の問題を議論してきている立場なので,この第1委員会の基本的なトーンというのは――私も日本語が陰影に富んでいるのはとても好きなのであるけれども――日本語の国際化という問題については,ちょっとあいまいな感じで敬意表現があるというのがいいのであって,日本語の国際化のために敬意表現は単純化する方向を採るべきである,というような指針をお出しになる立場をお採りになってはいないという解釈になるかと思うけれども。

井出(第1委員会)主査

 ということは,平野委員は,敬意表現を複雑にしないような方向を採った方がいいという御意見を主張なさっていらっしゃると受け取っていいのか。

平野委員

 最後の部分は第1委員会のお立場を伺いたいということなのであるけれども,最初の方は,私は,どちらかと言えば,現状では日本語のある部分については敬意表現が過剰になっているという現実認識でとどめるのがいいんじやないか,個人的にはそういう希望を持っている。

井出(第1委員会)主査

 各委員のおっしゃったことを考えつつ,次とその次の第1委員会で具体的な文案にする中で表れてくるものと思う。それから,上位・下位というような言葉がここで飛び交っているが,具体的に例を出してくるところに,上位・下位にかかわる例があるのかないのかということでも指針が示されていくものと考えているので,その具体的に書かれたものの中で姿勢を見ていただく。それから,簡素化されているといったもの,過剰なものは必要がないという姿勢も,具体的に書かれた中で見ていただけるのではないか。その中で本格的な議論ができるのではないかと思っている。

甲斐委員

 大変よくまとまってきたと思うけれども,一つだけお願いしたいことがある。
 それは,1ぺージのIは「言葉遣いをめぐる問題状況」ということで「言葉遣い」という言葉が用いられている。その「言葉遣い」という言葉は,Uでは「言葉遣いの中の敬意表現」ということで,どちらが大きな範囲であるかということがここに出ている。
 次の「・」のところに行くと,(1)(2)(3)とあるけれども,(2)のところになると,(1)(3)などと違って「人格や人間関係を表す言葉遣い」というように,ここは「言葉遣い」がずっと使われている。3行目を見ると,「具体的な言葉遣いや敬意表現が」とあって,そうすると,具体的な言葉遣いというのは,敬意表現と並ぶものとしては何があるのかということがちょっと分かりにくくなる。そして,後の(1)(3)(4)(5)というところは,「言葉遣い」という用語が出ていない。(6)のところになると,「ニューメディアでの言葉遣いと敬意表現」という言葉で,再度「言葉遣い」という言葉が出ている。さらに,それと似た言葉としては,(5)などには「言葉」という言葉が出ている。それから,「敬語」というのは,最初は否定的に使うときに「マニュアル敬語」とかいうような形で使っているのかなと思ったのだが,そうではない。(4)の2行目では,「共通語の敬語と方言の敬語」というような形になっている。ここは「敬語」という言葉が使われている。その場合の「敬語」と「敬意表現」というのはどういう違いがあるのかというような,そういう用語の細かなところの使い分けがもしお分かりであれば教えていただきたいと思うし,そうでなければまた検討していただきたい。
 以上である。

井出(第1委員会)主査

 そのことは,今日の資料の2ぺージ目,一番上の行の2に「敬意表現の概念」というのがあって,その内容として「敬意表現という呼称,敬語と敬意表現の関係,敬意表現の意義について述べる。」と書いてある。そこの中で今御指摘の部分を明らかにしていって,今御指摘のような文言の中でのあいまいになっているところはきれいに整理して書いていきたいと思っている。
 先ほどの浮川委員の御発言の時にも,平野委員もそうだと思うが,敬意表現があるというのが前提になっているのではないかというような御意見であったが,これについては,そもそも第1委員会は,昭和27年に「これからの敬語」が出されて以来,それの現代版が何も出ていないということを受けて,「敬語」を中心として,国語審議会としてどう考えていくのかという課題を背負っており,前期,第21期の国語審議会の時に,「敬語」という範囲を「敬意表現」という範囲に広げて,より国際的にも通じる――「敬語」をなくすのではなくて,広げた「敬意表現」という概念で考えていくことで,英語にはない,いわゆる文法構造としての「敬語」をこれからどうするのかということにも一応答える必要があると考えてきたので,このようなプロセスを経ている。そういうことを2ぺージ目の「敬意表現の概念」というところで,まず述べさせていただかなければならないと思っているわけである。

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