国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会における審議状況について2

浮川委員

 第1委員会の皆さん方が一生懸命苦労されていることを蒸し返すようで申し訳ないけれども,私は趣旨のところからよく理解できない。例えば,「円滑なコミュニケーションのために」――これが最も大切な目的である。そのためには敬意表現が大切であるというふうに書かれている。しかしながら,円滑なコミュニケーションということが大前提であるなら,この資料に即して言うなら,なぜ,謙虚さや,慎みや,いろんな場合の例を挙げて,学校で習いましょう,敬意表現をもっと教えましょうということになるのか。なぜ教える必要があるのか。
 例えば,英語であれば「あなた」は「You」,ほとんど「You」だけで,非常にシンプルである。ところが,日本語では非常に複雑なのである。敬意表現というのはだれにとっても非常に複雑である。そして目の前にいる方が年上なのかとか,いろんなことを推し量って,相手の方が違和感がないように,あるいは特殊でないように,いろんなことを思い量らないといけない。言語体系的に,運用面で,非常に複雑極まりないシステムだと私は思う。極端な議論をさせていただくと,もしも敬意表現とか,こういうものがすべてなくなれば,非常にシンプルである。シンプルであれば,それについて聞く方も言う方も何も考えなくていいわけである。内容だけで非常にシンプルなのである。
 仮の話であるが,もしそういう体系であれば,ここで語られているような複雑さとか,違和感を感じたりとか,コミュニケーションで敬語を使ったから,使わなかったからという違和感とか疎外感ということはなくなる。非常にフラットであるから。コミュニケーションが大切であるということであれば,私は,「敬意表現はやめましょう。もっとシンプルにしましょう。」と言いたい。そうすれば,要らぬ心配は一切要らない。教育も簡単である。なぜそれを議論しないのか。というわけで,私は一番最初の趣旨自体に疑問を感じている一人なのである。

山口委員

 浮川委員がおっしゃったことは,まず基本姿勢として,敬意表現を強化するのか,簡素化するのか,そういうところをはっきりしてほしいという御意見なのか。

浮川委員

 敬意表現をどのように定義付けるのかということと同じである。

山口委員

 実はこれは21期から,その前からだったのか,私はずっと敬語表現の問題にかかわっていた委員なのであるが,浮川委員と同じく,どちらかと言うと簡素化の方向に進むべきだと私自身は思っていた。しかし,前の期からのいきさつから行くと,どちらかと言えば敬意表現というのは伝統的な言い方だから,それを大切にしようじゃないか,そういう方向を採ってやってきているのだと思う。つまり成り行き上そういうふうになっている。私自身は,そういうわけで簡素化を採った方がいいと思う立場の人間だったので,敬語の問題は,自分としてはちょっと立場が違うから,第1委員会は抜けるかなというふうに判断した時期がある。第1委員会はそういう方向に従って,強化するというと言い過ぎであるが,乱暴な言い方をすると,伝統を大切にしようという,そちらの方向に沿って話は進んでいると認識できるんじゃないかと思う。

小林(第2委員会)副主査

 前回に引き続いて,先ほど質問させていただいたが,結局,私が申し上げたいのも,今,浮川委員と山口委員が率直にお話しくださったことを申し上げたかったということなのである。スタンスのとり方として,現状を整理して,現代における人間関係の中の言葉遣いが,こういう場面,こういう場面,こういう場合ではこうなっているということを整理した上で,先ほど外国人のための日本語教育という中での言葉遣いというのを借りて申し上げたが,それを踏まえて,将来的に日本語は表現をより気楽に簡略化しつつ,相手を考える表現をするようになるのが望ましいのではないかという趣旨で,私は発言していたつもりなのである。

平野委員

 今の問題点を少し別の観点から考える可能性があるかと思って,もう一言申し上げる。
 3ぺージの(6)の「ニューメディアでの言葉遣いと敬意表現」のところで,「ファックス,電子メール,インターネット情報など,ニューメディアの言葉遣い」というふうに一くくりにしておられるけれども,これは三つとも少しずつ違うところがあるように思う。
 私の電子メールでの経験を簡単に御紹介する。私が学生に電子メールで連絡しようと思って,コンピュータの画面に向かって手紙を書くようなつもりで文章を一生懸命書いて送ると,それに対して学生から返ってくるのは,全然手紙文ではない。ここにある「大きく簡略化された」文章というよりは,会話をそのまま表記しているようなもので返ってくるわけである。そうすると,私はやはりむっとする。したがって,今の日本人の日本語観というのは,浮川委員のおっしゃったような状況にないというふうに思う。
 一方で,コミュニケーションの便宜のために,電子メールでの日本語が変わっている。端的に言えば,敬意表現を省くような方向に行っているという事実もあるわけである。そういう問題を考えると,敬意表現の問題については,私は,現状整理,その辺でとどめるのが妥当ではないかという趣旨で,先ほど中間的な感想を申し上げたつもりである。

井出(第1委員会)主査

 先ほどから大変核心に迫るところの御意見をいただいているが,第1委員会の意見として,私ばかりがしゃべってしまった。どなたか第1委員会のメンバーで御発言いただけるであろうか。私どもが何を考えて,どういうことをやってきているのかということについて,御説明いただけると大変有り難いと思う。

清水会長

 言葉遣いというのは,とにかく文化である。必ずしも通信の手段だけではない。背景に心の問題があるということから出発してきたような感じを私などは持っている。そういうような意味で,山口委員が今おっしゃったように,21期の時にはそういう立場で,敬語といっても,狭い意味の敬語に限定するのではなくて,もうちょっと広げて,いろいろな立場での敬意表現という形をとってきたというのが経過だと思う。これは日本の文化を尊重するか,しないかにもかかわってくる問題だと私は思う。いろいろ御意見があるかと思うが,第1委員会の方どうぞ。

甲斐委員

 第1委員会ではないが,私はこの考え方を支持していて,そのことをちょっと申し上げてよろしいか。
 かつての「これからの敬語」という建議であるけれども,その中で一番顕著なことは,自分を表す言葉は「わたし」である。それから相手を表す言葉が「あなた」である。これは解説書によると,英語の「I」と「You」に関係しているんだそうである。当時の国語審議会は,英語の「I」と「You」から,日本もそういうふうになってほしいということで,主語は「わたし」,それから「あなた」という言葉を提案したわけである。しかし,これは日本の社会の生活においては全然なじまなかった。そこのところが,一つの新しいものを出していこうということへの小さな引き金になっているように私は思った。
 それで,国語審議会の方がどういうようにすべきだと決めて,現在の日本人の言語活動を改めていこうというのではなくて,敬意表現を使えないがゆえにコミュニケーションが円滑でなくなるような,そういう状況を少しでもなくしていこうということでこれを提案していると私は思っている。そういう点で,ここに出されている提案を私は非常に支持したいと思っているわけである。

牛島委員

 第1委員会の委員であるけれども,甲斐委員がおっしゃったことに引き続いて,申し上げる。前期から引き継いだ時には,できるだけ敬語を伝統的に引き継ぐべきではないかというような形で私どもも検討してまいったが,御意見の中には,先ほど浮川委員がおっしゃったように,フラットな社会だからシンプルにした方がいい,国際化社会において日本語は余り複雑でない方がいいという議論もたくさんあった。教育の場でも,そういうことをするのは面倒だ。そういう時間はない。国語教育はだんだんと狭められてきているから,時間数も少なくなっているとか,いろいろな論議があったわけである。その中で,やはり丁寧な表現だけは残すべきではないかとか,そういういろいろな議論を重ねて,最終的にはやはり現状が一番大切である。敬語が現実に使われているという現状を認識することが大切であるということになったのである。
 そして,現状も,特に前期の報告書にあった上下という関係は,少なくとも絶対に報告書の中からは外さなくてはいけない。人権尊重ということで,相手を敬うという形で「下」という方は全部カットした次第である。
 したがって,相手を尊重しながら言葉を使うということは事実であるけれども,実際上は,先ほど平野委員もおっしゃったように,自分が丁寧な言葉で言われたり尊敬を持って言われるといい気分になる。会社においても,きちんとした敬語を使われると,やはり気分が良くて円滑になる。実際上は,人間の心理というのは,そう簡単なものではないと思うが……。ただ,敬語というのは日本の文化にかかわる――先ほど清水会長がおっしゃったように,日本語の良さ,別の面からはあいまいさでもあるけれども――日本のすばらしい言葉遣いでもある。敬語には日本語としての特色があるから,だからここまで排除されないで生きてきている。
 現実に生きている中で,余り変に使ってしまうとおかしいし,間違いだとか,冗長だとか,丁寧過ぎるとか,そういう使い方はある程度整理した方がいいんじゃないか。だけれども,全部なくすのではなくて,現状を維持した中で少しは整理しようということである。
 さらに,一遍にフラットにはならないんで,いずれはシンプル化してしまうかもしれないけれども,次の次の世代くらいまで掛かるかもしれないというような形で,22期の第1委員会では,ある程度は前のものを踏襲し,かつ現状の言葉を整理しながら,具体的に言葉の例で示していった方がいいのではないかということで今のところ落ち着いているわけである。
 また,「敬意表現」という呼称についても,丁寧表現にしようか,配慮表現にしようか,敬意表現にしようか,いろんな言い方の候補があったけれども,「敬意表現」というところに落ち着いて,このような形に進んできている。このようにいろいろな議論の中でここヘ来たということを私からも御報告させていただいた。

清水会長

 基本的なところで,いろいろな御意見もまだおありかと思うけれども,第1委員会の日程は,後ほどの資料にも書いてある。特に御意見があれば,委員会の時にでもまた御出席いただければ有り難いと思う。

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