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文化庁月報
平成23年8月号(No.515)

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連載 「伝建地区を見守る人々 伝建歳時記」

近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区
まつりが育てる伝建地区

近江八幡左義長保存会副会長 岡 弘

目次

  1. 1 天下の奇祭「左義長まつり」と近江八幡
  2. 2 近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区
  3. 3 町衆と祭り
  4. 4 奉火の感動と来年への誓い
  5. 5 左義長まつりと伝建地区のかかわり
  6. 6 安土と共に

天下奇祭の「左義長(さぎちょう)まつり」と近江商人が育て守った町並み。
祭りの若衆が脈々と受け継ぐ伝統と祭りへの熱い心と心意気。
祭りが好きだから離れられないこの町。
伝統的建造物群保存地区を守り育む原動力は「左義長まつり」にあり!

◆天下の奇祭「左義長まつり」と近江八幡 〜織田信長から豊臣秀次へ〜

 滋賀県近江八幡市の旧市街地では,毎年3月中旬に左義長まつりが行われます。400年以上も続く,「天下の奇祭」と言われる祭りです。(写真1)

写真1:天下の奇祭「左義長まつり」のにぎわい(日牟礼八幡宮鳥居前)

写真1:天下の奇祭「左義長まつり」のにぎわい(日牟礼八幡宮鳥居前)

 祭礼期間には,約7万人(祭礼参加者含む)の人々で賑わいます。これは,おおよそ近江八幡市の人口に匹敵します。近年は近国の韓国や遠くはアメリカの地でインターネットを通じて紹介されています。
 もとをただせば日本全国にある「ドンド」。しかしながらこのドンドが安土城下で大きく変貌します。織田信長が奇異な衣装に化粧をし,町衆の輪に踊り込んだのが起源とされます。信長が本能寺の変で没したのちは,豊臣秀次が八幡山に城を築き,その南麓に城下町を建設し,安土など近在の商工業者を城下に集めました。
 八幡には,古来より,農耕神事である「八幡まつり」があります。旧来は松明祭り,太鼓祭りと呼ばれており,千年以上の歴史があるとも言われている祭りです。新しい町民がこの祭りに参加させてもらえない事に対抗し「左義長まつり」を執り行ったとされます。しかしまあ,この様な奇異な祭礼をよくぞ秀次様がお認めになられたものだ。やはり織田信長の影響が大きいのでしょうか。

◆近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区

写真2:伝建地区「新町通り」より八幡山を望む

写真2:伝建地区「新町通り」より八幡山を望む

 近江八幡市の伝統的建造物群保存地区は,天正13年(1585),豊臣秀次により城下町として整備されました。その後,天正18年(1590)には京極高次が入城し,そのわずか5年後に廃城となりました。城主を失った町は一時衰退しますが,先進的,自律的な商法により後の近江商人を生み出し,発展を遂げました。現在の町並みは近江商人が繁栄を期した江戸時代中期から後期の姿を留めています(写真2)。
 近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区は,新町通り,八幡堀り,永原町通りに沿う約13.1ヘクタールの町並みで,平成3年4月30日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました(近江八幡市ホームページ参照別ウィンドウが開きます)。築城以来の碁盤目状の町割りと共に,江戸時代を通じて活躍した近江商人の居宅や旧宅が良く残り,八幡堀りの石垣や周囲の緑と共に特徴的な景観が残されています。博物館的でも観光に偏った保存でもなく,いわば生活がそこにあり,住民がそこに生活の糧をもち,生活に喜びをもってそこに住む。そんな「まち」を形成しています。

◆町衆と祭り

 左義長まつりをはじめ,近江八幡市内の村や郷,町内などで行う火を用いる祭りは,「近江八幡の火祭り」と総称され,国選択無形民俗文化財とされています(写真3)。近江八幡の左義長まつりでは,新藁で作られた左義長の中心に意匠を凝らした「ダシ」が飾られ,最終日(3日目)にはこれがすべて炎となり,天に上るのです。「ダシ」には,曳山に勝るとも劣らない細工が施されます(写真4)。この「ダシ」はすべてが山海の珍味などの食品で細工されています。全国の祭礼を調べてみても,食品でこれだけの製作を行うものはどこにもありません。一見の価値は十分にあります。
 町衆は半年の時間をこの祭礼につぎ込んでいると言っても過言ではありません。まず,まったくの白紙からデザインを行い,製作方法から貼りつける食材まで,すべてが若衆を中心とする町衆の手で行われます。一基あたりの製作費も数十万円はかかり,祭礼当日の賄なども含めると一奉納町内あたり百万円前後にもなります。すべてが各奉納町内の町衆が自分たちの資金力で賄います。

写真3:13基が一同に会する唯一の土曜日の渡御出発前

写真3:13基が一同に会する唯一の土曜日の渡御出発前

写真4:食品によるダシの細工。兎は春雨,その他の部分は煎餅等でできている

写真4:食品によるダシの細工。兎は春雨,その他の部分は煎餅等でできている

◆奉火の感動と来年への誓い

写真5:奉火後の火の回りをいつまでも回る若衆

写真5:奉火後の火の回りをいつまでも回る若衆

 「ダシ」つくりに没頭する若衆は数か月間,奉納町内の会所(左義長宿)に通いつめます。町内の老いも若きも一緒になって夜遅くまで「ダシ」を製作することにより,タテ社会が継承され,町が従来から大事にしてきた「縦と横のつながり,融和」を知らず知らずの間に実現しているのです。
 こんなに一生懸命に製作した左義長も3日間の祭礼最終日にはすべて奉火行事として奉納されてしまいます。一生懸命に製作した若衆の目には感動と神への感謝の気持ちできれいな涙があふれ,いつまでも火の回りを踊ります。(写真5)。
 お神楽を受けた後,町衆は来年の「左義長まつり」へと心を向けます。近江八幡の左義長まつりにかかわる町衆にとっては,この日が正月みたいなものだと言えます。

◆左義長まつりと伝建地区のかかわり

 近年,「生きがいのあるまち」,「住んでよかったまち」など,ここに居てよかったことを表すさまざまな言葉を耳にします。昭和40年代に八幡堀りの埋立ての話が浮上した時,堀の再生を目指した近江八幡青年会議所は,「死にがいのあるまち」をコンセプトにした新たなまちづくり運動を展開しました。これは,働きがいのある場所や生きがいのある場所は数か所あっても,どんな人間でも最期を迎える場所はひとつしかなく,この町で生涯を終えることを心からよかったと思える町を意味するものです(近江八幡観光物産協会ホームページ参照別ウィンドウが開きます)。
 八幡堀りの再生から町衆の町並みに対する意識が変化し,左義長まつりとの一体性を徐々に考えるようになりました。左義長まつりと伝統的建造物群保存地区は歴史的にも一心同体であり,どちらが近代的に改変しても,町民の心には違和感が残るでありましょう。
 町並みと祭りの一体性。それをきれいで魅力的だと感じる若衆が多くいます。当地の町並みと祭りをとおして知らず知らずのうちに育まれた心なのです。歴史的な町並み,住民の心意気,これに育ちゆく若衆の心が新たに加わって,生きた伝統的建造物群保存地区が続いていくのです。これからも祭りをとおしてこの事を浸透させていきたいと思います。

◆安土と共に

 近江八幡の左義長まつりの元は,安土城下の左義長まつりであると言われています。
 旧・近江八幡市と安土町は2010年3月に合併し,現在は同じ近江八幡市ですが,安土にも信長に関する歴史的なものが多く残っています(写真6)。しかし,町並みは徐々に近代化していき,昔の姿を留めるものも少しずつなくなってきています。今後は「まつり」を通じて町のあり方を共に考え,信長が日本の中心として夢見た地域の発展を共に考え,今後のまちづくりの進展を共に望みたいところです。

写真6:歴史を感じさせる伝建地区と左義長まつりの見事な一体感

写真6:歴史を感じさせる伝建地区と左義長まつりの見事な一体感

写真7:多くの歴史資産を包含する安土山城跡と安土城下町

写真7:多くの歴史資産を包含する安土山城跡と安土城下町

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