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文化庁月報
平成24年9月号(No.528)

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特集 国際文化交流―文化芸術の海外創造発信拠点の形成―

東京国際映画祭 −映画祭が果たすべき役割とは−

東京国際映画祭作品選定ディレクター 矢田部吉彦

目次

  1. 1 今年25回目を迎える映画祭
  2. 2 映画祭のルーツ
  3. 3 映画とは何か?映画祭とは何か?
  4. 4 映画祭の使命
  5. 5 作品を選ぶ
  6. 6 映画祭の未来〜若者とともに〜

今年25回目を迎える映画祭

第24回東京国際映画祭(2011年)(C)2011 TIFF

第24回東京国際映画祭(2011年)(C)2011 TIFF

 1985年にスタートした東京国際映画祭は、今年で25回目という節目の年を迎えることになりました(第4回まで隔年開催)。カンヌやヴェネチアといったヨーロッパの老舗の映画祭は、いずれも60回を超えており、まだまだ東京の及ぶところではないですが、それでも映画祭というイベントは一回一回の開催がとても大変なので、25回目でもなかなかのものだと思います。映画祭のステイタスは、その歴史の長さに比例すると言えます。山があっても谷があっても、まずは続けることが大事。25回を迎えて、東京もそろそろその歴史に自信を持って良い年頃になってきたと言っていいでしょう。

映画祭のルーツ

 そもそも映画祭は何のためにあるのか。どうして、世界各国が、揃って主要都市に映画祭を立ち上げ続けるのか。それには色々な答えが考えられますが、まずは映画という芸術形態そのものが持つ、政治的プロパガンダとの相性の良さが指摘できます。世界で最も古い国際映画祭はイタリアのヴェネチア映画祭で、時の権力者ムッソリーニがファシズムのプロパガンダの場として始めたというのが定説になっています。いきなりファシズムを持ち出すのは穏やかではありませんが、自国を海外にアピールするツールとして映画は最も有効なものであり、国威発揚と結びつきやすい。国威と連動するのが映画であり、その映画が結集した場が映画祭であるなら、国(や自治体)が映画祭に注目するのは当然なのかもしれません。東京映画祭にしても、世界でも有数の豊かな映画史を持つ日本が「国際映画祭」を備えていないのはおかしいのではないか、という考えが1985年当時にあったとしても不思議ではありません。一方で、東京より後発の釜山映画祭は、韓国におけるエンターテイメント産業振興の流れにうまく乗り、アジアにおける映画祭の覇権を東京と競うまでに成長しています。どうやら、世界的に見ると、立派な映画祭を備えていることは、その国の文化的ステイタスに影響し、国民の自尊心をも刺激するようです。

映画とは何か?映画祭とは何か?

 とはいえ、いささか不穏な話からスタートしてしまいましたが、何といっても映画祭の神髄は、やはり映画文化を盛り上げることにあることは言うまでもありません。しかし、「映画文化」とは何でしょう。いや、そもそも「映画」とは何でしょう?
 映画は第7芸術と呼ばれるように、芸術のひとつの形ではあります。しかし、芸術とひとくくりに呼ぶには、あまりにも複雑で、あまりにも多くの人間が関わり、そして時にあまりにもお金がかかる。産業消費財と芸術品との間を延々と行き来しながら、映画はその正体を明らかにしないまま、それでも120年近くにも渡って人々の心を掴み続けているのです。
 映画祭は、そんなやっかいな映画の、複雑な側面を全てまとめて面倒見てやろうという欲張りなイベントです。コアなファンの飢餓感を満たし、ライトなファンに興奮をもたらし、映画監督に機会を提供し、映画会社に商機を与える。「観る人」、「作る人」、「ビジネスする人」の3者全ての満足度を上げることで映画文化を盛り上げて行こうというのが映画祭の目的であり、少なくとも東京国際映画祭はこの3者のためなら何でもやってやろうという気概を持って運営されています。

映画祭の使命

 以上が映画祭の役割であるとして、ではもう1歩突っ込んで、映画祭にとって一番大切なことは何か。それは、充実したプログラミング(作品選定)をすること、に尽きるでしょう。商業ベースに乗らないとしても、芸術的に優れた作品を国の内外に紹介すること。そして、世界の映画の潮流を自国民に紹介すること。さらに、自国の映画を海外に向けて発信することも含まれるでしょうし、若い才能を発掘し、彼らに映画の未来を託す作業も映画祭の重要な使命です。
 日本で商業公開される外国映画は、言うまでもなく、映画会社の採算シミュレーションをクリアした作品に限られます。そこには、日本におけるマーケティングという視点が大きく介在します。しかしながら、世界には日本的な商業価値観と無縁な作品が無数に存在するのであり、その中からひときわ芸術的価値が高いと判断される映画を紹介していくのは映画祭の大きな役割でしょう。
 また、世界の映画の動きをキャッチし、特集のような形でムーブメントを紹介していくのも映画祭の特権の一つです。ゼロ年代のマレーシア映画の新たな潮流を、東京国際映画祭のアジア部門は紹介しましたが、今度はマレーシアに引っ張られるようにインドネシアが元気になっており、最新映画地図を追うのは常に刺激的な作業です。一方で、国際的な共同製作が進み、もはや個別の映画の国籍自体が無意味なものになりつつあることも、映画祭を通じて見えてくることでもあります。
 そして、日本で行う映画祭である以上、日本映画を紹介して海外に発信することは、東京国際映画祭の大きな使命のひとつです。

作品を選ぶ

 東京国際映画祭が検討対象とする作品数は優に千を超え、選定担当者はうず高く積みあがるDVDの山を前に、途方に暮れることになります。いかなるビジネス指南書を駆使してもこの仕事の効率化は不可能で、100分の作品を見るにはどうしても100分かかるのだ、という事実が重くのしかかってきます。勝負相手は、映画ではなく、時間です。
 かくして、空き時間は全てDVDの鑑賞に充てられ、週に30本以上見るのは当たり前という期間が続きます。そして、そのような日々が続くと、よい映画の判断基準がぼやけてきます。
 例えば、昨年来、数多く作られている震災関連作品。身近に起きた未曾有の出来事への取り組みは、映画作家としては当然であり、甚大なる犠牲と引き換えに、日本の表現者が世界に向けて強く訴える主題を手に入れたとも言えます。が、それだけに、玉石混交が激しい。「映画が扱うテーマの重要性は、映画の出来を正当化するか」という古くて新しい問いが、改めて作品選定者に突き付けられます。被災地の深刻な状況が描かれ、作り手の姿勢も真摯であることが分かりつつも、映画がどうしようもなくつまらない場合、どうするか。映画作家が真摯に被災地に取り組むのであれば、我々選定者も、命をかけるくらい必死になって映画とは何かを考え続けなければいけないのです。

映画祭の未来〜若者とともに〜

 映画祭の役割や使命は上記に連ねた通りですが、東京国際映画祭が現在最も力を入れていることのひとつが、若い映画ファンの育成です。アート系作品の公開数が減り、ミニシアターの閉館も続いたここ数年、若者の著しい映画離れも指摘されてきました。いや、一部の話題作を見るために、シネコンに駆けつける若者は大勢いるのです。しかし、今やアート系作品は、中高年齢層をメインのターゲットとして想定できないことには輸入されることがありません。どの業界もそうでしょうが、若者が映画を見てくれないことには、映画業界も未来はありません。
 東京国際映画祭では、昨年より、学生の当日券料金を一律でワンコインの500円に設定してみました。結果、限られた告知期間にも関わらず、若い観客が確実に増えたという実感が得られています。話題の邦画を見に来たものの満席で入場できず、500円という気軽さから、隣で上映していたフランス映画に替わりに入ってみたら、「あまりの素晴らしさに、映画というものに対する見る目が変わりました!」と感激しながら話しかけてくる学生カップルに筆者は遭遇し、君たちのような若者を一人でも多く増やすために映画祭は存在しているのだ、と強く思ったものです。

第24回東京国際映画祭(2011年)(C)2011 TIFF

第24回東京国際映画祭(2011年)(C)2011 TIFF

 映画祭が良質なアート系作品を上映し、それを若い観客が鑑賞し、やがて彼らが劇場へも足を運ぶようになり、業界が活性化するような好循環を作るのが、映画祭の夢です。若い映画監督やプロデューサーが、世界に殴り込みをかける踏み台として機能することも、東京国際映画祭の夢です。過去120年間そうであったように、時代の波にもまれながらも、映画というやっかいなシロモノは、今後も人々の関心の的であり続けるに違いありません。その中心にいるのが、若者でありますように。映画祭が果たすべき役割には、限りというものがないのです。

矢田部 吉彦

(氏名)矢田部 吉彦 (職業)東京国際映画祭作品選定ディレクター

【経歴・活動欄】
 1966年、仏・パリ生まれ。小学生時代を欧州、中学から大学までを日本で過ごす。大学卒業後、大手銀行に就職。在職中に留学と駐在でフランス・イギリスに渡り、その間年間300本以上の映画を鑑賞し続け、帰国後、海外から日本に映画を紹介する仕事への転職に踏み切る。以後、映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わるように。2002年から東京国際映画祭へスタッフ入りし、2004年から現在まで上映作品の選定を行う作品部の統括を担当。2007年よりコンペティションのディレクターに就任。

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